2019ねん 1がつ 20にち(にちよーび、晴れ)

自由に研究できる環境というのはとても重要であると実感している。

「金と政治」と言うが、

「金と研究」、「金と考古学」といって良い。

あるいは「コネと考古学」か……( ・Д・)


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日ユ同祖論01
↑現代のユダヤ人と侍並べてほとんど同じってあり得ませんけど、まぁイメージってことで( -д-)ノ(「いらすとや」さんの素材を使用して作成)



【目次】
  1. はじめに
  2. 日本までの移動可能性について
  3. 使用ルートの判定
  4. 移動手段からみた到達時間について
  5. おわりに 


1.はじめに
バックナンバー紹介しておきます(*^・ェ・)ノ

↓問題のつまらんお話ヽ(TдT)ノ

↓関係する人気記事ヾ(´ω`=´ω`)ノ


↓前回の記事

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さて早くも「日ユ同祖論」のテーマで第四回となりました( -д-)ノ


これまでに主として確認してきたことは、


①紀元前721年のアッシリア捕囚が契機

②移動主体者は古代イスラエル(北王国)の指導者層

③移動者数は27,290人

④移動距離は直線距離で9079km

⑤移動ルートは「草原の道」

以上の5点になります。


今回は紀元前721年にサマリアないしアッシュールを出発した北王国の指導者層が、どのような手段で、いつ日本に到達したのか?について検討したいと思います。


前半部では移動手段の検討を行い、実際にいつ到達し得るのかを問題とします(今回の記事(*・ω・)ノ)。


後半部では「日ユ同祖論」における先行研究(支持者)が根拠とする日本の史料を取り上げ、いつ到達すべき、あるいはいつ到達しなければならないのかを問題とします(次回の記事です( -д-)ノ)。


では、元気にいってみましょー!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


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↑めちゃ綺麗!それでも砂漠を陸路移動したくないけど!( ・Д・)(「エアトリ」の記事内画像より転載)


2.日本までの移動可能性について
さて、前回みてきたように現在のイスラエル(当時の位置とほぼ同じ)から日本までの距離は9079kmでした。

「草原の道」はステップ地帯を利用してユーラシアを東西に横断するルートですが、イスラエルから北部のステップ地帯まではかなり遠いことも分かりました。


現在の舗装道路や高速道路と違って、舗装されてもいないし、直線的な道でもないわけですから、実際に移動すべき距離は延びるでしょう。


時期は紀元前8世紀の終わりですから、「草原の道」はスキタイによってルートとして開けていたかどうかは不明であり、ルートとして使用できたとしても最初期のものとなります。

そのためルートに関する情報も遠く離れた他国では限られていたと考えられます。


よって北イスラエル王国の指導者層は、スキタイの中心地であるウクライナまで移動して情報を得た後に東に向かった(aルート)と仮定することができます。

一方で北イスラエル王国はその存続時から他国との交易を行っていたため、何かしらの情報を入手していた、あるいは経験知に基づき砂漠地帯を避けてステップ地帯を移動する方法に自ら辿り着いた(bルート)とも仮定できるでしょう。


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↑イスラエルから日本への移動経路(青ラインがaライン、赤ラインがbラインである;「Google Map」の画像を加工)


上に示した図が、現在の地図に基づき、イスラエルから日本への経路を示した概略図になります。

ステップ地帯はモンゴルの東端で一度北上しますのでルートは三角形状を呈しています(参照;前回の記事にステップ地帯の分布図を載せています)。


素直にステップ地帯を抜けると朝鮮半島から日本への渡航ルートを選択することが想定されるため、図にはそのようにラインを挿入しています。ただし、日本のどこに着いたかは不明であり、かつ歴史上あるいはその他の諸点で大きな問題であると予想されるため敢えてラインの挿入を避けています( ・Д・)


さて、この図に則して考えた場合、aルートは黒海を東から回り込んでスキタイの中心地に寄り道するルートbルートは黒海とカスピ海を抜けて最短でステップ地帯に侵入するルートになります。


aルートではウクライナまでイスタンブールから黒海を渡るルート(約2590km)もありますが、大集団ですので船は使わなかったと仮定しています。

よって陸路で黒海を東回りするとウクライナまで約2726km、カザフスタンのアスタナまで約5933km、モンゴルのウランバートルまで約3281km、北上してブラゴベシチェンスクまで約2631km、韓国の釜山まで約1713kmとなります。


(経由地はステップ地帯のルートからおおよそで選択しており、距離は現代の車道ないし車が通行できる道を利用しています)

以上から、aルートの総距離は約16,284kmと推定できます。


一方でbルートでは、黒海とカスピ海を抜けてカザフスタンのアスタナまでが約5515km、以降のルートはaルート同様となります。

そのため、bルートの総距離は13,140kmと推定できます。


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実際に移動主体者(古代イスラエルの民)がaとbのどちらを選択したかは不明(史料もないので検討不可)ですので、以上のことから、移動主体者がイスラエルから日本まで「草原の道」を利用して移動した場合、少なくとも釜山まで約13,000~16,000km移動する必要があるということになります。



3.使用ルートの判定
さて、イスラエルから日本までの直線距離9000kmよりかなり長い推定値となりました。

地球は赤道直下を一周すると約40,000kmですから、少なく見積もっても4分の1周以上する必要があることになります。

16,000kmで考えると地球半周とはいきませんが、40%も移動する計算になります。



さて、実際に移動するとなると可能なのでしょうか?

そしてどれくらいかかるものなのでしょうか?



古代や中世においてキャラバンはシルクロードを交易路として東西に移動していたかに思えますが、実際には東西の起点から中間地点にある敦煌やバーミヤンといった都市までを移動して交易を行っていたため、東西を横断する必要がなかったと考えられています。


まぁ何かしらの理由で横断する必要がある場合にはしていたでしょうけども、『東方見聞録』で有名な13世紀のマルコ・ポーロは「オアシスの道」を使って横断していました。

先に述べた敦煌とバーミヤンも「オアシスの道」にあります。



一方でこれまでの検証で、紀元前721年頃に古代イスラエル王国(北王国)の指導者層が使用できたと考えられるルートは「草原の道」です。

当時「草原の道」を使った東西交流を支えていたのがスキタイの遊牧民たちですから、「草原の道」に特定の固定的な中間地点、あるいは休憩地点はないと思われます。


つまり所謂「古代イスラエルの民」が「草原の道」を使って東西を横断するためには、約3万人の大移動を支える食料・水の確保の問題から、スキタイとの接触と協力なしでは極めて困難と考えられます。



そうすると「古代イスラエルの民」は一度、スキタイの中心地を訪れてから「草原の道」や東国に関する情報、長期移動のための援助を得る必要があるため、前述のaルートの使用、及び16,000kmの移動が必要であった蓋然性が高まります。






4.移動手段からみた到達時間について
さて、古代~中世における移動手段と移動可能距離については様々なデータがあります。


①徒歩:時速5km
やはり徒歩が基本となる移動手段です。古代の都市の立地を見てみると、徒歩半日圏内、一日圏内に立地する傾向が見られるなんていう研究もあります。

実際の歩く速度の平均は4~6km程度で、一日で25~40kmほど移動できます。


仮に一日6時間歩いて30km移動したと仮定すると、単純計算では「16,000÷30」で534日で踏破できます(小数点以下繰り上げ)。

釜山からの海路、日本上陸後の陸路移動の時間を加味しても2年あれば到着できることになります。



実際には肉体・精神的疲労や体調、地形の緩急、天候といった様々な条件でより時間がかかるでしょう。

現代の事例ではシルクロードを徒歩で横断した際に2年半かかったとありますので、諸条件を加味しても3~4年あれば到着しそうですね(*・ω・)ノ


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↑暑い砂漠より、涼しいプール!・・・って溺れるゥ~!( ・Д・)(「産経ニュース」の記事内画像より転載)


②馬:1日40km
さて、古代の移動手段として馬があります。馬に全力疾走(ギャロップ)させると、時速20~25kmで走るそうです。

でも長旅で全力疾走させるわけありませんので、急いでても1日で50~60km程度と言われています。


総距離が16,000kmに及ぶと移動者らは知らなかったでしょうが、具体的な目的地や期限があったわけではありません。

そのため「古代イスラエルの民」は恐らく商人や隊商(キャラバン)のように急がずに移動したと考えられます。

この場合の移動速度は1日30~45km程度となります。



馬での旅では、4~6日置きに休息を取ると言われています。馬も疲れますから( ・Д・)

18世紀には替え馬のできる駅も登場しますが、「古代イスラエルの民」は当然馬を替えることができません。

そして馬での旅も天候等の諸条件で遅れますから、1日40km程度で400日、およそ1年と1ヶ月で移動できることになります。




③ラクダ:時速5km
「ラクダの移動速度、徒歩と同じじゃん!( ・Д・)」と思った方もいらっしゃるかと思います。

ラクダは一日で約48kmを移動することができます。これをアラブでは「ラクダ日」と言います。

スピードは遅いのですが、ずっと歩き続けるのです。そのため「砂漠の船」という別名が付いています。



さて、馬と比べると、長距離の連続走行に耐えるアラブ馬はイネ科植物の草だけを食べ、1頭あたり1日に4~5kgも食べます。


一方でラクダはあらゆる植物を食べ、サボテンすら食べますし、食料がなくても背中のこぶに蓄えた脂肪で生きていられます

また体重の4割もの水分を失っても生存可能で、130~180kgの荷物を載せたままで数か月間の旅ができます。


ただし時速5kmです!

さすがは「砂漠の船」ということで「草原の道」のステップ地帯を移動するにしても、長距離移動の観点から馬よりも有用だったと考えられます。

徒歩だと荷物が問題になりますし、恐らく「古代イスラエルの民」は頭数は不明ですがラクダを用いた移動を行った蓋然性が高いと思います。


……まぁ古代イスラエルの民が滅ぼされた直後に大量の馬を有しているのもおかしいですからね( ・Д・)


ということで、「古代イスラエルの民」がラクダと共に移動したとして、やはり2年~4年で横断できる見込みとなります。





5.おわりに 
長くなりましたが、とりあえず古代イスラエル王国(北王国)の指導者層の一団、つまり所謂「失われた十支族」は、(移動したのであれば)スキタイの土地に寄ってから「草原の道」を使って2~4年で日本まで移動可能であったと分かりました(*・ω・)ノ


これだけのことを言うのにこんなに長くなりましたが、次回も引き続き「時間性」の問題についてお付き合いくださいヾ(´ω`=´ω`)ノ

↓ラクダに乗ると楽だ( ・Д・) くすっとしたらぽちっとな!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ↓

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