2019ねん 1がつ 12にち(どよーび、晴れ)
ビールが美味い。
頑張って働いて、美味しいツマミの脂をビールで流し込む・・・
幸せです!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!
注:ビール会社の回し者ではありません( -д-)ノ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑現代のユダヤ人と侍並べてほとんど同じってあり得ませんけど、まぁイメージってことで( -д-)ノ(「いらすとや」さんの素材を使用して作成)
【目次】
- はじめに
- 古代イスラエル史における離散についての検討
- おわりに
1.はじめに
前回、色々と調べまして、その一部をメモ的に記述したわけですが、まぁ内容つまらないなと自分でも思いました( ・Д・)↓関係する人気記事ヾ(´ω`=´ω`)ノ
【日ユ同祖論】もし『失われたアーク』が実在したとして、かつ残存していたとしたら、一体どのような状態なのか?【検討してみた】
つまらん話を読み返して感じたこと・・・・・・
①文字ばっかりである、つまり写真ないとなんかイヤだ( ・Д・)
②文字ばっかりのくせに、メモ書きだからオチも何もない(/TДT)/
やはりね、記事として一つの作品としてまとめにゃあかんということですね!
……あとですね、ひとつ思ったことが、、、前回、先行研究者に学者がほとんどいないな~って初見で感じてそれを書いたわけですが、
読み返してみると、多くが牧師さん等の教会関係者だなと気付きました。
ユダヤ教って積極的な布教活動をしないと聞いたことあったんですけどね。「日ユ同祖論」は旧約聖書を聖書に内包しているキリスト教の関係死者による布教活動が背景にあるのかとも思ってしまったり・・・・・・
まぁ先入観はよくないので、頭の片隅に留めておく程度にしますね(*・ω・)ノ
さて、以下、前回の反省を活かしてきっちりと内容のある文章にしていきます。今回のテーマは「集団」!
ではいってみましょー!( -д-)ノ
2.古代イスラエル史における離散についての検討
この「共通の祖先をもつ」というのがどのレベルでの話なのかは不明ですから、今回の「時間」についての話の総括として一部最後に触れたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、共通の祖先を持つとはどういうことでしょうか。祖先に関するルーツというものは実際には非常に複雑ですが、理論上は単一型と複数型に大きく分けることができるでしょう。
「日ユ同祖論」の場合は、この②複数ルーツ型のことを指していると考えられます。この場合、”もし十分な量の集団の移動と混血、あるいは結果としての文化的影響が見られるのであれば”、現代の日本人から見ると二つの祖先を有することになります。
つまりこの「日ユ同祖論」を考える上で、
①流入した人口量の問題
②遺伝学的系統性・類似性の問題
③文化的共通性の問題
が検討すべき問題となるでしょう。
これらの諸問題ついては後の記事に譲るとして、「日ユ同祖論」が「②複数ルーツ型」である以上、少なくともユダヤ系の祖先である古代イスラエル人が日本に移動したことをまず認める必要があります。
つまり、「誰が」(具体的にどのような人々が)日本に来たのか、これを明らかにする必要があるのです( -д-)ノ
↑古代イスラエル王国(北王国)の陥落と民の離散(「アクアコンパス2」さんの記事内画像より転載)
そのためにまずは古代イスラエルの歴史を概観しましょう。
①紀元前1080年、サウルが古代イスラエルの最初の王となる。
②サウルの死後、北の11部族と南のユダ族の王国に分離する。
③紀元前995年、ダビデ王が南北を統一し、イスラエル王国を築く。
④紀元前963年、ダビデ王の息子であるソロモン王が即位。エルサレム神殿を建設する。
⑤ソロモン王の死後、再度南北に分離する。北の10部族から成るイスラエル王国(北王国)とユダ族・シメオン族から成るユダ王国(南王国)である。
⑥紀元前721年に北王国の首都サマリアがアッシリアによって陥落する。サマリアのイスラエル人指導層などを奴隷として連れ去りまたは追放して、代わりにサマリアにメソポタミアなどからの異民族を移住させた。
これによりイスラエル王国(北王国)が滅亡。またこの際にイスラエル王国の土地から引き離されたイスラエル人達が後に「失われた十部族」と呼ばれるようになる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、ここで「日ユ同祖論」において日本に来たと想定することのできる人々は北イスラエル王国の民であることが分かります。
このイスラエル王国(北王国)の民とは、旧約聖書に書かれたイスラエルの12部族のうち、行方が知られていない10部族(ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族)のことを指します。
この行方の知れない「失われた10部族」という呼称は、ユダ王国(南王国)によって付けられた名称です。紀元前721年の「アッシリア捕囚」後にその行方が文書に残されていないためにそう呼ばれたのです。
首都の陥落後に10部族の指導者層2万7290人が連行されたと記録されています。これは北王国滅亡直前の段階の北王国の全人口の約20分の1程度と推定されており、広義には「失われた10部族」は捕囚とならなかった北王国の住民を含んで言う場合があるそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、「失われた10部族」がユダ族等の南王国からの呼称であり、歴史記録がないことによって付けられた名前ということが分かりました。
アッシリアは強い武力を用いて戦争を繰り広げていましたが、多神教国家であり、文化や宗教の広い受入れを行っていたことが分かっています(一神教を信じ、文化・思想的に排他的な国ではなかったのです)。そうしたアッシリア内にて、連行された民が自分たちの教義や文化を文字記録にすることも許されていました。
となると、普通に考えると、「失われた10部族」はアッシリアにて在地化したと考えられます。そのことが記録に残っていないだけなのではないでしょうか。
また後年に一部はイスラエルの土地に帰還したようですので、その際にアッシリアに残った人たちも当然いたでしょう。
しかし「失われた10部族」=アッシリアで在地化と考えると、「日ユ同祖論」は根本的に破綻しますし、検証しようがないので可能性として指摘するに留めます( -д-)ノ
また連行された指導者層以外の民の離散を「失われた10部族」に加えるべきではないでしょう。
指導者層を失い、イスラエルの土地でさえアイデンティティを失っていくような民達が統率力をもった大きな集団として遥か彼方まで移動でき、かつ大きな文化的影響を与えたとは思えません。
そのため「失われた10部族」=連行された指導者層の約2万7千人の内の一部と考えることにします。
キリスト教の聖書の外典である第4エズラ書(第13章)には、「こうして彼らは異国に連れて行かれた。しかし彼らは異邦人の群れを離れ、かつて人のやからが住んだことのない更に遠い地方へと行こうと相談した・・・・・・」とあります。
続きとしては「一年半の遠さのアルツァレトという呼ばれる地域だった」と書かれているので、これが「日ユ同祖論」の根拠になっているのでしょう。
まぁこの記述者は地元に残った方なので実際に移動したわけではありませんから、記述内の距離(要した時間)や地名は正しくはないでしょうね。
(また新アッシリア時代(紀元前934-紀元前609年)のアッシリアではこのような「捕囚」を征服地の民に対して幾度か行ってきたわけですが、その理由は征服地での反乱の防止と首都における職人の確保でした。
つまりアッシリアとしては連行した古代イスラエルの指導者たちを、少なくとも職人確保の観点からみすみす逃すわけないと思うのですが、まぁこれも「日ユ同祖論」の根本的な破綻に繋がるので指摘するの留めておきます( -д-)ノ)
……ということで第四エズラ書の記述を根拠にすると、「失われた10部族」=指導者層の少なくとも一部(約27000人以下の集団)がアッシリアではなく他の地域に向かったということになります。
これでようやく「誰が」という疑問について、少しは具体的に理解できたかと思います(*・ω・)ノ
4.おわりに
長くなりましたね・・・・・・次の記事もまとめて一つの記事の予定でしたが、長くなり過ぎなので二つに分けてみました( -д-)ノ
何はともあれ、今回の「誰が?」という問題を明らかにすることで、「日ユ同祖論」を検討していく際のスタート地点にようやく立てたかなと思っております。
続きも乞うご期待!ヾ(´ω`=´ω`)ノ
↓人類、皆兄弟!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ↓
スポンサードリンク
コメント
コメント一覧 (2)
衝撃的な内容でした。
もう読まれましたか? どう思いますか?
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%9A%97%E5%8F%B7-%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E8%B0%B7-%E6%AD%A6-ebook/dp/B07P7JMW7L/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1551480049&sr=8-1&keywords=%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%9A%97%E5%8F%B7
陸奥武さん、初めまして。コメントありがとうございます(*_ _)ペコリ
ご紹介頂いた小説は読んだことがありません。どうやら日ユ同祖論を題材にした内容のようですね。
当サイトで書いた日ユ同祖論に関する記事からも恐らくお分かりになるように、私は批判的な立場で書いております。
今後、具体的に当該論者の述べる個別の根拠を検証していくことになると思います。その際に私が触れていないような新たな論拠が、提示して頂いた書籍の中にもしも見られるのであれば、是非ご紹介頂きたく思います。