あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

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    2019ねん 5がつ 11にち(どよーび、晴れ)

    なんだか最近、体調が悪いなと思っていた。

    ふと枕を変えてみたら、劇的に快復した気がする!

    気のせいだろうか!?( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは、以前の記事における『古典期後期(CE600-900)の土製人形の製作工房がマヤ考古学史上初めて見つかったよ!』って内容を確認したよって話です(*・ω・)ノ


    ↑ほとんど同内容ですけどね、混乱っぷりが分かる!( ・Д・)


    さて、前回の記事で、混乱がありましたが、原文に当たりまして原因が分かりました!

    やはり予想通り、最初に参考にした記事が間違っていたようです。

    グアテマラ南部の山岳地帯を「南部高地」と呼んでいますが、その中における『コバン市での土製人形製作工房の発見』の記事と、『グアテマラ市における大量の土器破片資料の廃棄』に関する記事を混同して書いていたようです。

    恐らく参考にした海外の記事の執筆者は、土製人形の製作工房と同定された遺構から大量の土器破片資料が確認されたことを強く意識したために、現代の考古学者による大量の土器破片資料の廃棄の写真を発掘調査で出土した資料と間違えたのでしょう。

    まぁ専門からすれば、前の記事の最後に書いたように、出土した資料と新しく廃棄した資料の違いは明確なのですが( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    まとめると、私が参考にした記事は、本来2つの異なる記事を混ぜてしまっていました。


    【元の記事の種類】
    記事A:コバン市における土製人形の製作工房の発見
    記事B:グアテマラ市、カミナルフユ遺跡の紹介と現代の考古学者による土器資料の大量廃棄に関する記事

    【予想される混同の原因】
    ①両者とも大量の土器破片資料について書いている。
    ②両者ともマヤ文明、古典期に関する内容である。
    ③両者ともグアテマラ国内における話である。
    ④両者とも同時期のマヤ高地における話である。


    ということで、今回は記事毎に整理して簡単に紹介します(*^・ェ・)ノ


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    記事A:史上初!マヤ高地にて土製人形の製作工房が検出された!

    グアテマラ、アルタ・ベラパス県のコバン市に所在するアラゴン遺跡で土製人形の製作工房が検出されました。

    この遺跡は私有地にある遺跡であり、新たな建物を建設する工事によってマウンドを削ってる最中に見つかりました。

    マウンドとは昔の建造物が崩れて時間が経過したことで土を被った遺構で、マヤ地域の場合は多くの場合、丸みを帯びた長方形の「土饅頭」のような状態になっています。

    日本には文化財保護法がありますので、新たな建設工事の際は届け出が必要であり緊急調査がなされるわけですが、海外では多くの場合そのように保護されていません。

    大体の場合は近現代の工事によって遺跡や遺構は破壊され、出土した遺物は個人のコレクションになったり、売り飛ばされたり、そのまま破壊・廃棄されたりします。

    今回のケースでは工事の主体者がアメリカ人マヤ考古学者の友人だったようで、工事中に多量の土器破片資料が出土したことから連絡を取ったそうです。

    検出された土製人形の製作工房は工事によってかなりの部分が破壊された後でしたが、それでも数千点に及ぶ土器破片資料と、400点以上の土製人形や人形の「型」の資料が出土しました。



    出土した土器破片資料の分析から、帰属時期は750~900 CE、古典期後期後半と推定されています。

    古代マヤ文明にはマヤ文字を刻んだ石碑がありますが、経済に関する情報は含まれていません。

    そしてこれまでに古典期に属する明確な土器やその他の土製品に関する製作工房は検出されておらず、重要な発見と言えます。

    私も土器経済を明らかにし、そして碑文研究で示される都市国家間の政治的関係との相関性について明らかにしたいと考えていますが、今後マヤ文明における古代経済について少しずつ解明されていく予感がしますね(・∀・)つ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    記事B:現代の考古学者によるカミナルフユ遺跡における多量の土器破片資料の廃棄


    この記事の舞台はグアテマラの首都、グアテマラ市にあるカミナルフユ遺跡です。

    グアテマラ市(以下、グアテマラシティで記述)は、コバン市よりも約89km、南側のより標高の高い地点に位置しています。

    この遺跡は元々は巨大な湖の周辺に栄えた大都市でしたが、近現代における首都の成長と共に大部分が消え去ってしまいました。

    上に挙げた2枚目の写真のように、一部が遺跡公園として保存されており、その周辺はすぐに住宅街となっています。

    遺跡公園にはJICAの協力で建設された小規模の博物館の他、上に挙げた写真に見られるような古代マヤ文明の建造物が見られる展示があります。

    またカミナルフユ遺跡の他の一部であるミラ・フローレス地区は、その名の通り「ミラ・フローレス」と呼ばれるショッピングモールに残っています。

    そこでも小規模の博物館の他、神殿マウンドが展示されています。

    両者とも規模は小さいですが、比較的新しい建物であることもあり綺麗です。

    そして展示されている遺物も展示方法も素敵です(・∀・)つ

    グアテマラでもお金のあるところにはあるんですけども、メキシコ等と比較すると文化遺産活用はまだまだですし、所謂「貴重な・美術的価値のある考古資料」以外は一般はもちろん行政面でも興味がないようです。

    つまるところ、素敵な資料の展示ケースを買うお金やそのための広いスペースを確保するお金はあるが、分析に使用する他の多量の出土資料を保管しておくスペースを確保するお金はないということです(/TДT)/

    で、問題の写真がこれ( -д-)ノ


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    実際には日本でも土器資料は廃棄されています。

    しっかりと何をどこにどれだけ捨てたかを記録した上でですが。

    特に日本では現代の建設工事に伴う緊急調査によって日々膨大な量の考古資料が出土していますから、保管する場所に困るわけですね。

    しかし土器の数量化に関する研究や、土器胎土分析等の定量分析に関する研究、そして熊本大学の研究では土器破片資料も重要です。

    特に熊本大学の小畑教授によるレプリカ法は土器資料から新たなデータを引き出す方法として非常に面白いなと思っています。


    ↓このような研究もあります(*・ω・)ノ
    ↑良かったら併せてどーぞー( -д-)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    確かに増加し続ける全ての資料を保管するのは物理的に無理かもしれませんが努力はしたいですよね。

    少なくとも廃棄の前に、現在可能な手法によるデータの採取を全て終えてから廃棄してもらいたいな~と思います。

    実際にこのカミナルフユ遺跡で出土した土器破片資料の内、博物館にて保管できないものが、上の写真のように廃棄され始めているようです。

    蛍光X線分析装置(中古で300万円、新品で800万円くらいする( ・Д・))をゲットできれば、廃棄前に全部のデータを集成するのにな~と思う今日この頃(´・ω・`)

    研究費取れなかったら、やっぱりクラウドファンディングかな。

    その時は皆さん、応援よろしくお願いします(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    ちなみに元記事にあった1500万点という数字の出所は、50年ほど前の考古学者が推定したカミナルフユ遺跡全体から出土するであろう総土器破片資料数のようです。

    ↓捨てられる運命の土器資料からデータを引き出すための機材購入のために応援して下され!( ・Д・)↓

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    2019ねん 5がつ 10にち(きんよーび、曇り)

    散歩するとストレスが30%も減るらしい(・∀・)つ

    今日はけっこう歩いてみたから、ストレスを減じることができたはず!(・∀・)

    ……なので頭痛がする

    神経痛らしい……何故だ!?( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑札幌護国神社の本殿、立派である(。・ω・)ノ゙(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『平成最後の日に札幌護国神社に参拝して、御朱印頂いてきたよ!&鳥居のデータ取ったよ!』ってことですね。



    ↓関連記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↓
    ↑「御朱印&鳥居データ集め①~⑥」も良かったら併せてどうぞ~(・∀・)つ↑


    さて、以前に宣言していた通り、「平成最後の日」に御朱印を頂いてきました。

    GW中だし、忘れそうだな~と思っていましたが何とかなりました( -д-)ノ

    では、まずは札幌護国神社の基本データから紹介しますね。


    【札幌護国神社】
    住所:札幌市中央区南15条西5丁目
    Tel:011-511-5421
    駐車場:あり

    祭神:
    北海道開拓祭神
    各戦役戦没祭神
    公共殉職祭神
    其他特殊祭神

    創設:明治12年(1879年)

    大祭日
    合祀祭:7月5日
    例大祭:7月6日
    後日祭:7月7日

    中祭
    元旦祭:1月1日
    平和記念祭:8月15日
    除夜祭:12月31日

    小祭
    節分祭:2月3日
    月次祭:毎月1、10、20日
    日供祭:毎日午前7時
    命日祭:月次祭後、午前11時より繰上げ執行

    特殊神事
    大祓式:6月30日、12月31日
    彰徳苑みたま祭:6月第1土曜日


    さて、では頂いた御朱印のご紹介を( -д-)ノ


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    ↑札幌護国神社で頂いた御朱印、左は同神社内の彰徳苑の御朱印(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑札幌護国神社で頂いた神社情報(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑境内にある趣ある建物(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑敷地内はかなりの規模の広場になっている(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑本殿に入る門(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑春を感じますね~ヾ(´ω`=´ω`)ノ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑大小様々のたくさんの慰霊碑・記念碑がずらーっと並んでいました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑本殿前も大きな空間が広がっています(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑札幌護国神社の本殿(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、札幌護国神社は中島公園の南側に位置しています。

    道路は挟みますが、中島公園を抜けてそのまま散策できるコースになっています。

    境内はすごく広いです!

    境内には多賀神社と彰徳苑があり、そのため3種類の御朱印を頂くことができます。

    (多賀神社については次回紹介しますね( -д-)ノ)

    前回、烈々布神社の御祭神の数は9柱で、北海道で最も御祭神の多い神社として紹介しました。

    しかし札幌護国神社は各戦役戦没祭神、公共殉職祭神、其他特殊祭神を祀っているため、合計25549柱の神々を祀っているそうです。

    桁違いの多さですねΣ(・ω・ノ)ノ

    札幌護国神社の社務所は本殿に向かって左手に進んだ先にあります。

    社務所だけではなく境内内の全ての建物が木造で、非常に趣を感じました。

    社務所の入り口にかかっている古い裸電球が特によい感じでした(・∀・)つ

    さて、御朱印の初穂料は300円でした。

    先に述べたように3種類の御朱印を頂けるので計900円です。

    また札幌護国神社のオリジナルの御朱印帳がありました!

    靖国神社・護国神社の御朱印帳も販売していたので、2種類の御朱印帳を購入することができます。

    また他の神社と違って、自らの神社を紹介するパンフレットがなく、代わりに縦に長い神社情報を記した紙がありました。


    頂いた御朱印は、春だからでしょうか、桜のスタンプがありました。

    緑色のスタンプや、彰徳苑の紫色のスタンプもあるためこれまで頂いた札幌における御朱印の中ではカラフルな部類に入ると思います!(*・ω・)ノ


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    ↑旧校舎のようにも見える社務所、平成最後のせいか人が多かったです(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑やはり「旧校舎」っぽい!(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑社務所の入り口にある古めかしい電球(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑様々な品が販売されています(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑オリジナルの御朱印(「歩け、マヤ」管理人撮影)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    ところで、札幌護国神社には駐車場があります。

    車で入れるのは神社の東側、豊平川方面からのルートになります。

    徒歩で来る場合は、車と同様のルートの他、中島公園側から入ることができます。

    全体的な敷地はとても広いのですが駐車場はさほど広くありません。

    それでも車を10台近くは停めれると思います。

    「平成最後の日」だからでしょうか?

    参拝客が非常に多く、駐車場もいっぱいでした。

    ご結婚された方が境内で着物姿で記念写真撮影されていたりもしていました。

    もしかしたら普段も祭事やイベントで駐車場は混み合っているかも知れません( -д-)ノ


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    ↑入り口の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑入口の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑入口の鳥居の建立年情報(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、今回も鳥居のデータを取得してきました。

    札幌護国神社には鳥居が3基、建立されていました。

    多賀神社については次回に紹介しますので、今回は2基の鳥居について紹介します!

    それでは順に鳥居のデータを紹介していきます。


    【札幌護国神社 / 正面入り口の鳥居】
    ①建立:1934年
    ②素材:花崗岩製
    ③高さ:約6m
    ④直径:53cm
    ⑤角度:斜め(傾斜角2度)
    ⑥下部構造:丸み台石(薄い)


    *(上記赤文字部、修正しました!ご指摘ありがとうございました(*_ _)ペコリ)

    正面の鳥居は花崗岩製の大きな鳥居でした。

    高さの割にはやや柱が太いなという印象です。

    また特徴として台石が非常に薄いものでした。

    丸みを帯びていることから、非常に薄い饅頭とも言えそうな中間的形態です( -д-)ノ

    今後の調査でも、こういった台石構造の事例が多く見つかれば、名前を別途付けて分類した方が良いでしょう。


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    ↑中島公園側の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑鳥居の建立・奉納年月日の情報(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    【札幌護国神社 / 中島公園側の鳥居】
    ①建立:2001年
    ②素材:金属製(中空構造)
    ③高さ:約4.7m
    ④直径:36cm
    ⑤角度:垂直
    ⑥下部構造:台石(大きい、台座状)


    中島公園側に建立された2基目の鳥居は金属製でした。

    台石は大きいものでした。

    前回のものと同様のグループとして「台座」という下部構造枠を作っても良さそうですね。

    今回のケースでは階段の段差との関係も考慮しなければならないのかなと思っています。

    ということで分類枠を増やすのはもう少し事例が増えるまで待つことにします( -д-)ノ


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    ↑札幌護国神社で売っていた御朱印帳のひとつ

    *これは印字されている通り、靖国神社と全国の護国神社用の御朱印帳だそうです。

    内面の各ページには全国の御朱印を押せるように、それぞれの神社の名前が書かれています。

    つまるところ、「靖国神社、護国神社に対する全国スタンプラリー台紙のようなもの」です。

    自由に任意のページに任意の神社の御朱印を頂く、通常の御朱印帳とは異なりますのでご注意ください!(*・ω・)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    今回はGW中ということもあり、たくさん散歩して、色々と写真を撮りました。

    なので写真が盛り沢山になってしましましたね( -д-)ノ

    さて、御朱印集めものんびりと進み、今回で参拝した神社は7社目です。

    実はまだ鳥居のデータの整理はしていません。

    10社目を巡り終えた時点で一度、鳥居にに頭の傾向がないか確認してみようと思います!

    これまでのところ、一つの神社に複数の鳥居がある場合、様々な種類の鳥居があるなという印象でした。

    以前にも書いたように、これは鳥居の形態と神社の御祭神が無関係であり、奉納者の好みによるとの先行研究の記述を表すと思っていました。

    ・・・・・・それにしてもバラバラ過ぎない?

    わざと色々な種類の鳥居を設置していない?

    そのような気がしてきた今日この頃です(*^・ェ・)ノ

    さて、次回は同じく「平成最終日」の札幌護国神社内の多賀神社、そして「令和初日」の札幌祖霊神社を紹介しようと思います。

    乞うご期待!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ↓御朱印集めが趣味な方、かもーん!щ(゚Д゚щ)クァモーン!↓

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    2019ねん 5がつ 8にち(すいよーび、晴れ)

    GWはかなりのんびりした。

    これから一か月休みがない( ・Д・)

    加えて今年度一本目の論文も、新しい研究の調査もある。

    上手く両立していかねば( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・



    みなさん、こんにちは。「歩け、マヤ」管理人のだんごです。

    恒例の月初め報告です!

    GWはのんびりしてブログ更新サボってました、ごめんなさい( -д-)ノ

    これからまたまったりと記事を書いていきますので、どうぞよろしくお願いしますヾ(´ω`=´ω`)ノ

    さて、ではまずデータの提示をします!


    表1. 2019年4月までの各数値の推移

    2019年4月まで表



    ということで、2019年4月の記録として、

    PV数は4000overを達成しました!

    実際、日々のPV数が安定してきたなという実感はありました。

    3000PVは維持できそうだな~って4月の初めの内から思っていました。

    でも4000PVいくとは思ってなかったですΣ(・ω・ノ)ノ

    こうなったら今月はもう1週間終わってるけども、6000PV目指して頑張りたいなと思います!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    さて、次に変化を分かり易く個別のグラフで見ていきましょう。



    2019年4月まで

    図1. 2019年4月までの属性ごとの推移


    PV数は順調に伸びていますね。

    UU数も伸びています。

    こうして見てみると、ブログ更新をほぼ放棄した2か月間以外は右肩上がりですね。

    1か月サボった時は減ってないですし、2か月サボった時も1か月目にはダメージ来てません。

    よっぽど頑張らないと急激な成長はしない代わりに、何らかの理由で暫く更新できなくてもブログって何とかなるようですね……

    (いや、もう長期的にさぼりませんけども!( -д-)ノ)

    一方で収益の方は不思議な増加傾向にあります。

    よく他サイトさんでは、3000PVで千円ほどの収益、10000PVで数千円の収益なんて書いてますけども、全然違いますよね。

    まぁ「歩け、マヤ」で利用しているライブドアブログは、ライブドアの広告が良い場所にオートで付くそうですので、そっちに収益が流れているのかも知れませんね(*・ω・)ノ


    記事数のグラフはもうむちゃくちゃです(/TДT)/

    頑張る時と頑張らない時が交互に来る性格なんだなって分かりますねヽ(TдT)ノ

    2~4月は14本程度書いてますから、忙しくとも2日に1本のペースで書けているようです。

    も~う少しね、更新頻度上げたいんですけどね。

    今月以降、「20記事/月」のペースでやっていきたいですね~(TДT)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    欲を出すと、「10000PV/月」達成したいな~。

    書きたい記事はたくさんあるんですけどね~。

    やはり何回かは集中して良い記事を量産する月が必要な気がしますね。

    それがブログの成長のためになる気がします。

    今は自分の研究のために、プログラミングや統計学の勉強をしていますが、少し手が空いたらHTML言語やってみるのもいいのかも知れませんね。

    ブログやるなら、「WordPress」がいいってよく聞きますしね。

    まぁもうライブドアブログに慣れちゃってるんで、月間PV数が10万とかで安定したら考えようかな。

    ……ん~、先は長い!( -д-)ノ

    あ!Twitterのフォロワー数500名を達成しました!

    どうか今後ともよろしくお願いいたします!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ↓登録してちょ~だいよぉ~!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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    2019ねん 4がつ 29にち(げつよーび、晴れ)

    ゴールデンウイークの間に太る予感。

    ここ2か月で痩せたのに元に戻りそう( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑カエル、かわいい!カワ(・∀・)イイ!!(「情報速報ドットコム」の記事内画像より転載)


    今日の考古学・歴史ニュースは『纏向遺跡で祭祀・儀礼に用いられたカエルの骨が見つかったよ!』というお話です(*・ω・)ノ

    さて、今回の舞台は奈良県、桜井市に所在する纏向(まきむく)遺跡です。

    ここは邪馬台国論争、畿内説で有名な3~4世紀の大規模集落跡です。

    つまるところ『卑弥呼』が収めた邪馬台国だった蓋然性の高い遺跡なのです。

    この時期には古代中国で霊力のある果物とされていた「桃」の種が多く出土する遺跡が多数見つかっており、纏向遺跡でも以前に多量のモモの種が検出されました。

    このモモの種などが多数出土した土坑内部の掘り上げ土を詳細に調べたところ、カエルの骨が100点以上含まれていることが確認されたのです。


    ↓関係する記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ
    ↑併せてどうぞ(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。
    邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。
    邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。

    邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。
    邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している
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    ↑検出された依存体の一部と該当部位(
    藤原弘
    藤原弘
    藤原弘
    「毎日新聞」の記事内画像より転載; credit: 藤原弘)



    この土坑は3世紀前半の大型建造物の傍に位置していることから、3世紀中頃までに作られたものと考えられています。

    検出されたカエルの骨は全部で117点あり、ツチガエル(94点)、ナゴヤダルマガエル(13点)、ニホンアオガエル(10点)などと計12個体分の骨を確認しました。

    それぞれのカエルの推定体長は4~7cmで同定された3種のカエルは現在の遺跡周辺では生息していません。

    しかし奈良県にある同時期のもう一つの有名遺跡である唐古・鍵遺跡ではこの3種のカエルの骨が出土していることから、当時の奈良盆地には生息していたと推定されています。

    上に挙げた写真に添えてある図面から分かるように、カエルの骨の表面にはたくさんの小さな傷があります。

    この傷は人為的に付けられた可能性があります。

    またカエルの骨の8割以上が土坑内のモモの種やその他の動植物、土器、木製品と同じ土層で見つかったことから、当時の祭祀・儀礼行為の一環として用いられ、埋められたものと考えられるそうです。

    現代の我々にはカエルと神事は結び付かないようにも思えますが、奈良県の無形民俗文化財で、舞や歌などを奉納する「国栖奏(くずそう)」という吉野町の伝統行事では現在でも神前にカエルが供えられるそうです。

    古代中国ではカエルも強い霊力を有した動物とされていたことから、モモと共にカエルが儀礼に用いられて神に捧げられたのでしょうね(・∀・)つ


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    2019ねん 4がつ 27にち(どよーび、曇り)

    GW初日、とてものんびりと過ごした。

    GW中も毎日ちょっとした仕事をすることにした。

    僅かずつでも進むのである( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは『奈良県斑鳩町の住宅街にある古墳から5世紀のミニ銅鏡が出土したよ!』ってお話です(・∀・)つ

    上に挙げた写真のように奈良県斑鳩町の住宅街にポツンと古墳があります。

    この古墳は、「甲塚(かぶとづか)古墳」と呼ばれてきましたが、実際に古墳であるのかどうかはこれまで分かっていませんでした。

    地元に残る伝承では「聖徳太子の孫の墓」とされてきたそうです。

    今回の発掘調査によって、古墳の頂上部で埋葬施設が検出され、古墳であることが確定しました。

    しかしながら出土した銅製の鏡が見つかったことから、5世紀中頃以降に造営された有力者の墓と推定されています。

    「聖徳太子の孫の墓」ではなかったのです( ・Д・)




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    埋葬施設から出土した銅製の鏡は直径約6cmという非常に小さなサイズのものです。

    3枚目の写真で分かるように、中心部にある紐を通すための半球形の膨らみ部分の周辺に3重の圏線が巡っています。

    この特徴から「重圏文鏡」という鏡だということがわかりました。

    この銅鏡の種類を根拠に古墳の建造・埋葬時期は5世紀の中頃であったと推測しています。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    小さなものが好きな私にとってはミニ銅鏡、可愛いなと思ってしまいます。

    小さいながらに精巧な作りであることがより良いですよねカワ(・∀・)イイ!!

    それにしてもこれだけの住宅街の中にひっそりとあって、よく子供たちのいたずら等で掘り起こされなかったなと思ってしまいます。

    「聖徳太子の孫の墓」ではなかったけれども、重要な人物の墓であるという伝承が古墳を守ってきたのかも知れませんね(。・ω・)ノ゙

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    2019ねん 4がつ 25にち(もくよーび、晴れ)

    右足のふくらはぎがツリ続ける病になった(ノ◇≦。) ビェーン!!

    今日、明日はめちゃ働く。

    そしてGWは酒を断って、のんびり養生することにするヽ(TдT)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは『古典期後期(CE600-900)の土製人形の製作工房がマヤ考古学史上初めて見つかったよ!』って内容です(*・ω・)ノ

    本当に久しぶりのマヤ文明ネタです。

    専門だからこそ、変なこと書けないなと自然と避けてしまっていたかも知れません( -д-)ノ

    ところで実は私は「土器製作址」を探していて、「マヤ史上初の古典期の土器焼成址を発見したよ!」って発表してるんですけどね。

    論文として公表になるのは今年(2019年)の7月です。

    あと数ヶ月でブログでも記事にして紹介しようかと思ってます。

    ……さて、今回の発見は個人的に非常に興味深いな~と、ちょっとテーマの方向性は違えど、やられたな~って感じがしています。

    もし私の対象遺跡と同じ遺跡で、先にこれだけの発見されたら、正直泣いてますね。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン


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    今回の発見の舞台は、グアテマラの首都、グアテマラシティにあるカミナルフユ遺跡です。

    元々は巨大な湖の周辺に栄えた大都市でしたが、近現代における首都の成長と共に大部分が消え去ってしまいました。

    上に挙げた2枚目の写真のように、一部が遺跡公園として保存されており、その周辺はすぐに住宅街となっています。

    遺跡公園にはJICAの協力で建設された小規模の博物館の他、上に挙げた写真に見られるような古代マヤ文明の建造物が見られる展示があります。

    またカミナルフユ遺跡の他の一部であるミラ・フローレス地区は、その名の通り「ミラ・フローレス」と呼ばれるショッピングモールに残っています。

    そこでも小規模の博物館の他、神殿マウンドが展示されています。

    両者とも規模は小さいですが、比較的新しい建物であることもあり綺麗です。

    そして展示されている遺物も展示方法も素敵です(・∀・)つ


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    さて、今回のニュースで発見されたのは「土製人形」です。

    人物や動物を造形したものを「Figurines」と呼んでおり、日本語に直訳すると「小像」でしょうか。

    実際にめちゃくちゃ大きいサイズの土製像が後古典期(CE900~1521)のメソアメリカ美術様式には見られますが、古代マヤ文明では小サイズのものばかりですので個人的には「小像」で良いかと思います。

    日本では土製の偶像ということで「土偶」という名称が聞き慣れていると思いますが、イメージが大きく異なるので本記事では「土製人形」と表現することにします。

    上に挙げた写真のように古代マヤ文明の土製人形は丸みを帯びた造形のものが多いです。

    この写真の資料は丁寧に磨かれていますが、粗雑に作られた資料も数多く見つかっています。

    一方で2枚目の写真に見られるように、古典期後期にハイナ島で生産された土製人形は非常に精巧な作りであることが特徴的です。


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    上に挙げた写真の内、2枚目は明らかに「型」ですね。

    1枚目は実見として押してみたものなのでしょうか。

    これだと型取りにならないですよね( ・Д・)

    でも焼成しているように見えるんだよな(`・ω・´)

    ・・・さて、参考にしている元記事がコバン市における土製人形の「型」を含む大量の土器破片資料の出土について書いているのですが、すぐにカミナルフユ遺跡の話になるのです。

    両方ともマヤ高地だし、距離的にまぁまぁ近いとは言え、けっこう離れています。

    遺跡としては別物です。

    これは元記事書いた人が間違えているのか、私の訳がおかしいのか(斜め読みしてます(´・ω・`))・・・

    なんだか、やな予感がします。


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    原文はサイエンス誌に掲載されたようで、膨大な量の土器資料は1つのマウンドから1立方フィートの土壌あたり7000点の破片が発見されたそうです。

    さらにマウンド全体では500000点の未使用の土器の残骸を含む合計1500万点の破片が含まれているそうです。

    サイエンス誌に載ったとは言え、「未使用の土器」ってどういうこと?

    てかこの写真何!?

    完全に新しく捨ててるよね!?( ・Д・)

    ちょっとサイエンス誌の原文読んで、事実確認し、次回報告します( -д-)ノ

    ↓こんな終わり方ですみまてん( ・Д・)↓

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    2019ねん 4がつ 19にち(きんよーび、晴れ)

    春はいいね~(・∀・)つ

    モチベーションも高いし、暖かいし……何より眠い!(・∀・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑烈々布神社の本殿、写真が斜めってる( -д-)ノ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『烈々布(れつれっぷ)神社に参拝して、御朱印頂いてきたよ!&鳥居のデータ取ったよ!』ってことですね。



    ↓関連記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↓
    ↑「御朱印&鳥居データ集め①~⑤」も良かったら併せてどうぞ~(・∀・)つ↑



    さて、「歩け、マヤ」管理人の川砂サンプル取得の旅も今週末でひとまず終わりです!

    論文あるいは研究ノートとして考古学系の雑誌に投稿しようかなと思っているので核心には触れませんがどんなことしようとしてるのかについて近い内に記事にしますね!(*・ω・)ノ

    ということで来週から……といってもゴールデンウイークか!

    週末の定期的な御朱印集めはどうやら再開できそうです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    では、本題に戻りまして、まずは烈々布神社の基本データから紹介しますね。


    【烈々布神社】
    住所:札幌市東区北42条東10丁目1-11
    Tel:011-711-9773
    駐車場:あり

    祭神:
    天照大神(あまてらすおおかみ);森羅万象を守護
    大巳貴神(おおなむちのかみ);産業隆昌
    埴安姫神(はにやすひめのかみ);火難除け
    少彦名神(すくなひこなのかみ);病気平穏
    菅原道真公(すがわらのみちざねこう);学業成就
    誉田別尊(ほんたわけのみこと);繊維業振興
    倉稲魂神(うかのみたまのかみ);商業繁盛
    三吉大神(みよしのおおかみ);勝利を守護
    崇徳天皇(すとくてんのう)

    創設:明治22年(1889年)

    宵宮祭:9月14日
    例祭:9月15日


    さて、では頂いた御朱印のご紹介を( -д-)ノ


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    ↑烈々布神社で頂いた御朱印とパンフレット(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑烈々布神社の本殿(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑力強い印象の社務所!(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑社務所の脇に授与所が付随しています(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、タイトルにもあるように烈々布神社の名称の読み方は『れつれっぷ』です。

    北海道は難読漢字の地名が多いですが、アイヌ語由来の名称に漢字を当てているからですね。

    この烈々布神社の名称の由来もアイヌ語であると考えられています。

    この烈々布神社の御祭神の数は9柱で、北海道で最も御祭神の多い神社として知られています。

    烈々布神社の社務所は本殿の右手にあります。

    近代的な立派な造りですが、木製の装飾が良い感じのアクセントになっています。

    社務所の入り口の隣には授与所があり、ここで御朱印を頂くことが出来ました。

    思えば、これまでの神社は全て社務所の内部で御朱印を頂くスタイルでした。

    冬にはかなりの雪が降る北海道ならではなのでしょうが、そういう意味でもこの烈々布神社は珍しいのかも知れません。

    ちなみに烈々布神社のオリジナルの御朱印帳はないようです。

    また他の神社と違って、自らの神社を紹介するパンフレットがありませんでした。

    上に挙げた写真で分かるように、「水樹奈々さんがトークエッセイを書いている神社本庁のパンフレット」と、「神社探訪」という石狩管内神社ガイドマップを置いていました。

    特に神社ガイドマップは嬉しかったです。

    今後の神社巡りに役立つアイテムですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    御朱印の初穂料は300円でした。

    頂いた御朱印はシンプルで、ドン!と力強さを感じるような印象です。

    個人的には「the御朱印」だなと思いました( -д-)ノ


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    ↑入口にある烈々布神社の石碑(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑御祭神の一覧(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑正面入口からの様子、広い!(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑境内にもかなり広いスペースがある(「歩け、マヤ」管理人撮影)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ところで、烈々布神社には駐車場があります。

    烈々布神社には三つの入り口があります。

    正面入り口、裏手の入り口、中央口です。

    この内、中央口は車用口で上に挙げた最後の写真の広いスペースに入るためのものです。

    さて、私達一般車を停めるべきは、本殿に向かって左手にある裏手の入り口の傍にある駐車場です。

    かなり広く、車が14~19台は停めれます。

    ただ駐車場の一部にプレハブを設置しており、現在も簡易式トイレを設置している最中でしたから、駐車場のスペースが減ってしまう気もします。

    それでも10台以上は停めれますので問題ありません(。・ω・)ノ゙


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    ↑例によって神社内から撮影した入り口の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑入口の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    さて、今回も鳥居のデータを取得してきました。

    烈々布神社には鳥居が3基、建立されていました。

    それでは順に鳥居のデータを紹介していきます。


    【烈々布神社 / 正面入り口の鳥居】
    ①建立:1989年
    ②素材:金属製(内部はコンクリート)
    ③高さ:約7m
    ④直径:45cm
    ⑤角度:垂直
    ⑥下部構造:台石(大きい)


    正面の鳥居は金属+コンクリ製の大きな鳥居でした。

    この『ドラム缶式鳥居』(勝手に名付けてみた)は今のところ札幌、北海道の神社ではよく見る構造です。

    ドラム缶を継いだような外見になっていて竹のような節が見えること、表面が薄い金属板で内部がコンクリートで充填されていることを特徴として一時的に命名しました。

    川砂の採取で道南を走っていた時もけっこう見かけています。

    また特徴として、台石が非常に大きく、これまでに見てきたものを台石とするならば、これは台座と言っても良いくらいのサイズです。

    今後の調査でもしこういった大型の台石構造の事例が多いのであれば、名前を別途付けて分類した方が良いかも知れませんね。


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    ↑本殿の正面の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑鳥居の建立・奉納年月日の情報(「歩け、マヤ」管理人撮影)

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    ↑本殿正面の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    【烈々布神社 / 本殿正面の鳥居】
    ①建立:1951年
    ②素材:花崗岩製
    ③高さ:約3.5m
    ④直径:28cm
    ⑤角度:斜め(傾斜角2度)
    ⑥下部構造:台石+饅頭


    本殿のすぐ近くに建立された2基目の鳥居は花崗岩製でした。

    今のところ、材質の問題もあってか花崗岩製の鳥居は数が少なく、またサイズが小さい傾向にありますね。

    もっともっとデータが集まってきたら、そういった傾向が明確になると思います(。・ω・)ノ゙


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    ↑裏手の入り口にある鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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    ↑裏手の鳥居の建立・奉納年月日に関する情報と下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


    【烈々布神社 / 裏手の鳥居】
    ①建立:1989年
    ②素材:金属製(中空構造)
    ③高さ:約3.5m
    ④直径:28cm
    ⑤角度:垂直
    ⑥下部構造:台石


    さて、3基目の鳥居は金属製でした。

    中空になっている鳥居としてはこれまでで初めての事例です。

    烈々布神社は、以前に取り上げた三吉神社の分祀として1889年に建立されています。

    平成元年(1989)はちょうど鎮座100周年記念ということで、入り口の鳥居とこの裏手の鳥居が新しく建立されたようです。

    三吉神社にある2基の鳥居と見比べてみましたが、目立った共通点がない!

    やはり鳥居は御祭神等とは無関係で、奉納者の趣向によるのでしょうかヽ(TдT)ノ

    まぁそう言われているのだから、そうなのでしょうが、反する傾向が見られたら楽しいなとつい思っちゃいますね(・∀・)つ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    あ、前回、メモ帳を紛失したせいで不備のあった北海道神宮頓宮のデータも加筆修正しておきました!

    平日の昼間なのに、スーツ姿の女性がたくさん来ていましたね。

    中には議員さん風の方も……

    ちなみに御朱印を頂いてる方もちらほらと見かけます。

    「歩け、マヤ」の御朱印情報は鳥居のデータが中心ですが、実は『駐車場のデータ』にも力を入れています(気付いていましたかね( ・Д・))。

    やはり北海道は広いですから、神社巡りには車が必要になるケースも多いと思います。

    その一方で神社に関しては駐車場の有無って意外に情報がないな~と思うので駐車場を気にするようにしています。

    私のように車で神社巡りをする方のお役に立てれば幸いですヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ↓御朱印集めが趣味な方、かもーん!щ(゚Д゚щ)カモーン!↓

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    2019ねん 4がつ 17にち(すいよーび、晴れ)

    研究機材が欲しい……

    やはりクラウドファンディングか!?( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    元記事: hitkno.com; *インドネシア語サイト)


    さて、今回の考古学・歴史ニュースは『Twitterで話題のインドネシアで見つかった古代のガンダムみたいな石像が本物かどうかについて考えてみたよ!』ってことです(*・ω・)ノ

    上に挙げた画像の通り、見た目は完全にガンダムですね。

    昔、「ガンダムSEED」とか好きだったんですけどね。

    このガンダムは知りませんでした。

    このガンダムは2007年に放送された「機動戦士ガンダム00」に出てくる「GN-001ガンダムエクシア」という機体だそうです。


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    ↑比べてみると確かに似ている(「はちま起稿」の記事内画像より転載)



    問題の石像はインドネシア中部、ジャワ州のスマランにあるニャマトで見つかったそうです。

    地元の人たちはこの石像がマジャパヒト王国時代に作られたと言っていたそうです。

    しかしながら、ガンダムそっくりであることから、GN-001ガンダムエクシアがアニメで登場した2007年に作られたガンダムエクシアの石像が2019年に苔むしている可能性は否定できないとも地元メディアは冷静に書いています。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ちなみにマジャパヒト王国は1293年~1478年にジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国だそうです。

    本当にその時代に造られたものなら500~700年も経過していることになりますΣ(・ω・ノ)ノ

    さて、このガンダムの像が本当にそれほど過去のものなのか、あるいはある種のフェイクのような現代の作品なのかについて検討してみます。


    ポイントは3つあります。

    ①石像である(素材が石材である)
    ②コケが生えるのにかかる時間
    ③インドネシアにおける伝統的モチーフと造形の特徴との違い

    さて、それぞれを見ていきましょう!(*・ω・)ノ



    ①対象が石像である点

    学生時代にひたすら年号を覚えてきたせいか、「歴史」と聞くと何でもかんでも時期が分かっている気がしますよね。

    まぁ歴史時代であれば、様々な事柄が暦年や日付レベルで分かると思います。

    でも考古学が扱う「モノ」に関しては時期を判定するということ自体がなかなかに難しいことなのです。

    とは言っても、普段の記事で「○○○○年前の墓!」とか書いてるじゃないか!と思われるかも知れません。

    基本的にはこれまでの研究の積み重ね、多くの場合は土器編年研究によって時期が判定されます。

    この場合は当然ですが土器が出土しなければなりません

    また炭素年代測定法も近年は活躍していますが、これも炭化物が検出されなければなりません。

    今回のケースではどちらもありませんね( -д-)ノ

    さて、ここまでの話で「石」に関する話が出てきませんでしたが、というのも石材を対象とした時期判定は非常に困難なのです。

    地質学では母岩の年代が判定されていますが、石材として切り出してしまっては話が異なります。

    例えば、古い地層から石を取り出してきて自分の名前を刻んだとしても、あくまでそれは現時点で彫ったのであって、その作品が古い地層の年代に作られたものになるわけではありません。

    つまり特殊な事例を除き、基本的に石材の加工時期の判定は難しいのです。

    逆に言えば、フェイクでオーパーツを作るには石材は最適ですね。

    これが土器や絵画だと形態や炭化物、モチーフ、塗料の原料等の諸分析からすぐにフェイクとバレてしまいますから(/TДT)/




    ②コケは長く経過した時間の判定基準になるか?

    結論から言ってなりません。

    一時期流行った(今も?)苔テラリウムを考えれば分かりますが、苔を人為的に載せれば苔は育ちます。

    僅かな土壌ごと石材に載せてしまえば、インドネシアの熱帯性気候における大気中の水分でも十分に育ちます。

    降雨も多いですから、石材からもぐいぐいと水分を吸収できます。


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    ↑プランバナン寺院の石像(「LINEトラベル」の記事内画像より転載)

    ③在地の美術伝統とガンダムの造形特徴の比較

    著作権フリーな画像が全然見つからなかったため、適切な画像を集めることができませんでした( ・Д・)

    ま、しかしながら、マジャパヒト王国はヒンズー教国ですから美術様式もヒンズー教のそれなのだと思います。

    正直言って、そんなにガンダムみたいな石像がゴロゴロしてたら、もっと早い時点で既に話題になっているはずですよね。

    インドネシアは人類学研究の対象地域として昔から頻繁に取り上げられる地域ですから(。・ω・)ノ゙

    さて、美術様式以外にも不可解な点があります。

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    ↑再掲(同上)


    一般的な石像は、腕が身体とか頭部に接続しているものです。

    丸彫りにせよ、その方が造り易いし、強度も保証されるからです。

    時に、このガンダムのように脇が開くようなモチーフのものもありますが、その場合は何かしらの特殊なポーズ(宗教的な、あるいは芸術的な)を取るために敢えてそのようにしています。

    では、このガンダムの場合はどうでしょう?

    無駄に脇が開いています( ・Д・)

    このポーズの意味は「より一層、ガンダムのように見える」しかないように思えます。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    さて、個人的にはガンダムは好きだし、こういうのもいいですよね。

    今ある現代作品としてのガンダムもいずれこのようになるのかも知れないと思うと感慨深いものがあります。

    「時を感じるアート」としていいな~と思います。

    (もし今後、ガンダム的遺物が多数発見されて、新しく認定される古代文化であることが分かった場合はごめんなさいヽ(TдT)ノ……でも、今のところ、限りなく黒に近いと思います(TДT))

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    最近、一週間が早い。

    片っ端から書類を書き上げないとあっという間に締切が来るヽ(TдT)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは『3800年前の古代エジプトでは船もお墓に埋葬したよ!』ってお話です(*・ω・)ノ

    遺構の発見自体は1901年のことで、今から100年以上も前になります。

    しかし発見当時の調査の際に、お墓の天井が崩れてしまったために発掘調査を中断したという経緯があります。

    そして100年以上経った現在、高い技術と慎重な調査によって3800年前の船の墓が露わとなったわけです(・∀・)つ


    ↓船と言えば、こんな話題もありましたね(*・ω・)ノ
    ↑併せてどうぞ!(*^・ェ・)ノ


    発見の場所はナイル川西岸に位置する古代エジプトの聖地アビドスです。

    発見された「船の墓」は日干し煉瓦(アドベ)で造られていました。

    この日干し煉瓦製の壁を白色塗料でコーティングし、その上から刻線によって、最初に挙げた写真に見られるような船の絵を描いています。

    墓の規模は長軸20m、短軸4mと大きなものです。

    その長大な壁面に描かれた船の数は120隻以上ということで、「大船団」を描いているようです。




    発見された船の墓は古代エジプト第12王朝のセンウセレト3世(Senusret III)の王墓のすぐ隣に位置しています。


    このセンウセレト3世は中王国の最盛期のファラオであり、船の墓は紀元前1840年頃に彼のために建造のものだと推測されています。


    これまでにアドビス遺跡では5000年前に造られた14隻の木造船が発見されています。

    どれも古王国時代、第1王朝時代の葬祭殿の外側に並んだ日干し煉瓦製の遺構で見つかっていることから、今回の発見は古代エジプトの最古の王朝まで遡る伝統であると考えられます。

     

    「ギザの三大ピラミッド」で有名なピラミッドの建造はちょうどセンウセレト3世の頃までの風習で、その後は新王国時代のツタンカーメン王墓に代表されるような「王家の墓」にひっそりと隠されるように埋葬される習慣になります。 





    ピラミッドも造り、自分の墓も造り、エジプトでは貴重な木材を多量に使って建造された船を殉葬させる辺りがセンウセレト3世の中王国の最盛期のファラオとしての権威の強さを象徴しています。

    上に挙げた写真は新王国時代の王墓から出土した船の模型です。

    センウセレト3世の王墓に伴う船のお墓には船の実物が埋葬されていましたが、盗掘にあって船が残っていないようです。

    貴重な木材ですから盗掘に合うのも仕方ないのかも知れません。

    だからひっそりと隠すように王墓を造るようになったのでしょうね。

    安らかに眠っていたいですからねヽ(TдT)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    古代の船って木製だし、普通はなかなか残らない遺物の部類に入ると思っています。

    でもバイキングが船を棺にした話やら、水中考古学で発見された船の話やら、けっこう船に関係する話が世界的には見られるんだな~と最近分かってきました。

    考古学の中には比較考古学という手法(研究法あるいは分野)もあります。

    船に限った話ではありませんが、やはり色々な事例を知っておくことは調査や解釈などの際にいつか役に立つような気がしますね(*・ω・)ノ

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    2019ねん 4がつ 16にち(かよーび、晴れ)

    色々なものに手を出し過ぎているせいか、終わらん!

    平成最後の気合いで頑張り抜きたい!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    今回の考古学・歴史ニュースは『ノルウェーで、バイキング王の棺として船を地中に埋めちゃった墓が見つかったよ!』ってことです(*・ω・)ノ

    発見の舞台はノルウェーです。

    首都であるオスロの近郊に走る「道路のすぐ近く」で見つかりました。

    上に挙げた写真のように、調査グループは農作業に使うような小型トラクターの前方に地中探査レーダーを取り付けて走らせました。

    トラクターの奥に見える小高い丘が墳丘であり、その周辺を探査したのです。




    上の写真の黒っぽく見えている部分がレーダーで探査したエリアになります。

    こう見ると本当に主要幹線道路のすぐ傍に位置しているのが分かります。

    レーダー画像と航空写真(たぶんドローンの写真)を組み合わせた画像です。

    右下の大きな赤丸部が、最初に挙げた写真にあった墳丘です。

    中央部には他にも赤丸部がいくつかあってそれぞれがお墓です。

    元々は塚状だったようですが、現在は現地表面が平らにされています。

    一方で黄色の長方形部は建造物址です。

    そしてちょうど中央付近にある赤丸部の中に緑色の木の葉形が見られる箇所が今回の重要な発見箇所です。
    この赤丸部&木の葉状部分を拡大した地中レーダー画像がこちらです。

    もうお気付きのように、木の葉状部分が埋められたバイキング船で全長は約20mです。

    けっこう長い細長い船ですが、「ロングシップ」というそのままな感じの名称のバイキングの船だそうです。

    船は現地表面から僅か61cm程度の位置に埋まっていることが分かりました。

    農作業といった近現代の人間活動による攪乱で壊されずによく残ったなという印象ですね!(*・ω・)ノ

    また地中探査レーダーのデータから、かなり保存状態が良さそうなことが分かっています。


    発掘調査は破壊の側面もあります。


    一度土から出してしまうと木製の遺物は一気に腐敗することもあります。


    そのため船を取り出すような発掘調査はひとまず行わずに、レーダー等を用いた周辺の状況の記録を優先していくそうです。








    さて、ノルウェーではこれまでに発見されている保存状態の良いバイキング船(ロングシップ)は3隻のみだそうです。

    ですので、今回のはとてもレアな発見になります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    見つかった船の帰属時期は不明ですが、その形態から恐らく1000年以上前のものと推定されています。

    今後の調査で船を発掘調査し、船体に使われた材木を分析することでより正確な年代が判明するでしょうね。

    今回発見された船はバイキングの王または女王の墓として使われたと考えられており、バイキング船を使った墓としては最大級だそうです。

    20mもある船を海から引き揚げて、内陸部まで運んだわけですから、単純に豪華な棺を作るよりも大変だったかも知れません。

    「海に生きる者として船と共に眠る」というのは、何だか現代の私達にとってもカッコイイな~と、往時のバイキング王の力強さを感じてしまいますねヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ↓やっぱ一度は王墓を発掘してみたい!(*^・ェ・)ノ↓

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