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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

2018ねん 5がつ 16にち(すいよーび、晴れ)

地道にフォロワーが増えておる。

地道に固定の読者が増えておる。

ありがたい。

地道に続けなければならないなぁと感じておる。

頑張れ、自分!

↑ぎんぎらぎんにさり気なくフォロワーや読者を増やす作戦である(゚ロ゚;)エェッ!?↑
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↑およそ1400年前のコーラン。保存状態がすこぶる良い!(ナショナルジオグラフィックの記事より転載)

【目次】
  1. 世界最古のコーランの発見!
  2. この発見の重要性とは?
  3. おわりに -偉人はエロかった!-

1.世界最古のコーランの発見!
この発見自体はちょいと古いんですけども、気になったので記事にしてみました。舞台は2015年のイギリスです。

この最古のコーランは僅か2ページで、当時大学院生であったアルバ・フェデーリがバーミンガム大学の図書館に所蔵されていたコーランの中から発見したのです。問題の2ページは1920年代に図書館が古物商から購入し、なぜか別のコーランの一部として綴じ込まれていたそうです。

実際にこのコーランの写本は人の目に触れる場所にあったのですが、これまで誰も気付かなかったのです。ちなみにフェデーリは、この2ページだけ筆跡が違うことから気が付いたのだとか。
 
この古いと思われる2ページの羊皮紙に対して放射性炭素年代測定法が使用され、この写本が西暦568~645年に書かれたものだと判明しました。つまりこの写本はイスラム教が成立した時期から20年ほど後に書かれたものということになるわけです。

 

ちなみに古代マヤの絵文書の偽物が出回ることがありまして、「紙だけ古い」という巧妙なものもあるのです。このコーランの写本も羊皮紙は古いことが判明しましたが、インクの方は分析されていません。もしかすると「実際に書かれた時期」はより新しい可能性もありますね。


2.この発見の重要性とは?
この発見の重要性は2つあるなと思います。

①大学院生が発見した!
大学院生が発見したというのが凄いですよね。お手柄です。このような古い記録が図書館から発見される事例って実はけっこうあるのです。まぁ多くは海外の事例ですけど、図書館ってお宝が隠れているものなのです。

運の要素もあるでしょうが、真面目に何度も読んだのでしょう。努力した者に幸運の女神が微笑むと信じて頑張りたいものです。

とは言え、このような発見は文献史学系ならではですけどね。考古学では図書館にお宝はないと思います。考古学の場合は倉庫に行って、山のようにある未報告の遺物の分析をして報告するのが堅実かと思います。


②このコーランを書いた人物がムハンマドと面識があった可能性がある!
ムハンマドはイスラム教の開祖です。イエス、モーセといった人物に並ぶ最後にして最高の預言者とされています。

このムハンマド、クライシュ族の名門ハーシム家の生まれで、一族は皆商人で比較的裕福な家庭で育つのです。彼自身も商人になります。しかしながら預言者ムハンマドは文盲であったと言われています。つまり文字の読み書きができなかったのです。

そのため神の啓示(コーランあるいはクルアーン;詠唱すべきもの)を幾度となく受けたムハンマドでしたが、自らはその啓示内容を書き記すことができなかったのです。よってムハンマドが受けた啓示内容は、信徒たちの暗記によって記憶され、口伝えで伝承され、また書記によって記録されたわけです。

この記録されたものがムスハフです。しかしに伝承者や地域によって内容にバリエーションが生じていました。恣意的に変更されたものもあれば、伝言ゲーム的に意図せず変更してしまうことがあり、問題となっていました。

預言者ムハンマドは西暦632年に没します。そして西暦650年頃、第3代正統カリフのウスマーンがコーランの正典化を命じました。ムハンマドの秘書であったザイド・イブン=サービトを中心として、コーランの編纂が行われて1冊のムスハフにまとめられます。ウスマーンは公定ムスハフを標準クルアーンとし、それ以外のムスハフを焼却させました。

このためウスマーン版コーランを除くムスハフは、この発見以前には見つかっておらず、キリスト教の聖書とは異なり、偽典や外典の類は一切存在しないとされてきました。そうした中でのこの発見は重要ですし、著者は直接ムハンマドに聞いた話を書いている可能性があるのです!


3.おわりに ー偉人はエロかったー
バーミンガム大学教授でキリスト教・イスラム教学が専門のデービッド・トーマスによれば、問題の2ページにはコーランの18章から20章までが記されており、現在の文章にかなり近いのだそうです。このことから、コーランの文言はイスラム史の初期段階で固まり、後代の加筆や時代に伴う変化はほとんどなかったという見方が裏付けられたとしています。

本当ですかね? 1例しか見つかっていないのに、そんなことが言えるのでしょうか。第一、コーランの内容にバリエーションがあることが問題であるために内容を統一して、その他を焚書にしたわけですからね。ここだけはどうも気になる部分です。インクの年代の問題も解決して欲しいものです。

さて、ツイッターを見てて、かのアリストテレスも美女には弱かったって書かれてましたね。
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↑美女に馬乗りにされ、鞭を打たれるアリストテレス(上写真はCOMMONSより転載、中下図は出典不明、Twitter画像より)

美女に弱いというか、普通に変態ですわ。ちなみにムハンマドには12人の妻がいました。しかもムハンマドはある日とある女性を見て欲情し、すぐさま家に戻り妻の一人であるザイナブのところに行って性交したそうです。その後、教友達の所に赴き、「女性を見て彼女に欲情した時はすぐに妻のところに赴き性交することで情欲を抑えなさい」と説教したそうです。ん?抑えれてねぇだろっ!?Σ(・ω・ノ)ノ

過去の偉人はえらかったってよりエロかったんだなぁと思います。まぁ「英雄色を好む」ってやつでしょうか。私も努力を重ねて偉くなりたいものです( ・Д・)

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2018ねん 5がつ 13にち(にちよーび、めちゃ雨)

考古学って面白いなと久しぶりに思えた。

考えることは面白い。

さて、あと3時間くらい頑張りますか。

ひと缶だけガソリン入れながらさ(*・ω・)ノカンパーイ!

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↑冒涜してはおりませぬ。あまりに悲痛な表情だから笑いに変えた方がいいかなって…(下部に載せたYoutube動画を基に加工)

【目次】
  1. ポンペイでめちゃリアルな馬が新たに発見されました!
  2. 「原位置論(ポンペイ理論)」について考えてみた
  3. おわりに

1.ポンペイでめちゃリアルな馬が新たに発見されました!

さて、まずポンペイについてさらりとご紹介しますね。場所はイタリアのナポリです。ヴェスヴィオス火山の大噴火の際に、火砕流によって飲み込まれた古代都市として有名です。

ポンペイは二度の大きな自然災害に襲われています。一度目は西暦62年2月5日、激しい地震によりポンペイや周辺都市は大きな被害を受けました。しかしポンペイの町はすぐに以前より立派に再建されました。

二度目は西暦79年8月24日午後1時頃にヴェスヴィオス火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続け、太陽を覆ったと記録されています。 噴火から約12時間後、ちょうど25日になった頃に、噴火末期として火砕流が発生し、ポンペイは一瞬にして完全に地中に埋まったと言われています。

ヴェスヴィオス火山の噴火は、以前の地震から歳月がさほど流れていなかったため、地震被害からの復興作業は完了していなかったようです。つまり今日、発掘調査で明らかになるポンペイの姿とは、地震前の生き残った建物、地震後に再建された新しい建物、再建中の建物といったまさに古代の地震災害からの復興の過程なのです。←ここ大事です、テストに出ます(。・ω・)ノ゙


↑参考までに、ポンペイの悲劇についての紹介動画(「雑学とりびあん」さんの投稿動画より)

さて、ポンペイはその「悲劇の古代都市」として印象付けられていましたが、調査研究の進展により華やかな文化面に焦点が当てられるようになりました。
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↑上の写真は火砕流に飲まれた人々、下の図像は娼館に残っていた壁画(wikiより転載)

ポンペイはぶどうの産地であり、ワインの醸造を主産業としていたそうです。湾港都市としてワインの物流を中心とした商業都市でもあったようですね。またポンペイのの守護者は美と恋愛の女神ウェヌスでした。娼館と推測される建造物内では、男女の交わりを描いた壁画(上図)が多く出土したことから、ポンペイは「快楽の都市」とも呼ばれているそうです。「悲劇の都市」よりずっといいですね!

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↑今回発見された馬の全身の化石(JIJI.COMより一部加工)

さて、この写真が今回新たに発見された馬の化石ですね。これまでどうしても先に挙げたようなポンペイの人々に焦点が当たっていましたが、今回は動物です!

このお馬さん、ほぼ全身骨格が残った状態なのです。内部の残った骨が見える写真もあったのですが、行方不明になってしまいました。申し訳ない!まぁそれでもこの写真、いかにも発掘現場という感じでいいでしょう!

このお馬さんは、当時のポンペイ内にあった大邸宅の敷地内で出土・検出されています。どうやらお偉いさんのパレードの際にカッコよく着飾って行進していたようです。きっと毛並みの綺麗なお馬さんだったのでしょう。

なんだ、馬だけか!って思うかも知れませんが、こうした地道な発見の繰り返しによって少しずつ「埋もれた過去」が復元されていくものなのです。


2.「原位置論(ポンペイ理論)」について考えてみた
さて、考古学基礎理論のひとつとして原位置論というものがあります。別名としてポンペイ理論とかポンペイ前提、ポンペイ的前提とも呼ばれます。

火砕流に襲われてポンペイでは2000人もの人が亡くなりました。最大人口は2万人と推定されているので10%も亡くなったのですね。この人々や今回の発見の馬のような動植物、建造物はあっという間に大量の火山灰でパッキングされて、当時の状況を今に残しているわけです。

つまり発掘調査で出土する遺物、検出される様々な状態=当時の状況と考えるわけです。これが「ポンペイ前提」です(私としてはこの用語を用います)。

このポンペイの状況は世界的にみて、とてもレアなケースです。他には古代マヤ地域のエル・サルバドルのホヤ・デ・セレン(セレンの宝石という意味)くらいでしょうか。「『新大陸』のポンペイ」、「中米のポンペイ」、「マヤのポンペイ(異論アリ)」などと呼ばれています。

このポンペイ前提を、考古学者は通常、その他全ての考古学的な出土状況に応用しているわけです。使い方には個人差があると思いますが、通常は出土する遺物・遺構の出土地点は当時と変わらず、その配置に何からしらの歴史的解釈が可能であることを「前提」とするということですね。

もちろん、出土地点が斜面である等の物理的条件や雨雪の働きによる移動、さらに動植物の働きによる攪乱、後世の人類活動による攪乱といった様々な現象によって、「原位置」から遺物が移動する場合が考えられます。

しかし動物あるいはヒトの農耕等の掘削の痕跡といった明確な痕跡が残らない場合、遺物が「原位置」からズレていることも証明できないのです。そのため「基本的に遺物は原位置であることを前提」に考えるのですね。この問題は「遺跡形成過程論」とも結び付いてかなり複雑な議論が展開されています。

ところで、日本考古学における「原位置論」といえば、麻生優という考古学者が有名でしょうか。ここでの原位置は遺物・遺構の「使用方法」に関係して議論されています(以下、考古学のお話になります)。
  • 麻生1969「「原位置」論序説」『上代文化』第38号 pp.1-5. 国学院考古学学会
  • 麻生1975「「原位置」論の現代的意義」『物質文化』第24号 pp.1-14.物質文化研究会

上記2つが著名な論文になりますが、内容を抜粋すると以下のようになります。

 「原位置は出土状態そのものである。その道具が使用されていたあるがままの出土状態、そのものが使用されて機能を果たしていたであろうと思われるあるがままの状態でなければ、本来の原位置の意味とはならない。
 さらに原位置の意味は、考古学的出土状態から直接判断することは非常に難かしく、ましてや考古学的出土遺物からも、そくざに判断しにくい。原位置の意味、それは、あるがままの状態、本来の機能を果たしている状態であったか、二次堆積の状態であったか、現在の考古学研究では、考古学的出土状態から直ぐさま認定することは困難である。その道具が本来使用されていた状態のままで出てくれば、大変好都合で、“原位置”としては、本来の狭い意味での使用法となるのである。」(麻生 1975:1)
また麻生は、本来の位置を保った構造物の一部を「残存物」、本来の位置を失った構造物の一部を「分離物」と定義し、本来の位置があるものが「構造物」であり、その残存形態が遺構と部材であり、本来の位置がないものが「道具」であり、その残存形態が遺物であると述べています。

ここで麻生が述べている「原位置論」とはポンペイ前提とは異なります。広義の原位置について言及しているのがポンペイ前提(出土した時点、廃棄・残存の時点)で、狭義の原位置について言及しているのが原位置論(使用されていた時点)になります。

麻生の「原位置論」は日本における原位置についての理論的研究の端緒であるわけですが、彼によれば全ての道具、つまり遺物は原位置にないことになります。そのため原位置についての議論は構造物やその部材に対して行われるのです。

また過去に非加工の自然物が利用された場合に対する考古学者の認識についてある種の問題提起を行っています。つまり、特定の状況下において「残存物」として見出されるが故に、「部材」として認定される。しかし全く同じものでも異なる状況において「分離物」として見出されれば、単なる遺物として認定される。そして状況次第では多くの場合、遺物として認定されないことを指摘しています。

最終的には、
部材における本来の位置(原位置)とは、ある種の使用の痕跡(「使用痕」)といっていいのではないか(「第2考古学」の記事より転載)
ということのようですが、どうなんでしょう。木製の柱が出土しないマヤ地域では何とも想像しにくいです。柱穴や木製壁の痕跡の周囲に支えとして置かれる人頭大のレキ群がこの場合の部材に当たるのでしょうが、だとすると、ある種の使用の痕跡といってももちろんいいでしょう。

それで、その後この議論はどう発展するのか?……古代マヤでは柱穴遺構自体が珍しいですしね。主に石造建造物(主に切り石が使用されるので加工物です)を扱いますし。でも土製や木製の構造物もあったのは確かです。「原位置」について考察するかは分かりませんが、先の問題提起のように特殊な事例における非加工の遺物の認定方法や出土状況に基づく解釈の仕方については、今後精緻な調査による木造構造物の遺構の検出事例を増やしつつ、慎重に考えていくべきかなと感じております。( ・Д・)


3.おわりに
最後に、こんな内容になる予定ではありませんでしたが、結果、なんだか意味わからん研究ノートみたいになってしまって申し訳ないなと反省しています。まぁでも基本ニュース記事ですからね、ポンペイについても、原位置論についても今後追記・修正したいなと思っています。

あとあまりに考古学の話に踏み込むのもどうかなとも思っています。楽しく分かりやすい考古学がいいですよね!まぁでも「ポンペイ前提」は分かってもらえたでしょうか? あとかつての「ポンペイはワインとエロスの世界」だった!くらいを覚えて頂ければ、明日の話題には困らないはずです(*・ω・)ノ……あ、本来はお馬さんの話だったか( -д-)ノ

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2018ねん 5がつ 15にち(かよーび、晴れ)

動物と少し触れ合った。

アルパカはデカかった。

アルパカにもイケメンとしょぼい顔のこがいた( ー`дー´)キリッ&ショボーン(´・ω・`)

動物たちの舌がやけに肥えていることに気付いた。

負けじといいものを食べたくなった!

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↑奈良県の仏像もといタイムカプセル、中はぎちぎちです!(Japaaan Magazineの記事より転載)

【目次】
  1. 奈良県の仏像は宝箱だった!
  2. オランダの仏像は棺桶だった!
  3. おわりに ー仏像ってタイムカプセルだわ、全部調べようよ!ー

1.奈良県の仏像は宝箱だった!
奈良県、奈良市にある法華寺(法華寺)が所蔵する仏像「文殊菩薩坐像(もんじゅぼさつざぞう)」の内部に大量の納入品があることが分かりました!

この仏像は鎌倉時代の作品だそうで、頭部内に巻子(かんす;巻物)や舎利容器などの約30点、胴部には巻子を中心に約150点もの納入品が詰め込まれていたんだそうです。

そのぎっちり感はこちら↓
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↑スキャンによる断面図(プレスリリースより転載)

めっちゃ入っとる~!想像以上に詰め込まれてますよね~!オオーw(*゚o゚*)w

この仏像に対しては2012年に一次調査が行われて仏像内の納入品の存在が確認されていたそうです。2017年に大型の文化財用X線CTスキャナを用いての調査が行われ、このようなデータが得られたとのこと。

しかも造立されてから一度も開けた痕跡がないことから、鎌倉時代の貴重な資料が保管されている可能性が高いそうです。

それにしても何のために納入したのでしょうね。埋納儀礼のようなものなのでしょうか。あるいは隠して保管したかったのでしょうか。中に入れた理由とか一通の手紙でいいから、記してくれると助かるのに!( -д-)ノ


2.オランダの仏像は棺桶だった!
さてさて、仏像に対してX線分析やCTスキャンをかけた事例は他にもあるのです。それがオランダ、ドレンテ博物館に所蔵されている仏像です。

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↑仏像の内部に人の骨格が見えます(「カラパイア」さんの記事より転載)

仏像にCTスキャンにかけたところ、仏像の内部に1100年前に死亡したとされる僧侶のミイラが入っていることが分かったのです。

このミイラは位の高い僧侶のものとされており、瞑想を続けて絶命しミイラになった即身仏を銅像に入れたのではないかと考えられているそうです。

すごいですよね、仏像はもう棺桶ですよ。まぁ即身仏を銅像に入れたという表現が適切かは分かりませんけど、棺桶って色んなサイズを作っておいて故人の身長に合わせて適切なのを選びますし、時に故人に合わせてオーダーメイドしますよね。

画像をみたところかなりジャストフィットしてますから、ミイラ化した即身仏に合わせて仏像を造立させたんでしょうね。そうだとすると、入れたというよりは覆ったという方が適切かもしれません。瞑想する姿を未来永劫に残して、より高い位の僧侶や仏陀になることを願って行った行為のように感じますね。


3.おわりに -仏像ってタイムカプセルだわ、全部調べようよ!-
仏像の歴史は非常に古いのです。さらに仏教って偶像崇拝を禁止してませんので、世界中に多量の仏像が現存しています。

しかしこのようなスキャンによる内部の確認は、これまでほとんど行われていないそうです。だとするとこれからもっともっとこのような事例が発見されることが期待できます。

もちろん宗教上の問題として、すっと分析させてくれないかも知れませんが、遥か古の先達者の残した奥義、秘儀があるかも知れないとしたら、分析させてくれるかも知れません。

とりあえず博物館所蔵の仏像を片っ端からスキャンして、事例を増やし周知させることが重要かも知れませんね。中の巻物等の保存状態が気になるところではありますが、仏像の歴史的価値がうなぎ登りの予感です。

古代の仏像がタイムカプセルとして周知される日も近いかも知れません!

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