2019ねん 1がつ 31にち(もくよーび、晴れ)

以前、急にいか飯が食べたくなって、

イカを買ってきて作ったことがある。

なんか、たま~に食べたくなるんだよな~(´・ω・`)


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↑美味しそうな『いか飯』!ヾ(´ω`=´ω`)ノ(「北海道の道の駅」より画像を転載)



【目次】
  1. はじめに
  2. いか飯といか飯土器の紹介
  3. 「いか飯土器」のモチーフがいか飯であるかどうかの検討
  4. おわりに ~「鐸形土製品」としての「イカ形土製品」に対する実際の評価~



1.はじめに
さて、今回の考古学・歴史ニュースは、「北海道南部、森町で出土したイカ飯土器を紹介するよ!」です。





最近ですね、寝れない夜にYoutubeで色々観るのが趣味になっているのですが、所謂「オカルトもの」とか「疑似科学」ものがけっこう好きで観ているのです。


歴史とか考古学の成果に対して「攻撃的」な内容でない限り、基本的にぼーっと観てるわけです。




例えば、「宇宙人がピラミッドを造った!」は・・・ ⇒ そんなわけあるか!( ・Д・)

ってなりますが、

「ロズウェルにUFOが落ちて宇宙人が回収された!」なら・・・ ⇒ いいんじゃない?( ・Д・)(←同じ表情に見えるが心は仏のように穏やかである)


って感じで観ているわけです(観てると更に寝れなくなるのでラジオ的に音を流している感じです)。


(回し者じゃないですけど紹介しておきます。特に「History Channel」面白いですよ。古代の宇宙人シリーズ!時々、睡眠障害ぽいですが良く眠れます。)




・・・・・・まぁそれでふと思ったんですよね、この所謂トンデモ説を提唱する人たちは何故そういう風に物事を捉えるのかって。



①不思議な説を提唱することで有名になりたい(承認欲求を満たしている)。

②そのような行為によって得られる経済的報酬を期待している。

③フィクションと明記ないし明言していない点で違いはあるが、実際に当事者は虚構であることを本当は理解している上でエンターティナーに徹しており、歴史小説家のような役割を担っている。

④アホである( ・Д・)



カップラーメンが出来上がるまでに思い付いた「彼らの行動の理由」はこれくらいですね。

(まぁもちろん④はふざけてるだけですけど(m´・ω・`)m ゴメン…)






前置きが長くなってしまいましたが、先に述べた③は面白い理由だと思うし、当サイトの記事は論文じゃなくて飽くまでもブログ記事だし、私も何か面白いこと言ってみようかと思い立ったわけですよ!



そこで『4000年前、縄文人が「いか飯」を食べていた説』を提唱することにしました!( ・´ー・`)ドヤ



(同業者の方はですね、「あ~ストレスあるんだろうな~」くらいで優しい気持ちと生温かい眼で見守ってくださるよう宜しくお願い致します( -д-)ノ)


まぁプライドもありますのであまりいい加減なこと言ってられませんから、最後に一般的な解釈もちゃんと紹介します(*・ω・)ノ




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2.いか飯といか飯土器の紹介
ここまでに「いか飯」の写真を2枚挙げまして、上にイカ型土製品の写真を挙げました。


お気付きの方もいると思いますがタイトルや見出しに「土器」と使っているのはその方が一般的に分かりやすいかな~(あるいは記事タイトルとして目を惹くかな)程度の理由しかありません


が、本論では「いか飯土器」を使い続けることにします。

また最後の部分で、敢えて「土器」として呼称を誤用し続けた本当の理由を述べますね(*・ω・)ノ)




ということで、この「いか飯土器」本当は「土製品」です。


内部は中空ですけども、「器」じゃないんですね。まぁ逆さまにしたらコップにはなるかな!

置けないけどね( ・Д・)




ところで・・・・・・どうでしょうか?


見た目は完全にイカですよね!(私はイカれてませんよ( ・Д・))


もうね、『縄文人は「いか飯」食べてたんですよ!』


具体的に比較してみましょう!




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↑森町のいかめしと、いか飯土器を比べてみたの図(credit: 「歩け、マヤ」/ Project D.)


もうそっくりですよ!


「いか飯」の化石かと思うくらいですね!



これは間違いなく、縄文人は4000年前に「いか飯」食べてましたよ!




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さて、この出土品について紹介しますと、


出土地点は北海道茅部郡、森町にある鷲ノ木遺跡です。

ストーンサークルでも有名な遺跡です。



遺物の年代は、縄文時代後期前半で今から約4000年前のものです。

またこのいか飯土器は森町でしか出土していません。







ではそもそも「いか飯」とは何か?


烏賊飯(いかめし)は、イカの中にを入れて炊き上げた日本の料理。北海道渡島地方の郷土料理。

函館本線森駅の駅弁調製業者だった阿部弁当店(現在のいかめし阿部商店)が、第二次世界大戦中の1941年(昭和16年)、戦時体制による食糧統制で米が不足していたため、当時豊漁だったスルメイカを用い、を節約しても満足感がある料理として考案した
(wikiより転載)




つまるところ、


①「いか飯」は20世紀に森町で作られたものなのです。

②でも4000年前に「いか飯土器」が森町で出土している。

③出土遺跡にはストーンサークルがある。



ハイ、勘の良い方はもうおわかりでしょう。

「いか飯土器」は『オーパーツ』なんですね!(繰り返します、私はイカれてません(゚∀゚)アヒャヒャ)



つまり、「20世紀の森町に住んでいた、とある人物が極度の空腹状態で食べた『いか飯』のあまりの美味しさに超絶感動した結果、時空間に歪みが生じて4000年前の森町にタイムスリップしたのです。この時の痕跡が今、鷲ノ木遺跡のストーンサークルとして確認することができます。」


「その人物はお腹を空かせた当時の縄文人を目の当たりにして、戦時下の極限の空腹時の自分と重ね合わせ、未来の食べ物である『いか飯』を伝授することにしたのです。」


「『いか飯』は飢餓を救った偉大な存在として崇められ、唯一神として1個体だけ製作されました。この御神体が出土した「いか飯土器」です。その後、生活技術の発達に伴って食糧事情が改善され、「いか飯信仰」は忘れ去られてしまったのですヽ(TдT)ノ」




・・・・・・ちなみに当時の唯一神の名前は「イカメ神(いかめしん)」です。


あるいは正式には「烏賊飯乃神旨過尊(いかめしのかみうまかと)」だということがチャネリングで分かっています。




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3.「イカ飯土器」のモチーフがイカ飯であるかどうかの検討
さて、当然ある批判としてぱっと次の項目が考えられます。


①米がないから作れない。

②縄文人もイカを食べており、これはイカを模したものである。



まず一点目ですが、記録として残っている北海道における米作りの始まりは1692年です。



少し遡って1604年には松前藩が蝦夷地の支配を強めていく頃ですが、米がとれないので「加賀百万石」みたいな石高で藩の経済力を示すことができませんでした。


そのため「無高の藩」と呼ばれていました。

このことからもやはりお米は縄文時代にはなかったことがはっきりと分かりますね。



しかしながらですね、縄文時代後期にはアワ・キビ・ヒエ・ソバといった雑穀類の栽培が始まっていたようですから、当時の古代イカ飯は雑穀類を詰めたものだったと考えられるのです!(*・ω・)ノ



2点目にイカ漁の開始時期ですが、イカ漁は本州で開始されて江戸時代中期に北海道に伝わったと言われています。


つまり縄文時代後期ではイカを獲っていない可能性が高いです。

もしイカを獲っていたとすると、その技術は残るはずですから。


つまりこれはタイムスリップした森町人が未来に与える影響が少ないよう独りでイカ漁を密かに行ったと考えられます。





また偶然に獲れたイカを模している可能性もありますが、「イカ飯土器」は胴部が膨らんでいますよね? これは雑穀を中に詰めた様子を表現しているのです。


説明しましょう!


上に挙げたイカの種類ではケンサキイカとかカギイカが、元々でっぷりとした体形をしていますが、これらは北海道では捕れません。


現在北海道南部で捕っているのはスルメイカ、ヤリイカといった細長い形のイカなのです。


つまり偶然にイカが捕れても、形態が異なるのです。




それでも偶然に獲れたイカを一部強調した作ったんだと言う方もいるかも知れません。


先に挙げた同時代の土偶(ハート形土偶)では、人間はかなり各部を強調されて作られており、あまり写実的ではないことが分かります。


他にも遮光器土偶とか色々ありますけどどれもあまり写実的ではありません・








でも動物を模した場合はこのように写実的なのです。


つまり、偶然に獲れたイカを模して作ったとしたら、強調した形態にはならないのです。


よってやはり「いか飯土器」はイカの中に雑穀米を詰めた古代の「いか飯」である蓋然性が高いのです!ヾ(´ω`=´ω`)ノ




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4.おわりに ~「鐸形土製品」としての「イカ形土製品」に対する実際の評価~
無駄に長くなりましたが、最後に実際の考古学的評価のお話をして締めたいと思います。


上に挙げましたように、実際には「イカ形土製品」は「鐸形(たくがた)土製品」の内の一つになります。


この「鐸形土製品」は縄文時代後期前半に北海道南部から東北地方で造られた祭祀・儀礼の道具です。


イカ形土製品というのは鐸形土製品を特殊化したものであり、頭部が三角形で他の鐸形土製品よりも大きく際だっています。


写真を見ると、どれも丸みを帯びた卵型ですよね。これがイカの胴体部分になります。

左の2点を見ると上部にくびれを持った後に、方形ないし三角形状に展開しています。


まぁつまるところ、この「鐸形土製品」の上部が三角形に発達したバリエーションが、現代の私たちには「イカ」のように見えるってことなのですね( -д-)ノ




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あとですね、前半に述べた「いか飯土器」と呼び続けた理由は、本来の「イカ形土製品」という言葉を使ってしまうことによる弊害を避けたのです。


万が一私の「唯一神イカメシン信仰論」がですね、何らかの理由で一部抜粋されて拡散された時に、「いか飯土器」と使っていれば、見る人が見れば分かるかなというのもありますし、


まぁ端的には、『私の中でのフィクションとノンフィクションの境を、使用する呼称によって明確に分離した』ということです(*・ω・)ノ


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↑やっぱりこれ、「いか飯」だな.。゚+.(・∀・)゚+.゚(credit: 「歩け、マヤ」/ Project D.)


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・・・・・・いや~、ほんとに楽しかったです!

書きながら、イカれてんな~(゚∀゚)アヒャヒャって、何度も笑いました。


読んで頂いた皆様もそれなりに楽しめたのではないかなと期待しております(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




さて、オカルトや疑似科学が何故根強く存在するのかを扱うのは社会学や心理学の領域でしょうか。


「急速に発達した科学に対する内在する不安・不信感が表出している」という説明や、

「誰にも受け入れられない不思議な自己体験を肯定してくれるカルト的存在」という説明も目にしたことがあります。



しかしながら実際にやってみると面白かったので、

考古学にも通じる「考えることの楽しさ」、あるいは「自身の考えを発表し受入れらる喜び」をより身近に体験できる分野なのかなと、私は感じましたね。


特に後者のような性質があるのであれば、歴史小説家と異なり「フィクション」であると明記・明言しない理由も分かります。

別段、オカルトや疑似科学をお勧めしているわけではありませんが、「考えることの楽しさ」を知るきっかけになればいいな~なんて思います(。・ω・)ノ゙

↓『いか飯』食べたくなった人はぽちっとな!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ↓

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