2018ねん 10がつ 20にち(どよーび、晴れ)

カラ咳が止まらない。

乾燥しているのだろうか。

もう秋というか……すでに寒い!

この前、「雪虫」見たしね!

も~そろ冬なのですね( -д-)ノ

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↑エルサレムの建設現場にて出土した古代の石柱、下部に文字が刻まれているのが見える(「AFP BB NEWS」の動画より加工・転載)


【目次】
  1. エルサレムの表記の昔と今について ~碑文入り石柱の発見~
  2. 日本の古代都市の名前の変化 ~日本の都市は2文字が多い?~
  3. 古代マヤ文明の都市名の昔と今について
  4. おわりに

1.エルサレムの表記の昔と今について ~碑文入り石柱の発見~

さて、今回の考古学・歴史ニュースは「エルサレムという表記が遥か昔から同じ!」ということです。

エルサレムと言えば、内紛等のニュースで何だかおっかないところというイメージがありますが、他方で「イスラム教」、「キリスト教」、「ユダヤ教」という世界的な3つの宗教の聖地としても有名です。

そのため都市が有する歴史は非常に深く、多数の聖地巡礼者が訪れるだけではなく、観光地としても人気があります。……ちなみに「エルサレム症候群」ってご存知でしょうか?

 エルサレムを訪問することで引き起こされる、宗教を題材とする強迫的思考、妄想、その他の精神病的体験の発症を伴う一連の心理現象のこと(from wiki)。

世の中、本当に色々な物事があるなぁと感心します。まぁ私自身もとあるホラー映画をきっかけにしてその存在を知ったのですが( ・Д・)


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話を戻しますと、エルサレムの建設現場にて、現代ヘブライ語と同じつづりで「エルサレム」と刻まれた約2000年前の石柱が出土しました。それが上に挙げた写真になります。

この石柱は切り出してイスラエル博物館(Israel Museum)にて公開が開始されたそうです。石柱に刻まれた碑文にはヘブライ文字で書かれたアラム語で「エルサレムのドダロスの息子のハナニヤ(Hananiah son of Dodalos of Jerusalem)」と記されているとのことで、約2000年前にすでに現代と同じつづりが使われていたことを示しています。


西暦の1世紀に相当する第二神殿時代と呼ばれる時期に現代と同じ「Yerushalayim(イェルシャライム)」の発音で記されていることは珍しいそうです。


通常は宗教的または政治的な文脈で使われることが多いそうで、この碑文が重要なのはその内容が宗教的、救世主的またはプロパガンダ目的で使われているわけではなく、男性がこの都市の出身だと名乗っているだけの日常的なものであることだそうです。




この発見された石柱は元々、紀元前2世紀のエルサレム近郊の陶器村にあったそうです。村は現代のエルサレム市内にあり、2世紀初めごろにローマ軍第10軍団の作業場となり、陶器製の建材を作っていたとのこと。


碑文内に現れる「ハナニヤ」さんは芸術家または職人の名前で、石柱は作品の売り込みのために、公共建築の建材として寄付した可能性があるそうです。


また碑文内の「ドダロス」はおそらく、ギリシャ神話に登場する職人「ダイダロス(Daedalus)」の愛称だということで、この碑文だけでも色々なことが分かるものだなぁと感慨深く思いますね。


そのため今回出土した石柱の存在は、エルサレムが紀元前332年にアレキサンダー大王(Alexander the Great)によって征服された後、エルサレムに住むユダヤ人たちが数百年に渡り、建築の際にギリシャ様式を取り入れてきたことを示唆しているとのことです。



2.日本の古代都市の名前の変化 ~日本の都市は2文字が多い?~

さて、そもそも古代の都市名が昔と今が同じというのはそれほど珍しいことなのでしょうか?

日本の事例で見てみますと、現在の日本の地名は漢字2文字による表記である場合が非常に多いことが分かります。

例えば都道府県では、北海道、神奈川、和歌山、鹿児島以外はすべて漢字2文字による表記です。これはなぜなのか。



それは古代の日本の地名の文字数には規定がなかったが、西暦713(和銅6)年、律令政府は「好字二字化令」と呼ばれる決まりを広め、諸国の郡名、里名を漢字2文字に揃えたのです。

この時期の日本は大陸の大国である唐を手本にして政治を行っていたため、地名についても唐に倣った結果なのです。こうして10世紀初頭に成立した『和名類聚抄』によれば薩摩国の鹿児島郡を除いて全て2文字に揃えられているのです。

このような国の御触れのせい、という事例は少ないかも知れませんが、都市の名前と言うのは長い年月の中で変わっていくものなのですね。まぁより簡単な例を出せば、江戸から東京になったような感じです( -д-)ノ

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3.古代マヤ文明の都市名の昔と今について

長くなりましたが、最後に古代マヤ文明の事例を簡単に紹介しますね。

古代マヤ文明では古典期(西暦250-1000)に多くの都市国家が林立し、石碑に王の個人史や王朝史、国家間の戦争や儀礼に関する内容が刻まれました。

この時、都市あるいは支配領域の名前が表現されることが分かっています。それが「紋章文字」です。

ちなみにジョイス・マーカスの研究(Marcus 1976)ではマヤ都市は4つにランク分けされていて、紋章文字を中心として石碑から都市間の主従関係が分かると結論付けました。

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上に挙げた図のように、数多くの紋章文字が存在しているわけですが、聞きなれない音感の名前がありますよね?

アルトゥン・ハとかイツァンとか……こういう名前の都市はマヤ語由来の名称です。ただし多くが16世紀以降のスペイン征服期、あるいはそれより新しい時期に付けられた名称になりますので、古典期マヤにおける当時の名称とは異なる場合が多々見られます。

一方でアルタール・デ・ダクリフィシオスとかカラコル、エル・ペルーといったスペイン語の名称は明らかに新しく命名されたもので、当然、古典期における都市の名称とは異なります。

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古典期マヤ、特に中部低地域で最も有名かつ有力な都市であった「ティカル」について書かれた碑文が上の画像になります。

この中で紋章文字は右下の1文字になりまして、読み方は「ムタル(ムトゥル、ヤシュ・ムタル)」となります。


紋章文字の発見によって、現在の都市遺跡名と当時の名称が同じであったことが判明した事例もありますが、実際にはほとんどがやはり異なる名称が使われていたことが分かっています。

やはり古代の都市名が昔も今も一緒というのは珍しいことなのですね( -д-)ノ


4.おわりに

おまけも含めるとなんだか長い記事になってしまいました……が、いかがでしたでしょうか。

調査等々で様々なところに赴く機会がありますが、郷土史家の方あるいは郷土史研究会に入っているといった郷土史が大好きな方にお会いすることが多々あります。

お話を聞いていると、やはり村や町の名前の変遷についてよく聞くわけです。「ここは旧~村で……」のような感じですね。

旅行や帰省の際には是非、郷土資料館等に立ち寄ってみて、地名や市町村名の変化について気にしてみるといいかも知れませんね。それも一つの歴史ですから(*・ω・)ノ

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