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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

2018ねん 6がつ 5にち(かよーび、曇り)

今日は集中して

目の前の仕事に打ち込みたい!

今日というか

今週ずっとな気がする( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・
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装飾付須恵器の出土状況(「産経フォト」の記事より一部加工;Credit Sankei Shinbun & SANKEI DIGITAL)

兵庫県、姫路市に所在する前田遺跡で新発見がありました。この遺跡は古墳時代の集落遺構であり、井戸を埋めた土から特異な形状の土器が発見されたのです。

出土した須恵器は一部が欠けた状態で、重さが約1・1キロ、高さが約13センチです。共伴して出土した土器の形状などから5世紀末に作られた可能性が高く、装飾付須恵器の中では古いタイプとの見方です。

壺形態の「肩部」に5つの小さな壺が配置されており、それぞれの小型壺は棒状の粘土紐で連結された状態になっています。これは全国でも類例がない特異な形状なのです。

装飾付きの須恵器は朝鮮半島を起源としています。日本では5世紀前半から生産が始まったと考えられています。これまで東海・近畿を中心に全国で約800点の出土例があり、兵庫県内でもおよそ100
点の事例があります。

中でも「子持ち土器」のような小型の壺等が付随する装飾を有する土器としは他にも類例が多数あるのですが、紐で連結されている事例は全国初なのです。装飾付き須恵器が朝鮮半島から伝来した時期に、国内でどのような形にすべきか試行錯誤した一つの例ではないかと考えているそうです。

上に挙げた写真の赤丸部が問題の須恵器になります。埋土中にこのような土器集中が見られまして、特異形状の土器の他にも約50点ほどの土器が共伴して出土しています。

装飾付須恵器は古墳などで副葬品として埋められることが多いのですが。しかし今回の出土状況は稀な事例で、井戸を埋めたとみられる土から須恵器や土器が確認されたため、不要になった井戸を埋める際に行われた祭祀儀礼の中で埋められたのではないかと推定しています。

……それにしても小っちゃい土器かわいい!ミニチュア土器とか好きなんですよね。こじんまりとまとまってる感じが堪らない!可愛いけども研究対象にしたことはない!けっこう作りが雑だったりするから、製作技法も似通ってくるのでなかなか対象としては難しいなぁと思っております( ・Д・)

たぶん、あれだ!私小さい物が好き!盆栽も好きだし、箱庭も好きだし……シルバニアファミリーも好き!カワ(・∀・)イイ!! 日本ってジオラマとか凄い精度ですよね。ただ小さいだけじゃなくて、精巧に作り込まれているモノに惹かれてる気がします。

日本人は遥か古代から小っちゃいモノ好き!ってテーマで本書けそうですね。世界の小っちゃい古代のモノ特集でもいいかも知れません。小さく可愛いものは正義です(・◇・)ゞ

↓子持ち土器、小型土器が可愛いと思ったら迷わず押しなさい!カワ(・∀・)イイ!!↓

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2018ねん 6がつ 4にち(げつよーび、晴れ)

強烈に暑い一日だった。

疲れが溜まった身体に追加ダメージが……

けど痩せた!とても痩せた!

健康的なダイエットではなさそうだが( ・Д・)

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中米のグアテマラにて3日、フエゴ火山が噴火し、少なくとも106名が死亡したそうです。負傷者数は約300名に上り、行方不明者も出ているようです。一日で報告された死亡者数が3倍近くに跳ね上がりましたから、今後もう少し増えるかも知れません。(追記:3日で4倍に跳ね上がりました(TДT))

山頂付近からは噴煙が上がっており、火山灰の影響などから首都グアテマラシティのラ・アウロラ国際空港を閉鎖したとのこと。

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↑実際の悲惨な状況の写真
↑迫りくる火山噴出物から逃げる動画

火山灰の降下は首都にも及んでいるようですね。このフエゴ火山、スペイン語で「El Fuego」、「火」って意味なのです。活火山なので噴火する恐れはあったのです。

このフエゴ火山は首都から南西約40kmに位置します。古都アンティグアから見える非常に綺麗な形の神聖な山です。このアンティグア(正式にはアンティグア・グアテマラ)はグアテマラが誇る一大観光地で、多くの観光客を集めています。外国人の数が非常に多い地域でもあります。

非常に可愛らしいカラフルな街並みなので、日本人女性には大人気の観光地としても知られています。このフエゴ火山は標高3763mで、このアンティグアから登頂ツアーが行われているのです。

私もかつて一度登りましたけど、山頂部は異様に暑いですし、油断すると靴の裏が溶けちゃうんですよね( ・Д・)
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↑普段からこれくらい煙がすごくて前がよく見えないのです。下はあっちっちゾーン、靴溶けるやつ(管理人TheDANGOsan撮影)

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さて、グアテマラには早期復興を願うばかりですが、グアテマラにとって観光収入は国家経済を支える重要なものであります。ということで今回被害を受けたアンティグアの魅力について簡単に紹介したいと思います。

アンティグア・グアテマラはユネスコの世界遺産に登録されている古都です。時間的な違いはありますがイメージ的には我々にとっての京都が近いのかも知れません。この都市はスペイン植民地期においてスペインのムデハル様式の影響を受けたバロック建築の建造物が有名です。またこの植民地時代に建てられた多数の教会の遺構で知られています。

アンティグアは3番目の首都です。1717年9月29日、推定マグニチュード7.4の地震が発生し3,000以上の建物が崩壊し、町のほとんどの建造物は廃墟となってしまいました。ようやく復興の兆しが見えたころ、1773年のサンタ・マルタ地震によって町の大部分が再度破壊されたため、グアテマラは3度目の遷都をすることになります。この4番目の首都が、現在のグアテマラシティになります。


アンティグアの魅力はたくさんあるのですが、私の一押しはやはり教会や修道院!それも地震で破壊されて廃墟となったものです。リアルRPG感を楽しめますよ!

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↑アンティグアの中央広場にある噴水、乳からも水が出ておる(管理人TheDANGOsan撮影)


↓ライトアップされた修道院跡(管理人TheDANGOsan撮影)

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↑様々な修道院の跡(管理人TheDANGOsan撮影)


観光地なので治安も良いですし、外国人が多いので英語も比較的通じる方です(現地公用語はスペイン語です)。また外国人が経営するお洒落なレストランもありますので、現地の食事に飽きても多国籍の料理を楽しめます。

なので長期滞在に向いているのです。そのためかスペイン語学校が多数あることでも有名です。アンティグアを拠点として周辺域へのツアーがたくさんありますので、一週間くらい居ても飽きませんよ?語学習得が目的であれば1か月~3か月を少なくとも見ておく必要がありますね。ホームステイを行っている家もありますし、日本人宿や日本のツアー会社もありますので頼ることもできます。

最後に、グアテマラがいち早く復興するよう祈っております(。・ω・)ノ゙。私としてはまず、アンティグアに住む友人の安否が気になるところです( -д-)ノ

↓……まぁ良かったらどうぞ( -д-)ノ↓

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2018ねん 6がつ 1にち(きんよーび、晴れ)

最近寝れません!

ショートスリーパーじゃないから、

ふつーにツライ!( ・Д・)

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【目次】
  1. 縄文時代早期~前期の最古のイヌの埋葬事例!
  2. 「縄文犬」と「弥生犬」について
  3. おわりに

1.縄文時代早期~前期の最古のイヌの埋葬事例!
今回紹介するのは、縄文時代の犬の埋葬についてです。最古の犬の埋葬事例は、愛媛県、久万高原町(くまこうげんちょう)に所在する国史跡である『神黒石岩陰遺跡』(かみくろいわ)で検出されたものです。

ヒトが埋葬されたお墓に隣接する形で、屈葬状態の二匹のイヌの全身骨格が出土しました。この埋葬遺構の掘り込み面といった地層等の情報から、国内の埋葬犬として「最古の事例」とされていました。実はこの発見は1962年になされています。

では何故今更ニュースにしたかというと、このイヌの骨は発掘調査後に行方不明になっていたのです。その期間は半世紀以上!

このイヌの骨は2011年に慶応大学の収蔵庫にて「再発見」され、最新の理化学分析によって様々な新しい知見が得られたのです。


①犬の外的特徴
2匹の体高が約38cmと約41cmだと推定されました。現代の柴犬程度のサイズか、やや小さめのレベルですが、よりたくましい骨格を有していたようです。

②帰属時期
イヌの埋葬遺構が発見された当時は、出土状況から年代が推定されていました。今回は放射性炭素年代測定法によって、7400-7200年前、つまり縄文時代早期末~前期初頭ということが判明し、改めて最古の事例であることが理化学的に証明されました。

③イヌの暮らし
二匹とも生前に臼歯が失われ、歯が入る穴である歯槽が塞がっているという時間経過があったことが確認されました。また残った歯も内部の象牙質が露出しており、よく使われたことが分かりました。また窒素同位体や炭素同位体分析によって、肉食性の食性であったことが分かりした。

これらのことから、二匹のイヌはイノシシなどの狩猟対象獣に噛みついて足止めするといった役割を担う過程で歯を失ったであろうこと、その結果、猟に出られなくなった後も肉を与えられて大切に飼い続けられ、最期には手厚く葬られたことが推定されました。

愛媛県久万高原町(くまこうげんちょう)の国史跡「上黒岩岩陰(かみくろいわいわかげ)遺跡」で1962年に出土した国内最古の埋葬
……イヌは遥か昔から私たちの相棒、家族だったようですねヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ


2.「縄文犬」と「弥生犬」について
さて、縄文時代のイヌの埋葬事例はこれだけではなく、実はけっこうあるのです。この縄文時代のイヌ、「縄文犬」は狩りの際の相棒として活躍する一方で、骨折などのケガをする危険性が高かったと考えられます。

しかし縄文人はケガをしたイヌを放置することなく、大切に飼い続けたようで、埋葬されたイヌの事例の中では、生前に骨折したがしっかりと完治した事例が報告されています。

やはり「縄文犬」は大事なパートナーだったのですヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ

一方で弥生時代のイヌ、「弥生犬」は全く異なる傾向にあります。これは渡来人、つまり中国大陸や調整半島からやってきた人々と共にやってきたイヌのことです。

弥生時代になると農耕が生業の中心になるため、イヌにとって危険を伴う狩猟の機会は減少します。それにも関わらず、「弥生犬」は全ての骨格が揃うことなく、バラバラの状態で発見されます。さらに骨の一部には噛まれた痕跡が散見されます。

つまり弥生時代のイヌの一部は食用とされており、この風習は渡来人によって中国大陸、朝鮮半島からもたらされたと考えられています。ちなみに日本の弥生時代とほぼ同時期である中国の春秋戦国時代の遺跡からは子犬を煮込んでスープを作っていたと思われる鍋が出土しているそうです。

いわゆる現在の「和人」は渡来人との混血ですが、現在の「日本犬」も大陸のイヌとの混血なのです。そういった歴史の後に、私達は独自の文化を作り上げてきました。日本のイヌのも同様に独自の品種となっているのです。そういう意味で、私達日本人と犬は、やはり相棒として似たような歴史を歩んできたのかも知れませんねヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ


3.おわりに
日本人とか和人とか渡来人とか、多方面で色々と問題になりそうなワードを含んだ記事になってしまいましたが、一切の悪意はございません。表現に一部問題はあれど、歴史を語る視点としてニュートラルな立場にいたいと思っております。もし何か問題がありましたらコメントまでよろしくお願いいたします。至急対処させて頂きます。

とは書いたものの、最後に爆弾を一つ( -д-)ノ ……まぁ我々には現在イヌを食べる風習がないわけですが、「一体いつまでイヌを食べる風習が残っていたのか」なと気になりますね。もちろん飢餓とか特別な事態は抜きにして、文化としてです。

また実際にイヌを食べたのは縄文系の弥生人なのか、渡来人なのか、婚姻・混血後の弥生人なのか、その辺りは考古学的には難しいでしょうけど、どうなのでしょうね。いくら農耕が主要な生業になろうとも、たんぱく質源として狩猟・漁労は必要であったと思いますしね。イヌの食用としての家畜化はどのレベルで一般的と言えたのでしょうか。

当該時期の専門ではないなんて言い訳ですけど、本当に知らないことでいっぱいです( -д-)ノ 調べてみたいなと思います(。・ω・)ノ゙

↓のんびりと増えていくのであった……ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ↓

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2018ねん 6がつ 1にち(きんよーび、晴れ)

5月が終わってしまった!

春眠暁を覚えずとか、

五月病だとか、

素敵な言い訳とおさらばだ!( -д-)ノ

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さて、今年の3月から初めておおよそ3か月が経ちました!開始から82日目で56記事です(この記事が57記事目)。

ライブドアブログのアクセス解析って3か月分しか見れないんですね。知らなかったです。今は4月、5月の過去分と6月の現在の状況が見れるので、3月のデータ見れなくなってしまいました(/TДT)/

まぁでも記憶によれば、3~5月のPV(ページビュー)数の変化は100PV程度~146PV~675PVと見事に増加しています。とても嬉しいですね~、モチベーション上がります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

先月の5倍近いですからね。まぁ先月は長めのサボタージュしてたせいもあるんですけどね。継続は力なりとは思っていても書き続けるのはけっこうしんどいです( -д-)ノ

UU(ユニークユーザー)数の方は、2UU程度~3.0UU~11.29UUです。体感だともっといるように思えるのですが、記事内容によってかなりの変化があるようで、平均を取るとこの程度の数字になります。

それでもコンスタントに10名も見てくれている!

嬉しい限りですヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ

さて、気になる収入の方ですが、、、3月、4月は当然0円ですよ。というかグーグルアドセンスに登録したのが5月頭のゴールデンウイーク中ですからね。もちろん最初からグーグルアドセンスに登録していたとしても0円だったでしょう!(確信(・∀・)つ)

前回の報告では、グーグルアドセンスの管理画面上で、1000PVあたり4円って表示されてると書きましたが、最終的に5月の収益は・・・・・・

86円!

明らかにコンビニでバイトした方がいいレベルですが、1か月で2円って表記されてたのを目の当たりにしている自分としては、不思議な達成感があります。だって二桁ですよ?まさに桁違いの成果なのです!(。・ω・)ノ゙(。・ω・)ノ゙(。・ω・)ノ゙

6月の目標は、
  • 1日1記事を頑張る!
  • 書けない時はその週の内に、できれば翌日に埋め合わせる!
  • 月間1000PVを達成する!
以上の3点でいこうかと思います。欲を言えば、上昇率的に2000~3000PV狙って頑張ってもいいのですが、まぁのんびりでもいいかなと思っております。

ブロガーとして一日中記事の作成に時間を使える場合は違うかも知れませんが、普通に1日1時間程度を割くのであれば、ブログ作成と収入の現実ってこんなものかも知れませんね。

もちろん頑張って続ければ、読者数も増えるでしょうし、もう少しマシな副業になる可能性はあります。自分の専門・研究をブログにしよう!って以前、若手研究者・大学院生向けに書きましたけども、学生の内からコツコツとやる分には良さそうな気がします。

何よりも自分の専門に関するブログをやることの良さは、広く情報を得られることです。普段の研究では扱わないことに触れますからね。それがどれだけ自分の狭い意味での専門に対して有益かは分かりませんが、殊、考古学においては人類史上の様々な事例を知っておくのは有益なことではないかと感じています。

↓今後ともよろしくお願いいたします(*_ _)ペコリ↓

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2018ねん 5がつ 31にち(もくよーび、雨)

仕事が進まない!

週末がんばらねば~

あ~、「らーめんの考古学」もやらねば~( ・Д・)

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今回の発見はイタリア、ポンペイでのものです。以前、噴火によって消滅した古代都市ポンペイについて詳しく触れましたので、気になる方はどうぞ!



今回は簡単にポンペイについて紹介しますね。場所はこの通り、イタリアにあります。ポンペイの北西にあるのがヴェスヴィオス火山ですね。

このヴェスヴィオス火山西暦79年8月24日午後1時頃にが大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続けました。 噴火から約12時間後、ちょうど25日になった頃に、噴火末期として火砕流が発生し、ポンペイは一瞬にして完全に地中に埋まったと言われています。


前回紹介したように、この火砕流によって逃げ遅れた人々や馬が亡くなってしまい、火山灰にパッキングされたのです。結果として保存状態が非常に良く、現在とてもリアルな状態で様々な発見がなされています。

この犬もとてもリアルですよね。首輪が付いてるようですね。リアル過ぎてかわいそうです(ρ゚∩゚) グスン


今回紹介するのはこちらの古人骨です。見事に岩が頭に直撃していますね。噴火の間に大気から発射されたと推定される300キロ(660ポンド)の石が彼の上に降りかかり、頭と上半身を粉砕してしまったのです。約3万人が死亡したと考えられている噴火被害者の内の一人です。

人骨の分析から35歳の男性であることが分かりました。また彼の右足を分析したところ、どうやら男性は身体障害者であり、そのために火山が爆発した際に逃げ遅れてしまったようです。

CNNニュースでこの発見についてのムービーが見れますので紹介しておきます。

英語ですけど見やすく作られいますので、良かったらどうぞ!

ポンペイの遺跡は発見されてから長い年数が経っていますが、まだまだ興味深い発見が相次いでいますね。今後の発掘調査の進展に期待したいです(・∀・)つ

↓こちらも期待しております(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2018ねん 5がつ 30にち(すいよーび、晴れ)

「忙しい」という言葉は使わないように心掛けている

「充実している」と言うようにしている。

「時間がない」というフレーズも使わないようにしている。

「時間は作るもの」であると思っているからだ。

……しかしながら物理的な限界は超えれないのであった( ・Д・)

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さて今回紹介するのは島根県根県出雲市の京田(きょうでん)遺跡で出土した土器破片についてです。写真を見て分かるように小さな破片なのですが、これが実は大きな発見なのです。

京田遺跡は出雲市の上西湖の南側に位置し、これまでに行われた発掘調査によって縄文時代後期中葉(約3500年前)の集落跡が確認されています。

この遺跡の周辺では他にもいくつかの縄文時代の遺跡が知られていますが、縄文時代の出雲平野における集落・人々の様相については明らかになっていませんでした。

最新の調査によって竪穴建造物址や多量の土器や石器が検出・出土されており、お守りのような土器や水銀朱をすり潰した「磨石(すりいし)」など特殊な出土品も多数見つかりました。どうやら同遺跡はたくさんの人々が居住した大きな集落であったようです。また出土した土器を分析したところ、関東地方(異形土器)や九州地方(西平式土器)といった他の地域から持ち込まれた外来系土器が出土していることが分かりました。

つまり縄文後期に出雲平野で暮らした人々は非常に遠く離れた地域と盛んに交流していた文化的に豊かな地域であったことが分かったのです(。・ω・)ノ゙

これらの外来系の土器の中でも最もユニークなのが写真に挙げた「異形台付土器」です。土器表面に施された曲線的な隆線文の装飾部分の一部が赤くなっているのは、水銀朱で塗られているためです。現在、出雲市の「出雲弥生の森博物館」で公開されています。

写真の土器破片の右側を見てみると、環状の窓のような部分があります。このような変わった形の土器は主に東日本で出土するタイプの特殊な土器とみられ、山陰地方で見つかったのはこれが初めての事例になります。西日本でも出土例はほとんど確認されていない本当に特殊な事例なのです!

さらに調査成果として、人為的に掘った穴に土器を壊して埋め、その上に石を置く「配石土坑」でこの特殊な土器が見つかったことから、祭祀の場で使われた「異形土器」の一種ではないかと推定しているそうです。このような「異形土器」は東日本の事例では中心的な役割を持つ集落から出土することがあるとのことです。


つまり京田遺跡は遠隔地と盛んに交流する、出雲平野における中心的な一大集落だったのかも知れませんね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓ここを押すと更なる興味深い新発見に繋がる可能性があります。可能性は常に捨てきれません(≧ヘ≦) ムゥ↓

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2018ねん 5がつ 30にち(すいよーび、晴れ)

お菓子作りは苦手である。

きっちりと分量を守らねばならない。

しかし私はアレンジが好きである。

「プリンの黄金比」とか言われると、

自分で挑戦したくなる。

……結果、プリンが固まらなかったことがあるヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・
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↑土偶の形の縄文クッキー(「どぐぽた。」さんの記事内画像より転載)

”縄文×クッキー”といえば、縄文マニアは土器文様を模した「お菓子考古学者ヤミラ」氏の土器片クッキー「ドッキー」を思い浮かべる方も多い…らしい!


ヤミラさん(@yamiramira)自体はTwitterでフォローしているので、それとなく活動は知ってはいたが、「ドッキー」は知りませんでした。名前がすでに可愛いわ!カワ(・∀・)イイ!!


私個人としては「縄文クッキー」というと、埋蔵文化財関係のイベントとかで食べられる縄文時代の食事の再現メニューのイメージでした。クリ、クルミ、ドングリなどの堅果類やヒエ、アワといった穀物

から作るんですけどね、まぁあまり美味しくはないよね!(/TДT)/


ここでの縄文クッキーは材料どうこうではなく「形状」ですね。ヤミラさんの土器片状クッキー「ドッキー」づくりには多少の造形的センスと器用さが必要だそうです。

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↑左がクッキー、右が土器片(「クックパッド」より転載)


これが「ドッキー」なんですけども、まぁこんなの日常的に食べてたら、疲労してる時とか間違って土器資料を口に入れてしまいそうですよ!!!ヽ(TдT)ノ


さて新作のsacsacのクッキー型は、生地に型を押すだけで気軽に土偶や縄文土器を再現できるそうです。しかもなんとうっかり割ってしまっても、割れた土偶をアイシングペンで修復すれば、お菓子で修復ごっこが楽しめるのだそうです。発想が凄すぎるわ!「お菓子考古学者」は伊達じゃないですね。

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↑アイシングペンでデコレーションしたようです。土偶がコスプレしておる(「どぐぽた。」さんより転載)


あえて割って、チョコシリアルに埋め、発掘ごっこも楽しめるとか。それはやってみたい!子供にもウケるのではないでしょうか。まぁでも土器とか石器とか外で拾えちゃいますからね。誤飲だけは怖いですけど。専門の人は、やはり仕事中のうっかり誤飲が怖い!そんなんで資料破壊の記録が永久に残るなんて嫌だ。公式文書記録:土器破片の損壊、原因:食べたΣ(・ω・ノ)ノ……ネタにしもて辛過ぎる。・゚・(ノД`)


京都府東山区にある実店舗の前には「土偶みくじ」ガチャも設置中で、縄文関連のクッキー型もまだまだ増える予定だそうです。楽しみですね。


またWebサイトでは「Cookie Cutter Museum」を展開しており、縄文シリーズ以外にも古墳や埴輪、国内外の民俗文化歴史を3Dプリンタでクッキー型に起こし、クッキー型でさまざまな”博物”について学べる内容になっています。


レプリカのみ展示する博物館も話題になっている昨今、クッキーのみの博物館も悪くないと思う。食べれるし!(・∀・)つ


↓押してくれぃ!ほいっ!押してくれぃ!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ↓

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2018ねん 5がつ 26にち(どよーび、晴れ)

今日は眠い!

そのため今日は3回も、

「冷たい水でこじ開けて」みた!!!(・◇・)ゞ

カフェインに頼らないのは健康的かも知れない。

あぁ水が旨い.+.(・∀・)゚+.゚

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【目次】
  1. この船、めちゃくちゃ保存状態がいいよ!
  2. 国際プロジェクトによる色々な発見のお話
  3. ”モノ”で発見するという重要性について
  4. おわりに

1.この船、めちゃくちゃ保存状態がいいよ!
今回紹介するのは黒海で発見された20隻もの古代・中世の船についてです。最も古いものは約2000年前で古代ローマの時代の船だそうです。

この発見の凄さは数もありますが、何といっても保存状態の良さ!上に挙げた画像(古代ローマ船)の
ように、マストはまだ立っていて、舵柄(かじづか;舵を操作するレバー)を備えたクォーター・ラダー(後甲板舵;後ろの方に付けられた”かじ”のこと)がまだ取り付けられたままになっています。

またヤード(帆桁;帆を張るための用材、マストに対して直角になってる長い木の棒!)は落ちて、デッキの上に未だ横たわっています。深海2000mにあるため特殊な無酸素状態下において、ロープすら保存され、船体のフレームにまだ残っています。

2000年経っているのに、この保存状態!すごいですよね。船の構造に全然詳しくない私ですら、上の画像から船の形が容易に想像できますもの.。゚+.(・∀・)゚+.゚

この発見は、国際黒海海洋考古学プロジェクト(Black Sea MAP)によるもので、昨年2017年に3回目となる最終的な調査の中での発見であり、プロジェクトの中で最も重要な発見となりました。

まぁこのように、考古学調査って何故か、もう調査終わる、時間ない!って時に限って重大な何かが見つかるものです。考古学あるあるですね。幸運の女神様もいたずら好きなんですね~( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

さて、この古代船の一群は黒海の中でもブルガリアの海岸近く、水深2000mで発見されました。黒海の水は150メートル(500フィート)以下で無酸素で、木や肉などの有機物を餌とする生物の成長と発育を妨げるそうです。

なので、保存状態がすこぶる良いのですね。水中考古学にとっては最高ですね。水中考古学については別の記事を設けたいと思いますが、一般的にはどうしてもトレジャーハンター感があります。黒海の事例のようにそれほどまでに保存状態もよく、位置も変わってないなら、歴史的な研究だけではなく「本来の」考古学的な分析や理論面との連携について推し進めて欲しいなと私は期待しています。


2.国際プロジェクトによる色々な発見のお話
2015年9月に始まった黒海海洋考古​​学プロジェクト(Black Sea MAP)は、ブルガリア、スウェーデン、アメリカ、ギリシャなど多国籍の大学研究機関が参加した国際的な調査団です。

彼らの発見のひとつは黒海の塩水化の時期についてです。黒海ってそもそも淡水湖だったそうです。従来言われていたのは紀元前6000-5000年に「旧約聖書のノア箱舟の洪水」によって塩水に変わったという説でしたが、実際にはより古い約18,000-12,000年前の最終氷河期の終わりに変化したことが科学的に判明したそうです。

全3回のフィールドシーズンの間に非常に良好な状態で保存された計60隻の難破船を発表し、約2,500年間に渡る黒海における航海伝統の歴史を書けるほどの発見だそうです。

彼らはまた、現代の海底の水深2.5メートル地点において沈没した青銅器時代の居留地を発見し、発掘したとのこと。私としてはこっちの方が面白い!( ・Д・)論文・報告書探してみます。専門じゃないけども……まぁ船も好きなんですけどね。この発掘調査事例だと考古学と水中考古学の対比が素直にできて面白いだろうなと思っています。

また2017年度の調査では古代ローマ船、ビザンチン時代の商船、ヘレニズム時代、オスマン時代の船とかなり古い難破船が発見されています。これらの発見は、最新のロボットレーザースキャニング、音響および写真測量技術を使用してなされたとのことです。これらの一連の発見により、黒海における貿易と交換、戦争とコミュニケーションに関する具体的なパターンの解明が期待されますね。



3.”モノ”で発見するという重要性について
彼らによって発見された船の中には第1ブルガリア帝国(632 / 680-1018年)とブルガリア第2帝国(1185-1396 / 1422年)の時代の船が含まれます。しかし中世のブルガリア帝国のでは14世紀のひとつの事例を除いて、有形の軍艦または商業艦隊を実際に開発したことはなかったことが文字記録により分かっていました。

実際に見つかったブルガリア帝国の船からは、中国で作られたモンゴル(タタール)のモチーフを用いた14世紀のネフライト(魔除けバックル)が発見されたそうです。つまり船舶を購入していたのでしょうか、当該時期には自国で造船していなかったという史実の内容が”モノ”の発見によってより具体的に明らかとなったわけです。

3シーズンの調査によって全部で60種類に及ぶ古代・中世の難破船が発見され、これまで船舶については象徴的な描写や書かれた記述でしか知られていなかったことが多かった中で、これまで見たことのない構造的特徴や装備を有していることが分かったとのことです。

時代が新しければ、船の設計図等の正確な記述や模式図が残っている場合もあるでしょう。しかし記述には残りにくい、装飾や船内の備品といった実際に発見されなければ分からないこともたくさんあるのです。



4.おわりに
水中考古学いいな~!興味ある!近い内に調べて記事にすると約束します!(。・ω・)ノ゙

古代マヤのお話だと、グアテマラ北部ペテン県にあるペテン・イツァ湖に、スペイン人たちがもたらした馬を模倣した石造の馬が沈んでいるという伝説があります。これについても次回触れますかね。透明度あんまりない湖だし、ワニいるから危険だけど、この石の馬見つけたい!リタイアしたらまさに命かけて潜りまくるかな!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓彼らは黒海深くまで潜って、隠れた「歴史」に触れました↓
↓記事ページのこんなに深くまで潜ったなら、↓
↓ネットの海に深く埋もれた「このサイト」に光を…ヽ(TдT)ノ↓

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2018ねん 5がつ 26にち(どよーび、晴れ)

寝不足だから

早く寝ようと思ったのに

なんだかんだ23時過ぎに寝た。

そして変な夢を見まくった……

そんなこんなで今日も眠い( -д-)ノ

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↑今、超人気のマンホールカード!赤丸部に注目!(「信州・市民新聞グループ」の記事内写真より転載)

今回紹介するのは、長野県茅野市が昨年(2018年)12月から配布している「マンホールカード」です。これがめちゃくちゃ人気なんだそうです!

このマンホールカードは、JR茅野駅ビル2階の観光案内所で無料配布しているそうで、当初2千枚用意したところ、半年経たずに残りが90枚を切り、増刷の手配をしているのだとか。

「マンホールカード」はご当地キャラクターや名所、名産などが描かれた個性的なマンホールぶたを紹介するもので、全国各地の配布先に足を運べば無料で手に入れられるのです。下水道のPRを行う「下水道広報プラットホーム」が各自治体と連携して現在までに342種類(301自治体)を発行しており、観光の記念や趣味の一環で集めているコレクターも多いのですごい人気なんだそうです。
 
ちなみに茅野市のマンホールは、国宝土偶「縄文のビーナス」「仮面の女神」、八ケ岳、市木の白樺、車山高原のニッコウキスゲといった自然と文化の魅力が詰め込まれたデザインです。上に挙げた写真の赤丸部で国宝土偶が紹介されていますね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

茅野市の担当者によると、これまでにカードを受け取ったのは7割が県外者で、受験シーズンには「滑らない」「落ちない」という縁起をかついで、お守りとして取りに来る市民もいるそうです。5月のゴールデンウイークのような大型連休中には、観光客を中心に1日40〜50枚を配布したということで、観光業・地元活性化にも大きく影響を与えているようですね!

茅野市水道課のコメントとして「大都市にある有名なキャラクターなどが描かれたカードにはかなわないが、地方や県内の自治体としてはかなり人気が高い方。配布場所が駅直結なのが良かった」と話し、「茅野市のPRにつなげることができている」と喜んでいるそうです。

ちなみに配布は1人1枚で、次の増刷は未定。観光案内所の開所時間は午前9時〜午後5時半です。行ってなかったら辛いので、事前に問い合わせましょう⇒茅野市水道課(Tell:0266-72-2101)

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さて、これまで考古学研究をいかに現代社会に結び付けるか、いかに社会還元を行っていくべきか、文化遺産活用の在り方とはどうあるべきか、というテーマで色々と考えてきました。今回のマンホールカードのように行政、地方自治体が積極的に自らの地域の文化遺産を上手に活用している例がたくさんあるものです。

考古学調査はその規模に関わらず、地元の人々との関係が非常に重要になってきます。地元への成果の還元のひとつとして、しっかりとした調査と報告、そして分かり易く興味を惹く説明会・講演会を行うことが全てのスタートになるのでしょう(。・ω・)ノ゙

ところで、私のフィールドである中米の考古学者が日本に研修に来た際に言っていた言葉を思い出します。「いや、ほんとに日本は綺麗!マンホールすら綺麗!思わず写真撮った!」って、あの時はよく分からなかったけど、今回紹介したような素敵な絵柄のマンホールのことだったのですね。

どうやら日本のマンホールはすでに一つの芸術・文化の粋にあるようですね……というか「遺跡カード」も作ってくれないかな。「遺物カード」でもいいな!(*同名ですが資料整理に使うアレではありませんよ!( ・Д・))

スマホとか便利なものがたくさん普及して世の中デジタルばかりですが、やっぱり手元に残るカードいいですよね。コレクションしたくなる。マンホールカードはすでに第7弾で、全324種、初期のカードは激レアだとか!

……ギャザ(マジック・オブ・ギャザリング)とか遊戯王とかいいですよね。遮光器土偶にHP、攻撃力、防御力とか付けてゲーム化してくれないかな? 一般ウケは分からんが、考古学徒は買うでしょう!.。゚+.(・∀・)゚+.゚

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2018ねん 5がつ 25にち(きんよーび、晴れ)

眠い(ρД-)

とても眠い(ρД-)

あくびがでまくる٩(๑´0`๑)۶

なのに眠れない……

前にもあったな、こういうの( -д-)ノ

今日は寝る努力をします!( ・Д・)

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今回、ご紹介するのは6世紀に東ローマ帝国で生じた「ユスティニアヌスの疫病」についてです!上の写真は戦闘の際の犠牲者の集団埋葬の検出状況です。スタッフからすると3m×2mに人骨集中が見られ、折り重なるようにかたまっていますね。保存状態がとても良いので、ちょっと怖い感じがします( ・Д・)

さて、今回のテーマである「ユスティニアヌスの疫病」は、西暦541-542年に、首都コンスタンティノープルを含む東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を中心として起きたもので、古代のパンデミックのひとつです。人類史の中で最も大きな災害の一つでした。まぁ一般的には14世紀の疫病(ペスト;黒死病)が最も有名ですね。



この疫病は、ビザンツ帝国、特に首都コンスタンティノープルや他の地中海港、ササン朝に影響を与えたユスティニアヌス1世(527  -  565 AD)にちなんで命名されました。ちなみにビザンツ帝国のユスティニアヌス自身は疫病に巻き込まれましたが、回復したと言われています。すごい生命力ですΣ(・ω・ノ)ノ

これまで同時代にはエジプトにて最も致命的な疫病の流行が起きていたためエジプトが疫病の起源と考えられていました。つまりトルコのイスタンブール、コンスタンティノープルでのユスティニアン・ペストの流行は、エジプトから到着した穀物船でラット(ネズミが原因;黒死病と同じですね)が市内に運ばれた結果としてパンデミックとなったと考えられていました。



しかし541〜542年頃にアジアでも2500万人が死亡している可能性があることがわかり、この疫病の原因が、ユーラシア大陸のフン族の西への移動に関連している可能性があるということが示唆されました。

この発見は、ユーゴスラビアの草原で発掘された137体のヒトの骨格に見られるDNAの分析から判明したもので、上記写真のモンゴルの戦闘犠牲者の大量埋葬の人骨も分析対象でした。分析に用いられたこれらの匈奴の戦士たちは、後にフン族として知られる遊牧民と系統関係にあります。



ユーラシア大草原地域は広大な地域で、中国北東部から中部ヨーロッパのハンガリーまで約8,000キロメートルにわたって広がっており、検体サンプルの該当時期は2,500 BC〜1,500 ADといった大きな範囲をカバーしています。科学者たちは、これらの検体のゲノム情報から「ユスティニアヌスの疫病」に関係するペスト系のDNAを回収に成功しました。

DNAの分析結果から、これらのフン族の人骨の内のいくつかから、ヨーロッパにおいて何百万人もの人々を殺した「ユスティニアヌスの疫病」の基本的な形が見つかったのです!(。・ω・)ノ゙

このような広範な年代の人骨の分析によって「ユスティニアヌスの疫病」の起源が紀元200年頃にさかのぼり、疫病がヨーロッパを襲った数百年前のことであることが新たに分かったのです。またこのペスト系統のDNA解析は、14世紀の黒死病と同様に、ノミを介した感染を可能にする突然変異形があることも判明しました!(*・ω・)ノ

つまるところ、ウィルスの歴史が明らかになったのです!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


さて加えて、関連する別の研究ではユーラシア大陸の古代人のB型肝炎を発見したそうです!

12人の古代人から回収されたウイルス配列から発見され、ヒトにおけるB型肝炎ウイルス(HBV)の最も古い証拠だそうでです。



これによって私達はB型肝炎ウイルスの歴史を解明しつつあるわけです。2015年度のデータでは地球人口の内、約2億7,700万人ものがB型肝炎ウイルスに感染していると推定されています。そして肝臓癌などの合併症のため約88万7000人が死亡したそうです。

さて、おわりとしまして、今回のテーマは最終的に「ウィルスの歴史」になったわけです。こう考えると考古学調査ってすごく現代医学とも繋がってるんだなと、正直驚きました!(つд⊂)ゴシゴシ 考古学すごいぞ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

……あと余談ですけどね、生物兵器ってあるじゃないですか? 古代中国の歴史資料の記述に、匈奴の戦士たちは羊の死体を水源に入れて生物攻撃を行ってたそうです!



いやぁ、何でも起源は古くて、何でも歴史があるのだなぁと思いました( -д-)ノ 専門外のことを記事にすると翻訳・要約が中心となって面白く書けないなぁと思ってましたけど、私自身が勉強になって面白いですわ!

皆さんが楽しめる記事を書けるよう、これからも少しずつ知識を増やしていきますね(。・ω・)ノ゙ 皆さんも色々な記事を読んで、考古学・歴史に興味を持って頂ければ幸いです。

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