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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2019年02月

2019ねん 2がつ 25にち(げつよーび、晴れ)

薬のせいか、びみょ~な眠気というか倦怠感に襲われる一日だった。

薬を飲み切るまで数日はこんな感じなのだろうか( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『イギリスの洞窟で17世紀の魔除けがたくさん見つかったよ!』って内容です(*・ω・)ノ


発見地点はイギリスのイースト・ミッドランズにあるクレスウェル・クラッグスという洞窟です。

ここではかつて約1万3000年前のものと見られる壁画も発見されていました。



なので、この魔除けの彫刻も以前に確認されていたのです。

しかし単なる「いたずら書き」として認識されていたようで、今回「魔除け」の意味のある彫刻であることが判明したのです。



「アーサー王伝説」で有名なイギリス、サマーセットの洞窟で57の魔除けの記号が発見されており、これが過去最多だったわけです。

今回のクレスウェル・クラッグスの事例に見られる魔除けの記号は数百に及び、サマーセットの記録を大きく塗替えました。


大量の魔除けの彫刻文の多くは幾何学文様ですが、中には聖母マリア(Virgin of Virgins)を表わす2つのVや、邪悪な存在を罠で捕えるためのものと考えられる四角い箱、迷路のような記号が見られます。




↑魔除けが刻まれた洞窟内の様子(「Creswell Crags」が投稿するYouTube動画です)


このクレスウェル・クラッグス洞窟にいつ魔除けが刻まれたかは不明なようです。


しかし類似する魔よけが教会や家屋、他の洞窟にも刻まれていることが分かっており、一部の極めて近似する魔よけについては1550~1750年ごろに建設された周辺の家屋で発見されています。


これらの魔除けのシンボルの意味は「病気や死、不作を退けるため」に使われたそうで、当時の人々は暗い洞窟の奥からやってくるであろう悪魔や悪霊といった恐ろしい存在に対抗するために洞窟壁面に魔除けを刻んだと解釈されています。


17世紀はイギリスだけではなくヨーロッパ全土で地球規模の寒冷化による飢饉に苦しんでいました。

この大飢饉に由来する内乱や戦争も頻発していた不安定な時期であることから、少なくとも一部は17世紀に刻まれた魔除けなのかも知れませんね( -д-)ノ


↓ここを押すと魔除けになりま・・・す?( ・Д・)↓

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2019ねん 2がつ 24にち(にちよーび、晴れ)

今日はなかなかに充実した一日だったと思う。

そういう生活を続けていきたいものだ!( ・Д・)


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さて、今回の考古学・歴史ニュースは『曹操の墓で見つかった品が早くも来日するよ!』っていうお話です(*・ω・)ノ


↑バックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↑



ちょうど「最古の白磁」が見つかったっていう時に、曹操の墓の副葬品はどんなだろう?と、もし分かったら紹介しますね~という感じでしたが、早くも来日するそうです!



「三国志」と題する特別展の開催場所は東京国立博物館と九州国立博物館です。

日程は東京国立博物館において2019年7月9日~9月16日です。

九州国立博物館においては2019年10月1日~2020年1月5日です。


曹操の墓から出た副葬品は銅帯鈎、鉄甲、鉄剣、玉珠、水晶珠、瑪瑙珠、石亀、石壁、石枕、刻名石牌等と200点以上確認されているそうです。

本記事では特別展に先立って、曹操の墓の副葬品の一部をさらっと紹介したいと思います( -д-)ノ


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さて、様々な発見が相次ぐ曹操の墓ですが、中国の試算によると毎年約56億7000万円(4億2000万元)の経済効果を見込めるそうです。

そして早々と日本で公開を決める辺りが中国の商魂を感じます。


文化財の活用方法には様々な形があります。

何もお金に関連することばかりではありませんし、すぐにお金に直結させること自体が正しいことではないでしょう。


しかしながら日本も多少は見習う部分があるのかなとも思います。

具体的には陵墓とか許可出して調査して、『卑弥呼』関連や『古代日本の成り立ち』として観光地化すれば少なくない経済効果も見込めるな~とも思ってしまったり( -д-)ノ

同じとはいかなくとも、様々な文化財活用で仮に約60億円程度のの経済効果が見込めれば、我が国は消費税を上げ続けるのやめてくれますかね?( ・Д・)

↓博物館に行こうと思う人~!ヾ(´ω`=´ω`)ノ↓

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2019ねん 2がつ 21にち(もくよーび、晴れ)

某100均での話。

理科の実験で使うシャーレが欲しかった。

店の人に訊いたら、ポカ~ンってされた。

説明したら、「あ~、ビーカーならあります!」

……ビーカー!?( ・Д・)


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↑レプリカ法で見つかったゴキブリの卵(「EurekAlert」の記事内画像より転載;credit: 小畑弘己、熊本大学



今回の考古学・歴史ニュースは「土器の研究から、日本のゴキブリの起源が中国である可能性が分かったよ!」ってことです!


この研究は熊本大学の小畑弘己教授によるもので、土器表面に対するレプリカ法(圧痕法)を用いたものです。


より正確には「土器圧痕のレプリカ法」と言います。


土器の器面(表面)に何らかの要因で押し付けられた痕跡(圧痕)に対して、シリコンを流して型を取った標本(レプリカ)を電子顕微鏡等で観察して分析する手法のことです。





対象となった資料は宮崎県、宮崎市田野町の本野原遺跡(もとのばるいせき)で出土したものです。

この本野原遺跡は縄文時代後期の遺跡であり、西日本において最大級の集落跡が発見されています。


この遺跡から出土した約4300年前の土器と約4000年前の土器との器面からゴキブリの卵の痕跡が見つかったわけです。


本記事内で述べている検出されたゴキブリの「卵」というのは実際には「卵鞘(らんしょう)」と呼ばれるもので10~11mm程度のサイズだそうです。

この「卵鞘」の中に複数の卵が入っている構造なのです。

そのため「卵のさや」と書くのですね。しかし記事内では分かり易く、「卵」と表記します( -д-)ノ




今回検出されたゴキブリの卵は、中国南部が原産とされるクロゴキブリの卵と形態的に強い類似性を示しているということが分かりました。


クロゴキブリとは屋内に生息する種のゴキブリとして代表的なものです。

ちなみにこの屋内ゴキブリであるクロゴキブリがが縄文時代の遺跡から確認されたのは初めての事例のようです。


つまり今回の発見によって縄文時代の家屋の中にもゴキブリがいたことになります。

どうやら我々と”G”との戦いの歴史はとても長いようですね( ・Д・)



日本の在来種とされるヤマトゴキブリは平安時代(CE794-1192)の文献に記載されています。

それに対して今回の発見は約4300年前のことですので遥か昔の話になります。


このクロゴキブリが船によって渡って来たのか、本当は日本の在来種であるのかはまだ分かりませんが、日本におけるゴキブリの起源に関わる重要な発見なのです。


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レプリカ法、面白そうですね!(・∀・)つ


だが、私のフィールドではどのような発見に繋がるのだろうか……

やってみなきゃ分からんか!( ・Д・)

↓”G”が嫌いなひと~?(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2019ねん 2がつ 23にち(どよーび、曇り)

なんだか一日中眠い日だった。

早めの時間に寝たのにな~ヽ(TдT)ノ


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↑大谷地神社の本殿(「歩け、マヤ」管理人撮影)



さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『大谷地神社に参拝して、御朱印頂いてきたよ!&鳥居のデータ取ったよ!』ってことですね。



↓関連記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↓
↑良かったら併せてどうぞ~(・∀・)つ↑




まずは大谷地神社の基本データから紹介しますね。


【大谷地神社】
住所:札幌市厚別区大谷地西2丁目2-1
Tel:011-891-2235
駐車場:あり

祭神:大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)
  :大穴牟遲大神(おおなむちのかみ)
  :少彦名大神(すくなひこのおおかみ)
創設:明治39年9月

初詣:1月1日
どんと焼き:1月20日(AM9:00~)
新年際:1月7日
春祭り:4月7日
宵宮祭:9月22日
例祭:9月23日
新嘗祭:11月23日
除夜祭:12月31日


さて、では頂いた御朱印のご紹介を( -д-)ノ


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↑大谷地神社で頂いた『パンフレット』と御朱印帳(北海道神宮で購入)(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑大谷地神社の御朱印(「歩け、マヤ」管理人撮影)


大谷地神社には駐車場がありまして、そこを利用すると神社の裏手から回り込む形になります。


最初に挙げた写真に見られるように、大谷地神社の本殿は改築されたものなのか非常に新しく美しかったです。

この大谷地神社の本殿に向かって右手に社務所があります。


大谷地神社のオリジナルの御朱印帳はないようです。

なので御朱印帳は前回、北海道神宮で購入したものを使用しました。


初穂料一覧には御朱印に関する記載はありませんが、御朱印をお願いすると頂くことができました。


御朱印の初穂料は300円でした。


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↑境内にあった狛犬(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑社務所内に飾ってあった絵皿と大谷地神社の絵(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑禊を行う場所??窓から本殿が見える素敵な雰囲気(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑小型ながら立派なお神輿(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、今回もけっこう寒かったのですが、鳥居のデータを取得してきました。


【名称】
①建立時期
②素材
③高さ
④直径
⑤角度
⑥下部構造

以前に提示したものに、『④直径』を新たに加えています。

暫くはこの項目でデータを集めていこうと考えています( -д-)ノ


大谷地神社には鳥居が1基のみ建立されていましたので、そのデータを紹介します。


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↑大谷地神社の鳥居。急な階段があるため本殿側から撮影(「歩け、マヤ」管理人撮影)


【大谷地神社 / 本殿正面の鳥居】
①建立:1906年
②素材:金属製(内部はコンクリート)
③高さ:約3.2m
④直径:40cm
⑤角度:垂直
⑥下部構造:特になし


鳥居は1基でしたので、創建時期と建立時期は一致するかなと思い、特別調べておりません( -д-)ノ

この大谷地神社の鳥居は見た目が、細めのドラム缶を継いだような様子でした。

見慣れた赤い鳥居とは雰囲気が大きく異なり、珍しいなぁと思いました。


直径は40cmと普通サイズに感じましたが、それに比べて高さは約3.2mと低いなぁと感じました。

雪のせいがあるのでもう少し高いかも知れませんが、それでも3.5mにはならないはずです。



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↑鳥居の表面が一部欠損しており、内部を確認することができました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


鳥居の素材は金属製でした。かなり薄い感じで、軽くノックしてみると重厚感を感じませんでした。

緑青が発達して全体として青緑的な色合いでしたから、銅を含む金属板で出来ているのかも知れません。

上に挙げた写真に見られるように、鳥居の一部が欠損しており、内部にコンクリートが詰まっていることが分かりました。

全体として小レキを多量に含む粗いコンクリートで造られており、その表面を薄い金属板で覆っているようです。


雪があるので下部構造についてはよく分かりませんでしたが、見た感じでは亀腹や台石は伴わないと思います。

少なくとも寝巻は確認できませんでした。


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まだまだ御朱印収集と鳥居の起源に関する考察は始まったばかりですが、のんびりとやっていきたいと思います。

応援よろしくお願い致します!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓御朱印集めが趣味な方、かもーん!щ(゚Д゚щ)カモーン!↓

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2019ねん 2がつ 20にち(すいよーび、晴れ)

今日はよく歩いた日であった。

珍しく元気に歩き回ったせいか靴ズレしてしまった( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「曹操の墓から世界最古の白磁が出土した!」です!



↓曹操の墓については以前、まとめで簡単に触れていますので宜しければことらもどうぞ!(*・ω・)ノ↓
↑バックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↑



さて、曹操と言えば三国志に出てくる魏の英雄ですね。

ひと昔前だと漫画で三国志に関する知識を得ていたような気がします。

最近だと「三国無双」とか「恋姫無双」(美少女化してます( -д-)ノ)とか、ゲームの方から入る人が多いかも知れません。



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「最古の白磁」というのが今回の考古学ニュースにおける目玉なわけですが、、、

まず、最古とはいつなのでしょうか?



曹操は2~3世紀(CE155-220)に活躍した英雄です。

(CEはCommon Era;共通紀元です。今後この表記を使おうかなと(*・ω・)ノ)


最古と考えられる白磁は、曹操の墓から副葬品として出土しているわけですから、220年頃に製作された磁器と考えられます。


曹操は死後に眠りを妨げられないように、墓のダミーを多く建造させたと記録にあるそうで、そう考えると曹操の墓&ダミーの建造は生前から計画的に行われた可能性がありますね。

となると出土した白磁の帰属時期はおよそ200~220年となるかなと思います( -д-)ノ



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次に「白磁」ですが、これは簡単に言うと白色の磁器です。

白色の粘土と透明の釉(ゆう)を用いているので白色になります。



見つかった資料は磁器なので、縄文土器・弥生土器のような土器とは異なります。


「土器」は窯を使用せずに、野焼き(簡単に言うと地面で焼きます)で作ります。

焼成温度は比較的低く、700~900度で、釉薬(ゆうやく、うわぐすり)を使いません。



一方で「磁器」ですが、一般的には「陶磁器」という表現で知られているかも知れません。

窯を使って高温焼成(1100~1300度)します。

釉薬を使いますので、器面がテカテカとガラス質の光沢を持つようになります。

磁器は特に硬く、叩くと金属音がします。



ということで今回見つかった「世界最古の白磁」とは、3世紀初頭に作られた白色粘土と透明な釉薬を用いて作られた磁器(白磁)であり、曹操の墓にて副葬品として見つかったものということになります。


出土した白磁のサイズは器高13.4cm、口径8.7cmだそうです。


肩部に四つの耳(環)をつけた「罐(かん)」と呼ばれる特徴的な形式です。


また曹操のものと同定されるた墓の中央部の前室(棺を納めた主室の前にある部屋)から出土したことから、出土資料の時期判定の精度は高そうですね(。・ω・)ノ゙



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曹操の墓か……棺とか遺体とか、副葬品類とか諸々の写真が見たくなりますね!

この先公開されて、データが集まったら紹介しますね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓私もダミーの墓を作ろうかな……お寺が儲かるだけ!?( ・Д・)ア"-!↓

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2019ねん 2がつ 17にち(にちよーび、曇り)

食べ合わせが悪かったのか……

何とも言えない不快感に襲われるせっかくの週末2日目( ・Д・)


口にしたのは牛乳と油そばである。

けっこう間隔開けたつもりなのにな~!( ・Д・)ア"-!


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さて、今回はふと思ったことを書いてみます。

「歩け、マヤ」では考古学・歴史ニュースだけではなく、大学院生・研究者向けの専門性を活かしたブログ運営の勧めというテーマも扱っていますので、今回はそちらということで( -д-)ノ


今回のテーマは『1万時間の法則をブログ運営で表現するとこうなるよ!』です!




まず、『1万時間の法則』という言葉を聞いたことがある方も多いのかなと思っておりますが、簡単に説明します。


これはマルコム・グラッドウェルというイギリスの新聞記者(現在、雑誌記者)が書いた本で扱われた言葉です。


日本では、天才! 成功する人々の法則 』として翻訳され、2009年に講談社より出版されています。



内容としては音楽でもスポーツでも企業でも何でも、1万時間を注ぎ込んだらその分野で一流になれるというものです。


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↑けっこう時間かかるものですね(*・ω・)ノ(「素晴らしき日々を」さんの画像より転載;現在該当ページが閉鎖中)


「継続は力なり」と言いますが、「1万時間の法則」のいい所は、努力次第で何とかなるよ!って背中を押してくれているところですね(*・ω・)ノ


しかしながら「1万時間」とは膨大な時間なもので、上に挙げた表のようにかなりの年数がかかってしまいます。



この先、AI技術が様々な面で活用されていくと予想される中で、AIプログラミングを子供の内から毎日やらせよう!なんて記事もあります。

つまり早く取り組み始めれば、、、例えば幼少期に始めて、且つ継続出来たならば成人する頃には一流になるという寸法です( -д-)ノ


「歩け、マヤ」で勧めているのは、専門性を活かしたブログ運営ですので、その性質上大学生くらいからしか始められないかも知れないというジレンマがあります。


(確かに早いに越したことはないんでしょうね(´・ω・`)

……将来の夢を決めている人は中学生からでも高校生からでも始めてみてはいかがでしょうか?)


・・・・・・・さて、このサイトも気付けば、始めてから1年になるということで、ぼちぼちPV数も増えてきているのですが、この先どうなるのかなという不安もあるわけですね( ・Д・)



なので、仮に「1万時間の法則」を信じて計算してみることにします。

私は昨年100記事を書きましたので、おおよそ3日に1回記事を書いていることになります。

この1回の記事を書くのに、平均2時間かかるとしましょう。


すると、1万時間を記事作成に費やした場合、5000本の記事が書けることになります。


年数に直すと、50年!( ・Д・)



どうやら一流になる前に寿命が尽きそうですね( ̄▽ ̄;)!!ガーン


実際には記事を書く他にもブログ運営をする上でやっていることはあるのですが、コンスタントに時間を割かなければならないわけではないので、数量化することができていません。



その他の具体的な作業内容は、

①ブログ開始するのに使う時間(アドセンス登録やドメイン取得も含めて諸々)

②デザイン設定

③ブログ運営に関わる他サイトさんから勉強する

とか……でしょうかね。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・


もし毎日1本記事を書くことができたなら、2時間×365日=730時間(365本)です。

これでいくと、14年近くかかる計算になります(記事数は5000本)


・・・・・・当然ですけど、どれだけ頑張って書いても、5000本は減らないわけです( ・Д・)

別に一流になる必要はないのだけれども、、、総記事数5000本かぁ。

記事数100本や200本でスタートと言われるのが分かった気がしますね( ・Д・)ア"-!

↓みんなが1万回押してくれれば私は満足!( ・Д・)ア"-!↓

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2019ねん 2がつ 17にち(にちよーび、曇り)

久々の週末の第一日目は、オリジナルテイストのイカ飯を作ることで終了した……

まぁなんだかんだ充実した一日であったろう( ・Д・)


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さて、今回の考古学・歴史ニュースは……

①『デニソワ人ってインドネシアとかオーストラリアにまで拡散していたよ!』

②『石器製作だけではなく、個人に帰属する装飾品を作っていたよ!』

というものです(*・ω・)ノ




↓先日、ネアンデルタール人とデニソワ人のハーフについて記事を書きましたが、↓


今回の記事はこの続きに当たるような内容です。



①デニソワ人のアジア大陸、更に南部への拡散について

ホモ・ハイデルベルゲンシス(所謂「ハイデルベルク人」)から、ネアンデルタール人とデニソワ人の系統と、そして私たち現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)の系統とに分岐した時期はおよそ60万年前です。

近年、推測される分岐時期がより新しい時期へと改定される傾向にあります。


そしてその分岐後、更にネアンデルタール人とデニソワ人が分岐する時期が約30~35万年前とされています。




前の記事の「デニー」が9万年前のハーフでしたが、デニソワ人自体は約4万年前まで生存していたと考えられています。

そのため約30万年の期間に、ロシアのデニソワ洞窟で同定されたデニソワ人が実際にアジア大陸やインドネシア、オーストラリアまで拡散していたことが分かりました。


これまでデニソワ人に関して腕や脚、指の骨片や歯の化石人骨が見つかっていましたが、彼らが製作・使用していた道具や装飾品が見つかり始めたのです。


上に挙げたのはインドネシア、スラウェシ島で発見された少なくとも11万8000年前に相当する打製石器です。











②デニソワ人に道具箱&ジュエリーボックス!

デニソワ人が作ったと考えられる道具類や装飾品の画像を挙げました。

石器だけではなく、針も作っていますね(②の左下より二番目の遺物)。

裁縫も行っていたのでしょうね(*・ω・)ノ



装飾品も首飾りや腕飾り(貝釧;かいくしろ)を製作していたようです。

最も気になるのが「装飾品②」の画像の左下の緑色の遺物です。




これは石製の腕輪です。使用した石材に関する記述がなかったため、詳細は不明ですが翡翠なのかも知れません。


この石製腕輪が出土したのはデニソワ洞窟の第11層です。

第11-2層が約5~6万年前の時期に相当するようですから、この腕輪も類似のやや新しい時期に帰属することになると思います。

当時、これだけの技術があったこと、そして個人所有の財があったということに驚きです( ・Д・)




最後にここで、トップ画像を再提示しました。

これはマンモスの骨から作られた頭部に付ける装飾品だそうです。

マンモスの骨製というのが一番インパクトが強いですよね!( ・Д・)


この時期に既に個人所有物という概念が発生していたことを強調するのは良いとしても、

「ティアラ」という表現は個人的には引っかかります( -д-)ノ


ティアラは頭頂部につける装飾品ですが、主にヨーロッパ史において王族の女性が身に付ける特別な装飾品としてのイメージが強いですからね。

人によってはこの時期に既に身分階級が生じていたと捉える人もいるかも知れません。



頭飾りじゃダメなのでしょうかね?(他の遺物は普通に腕飾りや首飾りなのにΣ(・ω・ノ)ノ)

しかも……もしこれが男性用ならクラウン(王冠)? 

この遺物が女性用であったとする根拠はどこにあるのでしょう……( -д-)ノ



・・・・・・それはともかくこれからもデニソワ人について色々と分かってきそうだなと、今後の新たな発見に期待できます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓デニソワ人の遺伝子を持つ人は正直に押しましょう!( -д-)ノ↓

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2019ねん 2がつ 15にち(きんよーび、晴れ)

休みもなく一週間以上ずっと多忙でした。

こんなに待ちわびた週末は初めてかも知れません( -д-)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは『ネアンデルタール人とデニソワ人が交雑していたよ!』っていう内容です(*・ω・)ノ



タイトルからして色々疑問があると思いますが、ネアンデルタール人というのは知っている方も多いかなと思います。

歴史の教科書の冒頭部に出てくるあの人類の進化図の箇所で「旧人」として紹介されていたと記憶している方もいるやも知れません。


現在ではネアンデルタール人は私たち現生人類、つまりホモ・サピエンス・サピエンスの亜種と考えられています。


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一方でデニソワ人というのは聞いたことがないかも知れませんね。


というのもデニソワ人の発見は2008年ですので、比較的最近になって新たに見つかった化石人骨なのです。


デニソワ人の名前の由来は発見地がロシアにあるデニソワ洞窟であることです。


今回の発見もデニソワ洞窟におけるもので、この洞窟は西シベリアのアルタイ山脈に位置しています。





この上に挙げた写真が発見された化石人骨になります。


この骨片は大量のライオンやクマ、ハイエナといった動物骨と一緒の状態で発見されました。


分析の結果、この骨片は約9万年前に13歳で亡くなった少女の腕あるいは脚の骨の破片であることが分かりました。


この少女の凄いところは、なんと母親がネアンデルタール人、父親がデニソワ人だったということなのです!(*・ω・)ノ



初期人類間の交雑(異種交配)を示す証拠はこれまでにも数例見つかっています。

しかし交配の第一世代が見つかるのは初めてであり、本当に奇跡的なことなのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



ちなみにこの少女はデニソワ洞窟から取って、『デニー』と愛称が付けられたそうです。


またデニーの父親であるデニソワ人は祖先に少なくとも一人のネアンデルタール人がいたことも分かっています。





デニーのお父さんの事例から分かるように、初期人類は複雑な異種交配を繰り返し、その結果として私たちが誕生したようですね(。・ω・)ノ゙

つまり私達、現生人類もかつて交雑を行っていたのです。


そのためヨーロッパとアジアの人々のDNAの約2パーセントはネアンデルタール人に由来するものだそうです。

(確かに知り合いにネアンデルタール人みたいな人がいますわ( ・Д・))

またメラネシアの人々のDNAの4~6パーセントはデニソワ人に由来するそうです。

↓押してみませんかっ!?( ・Д・)カッ!?↓

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2019ねん 2がつ 10にち

変な夢は見るが、怖い夢を見なくなった気がする!

いいことだ.。゚+.(・∀・)゚+.゚


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今回の考古学・歴史ニュースは「中世のお城の隠し部屋からボードゲームが見つかったよ!」というものです。


↓過去にも古代のゲームについて書いていたので紹介しておきますね( -д-)ノ↓


さて、舞台はロシア、レニングラード州にある都市、ヴィボルグです。現在はロシア領ですが、かつてスウェーデン領やフィンランド領でもあったという歴史を有しています。


この都市で最も有名な建物がヴィボルグ城です。上に挙げた写真の通り、自然に溶け込んだ美しい古城のイメージにぴったりなお城ですね。

このヴィボルグ城は13世紀にスウェーデン人によって建てられ、19世紀末に大規模な改修工事が行われたそうです。


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↑ヴィボルグ城で見つかった隠し部屋らしい(「Выборгский музей-заповедник」さんの投稿写真を転載;ロシア語)


ヴィボルグ城では発掘調査が継続して行われているそうです。上に挙げた写真は昔や現在の調査時の様子を捉えたものです。


写真から分かるように、城の下には地下通路があることが分かっており、ヴィボルグ城からヴィボルグの町まで地下道で繋がっていた可能性があるそうです。

よく物語で出てくる「秘密の抜け道」みたいなものでしょうか。


この地下道の中で隠し部屋があることが分かり、そこで中世のボードゲームが出土しました。


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出土したボードゲームは粘土のレンガに模様が刻まれており、「ナイン・メンズ・モリス」というゲームの一種と推測されています。


写真を見てみるとやけに大きなレンガブロックであることが分かります。また一部は弧状に欠損しています。

文様はレンガの横幅一杯になるように配置されています。またレンガを焼成した後にゴリゴリと削って文様を描いているようです。


となると、恐らくこの隠し部屋は地下道の通行を見張る監視所的な役割を果たしていた場所なのかなと思います。

お城に自由に行き来されても困りますからね( -д-)ノ


そしてこの大きなレンガは地下道を維持するための補修に必要な建材の内の一つであったかも知れません。

つまり見張りの兵士は暇潰しとして、蓄えられていた建材あるいは残っていた建材を利用して、表面を削ってゲームのためのボードとして使ったのでしょう(*・ω・)ノ


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まぁ恐らくそんなところ……ところでこのボードゲームは「ナイン・メンズ・モリス」という対戦型のゲームだそうです。


歴史記述として確認されている最古の例は西暦8年、帝政ローマ期のものです。


中世のイギリスで最も流行したとされており、世界中に様々なバリエーションとして広がっていったようです。


ちなみに日本では、明治初年に売り出された「石並取(いしなとり)」あるいは「十六むさし」というゲームが、このナインズ・メンズ・モリスに相当するゲームになるそうです。


↓旅行したいな……って思う人~?ヾ(´ω`=´ω`)ノ↓

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2019ねん 2がつ 10にち(にちよーび、晴れ)


今日の昼間は日差しが暖かだった。


その分、夜は冷え込むように感じる。


路面はつんつるてんである( ・Д・)



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↑古代の妊娠検査方法が記されたパピルス(「CNN.co.jp」の記事内画像より転載;Credit: Courtesy The Papyrus Carlsberg Collection)( ・Д・)



今回の考古学・歴史ニュースは『古代エジプト人はホルモンの働きを理解していたよ』ってものです。



現在の妊娠検査薬は薬局等で販売していますが、尿をかけて判定するものです。

これは検査薬が、尿に含まれる「hCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)」という妊娠中に生産されるホルモンに反応するように作っているためなのです。


何とこの尿による妊娠検査の方法は3500年前の古代エジプトでも用いられていたことが分かりました!


コペンハーゲン大学には古代エジプトにおけるパピルスのコレクションがあり、1400枚に及ぶそうです。パピルスに記されたヒエログリフの解読1939年から始まったものの、古代の医療に関する記述について未解読でした。


今回の妊娠検査方法について記されたパピルスは、膨大なコレクションの内の古代エジプト新王国時代(BC1500-BC1300)に掛かれたと考えられるものです。

古代エジプトにおける妊娠検査方法は、「袋に入れた大麦とエンマー(小麦の一種)にそれぞれ尿をかけて判定するもので、どちらかが育てば女性は妊娠している」と分かるとあります。


また「大麦が育てば男の子、エンマーが育てば女の子が生まれること、どちらも育たない場合は妊娠はしていない」と記されています。




何故、尿をかけて穀物類が成長するかというと、妊娠することで尿に含まれる女性ホルモンのエストロゲンが増え、このホルモンが穀物の成長を促進させる働きをしているとのこと。


古代エジプト時代の医学としてホルモンに対する明確な知識があったわけではないでしょうが、実際に妊娠した女性に起こる変化を経験知として蓄え、妊娠検査方という実践にも活かしていたのでしょう。



ちなみにこの麦類を使った妊娠検査方法は1963年に実際に研究者らが実験を行ったそうで、70パーセントの確率で妊娠した女性の尿によって穀物が発芽したと報告しているそうです。


しかしながら胎児の性別判定については正しい知識とは言えないようです。まぁ当たっても外れても50%ですしね( -д-)ノ




現代では妊娠検査薬だけではなく、医師による触診や超音波検査といったもので複合的に判断しますが、男女の差は妊娠初期には分からないものです。


およそ16週~20週でエコー検査による写真で男女の判別がつくようになると言われています。


古代エジプトの方法で早い段階で男女差が分かると面白かったのですが、なかなか上手くいかないものですね( -д-)ノ


↓「歩け、マヤ」的産み分け祈願……男の子は左、女の子は右で( ・Д・)↓

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