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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

2024ねん 5がつ 17にち(きんよーび、晴れ)

なんとかダブルワークで研究頑張ってる(*・ω・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「沖縄県で最古の人類の痕跡、火焚いてたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は沖縄県、宜野湾市の普天満宮洞穴(ふてんまぐうどうけつ)遺跡です。

琉球列島の歴史は日本とはやはり異なるのですが、少なくとも3万2000年前には人類が住んでいたことが分かっています。



今回は3万1000年前の炉跡が発見されたということです。



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炉というと一般的には江戸時代の囲炉裏のようなものをイメージするかも知れません。

土器などを固定するための三石炉(さんせきろ)の発生は古く、そちらをイメージする方もいるかも知れません。

単純に適当なサイズの石を三つ拾ってきて、組むだけの簡素なものです。

3つなので自然と安定するのです。

この三石炉は現在でも使用されていますし、サバイバルテクニックとして知られているかもしれません。




しかしながら、考古学における、特に古代の炉というのは基本的に上の写真のようなものです。

そうです、特に何もありません。

あるのは焦土(しょうど)、つまり焼けた土なのです。

今回の発見では同じ箇所を炉として長く使用していたようで、恐らくは周りにあったレキ(石のこと)も焼けてますし、たくさんの灰が固まっている様子が分かります。






写真の上にある灰色コンテナに入っているものが、焦土や灰の塊です。

下にあるものは左の4点が沖縄県の旧石器時代、約3万1000年前の石器で、右の2点が人間の頭蓋骨(とうがいこつ)の一部です。





おわりに

今回の発見は沖縄県、最古級の炉跡ということで、多量の灰が検出されています。

この灰を分析することで、当時の人々がどのようなものを食べていたのかが分かる可能性があります。

またヒトの頭蓋骨の分析により、すでに見つかっている他の旧石器時代の人骨との関係性が明らかになるかも知れません。

今回は発見に関する速報ですから、続報に期待ですね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ



何はともあれ、

何食べてたかは気になるね!( ・Д・)



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2024ねん 5がつ 13にち(げつよーび、めちゃ雨!)

風邪ひいて痰がまだ絡む~(TДT)

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今回の考古学・歴史ニュースは戦国時代の籠手がいい感じで出てきたので公開するぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は埼玉県行田市の忍城跡です。

2019年の発掘調査時に保存状態が極めて良好な籠手が出土しました。



長さ59.6cm、最大幅45cmの鉄製の籠手でした。

鉄製であるのに保存状態が極めて良好なのは出土地点の環境によります。

今回の出土位置は、忍城の本丸と二の丸の間の堀の底付近でした。



出土地点が堀の跡ですが、長いこと水に浸かっていたことから良好な状態で保存されたと考えられます。

ちなみに出土状況としては右腕用の籠手が左腕用の籠手の上に重なって固着した状態でした。

2019年の発見なのに2024年5月になってからの一般公開となった理由は保存処理と、この固着状態からの解放に時間を要したということです。






おわりに

博物館に行くと戦国時代の刀剣や甲冑ってけっこう展示されていますよね。

まぁ「刀剣女子」とか生まれるくらいに全国にはたくさんあるのでしょう。



そういったものは基本的に伝世品だと思います。

それに対して今回の発見は考古学的なものなので、出土地点・状況のデータがあることが特異ですね。

堀の中からは他にも様々な出土品が出ていて、それらからの類推により今回の展示の目玉となっている籠手の帰属期間は1400年代後半から1500年代前半と考えられています。



展示は埼玉県行田市の郷土博物館にて展示中です。

籠手の他にも忍城に関連した具足や刀剣類を含めて計37点公開しているそうです。



とりあえず、戦国期の籠手がほぼ完全な形で発掘されるのは激レアなので、是非見に行ってみましょう!




何はともあれ、

戦国時代は人気あっていいな!( ・Д・)



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2024ねん 5がつ 5にち(げつよーび、晴れ)

数学とダーツやりたい欲がすごい今日この頃( -д-)ノ

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arukemaya1788

↑土まっくろくろすけ!( ・Д・)(「南日本新聞」の記事内画像より転載;credit: 鹿児島県立埋蔵文化財センター)


今回の考古学・歴史ニュースは「南九州で最古級の古墳が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は鹿児島県鹿屋市、名主原(みょうずばる)遺跡です。

古墳は全国で約16万基も見つかっています。

1位は兵庫県の約1万9000基ですし、数だけで見るとバラつきがあるのですが、やはり数だけではなく、規模・大きさを考慮すると機内が中心地だなという印象があります。



今回は鹿児島県、ということで南九州なのですが、畿内からはとっても離れているわけです。

実際に鹿児島県における古墳の数は約500基で37位です。

北海道、青森県、秋田県など0基の県もあるので、(北海道式古墳は別物です( -д-)ノ)、鹿児島県の古墳数は下位と言えます。



弥生時代から社会の複雑化、階層化が進行して、階層化社会のひとつの指標とも言える巨大なモニュメント、つまり日本では古墳が造られるようになるわけですが、

古墳の形状とか造り方なんかは恐らく畿内(中心地)から外側に広がっていったはずです。

なので南九州への到達はかなり遅かったと考えられるわけですが、、、

今回は古墳時代前期の古墳が見つかったということで、どうやら南九州地域での階層化社会の成立と古墳建造文化への参入は物理的距離の問題を切り抜けてどうやら思ったより早かったようだということが分かったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ




上の写真を見て分かるようにかなり大規模な調査です。

つまり今回の調査は道路工事に伴う緊急調査なのです。



記事内の1枚目の写真で確認できるように周りが畑ですよね。

なのでこの地点も元々畑だったと思われます。

だから土がまっくろくろすけ(腐植土/黒色土)なのです。



見つかったのは直径およそ20mの半円形の溝です。

その内側の高まりが古墳の墳丘部だったのですが、後世の人間活動、つまりは畑を作る際の土木工事などで削平されて残っていません。

お墓の部分も削られて失われているので、人骨も副葬品も見つかっていません。

しかしながらこの遺構や周辺部からの出土品によって古墳時代前期に築造された古墳であると推定されています。



古墳は群集墳になっていることが多いですが、この古墳は単独で存在し、サイズも大きなものです。

大隅半島の塚崎古墳群も古墳時代前期に帰属しますが、この古墳から出土した土器の様相から同時期かやや古い可能性があります。

総合して考えると今回の名主原遺跡の古墳は南九州最古の古墳である蓋然性が高いと言えます。



今回の発見は、古墳の広がり、社会の複雑化の進展、大和王権の成立を考える上で重要な発見です。

特に大和王権の影響が北九州までではなく、南九州までこれまでの想定よりも古くから強くあったと考えられる点で大きな発見と言えるでしょう。





おわりに

先ほどの上空からの美しい写真見るとやっぱドローンいいな~って思います。

やっぱ調査やってると真上から撮りたいもんね!



でも問題が4点あるのです・・・



①高い

②海外に持っていけるか謎だし、運搬機材が増えてやだ

③ジャングルの中だと枝葉にぶつかって壊れそうw

④そもそも今のダブルワークじゃ現地に私が行けないヽ(TдT)ノ



まぁその内、アカデミアに戻ったら、許可関連確認してから研究費ゲットして購入するかな~

ってことで、


何はともあれ、

まずは前回の調査で壊れた一眼レフ修理しなきゃ!( ・Д・)



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2024ねん 5がつ 5にち(にちよーび、晴れ)

世の中、GWか、、、ヽ(TдT)ノ

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arukemaya1786





さて、「研究者日記」です。

前回は勤務時間+通勤時間+睡眠時間を引いたら4時間しか残らんって話でした。



実際に炊事洗濯とかの時間があるのでできる限り圧縮して1時間で全て終えるようにしたとして、1日3時間しかないんですよね。

毎日の軽い筋トレと、休みの日のランニングを習慣にしたので、時間やや削れて、、、

もう少し慣れたら久々に休日はダーツもやりたいな~なんて思ってるので更に削れて、、、




まぁでもしゃーない!




できる範囲で研究続けるしかないですね。

時間の確保は、もう今の会社でとても偉くなるか、アカデミアの公募通るかの二択しかない。

あるいはブログやYouTubeで生活費稼げるレベルまでになるか。



どの道、今はダブルワーク頑張るしかないのです(*^・ェ・)ノ




さて、最近は時間見つけては大学図書館に入り浸ってます。往復は時間かかっちゃうけど、集中できるし、ネットも快適だしね。

そして今は大体1900年から現在、あるいは1950年から現在の様々な財(商品)の価格をデータ入力しているので、図書館に行く必要があるのです。




これまでに『米、腕時計、車、食塩』の入力を終えていて、今月というか昨日今日は『砂糖、鍋、茶碗』を入力しました。

あとは『味噌・醤油・酒類』入れたいのと、『肉・魚』を入力したら、ひとまず完了かな~?って思ってます。



今月は論文とかアカハラの後処理(超無駄な仕事)とかに追われて、来月は論文と報告書に追われて何かと忙しい予定ですが、、、

まぁ入力自体は今月5月中に終えたいと思ってます!



6月以降はやろうと思って手を付けれていなかった数理経済学に関する数学の勉強を少しずつ取り込みたい!

あとは『給与、米』から始めたいと思ってますが、平安時代~1900年までの価格の変化をデータ入力したいんですよね。



きっとそれがツライはず(TДT)

そして入力データを私の『多層的冪分布構造論』に則って『財の社会不均衡分布』として表現できるよう加工して、、、

この作業が一番キツイはず・゚・(ノД`;)・゚・




でも一度出来てしまえば、あとは食塩やら腕時計やらお味噌やらと、ひたすらデータ集めて、変換していくだけなので、

6月~7月の峠さえ超えれば、年末までには明るい未来が見えるはず!



ってことで、


ひたすら頑張りますか~い!( ・Д・)

↑あ、youtubeと当ブログ(ちゃんとした記事の方)もボチボチがんばりまーすヾ(´ω`=´ω`)ノ
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2024ねん 4がつ 22にち(げつよーび、あめ)

働くって大変ね(´・ω・`)

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さて、久々の「研究者日記」です。

研究者日記は書きやすいのでばばっと書いてましたが、頑張っても読者数増えるわけでもないなーてやめたんですよね。

けど、楽しみにしていてくれた方もいらっしゃったようなので、今後は「研究者日記(?)」としてやっていこうかな~て思います。




「(?)」ってのは日記ではないってことですね。

まぁたま~に書くよってことで、当サイトもかなりのてきとー更新ですが似た感じになります( ・Д・)

でもよろしくお願いいたしまっす!!!





ってことで、私は日本学術振興会特別研究員PDの任期が切れて、更には上長の書類提出遅れもあって、一般就職することになったのです(笑)

で、4月1日から実は飲食業で働いておりまして、結構大変です。

てか、人生で初めてまともに働いております( ・Д・)




特別研究員だった頃が最も研究が劇的に進み、幸せでしたが、、、

常に新たなモノを考え出すという意味での「産みの苦しみ」も知りつつ、

それでも自由に、秋葉とか上野でたくさん飲んでました(笑)




ががが、今はもうそんなことできませんね(ノд・。) グスン




嘘かほんとか知りませんが、アインシュタインって偉くなる前は特許局かなんかで働いていたそうで、

まぁどこで働いていたかは正直どうでもいいんですけれど、

1日24時間を三分割したそうな、、、




つまり8時間は勤務、8時間は睡眠、8時間は研究、そんな感じです。




実際に生活時間って必要なもので、調理・食事・入浴・掃除・洗濯とか諸々、なので残った8時間全部研究に費やすのは無理ですよね。



私の場合は、9時間労働10時間拘束(休憩1時間)、通勤2時間、8時間睡眠なので、、、



残りは4時間!



で、なんやかんや生活してると、、、まぁ2~3時間は研究系の仕事に費やせるかなって感じです。


ちなみに通勤の2時間は読書に充ててて、今はファインマン物理学読んでて、再来月以降は数理経済学やります。

で、問題は余った2時間も、ほとんどが助成金用の書類作り、獲得済みの助成金の報告書作りで消えてくんですよ、特に4~6月( -д-)ノ



で、各月にはそれぞれ論文の締め切りあるし、、、


あ”~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!( ・Д・)


更には書籍書いたり、雑誌の依頼もこなすんやで???


あ”~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!( ・Д・)






久々の休みも研究関係の仕事に全力投球だよ?


あ”~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!( ・Д・)




まぁしゃーないね。

結局言いたいことは、、、、




一般就職と研究職の二足の草鞋を履くのは大変!


在野研究者とかなんなん?って思ってたけど、ヤバいわ、研究内容はさておき、仕事との両立出来てるんだから尊敬に値する。





ってことで、そんなこんなで、


ばちくそ頑張るから応援してね~っ!!!!!( ・Д・)

↑あ、youtube1000人超えて収益化しました、現状クソつまらんけどブラッシュアップしまーす!
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2024ねん 4がつ 21にち(にちよーび、晴れ)

やっぱ健康第一だね(定期)(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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↑こー見るとよく分らんが、、、目を凝らすと?( ・Д・)(「PBS」の記事内画像より転載)


今回の考古学・歴史ニュースは「川から古墳!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は滋賀県、近江八幡市江頭町です。

ここに日野川という川が流れていて、上に挙げた地点で円筒埴輪が6点1列に並んだ状態で見つかりました。




上の写真だとパッと見は分かりにくいのですが、、、右手に白色や黒色の土のう袋(?)の列が見えると思いますがその辺りが発掘現場となります。

よく見ると調査地点の真ん中ぐらいになにやら細かな『破片群が縦一列』になっているのですがわかりますか???( -д-)ノ




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↑これならより分かり易い!(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


上に挙げた写真が、最初の写真の右手側から撮影したものです。

なので奥に少し川が見えている状態です。



これだと真ん中に破片群が「横一列(やや左肩上がり)」になっている状態が分かり易いかなと思います。

ちなみにその破片群の下側には青みがかった灰色っぽい地面が見えていますね。

これは『グライ土(無機質水成土壌)』です。

川の傍ではけっこう見られます。

というのも水分が絶えず供給されることで酸素不足になって(この現象はレアな遺物が残る理由としてもこれまでに何度も紹介しました)、その状態で土壌や粘土中の鉄分が還元すると青灰色や緑灰色になるのです。

土壌や粘土のグライ化なんて風にも表現します。


arukemaya068
↑たくさんの土器片(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


さて、もっと寄って撮影したものがこれです。

先ほどの写真の左側から撮ったものですね。



なので、左手に乾燥した地表面が見えていて、右手にぐちゃぐちゃな地面(グライ土側)が見えています。


破片群も奥側のものはかなり形が残っているようです。

これで円筒埴輪6個体分……?

もっと多い気がするけれど、まぁいいでしょう( ・Д・)



arukemaya069
↑これ見つかったやつ(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


見つかった破片試料群を接合するとこのような感じになります。

博物館の古墳時代のコーナーでは、特に右側のものは見たことがあるのではないでしょうか?




さて、タイトルは「川から古墳!?」ですが、これだと河岸から埴輪が見つかっただけの話になってしまいます(´・ω・`)


arukemaya066
↑これ分かり易い!(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


この写真には補助線が入っています。

埴輪は古墳の上に列を成して並べていることが通例です。

下側の黄色のラインが先ほどまで見てきたものです。

なのでやや左肩上がりのラインでしたね。



ってことは対になる埴輪のラインがあるはずで、それが上側の黄色のラインになります。

つまりこの地点にかつて前方後円墳があって、埴輪はその上に並んでいたのです。

長い時間経過や造成工事によって河川の経路が変わったため、古墳は削れてしまい、水没することになったようですね( ・Д・)

ほんとレアな発見だと思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



おわりに

今回、渡航中に書いていたものを時間が経過してから書き終えたため、写真のリンク情報を失念してしまいました( -д-)ノ

まぁ主に「滋賀News」のはずです……

これを機に、『書く時は一気に仕上げる』ように致します。

そして……時間ある時にリンク調べて追記しますね(*^・ェ・)ノ




何はともあれ、

レアな発見っていいな!( ・Д・)



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2024ねん 4がつ 20にち(どよーび、晴れ)

頑張って働いております( ・Д・)

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今回の(考古学・歴史)ニュースは「ゴメン、盛大にサボったが、ちゃんと働きつつ研究も続けてるよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


皆さま、お久しぶりです!


わたくし、生きております。

なんやかんや色々ありまして、一般就職しまして、頑張って働いております。

他方で客員研究員、共同研究員の肩書と所属は有しているため、引き続き科研費等の助成金に応募しつつ、休日を用いて国内外の調査研究に従事していきたいと考えております( -д-)ノ



まぁそんなこんなで、11月末に「ブログ運営のリアルな経過報告、ブログって稼げるの?」を書いてからずっとサボってました。

海外調査もあり、水も電気も、当然ネットもなく、一週間程度で慌てて就活して、報告書とか書きまくって・・・・・・

そんな感じで忙殺されておりました(/TДT)/



まぁ11月と3月は少し記事を書いたようですが、以前のような元気はないですね。

今も実は仕事の休憩時間中に書いております!( ・Д・)



のんびり頑張っていくのでまたよろしくお願いいたしますね~(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


ってことで、とりあえず定期報告として表を提示していきますね!


2024年3月末表

表1.2024年3月までの各属性の変化



特別書くことはないですね。。。

ただただサボったって事実があるのみ!(*^・ェ・)ノ




さて、グラフ表示で見てみると、、、



2024年3月末グラフ
図1.2024年3月までの各属性の変化



データも取れてなかったので、かなり適当に補完しておりますが、、、

仕事にも慣れてきたし、こっから色々頑張ります。

論文の締切とかに圧迫されるだろうけど、なんとか継続していきますね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ







↑こちらもちゃっかり宣伝。。。今はズブの素人だけど、たくさんやってれば上手になるかな?( ・Д・)



おわりに


実は、こっちもサボってるYoutubeですが、「あと4人」で1000人達成するのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

嬉しいですね。

まぁ考古学ファンは少ないでしょうが、、、

収益が僅かにでも出ればモチベーションは上がると思うので、

『遺跡紹介』系とかやろうと思ってます。



もちろんブログもぼちぼちと頑張っていきますので今後とも末永くよろしくお願いいたします!ヾ(´ω`=´ω`)ノ




何はともあれ、


アインシュタインみたいに二足の草鞋で行くぜ!( ・Д・)



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2024ねん 3がつ 5にち(げつよーび、晴れ)

ビール祭りだぁヾ(´ω`=´ω`)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースはなんだかんだやっぱり凄いよね、日本!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


日本列島への人類の移動

上に挙げた画像は東京都、上野にある国立科学博物館が実施した「3万年前の航海再現プロジェクト」で使用された丸木舟です。

学術クラウドファンディングで約6000万円集めてるんですよね。



実験考古学としての成果というよりは単純に集めた額がすごいなと思ってしまうのは私だけか( -д-)ノ

まぁでもほんとすごい。

この丸木舟は長さ7.5mなので、これまでに出土した平均的な長さの中で大きめのサイズとして作られてて、最大サイズとかではないんですよね。

それでいて、台湾から沖縄県、与那国島までの約225kmを移動したんですよね。

それはすごい(*・ω・)ノ





この記事では「縄文時代の丸木舟は約5~7mで二人乗り」って書いてます。

この話は復元の件も兼ねてるのですが「移動」のことではないんですよね。

例えば、前に一人、後ろに一人、間のスペースにモノを載せて「運搬」するとか、

二人乗りで「漁労」をして、間のスペースに網などの道具や釣果を載せるとか、

そういう生業関連の話なのです。




この科博の事例だと5人で乗ったそうです。

まぁ225kmの距離を移動することが目的なので、「漕ぎ手」がたくさんいないと困るんですよね。

舟なので体重分の重量が増えることよりもパワー・スタミナの方が大事なのです。




人類の移動か・・・

でもたかだか5人来た程度じゃ生き残れなさそうですね。

意図的に船団で移動したのか、あるいは継続的に遭難など潮の流れの関係で多数流れ着いていたのか、、、




とある生物学者が文明崩壊後に人類が再生するとしたら何人必要かという疑問に対して100人と答えていました。

近親交配を繰り返すとまずいのでDNAの問題からという回答ではあったけれど参考にはなりますね。

3万年前の大陸側から列島への移動に対して、100人もの集団が船団で移動したってのは当時の社会スケールからして考えにくいので、やはり後者かなって気はします(*^・ェ・)ノ





縄文時代最古の舟

さて、では日本最古の舟の話に移りましょう。

出土遺跡は千葉県、市川市雷下遺跡です。



上に挙げた丸木舟は全長約7.2m、幅約50cm、厚み約8cmで、本来は全長7.6mを超える当時としては大型の舟と考えらます。

当時というのは今から約7500年前、縄文時代早期の終わり頃のことです。



次に古い事例は、島根県、松江市の島根大構内遺跡で出土した丸木舟で、約6000-7000年前の縄文時代前期のものです。

サイズは6m程度です。

縄文時代の丸木舟のサイズ分布が5~7m程度ですから、雷下遺跡の丸木舟は最古級にして最大級の事例ということになります。

両者ともカイ(オール)も出土していますし、後者はヤス(漁労具)も出ているので本当にレアな事例と言えます。

また丸木舟はムクノキやスギを素材として、火で焦がしながら、巨大な樹を石器で削って作ったと考えられており、上の写真でも内面が焦げている様子が見て取れると思います。



さて、縄文時代は約16000年前から2400年前の期間として定められています。

ざっと1万4000年のもの期間になります。

その期間の細分として、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期と6期区分があります。



縄文時代の丸木舟と言ってもその多くの出土事例は後期・晩期に帰属するものが多いのです。

まぁ古くなると出土遺物量が減少するのは致し方ないのです( -д-)ノ



されども既に上で述べた貴重な2例があるように、縄文時代の早期の終わりから前期には既に丸木舟があったことが分かっています。




活発な遠距離海上交易はいつから?

現状、最古の化石人類は約700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスですね。

最古の石器はまだやや古くなりそうですが、一般的には約260万年前のオルドワン石器ですね。

作ったのはホモ・ハビリスで、猿人-原人段階です。



他方で新人、ホモ・サピエンスは約20~30万年前に誕生しました。

その後、他の化石人類たちは絶滅して私たち現生人類だけが生き残りました。

つまり私たち現生人類はその誕生直後から道具を作り、使用できた、あるいは少なくとも化石人類の活動の観察から即座に学習できた環境にあったことになります。



恐らくこの最初期から人類は製作した道具の交換(交易)を行っていたかも知れません。

しかし事例が少な過ぎる他にも、活動領域での身近な石材を利用していたことから交換(交易)の実態は不明です。

産地が限定される黒曜石の利用が始まって交易が確認できるようになりますが、ニューギニアでの約1万9000年前の事例が最古です。



地中海域での海上交易の歴史も古く、約1万4000年前には1000km程度の交易網がありました。

日本では同じ約1万4000年前には2000km以上に及ぶ交易網あった可能性があるです。




丸木舟の最古の事例は約7000年前でした。

東北地方の三内丸山遺跡などの事例では約5000年前には黒曜石、翡翠、琥珀が日本各地から集められており、海を渡って北海道由来のものも伝わっています。

ではいつからこうした活発な海上交易がおこなわれていたのでしょうか?



九州南部と沖縄の事例では縄文時代前期(約7000~5500年前)に土器の海上交易があったようです。

奄美大島では金雲母を含む鉱物組成の粘土・砂がありませんが、金雲母を含む土器が多数見つかっています。

これは九州本島南部や奄美大島より南の小島、あるいは沖縄本島で生産されたものが運ばれてきた可能性を示しています。



また北海道~九州の範囲では縄文時代草創期(約16000~11500年前)の『爪形文土器』が広く分布します。

北海道~九州という広い範囲における土器の類似性は活発な海上交易に伴うモノや情報の伝播を意味していると考えられます。

最北端である北海道の爪形文土器の事例が1万4000年前ですから、そこから考えると、繰り返しになりますが、

日本では同じ約1万4000年前には2000km以上に及ぶ交易網あった可能性があるということになります。

すごいね、日本 (=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





おわりに

経済って複雑だけれど、面白い!って最近思えるようになりました。

考古学ってデータが限られているからこそ、経済などの様々な現象をシンプルに捉えることができるかな~って思ってますが、

ほんとに交易のレベルでも十分複雑で大変です。

大変ですが、面白い!



今年度は僅かでも古代社会研究を現代社会研究と繋げられるようになりたいなぁと思う今日この頃です。

論文で書くことのない一般的な説明部分の箇所も多いので、分かり次第記事しますね~(・∀・)つ

「居酒屋の考古学」とかやりたいもの・・・

考古学研究から、現代社会の経済研究につなげて、ビジネスに役立つレベルの分析ができるようになりたい!( ・Д・)



何はともあれ、

焼き鳥食べたい!( ・Д・)



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2024ねん3がつ 5にち(げつよーび、晴れ)

やば、また三カ月さぼった、すまぬ!( ・Д・)

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↑烏帽子って売ってるのね( ・Д・)(「SHIGEMORI ONLINE STORE」の商品画像より転載;商品詳細ページに飛ぶので注意、いつも通り回し者じゃないよ)



今回の考古学・歴史ニュースは鎌倉時代の烏帽子が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



今回の舞台は滋賀県大津市にある里西遺跡です。

近くの道路工事に伴う緊急調査の際に見つかったそうです。



まぁよく残ったよね。

ひとまずモノを見てみると、、、


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↑こんな感じ、画像ちっちゃいけど(「NHK NEWS WEB」の記事内画像より転載


サイズは幅 27cmで高さ 22cm。

絹製で漆の上塗りがしてあります。



最初に挙げた画像と形が違うように思えますが、

これは「折烏帽子(おりえぼし)」です。

元の形状から二回折りたたんでいるため三角形の形になっているのです。



見つかった遺構は、長軸 1.3m、短軸 1.0mの墓穴で、その中に長軸 1.1m、短軸 0.7mの木棺がありました。

木棺内には副葬品としてこの折烏帽子1点の他に、短刀1点、土師器皿11点、青磁碗1点、鋏(ハサミ)1点が含まれていました。



「レアな発見」ばかり追うような考古学者は嫌いだけれど、やっぱり墓は情報豊かでいいよね~って再確認するような良き発見事例ですね(・∀・)つ

滋賀県埋蔵文化財センターにて2024年4月5日までの平日の間は公開されているそうなので行ける方は是非この機会に見に行ってみてくださいな。




おわりに

上に挙げたものは茶道具の水差しなんですけれど、その形状から「烏帽子箱」と名付けられています。

あの烏帽子、普段はこうした形状の箱に入れて、形が崩れないように保管していたようですね。



折烏帽子は武士の被り物として行動し易いように折り畳んでいたことから「侍烏帽子」とも言います。

ということは今回の発見の被葬者は鎌倉時代のお侍さん?

あるいは副葬の過程で折り畳む風習でもあったのでしょうかね?

そして結構コンパクトに折り畳んでいたようですが、そのサイズ感の場合、烏帽子箱は使っていなかったんでしょうかね?



ニュースひとつ取っても興味関心が広がるのはいいことですし、考えたり、調べたり、思いをはせるのも楽しいものです。

伝われ~!ヾ(´ω`=´ω`)ノ



何はともあれ、

私の古代以降の知識の無さよ!( ・Д・)



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2024ねん 3がつ 5にち(げつよーび、晴れ)

道路・水・ガス・電気・インターネット、インフラって大事よね(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「たくさん木製品出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は千葉県、横芝光町にある高谷川低地遺跡です。


個人的にはここ数年、”使える理論”系やってるせいで、世界各地の考古資料って補完し合えるなって思ってるんですよね。

で、日本と言えば、「低湿地遺跡」だと思います。

というのも世界的に残りにくい木製品などの有機物製品が残る傾向が強いんですよね。



そんなレアな発見のひとつが今回の発見です。


arukemaya059


これまでにも当サイトで紹介してきましたが、ずっと水分を補給されていると酸素不足になるので有機物の分解がなかなか進まないんですよね。

それが低湿地遺跡で有機物製品が残る理由です。




今回縄文時代の舟が15艘も見つかりました。

上に挙げた写真のように見つかった舟を水につけているのは上記の保存上の理由です。




上に挙げたように櫛も出ています。

赤く見える塗料は漆と思われます。

他に縄文時代後期の土器が完形で3点出土してます。



舟がまとめて出土した事例としてもレアですが、櫛などの木製品の出土自体がレアなので貴重な調査事例だと思います。

気になるのは舟など全てが縄文時代後期に帰属するものなのかな?ってとこです。

たぶん記者さんが考古学関係ではないのか全然情報がありません……

報告書の刊行を待つ他なさそうです( -д-)ノ



arukemaya060
↑こんな感じに使ってた?(「埋もれた文化財のはなし 34」より転載;滋賀県埋蔵文化財センター発行)



おわりに

さてさて、縄文時代の舟と言えば上に挙げたような丸木舟です。

サイズは5m~7mくらいのものが多いです。

でっかい樹木を見つけて、頑張ってくりぬいて人が乗れるようにするわけですね。



サムネ画像も上の写真もそうですが、そのサイズから二人乗りくらいだったようです。

私たちの想像する小舟でもけっこう人が乗れそうなイメージですが、準構造船が弥生時代~古墳時代に登場します。

弥生時代の土器に刻まれた文様や、古墳時代の形象埴輪でその姿を確認できます。

私たちが一般的にイメージする舟/船は小型のものでもそのレベルの場合が多いかもしれません。



さて、そんな小型の丸木舟ですが、これまで全国で120艘ほどの発見事例があります。

そのような中、今回は一気に15例も増加したのですから凄いですよね。

ここ数年は水中考古学なるものが流行りのようで、何故かこうした海や船関係の考古学関係研究って莫大な予算が付くんですよね( ・Д・)

やっぱ日本と海の関係は切っても切れないから???



まぁ今回の発見も上手く活用されて研究が進むといいなと思ってます。



何はともあれ、

どうやったら使い切れないような予算もらえるの!?( ・Д・)



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