
(「十和田湖・奥入瀬渓流世界遺産登録推進研究会議」の画像より転載)
📰はじめに
十和田湖──その静かな水面の下には、長い年月にわたって人々が祈りを捧げてきた“聖なる場”が沈んでいた。2025年、十和田市教育委員会などによる水中考古学調査が、湖底の「占場(うらないば)」で およそ600枚もの古銭 を引き揚げたことが報じられ、大きな話題となっています。中世の中国銭やリング銭(銭緡)が含まれており、十和田信仰は江戸時代だけではなく、中世後期から続いていた可能性が示唆されているのです。この記事では、このロマンある発見の背景と歴史的意味、調査の舞台裏などを、「あるけまや」風の語り口でじっくりとご紹介します。
🔍 占場とは何か?十和田湖に刻まれた祈りの場
十和田湖の「占場(うらないば)」は、湖の中湖(なかのうみ)西岸に位置するかつての巡礼・祈祷の場所。地元では、参詣者がお米や紙包みの銭を湖に投げ入れて占いを行った場所として知られてきました。十和田信仰(十和田湖を神聖視する信仰)は、十和田神社や山岳修験の歴史と密接に結びついており、湖そのものが霊的な意味を持つ場でした。

↑水、澄んでるね!( ・Д・)
(「読売新聞」の記事内画像より転載;credit: 武内昭人, 十和田市教育委員会)

↑古銭が溜まってるね!( ・Д・)
(「調査報告会」の画像より転載;credit: 山本祐司, 十和田市教育委員会)
🛟 湖底の潜水調査 — 歴史を掘り起こす水中考古学
2024年7月、十和田市教育委員会は占場の湖底で 潜水調査 を実施。 2025年7月には報道陣に公開され、実際に水中から古銭を引き揚げる様子が明らかになりました。 この調査は、市の「市史編さん事業」の一環として行われており、水中考古学という近年流行りの手法で、信仰の実態を明らかにしようとするものです。
💰 回収された古銭 — 600枚におよぶ信仰のモノたち
報告会で発表されたところによれば、湖底から引き揚げられた古銭は 約600枚。
その内訳には、以下のようなものが含まれていました:
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寛永通宝など江戸時代銭
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中世を中心に流通した中国銭(渡来銭)とみられるもの
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リング銭(銭緡、さし銭):ひもなどで連ねられた形で湖底に残されていた銭の束。
この構成は、信仰目的で定期的に投げ込まれた奉納銭だった可能性を強く示しています。


↑水、澄んでるね!( ・Д・)
(「読売新聞」の記事内画像より転載)
📜 歴史を書く:中世から続く「祈りの場」の実態
調査を指導した 弘前大学・関根達人教授 と 東海大学・木村淳准教授 は、今回の発見を重要視。 関根教授によれば、引き揚げられた銭の種類や時代層から、 占場の信仰が中世後期(12〜15世紀)までさかのぼる可能性 が非常に高いとのこと。これまでは江戸時代の礼拝地という認識が強かった十和田信仰ですが、今回の成果はその「根の深さ」を歴史資料だけでなく物証から裏付けるものです。
🌌 水中風景と技術的挑戦 — 湖底を照らすダイバーの記録
水深約11 m、18 m、25 mなど、複数地点で遺物が集中していたという報告があり、ただの偶然の散布ではなく、 意図的な奉納の場 として使われた可能性も示唆されています。また湖底という環境において、さし銭(銭をまとめて吊るした形)の保存状態も良く、比較的まとまって残っていた点は、水中考古学の醍醐味を物語っています。
🕯️ 信仰の時間を旅する — 地域と文化の未来への問い
この発見が示すのは、十和田湖という風光明媚な観光地が、単なる見どころではなく 長い歴史を背負った霊場 であったということ。
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中世から現代まで続いた十和田信仰の根拠が物理的に示された
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地元住民や研究者にとって、湖は「過去からのメッセージを伝える場所」になる
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引き揚げられた古銭を詳細に分析することで、流通貨幣の歴史や信仰者の階層・行動を推定する道が開ける
調査チームは今後、古銭の材質分析や年代分析、そして報告書をまとめて 令和9年度の新十和田市史 に反映させる予定だそうです。

↑さすが湖底遺跡、保存状態極めて良き!( ・Д・)
おわりに




















































