歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2019年04月

2019ねん 4がつ 19にち(きんよーび、晴れ)

春はいいね~(・∀・)つ

モチベーションも高いし、暖かいし……何より眠い!(・∀・)


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↑烈々布神社の本殿、写真が斜めってる( -д-)ノ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『烈々布(れつれっぷ)神社に参拝して、御朱印頂いてきたよ!&鳥居のデータ取ったよ!』ってことですね。



↓関連記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↓
↑「御朱印&鳥居データ集め①~⑤」も良かったら併せてどうぞ~(・∀・)つ↑



さて、「歩け、マヤ」管理人の川砂サンプル取得の旅も今週末でひとまず終わりです!

論文あるいは研究ノートとして考古学系の雑誌に投稿しようかなと思っているので核心には触れませんがどんなことしようとしてるのかについて近い内に記事にしますね!(*・ω・)ノ

ということで来週から……といってもゴールデンウイークか!

週末の定期的な御朱印集めはどうやら再開できそうです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


では、本題に戻りまして、まずは烈々布神社の基本データから紹介しますね。


【烈々布神社】
住所:札幌市東区北42条東10丁目1-11
Tel:011-711-9773
駐車場:あり

祭神:
天照大神(あまてらすおおかみ);森羅万象を守護
大巳貴神(おおなむちのかみ);産業隆昌
埴安姫神(はにやすひめのかみ);火難除け
少彦名神(すくなひこなのかみ);病気平穏
菅原道真公(すがわらのみちざねこう);学業成就
誉田別尊(ほんたわけのみこと);繊維業振興
倉稲魂神(うかのみたまのかみ);商業繁盛
三吉大神(みよしのおおかみ);勝利を守護
崇徳天皇(すとくてんのう)

創設:明治22年(1889年)

宵宮祭:9月14日
例祭:9月15日


さて、では頂いた御朱印のご紹介を( -д-)ノ


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↑烈々布神社で頂いた御朱印とパンフレット(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑烈々布神社の本殿(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑力強い印象の社務所!(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑社務所の脇に授与所が付随しています(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、タイトルにもあるように烈々布神社の名称の読み方は『れつれっぷ』です。

北海道は難読漢字の地名が多いですが、アイヌ語由来の名称に漢字を当てているからですね。

この烈々布神社の名称の由来もアイヌ語であると考えられています。

この烈々布神社の御祭神の数は9柱で、北海道で最も御祭神の多い神社として知られています。

烈々布神社の社務所は本殿の右手にあります。

近代的な立派な造りですが、木製の装飾が良い感じのアクセントになっています。

社務所の入り口の隣には授与所があり、ここで御朱印を頂くことが出来ました。

思えば、これまでの神社は全て社務所の内部で御朱印を頂くスタイルでした。

冬にはかなりの雪が降る北海道ならではなのでしょうが、そういう意味でもこの烈々布神社は珍しいのかも知れません。

ちなみに烈々布神社のオリジナルの御朱印帳はないようです。

また他の神社と違って、自らの神社を紹介するパンフレットがありませんでした。

上に挙げた写真で分かるように、「水樹奈々さんがトークエッセイを書いている神社本庁のパンフレット」と、「神社探訪」という石狩管内神社ガイドマップを置いていました。

特に神社ガイドマップは嬉しかったです。

今後の神社巡りに役立つアイテムですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

御朱印の初穂料は300円でした。

頂いた御朱印はシンプルで、ドン!と力強さを感じるような印象です。

個人的には「the御朱印」だなと思いました( -д-)ノ


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↑入口にある烈々布神社の石碑(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑御祭神の一覧(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑正面入口からの様子、広い!(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑境内にもかなり広いスペースがある(「歩け、マヤ」管理人撮影)

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ところで、烈々布神社には駐車場があります。

烈々布神社には三つの入り口があります。

正面入り口、裏手の入り口、中央口です。

この内、中央口は車用口で上に挙げた最後の写真の広いスペースに入るためのものです。

さて、私達一般車を停めるべきは、本殿に向かって左手にある裏手の入り口の傍にある駐車場です。

かなり広く、車が14~19台は停めれます。

ただ駐車場の一部にプレハブを設置しており、現在も簡易式トイレを設置している最中でしたから、駐車場のスペースが減ってしまう気もします。

それでも10台以上は停めれますので問題ありません(。・ω・)ノ゙


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↑例によって神社内から撮影した入り口の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑入口の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、今回も鳥居のデータを取得してきました。

烈々布神社には鳥居が3基、建立されていました。

それでは順に鳥居のデータを紹介していきます。


【烈々布神社 / 正面入り口の鳥居】
①建立:1989年
②素材:金属製(内部はコンクリート)
③高さ:約7m
④直径:45cm
⑤角度:垂直
⑥下部構造:台石(大きい)


正面の鳥居は金属+コンクリ製の大きな鳥居でした。

この『ドラム缶式鳥居』(勝手に名付けてみた)は今のところ札幌、北海道の神社ではよく見る構造です。

ドラム缶を継いだような外見になっていて竹のような節が見えること、表面が薄い金属板で内部がコンクリートで充填されていることを特徴として一時的に命名しました。

川砂の採取で道南を走っていた時もけっこう見かけています。

また特徴として、台石が非常に大きく、これまでに見てきたものを台石とするならば、これは台座と言っても良いくらいのサイズです。

今後の調査でもしこういった大型の台石構造の事例が多いのであれば、名前を別途付けて分類した方が良いかも知れませんね。


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↑本殿の正面の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑鳥居の建立・奉納年月日の情報(「歩け、マヤ」管理人撮影)

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↑本殿正面の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


【烈々布神社 / 本殿正面の鳥居】
①建立:1951年
②素材:大理石製
③高さ:約3.5m
④直径:28cm
⑤角度:斜め(傾斜角2度)
⑥下部構造:台石+饅頭


本殿のすぐ近くに建立された2基目の鳥居は大理石製でした。

今のところ、材質の問題もあってか大理石製の鳥居は数が少なく、またサイズが小さい傾向にありますね。

もっともっとデータが集まってきたら、そういった傾向が明確になると思います(。・ω・)ノ゙


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↑裏手の入り口にある鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑裏手の鳥居の建立・奉納年月日に関する情報と下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


【烈々布神社 / 裏手の鳥居】
①建立:1989年
②素材:金属製(中空構造)
③高さ:約3.5m
④直径:28cm
⑤角度:垂直
⑥下部構造:台石


さて、3基目の鳥居は金属製でした。

中空になっている鳥居としてはこれまでで初めての事例です。

烈々布神社は、以前に取り上げた三吉神社の分祀として1889年に建立されています。

平成元年(1989)はちょうど鎮座100周年記念ということで、入り口の鳥居とこの裏手の鳥居が新しく建立されたようです。

三吉神社にある2基の鳥居と見比べてみましたが、目立った共通点がない!

やはり鳥居は御祭神等とは無関係で、奉納者の趣向によるのでしょうかヽ(TдT)ノ

まぁそう言われているのだから、そうなのでしょうが、反する傾向が見られたら楽しいなとつい思っちゃいますね(・∀・)つ


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あ、前回、メモ帳を紛失したせいで不備のあった北海道神宮頓宮のデータも加筆修正しておきました!

平日の昼間なのに、スーツ姿の女性がたくさん来ていましたね。

中には議員さん風の方も……

ちなみに御朱印を頂いてる方もちらほらと見かけます。

「歩け、マヤ」の御朱印情報は鳥居のデータが中心ですが、実は『駐車場のデータ』にも力を入れています(気付いていましたかね( ・Д・))。

やはり北海道は広いですから、神社巡りには車が必要になるケースも多いと思います。

その一方で神社に関しては駐車場の有無って意外に情報がないな~と思うので駐車場を気にするようにしています。

私のように車で神社巡りをする方のお役に立てれば幸いですヾ(´ω`=´ω`)ノ

↓御朱印集めが趣味な方、かもーん!щ(゚Д゚щ)カモーン!↓

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2019ねん 4がつ 17にち(すいよーび、晴れ)

研究機材が欲しい……

やはりクラウドファンディングか!?( ・Д・)


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元記事: hitkno.com; *インドネシア語サイト)


さて、今回の考古学・歴史ニュースは『Twitterで話題のインドネシアで見つかった古代のガンダムみたいな石像が本物かどうかについて考えてみたよ!』ってことです(*・ω・)ノ

上に挙げた画像の通り、見た目は完全にガンダムですね。

昔、「ガンダムSEED」とか好きだったんですけどね。

このガンダムは知りませんでした。

このガンダムは2007年に放送された「機動戦士ガンダム00」に出てくる「GN-001ガンダムエクシア」という機体だそうです。


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↑比べてみると確かに似ている(「はちま起稿」の記事内画像より転載)



問題の石像はインドネシア中部、ジャワ州のスマランにあるニャマトで見つかったそうです。

地元の人たちはこの石像がマジャパヒト王国時代に作られたと言っていたそうです。

しかしながら、ガンダムそっくりであることから、GN-001ガンダムエクシアがアニメで登場した2007年に作られたガンダムエクシアの石像が2019年に苔むしている可能性は否定できないとも地元メディアは冷静に書いています。


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ちなみにマジャパヒト王国は1293年~1478年にジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国だそうです。

本当にその時代に造られたものなら500~700年も経過していることになりますΣ(・ω・ノ)ノ

さて、このガンダムの像が本当にそれほど過去のものなのか、あるいはある種のフェイクのような現代の作品なのかについて検討してみます。


ポイントは3つあります。

①石像である(素材が石材である)
②コケが生えるのにかかる時間
③インドネシアにおける伝統的モチーフと造形の特徴との違い

さて、それぞれを見ていきましょう!(*・ω・)ノ



①対象が石像である点

学生時代にひたすら年号を覚えてきたせいか、「歴史」と聞くと何でもかんでも時期が分かっている気がしますよね。

まぁ歴史時代であれば、様々な事柄が暦年や日付レベルで分かると思います。

でも考古学が扱う「モノ」に関しては時期を判定するということ自体がなかなかに難しいことなのです。

とは言っても、普段の記事で「○○○○年前の墓!」とか書いてるじゃないか!と思われるかも知れません。

基本的にはこれまでの研究の積み重ね、多くの場合は土器編年研究によって時期が判定されます。

この場合は当然ですが土器が出土しなければなりません

また炭素年代測定法も近年は活躍していますが、これも炭化物が検出されなければなりません。

今回のケースではどちらもありませんね( -д-)ノ

さて、ここまでの話で「石」に関する話が出てきませんでしたが、というのも石材を対象とした時期判定は非常に困難なのです。

地質学では母岩の年代が判定されていますが、石材として切り出してしまっては話が異なります。

例えば、古い地層から石を取り出してきて自分の名前を刻んだとしても、あくまでそれは現時点で彫ったのであって、その作品が古い地層の年代に作られたものになるわけではありません。

つまり特殊な事例を除き、基本的に石材の加工時期の判定は難しいのです。

逆に言えば、フェイクでオーパーツを作るには石材は最適ですね。

これが土器や絵画だと形態や炭化物、モチーフ、塗料の原料等の諸分析からすぐにフェイクとバレてしまいますから(/TДT)/




②コケは長く経過した時間の判定基準になるか?

結論から言ってなりません。

一時期流行った(今も?)苔テラリウムを考えれば分かりますが、苔を人為的に載せれば苔は育ちます。

僅かな土壌ごと石材に載せてしまえば、インドネシアの熱帯性気候における大気中の水分でも十分に育ちます。

降雨も多いですから、石材からもぐいぐいと水分を吸収できます。


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↑プランバナン寺院の石像(「LINEトラベル」の記事内画像より転載)

③在地の美術伝統とガンダムの造形特徴の比較

著作権フリーな画像が全然見つからなかったため、適切な画像を集めることができませんでした( ・Д・)

ま、しかしながら、マジャパヒト王国はヒンズー教国ですから美術様式もヒンズー教のそれなのだと思います。

正直言って、そんなにガンダムみたいな石像がゴロゴロしてたら、もっと早い時点で既に話題になっているはずですよね。

インドネシアは人類学研究の対象地域として昔から頻繁に取り上げられる地域ですから(。・ω・)ノ゙

さて、美術様式以外にも不可解な点があります。

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↑再掲(同上)


一般的な石像は、腕が身体とか頭部に接続しているものです。

丸彫りにせよ、その方が造り易いし、強度も保証されるからです。

時に、このガンダムのように脇が開くようなモチーフのものもありますが、その場合は何かしらの特殊なポーズ(宗教的な、あるいは芸術的な)を取るために敢えてそのようにしています。

では、このガンダムの場合はどうでしょう?

無駄に脇が開いています( ・Д・)

このポーズの意味は「より一層、ガンダムのように見える」しかないように思えます。


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さて、個人的にはガンダムは好きだし、こういうのもいいですよね。

今ある現代作品としてのガンダムもいずれこのようになるのかも知れないと思うと感慨深いものがあります。

「時を感じるアート」としていいな~と思います。

(もし今後、ガンダム的遺物が多数発見されて、新しく認定される古代文化であることが分かった場合はごめんなさいヽ(TдT)ノ……でも、今のところ、限りなく黒に近いと思います(TДT))

↓私と同意見な人はブログリーダーになりましょー!( ・Д・)↓

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2019ねん 4がつ 18にち(もくよーび、晴れ)

最近、一週間が早い。

片っ端から書類を書き上げないとあっという間に締切が来るヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは『3800年前の古代エジプトでは船もお墓に埋葬したよ!』ってお話です(*・ω・)ノ

遺構の発見自体は1901年のことで、今から100年以上も前になります。

しかし発見当時の調査の際に、お墓の天井が崩れてしまったために発掘調査を中断したという経緯があります。

そして100年以上経った現在、高い技術と慎重な調査によって3800年前の船の墓が露わとなったわけです(・∀・)つ


↓船と言えば、こんな話題もありましたね(*・ω・)ノ
↑併せてどうぞ!(*^・ェ・)ノ


発見の場所はナイル川西岸に位置する古代エジプトの聖地アビドスです。

発見された「船の墓」は日干し煉瓦(アドベ)で造られていました。

この日干し煉瓦製の壁を白色塗料でコーティングし、その上から刻線によって、最初に挙げた写真に見られるような船の絵を描いています。

墓の規模は長軸20m、短軸4mと大きなものです。

その長大な壁面に描かれた船の数は120隻以上ということで、「大船団」を描いているようです。




発見された船の墓は古代エジプト第12王朝のセンウセレト3世(Senusret III)の王墓のすぐ隣に位置しています。


このセンウセレト3世は中王国の最盛期のファラオであり、船の墓は紀元前1840年頃に彼のために建造のものだと推測されています。


これまでにアドビス遺跡では5000年前に造られた14隻の木造船が発見されています。

どれも古王国時代、第1王朝時代の葬祭殿の外側に並んだ日干し煉瓦製の遺構で見つかっていることから、今回の発見は古代エジプトの最古の王朝まで遡る伝統であると考えられます。

 

「ギザの三大ピラミッド」で有名なピラミッドの建造はちょうどセンウセレト3世の頃までの風習で、その後は新王国時代のツタンカーメン王墓に代表されるような「王家の墓」にひっそりと隠されるように埋葬される習慣になります。 





ピラミッドも造り、自分の墓も造り、エジプトでは貴重な木材を多量に使って建造された船を殉葬させる辺りがセンウセレト3世の中王国の最盛期のファラオとしての権威の強さを象徴しています。

上に挙げた写真は新王国時代の王墓から出土した船の模型です。

センウセレト3世の王墓に伴う船のお墓には船の実物が埋葬されていましたが、盗掘にあって船が残っていないようです。

貴重な木材ですから盗掘に合うのも仕方ないのかも知れません。

だからひっそりと隠すように王墓を造るようになったのでしょうね。

安らかに眠っていたいですからねヽ(TдT)ノ


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古代の船って木製だし、普通はなかなか残らない遺物の部類に入ると思っています。

でもバイキングが船を棺にした話やら、水中考古学で発見された船の話やら、けっこう船に関係する話が世界的には見られるんだな~と最近分かってきました。

考古学の中には比較考古学という手法(研究法あるいは分野)もあります。

船に限った話ではありませんが、やはり色々な事例を知っておくことは調査や解釈などの際にいつか役に立つような気がしますね(*・ω・)ノ

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2019ねん 4がつ 16にち(かよーび、晴れ)

色々なものに手を出し過ぎているせいか、終わらん!

平成最後の気合いで頑張り抜きたい!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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今回の考古学・歴史ニュースは『ノルウェーで、バイキング王の棺として船を地中に埋めちゃった墓が見つかったよ!』ってことです(*・ω・)ノ

発見の舞台はノルウェーです。

首都であるオスロの近郊に走る「道路のすぐ近く」で見つかりました。

上に挙げた写真のように、調査グループは農作業に使うような小型トラクターの前方に地中探査レーダーを取り付けて走らせました。

トラクターの奥に見える小高い丘が墳丘であり、その周辺を探査したのです。




上の写真の黒っぽく見えている部分がレーダーで探査したエリアになります。

こう見ると本当に主要幹線道路のすぐ傍に位置しているのが分かります。

レーダー画像と航空写真(たぶんドローンの写真)を組み合わせた画像です。

右下の大きな赤丸部が、最初に挙げた写真にあった墳丘です。

中央部には他にも赤丸部がいくつかあってそれぞれがお墓です。

元々は塚状だったようですが、現在は現地表面が平らにされています。

一方で黄色の長方形部は建造物址です。

そしてちょうど中央付近にある赤丸部の中に緑色の木の葉形が見られる箇所が今回の重要な発見箇所です。
この赤丸部&木の葉状部分を拡大した地中レーダー画像がこちらです。

もうお気付きのように、木の葉状部分が埋められたバイキング船で全長は約20mです。

けっこう長い細長い船ですが、「ロングシップ」というそのままな感じの名称のバイキングの船だそうです。

船は現地表面から僅か61cm程度の位置に埋まっていることが分かりました。

農作業といった近現代の人間活動による攪乱で壊されずによく残ったなという印象ですね!(*・ω・)ノ

また地中探査レーダーのデータから、かなり保存状態が良さそうなことが分かっています。


発掘調査は破壊の側面もあります。


一度土から出してしまうと木製の遺物は一気に腐敗することもあります。


そのため船を取り出すような発掘調査はひとまず行わずに、レーダー等を用いた周辺の状況の記録を優先していくそうです。








さて、ノルウェーではこれまでに発見されている保存状態の良いバイキング船(ロングシップ)は3隻のみだそうです。

ですので、今回のはとてもレアな発見になります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

見つかった船の帰属時期は不明ですが、その形態から恐らく1000年以上前のものと推定されています。

今後の調査で船を発掘調査し、船体に使われた材木を分析することでより正確な年代が判明するでしょうね。

今回発見された船はバイキングの王または女王の墓として使われたと考えられており、バイキング船を使った墓としては最大級だそうです。

20mもある船を海から引き揚げて、内陸部まで運んだわけですから、単純に豪華な棺を作るよりも大変だったかも知れません。

「海に生きる者として船と共に眠る」というのは、何だか現代の私達にとってもカッコイイな~と、往時のバイキング王の力強さを感じてしまいますねヾ(´ω`=´ω`)ノ

↓やっぱ一度は王墓を発掘してみたい!(*^・ェ・)ノ↓

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2019ねん 4がつ 14にち(にちよーび、晴れ)

今日は暖かだった。

自然乾燥させてるので砂が乾いて良い。

何故、砂を集めるのかと聞かれる。

土器製作に際して、粘土に砂などの混和材を混ぜることはあまり知られていないんだなと気付いた今日この頃( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『岡山県で最古級の横穴式石室が見つかったよ!』ってことです!(*・ω・)ノ

実はこれまでにあまり古墳の話は取り上げていないんですよね。

関係ある記事ないのかな~と思い、ふと思い出したのがコレ↓( -д-)ノ


↓考古学の怪談話ってあまりないな~

↑「呪い」の話は多少あるか……まだ墓を当ててないから大丈夫( -д-)ノ


怪談話をするには季節早めですけど、良かったらどうぞ!(。・ω・)ノ゙

あ、こんなのもあったか!


↑あわせてどうぞ!


ということで、今回の発見は岡山県です!

津山市高尾にある桑山2号墳で、県北最古級の横穴式石室が見つかったとのことです。

そもそも横穴式石室を造る風習は4~5世紀に朝鮮半島から九州に伝わったものです。

その後日本全国に広がるのが6世紀以降と考えられています。

今回発見された横穴式石室の帰属時期は6世紀半ばと推定されていますから、一早く外来様式を取り入れた古墳だったと考えられます。

桑山2号墳は津山市南西部に所在する佐良山古墳群の一つで、直径約13mの円墳です。

検出された横穴式石室のサイズは奥行き約2.3m、幅は最大で約1.9mだそうです。

上に挙げた写真からも分かるように天井部と側壁の大半は損壊していたものの、盗掘を受けた痕跡はないそうです。

正方形状を呈する床面には河原石が敷き詰められており、側壁には小型の礫が使用されていました。

こういった構造的特徴は、岡山県の北部において確認されている横穴式石室が造られる最初期のものと同様であることが分かりました。




横穴式石室内からは副葬品として柄頭に装飾が施された環頭大刀(かんとうたち)や馬具一式が出土しました。

上に挙げた写真は副葬品の環頭大刀であり、全長は約80cmだそうです。

全体が錆に覆われているため、今後レントゲン撮影等のスキャン分析によって装飾の有無などを確認するそうです。

今回の発掘は岡山県における国道53号、津山南道路の整備に伴う緊急発掘調査です。

桑山2号墳周辺には他に同1~4号墳があり、残る3基も発掘する予定だそうです。

距離的に恐らく他の古墳も盗掘にあってないでしょうから、豪華な副葬品が出土することを期待できそうです!(・∀・)つ

今回出土した馬具にも金細工が施されていたようですから、資料の公開が待ち遠しいですねヾ(´ω`=´ω`)

↓たくさん押すときっといいことあるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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