歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2019年02月

2019ねん 2がつ 17にち(にちよーび、曇り)

食べ合わせが悪かったのか……

何とも言えない不快感に襲われるせっかくの週末2日目( ・Д・)


口にしたのは牛乳と油そばである。

けっこう間隔開けたつもりなのにな~!( ・Д・)ア"-!


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さて、今回はふと思ったことを書いてみます。

「歩け、マヤ」では考古学・歴史ニュースだけではなく、大学院生・研究者向けの専門性を活かしたブログ運営の勧めというテーマも扱っていますので、今回はそちらということで( -д-)ノ


今回のテーマは『1万時間の法則をブログ運営で表現するとこうなるよ!』です!




まず、『1万時間の法則』という言葉を聞いたことがある方も多いのかなと思っておりますが、簡単に説明します。


これはマルコム・グラッドウェルというイギリスの新聞記者(現在、雑誌記者)が書いた本で扱われた言葉です。


日本では、天才! 成功する人々の法則 』として翻訳され、2009年に講談社より出版されています。



内容としては音楽でもスポーツでも企業でも何でも、1万時間を注ぎ込んだらその分野で一流になれるというものです。


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↑けっこう時間かかるものですね(*・ω・)ノ(「素晴らしき日々を」さんの画像より転載;現在該当ページが閉鎖中)


「継続は力なり」と言いますが、「1万時間の法則」のいい所は、努力次第で何とかなるよ!って背中を押してくれているところですね(*・ω・)ノ


しかしながら「1万時間」とは膨大な時間なもので、上に挙げた表のようにかなりの年数がかかってしまいます。



この先、AI技術が様々な面で活用されていくと予想される中で、AIプログラミングを子供の内から毎日やらせよう!なんて記事もあります。

つまり早く取り組み始めれば、、、例えば幼少期に始めて、且つ継続出来たならば成人する頃には一流になるという寸法です( -д-)ノ


「歩け、マヤ」で勧めているのは、専門性を活かしたブログ運営ですので、その性質上大学生くらいからしか始められないかも知れないというジレンマがあります。


(確かに早いに越したことはないんでしょうね(´・ω・`)

……将来の夢を決めている人は中学生からでも高校生からでも始めてみてはいかがでしょうか?)


・・・・・・・さて、このサイトも気付けば、始めてから1年になるということで、ぼちぼちPV数も増えてきているのですが、この先どうなるのかなという不安もあるわけですね( ・Д・)



なので、仮に「1万時間の法則」を信じて計算してみることにします。

私は昨年100記事を書きましたので、おおよそ3日に1回記事を書いていることになります。

この1回の記事を書くのに、平均2時間かかるとしましょう。


すると、1万時間を記事作成に費やした場合、5000本の記事が書けることになります。


年数に直すと、50年!( ・Д・)



どうやら一流になる前に寿命が尽きそうですね( ̄▽ ̄;)!!ガーン


実際には記事を書く他にもブログ運営をする上でやっていることはあるのですが、コンスタントに時間を割かなければならないわけではないので、数量化することができていません。



その他の具体的な作業内容は、

①ブログ開始するのに使う時間(アドセンス登録やドメイン取得も含めて諸々)

②デザイン設定

③ブログ運営に関わる他サイトさんから勉強する

とか……でしょうかね。



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もし毎日1本記事を書くことができたなら、2時間×365日=730時間(365本)です。

これでいくと、14年近くかかる計算になります(記事数は5000本)


・・・・・・当然ですけど、どれだけ頑張って書いても、5000本は減らないわけです( ・Д・)

別に一流になる必要はないのだけれども、、、総記事数5000本かぁ。

記事数100本や200本でスタートと言われるのが分かった気がしますね( ・Д・)ア"-!

↓みんなが1万回押してくれれば私は満足!( ・Д・)ア"-!↓

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2019ねん 2がつ 17にち(にちよーび、曇り)

久々の週末の第一日目は、オリジナルテイストのイカ飯を作ることで終了した……

まぁなんだかんだ充実した一日であったろう( ・Д・)


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さて、今回の考古学・歴史ニュースは……

①『デニソワ人ってインドネシアとかオーストラリアにまで拡散していたよ!』

②『石器製作だけではなく、個人に帰属する装飾品を作っていたよ!』

というものです(*・ω・)ノ




↓先日、ネアンデルタール人とデニソワ人のハーフについて記事を書きましたが、↓


今回の記事はこの続きに当たるような内容です。



①デニソワ人のアジア大陸、更に南部への拡散について

ホモ・ハイデルベルゲンシス(所謂「ハイデルベルク人」)から、ネアンデルタール人とデニソワ人の系統と、そして私たち現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)の系統とに分岐した時期はおよそ60万年前です。

近年、推測される分岐時期がより新しい時期へと改定される傾向にあります。


そしてその分岐後、更にネアンデルタール人とデニソワ人が分岐する時期が約30~35万年前とされています。




前の記事の「デニー」が9万年前のハーフでしたが、デニソワ人自体は約4万年前まで生存していたと考えられています。

そのため約30万年の期間に、ロシアのデニソワ洞窟で同定されたデニソワ人が実際にアジア大陸やインドネシア、オーストラリアまで拡散していたことが分かりました。


これまでデニソワ人に関して腕や脚、指の骨片や歯の化石人骨が見つかっていましたが、彼らが製作・使用していた道具や装飾品が見つかり始めたのです。


上に挙げたのはインドネシア、スラウェシ島で発見された少なくとも11万8000年前に相当する打製石器です。











②デニソワ人に道具箱&ジュエリーボックス!

デニソワ人が作ったと考えられる道具類や装飾品の画像を挙げました。

石器だけではなく、針も作っていますね(②の左下より二番目の遺物)。

裁縫も行っていたのでしょうね(*・ω・)ノ



装飾品も首飾りや腕飾り(貝釧;かいくしろ)を製作していたようです。

最も気になるのが「装飾品②」の画像の左下の緑色の遺物です。




これは石製の腕輪です。使用した石材に関する記述がなかったため、詳細は不明ですが翡翠なのかも知れません。


この石製腕輪が出土したのはデニソワ洞窟の第11層です。

第11-2層が約5~6万年前の時期に相当するようですから、この腕輪も類似のやや新しい時期に帰属することになると思います。

当時、これだけの技術があったこと、そして個人所有の財があったということに驚きです( ・Д・)




最後にここで、トップ画像を再提示しました。

これはマンモスの骨から作られた頭部に付ける装飾品だそうです。

マンモスの骨製というのが一番インパクトが強いですよね!( ・Д・)


この時期に既に個人所有物という概念が発生していたことを強調するのは良いとしても、

「ティアラ」という表現は個人的には引っかかります( -д-)ノ


ティアラは頭頂部につける装飾品ですが、主にヨーロッパ史において王族の女性が身に付ける特別な装飾品としてのイメージが強いですからね。

人によってはこの時期に既に身分階級が生じていたと捉える人もいるかも知れません。



頭飾りじゃダメなのでしょうかね?(他の遺物は普通に腕飾りや首飾りなのにΣ(・ω・ノ)ノ)

しかも……もしこれが男性用ならクラウン(王冠)? 

この遺物が女性用であったとする根拠はどこにあるのでしょう……( -д-)ノ



・・・・・・それはともかくこれからもデニソワ人について色々と分かってきそうだなと、今後の新たな発見に期待できます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓デニソワ人の遺伝子を持つ人は正直に押しましょう!( -д-)ノ↓

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2019ねん 2がつ 15にち(きんよーび、晴れ)

休みもなく一週間以上ずっと多忙でした。

こんなに待ちわびた週末は初めてかも知れません( -д-)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは『ネアンデルタール人とデニソワ人が交雑していたよ!』っていう内容です(*・ω・)ノ



タイトルからして色々疑問があると思いますが、ネアンデルタール人というのは知っている方も多いかなと思います。

歴史の教科書の冒頭部に出てくるあの人類の進化図の箇所で「旧人」として紹介されていたと記憶している方もいるやも知れません。


現在ではネアンデルタール人は私たち現生人類、つまりホモ・サピエンス・サピエンスの亜種と考えられています。


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一方でデニソワ人というのは聞いたことがないかも知れませんね。


というのもデニソワ人の発見は2008年ですので、比較的最近になって新たに見つかった化石人骨なのです。


デニソワ人の名前の由来は発見地がロシアにあるデニソワ洞窟であることです。


今回の発見もデニソワ洞窟におけるもので、この洞窟は西シベリアのアルタイ山脈に位置しています。





この上に挙げた写真が発見された化石人骨になります。


この骨片は大量のライオンやクマ、ハイエナといった動物骨と一緒の状態で発見されました。


分析の結果、この骨片は約9万年前に13歳で亡くなった少女の腕あるいは脚の骨の破片であることが分かりました。


この少女の凄いところは、なんと母親がネアンデルタール人、父親がデニソワ人だったということなのです!(*・ω・)ノ



初期人類間の交雑(異種交配)を示す証拠はこれまでにも数例見つかっています。

しかし交配の第一世代が見つかるのは初めてであり、本当に奇跡的なことなのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



ちなみにこの少女はデニソワ洞窟から取って、『デニー』と愛称が付けられたそうです。


またデニーの父親であるデニソワ人は祖先に少なくとも一人のネアンデルタール人がいたことも分かっています。





デニーのお父さんの事例から分かるように、初期人類は複雑な異種交配を繰り返し、その結果として私たちが誕生したようですね(。・ω・)ノ゙

つまり私達、現生人類もかつて交雑を行っていたのです。


そのためヨーロッパとアジアの人々のDNAの約2パーセントはネアンデルタール人に由来するものだそうです。

(確かに知り合いにネアンデルタール人みたいな人がいますわ( ・Д・))

またメラネシアの人々のDNAの4~6パーセントはデニソワ人に由来するそうです。

↓押してみませんかっ!?( ・Д・)カッ!?↓

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2019ねん 2がつ 10にち

変な夢は見るが、怖い夢を見なくなった気がする!

いいことだ.。゚+.(・∀・)゚+.゚


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今回の考古学・歴史ニュースは「中世のお城の隠し部屋からボードゲームが見つかったよ!」というものです。


↓過去にも古代のゲームについて書いていたので紹介しておきますね( -д-)ノ↓


さて、舞台はロシア、レニングラード州にある都市、ヴィボルグです。現在はロシア領ですが、かつてスウェーデン領やフィンランド領でもあったという歴史を有しています。


この都市で最も有名な建物がヴィボルグ城です。上に挙げた写真の通り、自然に溶け込んだ美しい古城のイメージにぴったりなお城ですね。

このヴィボルグ城は13世紀にスウェーデン人によって建てられ、19世紀末に大規模な改修工事が行われたそうです。


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↑ヴィボルグ城で見つかった隠し部屋らしい(「Выборгский музей-заповедник」さんの投稿写真を転載;ロシア語)


ヴィボルグ城では発掘調査が継続して行われているそうです。上に挙げた写真は昔や現在の調査時の様子を捉えたものです。


写真から分かるように、城の下には地下通路があることが分かっており、ヴィボルグ城からヴィボルグの町まで地下道で繋がっていた可能性があるそうです。

よく物語で出てくる「秘密の抜け道」みたいなものでしょうか。


この地下道の中で隠し部屋があることが分かり、そこで中世のボードゲームが出土しました。


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出土したボードゲームは粘土のレンガに模様が刻まれており、「ナイン・メンズ・モリス」というゲームの一種と推測されています。


写真を見てみるとやけに大きなレンガブロックであることが分かります。また一部は弧状に欠損しています。

文様はレンガの横幅一杯になるように配置されています。またレンガを焼成した後にゴリゴリと削って文様を描いているようです。


となると、恐らくこの隠し部屋は地下道の通行を見張る監視所的な役割を果たしていた場所なのかなと思います。

お城に自由に行き来されても困りますからね( -д-)ノ


そしてこの大きなレンガは地下道を維持するための補修に必要な建材の内の一つであったかも知れません。

つまり見張りの兵士は暇潰しとして、蓄えられていた建材あるいは残っていた建材を利用して、表面を削ってゲームのためのボードとして使ったのでしょう(*・ω・)ノ


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まぁ恐らくそんなところ……ところでこのボードゲームは「ナイン・メンズ・モリス」という対戦型のゲームだそうです。


歴史記述として確認されている最古の例は西暦8年、帝政ローマ期のものです。


中世のイギリスで最も流行したとされており、世界中に様々なバリエーションとして広がっていったようです。


ちなみに日本では、明治初年に売り出された「石並取(いしなとり)」あるいは「十六むさし」というゲームが、このナインズ・メンズ・モリスに相当するゲームになるそうです。


↓旅行したいな……って思う人~?ヾ(´ω`=´ω`)ノ↓

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2019ねん 2がつ 10にち(にちよーび、晴れ)


今日の昼間は日差しが暖かだった。


その分、夜は冷え込むように感じる。


路面はつんつるてんである( ・Д・)



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↑古代の妊娠検査方法が記されたパピルス(「CNN.co.jp」の記事内画像より転載;Credit: Courtesy The Papyrus Carlsberg Collection)( ・Д・)



今回の考古学・歴史ニュースは『古代エジプト人はホルモンの働きを理解していたよ』ってものです。



現在の妊娠検査薬は薬局等で販売していますが、尿をかけて判定するものです。

これは検査薬が、尿に含まれる「hCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)」という妊娠中に生産されるホルモンに反応するように作っているためなのです。


何とこの尿による妊娠検査の方法は3500年前の古代エジプトでも用いられていたことが分かりました!


コペンハーゲン大学には古代エジプトにおけるパピルスのコレクションがあり、1400枚に及ぶそうです。パピルスに記されたヒエログリフの解読1939年から始まったものの、古代の医療に関する記述について未解読でした。


今回の妊娠検査方法について記されたパピルスは、膨大なコレクションの内の古代エジプト新王国時代(BC1500-BC1300)に掛かれたと考えられるものです。

古代エジプトにおける妊娠検査方法は、「袋に入れた大麦とエンマー(小麦の一種)にそれぞれ尿をかけて判定するもので、どちらかが育てば女性は妊娠している」と分かるとあります。


また「大麦が育てば男の子、エンマーが育てば女の子が生まれること、どちらも育たない場合は妊娠はしていない」と記されています。




何故、尿をかけて穀物類が成長するかというと、妊娠することで尿に含まれる女性ホルモンのエストロゲンが増え、このホルモンが穀物の成長を促進させる働きをしているとのこと。


古代エジプト時代の医学としてホルモンに対する明確な知識があったわけではないでしょうが、実際に妊娠した女性に起こる変化を経験知として蓄え、妊娠検査方という実践にも活かしていたのでしょう。



ちなみにこの麦類を使った妊娠検査方法は1963年に実際に研究者らが実験を行ったそうで、70パーセントの確率で妊娠した女性の尿によって穀物が発芽したと報告しているそうです。


しかしながら胎児の性別判定については正しい知識とは言えないようです。まぁ当たっても外れても50%ですしね( -д-)ノ




現代では妊娠検査薬だけではなく、医師による触診や超音波検査といったもので複合的に判断しますが、男女の差は妊娠初期には分からないものです。


およそ16週~20週でエコー検査による写真で男女の判別がつくようになると言われています。


古代エジプトの方法で早い段階で男女差が分かると面白かったのですが、なかなか上手くいかないものですね( -д-)ノ


↓「歩け、マヤ」的産み分け祈願……男の子は左、女の子は右で( ・Д・)↓

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