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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2019年03月

2019ねん 3がつ 28にち(もくよーび、曇り)

ネタが尽きてきて、よーやく特集系に戻れるかと思いきや、

取り上げたいニュースが上がってくる( ・Д・)

まぁいいことなんですけどね( -д-)ノ


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↑ビュクリュカレ遺跡(中央下部)と美しき風景(「アナトリア考古学研究所」のサイト内画像より転載)


今回の考古学・歴史ニュースは『トルコで4000年前の綺麗な水晶製のヒョウとか印章とか出たよ!』ってことです(・∀・)つ

前回もちょうどトルコで4000年前の出土品の話をしましたね。


↓以前の関連記事です(*・ω・)ノ
↑トルコ4000年前シリーズ?Σ(・ω・ノ)ノ


というのも、前回の記事も今回の記事も、「アナトリア考古学研究所」の調査・研究成果なのです。

そのため遺跡は別々なのですが、時期的には同時期の資料である可能性がそもそも高いわけです。

このアナトリア考古学研究所は、東京の三鷹市にある(財)中近東文化センターの附属機関として設立されたものです。

ですので、多くの日本人研究者が活躍している場なのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



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最初に紹介するのはビュクリュカレ遺跡です。


トルコの首都アンカラの南東約65kmに位置します。


現在と同様に昔から交通の要衝だったと考えられ、 ヒッタイト帝国時代(BCE2000~)以降の都市とのことです。


写真から分かるでしょうか、方形の枠が階段状に重なっているのが調査区で、そこが周辺より高い岩山になっています。

この上に重要な大型建築物が築かれ、周辺部のより低い土地に都市が形成されていました。


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この遺跡で見つかったのが、上の写真のヒョウです!カワ(・∀・)イイ!!

大きさは長軸3cm、短軸2.2cm、高さ1.3cmと小さいです。

直径3mmのラピスラズリや、青いガラス、金が象嵌されており、首には青銅製の金具が付いているそうです。

BCE2000~1800年前のアッシリア商業植民地時代の遺物と考えられます。

貴重なアフガニスタン産の青い宝石であるラピスラズリを使っていることから、笏などの先端に取り付けて儀礼に用いたのではないかと推測されています。


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次に紹介するのがカマン・カレホユック遺跡です。


トルコの首都アンカラから南東約100 kmに位置します。


サイズが直径280 m、高さ16 mあるそうですが、アナトリアでは中規模の丘状遺跡なのだそうです。


これまでの調査で4つの文化層、オスマン/ビザンチン、鉄器時代、後期・中期青銅器時代、前期青銅器時代が確認されています。


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↑カマン・カレホユック遺跡の調査風景(「アナトリア考古学研究所」のサイト内画像より転載)


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上の写真に見られるようなピット(簡単に言うと穴)が非常にたくさん検出されています。

これらは基本的に建築物遺構とのことですが、柱穴もあれば、お墓もあり、炉跡もあるそうです。

ピットは大小様々であり、かなり切り合っているので、複雑だな~という印象です( -д-)ノ

さて、この遺跡で見つかったのは紫色の水晶製の印章です。

このような光り輝く美しい円筒印章は珍しいそうです。

印章は古代メソポタミア(現在のイラク周辺)から来たアッシリア商人が居住していた時代(BCE2000~1800)のもので、先ほどのヒョウと同じくらいの時期の遺物です。


この印章の中央部にはラマと呼ばれる守護神の像(右向きの人型の姿)が刻まれており、縁に角状の突起がある三角帽を被っているなどの特徴から、印章が使用された年代を特定できたそうです。


遺物の大きさは長軸2.4cm、短軸1.4cmで、地表から約3m下の地層から見つかりました。


非常に珍しい品であることから、近くから宮殿等の重要な建造物遺構が見つかることが期待されます(・∀・)つ



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いや~、こういう素敵な遺物の発見、いいですね!

こんなものが土から顔を出したら感動ものですわ!v( ̄∇ ̄)v

↓押してくれぃ!それ、押してくれぃ!( ・Д・)↓

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2019ねん 3がつ 27にち(すいよーび、晴れ)

ダイエットを本格的に開始した。

ズボンが入らないのであるヽ(TдT)ノ

お酒もやめた。

オレンジジュースと共に生きてゆく!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『4000年前!メソポタミア文明の儀礼用ミニチュア土器が出土したよ!』ってことです(*・ω・)ノ

出土したのはトルコ共和国の首都アンカラから南東に約170kmの地点に位置するヤッスホユック遺跡です。


写真からも想像できるように、ヤッスホユック遺跡はかなり大きな遺跡です。


南北500m、東西625m、高さ13mの丘状の遺跡で、採土や道路建設といった近現代の人間活動によって一部が攪乱・欠損していますが全体として素晴らしい保存状態を保っています。

中央部には長軸約45~50m、短軸約40mの大建造物址が確認されており、王宮または神殿と考えられるそうです。

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遺構の写真に見られる、写真の4枠と平行な四角形の掘り込みがいくつか見られますが、これが発掘調査時の掘り込み面になります。

グリッドと呼んでいますが、このように方形状に調査を進めていくわけです。

一方で中央の大きな調査区の枠に対して、斜めに伸びるラインを見て取れると思いますが、これが住居の壁の痕跡になります。

出土地点や出土状況の詳細は不明ですが、丘の頂上部の表土から50~60cmの位置で7点の土器が集中して出土したそうです


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↑出土した儀礼用土器群(「産経フォト」の記事内画像より転載)


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↑サイズの小ささが分かる(「産経フォト」の記事内画像より転載)


出土した土器群の器高は14~21cmで、一部破損している資料もあります。

帰属時期はBCE1900~1750(約4000年前)で、古代メソポタミア文明の地(現在のイラク周辺)から来たアッシリア商人が活動した時代のものと推定されています。

いずれの資料も把手が付く尖底壺の形態で、このような形態の土器は古代の中東やエジプトで見られるものです。

ただし、2枚目の写真で分かるように非常に小さいものなので、コップのように日常的に飲用に使われたとは考えられません。

世界的にこのような小型の土器、所謂「ミニチュア土器」が出土しますが、多くの場合お墓から副葬品として出土します。

本来の大きなものを作って副葬する代わりとして用いられたせいか、比較的粗雑な作りであることが多いと感じますが、今回の資料は非常に精巧な作りですね!

4000年前にこれだけ小さく精巧な土器を作り上げたとは驚きです!

……それにしてもやはりミニチュア土器は可愛い!

美しいのがさらに良い!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

4000年前のミニチュア土器は、現代の日本のガチャガチャの品に負けてませんよね(・∀・)つ

↓小さい物は可愛い!カワ(・∀・)イイ!!↓

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2019ねん 3がつ 26にち(かよーび、曇り)

あ~、やること多い!

油断するとすぐに溜まる!

一個ずつ着実に終わらせていかねば( ・Д・)


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↑若杉山遺跡で見つかった最古の坑道の入り口(「KYODOニュース」の画像より転載)


今回の考古学・歴史ニュースは『徳島県で国内最古の辰砂の採掘坑道が見つかったよ&水銀朱が美しく残る土器片が重要文化財指定になったよ!』ってことです(*・ω・)ノ

前回ですね、徳島県における「朱」の生産址について紹介しました。



どうも徳島県は日本の「朱」の歴史に関して重要な土地のようですね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


さて、今回見つかった坑道は徳島県阿南市に所在する若杉山遺跡です。

上に挙げた写真で分かるように、かなり入り口が狭いです。


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↑坑道の内部もかなり狭い(「産経フォト」の記事内画像より転載)




坑道の内部もかなり狭いです。

坑道の高さが約70~90cmだそうです。

下底部に土砂の堆積が少しありますが、それをよけたとしてもかなり天井が低いです。

奥で3方向に分岐しつつ、それぞれ掘り進められ、奥行きは約13mです。

坑道の内部の岩壁には人為的に掘られた形跡が見られるそうです。

屈んだ姿勢で石材を用いて掘り進んでいったわけですから、かなりの労力だったことでしょう( -д-)ノ


これまでに日本最古とされた坑道は、8世紀頃の奈良時代に始まった山口県美祢市の長登銅山だったとのことです。

今回の若杉山遺跡の坑道内からは石杵や弥生土器片が出土しています。

この土器片が弥生時代の後半、CE1-300頃のものと同定されたため、日本における最古の坑道の事例として少なくとも500年遡ることになったわけです。

徳島県は縄文時代後期より、重要な赤色顔料である水銀朱の生産・交易に関わる土地であったと考えられています。

若杉山は「辰砂」を産出する地点であることから、古い時期にはこの周辺で採取された「辰砂」を、新しい時期には今回の坑道等から採掘された「辰砂」を原料として用いていたのだと思われます。








また徳島県の矢野遺跡から出土した縄文時代後期初頭(約4千年前)のを中心とした土製仮面や土器資料(計160点)が重要文化財に指定されることになりました。

中国・四国地方で縄文時代の遺物が重要文化財指定を受けるのは初めてだそうです。

そして注目して欲しいのはやはり、鮮やかな赤色顔料が残る土器片(3点の土器片の写真の右上)です。

今後、徳島県で、あるいは「朱」の交易先で、見事な赤色に染まった完形土器資料が見つかるといいですね。

小破片でこの美しさ&重要文化財指定ならば、完形資料ならば国宝級でしょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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2019ねん 3がつ 24にち(にちよーび、晴れ)

法事やらなんやらで御朱印もらいに行けなかった。

せっかくの習慣を無くさぬよう、

近日中に時間を見つけて参拝します!(*・ω・)ノ


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↑遺跡の全景、広さが分かる(「読売新聞」の記事内画像より一部加工)


今回の考古学・歴史ニュースは『徳島県、加茂宮ノ前遺跡で約4000年前の水銀朱の一大生産拠点が見つかったよ!』ってことです(*・ω・)ノ

場所は徳島県、阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡です。

徳島県では他にも「朱」をかけた遺物が多く出土する遺跡や、「辰砂」の採掘址と思われる遺構を有する遺跡が見つかっています。

「朱」というのは「朱色」という表現もあるように、簡単に言うと「赤色」の顔料のことです。

赤色顔料としての朱の原料は主に、辰砂とベンガラです。

辰砂は中国の辰州で多く生産されたことからその名が付けられており、硫化水銀から成る鉱物です。

辰砂からは水銀を精製することができるため、辰砂を原料とした朱を水銀朱(有害)と呼びます。

一方でベンガラは酸化第二鉄を主成分とする顔料(無害)で、色調は鉄の赤錆の色のイメージです。

赤色は「血液の色」であることから、「生命力を表す色」として、古くから世界各地で重宝されてきました。

加茂宮ノ前遺跡は約4000年前の縄文時代後期に帰属する遺跡で、朱の付着した石臼や石杵が300点以上出土し、水銀朱の原料である辰砂原石も大量に出土しました。

そのため古代の祭祀などに使われた赤色顔料である水銀朱を生産した一大拠点であったと考えられています。

日本における朱の生産地としては最古級、最大級であり、朱の関連遺物の出土量も最多の遺跡です。


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最初に挙げた写真で分かるように加茂宮ノ前遺跡はかなり広いです。

その調査面積は約1万平方mに及ぶそうですΣ(・ω・ノ)ノ

これまで当該遺跡では、弥生時代中期から鎌倉時代にかけての遺構が発見されていました。

今回の発見で縄文時代後期に相当する祭祀に使っていたとみられる石を円形に配置した遺構14基や竪穴住居跡2基が見つかりました。

このような縄文時代後期の居住域と祭祀の遺構がまとまって確認できたのは西日本で初めての事例とのことですヾ(´ω`=´ω`)ノ



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この加茂宮ノ前遺跡では水銀朱の製造に使われた石杵と石臼だけで300点以上が出土しました。

石臼の大きいものは直径約30cm、石杵では直径約10cmのサイズだそうです。

また原料である辰砂原石や、水銀朱が施された耳飾り、土器などの関連遺物が700点以上出土し、合計1000点以上の「朱」に関連する遺物が出土したことになります。

原料として使用された辰砂原石は遺跡から約5km離れた若杉山周辺から採取された可能性が高いと推定されています。

また出土した土器の模様には九州の土器に類似した特徴が見られることから、当時から地域交流をしていた可能性が指摘されています。

加茂宮ノ前遺跡における今回の発見は、西日本における縄文時代の集落構造の解明に繋がる重要な発見であり、また水銀朱の一大生産地として古くより遠方の他地域との交易を行っていた可能性を示す重要な発見でもあります。


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さて、最後に徳島新聞による現地説明会の様子を撮影した動画へのリンクを載せておきます。


いいですね、これ!


現地説明会に参加した気分になれます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



↑加茂宮ノ前遺跡での現地説明会の様子(「徳島新聞動画TPV」の動画)

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2019ねん 3がつ 22にち(きんよーび、雪)

寒い。

早くフィールドに出たいから暖かくなって欲しかったのに、

気温は例年並みかそれ以下に急下降。

春よ、来い!ヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは『マヤ北部低地の主要都市遺跡チチェン・イツァの地下にあるバラムク洞窟で大量の儀礼品が発見された!』ということです(*・ω・)ノ

古代マヤ文明の地であるユカタン半島では、特に北部地域において石灰岩層が陥没して生じるセノーテ(上の写真)が集中して見られます。


この北部地域において主要なマヤ都市のひとつであるチチェン・イッツァは観光地としても非常に有名です。


特に春分・秋分の日に、エル・カスティーヨの階段側面に見られる「ククルカン(羽毛の生えた蛇)の降臨」のイベントで知られています。



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↑階段の側面部に蛇のうねうねした影が映る仕組みになっている(「Queen Angel」さんの記事内画像より転載)



今回の発見の舞台はこのチチェン・イツァ遺跡の地下にある洞窟です。


チチェン・イツァ遺跡の地下には複数の洞窟が確認されており、その多くは連結していることが分かっています。


この洞窟群のひとつである「バラムク洞窟」にて150点以上の儀式用の遺物集中が発見されました。


バラムク洞窟は1966年に発見されて、内部に遺物があることも記録されていましたが、調査されないまま50年以上が経過していました。


鍾乳石が発達するような洞窟内のためか、落盤もなく、非常に良好な保存状態で多くの土器を中心とする遺物がそのまま眠っていました。



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↑まるで時間が経過していないかのような大量の遺物集中が見られる(「NACIONALGEOGRAPHIC」における関連記事のギャラリー画像より一部加工;credit: KARLA ORTEGA)




私はナショナルジオグラフィックが好きですが、色々見ててやはりここの助成を受けた調査は華やかな発見が多いな~って思います。


これだけの良好な保存状態の遺物集中をもし見つけたら、私ならその場でお祭り騒ぎになりますね!


……ま、冷静になれば、図面取るのが面倒くさいなと思い始めるでしょうが( -д-)ノ


↓こんな発見をしてみたい!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2019ねん 3がつ 22にち(きんよーび、曇り)

3月も残すところ、あと1週間程度。

充実した新年度を送るためにも、今頑張らねば!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『大阪城の三の丸跡から大名屋敷址と考えられる大型建造物の痕跡が見つかったよ!』ってことです。

大阪城は安土桃山時代に相当する1583年(天正11年)に豊臣秀吉によって築城されました。

江戸時代(1620年)には2代将軍、徳川秀忠によって修築され、1868年(明治元年)には廃城となりました。

1931年(昭和6年)から大阪城公園として開園され、現在も多くの人々の憩いの場となっています。


さて、上に挙げた写真は今回の発見があった大阪城の西側に位置する三の丸跡地ですが、奥にビルが立ち並んでいるのが分かりますね。




このような感じで三の丸跡は大阪城公園の外部に立地しているのです(*・ω・)ノ

また最初に挙げた写真で、現場には鉄骨が複数本垂直に立ち並んでいるのが分かったと思います。

この地点は地方合同庁舎の新庁舎の建設予定地なのです。

検出された大型の建造物址は東西約20m、南北約15mの規模で、敷地範囲は100坪を超えるものです。

また多数検出された柱穴から、礎石の上に柱を据える構造であったことが分かりました。

その規模だけではなく、この大型建造物の周囲を囲む玉砂利が見つかったことからも、格式高い建造物であったと思われます。






この調査現場における高い部分が大名屋敷址と思われる大型建造物址が検出された地点になります。

この大型建造物とは別の東側に並んだ建造物跡から、「さ竹(たけ)内」と墨書された木簡や、佐竹氏の家紋「扇に月丸紋」を有する瓦が出土しました。

そのことから、徳川氏や島津氏らと同じ豊臣政権六大将の一人とも呼ばれる「佐竹義宣の屋敷跡」と推定されています。

また敷地内の低い場所には、杭を打って建てた簡素な建物群が作られていました。

この低い地点からは鋳型に鉛を注いだ「鋳バリ」がついたままの火縄銃の弾が出土しています。

そのことから豊臣方が大坂の陣(1614~1615年)に備えた武器工房があった可能性が指摘されています。



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↑(「朝日新聞DIGITAL」の記事内画像より転載;credit: 朝日新聞)


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↑大名屋敷周辺から出土した安土桃山時代の陶磁器類(「朝日新聞DIGITAL」の記事内画像より転載;credit: 朝日新聞)






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以上のように貴重な資料が多数発見されただけではなく、大阪城に関わる大名屋敷が発見されたこと自体が大きな発見だそうです。

今回発見された大名屋敷は大坂城の一等地に築かれており、佐竹義宣や妻子が過ごした書院造りの奥御殿であったと推測されています。

 

↑発掘現場の様子(「産経新聞(産経ニュース)」の動画)


新庁舎の建設に伴う緊急発掘だと思いますが、これだけの遺物・遺構が出土したとなれば調査者や歴史ファンの方だけではなく、恐らく早期の建設開始を期待している方々もワクワクしていることでしょう!

もし余裕があるならば新庁舎の地下に一部でも遺構を保存し、遺構や出土遺物を見学できるようにしてくれると嬉しいのですが、そうもいかないのかも知れませんねヽ(TдT)ノ

↓フォロワーもいっぱい発掘したいものですね!( ・Д・)(プレッシャーをかけておく(・∀・)つ)↓

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2019ねん 3がつ 20にち(すいよーび、晴れ)

……あ、頭が痛い。

こ、これが知恵熱か!?( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『地中海、アレクサンドリア沖で過去2000年に及ぶ様々な錨(いかり)が見つかったよ!』ってことです(。・ω・)ノ゙

調査者はアレクサンドリア大学の海洋考古学センターのチームで、2015年からアレクサンドリア沖での調査を実施しています。

これまでの発見として、過去2000年間に及ぶ船のたくさんの錨(いかり)を発見してきました。

錨は時代や国、船舶の種類によって石製、鉛製、鉄製というように材質が異なるそうですが、どれも大きな塊ですから古くても良好に残存するようです。




発見された錨は様々な形や大きさがあることが分かっています。

これも時代や国、船舶の種類によって異なるわけですが、錨の形態とサイズとこれらの関係を明らかにすることが調査チームの目的です。

例えば、イメージしやすいのは縄文土器でしょうか。

ある土器群を分類して、それぞれの時期と地域を特徴づける一連の土器群を認定していく作業を編年を組むと言いますが、この事例ではそれを錨でやるということのようです。

時代が新しくなると船舶と錨の関係に関する歴史情報も増えていきますが、調査チームは錨の他に土器、陶器も海中で発見しています。






発見した土器、陶器群は北アフリカ、エジプト、ギリシャ、イタリア、スペイン、そしてパレスチナに帰属する資料であり、錨の時間性を特定する上で重要な情報源となります。

地中海は古代より海上交易の場として非常に重要でした。

今後の更なる調査と研究によって、錨と船舶の関係で見たタイムスケールが分かり易く図化されるといいですね!(・∀・)つ

↓ダイビングしたいな~、ライセンスないけどね!( -д-)ノ↓

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2019ねん 3がつ 19にち(かよーび、晴れ)

今日の夕方頃、何故かクラクラするくらいに眠かった。

たくさん寝たつもりなのに、眠りが浅いのだろうか。

今晩から、快眠BGMを流して寝ることにする!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『古代エジプトにも恋の呪文があったよ!』ってお話です。

あとおまけで「メジェド様」について( -д-)ノ


さて、上に挙げた写真が、オーストリアの最大の都市、シドニーにあるマッコーリー大学に所蔵されているパピルスです。

マッコーリー大学には約900点のパピルスが所蔵されているそうですが、このパピルスについてはいつどこから入手したものなのか、その経緯が分かっていないそうです。

しかしながら今からおよそ1300年前に書かれたパピルスであると推定されています。

写真からは「2羽の鳥のような図象」と、「コプト語の文章」が読み取れます。

この文章の解読の結果、内容が「恋のおまじない」であることが分かりました。


しかしながら文章の大部分が失われているため、どのようなおまじないだったかは不明だそうです。

類似の内容のパピルスはこれまでにも発見されていて、それらは女性の心を射止めるための呪文ではなく、周囲の障害の中で男性が意中の女性に会うための方法や、意中の人が既婚であるといった問題を解決するためのものだそうです。

そのためこの2羽の鳥のパピルスに記載されているおまじないも、三角関係の解消といった複雑な恋愛問題を解決するためのものだったようです。


さて、2羽の鳥のような図像モチーフについては、左側の羽のある生物がクチバシで右側の生物のクチバシの中をつついているかのように見えます。

またつがいの生物の周囲は人間の手らしきもので囲まれています。

解読者によると、生物の下部で2羽をつないでいるものは、鎖や縄、あるいは男性器などが考えられるそうです。

体の前は羽毛かウロコらしきもので覆われていて、右側の生物には2つの耳(あるいはツノ)があり、
こうした小さな違いは性別の違いを表しているそうです(右側がメスで、左側がオス)。

・・・・・・私には鳥に見えないんですけどね(ちょうどこの下に挙げた画像に写実的な鳥が描かれています)。

私には「蝶々」に見えます( ・Д・)

まぁ数多くの史料に当たると、この時期の図像モチーフとしてはこういった鳥が描かれることが一般的なのかも知れませんね。

(・・・・・・やはり羽化したケムンパスに見える( ・Д・))

↑コメントやTwitterで皆さんの意見をお待ちしておりますヾ(´ω`=´ω`)ノ




最初に紹介した恋の呪文のパピルスもそうですが、本当にエジプトのパピルスは残りが良い!

本当に羨ましいです。

情報量が違いますよ、やっぱり。

上の写真にいる不思議な存在が「メジェド様」です。

古代エジプトの神々の1柱です。

まぁ見た目は「銀魂」に出てくるエリザベスの仲間ですね(。・ω・)ノ゙




古代エジプトの神々を可愛らしくデフォルメ化して作られたアニメがこれです。

その名も『神々の記』

知ってます?

古代マヤの神々でもアニメとか作って欲しいんですけどね( -д-)ノ

……やんわりとパクって、古代マヤ文明の神々でアニメ作って普及活動したいわ~!( ・Д・)


こういった作品が作り易いのは情報量の差だけではなく、古代エジプトの神々は動物が多いのも理由でしょう。

だから可愛くもしやすいです。

一方でマヤの神々は「ヒト型」が多いです。

しかも見た目が怖い!( ・Д・)

古代マヤ神話に出てきて、可愛くできそうなのは・・・やはり動物!

ジャガー、亀、ワニ、ウサギ、鳥類(コンゴウインコ、ケツァール……ヴクブ・カキシュもいけるか)、羽毛の生えた蛇(ククルカン/ケツァル・コアトル)等。

あ、けっこういるぞ、古代マヤ神話・物語に登場する動物類!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


↑「神々の記」の第1話(公式より)


暇みて、もし可愛く古代マヤの神々を描けたら紹介しますね~ヽ(TдT)ノ

それはともかく、古代エジプトがテーマのアニメ「神々の紀」(1話~4話+特別編)を良かったらお楽しみください。

*いつもながら回し者ではありません( -д-)ノ

ちなみに、本場(?)エジプトでは「日本人は(たぶんいい意味で)クレイジー」と思われているようです。

私もそう思う時がままありますが、そんな日本も日本人も大好きです(・∀・)つ

↓アニメのタイトルは「マヤマヤの樹」……かな?( ・Д・)↓

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2019ねん 3がつ 19にち(げつよーび、晴れ)

時間が経つのは早い。

大して作業も進んでないのにな。

集中して淡々と仕事を進めねば~!

と思いつつ、トイレとセットのコーヒーはやめられない( -д-)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは、『栃木県、佐野市に竪穴式住居に泊まれる施設があるよ!』ってことです。

かつてはもの珍しかった竪穴式住居や高床式倉庫の復元建築物は、今や観光スポットになっている古代遺跡では当たり前になっていますよね。

そんな中、たまたま見つけました!(最大級の竪穴住居の記事を書こうと思ってたけども( -д-)ノ)

竪穴式住居に泊まれる場所を!

こういった施設が存在することは初めて知りました。

なので、簡単に紹介しますね。


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場所は、栃木県佐野市の秋山町771です。

「古代生活体験村」という名前の施設です。

竪穴式住居が4基、横穴式住居(?)が2基あります。

竪穴式住居は定員7名で、一泊11,880円、日帰り3,880円(税込)です。

横穴式住居は定員8名で、料金は竪穴式住居と同じです。


「古代米と火起こしセット、薪」も販売しています。

「古代の服」もレンタルしています。

近代的な温泉や、バーベキューコーナー、レストランといった施設もあるそうです。

古代の生活に心折れた時も何とかなりますね( -д-)ノ








で、どうしても気になるのが、「横穴式住居」(?)です。

竪穴式住居に対して「横穴」なのでしょうか?

上に挙げた写真から分かるように内部は近代的な造りとなっています。

横穴式の住居そのものは世界的に見られるんですが、通常は自然の岩壁を利用して掘削して造ります。

なので上に挙げたような、石組みの外観にはならないんですよね。


・・・・・・もしかして、「横穴式石室」から来てる?

だとしたら、私は竪穴式住居に泊まりたい!( ・Д・)

↓キャンプしたいな~って気になった人~?(*・ω・)ノ↓

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2019ねん 3がつ 17にち(にちよーび、曇り)

川砂のサンプルを採取に行ったら、

川沿いには除雪で集めた雪がたくさん残っていた……

あと一か月は我慢かな。

春よ、来いっ!ヽ(TдT)ノ


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↑街中にあるため背の高いビルに囲まれた三吉神社(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『三吉神社に参拝して、御朱印頂いてきたよ!&鳥居のデータ取ったよ!』ってことですね。



↓関連記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↓
↑良かったら併せてどうぞ~(・∀・)つ↑



今日は近い将来的に土器の胎土分析を行うための基礎研究の一環として、川砂の分析を行ってみようかと思い立ち、豊平川に向かったらまだ冬季期間であるため侵入禁止でした( ・Д・)

そして車を走らせていて、あ、神社に行こうと思い、三吉神社に参拝してみることにしたのです。

では、まずは三吉神社の基本データから紹介しますね。


【三吉神社】
住所:札幌市中央区南1条西8丁目
Tel:011-251-3443
駐車場:なし

祭神:大己貴神;開拓・医薬・縁結の神
  :少彦名神;開拓・医薬・酒造の神
  :藤原三吉神;勝利成功・事業繁栄の神
  :金刀比羅宮;商売繁盛・航海守護の神
  :天満宮;学問・技芸の神
創設:明治11年(1878年)

例大祭:5月15日



さて、では頂いた御朱印のご紹介を( -д-)ノ


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↑三吉神社で頂いた御朱印とパンフレット(「歩け、マヤ」管理人撮影)



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↑恐らく御神輿が入っている社殿、右に見えているのがスペース(「歩け、マヤ」管理人撮影)


三吉神社の社務所は本殿の左手にあります。

三吉神社のオリジナルの御朱印帳はないようです。

御朱印の初穂料は500円でした。

これまで他の神社では見られなかった、金色のスタンプが良い味を出しているな~と思ってます(・∀・)つ


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さて、三吉神社には駐車場がありません。

たぶんないと思います。

正面から入って左手に数台駐車していましたが、神社関係者のものでしょう。


入って右手には「ちょっとした空間」がありまして、車4~5台は停めれそうです。

実際、1台入ってきて停めようとしましたが、途中でやめていました。

駐車場ではなくて、お祭りや行事用のスペースだと思います。

なので、徒歩での参拝が良いでしょう。

街中過ぎるので、駐車できる場所がありません。



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↑県社昇格記念に奉納された正面の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、1878年に創建された三吉神社ですが、翌1879年に現在の位置に遷座します。

神社と認められた後に、村社、郷社、県社と昇格しました。

県社となったのが昭和5年4月30日です(1930年)。

三吉神社の入り口側にある鳥居には昭和5年10月13日の日付がありまして、県社への昇格記念に建立・奉納されたものと刻まれています。


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↑例によって神社内から撮影した鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑正面から撮影したもの、鳥居の柱が斜めであるのが分かる(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑鳥居の外に狛犬がいました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑角が斜めにカットされている台石(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、今回も鳥居のデータを取得してきました。

これまでとは異なり、三吉神社には鳥居が2基建立されていました。

まずは入り口側の鳥居のデータを紹介します。


【三吉神社 / 入り口の鳥居】
①建立:1930年
②素材:花崗岩製
③高さ:約4m?
④直径:38cm
⑤角度:斜め(傾斜角2度)
⑥下部構造:台石(方形で角が斜めにカットされている)



三吉神社の鳥居はこれまでで初の花崗岩製の鳥居でした。

立派だな~って感じです。

近代的なビルに囲まれた中で、更に古い樹々で囲まれて鎮座する三吉神社は、信仰心が薄い私でも厳かな印象を受けました。



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↑本殿の右隣に位置する出世稲荷社、右奥は中通りに続いている(「歩け、マヤ」管理人撮影)



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↑白い狐のモチーフが上部中央に表現されている(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


三吉神社は本殿の右手から中通りに抜け出ることができる構造になっています。

歩いて行ってみると『出世稲荷社』を発見。

実際には目と鼻の距離ですが、普通に参拝して正面へと戻ると気付かないかも知れません。

『出世』という言葉に惹かれたのでは決してなく、写真撮影と鳥居の計測をお願いするために参拝しました!(ちょっとお願いもしてみたけど( ・Д・))


【三吉神社 / 出世稲荷社の鳥居】
①建立:???年(柱の塗装は極めて新しいが、台石は風化している)
②素材:恐らくコンクリート製
③高さ:約2m?
④直径:19cm
⑤角度:斜め(傾斜角4度)
⑥下部構造:台石(方形)と亀腹


ミニチュアとかジオラマとかとにかく小さいものが好きな私には、失礼ながら可愛い社殿と鳥居だなとふと思ってしまいました( -д-)ノ

ちなみにこの事例で初めて亀腹を有する鳥居に出会えました!

データと経験値(知)が増えていく感じで嬉しいです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


さて、以前、「鳥居の考古学」の記事の際に、「鳥居の形態は奉納者の好みで選択され、神社の祭神等とは関係がない」と書きました。

今回の三吉神社の事例は、そのことを端的に表していると思います。

正面の大理石製の鳥居が「神明系」で、出世稲荷社の鳥居が「明神系」ですね。







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毎週末に神社巡りする癖がついてきたような気がします!

まだまだ近くに神社仏閣がありますが、その内遠出しなければならない時がやってきますね。

ドライブも楽しんで、ついでに川砂のサンプルでも採取すればいいか!(・∀・)つ

↓御朱印集めが趣味な方、かもーん!щ(゚Д゚щ)カモーン!↓

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