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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2019年03月

2019ねん 3がつ 28にち(もくよーび、曇り)

ネタが尽きてきて、よーやく特集系に戻れるかと思いきや、

取り上げたいニュースが上がってくる( ・Д・)

まぁいいことなんですけどね( -д-)ノ


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↑ビュクリュカレ遺跡(中央下部)と美しき風景(「アナトリア考古学研究所」のサイト内画像より転載)


今回の考古学・歴史ニュースは『トルコで4000年前の綺麗な水晶製のヒョウとか印章とか出たよ!』ってことです(・∀・)つ

前回もちょうどトルコで4000年前の出土品の話をしましたね。


↓以前の関連記事です(*・ω・)ノ
↑トルコ4000年前シリーズ?Σ(・ω・ノ)ノ


というのも、前回の記事も今回の記事も、「アナトリア考古学研究所」の調査・研究成果なのです。

そのため遺跡は別々なのですが、時期的には同時期の資料である可能性がそもそも高いわけです。

このアナトリア考古学研究所は、東京の三鷹市にある(財)中近東文化センターの附属機関として設立されたものです。

ですので、多くの日本人研究者が活躍している場なのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



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最初に紹介するのはビュクリュカレ遺跡です。


トルコの首都アンカラの南東約65kmに位置します。


現在と同様に昔から交通の要衝だったと考えられ、 ヒッタイト帝国時代(BCE2000~)以降の都市とのことです。


写真から分かるでしょうか、方形の枠が階段状に重なっているのが調査区で、そこが周辺より高い岩山になっています。

この上に重要な大型建築物が築かれ、周辺部のより低い土地に都市が形成されていました。


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この遺跡で見つかったのが、上の写真のヒョウです!カワ(・∀・)イイ!!

大きさは長軸3cm、短軸2.2cm、高さ1.3cmと小さいです。

直径3mmのラピスラズリや、青いガラス、金が象嵌されており、首には青銅製の金具が付いているそうです。

BCE2000~1800年前のアッシリア商業植民地時代の遺物と考えられます。

貴重なアフガニスタン産の青い宝石であるラピスラズリを使っていることから、笏などの先端に取り付けて儀礼に用いたのではないかと推測されています。


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次に紹介するのがカマン・カレホユック遺跡です。


トルコの首都アンカラから南東約100 kmに位置します。


サイズが直径280 m、高さ16 mあるそうですが、アナトリアでは中規模の丘状遺跡なのだそうです。


これまでの調査で4つの文化層、オスマン/ビザンチン、鉄器時代、後期・中期青銅器時代、前期青銅器時代が確認されています。


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↑カマン・カレホユック遺跡の調査風景(「アナトリア考古学研究所」のサイト内画像より転載)


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上の写真に見られるようなピット(簡単に言うと穴)が非常にたくさん検出されています。

これらは基本的に建築物遺構とのことですが、柱穴もあれば、お墓もあり、炉跡もあるそうです。

ピットは大小様々であり、かなり切り合っているので、複雑だな~という印象です( -д-)ノ

さて、この遺跡で見つかったのは紫色の水晶製の印章です。

このような光り輝く美しい円筒印章は珍しいそうです。

印章は古代メソポタミア(現在のイラク周辺)から来たアッシリア商人が居住していた時代(BCE2000~1800)のもので、先ほどのヒョウと同じくらいの時期の遺物です。


この印章の中央部にはラマと呼ばれる守護神の像(右向きの人型の姿)が刻まれており、縁に角状の突起がある三角帽を被っているなどの特徴から、印章が使用された年代を特定できたそうです。


遺物の大きさは長軸2.4cm、短軸1.4cmで、地表から約3m下の地層から見つかりました。


非常に珍しい品であることから、近くから宮殿等の重要な建造物遺構が見つかることが期待されます(・∀・)つ



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いや~、こういう素敵な遺物の発見、いいですね!

こんなものが土から顔を出したら感動ものですわ!v( ̄∇ ̄)v

↓押してくれぃ!それ、押してくれぃ!( ・Д・)↓

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2019ねん 3がつ 27にち(すいよーび、晴れ)

ダイエットを本格的に開始した。

ズボンが入らないのであるヽ(TдT)ノ

お酒もやめた。

オレンジジュースと共に生きてゆく!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『4000年前!メソポタミア文明の儀礼用ミニチュア土器が出土したよ!』ってことです(*・ω・)ノ

出土したのはトルコ共和国の首都アンカラから南東に約170kmの地点に位置するヤッスホユック遺跡です。


写真からも想像できるように、ヤッスホユック遺跡はかなり大きな遺跡です。


南北500m、東西625m、高さ13mの丘状の遺跡で、採土や道路建設といった近現代の人間活動によって一部が攪乱・欠損していますが全体として素晴らしい保存状態を保っています。

中央部には長軸約45~50m、短軸約40mの大建造物址が確認されており、王宮または神殿と考えられるそうです。

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遺構の写真に見られる、写真の4枠と平行な四角形の掘り込みがいくつか見られますが、これが発掘調査時の掘り込み面になります。

グリッドと呼んでいますが、このように方形状に調査を進めていくわけです。

一方で中央の大きな調査区の枠に対して、斜めに伸びるラインを見て取れると思いますが、これが住居の壁の痕跡になります。

出土地点や出土状況の詳細は不明ですが、丘の頂上部の表土から50~60cmの位置で7点の土器が集中して出土したそうです


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↑出土した儀礼用土器群(「産経フォト」の記事内画像より転載)


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↑サイズの小ささが分かる(「産経フォト」の記事内画像より転載)


出土した土器群の器高は14~21cmで、一部破損している資料もあります。

帰属時期はBCE1900~1750(約4000年前)で、古代メソポタミア文明の地(現在のイラク周辺)から来たアッシリア商人が活動した時代のものと推定されています。

いずれの資料も把手が付く尖底壺の形態で、このような形態の土器は古代の中東やエジプトで見られるものです。

ただし、2枚目の写真で分かるように非常に小さいものなので、コップのように日常的に飲用に使われたとは考えられません。

世界的にこのような小型の土器、所謂「ミニチュア土器」が出土しますが、多くの場合お墓から副葬品として出土します。

本来の大きなものを作って副葬する代わりとして用いられたせいか、比較的粗雑な作りであることが多いと感じますが、今回の資料は非常に精巧な作りですね!

4000年前にこれだけ小さく精巧な土器を作り上げたとは驚きです!

……それにしてもやはりミニチュア土器は可愛い!

美しいのがさらに良い!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

4000年前のミニチュア土器は、現代の日本のガチャガチャの品に負けてませんよね(・∀・)つ

↓小さい物は可愛い!カワ(・∀・)イイ!!↓

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2019ねん 3がつ 26にち(かよーび、曇り)

あ~、やること多い!

油断するとすぐに溜まる!

一個ずつ着実に終わらせていかねば( ・Д・)


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↑若杉山遺跡で見つかった最古の坑道の入り口(「KYODOニュース」の画像より転載)


今回の考古学・歴史ニュースは『徳島県で国内最古の辰砂の採掘坑道が見つかったよ&水銀朱が美しく残る土器片が重要文化財指定になったよ!』ってことです(*・ω・)ノ

前回ですね、徳島県における「朱」の生産址について紹介しました。



どうも徳島県は日本の「朱」の歴史に関して重要な土地のようですね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


さて、今回見つかった坑道は徳島県阿南市に所在する若杉山遺跡です。

上に挙げた写真で分かるように、かなり入り口が狭いです。


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↑坑道の内部もかなり狭い(「産経フォト」の記事内画像より転載)




坑道の内部もかなり狭いです。

坑道の高さが約70~90cmだそうです。

下底部に土砂の堆積が少しありますが、それをよけたとしてもかなり天井が低いです。

奥で3方向に分岐しつつ、それぞれ掘り進められ、奥行きは約13mです。

坑道の内部の岩壁には人為的に掘られた形跡が見られるそうです。

屈んだ姿勢で石材を用いて掘り進んでいったわけですから、かなりの労力だったことでしょう( -д-)ノ


これまでに日本最古とされた坑道は、8世紀頃の奈良時代に始まった山口県美祢市の長登銅山だったとのことです。

今回の若杉山遺跡の坑道内からは石杵や弥生土器片が出土しています。

この土器片が弥生時代の後半、CE1-300頃のものと同定されたため、日本における最古の坑道の事例として少なくとも500年遡ることになったわけです。

徳島県は縄文時代後期より、重要な赤色顔料である水銀朱の生産・交易に関わる土地であったと考えられています。

若杉山は「辰砂」を産出する地点であることから、古い時期にはこの周辺で採取された「辰砂」を、新しい時期には今回の坑道等から採掘された「辰砂」を原料として用いていたのだと思われます。








また徳島県の矢野遺跡から出土した縄文時代後期初頭(約4千年前)のを中心とした土製仮面や土器資料(計160点)が重要文化財に指定されることになりました。

中国・四国地方で縄文時代の遺物が重要文化財指定を受けるのは初めてだそうです。

そして注目して欲しいのはやはり、鮮やかな赤色顔料が残る土器片(3点の土器片の写真の右上)です。

今後、徳島県で、あるいは「朱」の交易先で、見事な赤色に染まった完形土器資料が見つかるといいですね。

小破片でこの美しさ&重要文化財指定ならば、完形資料ならば国宝級でしょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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2019ねん 3がつ 24にち(にちよーび、晴れ)

法事やらなんやらで御朱印もらいに行けなかった。

せっかくの習慣を無くさぬよう、

近日中に時間を見つけて参拝します!(*・ω・)ノ


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↑遺跡の全景、広さが分かる(「読売新聞」の記事内画像より一部加工)


今回の考古学・歴史ニュースは『徳島県、加茂宮ノ前遺跡で約4000年前の水銀朱の一大生産拠点が見つかったよ!』ってことです(*・ω・)ノ

場所は徳島県、阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡です。

徳島県では他にも「朱」をかけた遺物が多く出土する遺跡や、「辰砂」の採掘址と思われる遺構を有する遺跡が見つかっています。

「朱」というのは「朱色」という表現もあるように、簡単に言うと「赤色」の顔料のことです。

赤色顔料としての朱の原料は主に、辰砂とベンガラです。

辰砂は中国の辰州で多く生産されたことからその名が付けられており、硫化水銀から成る鉱物です。

辰砂からは水銀を精製することができるため、辰砂を原料とした朱を水銀朱(有害)と呼びます。

一方でベンガラは酸化第二鉄を主成分とする顔料(無害)で、色調は鉄の赤錆の色のイメージです。

赤色は「血液の色」であることから、「生命力を表す色」として、古くから世界各地で重宝されてきました。

加茂宮ノ前遺跡は約4000年前の縄文時代後期に帰属する遺跡で、朱の付着した石臼や石杵が300点以上出土し、水銀朱の原料である辰砂原石も大量に出土しました。

そのため古代の祭祀などに使われた赤色顔料である水銀朱を生産した一大拠点であったと考えられています。

日本における朱の生産地としては最古級、最大級であり、朱の関連遺物の出土量も最多の遺跡です。


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最初に挙げた写真で分かるように加茂宮ノ前遺跡はかなり広いです。

その調査面積は約1万平方mに及ぶそうですΣ(・ω・ノ)ノ

これまで当該遺跡では、弥生時代中期から鎌倉時代にかけての遺構が発見されていました。

今回の発見で縄文時代後期に相当する祭祀に使っていたとみられる石を円形に配置した遺構14基や竪穴住居跡2基が見つかりました。

このような縄文時代後期の居住域と祭祀の遺構がまとまって確認できたのは西日本で初めての事例とのことですヾ(´ω`=´ω`)ノ



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この加茂宮ノ前遺跡では水銀朱の製造に使われた石杵と石臼だけで300点以上が出土しました。

石臼の大きいものは直径約30cm、石杵では直径約10cmのサイズだそうです。

また原料である辰砂原石や、水銀朱が施された耳飾り、土器などの関連遺物が700点以上出土し、合計1000点以上の「朱」に関連する遺物が出土したことになります。

原料として使用された辰砂原石は遺跡から約5km離れた若杉山周辺から採取された可能性が高いと推定されています。

また出土した土器の模様には九州の土器に類似した特徴が見られることから、当時から地域交流をしていた可能性が指摘されています。

加茂宮ノ前遺跡における今回の発見は、西日本における縄文時代の集落構造の解明に繋がる重要な発見であり、また水銀朱の一大生産地として古くより遠方の他地域との交易を行っていた可能性を示す重要な発見でもあります。


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さて、最後に徳島新聞による現地説明会の様子を撮影した動画へのリンクを載せておきます。


いいですね、これ!


現地説明会に参加した気分になれます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



↑加茂宮ノ前遺跡での現地説明会の様子(「徳島新聞動画TPV」の動画)

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2019ねん 3がつ 22にち(きんよーび、雪)

寒い。

早くフィールドに出たいから暖かくなって欲しかったのに、

気温は例年並みかそれ以下に急下降。

春よ、来い!ヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは『マヤ北部低地の主要都市遺跡チチェン・イツァの地下にあるバラムク洞窟で大量の儀礼品が発見された!』ということです(*・ω・)ノ

古代マヤ文明の地であるユカタン半島では、特に北部地域において石灰岩層が陥没して生じるセノーテ(上の写真)が集中して見られます。


この北部地域において主要なマヤ都市のひとつであるチチェン・イッツァは観光地としても非常に有名です。


特に春分・秋分の日に、エル・カスティーヨの階段側面に見られる「ククルカン(羽毛の生えた蛇)の降臨」のイベントで知られています。



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↑階段の側面部に蛇のうねうねした影が映る仕組みになっている(「Queen Angel」さんの記事内画像より転載)



今回の発見の舞台はこのチチェン・イツァ遺跡の地下にある洞窟です。


チチェン・イツァ遺跡の地下には複数の洞窟が確認されており、その多くは連結していることが分かっています。


この洞窟群のひとつである「バラムク洞窟」にて150点以上の儀式用の遺物集中が発見されました。


バラムク洞窟は1966年に発見されて、内部に遺物があることも記録されていましたが、調査されないまま50年以上が経過していました。


鍾乳石が発達するような洞窟内のためか、落盤もなく、非常に良好な保存状態で多くの土器を中心とする遺物がそのまま眠っていました。



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↑まるで時間が経過していないかのような大量の遺物集中が見られる(「NACIONALGEOGRAPHIC」における関連記事のギャラリー画像より一部加工;credit: KARLA ORTEGA)




私はナショナルジオグラフィックが好きですが、色々見ててやはりここの助成を受けた調査は華やかな発見が多いな~って思います。


これだけの良好な保存状態の遺物集中をもし見つけたら、私ならその場でお祭り騒ぎになりますね!


……ま、冷静になれば、図面取るのが面倒くさいなと思い始めるでしょうが( -д-)ノ


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