2018ねん 7がつ 31にち(かよーび、晴れ)

最初は下手なもの書けないなと、とてもプレッシャーだったが、

気付けば、面白おかしく記事を書くことに喜びを感じている。

相変わらずのんびりだけど、

しっかり継続していきたいと思う今日この頃(*・ω・)ノ


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今回紹介するのは、エジプトのアレキサンドリアで発見された巨大な黒い石棺に関係するお話です。この石棺は長さ2.7m、幅1.5m、高さ1.8mという通常より大きなサイズあり、花崗岩製なのですが見た目が真っ黒なのが特徴です。


周辺で出土した遺物から、石棺の帰属年代はおよそ2000年前と推定されていました。そのため当該地域をアレクサンドロス3世が征服した紀元前332年以降のものである可能性が高く、もしかするとアレクサンドロス3世本人の棺かも知れないと期待される声もありました。


しかしこの石棺の近くには男性の頭部を模った石膏像がある他には金石文などの決定的に重要な情報を有する遺物が見つかっていませんでした。


一般誌等の噂としては、これこそがアレクサンドロス3世の棺であり、開ければ呪いが解き放たれるとの情報も流れていました。「歩け、マヤ」でも以前に扱ったツタンカーメン王墓発掘にまつわる「ファラオの呪い」の最新バージョンですね( ・Д・)


【いにしえの呪い】国宝展示ケースから有害ガス!&ツタンカーメンの呪いとマヤの呪い【文化遺産保護】


まぁ考古学者は例え呪われようとも、せっかく見つけた棺を開けないわけないので、彼らもやっぱり開けてみたのです。エジプト考古省の発表によると、中に納められていたのは将校と思われる3人分の人骨だったのです。この内の一人は頭蓋骨に矢による傷が見受けられたそうです。


古代エジプトでは紀元前3000年頃から始まったミイラ作りがずっと盛んで、アレクサンダー大王がファラオとなった時期(紀元前4世紀頃)もまだキリスト教が浸透(後5世紀頃)しておらず、ミイラ作り文化は残っていました。


ミイラは場所を取るし、残るし、墓の再利用は禁じられていたため、すし詰め状態の共同墓地も多数存在していた時代です。


この石棺に納められた3人の将校も、もしアレクサンダー大王の部下であるならば、有名なガザ包囲戦等で戦死した後にまとめて埋葬されたのかも知れませんね。


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↑発見された石棺、中の様子、黒い液体、臭いなってきっと思ってる方々(「Discovery」の記事内の画像を転載)

今回のお話の問題点は、考古学者らが石棺の蓋を開けた時に石棺の内部を、上の写真に見られる真っ黒な水が満たしていたことです。この水の正体は下水溝から漏れ出た下水だったのです( ̄▽ ̄;)!!ガーン

そしてなぜかこの石棺の中の液体がネットで注目を浴び、様々な目的のためのキャンペーンにオンラインで署名を集め届け出る「Change.org」では、なぜか「黒い石棺からの赤い液体を人々が飲めるように」という不思議なキャンペーンが掲載されたそうです。


このキャンペーンの趣旨は、「我々は呪われた黒い石棺の赤い液体を炭酸入りエナジードリンクみたいに飲んで、その力を受け継ぎ死なねばならない」ということだそうです。


死者のエネルギーみたいなものを得る気なのでしょうか……てか下水だし、飲んだら死者になる気がする( ・Д・)


とまぁ普通に考えて非常に奇妙な署名活動なのにも関わらず、2万人以上の署名が集まっているそうです。署名が2万5000人に達すればこの嘆願が届けられるようですが……


ミイラの出汁はめちゃ利いてるかも知れませんが、それ以前に他の出汁の方が危険です。呪いよりも確実に死者を出すでしょう。あるいはこのようなキャンペーンが行われること自体が呪いなのでしょうかね。


(……ツタンカーメンやアレクサンダー大王ならいざ知らず(?)、ただの将校にさえも呪われるなら、きっと「考古学者は墓が好物」なんて言えるわけがない!( ・Д・))


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