考古学ランキング にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2019年05月

2019ねん 5がつ 27にち(げつよーび、晴れ)

今晩は論文を書き始めるよ!

誓うよ!( ・Д・)

……ほんとだよ!ヽ(TдT)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは「これまで最古のビールの再現って色々あったけど、今回は古代エジプトのイースト菌を実際に使ってみたのだよ!」というお話です!(*・ω・)ノ

どうやら「お酒の考古学」は人気なようなので、バックナンバーを表示しておきますね。


↓『お酒の考古学』のバックナンバーです(*・ω・)ノ
↑良かったらど~ぞヾ(´ω`=´ω`)ノ



さて、古代のビールを再現する研究はこれまでに世界各地で行われてきました。

考古学が明らかにする対象の一つとして「技術」がありますが、これまでの復元研究ではビールをどのような道具を用いてどのような工程で作っていたのかということが焦点でした。

そのため古代に使われていた道具や施設を再現して、古代と同じ材料を用意し、推定される製作工程に沿って作ってみるということを行ってきたわけです。

今回の研究の面白いところは、材料の部分に関して実際に古代に使われていたイースト菌を使ってみたという点にあります。

ではどうやって古代に用いられていたイースト菌を入手したのでしょうか?

近年の考古学研究では、多くの場合、土器を対象として内部に残る残滓(ざんし;うまいこと残った内容物)を対象とした理化学分析が行われています。

日本の事例では土器の内面に残る所謂「おこげ」の分析から、その土器を使って食べていた物が堅果類であったとか、魚介類であったといった研究がなされています。

マヤ文明の事例では同じく残滓の分析から、ココアを飲んでいたとか、コパルというお香を焚いていたとかいった研究がなされています。

また「内容物が~であった」という分析結果から、特定の土器の使い方、つまり「機能」について議論する研究もあります。




ということで今回の考古学・歴史ニュースでは、イスラエル考古学庁(IAA)と、バル・イラン大学(Bar-Ilan University)、エルサレム・ヘブライ大学(Hebrew University of Jerusalem)、テル・アビブ大学(Tel Aviv University)の研究者による共同研究チームが古代エジプトのビールを再現しました。

上に挙げた写真はイスラエル中部にあるペリシテ人の遺跡や古代エジプトと関係するネゲブ砂漠、テル・アビブ、エルサレムなどの複数の発掘現場から見つかった土器です。

これらの土器資料の内面に残る残滓を用いて、6年もの歳月をかけて古代のイースト菌の抽出に成功しました。

彼らは抽出したイースト菌のゲノムを解析し、液体培地で培養しました。

この培養したイースト菌を用いてビールや蜂蜜酒の醸造したのです(・∀・)つ




これまでの研究では古代の製法を使用しても原料は現代のものを使っていました。

上記のように抽出したイースト菌を培養して用いることで、今回の研究は古代のビールを造るために実際にその時代の原料を使用した点で初めての事例となります。

抽出した各種のイースト菌を分析したところ、現在のジンバブエの伝統的なビールやエチオピアの蜂蜜酒に使用されているものと類似の種も確認されたそうです。

抽出・培養されたイースト菌を用いて、研究では数種類のビールと蜂蜜酒が造られました。

用いられたのは約3000年前のイースト菌だそうですが、抽出できたイースト菌の中には約5000年前に遡るものもあるそうです。



arukemaya340

↑古代エジプトっぽいビールジョッキ?マグカップ?(「Amazon」商品紹介ページ内画像より転載;*現在品切れ中&当リンクは商品ページに飛びます、回し者じゃないよ!( ・Д・))



最後に、これはラムセス3世の墓の内部に描かれた壁画の一部です。

パン作りの様子が描かれています。

これまでの説では、パンを作って水に浸して、それを自然発酵させることでビールを作っていたと考えられています。

だから今回のビール作りもパン作りの酵母であるイースト菌を使っていたのですね!(*・ω・)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、どうやらこの研究チームは商品化も考えているそうです。

いいですね~!

「お金にならない考古学をお金にする!」が、「歩け、マヤ」の掲げるモットーですからね( ・Д・)


マヤ文明でもバルチェ酒を研究して販売したいわ!

日本でも似たような古代酒作って、「『考古学徒』はそれ以外飲んじゃダメ!」ってルールにすればどうでしょう!?

どうせ考古学者というかフィールドワーカーは大体みんな、お酒よく飲むでしょ?(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓た、頼むから、登録してくれぃ!!!( ・Д・)↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2019ねん 5がつ 25にち(どよーび、晴れ)

やっぱりフィールドに出てる時が楽しいな~って思えた。

モチベーション高い内に分析終えて、論文書かなければ( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya316
↑豊平神社の本殿、お花が綺麗である(。・ω・)ノ゙(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『北海道南部の豊浦町にある豊浦神社に行って、御朱印を頂いてきたよ!』ってことですね。



↓関連記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↓
↑「御朱印&鳥居データ集め①~⑧」も良かったら併せてどうぞ~(・∀・)つ↑


さて、土器資料の調査の際に神社に参拝して御朱印を頂いてきた管理人です( -д-)ノ

ずっと土日も仕事なもので、なかなか神社に参拝出来ていなかったので良い機会となりました。

恒例の基本データから紹介しますね。


【豊浦神社】
住所:虻田郡豊浦町字海岸町25番地
Tel:01428-3-2374
駐車場:なし

祭神:
大國主命(おおくにぬしみこと)


起源:慶応3年4月(1867年)
創立:大正7年9月1日(1918年)

例祭:9月10日


さて、まずは頂いた御朱印のご紹介を( -д-)ノ


arukemaya317
豊浦神社で頂いたシンプルな御朱印(「歩け、マヤ」管理人撮影)


arukemaya318
↑豊浦神社の由緒についての記載(「歩け、マヤ」管理人撮影)


砂掘り博士②_190526_0086
↑豊浦神社の本殿(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、最初に述べましたように豊浦神社は道南の豊浦町に所在しています。

北海道の観光スポットのひとつである洞爺湖で有名な洞爺湖町の西隣に位置しています。

豊平神社は「道の駅とようら」から国道37号線を少し北西に進んだところにあります。

ちょうど豊浦駅の辺りですね。

以前、近くのベンベ川に川砂サンプルを採取に来て見つけた神社です。

駐車場はないため、最寄りのコンビニに駐車して5分ほど歩きました。

上に挙げた写真からも分かるように樹々に囲まれた神秘的な雰囲気の神社でした。

本殿や鳥居が木製であり、札幌の神社とは違う自然の中の神社という感想です(*・ω・)ノ

社務所は本殿に向かって左手にありましたが、普通の一般家屋であったため撮影を控えました。

御朱印の初穂料は無料でした。

ちなみにチャイムを鳴らすと神社の方が現れ、スタンプを自分で押すことになります。

朱肉があるわけでもないので上手く押せませんでしたヽ(TдT)ノ

地方の神社に参拝する時は黒と赤の朱肉を持参した方がいいかも知れません。

また写真には写っていませんが、日付の記載もないため、私は端っこに自分で参拝日を書き込みました。

最近は御朱印ブームが続いてカラフルな御朱印が増える中、非常にシンプル!

本来、「参拝の証」なのでこれで良いのでしょう!( -д-)ノ



arukemaya324
↑豊浦神社の本殿の近影(「歩け、マヤ」管理人撮影)


arukemaya319
↑豊浦神社の本殿に設置された風格ある木製の扁額(「歩け、マヤ」管理人撮影)


arukemaya320
↑見える?小鳥が巣を作っていてなんだかほっこりしました(・∀・)つ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


arukemaya321
↑奥に見えるのが倉庫、手前のこれは何か建設中の模様(「歩け、マヤ」管理人撮影)


arukemaya322
↑境内社である金刀比羅神社(「歩け、マヤ」管理人撮影)


arukemaya323
↑金刀比羅神社の扁額(「歩け、マヤ」管理人撮影)


豊浦神社はこじんまりとしているようで意外に敷地は広いです。

敷地面積が同程度あるいはより広い札幌の神社に比べて、豊浦神社には多くの建造物が存在しているなと感じました。

そうした多くの建造物の中で豊浦神社には境内社があり、「金刀比羅(ことひら)神社」との扁額がありました。

金刀比羅神社にも鳥居がありましたので、豊平神社の境内には2基の鳥居があるということになります。

では次に鳥居を順番に見ていくことにします(*・ω・)ノ


arukemaya331
↑豊浦神社の入り口の鳥居と石柱(「歩け、マヤ」管理人撮影)


arukemaya326
↑豊浦神社の石柱の建立年情報(「歩け、マヤ」管理人撮影)



arukemaya327
↑豊浦神社は高台にあります(「歩け、マヤ」管理人撮影)


arukemaya325
↑境内からは内浦湾(噴火湾)を一望できます(「歩け、マヤ」管理人撮影)



arukemaya328
↑豊浦神社の入り口の鳥居の上部(「歩け、マヤ」管理人撮影)


arukemaya329
↑豊浦神社の入り口の鳥居の柱の接合部(「歩け、マヤ」管理人撮影)


arukemaya330
↑豊浦神社の入り口の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、今回も鳥居のデータを取得してきましたので紹介していきますね(*・ω・)ノ


【豊浦神社 / 入り口の鳥居】
①建立:???年(石柱における記載は1957年)
②素材:複合型(金属製とコンクリ製)
③高さ:約5.6m
④直径:45cm
⑤角度:垂直
⑥下部構造:台石


まず建立年に関してプレート等が付随していないので不明でした。

鳥居の上部を見ると塗料の劣化具合から古い感じもするし、下部を見ると新しくも見えます。

この鳥居は3段構成になっています。

下段は表面が金属製で内部がコンクリの所謂「ドラム缶タイプ」のように見えます。

しかし札幌の神社で確認したものよりも金属板がかなり厚いようです。

中段は石材で出来ています。

大理石や花崗岩ではありません。

恐らくコンクリ製で、表面を塗装しています。

上段は金属製になっています。

接続部が腐食していることから金属製であることは分かりますが、内部が何で出来ているかは不明です。

下部構造の台石がひび割れているものの、新しく感じますし、下段の厚い金属板も新しく感じます。

そして下段と中段の接続部は「ドラム缶タイプ」のように接続部だけが溶接によって厚くなっているのではなく、下段の柱そのものが太くなっています。

そのため元々は中下段部がコンクリ製で、補強のために下段を金属板で覆い、新しく台石を設置したのだと考えられます。

この鳥居は古くに建立されてから建て替えを行っておらず、腐食などの要因で悪くなった部位だけを、しかも恐らくは外面だけを修繕することで保っているのかも知れません。

だとすると「あたかも3段構成のように見える」、各部位のちぐはぐな感じの理由が分かりますね(*・ω・)ノ


arukemaya333
↑金刀比羅神社の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


arukemaya334
↑金刀比羅神社の鳥居は木製①(「歩け、マヤ」管理人撮影)


arukemaya335
↑金刀比羅神社の鳥居は木製②(「歩け、マヤ」管理人撮影)


arukemaya332 (5)
↑金刀比羅神社の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


【豊浦神社/ 境内社:金刀比羅神社前の鳥居】
①建立:???年
②素材:木製
③高さ:約3.5m
④直径:23cm
⑤角度:斜め(傾斜角2度?)
⑥下部構造:饅頭


金刀比羅神社前にある鳥居は木製でした!

これまで参拝した神社の鳥居として最初の事例です(*・ω・)ノ

建立年については不明ですが、木製なのでそこまで古いものではないと思われます。

一体どれくらい保つものなのでしょうか……

年齢等々のこともあり、豊浦神社の宮司さんからの聞き取りはできませんでしたが、次に木製の鳥居に出会った際には訊いてみたいなと思います( -д-)ノ

近くで観察してみると、柱に見られる割れ目は新しく、そこから塗料の上塗りをしていました。

土と触れる部分は饅頭によって補強されていますし、木材表面は塗料で保護されていますし、こういう状態だとけっこう長持ちするのかも知れませんね(*・ω・)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya332
↑最後に、綺麗な花々と狛犬様(「歩け、マヤ」管理人撮影)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後に挙げた写真がお気に入りです(・∀・)つ

豊浦神社は何だか映画やアニメ作品などの舞台になりそうな素敵な神社でした。

調査の前に立ち寄ったので時間帯も早く、参拝者は私と猫1匹でした。

緑の樹々と色とりどりの花々、桜、木造の本殿に囲まれ、振り返れば豊浦湾と港町が眼下に広がり、ゆったりとした時間が流れていました。

ゆったりし過ぎて調査開始時刻に遅刻しましたけどね!(/TДT)/

あと猫さんに写真をお断りされてしまったのが残念でしたけどねヽ(TдT)ノ

↓御朱印集めが趣味な方、かもーん!щ(゚Д゚щ)クァモーン!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2019ねん 5がつ 21にち(かよーび、曇り)

ようやく書類系の仕事が終わる。

急いで資料調査の準備をしなければ~( ・Д・)

……なんだかんだ5日も記事を書いてないヽ(TдT)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya313
↑美しくも恐ろしい強烈な噴火、恐らく南米、チリにおける噴火である(「Naverまとめ」の記事内画像より転載)


今回の考古学・歴史ニュースは「破局噴火の一つであるタンボラ火山噴火の被害を受けた遺跡が発見され、まさに「アジアのポンペイ」と呼ばれるほどの残存状態だよ!」という内容です(*・ω・)ノ

さて、考古学が関わる人類史上で巨大な噴火は幾度となく起きています。

もっとも有名なのはトバ・カタストロフ理論で知られるトバ火山の噴火でしょうか。

インドネシア、スマトラ島にあるトバ火山は今から7万年前から7万5千年前に大噴火を起こしたことが分かっています。

地球の気温が平均5度も下がるという気候の寒冷化を引き起こし、この寒冷化はその後6000年も続いたと推定されています。

このトバ火山噴火が人類の進化に大きな影響を与えたという学説がトバ・カタストロフ理論です。

トバ火山の噴火は火山爆発指数(VEI;Volcanic Explosivity Index)で最高の8であり、ウルトラ・プリニー式噴火、つまり所謂「破局噴火」に分類されます。

この破局噴火は地球史上で8度起きており、人類史上でも5度起きています。

現生人類の分岐(20万年前~180万年前)をいつにするかによりますが、2~3度は経験しています。

つまるところ、「破局噴火で人類滅亡」と騒いでいる記事も散見しますが、あり得ないと思います。

(現在の都市文明が衰退する可能性は十分ありますが( -д-)ノ)


arukemaya314
↑過去200年間で巨大な噴火をしたタンボラ火山(「フレッシュビーンズ コーヒー日記」さんの記事内画像より転載)


1883年に発生した有名なクラカタウ山の噴火は、その衝撃波が地球を7周もしたと推定されています。

このクラカタウ山の噴火は火山爆発指数6です。

最近の新たな研究成果が上がるまで、今回紹介するタンボラ火山の噴火は過去3700年間で最大の噴火であると考えられていました。

タンボラ火山の火山爆発指数は7であり、その噴火の規模はクラカタウ山の4倍と推定されています。

さて、インドネシア・スンバワ島に所在するタンボラ火山は1815年に噴火し、その際に10万人強が遭難しました。

タンボラ火山は噴火した当時、マルク群島、ジャワ島、バリ島およびロンム島等を含み幅広い範囲が一瞬の内に壊滅しました。

この際に三つの王国が灰に埋もれてしまったと考えられています。

約1万人が高温を帯びた空気、火山灰および降りかかった砂利、火砕流に埋もれて死亡したと推定されています。

更には噴火後の伝染病および大飢饉によって、死者が約11万7000人の大災難となりました。

この1815年4月のタンボラ火山噴火の影響で、大量の火山灰が舞いあがり長期間にわたって、空気中に漂っていたため、太陽の光熱を遮り、世界的規模の気温下降を誘発しました。

そのため翌年の1816年は夏季がなかったとされる規模の影響です。

この超大規模の噴火によって「ポンペイのように」あっという間に被害に遭い、当時の状況をそのままに火山灰によって覆われてしまった遺跡が発見されました。

タンボラ遺跡と命名された同遺跡はアメリカのロードアイランド大学、カロライナ大学、インドネシア火山研究学会の考古学者らが共同で調査を行い発見したものです。

タンボラ遺跡からは遺体2体が往時の状態のまま保存された家屋が発見されました。

他にも木造の宮殿が残存していることが確認されています。

同遺跡はポンペイ遺跡の事例のように高い文化価値があり、当時の人々の生活、家屋および文化が1815年のままに保たれているため、今後は慎重に調査を行い、遺跡を完全な状態のまま保存する計画が進行しています。

保存状態の良好な木製農機具、紡錘車、磁器、炭化した稲モミ、建物部材、ビンロウ使用具、クリス(短剣)など多種多様な品々がこれまでに出土しており、インドネシア国立考古学研究所デンパサール地方事務所(Balai Arkeologi, Denpasar)にて一般公開されています。

これらの出土遺物等の分析からこれまでに分かっていることとして、当時の人々は非常に裕福で、ベトナム人およびカンボジア人との繋がりがあり、言語も現在の東南アジア地区に分散して使われているモン・クメール語と関連していると推測しています。




ところで、2番目に挙げた画像が現在のタンボラ火山の様子であり、巨大なカルデラになっているのが分かります。

現在ではタンボラ火山は2755mの標高を有します。

大噴火により山の上部の三分の一が吹き飛んだと考えられ、噴火前には4000m級のインドネシアで最高峰の山だったと推定されているのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

↓ポンペイについて触れた記事(*・ω・)ノ
↑良かったらあわせてどうぞ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


タンボラ火山の噴火は本当に大きな噴火であったことが分かりますね。

それでもこれで火山爆発指数は7です。

トバ・カタストロフ理論のトバ火山の場合は8ですから、クラカタウ山の事例を基に単純に計算するとその衝撃波は地球を56周くらいしてる!?( ・Д・)

カタストロフ(破滅)の名は伊達じゃないようです。

それでも負けない人類はなんだかんだ強いですね!(・∀・)つ

↓どうかTwitterで拡散しておくれ!( ・Д・)↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2019ねん 5がつ 30にち(もくよーび、晴れ)

22連勤目、疲れが溜まってきたようだ。

あと15連勤ある……

しかし学生時代の強制参加の無給(むしろ大きくマイナス)の発掘調査(15連勤くらい?)を思うと、超余裕である。

社畜ならぬ、「学畜」とか「院畜」という言葉はないのだろうか?( ・Д・)

今を苦しむ学生・院生諸氏のために拡散してたもれ!

……「いんちく」か、「うんちく」くらいしか知らないな( ・´ー・`)ドヤぁ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya346
↑古墳築造のための石材運搬の様子(復元)、「木製のそり」を使用している(「エナガ先生の講義メモ」の記事内画像より一部加工)


今回の考古学・歴史ニュースは、「国内で2例目となる古墳時代の石材運搬に用いたと考えられる木製の大きな「そり」が見つかったよ!」というお話です(*・ω・)ノ

国内で2例目、東日本では初めての事例となり、希少な歴史的発見なのです。

というのも、この「そり」は木製ですからね、そもそもなかなか残らないのです。

また「そり」は石材運搬に用いたと考えられる「実用品」ですから、お墓に丁重に副葬された他の木製品とは異なり、使ってた人々の「残そうという意思が薄弱」です。

壊れたらその辺にポイっと捨てたかも知れませんし、バラして薪として使ったかもしれません。

後者の場合はほぼ後世に残りませんよね。

もしそうしていたなら、古墳時代の人々よ、見事なリサイクルである( -д-)ノ




さて、出土した遺跡は千葉県木更津市に所在する松面古墳(まつめんこふん)です。

帰属時期は7世紀前半です。

松面古墳は祇園・浜長須賀古墳群(ぎおん・ながすがこふんぐん)の一つで、一辺約45mの方墳であり、周濠(しゅうごう;古墳の周りにある濠(ほり)のこと)から今回の修羅の一部が出土しました。

上に挙げた写真のキャプション、あるいは記事タイトルにあったように、「そり状の巨石運搬具」を「修羅(しゅら)」と言います。

最初に挙げた復元図でも、あるいは恐らく皆さんが見慣れているであろう古代エジプトのピラミッド建築の復元予想でも、「コロ」の上に台を載せて、その上に石材を積んでみんなで押したり引っ張ったりしていると思います。

その「コロの上の台」が見つかったということです。

日本の古墳時代の例ではコロの上の台が「V字状のそりのような形態」を成しています。

修羅と呼ばれるようになったのは近世以降とされており、その語源は「運搬する大石をタイシャクと読み、それを帝釈天に引っ掛け、帝釈天を動かせるものは阿修羅すなわち修羅であるとの語呂合わせからきたものとされている(wikiより転載;一部筆者修正)」そうです。

上に挙げた画像から分かるように、今回見つかった修羅は長さ約140cmの破片であり、大きな修羅のほんの一部ということになります。


分析結果から使用された木材はムクノキであることが分かっています。


一部とはいえ、良く残ったなぁと思いますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



arukemaya341

↑しっかりと原型を留めていますね(「文化遺産オンライン」の紹介ページより画像を転載)



arukemaya342
↑下にミニのそりが見えるカワ(・∀・)イイ!!(「藤井寺市HP」の修羅紹介ページの画像より転載)



arukemaya343
↑サイズが大きいのがよく分かりますね(「組積石工技能」の記事内画像より転載)



さて、上に挙げた画像は国内で最初に見つかった修羅のものです。


1978年(昭和53年)に大阪府の藤井寺市に所在する三ツ塚古墳で発見されました。


こちらも周濠の底から出土しています。


この事例では大小2つの修羅が同時に出土しており、大型の修羅は全長8.8mに及びます。


先ほど紹介した松面古墳の事例ではおよそ三分の一が残存している状態で140cmでしたから、本来の全長はおよそ4.5mくらいと推定できます。


三ツ塚古墳の修羅はその2倍程度の大きさということになりますね。


まぁ個人的には小さい修羅の方が好きですけどねカワ(・∀・)イイ!!





この大型修羅は実は一本の木を丸彫りして作っています。

幹がちょうど二股に分かれた巨大なアカガシの樹を利用して作られているのです。

どの写真にも綺麗に加工された「孔」を見て取れます。

石材の固定の際に紐・縄を通すのに使用した孔であったり、あるいは前方部の孔は引っ張るための縄を通したものと考えられます。

注意して写真を見てみると、どれも綺麗な長方形に穿孔されていて、丁寧な加工が施されていること、そして素晴らしい保存状態であることが分かりますね(*・ω・)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


さて、最後に挙げました写真のように、三ツ塚古墳にて出土した修羅は大阪府南河内郡河南町にある「近つ飛鳥博物館(ちかつあすかはくぶつかん)」にて展示されています。

非常に貴重な資料ですから、「国宝・重要文化財」に指定されています。

この博物館は陵墓・古墳に関する遺物を多く収蔵しており、古代の国際交流と国家の形成過程をテーマとしています。

興味ある方は是非足を運んで、直接その大きな修羅を目の当たりにしてみてください。

(例によって回し者ではありません、というか私も行きたい!( ・Д・))

↓ところで検索流入では何故か「超古代文明」が1位らしい……↓

↓うち専門ブログだから思いっきり批判してるけど大丈夫か?( ・Д・)↓


このエントリーをはてなブックマークに追加

2019ねん 5がつ 19にち(にちよーび、晴れ)

運動不足解消のためにランニングしてみた。

軽い筋トレ、ストレッチもした。

習慣になると良いが……

ついでに腹筋も割れてくれると尚良いのだが( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは『アングロサクソンの王族の墓から鯨の骨を加工した精巧なボードゲームが見つかったけど、遊び方が分からんよ!』と言う内容です(*・ω・)ノ

「ゲームの考古学」のテーマは以前も少々扱ったので紹介しておきますね。


↓バックナンバーです(*・ω・)ノ
↑2本しかこれまでにこのテーマで書いてないのねヽ(TдT)ノ



6世紀のアングロサクソン王家の墓から出土したゲームに関する遺物は、木製のゲームボード、鯨の骨で作った2点のサイコロと57点のカウンターです。

賭博も含めたゲームに関する副葬品はこれまでにも発見されているようですが、セットとして出土することは非常に珍しいのです。

木製のゲームボードについては情報はありませんが、あまり状態が良くないのかも知れません。

イギリスに旅行に行く人や、在住の方は是非、サウスエンド中央博物館に行って、写真撮影して情報を頂けると幸いです( -д-)ノ



鯨の骨を使って製作されたもののため、サイコロとカウンターについては保存状態が良好です。

上に挙げた写真がゲームに使用したカウンターと思われる資料です。

全57点ありますが、装飾などは見られず外見に違いがありません。

そのため「トークン」のような何らかの数を数えるために用いたのかも知れません。

ゲームボードがどのようなものか不明なため詳細は分かりませんが、オセロのように用いた可能性もあります。

このカウンターの特徴は片側だけが山なりになっている点なので、バランスは悪いですが、表裏のある駒として使用することもできるでしょう。



サイコロは非常に精巧に作られています。

特に数字記号の掘り込みは特殊な道具を使用して彫り込んだものと思われます。

サイズも微細な特徴も深さも一定ですからね。

ただしそれぞれの掘り込み点の配置は均等配置ではないため、「穴を一つ開ける専用の道具」があって、それを手作業で彫りこんでいったと推測されます。

今回発見されたボードゲームセットがどのようなルールのものだったのかは最終的に不明なのが残念ですヽ(TдT)ノ

しかしゲームカウンターの存在からチェスのような頭脳戦の戦争ゲームとも考えられますし、サイコロの存在から同時に以前に紹介したレースゲームのような偶然に左右されるゲームであったとも考えられます。

あるいは一つのボードゲームセットでその両方がプレイできたかも知れませんね。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前回の記事で初めて「この遺物は何でしょう?」クイズを出してみました。

今回は「ウォーリーを探せ」的な感じで出題してみました。

こういうことが出来る記事内容は限られているでしょう。

それでも考古学・歴史に興味をもってもらうためにもちょっとした娯楽性があってもいいのかな~と思うので新たな試みとして「考古学クイズ」をやっていこうかなと考えています。

……まぁそもそも「歩け、マヤ」の読者の皆様は、既に考古学・歴史が好きだと思いますけども!(・∀・)つ

↓読者登録をお願いしております!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカ-マ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ