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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

2020ねん 11がつ 25にち(すいよーび、くもり)

この2連休を休まず働けば勝ち確!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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今回の考古学・歴史ニュースはポンペイで富豪と奴隷が一緒に死んだ状態が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイタリア、ポンペイ遺跡です。

ポンペイはこれまでにもけっこう扱ってきましたねヾ(´ω`=´ω`)ノ


↓ポンペイ関連の過去記事ですヾ(´ω`=´ω`)ノ





ポンペイと言えば、CE79年に大噴火を起こしたヴェスヴィオス火山の火砕流によって壊滅した都市です。

これまでも「ポンペイの悲劇」をテーマに書いていたので、上記のようなポンペイを中心とした内容を紹介してきました。

今回は『はじめに』かえて、ヴェスヴィオス火山の方に着目して紹介したいと思います。

ポンペイ遺跡の所在するイタリア語では「monte Vesuvio」なので「ヴェスヴィオ山(ないし火山)」が適当なのですが、ラテン語や英語の発音を頼りにすると「ヴェスヴィオス山」となり、日本語ではこちらの方が一般的なようです。

日本の歴史教科書では近年、「現地の言語の発音で表記する」ことになっていますから、ヴェスヴィオス火山も表記が変わることが予想されますね( -д-)ノ

本記事ではとりあえず慣習に倣い、ヴェスヴィオス火山の表記で書くことにします。

さて、記録に残る中で、ヴェスヴィオス火山はBCE217年に大規模に噴火しています。

次が「ポンペイの悲劇」で有名なCE79年のものです。

その後はCE432年、CE1631年、CE1944年に大噴火しています。

このようにヴェスヴィオス火山は歴史上幾度も激しく噴火してきた火山なのです(*・ω・)ノ


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↑大きな穴の痕が、噴火の激しさを物語っています(/TДT)/(「NACIONAL GEOGRAPHIC」の画像より転載;credit: Robert Clark)



さて、今回の発見は上に挙げた写真に見られるように、CE79年のヴェスヴィオス火山の噴火で亡くなった男性2人の遺体が新たに発見されたことです。

固まった火山灰の中に残された空洞から遺体の型をとり、2人の姿の石膏像が作られた結果、このようなリアルな状況が露わになりました。

死因は高温の火砕流によるショック死で、人型に固まった火山灰の中には2人の歯や骨の一部が残っていたそうです。

この2人の男性は、1人はおそらく裕福な男性で、もう1人はその奴隷ではないかと考えられているそうです。

裕福そうな男性の方は推定30~40歳で、暖かそうな毛織の衣服の痕跡が首の下に残っていました。


一方で奴隷と思われる男性は推定18~23歳で、脊柱が圧迫されていたことから、肉体労働をしていた奴隷ではないかと考えられています。


この2人はポンペイ遺跡の北西約700mにあるチビタ・ジュリアーナと呼ばれる郊外の住宅地で見つかりました。

遺体はナポリ湾を見下ろす邸宅の地下にあった「抜け道」の横の部屋で見つかったことから、2人がここに避難していた可能性が指摘されています。




その部屋が上に挙げた写真なのですが、、、

抜け道を走ってたわけではなく……その横の地下の部屋……

雇い主と肉体労働で鍛えられた若い奴隷、、、

ポンぺイは『快楽の都市』でもあるので想像が逞しくなりますね!( -д-)ノ

写真ではどっちの人物が雇い主か奴隷か分かりませんが、右側の人物は『丸出し』だしね( ・Д・)


↓ポンペイ関連の過去記事ですヾ(´ω`=´ω`)ノ




↑私のお気に入りは「まだ食べれるよ?シリーズ」です( ・Д・)


おわりに

記事たくさん書いてると毎日世界のどこかで新しい発見が起こってるなと感じます。

まぁ私の調査成果がニュースになってないのを事例に、本当はもっともっと色んな調査・研究があって、記事にはなっていないだけなんですよね。

この前の「縄文の囲炉裏」の新聞記事で痛感しましたが、ニュースにしようとする意気込みが地方紙だと場所によって大きな差があるように思えます。

一方で地元の話でなくてもニュースとしてガンガンに取り上げるものもあって、、、

エジプト、ポンペイ、南米は記事の本数がやけに多いなと思います。

ポンペイは今回のものと同様に新たな当時のリアルな状況が分かったよってことで毎度記事になります。

エジプトや南米(敢えて一括りにしてます)は乾燥地帯としてミイラとかたくさん出たよ!みたいな記事が毎度取り上げられています。

そういった状況を考えると、考古学の中でも特定のテーマに一般の人々の関心が集まり、博物館の特別展の実施や講演会といったお金が絡む話も特定のテーマが中心になる理由はマスコミと関連した商業的な意味合いによるところが大きいんだなと感じています。

ブログタイトルが「歩け、マヤ」なのに、敢えて自分の専門はあまり書いてきませんでしたが、、、

マヤ文明も頑張って打ち出していくしかないね!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 24にち(かよーび、くもり)

どこかで伏せてた分を取り返さねば(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは使い方が謎!変な囲炉裏である『複式炉』が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は岩手県、北上市にある八天遺跡です。

岩手県の新聞記事が元ネタなのですが、写真が上の1枚しかないのですΣ(・ω・ノ)ノ

これだけだと正直、何も伝わらないので、他遺跡の事例の写真を紹介しながら本記事の紹介をしたいと思います( -д-)ノ




まずは八天遺跡での発見について概要を示しますね(*・ω・)ノ

八天遺跡は縄文後期の中頃(約3800~3500年前)の直径13mにも及ぶ大型建造物址が発見されたことにより、国指定史跡として登録されている遺跡です。

また重要文化財指定を受けている遺物も多数出ている有名遺跡なのです。

今回の発見では以前の発見よりも更に古い時期に当たる縄文中期の終わり頃(約4500年前)の竪穴式住居で囲炉裏(いろり)として使われた複式炉が発見されました。

他には縄文後期の初頭(約4400~4100年前)に帰属する、1.5mの深さの貯蔵穴も発見されています。

どうやらクリなどを入れていたようです(*^・ェ・)ノ

これらの発見により大型建造物が使われた時代よりも古い時代に既に集落が形成されており、この地に長く人々が生活していたことが分かったのです(。・ω・)ノ゙ 






珍しい囲炉裏、複式炉とは?

さて、タイトルにあるように本記事では複式炉を「謎の囲炉裏」としています。

何が謎かというと使い方が良く分からないのです( -д-)ノ

上に挙げた1枚目の写真のように、普通私たちがイメージする囲炉裏は上から吊っていて、皆で囲むようなタイプではないでしょうか。

おまけに何の役に立つのか分からん「魚を模したやつ」が付いてたりします( -д-)ノ

実はアレ、自在鈎の部品で、ヤカンなどをかける鈎の部分を上下させて固定するためにある横木と呼ばれるものだそうです。

火を使う場所なので、水に関係したものを飾って火事にならないようにするおまじないの意味があるそうです。


昔はあそこに魚引っかけて干したり燻製にしてた名残なのかと勝手に思ってました( -д-)ノ


さて、話を戻しまして、囲炉裏ってやっぱり一個のヤカンをかけたり、一個の鍋をかけたりするイメージですよね?

一方で2枚目の写真はジブリの「隣のトトロ」に出てきそうな古いカマドなのですが、これは二つの焚口があるわけです。

今回発見された炉は「『複式炉』だからこれ?」と思うかもしれませんが違います。

このトトロ・タイプは現代のキッチンでもよく見られる単にコンロが2つあるタイプです。

この場合、使いやすいように横に2つ並んでますよね?

もし縦に並んでたら、奥側を扱う際に火傷してしまいそうです。

そうです、なんと『複式炉は炉が縦に2つあるタイプ』のものなのですΣ(・ω・ノ)ノ


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複式炉の写真を見ても、「これはただこの角度から撮ったから縦に見えるんじゃないか!」と思うかともいるでしょう。

なので竪穴住居内における複式炉の配置図も用意しました。

まぁ住居内は広いので横方向からも使える気もしますが、まぁ『縦タイプ』なんです!( -д-)ノ

「複式炉」自体がレアな囲炉裏の形態で、主に東北地方で検出されています。

今回の記事は岩手県ですし、上に挙げた事例は福島県のものです。

使い方は先に述べたように「不明」なのですが、恐らく、石組みになっている部分で火を焚いていて、土器が二つ埋めてある部分は種火や灰、置き火のための空間だったのではと考えられています。

下に挙げた2枚の写真で分かるように、住居の中心側に土器が埋められていて、その外側に石組みがあります。

下の写真のパターンでは更に外側に石組みのない開けた空間があり、ここには薪を置いていたのではと考えられています。

東北地方で見られるこうした『複式炉』は、単に囲炉裏として機能しただけではなく、東北の寒さに耐えるために囲炉裏の有する暖房設備機能を強化したものだったのかも知れませんね(*^・ェ・)ノ






おわりに

囲炉裏ってなんだかとっても和風な気がするのは私だけでしょうか。

でも家に囲炉裏なんてないし、私は海辺とか山でバーベキューしに行って、その際はバーベキューセットというのか、金属製の箱みたいなのを持っていくわけですが、、、

そういう時に、たまに砂浜とか地面に直接炭を置いて貝などを焼いたような痕跡に出くわすことがあります。

マナー的には「炭もゴミも捨ててくなよ」と思いますが、考古学的には人類が残した痕跡として興味深さもあります( -д-)ノ

地面で直接火を起こし続けると、地面が焼けて焼土が残ります。

レアですが、これは考古学調査でも検出されるもので古いケースが一般的です。

時期が新しくなると、炉の形態としては「三石炉」が最初期の形態です。

3つの石の間で火を焚いて、石を支えにしてその上に土器を置いたりします。

昔の人も3つの支えだと安定することに気付いていたようですね。

皆さんも特に砂浜で見かけることが多いと思うのですが、誰かの炉跡を見つけたら観察してみてください。

面白いですよ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

そしてアクシデント等でバーベキューセットが使えない時は、適当な石を3つ拾って三石炉を作ってみましょう!

それだけで「文明度(?)」がアップしますので(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

……まぁこんな風に炉ないし囲炉裏というのもすごい長い歴史があって、日本国内でも海外でも様々な地域差があって面白いものなのです(*^・ェ・)ノ

何はともあれ、

囲炉裏で美味しいもの食べたいね!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 21にち(どよーび、雨)

ふっか~つ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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↑イタリア北部に位置するってことが分かる図(「イタリア政府観光局」のページ内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは人類最古の地図って知ってる!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイタリア、ヴァルカモニカです。

ヴァルというのが「谷」を意味します。

しかし文法上は接頭辞なので、区切らずに一つの単語として扱うそうです(ヴァル・カモニカとはならないという意味)。

日本では「カモニカ渓谷」と表記されることの方が一般的なようですね( -д-)ノ


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カモニカ渓谷はモンテ・フレロネなどの高い山々に囲まれた中、南側に位置するイゼーオ湖に向かって流れるオリオ川によって形成された渓谷です。

このカモニカ渓谷には「ヴァルカモニカの岩絵群」と呼ばれるものがあります。

イタリアで最初の世界遺産として1979年に登録されました。

ヴァルカモニカの岩絵群と呼ばれる特定の場所があるわけではなく、カモニカ渓谷内に点在する国立公園の中で様々な岩絵が見られ、それらをまとめて岩絵群としています。

有名なところではナクアネ岩壁彫刻国立公園、セラディーナ-ペドリーナ公園、チェート岩壁彫刻国立公園、チンベルト岩壁彫刻国立公園、パスパルド岩壁彫刻国立公園を始めとして色々な公園があります。


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↑これが世界最古の地図!(「星埜 ????(発表年不明)」より画像を転載)

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↑全体はこんな感じの刻線文になっている(「??? 2016(発表者不明)」の画像より転載)




さて、今回紹介する世界最古の地図が『ペドリーナ図』です。

カモニカ渓谷の岩絵群のひとつなので、単純に「カモニカ地図」として日本では広まっているようです。

しかし先に紹介したようにカモニカ渓谷内には多数の国立公園があり、この岩絵地図はその内の一つで見られるものです。

それがセラディーナ-ペドリーナ公園です。

恐らく距離が近い二つの公園がまとまって、このセラディーナ-ペドリーナ公園となっているのだと思いますが、正確には二つに分かれるようです。

ペドリーナ公園の方は実は「国立」と付いていないだけあって、正確には私有地だそうです。

このペドリーナ公園にある岩絵地図なので、現地では人類最古の地図「ペドリーナ図」として知られていますヾ(´ω`=´ω`)ノ

「カモニカ渓谷の岩絵群」は約1万年前から紀元前後のローマ帝国期に至る約8000年の間に人類によって描かれた様々な線刻画が見られます。

モチーフは農耕、航海、戦争と様々なものが計14万点も描かれており、それぞれの文化の様子を知る上での重要な資料となっています。

この人類が描いた最古の地図「ペドリーナ図」はBCE1500年、つまり今からおよそ3500年前に描かれたもので、当時の集落の様子を描写しています。

良く見ると、人の形や、家畜などの動物のモチーフ、家屋のモチーフが見られますね。

下に挙げる別の岩絵にも家屋が見られるのですが、当時のこの辺りの家屋は高床式倉庫みたいに背の高いものだったのでしょうか、気になります。

家屋に梯子が付いていて、屋根裏に人が入っている様子も描かれています。

それにしても全体としてかなり大きい集落ですし、行き交う道も複雑で、かなり正確に描かれた地図のように伺えます(。・ω・)ノ゙




おわりに

数日、不可思議な腹痛(?)で伏せておりましたが、その間に「社会経済物理学」とか「都市地理学」の勉強を軽くやっていた時に、この世界最古の地図について偶然知りました。

地図というと、私のイメージではバビロニアの粘土板に描かれた地図が思い浮かぶのですが、そちらはBCE600年なのでペドリーナ図の方が古いですね。

まぁ世界地図としてはバビロニアが最古なのか……

続けて、バビロニアを扱ってもいいかも知れませんね(*^・ェ・)ノ

そう言えばマヤで地図って知らないな、焼かれたか!?( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 18にち(かよーび、くもり)

困った世の中だよ( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは号外!シャレにもならん。迷惑Youtuberがとうとう縄文文化にも手を出したよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は日本、岩手県です!( -д-)ノ

問題のYoutuberは日本在住の外国人女性のYoutuver、フォロワー数は60万人を超えるそうです。

で、何をやったかというと、岩手県花巻市内の土地を「無許可」で発掘し、縄文土器や石器を掘り出して動画投稿したのです( ・Д・)

問題の動画は早々に削除されたそうですが、動画内では数人の外国人グループがスコップでテキトーに乱雑に土を掘り返し、縄文土器や石器を発掘する姿が映っていました。

Youtuberあるあるのオーバーアクションで出土する遺物に興奮する様子が映し出されていました。



またこの迷惑Youtuberは別動画にて、出土遺物を花巻市総合文化財センターに持ち込み『土器を拾ったのだけど、本当に古い時代の土器なのか見てほしい』と鑑定を依頼していました。

更に動画内では「遺物をこうやって拾って持ってくることは、違法かどうか」を聞いたそうです。

・・・・・・・・・・・・

まぁ普通に「文化財保護法違反」ですよ( ・Д・)

日本在住ならある程度日本語使えるだろうし、調べられるでしょう。

というか、「文化財保護」に関して法律のない所謂「先進国」はありませんよ。

ニュースでは、『文化財保護法の周知を行うべきだ』なんてまとめてますけど、、、

日本は『激甘』ですよ。

もちろん国にもよるけど、これ、もし海外なら即特定されて「逮捕」です。

盗掘が犯罪じゃない国はないです。

日本だけじゃないけど、土地って必ず誰かのものです。

個人所有でなくとも、市町村や国の管理になっていたりと、誰の土地でもない自由な土地はありません。

だから、仮に今回の無断の発掘行為を置いておいたとしても、他人の土地に入って勝手に土を掘り返した時点でアウトでしょう。

……今回のニュースの問題は、場所にもよるわけですが比較的浅い地点からも遺物が出ることが周知されてしまうことです( ・Д・)

そういう場合もありますが、はっきり言って普通はもっともっと掘りますよ( -д-)ノ

でも「こんな浅くて出るんだ!」とか思った人が勝手に掘り始めて、ヤフオクやメルカリとかで販売するといったことが起きるのではと私は危惧しております。

最近、縄文とか古墳は人気ですから、なおさら怖いです(´・ω・`)

特に古墳なんて目に見えて分かりますし、事実として最近は古墳での盗掘事件も報告されていますヽ(TдT)ノ

当サイトではよく書いてますけど、

『考古学的価値とは付加するもの』です。

記録もなしに掘り出すと、一切のデータを有さない無価値なものに成り下がります。

だから、盗掘はダメ!絶対!( ・Д・)

やるなら「表面採集」にして、日付と地点を記録しておくといいでしょう。

本当は色々問題あるけれど、ファンとして(ファンって熱狂的って意味なわけで)我慢できないならば、せめて表面採集にとどめてください。

ってか、ファンなら考古学調査に参加してみたらいいと思うけど。

発掘調査補助員のアルバイト(けっこう割いいですよヾ(´ω`=´ω`)ノ)も調べればけっこう募集しているものです。

まぁ地球の裏側だから来るのにお金めちゃかかるけど、うちの調査に参加してもいいので、盗掘はやめましょう( -д-)ノ

色々書きましたが、このサイトの読者の皆様はとても「民度が素敵」なのでそんなことはしないと思ってます。

なので、是非この記事を拡散して頂いて、難しい法律とか全部無視して、ごく単純に勝手に掘ったら違法』ということを周知するお手伝いをして頂けると幸いです。

私が超インフルエンサーだったらいいんですけど、現実問題として違うので皆様のご協力をお願い致します(*_ _)ペコリ

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最後に、

「常識は他人の非常識」なんて言うけれど、、、

良識は持ってくれ!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 18にち(かよーび、晴れ)

あと三週間、というか今週さえ乗り切れば!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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今回の考古学・歴史ニュースはサッカラで100基以上の棺が見つかったよ~!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


「たくさん見つかるのはいいことですが、けっこう大変な側面もあるよ!」ってのを最後に簡単にお話したいと思います( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・

さて、今回の舞台はエジプト、サッカラ遺跡です。

現在のエジプトの首都カイロから、南方に30kmほどの距離にサッカラ遺跡があります。

サッカラは古代エジプトの首都であったメンフィスのネクロポリスでした。

ネクロポリスは本来「死者の都」という意味で、ここでは「墓所」いう意味で用いています。

サッカラ遺跡は首都に付随する特に大規模な埋葬地だったので、これまでにも多数の埋葬遺構が発見されています。

今回はそのサッカラ遺跡からおよそ2500年前に埋葬されたと考えられる棺が100基以上も発見されたという大発見のお話です(*・ω・)ノ


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見つかった大量の棺はいずれも木製です。


よくこれだけの保存状態の良さで残ったなと思いますねΣ(・ω・ノ)ノ


100基もの棺は深さ12mの3つの穴3からシールされた状態で出土したそうです。


上に挙げた写真もそうですが、下に挙げた写真でも棺が素敵過ぎる装飾を有しています。


このことは見つかった大量の棺が富裕層の人物を埋葬したものであることを示唆しており、恐らくは古代エジプトの末期王朝やプトレマイオス朝時代の高官のものと推定されています。




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↑この精巧さはスゴイ!これで2500年前!?( ・Д・)(「AFP BB news」の記事内画像より転載;credit: Ahmed HASAN / AFP )


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↑青いのカッコイイね!(・∀・)つ(「livedoor news」の記事内画像より転載)


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↑こんなのも出ました!(「livedoor news」の記事内画像より転載)




おわりに ー関連記事の紹介と考古学の大変さー

エジプトの関連記事は多過ぎて困るんですけど、、、

どれもけっこう面白いなと思うので全部ではありませんが、個人的にいいなって思う記事を片っ端から紹介しておきますね( -д-)ノ








まぁこの中では、短い記事ですが、最後の「ネコが好き過ぎてエジプト文明が滅んだ!?」ってのがけっこうお気に入りです(。・ω・)ノ゙

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さて、エジプトは保存状態がスゴイ良いし、何でもかんでも残っていいな~っていつも記事に書いているのですが、、、

何かさすがに出過ぎじゃないですか!?( ・Д・)

エジプト考古省も観光による外貨獲得を目指して文化遺産活用に力を入れているのは分かりますし、エジプト考古学者も世界の考古学を牽引する気持ちでガンガンやっているように伝わってきますが、、、

考古学って掘って終わりじゃないじゃない?

他の記事見てると、コロナで大変だけど新たな博物館にこれらの素敵な棺を展示するから、観光の起爆剤になって欲しいみたいなこと書いてますけども……

100基以上の棺を写真記録撮って、図面描いて、中身チェックして、保存処理かけて、分類して、これまでに出土した膨大な資料と比べて、、、

やることたくさんですよ( ・Д・)

……エジプト考古学の型式分類とかって、土器じゃなくて棺でやったとしても相当の数があるし、どんどん新しい資料見つかるしで大変だろうな~ってホントに思います。

これまでは単純に「すげー!( ・Д・)」って思ってましたけど、改めて考えてみると『出して終わりじゃない』ところが考古学の大変なところですね。

100基の棺の写真を報告書に使うにしてもどれだけ時間かかるのだろう……

まぁきっと予算も人員も莫大なのでしょうね( -д-)ノ

私も大量の墓か何か発見して一大ニュースとして取り扱われたい!!!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

出しただけで終われるなら特に良い!( ・Д・)



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やる気スイッチを下さい(*^・ェ・)ノ

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↑天空の城ですね~(「NACIONAL GEOGRAPHIC」の記事内画像より転載;credit: PHILIPPE MICHEL/AGE FOTOSTOCK)


今回はシーギリヤ遺跡がラピュタみたい!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はスリランカ、マータレーにあるシーギリヤ遺跡です。

考古学ニュースではなく、遺跡紹介なのでのんびりと写真を眺めてみてくださいな( -д-)ノ

サムネイル画像に使ったライオンを模した入り口の写真を見かけた瞬間、「カッコイイ(・∀・)」ってなったので取り上げることにしました。

正直、私もこれまで全然知らなかった遺跡です( -д-)ノ


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スリランカにはアヌラーダプラを首都とした王国、「アヌラーダプラ王国」が紀元前4世紀~後11世紀まで存続していました。

この王国の5世紀にはシンハラ王朝として栄えていましたが、477年、時の王であったダートゥセーナが息子であるカッサパ1世のクーデーターにより殺害、王権の簒奪が起きます。

この新たな王であるカッサパ1世は、首都アヌラーダプラを離れ、より安全なシーギリヤへと遷都しました。

484年にはマグマが固まってできたシーギリヤロックの頂上に要塞化した王宮が完成し、これが現在のシーギリヤ遺跡なのです。



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シーギリヤはカッサパ1世の元で繁栄しましたが、弟であるモッガラーナによって攻撃を受けます。

495年、カッサパ1世は喉を掻き切り自害し、シーギリヤは陥落しました。

シーギリヤは13世紀~14世紀まで修道院として存続し、16世紀~17世紀にキャンディ王国によって利用されました。

イギリス統治下の1851年にイギリス人によって再びシーギリヤロックは登頂され、1875年にイギリス人によって岩山に描かれたフレスコ画であるシーギリヤ・レディが再発見されました。

その後、考古学的調査も進み、1982年に世界遺産に登録されました。


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おわりに

シーギリヤは「ライオンの岩」という意味だそうです。

上に挙げた写真のようにかなり巨大なものなのですが、19世紀にイギリス人に再発見される時でさえ、ジャングルに覆われていてなかなか発見できなかったそうです。

あの巨大な前足と爪がジャングルを分け入った先に出てきたらと思うと、その時の感動と興奮は只ならぬものでしょうね( ・Д・)

「シーギリヤ・レディ」と呼ばれているフレスコ画はアプサラと呼ばれる天上界の歌い手や踊り子たちを描いたものと考えられています。

1500年前のものなのにこの美しさですから、スリランカ芸術遺産の最高傑作に数えられているそうです。

ただ残念ながら、元々500体以上のシーギリヤ・レディが描かれていたようですが、風化により現存するのは21体のみだそうです。

文化財の修復・保存の必要性がここでも見られますね。

またこうしたフレスコ画の近くの壁には、シーギリヤ陥落後から修道院時代に相当する8世紀から13世紀にかけて、この場所を訪れた僧侶や巡礼者による落書きが今も1000点以上残されており、こちらも歴史を伺える資料となっています。

……現代の落書きはただの破壊だからね!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 16にち(げつよーび、くもり)

寝付けなくてずっと「アンチャーテッド」観てた _(:3」∠)_


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今回の考古学・歴史ニュースはロアノーク集団失踪事件が少し解明に近づいたかも!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はアメリカ、ノースカロライナ州のロアノーク島です。

以前に取り扱ったので、是非先に読んでみてくださいね( -д-)ノ

下に挙げた前の記事を書いた時は、たぶん時間もなかったのか地図の理解で混乱してました(私たち、基本的に上が北なもので( -д-)ノ)

本記事の作成に当たり、読み直してみたらすっと理解できました。

記事内容の修正はしていませんので、皆さんも古地図と現代の地図を見比べながら色々と考えてみると楽しさを実感できるかなと思います(。・ω・)ノ゙


↓↓↓先に読んでね!(・∀・)つ↓↓↓



私個人としてはとっても大好きなストーリーで、これぞ歴史ミステリーだな~って思ってます。

YouTubeとかで考古学・歴史ミステリーをいくつか選ぶなら間違いなく、ロアノークの話を選びますね(*・ω・)ノ

また最後に述べますように、この「ロアノーク島の謎」を解明すること、あるいはそのための方法論の開発は考古学の新たな未来を拓くと考えていますので、そういう意味でもお気に入りのテーマですヾ(´ω`=´ω`)ノ




事件のおさらい

さて、ひとまず「ロアノーク島集団失踪事件」をサクッとおさらいしましょう。

1585年にジョン・ホワイト総督により北米最初の人開拓地の一つとしてロアノーク植民地が設置されました。

しかし重度の食糧難に陥り、1587年にホワイト総督は入植者115名を残したまま、イギリスに一時帰還します。

スペインとの戦争で遅れつつも3年後の1590年8月にロアノークに戻ってみると、入植者は1人もいませんでした。

残ったのは樹や防御柵に刻まれた「CRO」、「CROATOAN」の文字だけでした。




新しい発見とぶつかる意見

この「ロアノーク集団失踪事件」はアメリカでは人気のある逸話となっていて、現代でも紙芝居や劇で取り扱われています。


有名なところではホラー作家のスティーブン・キングの「悪魔の嵐」の題材ともなっているそうです。


さて、前の記事では『地図に隠された砦のマーク』を発見したという、「ナショナルトレジャー」のような冒険映画に出てきそうな大きな発見について紹介しました。


この砦があったと思われるポイントを『サイトX』と名付けて、「ファースト・コロニー基金」の調査チームが調査したところ、砦の痕跡は見つからなかったそうです。


その代わりに24点の英国製陶器片を発見し、ロアノークから移動した入植者達が運んで使用したものだと解釈しています。


またこのサイトXの北方3kmほどの地点を「サイトY」として発掘調査を実施したところ、英国製だけではなく、ドイツ製、フランス製、スペイン製の陶器を大量に発見したそうです。


サイトYを何故掘ったのか、出土遺物量はどれほどなのかについては、まだ調査が終了して間もないためか「ファースト・コロニー基金」のページを見てもまだ何も書かれていません。


しかしながら彼らの意見としては、「ロアノークの人々はホワイト総督を待つ間にロアノークから西方80kmの砦に移動していた」と考えているようです。


また別の調査チームはロアノーク島の80km南方にあるハッテラス島で、消えた入植者たちに関係する遺物を発見したと報告しています。


こちらでは16世紀の礼装用の剣(レイピア)の柄や銃の一部を含む、ヨーロッパ製の遺物が見つかったのです。



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↑ワニが描かれてるのでやっぱりアリゲーター川にはワニがいたんでしょうね!(「NACIONAL GEOGRAPHIC」の記事内画像より転載;credit表記は図内左下)



どう解釈するべきか?


ファースト・コロニー基金のチームを「チームA」、もう一方を「チームB」としましょう。

チームAでは「ロアノークから西方80kmの砦に向かった」と考えており、サイトXの発掘では砦は見つからなかったものの、80~100人の人々が生活していただろうと述べています(根拠不明)。

チームBでは「ロアノークから南方80kmのハッテラス島に向かった」と考えています。

両方とも『80km』なのは偶然だとは思いますけども、重大な食糧難の渦中にある100名もの大集団がそれほどまでの距離を移動するものなのかなと、まずは疑問に思います。

移動するのであれば、相応の理由があったはずで、

①先住民による攻撃の手から逃げるため

②食糧難を克服するアテがあったため

が、真っ先に考えられます。

①に関して、ロアノーク植民地内で事前に決めていた約束事で、万が一「島を去るときには行き先を木か柱に刻んでいく」、さらに「緊急事態の場合には十字も彫っていく」というものがあります。

発見された文字は「CRO」、「CROATOAN」だけで、「十字文」は発見されませんでした。

素直に受け取ると緊急事態ではなく、ただ行先だけを記したことになります。

「CRO」はクロアトアンの略のようにも思えます。

クロアトアンは先住民とクロアトアン島(現在のハッテラス島)を指します。

そうなるとチームBの仮説の方が有力かなという気もしてきます。

ところが、気になる点も散見されます。

先住民は比較的穏やかで友好的と記録に残っているのですが、ホワイト総督がイギリスに一時帰還する前にノアロークの入植者の内の1名は先住民との争いの中で命を落としているのです。

またホワイト総督がノアロークに戻った時には、ノアローク植民地には以前にはなかった防御柵が張り巡らされていたと記録にあります。

こういった点から一部の先住民との争いがあった可能性も残っています。

特に当時の環境に関する研究から、彼らが入植した1585年頃からの10年間は降雨量が少なく、作物の生産量が低かったであろうことが指摘されています。

友好的とは言え、先住民も一枚岩ではなかったかも知れませんし、飢餓に悩まされれば争いになることは、人類史において常と言えるでしょう。

この先住民との争いに着目するとチームAの仮説が有力のようにも感じます。



両方とも正しい説!

歴史研究の場合、二つの仮説が対立して、両者とも正しいことがあり得ます。

両者とも違って、いきなりブラックホースが飛び出すこともありますが( -д-)ノ

今回の場合、入植者の数が100名規模と大きく、飢餓状態にあったことから分散して各方面に散らばったと考えているようです。

そうして散らばった人々は先住民文化に同化していったと結論付けています。

・・・・・・・・・・・・

私はもちろんこの研究テーマを専門としていませんが、個人的には、、、

チームAの仮説に関して、ノアロークの人々は砦に行くかな?ってやっぱり思うんですよね。

入植時期等々から考えて、「砦って建設予定」であって、砦は当時なかった気がするんですよね。

食料の備蓄があるわけでもないのにそんなとこに飢饉の中、心機一転行くでしょうかね?

少なくとも「砦の建設には最適な条件」なのでしょうから、一部の先住民の襲撃から逃げる先としては良いと思いますけどね(*・ω・)ノ

当時のイギリスはスペインに負けじと北米に入植するために力を入れていたわけで、ホワイト総督も大量の食料と人員を連れて戻ってきて、重要拠点であるノアローク植民地やその周辺の探索を行ったわけです。

ホワイト総督は砦のことを計画した人物ですからその存在は知っているでしょうし、クロアトアンと刻まれていれば、クロアトアンの集落も訪ねるでしょう。

僅か3年後ですよ?

同化する?Σ(・ω・ノ)ノ

「あ~助けに来てくれた!ノアロークに戻ります~」ってならん?( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・

野ざらしにされた場合、ヒトの白骨化は1週間から数か月で十分です。

長く見積もっても1年あれば足ります。

私の『憶測』だと、ホワイト総督の出港後、飢饉の中で一部の先住民の襲撃を受けて、防御柵を設置、その後耐え切れそうになくなり、クロアトアン集落の本拠地に助けを求めたが半ばで全員死亡( ・Д・)

まぁこの説だと考古学的な証拠は見つからないので困るのですけどね( -д-)ノ

誰かクロアトアン集落に辿り着いていれば、そこにはロンドンを二度も訪れ、エリザベス1世から貴族の称号さえ受けているマンティオという先住民もいたでしょうし、無下には扱われないでしょう。

ホワイト総督の到着前に死亡したとしても手厚く葬られるでしょうし、ホワイト総督にそのことを告げるでしょう。

葬られてさえいれば、考古学的に色々と分かるのですが、野戦で殺されて、ないし力尽きて野ざらしだと何も残らないでしょう。

今後の調査と陶器片などの遺物のデータ収集成果に期待するのは当然ですが、現状、私的には全員死亡です( ・Д・)


おわりに ー考古学研究の壁ー

チームAの見解によるとチームBの成果も取り入れ、ノアロークの人々は四散した可能性があると考えています。

こうしてなかなか自ら、他者の意見を受け入れることは少ないと思うので、面白いなと思ってますが、お互いがお互いを批判できない状態にあることも一因でしょう。

前回の『地図に秘められた謎の記号』ように新た歴史史料が発見されない限り、今後も発掘調査によって地道なデータ集めをして検証を行っていく必要があります。

つまり考古学の出番なわけですが、ここに考古学研究における一つの壁が立ちはだかります。

それは『時間』です( ・Д・)

考古学では主に土器や陶器を型式学的研究法によって分類し、時期ごとに変化を追って、編年を組みます。

結果、土器や陶器はタイムスケールとして機能するわけですが、この時間幅が問題になってくるのです。

現代の食品のように「製造年月日」が書いてあれば楽なのですが、そんなことはありません。

土器や陶器の部分的な変化に着目して時期を判定しているわけなので、「変化していなければ分からない」のが事実です。

今回のお話は16世紀のイギリスをはじめとするヨーロッパ産陶器が年代の手がかりとなる主要な遺物です。

この頃の陶器の様式はさほど大きく変化していなかったようですし、モノの保ちも良いので長く使用されたり、生産を終えた後も長く販売されることもあります。

ホワイト総督が帰ってきたのは僅か3年後ですし、20年後にはジェームズタウンから南下してきた人々もいます。

1650年までには英国商人が多数流入していたことも考えると、長く見積もっても僅か100年の間を細分する必要があるのです。

時期・地域、特定の出土状況にもよりますが、考古学的には100年はけっこう短いスケールです!

感覚的には50年ごとの細分が出来たらかなり優秀だと思います。

なので、「ノアローク集団失踪事件」を解明するためには、「徹底した時期の細分」が一つの目標になると思います。

仮に使用条件が極めて限定されたものだとしても、ここでもし画期的な方法が開発されたら、今後の考古学の未来は明るい気がしますヾ(´ω`=´ω`)ノ

ところで、、、

「古代マヤ人集団失踪事件」にも基金を募りたい!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 15にち(にちよーび、晴れ)

謎の頭痛は抜けたので、今週は思いっきり頑張る!(*^・ェ・)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya1192



今回の考古学・歴史ニュースは国宝級の大発見!福岡県の船原古墳から玉虫装飾の馬具が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は福岡県、古賀市に所在する船原古墳です。

この船原古墳は7世紀初頭に帰属する古墳です。

ここから「玉虫の羽」で装飾された馬具が出土したのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

この玉虫装飾の馬具が国宝級なわけですが、そもそも「玉虫」とは何でしょうか?




タマムシは「吉丁虫」とも書くそうです。

本記事では種として書く時は「タマムシ」とカタカナ表記で、遺物名等では「玉虫」と表記することにします。

(お気づきの方もいると思いますが、当サイトでは基本的に「種」の時は、ヒト、ウシ、ブタ、シカのようにカタカナ表記にしています(*^・ェ・)ノ 一般語として使っている時は漢字表記にしています( -д-)ノ)

このタマムシは日本国内に広く生息しており、「ヤマトタマムシ」として知られています。

見た目通り、カミキリムシの仲間(近縁種)だそうです。

このヤマトタマムシの上翅は構造色(色素由来ではなく、微細構造に対する光の干渉作用によって生じる発色効果)によって金属光沢を発しているため、死後も色褪せません。

そのため古来より装身具等に加工されて珍重されてきました。

たかだか虫なんだから珍重されるほどでもないのでは?と思うかもしれませんが、珍しさはタマムシの生態に由来しています。

タマムシの幼虫はエノキやリンゴの木の幹の中を食害するので、発見が困難です。

また成虫になると警戒心が強く人間が近づくとすぐに飛び去る上に、寿命が1か月しかありません。

古代において金属光沢自体レアなわけですが、野生のタマムシを見つけることもレアなので、その希少価値は非常に高いものだったのです。


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上に挙げた写真が古墳で見つかった玉虫装飾としてタマムシの羽が用いられてた馬具にななります。

2枚目の図で分かるように、この馬具は、馬の胸や尻などを飾る杏葉(ぎょうよう)と呼ばれる装飾品です。

短軸が約8cm、長軸が約10cmで、20枚の玉虫の羽を金属の板の全面に敷き詰めていたと考えられています。

死後も色あせない構造色と書きましたが、長期間の埋没過程の中でその微細な構造が失われているため、かつての金属光沢はありません( -д-)ノ

こうした玉虫で装飾された品は、国内ではこれまで法隆寺の国宝「玉虫厨子」や福岡県沖ノ島の金銅製帯金具を代表として僅か4例しか確認されていないのです。

ちなみに馬具として初の事例になります!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





この日本では初の出土となる「玉虫装飾の馬具」ですが、朝鮮半島では5世紀の王陵級の古墳で見つかっており、最高級とされる遺物になります。

タマムシは日本で広く生息していると紹介しましたが、北海道には生息していません。

理由は寒いからです!

今からおよそ1500年前の朝鮮半島は今よりもやや寒冷な気候であったため、ヤマトタマムシはほとんど生息していなかったのです。

そのため当時の日本と朝鮮半島との外交関係の中で重要な役割を担ったのがこの玉虫装飾の品々だと考えられています。

先に述べたように朝鮮半島では5世紀の王陵で出土しており、一方でこの船原古墳の事例では7世紀初頭なのですが、古墳そのものではなく周囲にある墓壙から出土しています。

時代の移り変わりもあるのでしょうが、今回の遺物は朝鮮半島等との外交や交易に重要な役割を果たしていた人物に贈らたと考えられるのです


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↑最後に紹介したい写真、(「朝日新聞デジタル」の記事内画像より転載;credit: 金子 淳)

福岡県古賀市教委は13日、同市の国史跡・船原(ふなばる)古墳(6世紀末~7世紀初頭)の1号土坑で出土した馬具から、玉虫の羽を使った装飾品を確認したと発表した。古代の玉虫装飾品が国内に現存するのは法隆寺(奈良県)の玉虫厨子(ずし)(国宝)、沖ノ島(福岡県)の帯金具や正倉院中倉(ちゅうそう)(奈良県)の刀子(とうす)の3カ所で、馬具で確認されたのは初。朝鮮半島では5世紀代の王陵級の古墳などから玉虫装飾の馬具が見つかっており、朝鮮半島との交流を研究する上でも貴重で「国宝級の発見」との声も上がっている。

 船原古墳の石室入り口付近の土坑からは、2013年に6~7世紀の金銅製馬具一式や武具などが大量に出土し、市教委と九州歴史資料館(福岡県小郡市)が調査を進めてきた。

船原古墳

 今回はその中の金銅製馬具の一つで、馬の飾りに使われる「二連三葉文心葉形杏葉(にれんさんようもんしんようけいぎょうよう)」(長さ約8センチ、幅約10センチ、厚さ0・7センチ)。羽は、金銅製の板と鉄板で挟まれ、文様の隙間(すきま)から見えるようになっていた。CTスキャンで確認したところ、羽は約20枚使われ、一部には羽の先端を切断するなど加工した跡も見られるという。国産か朝鮮半島製かは不明で、玉虫の種類などから解明を進めていく。

 玉虫装飾を使った馬具は、5~6世紀代の朝鮮半島・新羅(しらぎ)の首都だった慶州の古墳5カ所などで発見されている。なかでも5世紀中ごろの玉虫装飾馬具は王陵級の古墳で見つかっており最上位階級者用の馬具とされる。

 桃崎祐輔・福岡大教授(考古学)は「新羅と、7世紀の重要な仏教工芸品である法隆寺の玉虫厨子の間をつなぐもので、その文化的意義は国際的なものに及ぶ。国宝級の発見といっていい」と話している。





おわりに

最後に再度、玉虫装飾の馬具を紹介しました。

日常的に良く目にする女性モデルの写真などは、女性だけにピントを合わせて他をボカすものがほとんどのように感じます(素人目線だと( -д-)ノ)。

一方で考古学ではモノあるいは遺構を撮るわけですが、特にモノに関しては被写体深度を限界まで深くしてどこもかしこもピントが合うようにします。

特に日本考古学では未だに写真は補助的な役割を果たし、実測図が中心なわけですが、色彩豊かなマヤ考古学では写真が中心です。

というかアメリカ人考古学者は実測図描けないので、プロの絵描きに任せちゃいます( -д-)ノ

そうした写真記録が重要なマヤ考古学で生きていると、写真と言えど実測図を描く時のようなモノの見方や、「これを映したいんだ!」という気迫が重要になってくると思います。

そういう意味で、上に挙げた写真は見事だなと思います。

国宝級の発見ということで、様々な写真が挙がっていましたが、他の記事の写真はただ全体を映しているだけのように感じます。

この写真だけは全体を捉えながら、しっかりと全体に敷き詰められたタマムシの羽の筋が分かるように撮られているんですよね。

光の当て方も実測図そのものだし、考古学関係者なのでしょうか……失礼ながら、、、

プロだな、と感じました( ・Д・)

こんな写真を撮りたいものです( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・

いや~、それにしても「国宝級の発見!」ってスゴイですよね。

私もいずれ、ティカルで国宝級の発見しますから期待していてくださいね!

国宝級見つけても金にはならん!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 14にち(どよーび、晴れ)

急な仕事が入り過ぎて論文終わらん( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya1183



今回の考古学・歴史ニュースはブリテン島の人々は盛大な焼肉祭りをやっていたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はイギリスの世界遺産、ストーンヘンジです。

古代のストーンサークルとして有名なストーンヘンジですが、この辺りは中石器時代に相当する紀元前8000年、つまり今から1万年前の柱穴が確認されており、とても古くから重要な場所であったと推測されています。

ストーンヘンジを囲む円形の土塁と堀は紀元前3100年頃、巨石が並べられたのは紀元前2000~2500年頃に造られたと考えられています。

今回の調査成果はストーンヘンジの近くに立地する古代の祭祀場と推定されている遺跡でのものです。

この遺跡では大量の動物骨が検出され、C14等の分析結果から新石器時代後期(紀元前2800年~前2400年頃)に相当すると推定されています。

ストーンヘンジを築いた人々が住んでいたと考えられているブリテン島南部のダーリントン・ウォールズや、ブリテン島最大の環状列石であるマーデンの近くでは祭祀場と思われる遺構が発見されており、それぞれ大量の動物骨が発見されているのです。

ダーリントン・ウォールズの祭祀場遺跡の発掘調査に際して、検出された8500点の骨を分析した結果、動物骨はブタとウシのものであると同定され、その割合はブタ:ウシ=10:1であることがわかりました。


これらの骨は日常の生活の中で食された後の廃棄物として堆積したわけではなく、季節性が認められており、冬の間にまとめて大量に廃棄されていることが分かっています。


このことからストーンヘンジなどのイギリスにおける環状列石群周辺では冬の間に大規模な宴が開かれ、大量の豚肉と少しの牛肉を焼いて食べていたと考えられているのですヾ(´ω`=´ω`)ノ



arukemaya1185
↑私も調査の懇親会としていつもバーベキュー大会してますヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ(「ブライダル総合情報マガジン クラウディア」の記事内画像より転載)



こうしたブタの骨が大量に出る祭祀場遺跡が多数確認されていることから、新石器時代後期のブリテン島南部で『ブタ肉焼き放題パーティー』の習慣が広まっていたことが伺えるわけです。


ストーンヘンジに関する近年の研究では、人間や動物が住んでいた土地の情報が分かるストロンチウム同位体分析によって、パーティーに参加した人々の広がりを特定しようとしています。

これまでの研究ではストーンヘンジで検出された人骨と、ダーリントン・ウォールズから検出されたウシの骨を対象に分析が行われ、ストーンヘンジ周辺域以外のかなり遠いところからやって来たことを示唆していました。


経験的にウシは遠くから連れて来ることが比較的容易なのに対し、「長距離の移動が苦手なブタは祭祀場の近くで飼われていたはず」という先入観が研究者にはあったため、祭祀の参加者がどこから来たかを知る手がかりにはならないと考えられており、これまでにブタの骨を対象としたストロンチウム同位体分析を行おうとする研究者はいませんでした。


今回のニュースの元になっている研究では、イギリスにおける4カ所の新石器時代後期の遺跡(ダーリントン・ウォールズ、マーデン、マウント・プレザント、ウエスト・ケネット・パリセード・エンクロージャー)から出土したブタの骨131点について同位体分析を行いました。


結果、それぞれの場所で食べられたブタの大多数が、現地で育てられたものではなく、ブリテン島各地から連れてこられたものであることが明らかになったのです。


その距離は少なくとも50kmで、最大で550kmに及ぶこともあり、ウェールズやスコットランドから連れてこられたブタもいたようです。


この研究結果から、新石器時代の祭祀場にブリテン島全土から人々が集まってきた、つまりストーンヘンジなどの環状列石と周辺の祭祀場は歴史上最初の「汎ブリテン島」イベントの会場だったということになるのです(*・ω・)ノ



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↑綺麗だねぇ(・∀・)(「ニコニコニュース」の記事内画像を一部加工)



またこの研究結果は、ブタにより人間の移動を推定する手法について、研究者たちに再考を促すことになりました。


他の同位体分析結果から、近現代の牧畜産業で見られるように地域で残飯を与えられたブタをかき集めたのではなく、ブタの大群を森で餌を食べさせながら移動させたことが示唆されたのです。


つまり、ブタの群れを移動させることなどできないというのは現代に生きる私たちの間違った思い込みであり、新石器時代のブタはイノシシのように痩せていて脚が長く、徒歩で長旅をできるだけの敏捷性があったのです(*^・ェ・)ノ





おわりに

日本の貝塚研究だと、貝の成長線を観察することで季節性について考察するような研究がありますけども、このストーンヘンジ周辺の事例ではどうやってるのでしょうね。

同位体分析で生まれ育った環境を推定する研究は広く行われているので分かるのですが、、、

横着して元論文読んでないので、すみませんヽ(TдT)ノ

日本でも環状列石はありますし、比較してみると面白いかも知れませんね!

あ、今思い出した!w(゚o゚)w オオー!



こんなふざけた環状列石関連の記事書いたことありましたね。

後輩に一部事実と異なると指摘されましたが、どこが違うのか覚えてなくて修正してません(再度教えてください( -д-)ノ)。

ま、イカ飯もいいけど、


焼肉パーティーいいね!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 13にち(きんよーび、晴れ)

さ、寒いよ、パトラッシュ( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya1181
↑イッヌが遠い目をしている(*^・ェ・)ノ(「10MTV」の記事内画像より転載)


今回の考古学・歴史ニュースは「狩猟採集社会において、男は狩り、女は採集っていう通説が崩れる!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、アメリカを代表としてフェミニストが世間を騒がせる世の中になっておりますが、まぁヴィーガンとか捕鯨反対運動とか、所謂「欧米社会」では自分たちの意見を押し通すべくゴリゴリの活動を行う傾向が強いのかな~って個人的には思ってます。

日本を始め、アジア社会や中南米でそういったものを聞きませんからね。

もちろん、日本からすると過度だなと思えるような単発的なデモはありますけどね。

ちなみに考古学者でもフェミニストはいるんですよってお話を最後にしようかなと思います( -д-)ノ

さて、話を戻しまして、今回の話題は『これまでの通説がひっくり返るかも?』ってお話ですが、ニュースとして話題性はあるものの、実際、考古学的にはけっこう難しい問題だよって内容です(*・ω・)ノ




このニュースの元記事は上の画像のリンクに挙げたように「ナショナルジオグラフィック」です。

ペルーのアンデス山脈で発掘された約9000年前の墓域から成人のものと思われる骨に共伴して、多種多様な狩猟用の石器が出土しました。

その後の分析によって石器と共に見つかった人骨は女性のものであることが分かりました。

この結果を受けて、アメリカ大陸全域で発掘された同時代の墓の調査結果も見直したところ大型動物ハンターの30~50%が女性だった可能性が明らかとなったそうです。

*ニュースとしての記事はここまでです。この後、一気に難しくなります。「おわりに」まで飛ぶことをお勧めします( ・Д・)


arukemaya1180


今回の発見は、普通に考えると新しい事例が見つかったということで大発見と言えるのですが、何が問題かというと現代におけるジェンダー問題に結びつく点です。

考古学は歴史の中でも古い部分(先史時代)を得意としているため、それぞれの集団のルーツに関わることも多いのです。

第二次世界大戦の事例が考古学において最も有名なものですが、グスタフ・コッシナの研究成果をナチス・ドイツが利用し、「『本来の』ゲルマン民族の領地を奪還する」ことを大義名分として戦争に突入しました。

考古学や歴史学は現代社会の役に立たないなんて思われがちかも知れませんが、実際に為政者等によって都合よく利用される事例は古今東西、後を絶ちません。

そういう意味で、考古学はなかなかに発言が難しい部分もあるのです( -д-)ノ

考古学者がニュートラルに発言しているつもりでも、受け手に都合よく曲解してしまわれますし、そういった曲解をした人々を扇動することで甘い蜜を吸う考古学者(所謂、お抱え考古学者)もいるのが実態です( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・

さて、今回の話に戻りますと、私たちのイメージでは「男は狩猟、女は採集」ですよね?

男性の方が体格もいいし、オスが狩りを行う動物も多いわけです。

もちろん逆もあるのですが……

私たち人類を含む哺乳類は比較的子供の数が少なく、育児に手間がかかります。

特に類人猿になると子供の数は圧倒的に減少し、その分大事に育て上げるわけです。

魚類等と比べれば一目瞭然ですが、私たちは「数の勝負」、つまり数打ちゃ当たる戦法をやめたわけです。

そのため増大した育児という役割を担ったのが女性(哺乳類ですから哺乳させる必要もあります)であり、より危険の少ない採集活動も行っていたと考えられてきました。

だから「こうした役割分担はそもそも生物学的・肉体的特徴に基づくもので、本来人間にはジェンダー(社会的性差)があるのだ」という論理がまかり通っていました。

更にはこうした事例が、特に1960年代以降の人類学研究・文化人類学研究によって精力的になされた世界中の現存する狩猟採集社会の観察によって裏付けられたため、「定説」となっていました。

1960年代以降、考古学においては「プロセス考古学」が主流となっており、人類史あるいは人類の活動に対する法則定立的研究が求められていました。

1970年代以降の「ポストプロセス考古学」の台頭により、個別記述主義とそれに基づく「多様性の受容」が求められ、これは現在の考古学にも色濃く残っていると私は考えています。

で、あれば、現在では「女性が狩りに出るというパターンを多様性として認めて良いのでは?」となりますが、これまでの『定説』の反例となる発見がなかったのです。

今回の発見がまさにその反例になるのです。

そのため「ニュートラルな立場では」大発見ですし、人類活動における新たな多様性が発見されたことになります。

・・・・・・・・・・・・

ここで問題になるのが特定の考古学者の発言です。

 9000年前に埋葬されたこの女性がハンターだったという見解に、アリゾナ州立大学のヒル氏は完全に納得しているわけではない。狩猟道具などの副葬品は、象徴的あるいは宗教的な意味で埋められたとも考えられると氏は指摘する。

 新たに発見された石器は、埋葬された人物の所有物だったのだろうか? スターリング氏は、そうした疑問そのものに異議を唱える。「こうした副葬品が男性の遺骨とともに見つかったときには、こんな疑問が浮かぶことはありません」と氏は言う。「そんな疑問を抱くのは、男女の役割に関する通説にそぐわない場合だけです

 ゲラー氏も、「女性が狩猟道具とともに葬られている理由をひねり出そうとして、頭の体操をしている人はたくさんいます」と同意する。


NACIONAL GEOGRAPHICの記事より引用


「普通に」考えれば、これまでの定説とは異なる発見があったのだから、「どうしてこうのような出土状況になるのだろう?」と考察することは必要な過程です。

慎重な立場として、「儀礼的に副葬された可能性もある」と述べることも私は「普通」だと思います。

該当する遺跡や周辺の遺跡などでの追加調査によって根拠を増やして、慎重に結論を出すことは当然だと思うのですが、、、


女性が狩猟道具とともに葬られている理由をひねり出そうとして、頭の体操をしている人はたくさんいます

これは痛烈な批判ですよね。

逆に言えば、そんな必要はない、ただちに「女性が狩猟に参加していた」と結論付けよ!と言ってるわけです。

研究者としてはおかしな話に思えますが、それでもニュースはこういった内容を取り上げます。

そもそも多様性を認めるという立場ならば、南米において女性がハンターであったという事例が追加されるだけであって、定説が覆るわけではないのです。

でもこうしたフェミニスト的な考古学者は、結論を一気に普遍化し、女性と男性は対等だった、だから現在のジェンダーは不当という論理を導くのです。

そうなると考古学の問題は一気に現代社会との強い繋がりを有し、最悪の場合、歪んだ形で社会問題に利用されていくことになるのです( ・Д・)


おわりに

今回の発見自体はとても興味深いものです。

狩猟採集社会において、必要に応じて若い健康な女性が参加していたなんてことは感覚的に考えられることですし、その中でも優秀なハンターとして活躍した女性に狩猟用具が副葬されることも十分考えられることだと思います。


さて、、、

考古学は役立つよ!( ・Д・)

現代社会と関係あるんだよ!( ・Д・)

って宣伝してきたつもりですが、実際に考古学が社会に出ると「悪用」ばかりされてしまうのは何故でしょうか?

そして「真っ当な」考古学者は保身のために問題に触れないようにそっと口を閉ざすのです。


考古学のリアルな側面だね!( ・Д・)



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