2019ねん 2がつ 17にち(にちよーび、曇り)

久々の週末の第一日目は、オリジナルテイストのイカ飯を作ることで終了した……

まぁなんだかんだ充実した一日であったろう( ・Д・)


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さて、今回の考古学・歴史ニュースは……

①『デニソワ人ってインドネシアとかオーストラリアにまで拡散していたよ!』

②『石器製作だけではなく、個人に帰属する装飾品を作っていたよ!』

というものです(*・ω・)ノ




↓先日、ネアンデルタール人とデニソワ人のハーフについて記事を書きましたが、↓


今回の記事はこの続きに当たるような内容です。



①デニソワ人のアジア大陸、更に南部への拡散について

ホモ・ハイデルベルゲンシス(所謂「ハイデルベルク人」)から、ネアンデルタール人とデニソワ人の系統と、そして私たち現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)の系統とに分岐した時期はおよそ60万年前です。

近年、推測される分岐時期がより新しい時期へと改定される傾向にあります。


そしてその分岐後、更にネアンデルタール人とデニソワ人が分岐する時期が約30~35万年前とされています。




前の記事の「デニー」が9万年前のハーフでしたが、デニソワ人自体は約4万年前まで生存していたと考えられています。

そのため約30万年の期間に、ロシアのデニソワ洞窟で同定されたデニソワ人が実際にアジア大陸やインドネシア、オーストラリアまで拡散していたことが分かりました。


これまでデニソワ人に関して腕や脚、指の骨片や歯の化石人骨が見つかっていましたが、彼らが製作・使用していた道具や装飾品が見つかり始めたのです。


上に挙げたのはインドネシア、スラウェシ島で発見された少なくとも11万8000年前に相当する打製石器です。











②デニソワ人に道具箱&ジュエリーボックス!

デニソワ人が作ったと考えられる道具類や装飾品の画像を挙げました。

石器だけではなく、針も作っていますね(②の左下より二番目の遺物)。

裁縫も行っていたのでしょうね(*・ω・)ノ



装飾品も首飾りや腕飾り(貝釧;かいくしろ)を製作していたようです。

最も気になるのが「装飾品②」の画像の左下の緑色の遺物です。




これは石製の腕輪です。使用した石材に関する記述がなかったため、詳細は不明ですが翡翠なのかも知れません。


この石製腕輪が出土したのはデニソワ洞窟の第11層です。

第11-2層が約5~6万年前の時期に相当するようですから、この腕輪も類似のやや新しい時期に帰属することになると思います。

当時、これだけの技術があったこと、そして個人所有の財があったということに驚きです( ・Д・)




最後にここで、トップ画像を再提示しました。

これはマンモスの骨から作られた頭部に付ける装飾品だそうです。

マンモスの骨製というのが一番インパクトが強いですよね!( ・Д・)


この時期に既に個人所有物という概念が発生していたことを強調するのは良いとしても、

「ティアラ」という表現は個人的には引っかかります( -д-)ノ


ティアラは頭頂部につける装飾品ですが、主にヨーロッパ史において王族の女性が身に付ける特別な装飾品としてのイメージが強いですからね。

人によってはこの時期に既に身分階級が生じていたと捉える人もいるかも知れません。



頭飾りじゃダメなのでしょうかね?(他の遺物は普通に腕飾りや首飾りなのにΣ(・ω・ノ)ノ)

しかも……もしこれが男性用ならクラウン(王冠)? 

この遺物が女性用であったとする根拠はどこにあるのでしょう……( -д-)ノ



・・・・・・それはともかくこれからもデニソワ人について色々と分かってきそうだなと、今後の新たな発見に期待できます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓デニソワ人の遺伝子を持つ人は正直に押しましょう!( -д-)ノ↓

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