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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2018年05月

2018ねん 5がつ 31にち(もくよーび、雨)

仕事が進まない!

週末がんばらねば~

あ~、「らーめんの考古学」もやらねば~( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・


今回の発見はイタリア、ポンペイでのものです。以前、噴火によって消滅した古代都市ポンペイについて詳しく触れましたので、気になる方はどうぞ!



今回は簡単にポンペイについて紹介しますね。場所はこの通り、イタリアにあります。ポンペイの北西にあるのがヴェスヴィオス火山ですね。

このヴェスヴィオス火山西暦79年8月24日午後1時頃にが大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続けました。 噴火から約12時間後、ちょうど25日になった頃に、噴火末期として火砕流が発生し、ポンペイは一瞬にして完全に地中に埋まったと言われています。


前回紹介したように、この火砕流によって逃げ遅れた人々や馬が亡くなってしまい、火山灰にパッキングされたのです。結果として保存状態が非常に良く、現在とてもリアルな状態で様々な発見がなされています。

この犬もとてもリアルですよね。首輪が付いてるようですね。リアル過ぎてかわいそうです(ρ゚∩゚) グスン


今回紹介するのはこちらの古人骨です。見事に岩が頭に直撃していますね。噴火の間に大気から発射されたと推定される300キロ(660ポンド)の石が彼の上に降りかかり、頭と上半身を粉砕してしまったのです。約3万人が死亡したと考えられている噴火被害者の内の一人です。

人骨の分析から35歳の男性であることが分かりました。また彼の右足を分析したところ、どうやら男性は身体障害者であり、そのために火山が爆発した際に逃げ遅れてしまったようです。

CNNニュースでこの発見についてのムービーが見れますので紹介しておきます。

英語ですけど見やすく作られいますので、良かったらどうぞ!

ポンペイの遺跡は発見されてから長い年数が経っていますが、まだまだ興味深い発見が相次いでいますね。今後の発掘調査の進展に期待したいです(・∀・)つ

↓こちらも期待しております(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2018ねん 5がつ 30にち(すいよーび、晴れ)

「忙しい」という言葉は使わないように心掛けている

「充実している」と言うようにしている。

「時間がない」というフレーズも使わないようにしている。

「時間は作るもの」であると思っているからだ。

……しかしながら物理的な限界は超えれないのであった( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・

さて今回紹介するのは島根県根県出雲市の京田(きょうでん)遺跡で出土した土器破片についてです。写真を見て分かるように小さな破片なのですが、これが実は大きな発見なのです。

京田遺跡は出雲市の上西湖の南側に位置し、これまでに行われた発掘調査によって縄文時代後期中葉(約3500年前)の集落跡が確認されています。

この遺跡の周辺では他にもいくつかの縄文時代の遺跡が知られていますが、縄文時代の出雲平野における集落・人々の様相については明らかになっていませんでした。

最新の調査によって竪穴建造物址や多量の土器や石器が検出・出土されており、お守りのような土器や水銀朱をすり潰した「磨石(すりいし)」など特殊な出土品も多数見つかりました。どうやら同遺跡はたくさんの人々が居住した大きな集落であったようです。また出土した土器を分析したところ、関東地方(異形土器)や九州地方(西平式土器)といった他の地域から持ち込まれた外来系土器が出土していることが分かりました。

つまり縄文後期に出雲平野で暮らした人々は非常に遠く離れた地域と盛んに交流していた文化的に豊かな地域であったことが分かったのです(。・ω・)ノ゙

これらの外来系の土器の中でも最もユニークなのが写真に挙げた「異形台付土器」です。土器表面に施された曲線的な隆線文の装飾部分の一部が赤くなっているのは、水銀朱で塗られているためです。現在、出雲市の「出雲弥生の森博物館」で公開されています。

写真の土器破片の右側を見てみると、環状の窓のような部分があります。このような変わった形の土器は主に東日本で出土するタイプの特殊な土器とみられ、山陰地方で見つかったのはこれが初めての事例になります。西日本でも出土例はほとんど確認されていない本当に特殊な事例なのです!

さらに調査成果として、人為的に掘った穴に土器を壊して埋め、その上に石を置く「配石土坑」でこの特殊な土器が見つかったことから、祭祀の場で使われた「異形土器」の一種ではないかと推定しているそうです。このような「異形土器」は東日本の事例では中心的な役割を持つ集落から出土することがあるとのことです。


つまり京田遺跡は遠隔地と盛んに交流する、出雲平野における中心的な一大集落だったのかも知れませんね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓ここを押すと更なる興味深い新発見に繋がる可能性があります。可能性は常に捨てきれません(≧ヘ≦) ムゥ↓

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2018ねん 5がつ 30にち(すいよーび、晴れ)

お菓子作りは苦手である。

きっちりと分量を守らねばならない。

しかし私はアレンジが好きである。

「プリンの黄金比」とか言われると、

自分で挑戦したくなる。

……結果、プリンが固まらなかったことがあるヽ(TдT)ノ

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↑土偶の形の縄文クッキー(「どぐぽた。」さんの記事内画像より転載)

”縄文×クッキー”といえば、縄文マニアは土器文様を模した「お菓子考古学者ヤミラ」氏の土器片クッキー「ドッキー」を思い浮かべる方も多い…らしい!


ヤミラさん(@yamiramira)自体はTwitterでフォローしているので、それとなく活動は知ってはいたが、「ドッキー」は知りませんでした。名前がすでに可愛いわ!カワ(・∀・)イイ!!


私個人としては「縄文クッキー」というと、埋蔵文化財関係のイベントとかで食べられる縄文時代の食事の再現メニューのイメージでした。クリ、クルミ、ドングリなどの堅果類やヒエ、アワといった穀物

から作るんですけどね、まぁあまり美味しくはないよね!(/TДT)/


ここでの縄文クッキーは材料どうこうではなく「形状」ですね。ヤミラさんの土器片状クッキー「ドッキー」づくりには多少の造形的センスと器用さが必要だそうです。

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↑左がクッキー、右が土器片(「クックパッド」より転載)


これが「ドッキー」なんですけども、まぁこんなの日常的に食べてたら、疲労してる時とか間違って土器資料を口に入れてしまいそうですよ!!!ヽ(TдT)ノ


さて新作のsacsacのクッキー型は、生地に型を押すだけで気軽に土偶や縄文土器を再現できるそうです。しかもなんとうっかり割ってしまっても、割れた土偶をアイシングペンで修復すれば、お菓子で修復ごっこが楽しめるのだそうです。発想が凄すぎるわ!「お菓子考古学者」は伊達じゃないですね。

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↑アイシングペンでデコレーションしたようです。土偶がコスプレしておる(「どぐぽた。」さんより転載)


あえて割って、チョコシリアルに埋め、発掘ごっこも楽しめるとか。それはやってみたい!子供にもウケるのではないでしょうか。まぁでも土器とか石器とか外で拾えちゃいますからね。誤飲だけは怖いですけど。専門の人は、やはり仕事中のうっかり誤飲が怖い!そんなんで資料破壊の記録が永久に残るなんて嫌だ。公式文書記録:土器破片の損壊、原因:食べたΣ(・ω・ノ)ノ……ネタにしもて辛過ぎる。・゚・(ノД`)


京都府東山区にある実店舗の前には「土偶みくじ」ガチャも設置中で、縄文関連のクッキー型もまだまだ増える予定だそうです。楽しみですね。


またWebサイトでは「Cookie Cutter Museum」を展開しており、縄文シリーズ以外にも古墳や埴輪、国内外の民俗文化歴史を3Dプリンタでクッキー型に起こし、クッキー型でさまざまな”博物”について学べる内容になっています。


レプリカのみ展示する博物館も話題になっている昨今、クッキーのみの博物館も悪くないと思う。食べれるし!(・∀・)つ


↓押してくれぃ!ほいっ!押してくれぃ!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ↓

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2018ねん 5がつ 26にち(どよーび、晴れ)

今日は眠い!

そのため今日は3回も、

「冷たい水でこじ開けて」みた!!!(・◇・)ゞ

カフェインに頼らないのは健康的かも知れない。

あぁ水が旨い.+.(・∀・)゚+.゚

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【目次】
  1. この船、めちゃくちゃ保存状態がいいよ!
  2. 国際プロジェクトによる色々な発見のお話
  3. ”モノ”で発見するという重要性について
  4. おわりに

1.この船、めちゃくちゃ保存状態がいいよ!
今回紹介するのは黒海で発見された20隻もの古代・中世の船についてです。最も古いものは約2000年前で古代ローマの時代の船だそうです。

この発見の凄さは数もありますが、何といっても保存状態の良さ!上に挙げた画像(古代ローマ船)の
ように、マストはまだ立っていて、舵柄(かじづか;舵を操作するレバー)を備えたクォーター・ラダー(後甲板舵;後ろの方に付けられた”かじ”のこと)がまだ取り付けられたままになっています。

またヤード(帆桁;帆を張るための用材、マストに対して直角になってる長い木の棒!)は落ちて、デッキの上に未だ横たわっています。深海2000mにあるため特殊な無酸素状態下において、ロープすら保存され、船体のフレームにまだ残っています。

2000年経っているのに、この保存状態!すごいですよね。船の構造に全然詳しくない私ですら、上の画像から船の形が容易に想像できますもの.。゚+.(・∀・)゚+.゚

この発見は、国際黒海海洋考古学プロジェクト(Black Sea MAP)によるもので、昨年2017年に3回目となる最終的な調査の中での発見であり、プロジェクトの中で最も重要な発見となりました。

まぁこのように、考古学調査って何故か、もう調査終わる、時間ない!って時に限って重大な何かが見つかるものです。考古学あるあるですね。幸運の女神様もいたずら好きなんですね~( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

さて、この古代船の一群は黒海の中でもブルガリアの海岸近く、水深2000mで発見されました。黒海の水は150メートル(500フィート)以下で無酸素で、木や肉などの有機物を餌とする生物の成長と発育を妨げるそうです。

なので、保存状態がすこぶる良いのですね。水中考古学にとっては最高ですね。水中考古学については別の記事を設けたいと思いますが、一般的にはどうしてもトレジャーハンター感があります。黒海の事例のようにそれほどまでに保存状態もよく、位置も変わってないなら、歴史的な研究だけではなく「本来の」考古学的な分析や理論面との連携について推し進めて欲しいなと私は期待しています。


2.国際プロジェクトによる色々な発見のお話
2015年9月に始まった黒海海洋考古​​学プロジェクト(Black Sea MAP)は、ブルガリア、スウェーデン、アメリカ、ギリシャなど多国籍の大学研究機関が参加した国際的な調査団です。

彼らの発見のひとつは黒海の塩水化の時期についてです。黒海ってそもそも淡水湖だったそうです。従来言われていたのは紀元前6000-5000年に「旧約聖書のノア箱舟の洪水」によって塩水に変わったという説でしたが、実際にはより古い約18,000-12,000年前の最終氷河期の終わりに変化したことが科学的に判明したそうです。

全3回のフィールドシーズンの間に非常に良好な状態で保存された計60隻の難破船を発表し、約2,500年間に渡る黒海における航海伝統の歴史を書けるほどの発見だそうです。

彼らはまた、現代の海底の水深2.5メートル地点において沈没した青銅器時代の居留地を発見し、発掘したとのこと。私としてはこっちの方が面白い!( ・Д・)論文・報告書探してみます。専門じゃないけども……まぁ船も好きなんですけどね。この発掘調査事例だと考古学と水中考古学の対比が素直にできて面白いだろうなと思っています。

また2017年度の調査では古代ローマ船、ビザンチン時代の商船、ヘレニズム時代、オスマン時代の船とかなり古い難破船が発見されています。これらの発見は、最新のロボットレーザースキャニング、音響および写真測量技術を使用してなされたとのことです。これらの一連の発見により、黒海における貿易と交換、戦争とコミュニケーションに関する具体的なパターンの解明が期待されますね。



3.”モノ”で発見するという重要性について
彼らによって発見された船の中には第1ブルガリア帝国(632 / 680-1018年)とブルガリア第2帝国(1185-1396 / 1422年)の時代の船が含まれます。しかし中世のブルガリア帝国のでは14世紀のひとつの事例を除いて、有形の軍艦または商業艦隊を実際に開発したことはなかったことが文字記録により分かっていました。

実際に見つかったブルガリア帝国の船からは、中国で作られたモンゴル(タタール)のモチーフを用いた14世紀のネフライト(魔除けバックル)が発見されたそうです。つまり船舶を購入していたのでしょうか、当該時期には自国で造船していなかったという史実の内容が”モノ”の発見によってより具体的に明らかとなったわけです。

3シーズンの調査によって全部で60種類に及ぶ古代・中世の難破船が発見され、これまで船舶については象徴的な描写や書かれた記述でしか知られていなかったことが多かった中で、これまで見たことのない構造的特徴や装備を有していることが分かったとのことです。

時代が新しければ、船の設計図等の正確な記述や模式図が残っている場合もあるでしょう。しかし記述には残りにくい、装飾や船内の備品といった実際に発見されなければ分からないこともたくさんあるのです。



4.おわりに
水中考古学いいな~!興味ある!近い内に調べて記事にすると約束します!(。・ω・)ノ゙

古代マヤのお話だと、グアテマラ北部ペテン県にあるペテン・イツァ湖に、スペイン人たちがもたらした馬を模倣した石造の馬が沈んでいるという伝説があります。これについても次回触れますかね。透明度あんまりない湖だし、ワニいるから危険だけど、この石の馬見つけたい!リタイアしたらまさに命かけて潜りまくるかな!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓彼らは黒海深くまで潜って、隠れた「歴史」に触れました↓
↓記事ページのこんなに深くまで潜ったなら、↓
↓ネットの海に深く埋もれた「このサイト」に光を…ヽ(TдT)ノ↓

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2018ねん 5がつ 26にち(どよーび、晴れ)

寝不足だから

早く寝ようと思ったのに

なんだかんだ23時過ぎに寝た。

そして変な夢を見まくった……

そんなこんなで今日も眠い( -д-)ノ

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↑今、超人気のマンホールカード!赤丸部に注目!(「信州・市民新聞グループ」の記事内写真より転載)

今回紹介するのは、長野県茅野市が昨年(2018年)12月から配布している「マンホールカード」です。これがめちゃくちゃ人気なんだそうです!

このマンホールカードは、JR茅野駅ビル2階の観光案内所で無料配布しているそうで、当初2千枚用意したところ、半年経たずに残りが90枚を切り、増刷の手配をしているのだとか。

「マンホールカード」はご当地キャラクターや名所、名産などが描かれた個性的なマンホールぶたを紹介するもので、全国各地の配布先に足を運べば無料で手に入れられるのです。下水道のPRを行う「下水道広報プラットホーム」が各自治体と連携して現在までに342種類(301自治体)を発行しており、観光の記念や趣味の一環で集めているコレクターも多いのですごい人気なんだそうです。
 
ちなみに茅野市のマンホールは、国宝土偶「縄文のビーナス」「仮面の女神」、八ケ岳、市木の白樺、車山高原のニッコウキスゲといった自然と文化の魅力が詰め込まれたデザインです。上に挙げた写真の赤丸部で国宝土偶が紹介されていますね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

茅野市の担当者によると、これまでにカードを受け取ったのは7割が県外者で、受験シーズンには「滑らない」「落ちない」という縁起をかついで、お守りとして取りに来る市民もいるそうです。5月のゴールデンウイークのような大型連休中には、観光客を中心に1日40〜50枚を配布したということで、観光業・地元活性化にも大きく影響を与えているようですね!

茅野市水道課のコメントとして「大都市にある有名なキャラクターなどが描かれたカードにはかなわないが、地方や県内の自治体としてはかなり人気が高い方。配布場所が駅直結なのが良かった」と話し、「茅野市のPRにつなげることができている」と喜んでいるそうです。

ちなみに配布は1人1枚で、次の増刷は未定。観光案内所の開所時間は午前9時〜午後5時半です。行ってなかったら辛いので、事前に問い合わせましょう⇒茅野市水道課(Tell:0266-72-2101)

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さて、これまで考古学研究をいかに現代社会に結び付けるか、いかに社会還元を行っていくべきか、文化遺産活用の在り方とはどうあるべきか、というテーマで色々と考えてきました。今回のマンホールカードのように行政、地方自治体が積極的に自らの地域の文化遺産を上手に活用している例がたくさんあるものです。

考古学調査はその規模に関わらず、地元の人々との関係が非常に重要になってきます。地元への成果の還元のひとつとして、しっかりとした調査と報告、そして分かり易く興味を惹く説明会・講演会を行うことが全てのスタートになるのでしょう(。・ω・)ノ゙

ところで、私のフィールドである中米の考古学者が日本に研修に来た際に言っていた言葉を思い出します。「いや、ほんとに日本は綺麗!マンホールすら綺麗!思わず写真撮った!」って、あの時はよく分からなかったけど、今回紹介したような素敵な絵柄のマンホールのことだったのですね。

どうやら日本のマンホールはすでに一つの芸術・文化の粋にあるようですね……というか「遺跡カード」も作ってくれないかな。「遺物カード」でもいいな!(*同名ですが資料整理に使うアレではありませんよ!( ・Д・))

スマホとか便利なものがたくさん普及して世の中デジタルばかりですが、やっぱり手元に残るカードいいですよね。コレクションしたくなる。マンホールカードはすでに第7弾で、全324種、初期のカードは激レアだとか!

……ギャザ(マジック・オブ・ギャザリング)とか遊戯王とかいいですよね。遮光器土偶にHP、攻撃力、防御力とか付けてゲーム化してくれないかな? 一般ウケは分からんが、考古学徒は買うでしょう!.。゚+.(・∀・)゚+.゚

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2018ねん 5がつ 25にち(きんよーび、晴れ)

眠い(ρД-)

とても眠い(ρД-)

あくびがでまくる٩(๑´0`๑)۶

なのに眠れない……

前にもあったな、こういうの( -д-)ノ

今日は寝る努力をします!( ・Д・)

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今回、ご紹介するのは6世紀に東ローマ帝国で生じた「ユスティニアヌスの疫病」についてです!上の写真は戦闘の際の犠牲者の集団埋葬の検出状況です。スタッフからすると3m×2mに人骨集中が見られ、折り重なるようにかたまっていますね。保存状態がとても良いので、ちょっと怖い感じがします( ・Д・)

さて、今回のテーマである「ユスティニアヌスの疫病」は、西暦541-542年に、首都コンスタンティノープルを含む東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を中心として起きたもので、古代のパンデミックのひとつです。人類史の中で最も大きな災害の一つでした。まぁ一般的には14世紀の疫病(ペスト;黒死病)が最も有名ですね。



この疫病は、ビザンツ帝国、特に首都コンスタンティノープルや他の地中海港、ササン朝に影響を与えたユスティニアヌス1世(527  -  565 AD)にちなんで命名されました。ちなみにビザンツ帝国のユスティニアヌス自身は疫病に巻き込まれましたが、回復したと言われています。すごい生命力ですΣ(・ω・ノ)ノ

これまで同時代にはエジプトにて最も致命的な疫病の流行が起きていたためエジプトが疫病の起源と考えられていました。つまりトルコのイスタンブール、コンスタンティノープルでのユスティニアン・ペストの流行は、エジプトから到着した穀物船でラット(ネズミが原因;黒死病と同じですね)が市内に運ばれた結果としてパンデミックとなったと考えられていました。



しかし541〜542年頃にアジアでも2500万人が死亡している可能性があることがわかり、この疫病の原因が、ユーラシア大陸のフン族の西への移動に関連している可能性があるということが示唆されました。

この発見は、ユーゴスラビアの草原で発掘された137体のヒトの骨格に見られるDNAの分析から判明したもので、上記写真のモンゴルの戦闘犠牲者の大量埋葬の人骨も分析対象でした。分析に用いられたこれらの匈奴の戦士たちは、後にフン族として知られる遊牧民と系統関係にあります。



ユーラシア大草原地域は広大な地域で、中国北東部から中部ヨーロッパのハンガリーまで約8,000キロメートルにわたって広がっており、検体サンプルの該当時期は2,500 BC〜1,500 ADといった大きな範囲をカバーしています。科学者たちは、これらの検体のゲノム情報から「ユスティニアヌスの疫病」に関係するペスト系のDNAを回収に成功しました。

DNAの分析結果から、これらのフン族の人骨の内のいくつかから、ヨーロッパにおいて何百万人もの人々を殺した「ユスティニアヌスの疫病」の基本的な形が見つかったのです!(。・ω・)ノ゙

このような広範な年代の人骨の分析によって「ユスティニアヌスの疫病」の起源が紀元200年頃にさかのぼり、疫病がヨーロッパを襲った数百年前のことであることが新たに分かったのです。またこのペスト系統のDNA解析は、14世紀の黒死病と同様に、ノミを介した感染を可能にする突然変異形があることも判明しました!(*・ω・)ノ

つまるところ、ウィルスの歴史が明らかになったのです!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


さて加えて、関連する別の研究ではユーラシア大陸の古代人のB型肝炎を発見したそうです!

12人の古代人から回収されたウイルス配列から発見され、ヒトにおけるB型肝炎ウイルス(HBV)の最も古い証拠だそうでです。



これによって私達はB型肝炎ウイルスの歴史を解明しつつあるわけです。2015年度のデータでは地球人口の内、約2億7,700万人ものがB型肝炎ウイルスに感染していると推定されています。そして肝臓癌などの合併症のため約88万7000人が死亡したそうです。

さて、おわりとしまして、今回のテーマは最終的に「ウィルスの歴史」になったわけです。こう考えると考古学調査ってすごく現代医学とも繋がってるんだなと、正直驚きました!(つд⊂)ゴシゴシ 考古学すごいぞ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

……あと余談ですけどね、生物兵器ってあるじゃないですか? 古代中国の歴史資料の記述に、匈奴の戦士たちは羊の死体を水源に入れて生物攻撃を行ってたそうです!



いやぁ、何でも起源は古くて、何でも歴史があるのだなぁと思いました( -д-)ノ 専門外のことを記事にすると翻訳・要約が中心となって面白く書けないなぁと思ってましたけど、私自身が勉強になって面白いですわ!

皆さんが楽しめる記事を書けるよう、これからも少しずつ知識を増やしていきますね(。・ω・)ノ゙ 皆さんも色々な記事を読んで、考古学・歴史に興味を持って頂ければ幸いです。

↓こちらも押してもらえると幸いです.。゚+.(・∀・)゚+.゚↓

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2018ねん 5がつ 23にち(すいよーび、曇り)

思うに、頑張って記事を「考古学」っぽく、

本格的にな感じにすればするほど、

みんな興味ない!( -д-)ノ

トップ画像とインパクトあるタイトルが大事なのね!ヽ(TдT)ノ

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↑ 3世紀の古代ローマのお墓、発掘直後の様子(Archaeology in Bulgariaの記事より画像を転載)

今回、紹介するのはおよそ3世紀頃の古代ローマのお墓の話です。これはブルガリア南部で発見されました。しかも場所はというと、プロフディフ医科大学のキャンパス内だそうです!

どうやらこの大学のキャンパス内にある大統領府の建設工事中に発見されて、考古学者らによって調査されたようですね。大統領府がキャンパス内にあるってどういうことなのだろう……Σ(・ω・ノ)ノ

さて、上の発掘直後の様子の写真どうでしょう?考古学の調査の写真ってこういう感じなんですよ。スケールとして三本のポールが配置されていて、内部には方角を示す矢印が置かれています。分かりますかね?真ん中にごちゃごちゃしてるのは人骨ですよ!


古代ローマ時代には、プロフディフには4つのネクロポリス(「死者の都」、巨大な墓地ですね)があったことが知られています。プロフディフ医科大学のキャンパスは4つの内の西側のネクロポリスの上に立地しており、今回のような考古学的発見が頻繁に起こるそうです。

古代のネクロポリスの上にある医科大学ってだけで、肝試しには最高の舞台ですね!

さて、上の写真は発掘の最中のものです。掘ってる人の右手側にまぁるい何かが見えますか?これがカメの甲羅なのです。今回のこのお墓、何が不思議かというと、カメの甲羅が2個体分も出てきたことなんです。

実はこれ、ブルガリアでの最初の事例として、珍しい考古学的な発見なのです。

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2つの甲羅の内、1つは小さくて保存状態が良くないようです。写真の物は埋葬されたヒトの頭の横に副葬されていて、大きく、保存状態も良いのです。

では何故カメの甲羅が副葬されたかというと、調査者の仮説によれば、古代の人々がカメはエルメス(ヘルメス;ギリシア神話のオリュンポス12神の1人)の象徴であると考えたそうです。つまりカメは死者の人間とは異なり、死後の世界につながった生き物であると考えていたそうです。

カメは死んだのではなく、死後の世界に移行しただけということで、魂の不滅の象徴として捧げられたようですね。

この古代ローマの墓に副葬されるカメの発見はブルガリアでは最初ですが、他にトルコ南東部のディヤルバキール州にある古代アッシリアの集落の墓地に21頭のカメ類の化石が発見されたケースがあるそうです。

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↑ 供伴して出土した古代ローマのコイン(Archaeology in Bulgariaの記事より画像を転載)

考古学者らは、この古代ローマ時代の墓の中に合計3人の骨を発見しました。大人2人と子供、おそらく家族だそうです。また上に挙げたような3世紀のコインが見つかりました。

研究者たちは、墓に隣接して古代フィリポポリスの西側墓地から4つの墓地を発見したほか、大学の児童診療所の下において、大きな石積みの壁を発見しています。

他の墓の事例からしても、ネクロポリスで見つかる墓って集団埋葬施設のようですね。今回の事例のように一つの墓に複数の人が埋葬されることが珍しくないみたいです。

ま、ということで、今日は「世界亀の日」!カメさんに優しくある一日になりますように(。・ω・)ノ゙

↓押してくれるとカメさんも喜びます、きっと(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2018ねん 5がつ 22にち(かよーび、晴れ)

暑い!めちゃくちゃ暑い!

日も長くなって、夏が来るなぁと実感する。

さて汗だくになって頑張って働きますかーい!( -д-)ノ

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今回はニューヨークタイムズの記事から紹介します。タイトルにあるように、「中世ヨーロッパの墓から赤ちゃんの骨が出土したけれど、何故か右手だけミイラ化してた!」という謎についてのお話です。良かったら、二番目の写真を確認したところまでで「何故右手だけ?」の理由を推理してみてくださいねヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ

さて、ハンガリーのセゲド大学の生物人類学科に所属するヤーノス・ボラージュ(János Balázs)らは、2005年にハンガリー南部の村、Nyárlőrinc(にゃるろりんく…読めません!ヽ(TдT)ノ)での古い墓地で発掘調査をしていました。

この調査成果として、主に12世紀から16世紀の間に作られた500基以上の墓を検出しました。しかし、それらの埋葬のどれもがミイラ化した緑の手のようなものではなかったのです。

最初に挙げた写真で示した、ミイラ化した緑色の赤ちゃんの手を発見した当初、ボラージュは、この小さな右手の骨だけが緑色でミイラ化していた理由を分かりませんでした。

この謎にボラージュらは10年以上もの時間をかけて挑み、今回そのユニークなミイラ化のプロセスが明らかになったとのことです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

下の写真に見られるように、赤ちゃんの古人骨の内、いくつかの椎骨、股関節骨および脚骨を含むいくつかの部位が緑色に変色していました。どちらの前腕も緑色ですが、右側の手は依然として乾燥した肉で覆われていました。背中の近くの皮膚もミイラ化しており、5つの椎骨片が埋め込まれたままでいたそうです。肋骨のほとんどの部分や、肩の骨および上腕骨2つは変色していませんでした。

ボラージュらは、小さな骨格を調べることによって、故人が誕生直後に死亡した死産または未熟児の早産のいずれかであると判断しました。研究者らは子供の体重が11〜13インチで、重さは1〜2ポンドと推定しています。



・・・・・・はい!(。・ω・)ノ゙推理タイムはここまでです( -д-)ノ・・・・・・



・・・・・・



・・・


実は、考古学的に言えば、緑色の骨は中世ヨーロッパの墓地では珍しいことではありません。ブロンズ製や銅製のジュエリーによって骨格が劣化した際に変色することが多いのです。そのため研究者らは子供の体が何らかの金属と接触していると考えました。しかしどうしてその謎の金属物体はその小さな手の近くだけに影響を与えたのでしょうか?

研究者らは遺骨の化学分析を行い、その子どもが平均よりも数百倍も高い銅濃度を有することが分かりました。実際にこれまで彼らは分析したミイラの中でも最高レベルの濃度でした。

そしてボラージュは赤ちゃんが見つかったお墓内部に収納ボックスがあることを発見しました。彼が箱を調べると、中には小さい陶器と腐食した銅のコインが入っていたのです。これがヒントになりました。

研究者らは、小さな子供が土器の中に入れられて埋葬される前に、誰かが銅のコインをその小さな手に持たせたからと結論づけました。古代の多くの文化は、魂を後世に連れて行くために神話的な「渡し守」に支払う方法として、コインを死者に捧げて葬っています。

この場合、コインの銅の抗菌性が子供の手を腐敗から保護したと考えられます。埋葬土器内の状況に加えて、赤ん坊の手をミイラ化するのを助けたのです。研究者らは、この子供の埋葬が、銅がミイラ化を引き起こすことを示した最初の科学的事例かもしれないと考えているそうです。
恐らく埋葬土器内の子供は窮屈な姿勢にあった可能性が高く、そのためコインの銅の腐食が骨格の他の部分をも変色させたと考えています。

またこのボラージュらの研究チームは未熟児の埋葬が他にもう2例あることも突き止めました。今回の事例のように 1つの墓では緑色の骨を持ち、コインと埋葬土器がある類似の事例でしたが、もう一方の墓では骨は通常の色調でコインも埋葬土器もなかったたそうです。

何故埋葬方法が皆同じではないのか? ということで、手に添えられた銅貨幣は1つの謎を解決しましたたが、別の謎を提示したのです。

赤ちゃんと一緒に発見された特定の銅貨、すなわち「Kreuzer」または「krajcár」は、1858年から1862年の間に流通していました。つまり、この事例は発掘によって多数検出された他の周りの墓とは異なり、中世の埋葬事例ではなかったのです。この期間のクリスチャンは、伝統的に死者に硬貨をつける風習はありませんでした。

ボラージュらは、この子供が生まれる前または直後に死亡したため、バプテスマ(キリスト教の洗礼)を受けていない可能性が高いと推測しています。そのためコインと土器で子供を葬った者は、亡くなった子供を宗教的に安心して送るための方法を見つけたのだと考えています。

そしてある意味で、それは機能したと言えます。主に右手だけですけども。

研究者は「150年後にまだ赤ちゃんとその葬儀の状況について話しているので、この幼児の救済に成功しただろう」と述べているそうです。確かにね(*・ω・)ノ

ちなみに現在のこの赤ちゃんの古人骨は、ハンガリーのモラ・フェレンチク博物館で遺物が展示されているそうですよ!

やはり、こういう発見ものや、謎解き系は考古学の醍醐味ですし、記事にしても面白いですよね!(。・ω・)ノ゙ 今後もこのような記事を紹介していきますので、全部読み終えるまでに推理してみるのも楽しみ方のひとつですよ(・∀・)つ

↓ここをぽちっとするのも楽しみのひとつ…だったらいいのにヽ(TдT)ノ↓

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2018ねん 5がつ 21にち(げつよーび、晴れ)

書きかけの記事が溜まっていく。

ブログ始めて少し経った頃とは違って

書きたいことはたくさん出てきた。

でも少しでも内容のある記事にと思うと

プレッシャーと時間がかかる( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・

【目次】
  1. 鈴鹿市博物館で埴輪の人気投票!& 鈴鹿市への提案( -д-)ノ
  2. 「歩け、マヤ」で「はにわアイドル総選挙」しませんか?
  3. おわりに

1.鈴鹿市博物館で埴輪の人気投票!& 鈴鹿市への提案( -д-)ノ
三重県鈴鹿市国分町にある鈴鹿市考古博物館で埴輪(はにわ)の人気投票を実施しているそうです。同館20周年記念特別展「三重のはにわ大集合!」に向けた事前PR企画なんだそうです。

埴輪と言えば、古墳時代の素焼きの焼き物で、古墳の上に並べられていたものです。大きく分けると二種類で円筒埴輪と形象埴輪があります。後者の形象埴輪はさらに家形埴輪、器財埴輪、動物埴輪、人物埴輪の4種類に分けられます。

埴輪と言っても色々な種類があって面白いんですよ。考古学的にも埴輪は重要で、形象埴輪からは古墳時代当時の衣服・髪型・武具・農具・建築様式などの情報を得ることができます。

さて、日本に古墳はいくつあるか知っていますでしょうか?答えは158905基です!今後の発見によって数はさらに増すでしょうけど、とりあえずおよそ16万基もあるのです!ちなみに古墳は基(き)を単位として数えます。

古墳が最もある都道府県は兵庫県で18841基!今回の記事で取り扱っている三重県は9位で6993基です。ということで三重県にはかなりの古墳があるようで、きっと埴輪の数も多いのでしょう。

今回の埴輪人気投票には、鈴鹿市や松阪市など県内6市の10遺跡で発掘された人物埴輪(はにわ)15点がエントリーしているそうです。最初に挙げた写真のようにパネルで紹介されていて、兜をかぶった武人、イヤリングやネックレスをした巫女、中国風の衿の服を着た男子などのユニークな埴輪たちが出馬しているようです。

来館者は自分が好きな1点を選び、シールを貼って投票することができます。現在の一番人気は、エントリー「外」で紹介している赤ちゃん(上に挙げた写真内の赤丸部参照)。この赤ちゃんは他の埴輪が抱えていたもので、単体ではないため除外されてしまったそうです。ひどいなぁ( -д-)ノ

この集計結果は20周年記念特別展「三重のはにわ大集合!」の中で発表するそうで、「特別展では実物を展示するので楽しみにしてもらえれば」とのこと。

いや、面白い企画だなぁと思います。考古学と現代社会ってどうやって繋いでいったらいいんだろうと最近本当によく考えるようになったわけですが、皆さん色んなアイディアで頑張ってらっしゃるなと感動しております。゜゜(´□`。)°゜。

さて、ここで大したことない提案をひとつ。鈴鹿市と言えば、私としては「鈴鹿サーキット」じゃないですか? マリオカート的に、可愛らしいはにわとレーシングカー(カート)、サーキットを結び付けれたら面白いなと思うんですけどね。

今後のちょっとしたPR活動に、あるいはエイプリルフールネタにどうぞ( -д-)ノ


2.「歩け、マヤ」で「はにわアイドル総選挙」しませんか?
さて、「歩け、マヤ」でもこれに便乗して「はにわアイドル総選挙」しませんか?

投票は全部コメントで受け付けます。

しかしながらすぐにできるわけじゃないですけどね。頑張って集成したいなと思います(頑張ってはにわの画像集めますって意味です)。

埴輪集成図鑑ってものがあるんですけどね。まぁ古い本なので白黒写真なんですよね。なのでカラー写真で頑張って集めたいと思います。
001-004
1:カッコイイやつ!;6世紀、群馬県太田市飯塚町出土、国宝、東京国立博物館所蔵、J36697
2:白い犬!;「見返りの犬」、6-7世紀、不明、MIHO MUSEUM所蔵
3:凛々しい馬;6世紀、伝茨城県土浦市真鍋古墳群 、九州国立博物館所蔵、J184
4:「踊る人々」;6世紀、埼玉県熊谷市野原字宮脇 野原古墳出土、東京国立博物館所蔵、J21428

005-008
5:スナフキンぽい;「鷹匠」、6世紀後半、群馬県太田市城西町(旧脇屋町)オクマン山古墳出土、市指定重要文化財、新田荘歴史資料館所蔵
6:いのししらしい;「猪」、6世紀、群馬県伊勢崎市 大字境上武士字天神山出土、重要文化財、東京国立博物館所蔵
7:スマートな馬;「飾り馬」、6世紀後半、群馬県太田市城西町(旧脇屋町)オクマン山古墳出土、市指定重要文化財、新田荘歴史資料館所蔵
8:可哀そうな鹿;矢が刺さっているらしい。「鹿」、6世紀、茨城県つくば市 下横場字塚原出土、東京国立博物館所蔵

009-012
9:ゼロっぽい(ナイトメア・ビフォア・クリスマスの犬);首輪付いてる「犬」、6世紀、群馬県伊勢崎市 大字境上武士字天神山出土、東京国立博物館所蔵
10:母猿らしい;「猿」、6世紀、伝茨城県行方市沖洲 大日塚古墳出土、重要文化財、東京国立博物館所蔵
11:朝だよー!;「鶏」6世紀、栃木県真岡市 鶏塚古墳出土、東京国立博物館所蔵
12:首がびろーん;「水鳥」、5世紀、大阪府羽曳野市 伝応神陵古墳出土、東京国立博物館所蔵

013-016
13:トドに見えるやつ;「鶏」、5世紀、群馬県伊勢崎市 赤堀茶臼山古墳出土、東京国立博物館所蔵
14:ビバホーム;「入母屋造家」、5世紀、奈良県桜井市 外山出土、重要文化財、東京国立博物館所蔵
15:ダブルピース;「捧げ物をする女性埴輪」、6世紀、埼玉県行田市埼玉古墳群の瓦塚古墳周堀出土、さきたま史跡の博物館
16:おじいさんは芝刈りに;「埴輪男子像」、6世紀末、群馬県太田市 脇屋出土、重要美術品、京都国立博物館所蔵、J甲281


と、例えばこんな感じに少しずつ増やしていこうかな~と思います。みなさんの「推しはにわ」を見つけてみてくださいね(。・ω・)ノ゙


3.おわりに

あ˝~、時間がかかる~。これ以上の企画は増やさないようにして主にニュース記事を取り扱っていかねばと思ってます……が、皆さんの心を捉える企画がどれかよく分からないので、今後も少しずつ模索していこうかなとも思ってます( -д-)ノ

あ、そう言えば最近読者の方が着実に増えています。嬉しい限りです。それをバネに頑張っていきたいものです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


↓あ~図面作ってたら腰痛くなった( p_q)エ-ン可哀そうだと思ったらぽちっとな(/TДT)/↓

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2018ねん 5がつ 20にち(にちよーび、晴れ)

すみませぬ……

急な仕事で「らーめんの考古学」できませんでした。

これから睡眠時間ちょいと削ってやります( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・

今回は考古学のゲームアプリの紹介です。手抜きではありません。本気で遊びたい!特にRPGがやりたい!これのためにもう名古屋に行こうかな!(・∀・)!!!

「Go!Go!しだみ古墳群」
●ダウンロード無料(App Store、Google Playで「しだみ古墳群」で検索)
●対応OS:iOS 8.0以上、Android 4.0.3以上(GPS、カメラ必要)
●日本語の他、英語・中文簡体字・中文繁体字・韓国語に対応




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↑やりたくなる画像を貼ってみた(上記App Storeより一部加工)

この「Go!Go!しだみ古墳群」は名古屋市にある古墳群を楽しめるゲームアプリなんです。考古学関連で文化遺産の活用に関して、最近色々な取り組みがなされています。史跡案内でAR系のアプリとかもよく見かけるようになりました。

そのような中でこのゲームアプリはかなりレベル高いです。帆立貝式古墳・前方後円墳・円墳などバラエティに富んだ各古墳の築造当時の姿や、1,300年前の風景をAR・VRで楽しめるそうです。

そして目玉は、史上初の実際に自分の足で古墳群を歩いて楽しむリアルRPGしだみクエストを楽しむことができます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!また、マスコットキャラクターの「しだみこちゃん」、「埴輪氏武」と一緒にAR記念撮影ができる仕様です。

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■古墳マップ(上の地図)
前方後円墳、帆立貝式古墳などバラエティに富んだ15基の古墳をマップ上に表示してくれます。それぞれの古墳の解説や見どころについて読めるほか、古墳巡りに最適なコースも表示されます。古墳が近づくと「しだみこちゃん」(右下の子)が教えてくれます。


上の二つの画像のように、白鳥塚古墳の築造当時の姿のAR、志段味大塚古墳の埋葬施設のAR、大塚・大久手古墳群地区の5世紀VR、東谷山山頂から望む7世紀VRなどを現地で体験できるそうです。

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■しだみクエスト(。・ω・)ノ゙
史上初の考古学系、リアルRPGです!これがやりたい!実際に自分の足で古墳群を巡りながら楽しむ、ARを使ったリアルロールプレイングゲームだそうです。

ストーリーは、しだみの支配をもくろむ謎の“まじない師”によって埴輪たちが操られてしまい、暴れる埴輪たちと戦って正気に戻し、しだみに眠る被葬者たちの願いを聞きながら、仲間たちとともにしだみを救う大冒険の旅だそうです!意味は分からんがまぁいいでしょう(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



■どこでもVR・AR
現地に行かなくても、どこにいても以下のコンテンツを楽しむことができます。それはいいことです(*・ω・)ノ
①東谷山白鳥古墳の石室内をVRで体験できます。木棺も開きます。中に何入ってるんでしょうね?
②しだみこちゃん・埴輪氏武の3Dモデルが自分の3m前に出現します。一緒に記念撮影ができます。(屋外で使用可能)、けっこうかわいいから撮りたいかも。
③マーカーカード上にARで手乗りサイズの「しだみこちゃん」が出現するそうです。どうやら息を吹きかけると何か起きるそうですよ?あとでやってみますね.。゚+.(・∀・)゚+.゚


おわりに
このゲームアプリを製作したのは、株式会社ジーン(本社:大阪市)です。この会社によれば、「史跡で楽しいワクワク体験!「史跡観光×VR・AR」事業を当社では引き続き推進してまいります」とのこと!

こういったゲームが色々出てくると嬉しいですね。というか日本、あるいは世界の遺跡と連動して、たくさんの遺跡、史跡、博物館を回るほど強くなるみたいなの作ってくれたら(ポケモンGO的な)……考古学者はきっとプレイするけど強くはなれませんね( -д-)ノ

よく訊かれる質問に、考古学者ってやっぱり色々な遺跡に行くんですか?ってのがあります。人にもよるでしょうけど、まぁ行かないでしょうね。時間とお金があったら、自分の専門地域にばかり足を運ぶと思います。まぁ死ぬまでにエジプト行ってみたいけども!( ・Д・)

↓押して頂けると幸いです。涙ちょちょぎれます。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン↓

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