あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

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    2025ねん 11がつ 7にち(きんよーび、くもり)

    さすがにそろそろYoutubeやらんとマズイ!( ・Д・)

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    ↑赤は古代から大事な色!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは「さっき青について書いたと思えば今度は赤?!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    こんにちは、「あるけまや」風に、少しゆったりと導入からお届けします。今回は、徳島県阿南市の山あいで発見された、古代の“辰砂(しんしゃ)=水銀朱”採掘遺跡、若杉山辰砂採掘遺跡。これ自体が日本有数の鉱山遺構として知られていますが、さらに最近、そこから出土した「木片」に注目が集まっています。鉱石採掘と顔料製造の現場から、木片という“意外な痕跡”が浮かび上がり、古代人の技術・作業環境・流通ネットワークがより立体的に浮かび上がろうとしています。では、「石と木と赤い顔料」が交錯するこの現場を、じっくりと深掘りしていきましょう。




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    ↑遺跡遠景、鉱山遺跡なだけあって山!( ・Д・)
    (「徳島県立博物館」のページ内画像より転載)



    🏔️ 遺跡の場所と歴史背景

    徳島県阿南市水井町、那賀川支流若杉谷川沿いの山腹、標高140〜170 m付近に広がる若杉山辰砂採掘遺跡。ここでは弥生時代後期〜古墳時代前期にかけて、朱の原料である辰砂が採掘・精製されていたことが確認されています。採掘場とズリ(廃石・破砕石の堆積)場からなるこの遺跡は、日本国内で辰砂採掘の実態が明らかな遺構として唯一という評価を受けています。 また、令和元年10月16日に「国史跡若杉山辰砂採掘遺跡」として指定されました。 


    このように、遺跡そのものが“鉱山・顔料生産の現場”であったことから、石材・工具・鉱石・製造工程・そして流通の痕跡など、多様な視点から研究されています。




    🧪 木片出土という新しい手掛かり:何を意味するのか?

    近年の調査では、採掘場・精製場とみられる場所から「木片」が複数確認されており、これが鉱石の採掘・加工工程に関わる重要な証拠となってきています。たとえば、岩盤を焼いて割る技法が使われていたという報道もあり、山腹には“すす”付き岩盤が見つかっています。 

    木片が意味する可能性としては:

    • 岩盤加熱のための木材使用跡(薪・炭木材)

    • 採掘坑道支保材または足場材としての木材利用

    • 辰砂を精製するための道具・木容器などの破片
      などが考えられています。

    特に「採掘技法に火を使った可能性」の報道は、「木材+火+石器加工」という縄張りを越えた複合作業を想起させ、単に“石を割る場所”から“顔料をつくる工場”という側面を強めています。したがって、木片の出土は“鉱山・精製場=単なる採掘跡”という理解を超え、「木材を伴った工場的現場」であった可能性まで広がっているのです。


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    ↑石臼などの遺物の出土状況!( ・Д・)
    (「徳島県立博物館」のページ内画像より転載)



    🔧 採掘・精製の工程と出土石器の意義

    若杉山では、岩盤を打ち割って辰砂鉱石を露出・採取し、その後、石杵(いしきね)・石臼(いしうす)を用いて粉砕・選鉱する工程が確認されており、その出土品が重要文化財に指定される一部となっています。採掘場跡・ズリ場・精製用石器・土器破片などが揃っている点から、この現場は「原料採取から加工まで一体的に行われていた」と学界では評価されています。 

    木片の存在を加味すれば、火入れ・木材運搬・支保構造といった技術的・労働的側面も含めて、考古学的な“鉱山・工場”像がよりリアルに描けるようになってきました。たとえば、木材が採石坑内で燃料として使われたという“すす付き岩盤”の証拠も発表されています。こうした工程を通じて作られた辰砂=水銀朱は、弥生末〜古墳前期の埋葬施設・儀礼施設に広く用いられており、若杉山からの流通を通して、当時の社会が顔料・鉱物資源活用に長けていたことを物語っています。



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    ↑辰砂採掘・加工遺跡として色んなものが出るね!( ・Д・)
    (「徳島県立博物館」のページ内画像より転載)



    🌐 流通・社会的意味:朱の生産から広域交流へ

    朱=辰砂・水銀朱という顔料は、古代日本において極めて象徴的な役割を果たしてきました。土器・銅鐸・墳丘・石室内壁などに使用されたことが各地で確認されており、古墳時代前期の埋葬儀礼とも深く関わっています。 また若杉山遺跡は“地域唯一”という立場でありながら、香川県産の石材(ヒン岩)を使用している石杵など遠方材の搬入も確認されており、単なる地産地消ではない広域的なネットワークの存在を示唆しています。 


    これにより、「阿南・若杉山 → 他地域古墳群」という原料流通ルートの存在が想定され、当時の社会が鉱物資源や顔料を通じて“地域を超えた文化交流”を行っていた可能性が浮上してきています。よって、この遺跡は「ただの採掘場」ではなく、社会・技術・交流の交差点でもあったのです。





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    ↑レッドスカルの顔!( ・Д・)




    おわりに

    今回の記事は塗料が化粧として使われていたって話でもなければそもそも話材の中心が辰砂ではなく、木材の方なんですよね。まぁでも前回の記事との対比ってことで赤い顔の人のイメージを出しておきました( -д-)ノ 

    やはり赤色は血の色であって力の象徴ですから、世界的に古くから使われる色です。辰砂と水銀朱が主ですが、遺体に振りかけるのがよくある事例かな。古代マヤだと神殿全体も真っ赤に塗っていたようだけれど。私がティカルで行った調査では下層の人々の住居の壁も漆喰で覆われた後に赤い塗料で覆われていたみたいだと分かっています。

    みんな赤大好きだね!




    人気出すために、、、

    私も顔赤く塗ってレッドスカルみたいになるかな!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 7にち(きんよーび、くもり)

    11月、もう1週間か、論文書かにゃ!( ・Д・)

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    ↑現代では青色塗料は普通に売ってるよね!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは「青言えばマヤブルーだと思ってた!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    こんにちは、「あるけまや」流で長めにじっくりお届けします。今回は、青い色素の歴史を書き換える可能性を秘めた発見――ドイツ・ミュールハイム=ディーテスハイム(Mühlheim-Dietesheim)で、なんと 約1万3千年前の青色顔料の痕跡 が見つかったというニュースです。伝統的には『最古の人工青色顔料=Egyptian blue(エジプシャン・ブルー)』という認識がありましたが、この発見はその定説に揺さぶりをかけています。さらに、発見された顔料が“化粧用途”だった可能性まで言及されており、旧石器時代の人びとの色彩・装飾・自己表現が新たな光を浴びています。色という小さな要素が、じつは「文化・技術・美意識」の大洪水を提示してくれていたのです。では、その全貌を、一緒に探っていきましょう。




    🧪 発見の舞台:1万3千年前の青色残留物とその意味

    ドイツ・ミュールハイム=ディーテスハイムの旧石器遺跡において、1970年代末に出土し長らく「油皿」または「ランプ」として展示されていた砂岩片が、2023年以降の再分析によって変貌します。研究チームはこの砂岩表面に微小な青色残留物を確認し、銅を高レベルで含む分析結果から、青色鉱物顔料「Azurite(藍銅鉱)」であると特定しました。年代測定の結果、約 13,000年前(最終氷期末期) のものと推定されており、ヨーロッパにおいて確認された最古の青色顔料使用例とされています。


    「青は旧石器時代のパレットにはない色だった」という常識をひっくり返すこの発見。しかもこの顔料が“化粧用”であった可能性まで浮上しており、ついては次の章でその仮説に迫ります。




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    ↑僅かに青いの見えるね!( ・Д・) (Wisher et al. 2025)


    💄 化粧顔料説:なぜ“化粧”の可能性が出てきたのか?

    青色鉱物は、旧石器時代においては稀少で扱い難い素材でした。従来の分析でも、旧石器時代に利用されるのは主に赤・黒・黄色などでした。しかし、発見された砂岩片の凹面・研磨痕・位置関係などから、研究者らは次のような仮説を立てています。

    • サンドストーンの凹面形状が「顔料をすり潰す・混ぜる・保存する」ための作業台として利用された可能性。

    • 青色残留物という視覚的に稀な色が、身体装飾・顔面彩色・儀礼化粧用途に転用されたと推定。特に写真・文献に残らない“色彩的自己表現”の証拠となる。

    • なぜ壁画・岩画に青が少ないかという問いに対し、「青色は衣服・皮膚装飾など可視痕跡を残さない用途だった」という可能性を提示。

    つまり、この発見は「最古の人工顔料=エジプシャンブルー」だけを問うのではなく、「人類が色を持ち・装うという自己表現をいつから始めたか」を問い直す契機となっているのです。



    🖌️ エジプシャンブルーとの関係:最古とは何かを問い直す

    これまで「最古の人工青色顔料」として位置づけられてきたエジプシャンブルー。現在では紀元前3300年頃からエジプトで使用され始めたとされています。今回発見された顔料が約13,000年前とすれば、エジプシャンブルー誕生約10,000年も前の彩色技術を提示する事になります。

    これにより、以下のような問いが立ち上がります:

    • 「人工合成顔料=青」という図式が、実は“天然鉱物顔料+混色・顔料化”という初期段階を経ていた?

    • 色彩利用=装飾・化粧・儀礼という材質拡張が、旧石器時代からすでに存在していた?

    • 顔料の“量産・普及”ではなく、“象徴的少量使用”が長く続いていた可能性?

    このように、エジプシャンブルー以前の色彩技術を考えるうえで、このドイツ発の発見は「最古とは何か」を問い直すマイルストーンとなります。


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    ↑拡大したら確かに青いね!( ・Д・) (Wisher et al. 2025)

    🧬 技術・文化的インパクト:色彩と人類の物質文化

    この発見が持つインパクトは小さくありません。色彩・顔料という物質文化を通じて見えてくるのは、人類の“視覚的・社会的”な営みです。以下、ポイントを整理します。

    • 青という色が、旧石器時代においても希少価値・象徴価値を持っていたという仮説。

    • 顔料素材(藍銅鉱=Azurite)を選び、加工し、用途を想定していたという技術的知見の広がり。

    • 化粧・装飾という“身体を媒介とする文化”が、旧石器時代にも根付いていた可能性。

    • 色彩利用が地理・時代・文化を越える“自己表現”“社会的アイデンティティ”の手段であったという視点。

    このように「青色顔料」という一見ニッチなテーマが、物質文化史・視覚文化史・社会構造史を一気に横断する鍵になっているのです。


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    おわりに

    古代の技術で青色って作るの難しいんですよね。天然素材で鉱物で青色のものもあるけれど、アースカラーに比べたらそもそも希少だから見つけるのも一苦労!なのでかつては「古代のパレットを完成させたのは古代マヤ人」とか言われてたけどもう言われなくなった。実際、マヤ人のパレットにも黄色系とか緑系とか苦手な色がたくさんあるからね。

    それにしてもマヤブルーは西暦800年頃、古典期マヤ文明の終わりかけに発生したものなんだけれど、1000年経っても退色しないことで有名だったんだよね。で、みんなこぞって成分分析やって技術の再現を試みて、もう再現出来ちゃったんだよね。だから「古代マヤ人すげー!」的な熱狂は、復元不可という一種の浪漫と共に消え去ってしまったのかなと思います( -д-)ノ





    何はともあれ、、、

    私も顔青く塗ってアバターみたいになるかな!( ・Д・)







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    今度こそ『文明の数式』完成!( ・Д・)

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    ↑ほね!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは「アケトアテン? あぁテル・エル・アマルナのことね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    こんにちは、「あるけまや」風に、少しゆったりめの導入から始めます。今回は、古代エジプト第18王朝時代、王 アクエンアテン が創建した都市、アケトアテン(現在のアマルナ)をめぐる一つの定説――“疫病による急速な滅亡”――を覆す、新たな遺骨分析研究をご紹介します。長らく「疫病が都市を滅ぼした」と信じられてきたその物語が、「実はそうではなかったかもしれない」という驚きの転換を迎えました。
    この発見は、考古学の“物証”がいかに物語を書き換えうるかを示す生きた証拠でもあります。では、墓地から出た骨の声を辿りながら、かつての栄光と混乱が交錯したアマルナの現場へと旅をしてみましょう。




    🦴 新研究の登場:遺骨が語る「疫病の痕跡なし」

    最近、公刊された研究によれば、アマルナ周辺4つの主要墓地(South Tombs, North Cliffs, North Desert, North Tombs)から出土した約 889 体の埋葬遺骸を対象に、「大量死亡・急死を示す疫病型指標」を継続的に探査した結果、疫病流行を示す決定的な証拠は見つからなかったとのことです。


    具体的には、死体の急増に伴う雑埋葬、遺体の未処理、遺骸の重なり・腐敗進行、急激な年齢構成の偏りといった疫病の典型的パターンがほとんど観察されず、むしろ「成人低身長」「歯の成長停止(線状エナメル低形成)」「脊椎変形」といった慢性的・構造的ストレス痕が目立ったのです。 この事実は、「疫病が都市放棄の直接原因だった」という従来の見方に疑問を投げかけています。



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    ↑ここがアマルナ!( ・Д・)




    🏛️ 都市放棄の実態:計画撤退か、混乱の逃避か?

    アマルナがわずか20年ほどで放棄されたことは、長らく“崩壊劇”の象徴として語られてきました。旧来の疫病説は、王の死と合流し、都市がパニック的に放置されたという構図を前提としています。しかし、新たな分析では、遺骨・遺物・遺跡構造すべてに「秩序ある移転・整理・撤去」という痕跡が観察されます。例えば、所有品を持ち去った跡、墓所の整理、墓棺・織物・マットなどの副葬品の維持などです。 


    つまり、都市が突発的な疫病ショックで“崩壊”したのではなく、むしろ宗教・政治改革、王統交代・制度変化を背景に「賢者的な撤退」または「転居戦略の一環」として放棄された可能性が高まっています。都市放棄を「死の波」で説明するのではなく、「変革の波」によって説明し直す必要が出てきたわけです。




    🌍 社会・環境・政治:疫病ではなく構造変革が原因?

    それではなぜアマルナは放棄されたのか。疫病ではなく、複数の要因が重なっていると研究者たちは指摘しています。

    • 王アクエンアテンの宗教変革:アテン信仰に基づく一神教的改革により、旧来の祭祀構造・神官制度・都市機構が揺らいだこと。

    • 王の死と王統交代:アクエンアテンの死、次代王との結びつきの希薄化、旧都テーベ復帰の動き。

    • 環境・資源の限界:ナイル氾濫・砂漠化傾向、王都建設による資源負荷、労働動員の疲弊。

    • 埋葬・生活実態に見られた慢性的ストレス:遺骨が示す成人身長の低下・関節変形・歯の成長停止などは、都市構築期の人々にとって「生活が楽ではなかった」ことを示しています。

      これらを総合すると、アマルナ放棄は「疫病による短期的崩壊」ではなく、「中・長期的構造変化が頂点に達した時点での戦略的放棄」であったと理解できます。



    🧬 遺骨からの声:人々の暮らしと死にまつわる証言

    今回の研究が注目されたもう一つの理由は、死者の「骨」が語った、日々の環境・生活・社会状況です。
    成人身長が低め、脊椎に圧迫骨折・変形、歯の線状エナメル低形成、成長期の栄養・疾患ストレスが明らかに見られました。しかし、明らかな大量死・急死・流行病らしい感染症マーカー(例:高頻度の骨髄炎・乱雑な集団墓・遺体未処理跡など)は観察されず、ここが疫病説崩壊の決定的なポイントとなっています。

    このように、骨分析は、豪華王都という“表層のイメージ”では捉えきれない、人々の“日常の疲弊”を示す資料となっており、われわれが抱く「古代王都=豊かで贅沢」という印象に修正を迫るものです。



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    ↑アマルナのネクロポリス!( ・Д・)



    おわりに

    こういう研究はけっこう好き!考古学研究だとは思ってないけれど。まぁ考古学は関連諸科学がたくさんあるからね。考古学では直接よく分からないことってたくさんあるから、こうした理化学研究手法を用いることで古代社会の理解ために少しでも明らかとなる点が増えるのは良いことだと思う。

    それにしても僅か20年で放棄されたのならば、その前後の期間の他の首都の事例や、同じ期間の他の都市における健康状態についても調べて欲しいなと思う。ってかマヤ文明の事例でもこうした研究の蓄積が欲しいな~って思う!



    何はともあれ、、、

    私もストレスいっぱい!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 5にち(すいよーび、くもり)

    新しい数式と共にふっかつ!( ・Д・)

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    ↑普通に立派な博物館に見えるのに!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは「え、天下のアメリカでも盗られちゃうわけ!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    こんにちは、「あるけまや」風に長めに、キャッチーな導入からお届けします。今回は、アメリカ・カリフォルニア州オークランドにあるOMCAが、なんと 1,000点以上の貴重な収蔵品を盗難されたという衝撃の事件を取り上げます。しかもこれは、過去15年で少なくとも三度目の大きな被害報告という、まさに「文化財セキュリティの限界」を示すニュースでもあります。


    現場は博物館の“倉庫”──展示室ではなく、裏方に眠る<物語>が一夜で奪われたのです。なぜ、そしてどうやって? 今回は、その背景・経緯・影響を可能な限り掘り下げてみましょう。読み終える頃には、私たちがいかに「当たり前の文化保障」を揺るがされたかという感覚を共有することになるはずです。



    🕵️ 事件概要:夜明け前の侵入と“1,000点超”の失踪

    2025年10月15日、午前3時30分頃、OMCAのオークランド市内にある「オフサイト収蔵施設」が何者かに侵入され、1,000点を超える収蔵品が盗まれたと発表されました。盗まれた物品には、先住民のバスケット、象牙細工、19世紀のデアグレオタイプ写真、金属細工のジュエリー、さらには博物館所有のノートパソコンや記録媒体まで含まれています。

    博物館のディレクターである Lori Fogarty 氏は「この盗難は、わが州の文化遺産を市民から奪う蛮行だ」とコメント。 さらに、この施設ではスタッフが常駐しておらず、監視カメラ・アラームがあったものの侵入を防げなかったとのことで、捜査当局(Federal Bureau of Investigation・アートクライムチームを含む)と協力して捜索が始まっています。



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    ↑歴史的価値だけではなく美術的価値も高そうだ!( ・Д・)




    🎯 被害の背景:15年にわたる繰り返しと見えてきた構図

    この事件は決して“単発”ではなく、OMCAが15年以内に少なくとも3度、収蔵品盗難・侵入被害にあっていることが報じられています。 例えば、2013年にはゴールドラッシュ時代の高価なジュエリーボックスが盗まれた事件もあり、今回のような大規模倉庫侵入とは異なる形ではありますが、セキュリティ体制の繰り返しの課題を浮き彫りにしています。 


    「展示室ではなく倉庫」・「スタッフ不在」・「監視カメラのみ」という条件が重なっており、博物館側では『見えない所にある“隙”』が犯罪に付け入られた可能性を指摘しています。 このように、文化財を保護するという観点から「繰り返し起きる構造的な弱点」が露呈しており、公的機関・地域コミュニティ双方にとって大きな警鐘と言えるでしょう。




    📦 何が奪われたか:物質としての価値と文化としての意味

    被害一覧から読み取れるのは、単なる物質的損失ではなく「歴史・文化・記憶の喪失」です。

    • 先住民族(Native American)の編みバスケットや伝統工芸品:地域の文化・技術・世代をつなぐ遺産。

    • 19世紀スクリムショー(象牙に刻まれた細工)やデアグレオタイプ写真:アメリカ西部開拓期の証言とも言える素材。

    • 20世紀の記念ピン・スポーツトロフィー・金属細工ジュエリー:いわば“普通の人々の歴史”を映す品々。

      これらが「一夜で奪われた」ことは、博物館の使命である「物語を守り、伝える」という観点からも重大な打撃です。Fogarty氏が「市民から奪われた」と語ったのも、こうした意味が背景にあります。


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    ↑これは分解できないからコレクター向けなのか、その方が取り戻せる可能性あるよね!( ・Д・)


    🔍 捜査と回収の展望:オンライン取引・質屋ルートへの警戒

    捜査当局は、今回の侵入が「ターゲットを特定して用意周到に行われたもの」ではなく、侵入後に“手っ取り早く持ち出せるもの”を狙った「機会犯罪」であるとの見方を示しています。 警察・FBIからは、市民への協力要請も出されており、フリーマーケット、質屋、オンラインマーケット(eBay・Craigslist等)での流通監視が進められています。 

    「盗まれた文化財は急いで売られる可能性が高い」とのアートクライム専門家の指摘もあり、今後の捜査では“早期発見・流通止め”が鍵になるとされています。 また、倉庫施設のセキュリティ再検討、収蔵品の可視化・モニタリング強化といった制度的なリスク対策の議論が、今回の事件を契機に一気に高まりそうです。




    🏛️ 公共と文化財:市民の遺産としての美術館の役割

    本件を考えるとき、重要なのは「美術館=静的な展示空間」ではなく「地域・世代・文化をつなぐ動的なプラットフォーム」であるという視点です。OMCAの所蔵品は、単に“貴重な品”というだけでなく、「カリフォルニアの歴史」「市民の記憶」「自然・人・地域の物語」を紡いできたものでした。


    その一部が盗まれたということは、「文化財管理」の技術的側面だけでなく、「市民と遺産の関係性」や「誰が守るのか・何を守るのか」という問いを改めて突きつけています。そして、過去に起きた複数回の被害を見れば、これは“運が悪かった”というものではなく、「制度設計」が追いついていないという構造問題を含んでいると考える方が妥当でしょう。博物館・公共機関は今、収蔵品の保護・アクセス・記憶継承という三位一体の使命をどう実現していくか、改めて向き合う時に来ています。




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    ↑ハイタワー3世みたいな人が買うのだろうか!( ・Д・)




    ↑フランスで起きた盗難事件


    おわりに

    つい最近フランスで大きな窃盗事件がありましたけども、アメリカでもかぁって感じですね。ルーブル美術館みたいに知名度は高くないけれど、警備厳重そうなアメリカだぜ? 実際には警備がゆるゆるだったようだけれど、、、

    本当、こういう直接的な文化財保護が今後叫ばれていくのだろうかね。ただでさえ、中小博物館は大して儲からないんだから負担増はやめてもらいたいものだ( -д-)ノ こういう時こそ、国が動くべきだよね。アメリカが率先してやってくれなきゃ、日本なんて絶対やらんでしょ!



    ハイタワー3世ってディズニーシーの垂直落下するアトラクションのところの登場人物だけれども、、、フランスの事例みたいに貴金属が分解されたり溶かされるとやっかいだけれど、今回のようにハイタワー3世ばりにコレクションすることが目的あるいはコレクターに販売することが目的ならば、破壊されずに済むからまだマシな気がするね。



    何はともあれ、、、

    東京ディズニーシー最高!( ・Д・)







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    がんばるぞ宣言!( ・Д・)

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    ↑マニフェストのイメージ!?( ・Д・)




    今回は「私の壮大な研究構想をかっこよく書いてみた!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ

    *最後にコメントがあるよ!(*^・ェ・)ノ



    🜍 ホモ・ヒストリア宣言

    ――人類史を統合する新しい学問構想――


    Ⅰ. 前口上

    われわれ人類は、自らを歴史する存在である。
    星々が生まれ、生命が進化し、文明が立ち上がる。
    その長大な連鎖のなかで、人間は「過去を語る者」ではなく、「過去を構築し直す者」として現れた。

    いま求められているのは、断片化された学問の再統合である。
    考古学・経済学・生態学・社会学・哲学・歴史学——
    これらを再びひとつの生命体として結び直す枠組み。
    その名を、われわれは ホモ・ヒストリア(Homo Historia) と呼ぶ。




    Ⅱ. 学問の骨格

    ホモ・ヒストリアの第一の使命は、人類史を数理的な骨格として描くことである。
    その基盤となるのは、

    「物質文化マクロ生態学」
    すなわち、人類の財・技術・知識・制度を生態系的構造として数式化する試みである。

    この骨格は、冪関数・指数関数・確率過程といった単純な形をとる。
    しかしその単純さの中に、

    選択・移入・分化・ドリフト
    という四つの進化原理が流れ、人類史の深層に潜む力学的秩序を示す。



    Ⅲ. 学問の肉体

    第二の使命は、数理的骨格に文化的肉付けを施すことである。
    歴史学・文化人類学・芸術学・社会思想などの成果を、
    数式の外皮に血肉としてまとわせ、
    「人間が生きた具体的世界」を呼び戻す。

    ここでは、データと物語、分析と直観、法則と意味が再び交わる。
    学問は冷たい構造ではなく、呼吸する叙事詩として再生する。




    Ⅳ. 統合の精神

    ホモ・ヒストリアは、ビッグヒストリーの理念を継承しつつ、
    宇宙から人類への外的統合ではなく、
    人類の内部における内的統合を目指す。

    それは、自然科学と人文科学の断絶を越え、
    「物質」と「意味」が共に進化する第二の統一学である。




    Ⅴ. 目的と展望

    ホモ・ヒストリアは、

    • 学問の再統合

    • 人類史の再構築

    • 文明の自己理解
      を通じて、未来に向かう新しい知の生態系を育む。

    人類はもはや、歴史の観察者ではない。
    われわれ自身が、歴史を創発する存在なのだ。

    われわれはホモ・ヒストリアである。
    歴史する者。
    そして、歴史を生み出し続ける者である。


    ✳︎附記

    この宣言は、特定の学派に属さず、いかなる学問にも開かれている。
    それは体系ではなく、生成のプロセスである。
    数式と物語のあいだに、新しい「知の生態系」を築くために。






    あるけまや流コメント


    ってことで私の考える考古学研究の統一・統合を人文科学全体に拡張してみたものをマニフェストの形で紹介してみました。

    元々、考古学において「統一的なデータ取得法(発掘調査方法)、報告書フォーマット、分析手法」の確立が重要だなと思っていました。それぞれが個別に自由に研究するのではなく、全人類史(全物質文化史)を統一的に記述・分析する手法があれば、自然科学のように皆で同じ目標に向かって研究成果を積み重ねていけるのになと思っていました。

    その段階でも考古学における数理理論、私のやっている物質文化マクロ生態学を骨組みとして従来の考古学研究や文献史学研究成果によって肉付けすることは考えていました。しかしながら今回の宣言では人文科学全体を巻き込みたいという想いで書いてます。なんだろう、例えるなら、映画という総合芸術があるように、人類史を描くために総合学問があるべきだなとそういう感じ。

    有名になって、研究費余るほどたくさんあって、そうした段階になってからようやく一般の人々も周りの研究者も『壮大な夢』に耳を傾けてくれるのかなと思ってました。だけど人生もうそんなに長くはないからね、宣言してみた!ってお話です。で、私のマニフェスト、どう思った?( ・Д・)










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    2025ねん 10がつ 30にち(もくよーび、はれ)

    なんかよくわからんががんばる!( ・Д・)

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    400117925
    ↑数理的なイメージ!?( ・Д・)




    今回は「文化変化のダイナミクスを解読してみた!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ

    *最後にコメントがあるよ!(*^・ェ・)ノ



    Kunst & Mesoudi(2024)「Decoding the Dynamics of Cultural Change」の要約と解釈


    はじめに

    この論文は、異文化接触・文化同化(acculturation)という心理社会学的なテーマを、「文化進化(cultural evolution)」の枠組みから再検討したものです。著者らは、少数者(マイノリティ)と多数者(マジョリティ)という集団間の文化的影響・変化プロセスを、社会的学習・伝達バイアス・群集‐集団効果という進化理論的メカニズムを用いてモデル化可能と考えています。 


    論文が掲載されたのは Personality and Social Psychology Review(2024年)であり、アクセル・メソウディ(Alex Mesoudi)らによる文化進化研究の流れを、心理学・社会学側に接続する意図があります。 



    理論的背景

    文化同化(Acculturation)とその限界

    まず著者らは、従来の文化同化研究(心理学・社会学領域)について、「同化とは少数集団が多数集団の文化を取り入れるプロセス」などの定型モデルが主流であったが、進展が停滞していると指摘します。特に、「マジョリティ集団側の文化変化(多数集団の変化)をほとんど扱ってこなかった」「伝達メカニズムを形式モデルとして明示していない」という限界があります。 


    そこで著者らは、文化進化理論の基本構成(変異・伝達・選択)および社会的学習バイアス(コンフォーミティ、プレステージバイアスなど)を動員して、「どのような条件で多数/少数の文化要素が共有・変容・保持されるか」をモデル化しようとしています。



    文化進化的メカニズムの導入

    具体的には、次のような伝達・選択バイアスを検討しています:

    • コノミティバイアス(conformity bias)=多数派模倣傾向。

    • アンチ-コノミティバイアス(anti-conformity bias)=少数派模倣傾向。

    • プレステージバイアス(prestige bias)=高地位・有名人の文化模倣。

    • ペイオフバイアス(payoff bias)=成功・報酬のある文化特性模倣。

    • 垂直伝達(vertical transmission)=親から子への文化継承。

    これらのメカニズムが「少数集団/多数集団のメンバーがなぜ、どのように文化を取り入れ・維持し・変化させるか」という問いへの説明力を持つと著者らは論じます。さらに、これらが「個体レベルの学習戦略」から「集団レベルの文化的均衡(cultural evolutionary equilibria)」を生み、その均衡が長期的な文化多様性・文化変化に影響を及ぼすという枠組みを提示しています。




    モデル化と分析枠組み

    戦略‐構造‐均衡の三段階

    論文では、モデル化の流れとして次のように整理されています:

    1. 学習戦略の構成:個人や集団が取る文化対応戦略(例:自文化保持+他文化採用、他文化拒否、単独同化など)を定義。

    2. 戦略が集団レベルに展開される構造:複数の個体がそれぞれの戦略を持ち、相互作用・模倣・伝達を通じて文化的特徴が集団に拡散。

    3. 集団文化の長期的均衡(equilibria):戦略と構造の相互作用の結果として、文化特性の分布・多様性・変化速度が安定または変動の状態に落ち着く。

    この三段構成によって、著者らは単なる記述的な文化同化モデルを越えて「数理モデル的枠組み」の提供を目指しています。



    要因・変数の提示

    モデル化にあたって考慮される主な変数・条件には以下があります:

    • 個人属性(年齢、社会的地位、移民経験など)

    • 集団属性(少数/多数の比率、社会的構造、文化的接触頻度)

    • 伝達条件(模倣傾向、学習バイアス、接触ネットワーク)

    • 制度・社会構造(教育制度、言語政策、居住空間構造)

    • 長期的パラメータ(文化的多様性維持、文化的累積変化)

    著者らはこれら変数が相互に作用し、たとえば多数派‐少数派の比率が学習バイアスを変える、模倣確率が文化均衡の安定性に影響する、という仮説を提示しています。




    主な発見・含意

    少数者の影響力と多数者の変化

    一つの重要な含意は、「少数集団メンバーが単に受け入れ側になるだけではない」という点です。著者らは、少数者がプレステージあるモデルになったり、革新文化を提供したりすることで、多数集団に対して影響力を持つ可能性を示しています。これを、「文化進化的均衡」の観点から説明します。

    モデル化の視点から見た接触・同化戦略

    また、異文化接触に関して「単に同化・融合される/されない」の二者択一ではなく、多様な戦略が存在し、それぞれがどのような条件下で選ばれるかを説明可能としています。例えば、「模倣バイアスが強く、接触頻度が高く、少数/多数の比率がある水準を超える場合には、少数者文化の採用が起こりやすい」などの仮説が立てられています。



    長期的文化変化と累積的影響

    モデル化の枠組みを通じて、個別接触/模倣プロセスが累積して「社会全体の文化構造」を変える動きへと繋がるという視点が提示されています。つまり、マクロでの文化拡散・接触効果を説明しうる「進化的ダイナミクス」が描かれています。


    分野横断(心理学/文化進化/社会学)という性格上、数理モデルの提示・図示・仮説検証の枠組み提供に重点が置かれており、考古学的遺物データ/マクロ時空データへの直接適用例は少ないものの、「伝達・接触・変化プロセス」に対する理論的基盤として優れています。






    あるけまや流コメント


    今回も新しい論文を選んでみました。ざっと示すと今回のKunst & Mesoudi(2024)は、文化同化を「学習・模倣・伝達」という文化進化の視点から再考し、少数・多数グループ間の相互作用とその長期的文化構造への影響をモデル化可能と示しました。面白い研究ではあるけれど、論文中にフローチャートがたくさん出てくる一方で実際のデータに沿った話がほとんどないんですよね。

    まぁ心理学・社会学が主な分野横断なのだろうか。文化進化といっても考古学領域ではなく、もっと新しい時期を扱う人類学を想定しているのかも知れませんね。一応「あるけまや」ブログで最近はじめたこの『数理考古学研究紹介』ですけれど、今回の事例のように「考古学」とは限らないんですよね。より広く、「文化」に関わる数理研究の紹介だと思って頂けたらなと思います。

    でもこうして広く「人文科学」の範疇に数理手法を持ち込んだ研究がたくさんあって嬉しいです。私の論文で研究史として取り上げるかどうかはさておき、世界は広いな~と思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ












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    2025ねん 10がつ 30にち(もくよーび、晴れ)

    やばい10月終わる、書類提出しなきゃ!( ・Д・)

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    arukemaya_y283
    ↑今回の支石墓!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースはやぱ立派なお墓はいつでもどこでもこーゆー感じ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    こんにちは、みなさん。今回は「あるけまや」風に長めの、ちょっとワクワク感も入れた導入でお届けします。舞台は南スペイン・アンダルシア地方、そこに眠っていたのは 約5,000年の時を経た巨大支石墓(ドルメン)――しかも「宝物で埋め尽くされていた」ものです。古代人がどれほどの力や技術、そして交流を持っていたかを物語る驚異の発見。読み進めば、遺跡・技術・交易・人々の信仰といったさまざまな要素が絡み合い、まるでタイムトラベルしたかのような気分にさせてくれます。では、この発見がどう「歴史観」に揺さぶりをかけるのか、一緒に掘っていきましょう。




    🗿 発見現場:アンダルシア、テバ近郊の巨大ドールメン

    スペイン南部、マラガ県テバ(Teba)近郊の埋葬地「ラ・レンテフエラ(La Lentejuela)ネクロポリス」にて、 University of Cádiz(カディス大学)などの考古学チームが、長さ約13 メートル(43フィート)におよぶ石造墓を発見しました。


    壁面には高さ約2メートルの巨石(立石・オルソスタット)が使用され、上部には水平の石板がかぶせられ、その上に人為的な墳丘(砂と小石)も確認されています。この構造から、単なる墓というだけでなく「集団的埋葬」「儀礼空間」「長距離交流拠点」といった複数の意味を持つ施設であった可能性が高いと研究者らは述べています。




    arukemaya_y284

    ↑これもスペインの事例、ドルメンの傍の!( ・Д・)



    💎 “財宝”とは何か?遺物が語る往時の交流と象徴

    このドルメンの真骨頂は、その「中身」です。出土されたのは単なる遺骨だけではありません:

    • 象牙・琥珀・貝殻といった、内陸部としては“遠方産”の素材。

    • 矢じりや大型ナイフ、さらには「ハルバード(長柄斧槍状武器)」とみられる石器。

      このような遺物群は、「この地域が孤立していたわけではない」=遠方との交易・交流が存在したことを明確に示しています。さらに、「貝殻が内陸地で見つかった」という一文からは、「海産物もステータスとして交換されていた」ことが読み取れます。つまり、たかだか墓ではなく、当時の社会の“姿”と“動き”が刻まれた物質世界そのものと言ってよいのです。



    🔧 技術・構築・保存:巨石構造が示すスケール感

    この施設が示すもうひとつの魅力は、建築技術と保存状態にあります。巨大な石を立て、屋根石を据え、さらにその上を墳丘で覆うという構成は、5,000年前の段階においても高度な社会的統制と技術計画を想起させます。


    また、保存状態が極めて良好であることも注目されており、「アンダルシア地方でも屈指の保存性を誇るメガリス墓」という評価が出ています。このことは「この墓を壊す・盗掘するよりも、維持し運用したいと考えられていた」あるいは「長期にわたる共同体の尊重」などを示唆しており、祭祀・墓制・記憶保存の観点からも非常に価値ある発見です。





    🌍 広い視野で捉える:ヨーロッパ先史・交易・共同体の輪

    この発見を「スペインだけの話」として終わらせてしまうのは惜しい。むしろ、ヨーロッパ先史時代における「巨大墓+交易+共同体」のダイナミクスを捉える窓として、非常に鮮やかなものです。


    たとえば:

    • ドルメン構造はイギリス、フランス、ポルトガルなど西ヨーロッパ各地で確認されており、死亡・埋葬・儀礼という共通項を持ちます。

    • 出土素材の非地元産性(象牙・琥珀・貝殻)から、「遠方との交易路」が存在したことは先史時代の共同体が思った以上に開かれていたことを示します。

      このように、この墓は「地域の話」ではなく、「欧州先史社会の一角」であり、「地域から広域へ、局所から国際へ」という流れを体現しているのです。


    🤔 問いかけ:何を、どのように学ぶか?

    さて、このような発見を前にして、私たちはどんな問いを立てるべきでしょうか?

    • このような巨大墓を建設・維持できた共同体とは、どれほどの組織力・資源・交易網を有していたのか?

    • 宝物・財物を伴う埋葬とは、「個人の富」「共同体の象徴」「交易ネットワークのステータス」どれを主としていたのか?

    • また、このような集団埋葬施設が、後の時代・国家・宗教にどのような影響を与えていったのか?

      今回の発見は、考古学の資料を通じて過去を“なぞる”だけではありません。むしろ、われわれ自身の「社会・記憶・物質文明」を問い直す契機にもなるのです。



    arukemaya_y282
    ↑ドルメンも土で覆われたらもう古墳でない?( ・Д・)



    おわりに

    ほんとこうして毎日記事書いてると、世界中で新しい発見があるわけです。つまるところ毎日発掘が行われているわけです。つまり毎日データが溜まっていく一方で、毎日新たにデータを得ることのできる良好な現場が失われているわけです。

    そろそろ考古学者は「何かすごいものを発見すればいい」っていう調査をやめて、既に膨大に蓄積されているデータを用いて研究を行った方がいいと思う。でも他人のデータはとても使いにくいもの、新たに掘りたい気持ちも分かる。だからこそ世界的に、全人類史的に、『統一的な発掘調査方法、統一的な報告書のフォーマット、統一的な分析研究方法の確立』が重要なのだと思います( -д-)ノ



    何はともあれ、、、

    墓のデータ最高!( ・Д・)







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    cab
    ↑私はあまり蜂蜜食べる習慣ないけど身体に良いらしいね!( ・Д・) 



    今日のマヤ語・スペイン語

    cabʼ(カブ) は「蜜」や「蜂」を意味し、マヤでは聖なる蜂メルポーナ(Melipona)が養われていました。

    神聖な蜂蜜は儀礼にも使われ、再生と恵みの象徴です。

    スペイン語の miel(ミエル) と同じく、甘さの中に祈りがあります。



    カブ T713_a

    ↑大事な物のせいか、大地とか世界と同音異義語らしい、なので蜂を描いてみた!( ・Д・)







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    2025ねん 10がつ 29にち(すいよーび、はれ)

    めちゃ鼻水出る!( ・Д・)

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    GPU
    ↑数理的なイメージ!?( ・Д・)




    今回は「文化進化を生物進化として捉えてみた!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ

    *最後にコメントがあるよ!(*^・ェ・)ノ



    『Statistical modelling in archaeology: some recent trends and future perspective』(Enrico R. Crema 2025年)の要約と解釈

    📄 概要

    Crema の論文は、考古学における統計モデリング(statistical modelling)がここ十数年でどのように進化してきたかをレビューし、特に以下の三つの技法に焦点を当てています:

    1. 多層モデル(multilevel models)

    2. 欠測データ・測定誤差への統計的対応(missing data & measurement error)

    3. シミュレーション‐ベースの推論(generative inference)

      論文はこれらの技法が、(a) 考古記録の入れ子・階層構造(nested/hierarchical data)を扱う、(b) データ不確実性を積極的に組込み、(c) 形式理論と観察データとの推論的リンクを構築する、という点で有効であると論じています。

      ただし、現時点で「これらの技法が考古学の定型分析ツールとして定着している」とは言えず、むしろ普及途上であると指摘しています。



    🧮 各技法とその意義

    1. 多層モデル(Multilevel Models)

    • 考古学データでは、遺跡‐層‐測定という入れ子構造、あるいは地域‐遺跡‐個体という階層構造が頻繁に現れます。Crema は、従来の単純回帰モデルではこれらの構造を無視しがちであり、多層モデルを使うことで「群間変異(between-group variation)」および「群内変異(within-group variation)」を同時に捉えられると述べます。

    • たとえば、ある墓葬の副葬品量が「富裕度」という指標を通じて食料資源・人口規模・時期・地域という階層変数の影響を受ける場合、遺跡ごと・時代ごとに異なる傾き (slope) や切片 (intercept) を許す多層モデルを設定できます。これにより「一般的な関係性」と「遺跡特有の異質性」の両方を把握できます。

    • Crema はこの手法が「サンプルの偏り(sampling imbalance)」や「グループ構造の無視」によるバイアスを軽減する点で特に優れているとし、考古学においてクロスサイト・広域比較を行う際にはむしろ「標準ツール化すべき」だと提言しています。


    2. 欠測データおよび測定誤差への対応

    • 考古学的観察データは、「欠落(たとえば破片の欠如)」「測定誤差(年代測定誤差、層位不確定性など)」が常につきまといます。Crema は、これらを無視することこそが誤った推論を招くと指摘します。

    • 特に「測定誤差を内部モデルに組み込む(error-in-variable models, Bayesian EIV など)」モデル化が進展していることを紹介しています。例えば年代モデル(14Cデータ)において、測定誤差を明示的にモデル化することで「観察値だけをそのまま用いる」よりも推定精度が改善されると述べられています。

    • また欠測データへの対応として、データ補完(imputation)やモデルによる再重み付け(weighting)を用いながら、「不確実性」を可視化・モデル化する必要性が論じられています。


    3. シミュレーションベースの推論(Generative Inference/Simulation-Based Inference)

    • Crema は、観察データを記述・相関づけるだけではなく、モデルを使って「もしこうだったらどうなるか(What-If)」をシミュレーションし、観察データとの比較を通じて理論を検証するアプローチが増えていると述べています。

    • 具体例として、文化的変化・技術伝播・人口拡散などをモデル化し、シミュレーション結果を観察データと比較することで、モデルの仮定(初期条件、伝播率、交流率など)を検証する試みが紹介されています。

    • ただし、Crema はこの技法の限界も慎重に論じています:例えば「多数のシミュレーション実行が必要」「初期条件やモデル構成の主観性」「観察データの生成過程をモデル化できない場合の限界」など。



    🔍 本論文が提示する課題と将来展望

    • 考古学で統計モデル・数理技法を適用する際の教育・方法論的なギャップを指摘しています。たとえば、多くの考古学プログラムでは統計・モデリング教育が選択的であり、定型化されていないという課題。

    • また、データ共有・オープンサイエンス化(コード公開・データ公開)が進むことで、より複雑な手法を導入しやすい環境が整いつつある点を強調しています。

    • 将来方向として、Crema は「多階層・複合構造モデル」「不確実性の形式化」「モデルと観察を結ぶシミュレーション手法」の三つをキーフォーカスに挙げています。これらは、考古学・数理考古学の次世代潮流を形作るものです。

    • その一方で、モデルが誤用されたり、データの前提を無視したまま高級手法だけが導入される危険性も併せて警告しています。統計手法の導入は、単純な「装置化」ではなく、データ・仮定・モデル構造を慎重に検討する必要があります。



     

    ✏️ まとめ

    Crema によるこのレビュー論文は、考古学・数理考古学における手法的革新の最前線を整理したものです。特に、

    • 多層モデルで階層構造を捉えること、

    • 欠測・測定誤差を明示的に扱うこと、

    • 観察データを超えて理論/モデルから生成されるデータを扱うこと
      の三つが、現在進行形の潮流として浮上しています。





    あるけまや流コメント


    今回は最新研究の紹介になっていて、私も参考にすべき内容が盛り沢山なのですが、まぁ内容が難しい。内容というか実践する場合の難しさかな。

    例えば多層モデル。元々マヤ研究としてマヤ地域内の遺跡サイズを降順に並べると冪乗則に従うというものがある。これは都市の順位・規模法則を参考にした研究なんだよね。で、冪関数はスケール不変性があるので社会サイズの違いを無視して構造性が保たれると私は思っていて、じゃあ冪関数使ってもっとミクロに1遺跡内の建造物サイズを対象にしようぜって思ったわけです。

    そこで更に経済学におけるローレンツカーブとジニ係数を用いた研究がなされて、そこでは建造物サイズが経済指標となると仮定して分析が行われたんだ。私の物質文化マクロ生態学は順位・規模法則とローレンツカーブの研究を応用して、1遺跡内の各建造物グループに対する単位体積当たりの遺物の種別と多寡をデータにして、『財の社会不均衡分布の変遷』として物質文化史を描くというものなんだよね。


    だから多層モデルは理論として内包しているんだけれど、発掘データの取得に時間を要するのでまだまだそういう段階にないな~と思う。古い旧調査の報告書を使う必要性もあるのだけれど、そこではクレーマが言うようなデータの欠損や不確実性の問題もあるし、重み付けもやってかにゃならんし、その辺の実装が大変だな~と思います。

    クレーマが言ってることはとても有用だと思うのでまた繰り返し読んでみるかな、もう少し真剣に!( ・Д・) ってかやぱ日本と違って、海外はこういう議論も活発で数理考古学が進んでるよね! どう? 2025年だから最新の数理考古学の抱える諸問題が少し明らかになったかな~って思います(*^・ェ・)ノ












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    2025ねん 10がつ 29にち(すいよーび、晴れ)

    もう10月も終わる、急ぎ論文かかにゃ!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya_y280
    ↑シリコン製の鋳型だってさ!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは「そりゃあめんどいからまとめて作るよね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    こんにちは。久々に日本の話題を取り上げます。今回のテーマは、福岡県春日市に所在する「奴国(なこく)」の王都とされる須玖遺跡群で出土された、なんと一度に3面の青銅鏡を鋳造できる石製鋳型――弥生時代後期(約2000年前)の新たな技術展開を示すこの発見は、鏡という「象徴性ある器物」の生産変化を浮かび上がらせます。


    「鏡」というと、貴人の副葬品や儀礼用具として私たちはまず「一点もの」的印象を抱きます。しかし、ここで出たのは“量産するための石板=鋳型”。これは、鏡の利用や流通、あるいは社会階層・交易・技術の変化を示す可能性を孕んでいます。さあ、鏡の向こう側にある、弥生後期の物質文化の動きを覗いてみましょう。




    🏺 発見:一度に3面鋳造可能な石製鋳型

    福岡県春日市、須玖遺跡群より報告された発見では、石製の鋳型(直方体形・約9cm四方・厚さ約4cm)が出土。片面には直径4 cmほどの鏡型が3面彫られ、溶融金属を流し込む湯口とそれらを連結する溝が確認されています。 


    この鋳型は弥生時代後期とみられており、石材で鏡を同時に複数製造できる構造という点で、全国的にも「鏡量産の証拠」として初めてのものとされています。 


    銅鏡製造というと個別・儀礼的というイメージが強かっただけに、「同時に複数」=“生産ライン的”という発想がここに出てきたことは、弥生後期の社会・技術観を刷新するものです。



    arukemaya_y278

    ↑見つかったのコレ!( ・Д・)



    ⚙️ 技術・社会背景:なぜ“鏡量産”だったのか?

    鋳型の発見は技術側面だけでなく、社会・流通・象徴という広い視野を提示します。

    • 鏡は当時、豪族・王の権力象徴・儀礼用具として重視されており、量の確保・流通の拡大が進んだ可能性があります。

    • 奴国の王都とされるこの地だからこそ、「対外交渉」「権威誇示」「流通拠点」という三位一体の機能があったと推測できます。

    • 鋳型が石製という点も興味深く、金属鋳型ではなく石で複数面を彫るという技術選択は、維持・再利用・コスト面などを考慮したローカル・プロダクションの工夫を示唆します。

      このように、「量産」という言葉が示すのは単なる数の問題ではなく、鏡という物の持つ意味・流通・社会階層・技術ネットワークが変化した可能性を含んでいます。




    🌏 広域視点:弥生後期鏡・量産化のグローバル文脈

    この発見を春日市というローカル遺跡だけで終わらせるのはもったいない。鏡量産化というテーマを広域的視点でも捉えてみましょう。

    • 日本列島では、弥生時代後期~古墳時代初期にかけて、銅鏡の量・分配・副葬化が顕著に増加しています。これは社会階層化・王権形成・広域交流の現れとされます。

    • 同時代の東アジア大陸でも、鏡の鋳造や流通が進展しており、鏡生産の“地域的プロダクション”化という潮流があったと考えられています。

      このように、春日市の鋳型出土は、国内史だけでなく東アジアの金属器生産・流通史ともリンクする発見であり、鏡という器物の意味が「一点豪華」から「量と流通」にシフトしつつあった転換点と捉えられるのです。


    arukemaya_y281
    ↑こんな風に作れちゃうようだ!( ・Д・)


    🧱 考古学的インパクト:何が変わるのか?

    この新発見が持つ意味を、少し整理します。

    • 鏡一個ではなく「複数同時鋳造」という設計思想があった痕跡=鏡の“在庫化・流通化”可能性。

    • 鋳型が出土したという事実により、鏡は単なる権威象徴ではなく、日常的・準儀礼的な物質としても位置づけられ始めていた。

    • 遺跡の立地(王都である可能性)と量産用鋳型という構造から、「国家的・部族的プロダクション拠点」の可能性も考えられる。

      この発見によって、弥生後期が「鏡のあり方を変えた時代」、技術・社会・象徴が交錯するターニングポイントとして再評価される可能性が大きままっています。




    おわりに


    3年前くらいかな、私のティカルにおける財の社会不均衡分布に関する数理モデルを日本研究に応用しようと思って、まずは古墳時代か!と思った時にやはりまず銅鏡のデータから取り始めたのを覚えています。でも私にとっては出土数とか数値さえあればそれで良いので全然鏡について知らないんですよね( -д-)ノ

    で、舶載鏡(中国産)と仿製鏡(国産)があって、仿製鏡の方がサイズがかなりデカいってデータがあったので、「今でいうマウント取るための装置」だからデカい方が目立っていいかぁ、古墳もデカいしね!とか思ってたんですけど、今回発見された銅鏡は全部ちっこいですね。直径10cmくらいだもんね。


    そういう小さい鏡とか、銅鏡模したチョコレートとかって博物館がやってる体験講座用だと思ってたけれど、実際小さいのあるんですね。もう手鏡じゃん!って思いましたダイソーとか100均で売って欲しい!まぁミュージアムショップでは売ってるのか・・・





    ん、何か・・・

    鏡欲しくなってきた!( ・Д・)







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