2019ねん 4がつ 18にち(もくよーび、晴れ)

最近、一週間が早い。

片っ端から書類を書き上げないとあっという間に締切が来るヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは『3800年前の古代エジプトでは船もお墓に埋葬したよ!』ってお話です(*・ω・)ノ

遺構の発見自体は1901年のことで、今から100年以上も前になります。

しかし発見当時の調査の際に、お墓の天井が崩れてしまったために発掘調査を中断したという経緯があります。

そして100年以上経った現在、高い技術と慎重な調査によって3800年前の船の墓が露わとなったわけです(・∀・)つ


↓船と言えば、こんな話題もありましたね(*・ω・)ノ
↑併せてどうぞ!(*^・ェ・)ノ


発見の場所はナイル川西岸に位置する古代エジプトの聖地アビドスです。

発見された「船の墓」は日干し煉瓦(アドベ)で造られていました。

この日干し煉瓦製の壁を白色塗料でコーティングし、その上から刻線によって、最初に挙げた写真に見られるような船の絵を描いています。

墓の規模は長軸20m、短軸4mと大きなものです。

その長大な壁面に描かれた船の数は120隻以上ということで、「大船団」を描いているようです。




発見された船の墓は古代エジプト第12王朝のセンウセレト3世(Senusret III)の王墓のすぐ隣に位置しています。


このセンウセレト3世は中王国の最盛期のファラオであり、船の墓は紀元前1840年頃に彼のために建造のものだと推測されています。


これまでにアドビス遺跡では5000年前に造られた14隻の木造船が発見されています。

どれも古王国時代、第1王朝時代の葬祭殿の外側に並んだ日干し煉瓦製の遺構で見つかっていることから、今回の発見は古代エジプトの最古の王朝まで遡る伝統であると考えられます。

 

「ギザの三大ピラミッド」で有名なピラミッドの建造はちょうどセンウセレト3世の頃までの風習で、その後は新王国時代のツタンカーメン王墓に代表されるような「王家の墓」にひっそりと隠されるように埋葬される習慣になります。 





ピラミッドも造り、自分の墓も造り、エジプトでは貴重な木材を多量に使って建造された船を殉葬させる辺りがセンウセレト3世の中王国の最盛期のファラオとしての権威の強さを象徴しています。

上に挙げた写真は新王国時代の王墓から出土した船の模型です。

センウセレト3世の王墓に伴う船のお墓には船の実物が埋葬されていましたが、盗掘にあって船が残っていないようです。

貴重な木材ですから盗掘に合うのも仕方ないのかも知れません。

だからひっそりと隠すように王墓を造るようになったのでしょうね。

安らかに眠っていたいですからねヽ(TдT)ノ


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古代の船って木製だし、普通はなかなか残らない遺物の部類に入ると思っています。

でもバイキングが船を棺にした話やら、水中考古学で発見された船の話やら、けっこう船に関係する話が世界的には見られるんだな~と最近分かってきました。

考古学の中には比較考古学という手法(研究法あるいは分野)もあります。

船に限った話ではありませんが、やはり色々な事例を知っておくことは調査や解釈などの際にいつか役に立つような気がしますね(*・ω・)ノ

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