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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2019年04月

2019ねん 4がつ 29にち(げつよーび、晴れ)

ゴールデンウイークの間に太る予感。

ここ2か月で痩せたのに元に戻りそう( ・Д・)


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↑カエル、かわいい!カワ(・∀・)イイ!!(「情報速報ドットコム」の記事内画像より転載)


今日の考古学・歴史ニュースは『纏向遺跡で祭祀・儀礼に用いられたカエルの骨が見つかったよ!』というお話です(*・ω・)ノ

さて、今回の舞台は奈良県、桜井市に所在する纏向(まきむく)遺跡です。

ここは邪馬台国論争、畿内説で有名な3~4世紀の大規模集落跡です。

つまるところ『卑弥呼』が収めた邪馬台国だった蓋然性の高い遺跡なのです。

この時期には古代中国で霊力のある果物とされていた「桃」の種が多く出土する遺跡が多数見つかっており、纏向遺跡でも以前に多量のモモの種が検出されました。

このモモの種などが多数出土した土坑内部の掘り上げ土を詳細に調べたところ、カエルの骨が100点以上含まれていることが確認されたのです。


↓関係する記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ
↑併せてどうぞ(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。
邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。
邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。

邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。
邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している
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↑検出された依存体の一部と該当部位(
藤原弘
藤原弘
藤原弘
「毎日新聞」の記事内画像より転載; credit: 藤原弘)



この土坑は3世紀前半の大型建造物の傍に位置していることから、3世紀中頃までに作られたものと考えられています。

検出されたカエルの骨は全部で117点あり、ツチガエル(94点)、ナゴヤダルマガエル(13点)、ニホンアオガエル(10点)などと計12個体分の骨を確認しました。

それぞれのカエルの推定体長は4~7cmで同定された3種のカエルは現在の遺跡周辺では生息していません。

しかし奈良県にある同時期のもう一つの有名遺跡である唐古・鍵遺跡ではこの3種のカエルの骨が出土していることから、当時の奈良盆地には生息していたと推定されています。

上に挙げた写真に添えてある図面から分かるように、カエルの骨の表面にはたくさんの小さな傷があります。

この傷は人為的に付けられた可能性があります。

またカエルの骨の8割以上が土坑内のモモの種やその他の動植物、土器、木製品と同じ土層で見つかったことから、当時の祭祀・儀礼行為の一環として用いられ、埋められたものと考えられるそうです。

現代の我々にはカエルと神事は結び付かないようにも思えますが、奈良県の無形民俗文化財で、舞や歌などを奉納する「国栖奏(くずそう)」という吉野町の伝統行事では現在でも神前にカエルが供えられるそうです。

古代中国ではカエルも強い霊力を有した動物とされていたことから、モモと共にカエルが儀礼に用いられて神に捧げられたのでしょうね(・∀・)つ


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2019ねん 4がつ 27にち(どよーび、曇り)

GW初日、とてものんびりと過ごした。

GW中も毎日ちょっとした仕事をすることにした。

僅かずつでも進むのである( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは『奈良県斑鳩町の住宅街にある古墳から5世紀のミニ銅鏡が出土したよ!』ってお話です(・∀・)つ

上に挙げた写真のように奈良県斑鳩町の住宅街にポツンと古墳があります。

この古墳は、「甲塚(かぶとづか)古墳」と呼ばれてきましたが、実際に古墳であるのかどうかはこれまで分かっていませんでした。

地元に残る伝承では「聖徳太子の孫の墓」とされてきたそうです。

今回の発掘調査によって、古墳の頂上部で埋葬施設が検出され、古墳であることが確定しました。

しかしながら出土した銅製の鏡が見つかったことから、5世紀中頃以降に造営された有力者の墓と推定されています。

「聖徳太子の孫の墓」ではなかったのです( ・Д・)




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埋葬施設から出土した銅製の鏡は直径約6cmという非常に小さなサイズのものです。

3枚目の写真で分かるように、中心部にある紐を通すための半球形の膨らみ部分の周辺に3重の圏線が巡っています。

この特徴から「重圏文鏡」という鏡だということがわかりました。

この銅鏡の種類を根拠に古墳の建造・埋葬時期は5世紀の中頃であったと推測しています。


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小さなものが好きな私にとってはミニ銅鏡、可愛いなと思ってしまいます。

小さいながらに精巧な作りであることがより良いですよねカワ(・∀・)イイ!!

それにしてもこれだけの住宅街の中にひっそりとあって、よく子供たちのいたずら等で掘り起こされなかったなと思ってしまいます。

「聖徳太子の孫の墓」ではなかったけれども、重要な人物の墓であるという伝承が古墳を守ってきたのかも知れませんね(。・ω・)ノ゙

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2019ねん 4がつ 25にち(もくよーび、晴れ)

右足のふくらはぎがツリ続ける病になった(ノ◇≦。) ビェーン!!

今日、明日はめちゃ働く。

そしてGWは酒を断って、のんびり養生することにするヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは『古典期後期(CE600-900)の土製人形の製作工房がマヤ考古学史上初めて見つかったよ!』って内容です(*・ω・)ノ

本当に久しぶりのマヤ文明ネタです。

専門だからこそ、変なこと書けないなと自然と避けてしまっていたかも知れません( -д-)ノ

ところで実は私は「土器製作址」を探していて、「マヤ史上初の古典期の土器焼成址を発見したよ!」って発表してるんですけどね。

論文として公表になるのは今年(2019年)の7月です。

あと数ヶ月でブログでも記事にして紹介しようかと思ってます。

……さて、今回の発見は個人的に非常に興味深いな~と、ちょっとテーマの方向性は違えど、やられたな~って感じがしています。

もし私の対象遺跡と同じ遺跡で、先にこれだけの発見されたら、正直泣いてますね。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン


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今回の発見の舞台は、グアテマラの首都、グアテマラシティにあるカミナルフユ遺跡です。

元々は巨大な湖の周辺に栄えた大都市でしたが、近現代における首都の成長と共に大部分が消え去ってしまいました。

上に挙げた2枚目の写真のように、一部が遺跡公園として保存されており、その周辺はすぐに住宅街となっています。

遺跡公園にはJICAの協力で建設された小規模の博物館の他、上に挙げた写真に見られるような古代マヤ文明の建造物が見られる展示があります。

またカミナルフユ遺跡の他の一部であるミラ・フローレス地区は、その名の通り「ミラ・フローレス」と呼ばれるショッピングモールに残っています。

そこでも小規模の博物館の他、神殿マウンドが展示されています。

両者とも規模は小さいですが、比較的新しい建物であることもあり綺麗です。

そして展示されている遺物も展示方法も素敵です(・∀・)つ


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さて、今回のニュースで発見されたのは「土製人形」です。

人物や動物を造形したものを「Figurines」と呼んでおり、日本語に直訳すると「小像」でしょうか。

実際にめちゃくちゃ大きいサイズの土製像が後古典期(CE900~1521)のメソアメリカ美術様式には見られますが、古代マヤ文明では小サイズのものばかりですので個人的には「小像」で良いかと思います。

日本では土製の偶像ということで「土偶」という名称が聞き慣れていると思いますが、イメージが大きく異なるので本記事では「土製人形」と表現することにします。

上に挙げた写真のように古代マヤ文明の土製人形は丸みを帯びた造形のものが多いです。

この写真の資料は丁寧に磨かれていますが、粗雑に作られた資料も数多く見つかっています。

一方で2枚目の写真に見られるように、古典期後期にハイナ島で生産された土製人形は非常に精巧な作りであることが特徴的です。


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上に挙げた写真の内、2枚目は明らかに「型」ですね。

1枚目は実見として押してみたものなのでしょうか。

これだと型取りにならないですよね( ・Д・)

でも焼成しているように見えるんだよな(`・ω・´)

・・・さて、参考にしている元記事がコバン市における土製人形の「型」を含む大量の土器破片資料の出土について書いているのですが、すぐにカミナルフユ遺跡の話になるのです。

両方ともマヤ高地だし、距離的にまぁまぁ近いとは言え、けっこう離れています。

遺跡としては別物です。

これは元記事書いた人が間違えているのか、私の訳がおかしいのか(斜め読みしてます(´・ω・`))・・・

なんだか、やな予感がします。


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原文はサイエンス誌に掲載されたようで、膨大な量の土器資料は1つのマウンドから1立方フィートの土壌あたり7000点の破片が発見されたそうです。

さらにマウンド全体では500000点の未使用の土器の残骸を含む合計1500万点の破片が含まれているそうです。

サイエンス誌に載ったとは言え、「未使用の土器」ってどういうこと?

てかこの写真何!?

完全に新しく捨ててるよね!?( ・Д・)

ちょっとサイエンス誌の原文読んで、事実確認し、次回報告します( -д-)ノ

↓こんな終わり方ですみまてん( ・Д・)↓

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2019ねん 4がつ 19にち(きんよーび、晴れ)

春はいいね~(・∀・)つ

モチベーションも高いし、暖かいし……何より眠い!(・∀・)


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↑烈々布神社の本殿、写真が斜めってる( -д-)ノ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『烈々布(れつれっぷ)神社に参拝して、御朱印頂いてきたよ!&鳥居のデータ取ったよ!』ってことですね。



↓関連記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↓
↑「御朱印&鳥居データ集め①~⑤」も良かったら併せてどうぞ~(・∀・)つ↑



さて、「歩け、マヤ」管理人の川砂サンプル取得の旅も今週末でひとまず終わりです!

論文あるいは研究ノートとして考古学系の雑誌に投稿しようかなと思っているので核心には触れませんがどんなことしようとしてるのかについて近い内に記事にしますね!(*・ω・)ノ

ということで来週から……といってもゴールデンウイークか!

週末の定期的な御朱印集めはどうやら再開できそうです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


では、本題に戻りまして、まずは烈々布神社の基本データから紹介しますね。


【烈々布神社】
住所:札幌市東区北42条東10丁目1-11
Tel:011-711-9773
駐車場:あり

祭神:
天照大神(あまてらすおおかみ);森羅万象を守護
大巳貴神(おおなむちのかみ);産業隆昌
埴安姫神(はにやすひめのかみ);火難除け
少彦名神(すくなひこなのかみ);病気平穏
菅原道真公(すがわらのみちざねこう);学業成就
誉田別尊(ほんたわけのみこと);繊維業振興
倉稲魂神(うかのみたまのかみ);商業繁盛
三吉大神(みよしのおおかみ);勝利を守護
崇徳天皇(すとくてんのう)

創設:明治22年(1889年)

宵宮祭:9月14日
例祭:9月15日


さて、では頂いた御朱印のご紹介を( -д-)ノ


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↑烈々布神社で頂いた御朱印とパンフレット(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑烈々布神社の本殿(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑力強い印象の社務所!(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑社務所の脇に授与所が付随しています(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、タイトルにもあるように烈々布神社の名称の読み方は『れつれっぷ』です。

北海道は難読漢字の地名が多いですが、アイヌ語由来の名称に漢字を当てているからですね。

この烈々布神社の名称の由来もアイヌ語であると考えられています。

この烈々布神社の御祭神の数は9柱で、北海道で最も御祭神の多い神社として知られています。

烈々布神社の社務所は本殿の右手にあります。

近代的な立派な造りですが、木製の装飾が良い感じのアクセントになっています。

社務所の入り口の隣には授与所があり、ここで御朱印を頂くことが出来ました。

思えば、これまでの神社は全て社務所の内部で御朱印を頂くスタイルでした。

冬にはかなりの雪が降る北海道ならではなのでしょうが、そういう意味でもこの烈々布神社は珍しいのかも知れません。

ちなみに烈々布神社のオリジナルの御朱印帳はないようです。

また他の神社と違って、自らの神社を紹介するパンフレットがありませんでした。

上に挙げた写真で分かるように、「水樹奈々さんがトークエッセイを書いている神社本庁のパンフレット」と、「神社探訪」という石狩管内神社ガイドマップを置いていました。

特に神社ガイドマップは嬉しかったです。

今後の神社巡りに役立つアイテムですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

御朱印の初穂料は300円でした。

頂いた御朱印はシンプルで、ドン!と力強さを感じるような印象です。

個人的には「the御朱印」だなと思いました( -д-)ノ


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↑入口にある烈々布神社の石碑(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑御祭神の一覧(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑正面入口からの様子、広い!(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑境内にもかなり広いスペースがある(「歩け、マヤ」管理人撮影)

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ところで、烈々布神社には駐車場があります。

烈々布神社には三つの入り口があります。

正面入り口、裏手の入り口、中央口です。

この内、中央口は車用口で上に挙げた最後の写真の広いスペースに入るためのものです。

さて、私達一般車を停めるべきは、本殿に向かって左手にある裏手の入り口の傍にある駐車場です。

かなり広く、車が14~19台は停めれます。

ただ駐車場の一部にプレハブを設置しており、現在も簡易式トイレを設置している最中でしたから、駐車場のスペースが減ってしまう気もします。

それでも10台以上は停めれますので問題ありません(。・ω・)ノ゙


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↑例によって神社内から撮影した入り口の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑入口の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、今回も鳥居のデータを取得してきました。

烈々布神社には鳥居が3基、建立されていました。

それでは順に鳥居のデータを紹介していきます。


【烈々布神社 / 正面入り口の鳥居】
①建立:1989年
②素材:金属製(内部はコンクリート)
③高さ:約7m
④直径:45cm
⑤角度:垂直
⑥下部構造:台石(大きい)


正面の鳥居は金属+コンクリ製の大きな鳥居でした。

この『ドラム缶式鳥居』(勝手に名付けてみた)は今のところ札幌、北海道の神社ではよく見る構造です。

ドラム缶を継いだような外見になっていて竹のような節が見えること、表面が薄い金属板で内部がコンクリートで充填されていることを特徴として一時的に命名しました。

川砂の採取で道南を走っていた時もけっこう見かけています。

また特徴として、台石が非常に大きく、これまでに見てきたものを台石とするならば、これは台座と言っても良いくらいのサイズです。

今後の調査でもしこういった大型の台石構造の事例が多いのであれば、名前を別途付けて分類した方が良いかも知れませんね。


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↑本殿の正面の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑鳥居の建立・奉納年月日の情報(「歩け、マヤ」管理人撮影)

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↑本殿正面の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


【烈々布神社 / 本殿正面の鳥居】
①建立:1951年
②素材:大理石製
③高さ:約3.5m
④直径:28cm
⑤角度:斜め(傾斜角2度)
⑥下部構造:台石+饅頭


本殿のすぐ近くに建立された2基目の鳥居は大理石製でした。

今のところ、材質の問題もあってか大理石製の鳥居は数が少なく、またサイズが小さい傾向にありますね。

もっともっとデータが集まってきたら、そういった傾向が明確になると思います(。・ω・)ノ゙


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↑裏手の入り口にある鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑裏手の鳥居の建立・奉納年月日に関する情報と下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


【烈々布神社 / 裏手の鳥居】
①建立:1989年
②素材:金属製(中空構造)
③高さ:約3.5m
④直径:28cm
⑤角度:垂直
⑥下部構造:台石


さて、3基目の鳥居は金属製でした。

中空になっている鳥居としてはこれまでで初めての事例です。

烈々布神社は、以前に取り上げた三吉神社の分祀として1889年に建立されています。

平成元年(1989)はちょうど鎮座100周年記念ということで、入り口の鳥居とこの裏手の鳥居が新しく建立されたようです。

三吉神社にある2基の鳥居と見比べてみましたが、目立った共通点がない!

やはり鳥居は御祭神等とは無関係で、奉納者の趣向によるのでしょうかヽ(TдT)ノ

まぁそう言われているのだから、そうなのでしょうが、反する傾向が見られたら楽しいなとつい思っちゃいますね(・∀・)つ


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あ、前回、メモ帳を紛失したせいで不備のあった北海道神宮頓宮のデータも加筆修正しておきました!

平日の昼間なのに、スーツ姿の女性がたくさん来ていましたね。

中には議員さん風の方も……

ちなみに御朱印を頂いてる方もちらほらと見かけます。

「歩け、マヤ」の御朱印情報は鳥居のデータが中心ですが、実は『駐車場のデータ』にも力を入れています(気付いていましたかね( ・Д・))。

やはり北海道は広いですから、神社巡りには車が必要になるケースも多いと思います。

その一方で神社に関しては駐車場の有無って意外に情報がないな~と思うので駐車場を気にするようにしています。

私のように車で神社巡りをする方のお役に立てれば幸いですヾ(´ω`=´ω`)ノ

↓御朱印集めが趣味な方、かもーん!щ(゚Д゚щ)カモーン!↓

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2019ねん 4がつ 17にち(すいよーび、晴れ)

研究機材が欲しい……

やはりクラウドファンディングか!?( ・Д・)


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元記事: hitkno.com; *インドネシア語サイト)


さて、今回の考古学・歴史ニュースは『Twitterで話題のインドネシアで見つかった古代のガンダムみたいな石像が本物かどうかについて考えてみたよ!』ってことです(*・ω・)ノ

上に挙げた画像の通り、見た目は完全にガンダムですね。

昔、「ガンダムSEED」とか好きだったんですけどね。

このガンダムは知りませんでした。

このガンダムは2007年に放送された「機動戦士ガンダム00」に出てくる「GN-001ガンダムエクシア」という機体だそうです。


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↑比べてみると確かに似ている(「はちま起稿」の記事内画像より転載)



問題の石像はインドネシア中部、ジャワ州のスマランにあるニャマトで見つかったそうです。

地元の人たちはこの石像がマジャパヒト王国時代に作られたと言っていたそうです。

しかしながら、ガンダムそっくりであることから、GN-001ガンダムエクシアがアニメで登場した2007年に作られたガンダムエクシアの石像が2019年に苔むしている可能性は否定できないとも地元メディアは冷静に書いています。


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ちなみにマジャパヒト王国は1293年~1478年にジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国だそうです。

本当にその時代に造られたものなら500~700年も経過していることになりますΣ(・ω・ノ)ノ

さて、このガンダムの像が本当にそれほど過去のものなのか、あるいはある種のフェイクのような現代の作品なのかについて検討してみます。


ポイントは3つあります。

①石像である(素材が石材である)
②コケが生えるのにかかる時間
③インドネシアにおける伝統的モチーフと造形の特徴との違い

さて、それぞれを見ていきましょう!(*・ω・)ノ



①対象が石像である点

学生時代にひたすら年号を覚えてきたせいか、「歴史」と聞くと何でもかんでも時期が分かっている気がしますよね。

まぁ歴史時代であれば、様々な事柄が暦年や日付レベルで分かると思います。

でも考古学が扱う「モノ」に関しては時期を判定するということ自体がなかなかに難しいことなのです。

とは言っても、普段の記事で「○○○○年前の墓!」とか書いてるじゃないか!と思われるかも知れません。

基本的にはこれまでの研究の積み重ね、多くの場合は土器編年研究によって時期が判定されます。

この場合は当然ですが土器が出土しなければなりません

また炭素年代測定法も近年は活躍していますが、これも炭化物が検出されなければなりません。

今回のケースではどちらもありませんね( -д-)ノ

さて、ここまでの話で「石」に関する話が出てきませんでしたが、というのも石材を対象とした時期判定は非常に困難なのです。

地質学では母岩の年代が判定されていますが、石材として切り出してしまっては話が異なります。

例えば、古い地層から石を取り出してきて自分の名前を刻んだとしても、あくまでそれは現時点で彫ったのであって、その作品が古い地層の年代に作られたものになるわけではありません。

つまり特殊な事例を除き、基本的に石材の加工時期の判定は難しいのです。

逆に言えば、フェイクでオーパーツを作るには石材は最適ですね。

これが土器や絵画だと形態や炭化物、モチーフ、塗料の原料等の諸分析からすぐにフェイクとバレてしまいますから(/TДT)/




②コケは長く経過した時間の判定基準になるか?

結論から言ってなりません。

一時期流行った(今も?)苔テラリウムを考えれば分かりますが、苔を人為的に載せれば苔は育ちます。

僅かな土壌ごと石材に載せてしまえば、インドネシアの熱帯性気候における大気中の水分でも十分に育ちます。

降雨も多いですから、石材からもぐいぐいと水分を吸収できます。


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↑プランバナン寺院の石像(「LINEトラベル」の記事内画像より転載)

③在地の美術伝統とガンダムの造形特徴の比較

著作権フリーな画像が全然見つからなかったため、適切な画像を集めることができませんでした( ・Д・)

ま、しかしながら、マジャパヒト王国はヒンズー教国ですから美術様式もヒンズー教のそれなのだと思います。

正直言って、そんなにガンダムみたいな石像がゴロゴロしてたら、もっと早い時点で既に話題になっているはずですよね。

インドネシアは人類学研究の対象地域として昔から頻繁に取り上げられる地域ですから(。・ω・)ノ゙

さて、美術様式以外にも不可解な点があります。

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↑再掲(同上)


一般的な石像は、腕が身体とか頭部に接続しているものです。

丸彫りにせよ、その方が造り易いし、強度も保証されるからです。

時に、このガンダムのように脇が開くようなモチーフのものもありますが、その場合は何かしらの特殊なポーズ(宗教的な、あるいは芸術的な)を取るために敢えてそのようにしています。

では、このガンダムの場合はどうでしょう?

無駄に脇が開いています( ・Д・)

このポーズの意味は「より一層、ガンダムのように見える」しかないように思えます。


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さて、個人的にはガンダムは好きだし、こういうのもいいですよね。

今ある現代作品としてのガンダムもいずれこのようになるのかも知れないと思うと感慨深いものがあります。

「時を感じるアート」としていいな~と思います。

(もし今後、ガンダム的遺物が多数発見されて、新しく認定される古代文化であることが分かった場合はごめんなさいヽ(TдT)ノ……でも、今のところ、限りなく黒に近いと思います(TДT))

↓私と同意見な人はブログリーダーになりましょー!( ・Д・)↓

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