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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2019年06月

2019ねん 6がつ 22にち(どよーび、激しく雨)

ここの日記スペースに何を書くべきかをいつも悩む(´・ω・`)

下手すると本文以上に悩んでいる( ・Д・)


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↑仙台市、沓形遺跡の所在(「Googleマップ」より画像を転載)


今回の考古学・歴史ニュースは、「仙台市、沓形(くつかた)遺跡で弥生時代に水田を廃絶してしまうほどの大津波の痕跡が見つかったよ」というお話です(*・ω・)ノ

さて、前回スマトラ島沖地震を発端とした過去の大津波被害について考古学調査が明らかにしたよというお話を紹介しましたが、今回は日本の事例です。


↓これです(*・ω・)ノ
↑もう読みました?ヾ(´ω`=´ω`)ノ


上に挙げた図から分かるように、沓形遺跡は,宮城県、仙台市の東部にある遺跡です。

標高2~4mの後背湿地に立地しており、現在の海岸線から約3.8~4.km内陸に位置しています。

この沓形遺跡では最も新しい層では近現代の水田造営の痕跡が見られる層が確認されていますが、古くは縄文時代から弥生時代、古墳時代、平安時代と水田が営まれ続けた地点であることが分かっています。








この遺跡は2007年にに地下鉄東西線建設に伴う試掘調査が実施され、調査面積は213,600㎡にも及びます。

上の1枚目の写真から分かるように広大な遺跡であり、良く見ると「白いライン」が無数に走っているのが見て取れます。

これは2枚目の写真で分かるように、古代の「畦(あぜ)」を示したラインになります。

ちなみに「畦(あぜ)」とは「稲作農業において、水田と水田の境に水田の中の泥土を盛って、水が外に漏れないようにしたもの」です。       (wikipediaより引用)

分かり易い図を探していたら「畦カバー」なる商品の紹介画像を見つけたので、貼っておきました(いつものように回し者ではありません( -д-)ノ)。

上図の中で「ピンク色の矢印が付いている部分」が畦に相当する箇所であり、植えてある稲の周囲にある盛り上がった部分のことを言うわけです。


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さて、この沓形遺跡の地点は先に述べたように、現在の海岸線から4kmほど内陸に位置していますが、今からおよそ2000年前の弥生時代には2kmほど内陸に位置していたようです。

発掘調査から弥生時代に1度、この一帯が大きな津波被害を受けたことが確認されました。

上に挙げた写真で見られるように、水田を覆う「砂の層」が確認されたのです。

この砂は粒度組成分析などによって海浜起源の砂であることが明らかになりました。

この砂の層によって弥生時代中期の水田跡は完全に覆われており、津波被害によって廃絶したことが推定されました。

そしてこの場所に再び水田が営まれるのは古墳時代前期であり、つまり約400年後にようやく再開したことから確認された津波被害は当時のの集落に大きな影響を与えたことが推測されます。

この発見に伴い、沓形遺跡を中心とする周辺地域での津波堆積物の分布調査が実施されました。

それによって約2,000年前に生じた津波の遡上距離は当時の海岸線から約4.2㎞と算定され、2011年に発生した東日本大震災の津波(遡上距離約4㎞)と同規模の大津波が弥生時代に仙台平野を襲ったことが明らかになりました。

また沓形遺跡は2014年まで複数回の発掘調査が実施され、弥生時代中期に営まれていた水田域は東西約300m、南北約1.2km、面積20haを超える広範囲に及ぶことが判明しました。

これが全て約2000年前の津波被害で廃絶されてしまったことが分かったのです( ・Д・)



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ここ最近、多忙を理由に記事の紹介ができていませんでした。

時間が取れてもサクッと書けるような記事を選択していたので、特に考古学関係のニュースには触れていなかったです。

「考古学・歴史ニュース」という副題に恥じぬよう善処していきますね( ・Д・)( ・Д・)

前回のスマトラ島沖地震・津波関連記事を書いていた時から、日本における事例の紹介をしようと思っていたので、ようやく紹介できてよかったなと思います。

この事例では「東日本大震災と津波被害の前に」この範囲まで津波が到達して大被害をもたらしていたことが考古学的に分かっていたわけです。

こういった古代の地震や津波の被害が判明している事例は他にもたくさんあると思いますが、現代の地震・津波に対する避難対策といった防災にどうにか役立てることはできないものかと思いますね(。・ω・)ノ゙

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2019ねん 6がつ 20にち(もくよーび、激しく雨)

太ももが激しい筋肉痛である

筋トレし過ぎた( ・Д・)


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↑本殿周辺はまだ明るく、普通の神社に見える(。・ω・)ノ゙(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『道南、豊浦町にある住吉神社に行ったら、御朱印の代わりに朝から肝試し体験を頂いたよ!』ってことですね。



↓関連記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↓
↑「御朱印&鳥居データ集め①~⑨」も良かったら併せてどうぞ~(・∀・)つ↑


さて、またまた久しぶりに神社に参拝してきた管理人です( -д-)ノ

今回も資料調査の際に参拝してきました。

見込みが甘過ぎた結果、資料調査はあと2か月以上続きそうなので、今後は調査地に着くまでに見かけた神社に参拝していこうかなと考えています。

では恒例の基本データから紹介しますね。


【住吉神社】
住所:北海道虻田郡豊浦町礼文華
Tel:???
駐車場:なし

祭神:
???

創設:???

宵宮祭:6月29日(推測)
例祭:6月30日(推測)


ということでほとんど情報が得られませんでした。

2013年~2015年まではお祭りの情報も散見されましたが、最新情報はありません。

町おこしイベントで2015年の正月までは活用されていたようですね( -д-)ノ

御朱印を頂けなかったこともあり、今回はいつもとは異なる形式で記述していきます。

つまり私が実際に参拝し、撮影した順に従って紹介していきたいと思います。


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住吉神社の入り口にある鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑住吉神社の入り口の鳥居の柱(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑住吉神社の入り口の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


【住吉神社 / 入り口の鳥居】
①建立:???年
②素材:金属+コンクリ製(ドラム缶タイプ)
③高さ:約4.7m
④直径:30cm
⑤角度:斜め(斜度4°~8°)
⑥下部構造:円形台座(22cm)


まず住吉神社の入り口にはドラム缶タイプの鳥居が1基ありました。

これまでに見た鳥居よりも柱の斜度が強いなという印象でした。

計測してみると左右でかなりバランスが異なるので大丈夫なのかなと心配になってしまいました( -д-)ノ

この鳥居は札幌市の神社でよく見かけた「ドラム缶タイプ」の鳥居ですが、表面を覆うために使われている金属板が非常に薄かったです。

建立年の手がかりになる情報は一切ありませんでしたが、金属の劣化具合から察するにそう古い物ではないようです。


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↑けっこうな高さの石段(「歩け、マヤ」管理人撮影)



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↑植物が繁茂している(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑石段中腹部でもかなりの高さです(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑下からはファインダーに収まらないため上から撮りました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑住吉神社の2番目鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


最初の入り口の鳥居を抜けて少し進むと石段が見えてきました。

中腹部に次の鳥居が見えているのですが、かなりの高さにありました。

住吉神社は漁の盛んな沿岸部に所在するため、入り口の鳥居周辺では独特の「潮の香」が強かったです。

しかし石段は植物が繁茂して鬱蒼としているので、上り始めるとすぐに「山の匂い」に変わりました。

ほんとに虫と草でいっぱいな石段でした(/TДT)/


【住吉神社 / 石段中腹部の鳥居】
①建立:???年
②素材:金属+コンクリ製(ドラム缶タイプ)
③高さ:約3.37m
④直径:24cm
⑤角度:垂直
⑥下部構造:方形台座(13cm)


石段の中腹部にある鳥居もドラム缶タイプでした。

ただこちらはやや小型であり、支柱の角度が垂直のものでした。

こちらの金属板も薄いものでしたが、入り口の鳥居よりは厚かったです。

厚みまでは計測していませんが札幌市の神社でこれまでに見てきたドラム缶タイプに近いかなという印象です。

そしてやはり建立年に関する情報はなかったです。

緑青(?)のような着色は見られましたが、これだけ多量の植物に近接していて、常時水分にさらされている割には大きな劣化は見られないため、この鳥居も比較的新しいものかと思います。

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↑ようやく頂上が見えてきました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑本殿まであと少し(。・ω・)ノ゙(「歩け、マヤ」管理人撮影)

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↑破損した御手洗の石彫(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑住吉神社の狛犬様(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑本殿に到着(。・ω・)ノ゙(「歩け、マヤ」管理人撮影)


数えていませんが石段はかなりの段数がありました。

石段は下部・中腹部に・上部で様子が異なり、中腹部の石段だけが角が丸く削れていて危険でした。

上るにはさして問題はありませんでしたが、やはり植物の関係で濡れていて滑るため、降りる際が非常に危険でしたヽ(TдT)ノ

ですので、もし住吉神社に行く際は足元にご注意ください。

社殿は非常に真新しく綺麗でした。

社務所はなく、御朱印はいただけませんでした。

本殿の手前部分以外は多量の植物に覆われていました。

本殿の前方部だけは日が差し込んでいるので明るく、雰囲気が良かったです。

御手洗の石彫は破損していました。

写真を撮ろうとすると何故か「バーコードを読み取りました」って表示されて「!???」ってなりましたね(TДT)

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↑狛犬様と奉納の日付……奉納者の名前が削り取られている?(´?д?;`)(「歩け、マヤ」管理人撮影


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↑分かりますかね、本殿の右手はいきなり真っ暗になるのですヽ(TдT)ノ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑立派な樹木がた~くさんありました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑スーツパンツじゃなきゃ問題ないのに( -д-)ノ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑本殿の真後ろに隠れるようにあったお社(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、社務所がないので御朱印を頂けず、建立年情報もないので帰ろうかなと思っていたら、奥に建物が見えるんですよね。

資料調査の関係でそれなりにびしっとした服装&革靴だったので辛かったですが、周辺を散策してみました。

すると本殿裏手にひっそりと赤いお社があるのを発見しました。

小さなお社ですが、まさに「畏怖」と言いますか、神々しさと共にちょっと何だか怖いなと感じました。


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↑奥に建物が続く……(「歩け、マヤ」管理人撮影)

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↑3基目の鳥居①(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑3基目の鳥居②(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑2つ目の社殿の裏手に石碑がありました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑石碑の横には廃棄された石材がありました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


奥に鳥居が見えたので、行かないわけにはいかず、頑張って突き進んでみました( -д-)ノ


【住吉神社 / 入り口の鳥居】
①建立:???年
②素材:木製
③高さ:約4.5m
④直径:19cm程度
⑤角度:垂直(?)
⑥下部構造:なし


2つ目の社殿には「金比羅大権現」とありました。

木製の鳥居は珍しいですね。

「貫(ぬき)*」の部分は方形に整形された木材ですが、その他の部分は丸太の状態で使用しています。

よく腐敗しないな、と感心してしまいました。

新しい感じもしないんですけどね( -д-)ノ


↓*鳥居の構造、部位名称については以下を参照

何故か、ここの神社ではお社や石碑が社殿の真裏に位置していて、正面からは見えないようになっています。

これまで他の神社を参拝した際には気付きませんでしたが、そういう配置もあるということで今後は気にしてみようと思います(。・ω・)ノ゙


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奥にまだ建造物が続く……(「歩け、マヤ」管理人撮影)

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↑3つ目の社殿(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑3つ目の社殿の右手奥に青いお社と別の建造物(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑植物に埋もれた青いお社(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑トイレがありました(「歩け、マヤ」管理人撮影)


更に奥には青いお社がありました。

鳥居とか赤色が使われているのはよく目にしますが、青色はちょっと珍しいなと思います。

私、怖いのダメなんで、この時にはもう帰りたいなと思っていましたヽ(TдT)ノ

青いお社の奥にはまた別の建物が見えましたが、ぱっと見で使われていなさそうな雰囲気だったので、近づくのをやめました(/TДT)/

青いお社から斜面を少し降りると別の小型の建造物があったので、確認してみたらトイレでした。

新しく見えますが、電気は通っていませんでした。

ちなみにこの記事の最後に、トイレのドアを開けてみた動画を載せておきました。

見渡す限り山だし、木と草と普段使われていない建物しかなく、鳥の声が響くだけなので何か怖くなり、全ての社殿とお社の前で手を合わせて帰ってきました。

資料調査の無事もお祈りしてみました。

結果、この後すぐの暇つぶしの河川調査で川に落ちました(ρ゚∩゚) グスン


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↑綺麗に撮れた!ヾ(´ω`=´ω`)ノ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑帰り道、清々しい頂上からの眺め(「歩け、マヤ」管理人撮影)



↑これで私もユーチューバー……ば~っ!!!( ・Д・)

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写真にあるように、本殿の傍にある樹にはおみくじが縛り付けられていました。

一人っきりで植物をかき分けて歩いていたのでなんだか怖かったですけども、おみくじはけっこう新しいものに見えますので、きっとお正月やお祭りといった行事の際には整備されるのかなと思います。

最後に挙げたのは境内の様子を撮影した動画です。

面白味はないかも知れませんが、短い動画ですので良かったら雰囲気を感じてみてくださいヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ

(チャンネル登録も是非してね!(*^・ェ・)ノ)

ということで今回はイレギュラーでしたが、次回辺りそろそろ鳥居のデータを一度整理してみて、紹介したいと思います(*・ω・)ノ

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2019ねん 6がつ 13にち(もくよーび、ちょい雨)

明日は3週間ぶりの資料調査。

資料調査に1ヶ月なら短いなと感じていた頃が懐かしい。

今では最大でも月に2日、計12時間程度しか資料を見れないのだから( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは、「京都の遺跡で14世紀の居館と巨大な堀が発見されたよ!」というお話です(*・ω・)ノ


発見の舞台は犬飼遺跡で、京都府の亀岡市曽我部町犬飼に所在しています。


上に挙げた写真で分かるように、かなり大きな範囲が調査されています。


それもそのはず、国営農地の整備を目的として約1400㎡もの範囲を調査したのですΣ(・ω・ノ)ノ


発見されたものは大きく3つです。


  1. 居館
  2. 各種遺物


それでは、ひとつずつ見ていきましょう(。・ω・)ノ゙




1.堀で区画された方形居館


まず検出された居館は「方形居館」と呼ばれるもので、中世の時代に武士や有力者が居住したと考えられる建造物です。


出土遺物から帰属時期は13世紀後半~14世紀前半と推定されています。


つまり鎌倉時代の終わり頃から室町時代の前半期、南北朝時代の頃のものと考えられます。


方形居館が立地する敷地の周囲は堀で囲まれており、その堀によって敷地は明瞭に2つに区画されています。


大きな区画は約500㎡、小さな区画は約350㎡のサイズだそうです。


この2つの区画内からそれぞれ1棟ずつの建造物が検出されました。


検出された柱の跡(柱穴遺構)から、大きい区画に存在した大きな建造物は居住用の板張りの建物(母屋)であったと考えられます。


一方で小さい区画に存在したより小さな建物は太い柱が使用されており、用途の異なる建物であったと推定されています。


下に挙げる写真のように、柱穴の保存状態は極めて良好であり、希少な発見と言えます。



2.近畿最大級の巨大な堀


さて、堀は全部で3本確認されました。


最大幅が約8m、深さ約2mのV字形で、当該時期としては最大級の規模です。


当時、この堀には1m程度の深さで水が張られていた跡も確認されました。


検出された3本の堀の内、2本はL字型のもので、前述の大小2棟の建造物を囲んでいたものです。

区画している堀の内、大きい堀は南北27m、東西約30mで、小さい堀は南北27m、東西約20mの規模でした。

当該時期は鎌倉幕府の力が弱まる一方、楠木正成ら地方の武士が力をつけ始めた時代でもあります。

また犬飼遺跡の東約7kmには、室町幕府・初代将軍の足利尊氏(1305~1358年)が、鎌倉幕府を倒すため挙兵した篠村八幡宮があるそうです。

よってこの方形居館の帰属時期は南北朝時代への移行期に当たること、最大級の巨大な堀は戦乱に備えた防御用だったと考えられます。




3.様々な遺物、当時の高級品が出土した!


堀の中からは多数の遺物が出土しました。


詳しいことは分かりませんが、堀が埋まらない程度に簡易のゴミ捨て場としても機能していたのかも知れませんね。


堀埋まっちゃうからダメ!って言われても楽して近場に捨てたくなるのが昔も今も人の心でしょうかΣ(・ω・ノ)ノ


この堀の中からは口径12~13cm程度の瓦器椀(がきわん)やわらじといった日常品が多く出土しました。


更には漆器や中国製の白磁や緑釉(りょくゆう)陶器といった高級品も出土しました。


このように中国産の天目茶碗を始めとする高級品が出土したことから、犬飼遺跡で検出されたこの方形居館は中世の武士などの有力者の住まいであったと推定されています。



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4.犬飼遺跡と方形居館の歴史的位置付け

今回の事例のように、堀と建物の遺構が両者共に良好な状態で検出されることは珍しいことです。

特に方形居館内部の全体構造が分かる点で重要な意義を有しています。

また丹波と摂津を結ぶ交通の要所に地元の有力者が居館を構えていたが、堀の規模と建造物の造りから、当該時期が動乱期であったことを具体的に示す事例となるでしょう。

当時の時代背景から、有力な武将が一時的に設けた陣の可能性もあるようです。

方形居館遺構の居住者が、足利方か南朝方、鎌倉幕府なのかも含めて、課題は多いですが成果が楽しみな調査研究ですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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2019ねん 6がつ 11にち(かよーび、晴れ)

新たな試みにより、心身共に快復傾向にある。

その結果、どうやら再び疲労を自覚できるようになった。

そのため、眠い!ひたすら眠い!( ・Д・)


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↑緑豊かな環境にある本殿(。・ω・)ノ゙(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『札幌市中心部にある諏訪神社に行って、御朱印を頂いてきたよ!』ってことですね。



↓関連記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↓
↑「御朱印&鳥居データ集め①~⑨」も良かったら併せてどうぞ~(・∀・)つ↑


さて、久しぶりに神社に参拝してきた管理人です( -д-)ノ

前回の資料調査の際に参拝したのが最後だったので3週間も開いてしまいました。

連勤も終わるので、またぼちぼちと再開したいと思います。

恒例の基本データから紹介しますね。


【諏訪神社】
住所:北海道札幌市東区北12条東1丁目1番
Tel:011-711-0960
駐車場:なし

祭神:
建御名方命(たけみなかたのみこと)
八坂刀売命(やさかとめのみこと)

創設:明治15年(1882年)に多賀大社より札幌護国神社へと鎮

宵宮祭:9月11日
例祭:9月12日


さて、まずは頂いた御朱印のご紹介を( -д-)ノ


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諏訪神社で頂いた「書き置き」の御朱印(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑諏訪神社の由緒についての記載(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑巨大な樹が立ち並ぶ諏訪神社の境内(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑札幌市の保存樹に指定されているご神木の一つ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、諏訪神社は札幌駅から少し離れてはいますが、最寄りの神社であり、かつ夏祭りで賑わう神社だと思います。

御朱印収集を始めて、札幌市街地には想像以上に多くの神社があるんだなと思い知ったわけですが、個人的に夏祭りと言えばここな気がします。

ちょっと外れにあって、緑もあって、伝統的なこじんまりとしたお祭りが催されている感じが良いです。

実際にはどこの神社も例大祭を行っていますし、北海道神宮祭や中島公園のお祭りが有名ですが、人が多過ぎますしね( ・Д・)

諏訪神社の比較的近くには小学校、中学校、高校、大学と揃っていることから、特に若い層の家族連れで諏訪神社の夏祭りは賑わっているイメージです。

また諏訪神社の御利益として「子宝」と「縁結び」が特に有名ですから、それも若い層の人々に人気の理由かも知れませんね(*・ω・)ノ

あ、本殿裏手や社務所裏手には交通量等の問題で一時的に停車できますが、駐車場はないので徒歩での参拝をお勧めします。

さて、上に挙げた写真からも分かるように諏訪神社は大きな樹々に囲まれた神社でした。

鳥居を抜けてすぐに更に大木の間を抜けていく感じが良かったです(・∀・)つ

本殿や社務所が古い木造の建物で、ある種の「旧校舎」のような趣を感じましたね。

本殿に向かって左手に社務所があります。

御朱印の初穂料は300円でした。

たまたま御朱印を書ける方(恐らく普段書いている達筆な方)が不在のため、初めて「書き置き」の御朱印を頂きました。

調べてみると、どうやら御朱印帳に「糊付け」すればよいみたいですね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


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↑本殿の正面(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑諏訪神社の入り口の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)



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↑諏訪神社の石碑(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑諏訪神社の石碑の建立年情報(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑諏訪神社の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、今回も鳥居のデータを取得してきましたので紹介していきますね(*・ω・)ノ


【諏訪神社 / 入り口の鳥居】
①建立:???年(石碑における記載は1957年)
②素材:石製(花崗岩製)
③高さ:約5m
④直径:36cm
⑤角度:斜め(斜度4°)
⑥下部構造:饅頭


まず建立年に関してプレート等が付随していないので不明でした。

狛犬様の石材は見るからにより古い印象を受けます。

それに対して、入り口にある鳥居や石碑群はいずれも花崗岩製で同じ真新しさを感じます。

そのことから恐らく石碑に刻まれた建立年が鳥居のものと一致するでしょう。

前回の豊浦神社の鳥居も建立年が不明でしたが、今後建立年が不明な資料が増えていきそうな予感ですね。

何か対策を考えねばと思います( -д-)ノ

石製の資料も増えてきましたが、高さはいずれも5~6m程度な気がしますね。

今回の諏訪神社の鳥居の特徴は久々の饅頭という下部構造を有している点と、支柱の斜度がキツイという点です。

諏訪神社の鳥居は1基ですし、他に特徴を見出すことはできませんでした( -д-)ノ


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↑諏訪神社の入り口にあった看板(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑やはり木製の造りは良いなと思う(。・ω・)ノ゙(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑諏訪神社の境内の様子(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑社務所の裏手に転がる石材群(「歩け、マヤ」管理人撮影)

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さて、上の写真のように社務所の裏手で石材が転がっているのを確認しました。

多くは古い「石灯篭」の破片かと思います。

役目を果たして、本来の場所から移動させられて、廃棄される。

それでもテキトーにごちゃっと捨てているのではなく、完形の部位は右端に集めていたりして、廃棄の際の石材の配置にも何等かの意味を感じ取れる気もします。

こういうの、なんだか考古学っぽいですね~・・・・・・なんて!( ・Д・)

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2019ねん 6がつ 10にち(げつよーび、晴れ)

天気が良いので散歩した。

「真の散歩とは目的がないものを言う」という本を読んだ。

個人的には目的地があっても、辿り着くまで&帰り道を楽しめればそれで良いと思う( -д-)ノ


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↑どうです?この「いかにも」な怪しいタイトル画像.!?。゚+.(・∀・)゚+.゚(「Forbes」の記事内画像を加工)


今回はちょっと趣向を変えて、「よく見かける成功者がやっている習慣を、実際にやってみた!」というお話です。

いつもの考古学・歴史ニュースとは関係ないので悪しからず( ・Д・)

さて、先日Youtubeを見てて、『成功者が共通して行っている朝の習慣』というのを発見しました。

まぁ前からこういうのは巷に溢れているなぁと思ってはいました。

コメント欄に、「成功した後に時間余ってるからやっているのではないか?」、「一般の人は日々に疲れててそのような余裕はない」などと批判的な内容がずらりとあったのが気になりまして、実際にやってみたらどうかなと思い至ったわけです。

40連勤の最後の一週間に実施したので、忙しくて疲労困憊な方にも、「あ~、こんな感じかぁ」とわかってもらえるかと思います( ・Д・)




成功者がやっている朝の3つの習慣+アルファ

まずは成功者がやっている朝の習慣を紹介します。

  1. 早起きする
  2. 運動する
  3. 瞑想する

こう並べてみると、驚くような特別なことは何もしていないものですね。

習慣にしているかは別にして、個別の項目はけっこうよく聞きますし、まぁ普通なことかなと思います。


私の場合は、
  1. 6時に起きる
  2. 筋トレする
  3. 10分の瞑想をする
という感じでやってみました。


「6時に起きる」に関しては何時でも良かったのですが、キリよく12時に寝て6時に起きてみようと思ったのが理由ですね。

何よりも「睡眠時間を6時間」に設定して、残りの18時間を有効に研究生活に充てようと考えたからです。

かのアインシュタインは研究職に就くまでの在野研究者であった期間に、1日を8時間×3時間と考えて、「生活していくための勤労時間」、「睡眠時間&炊事・洗濯等の諸々の生活時間」、「研究時間」にしっかりと分けて生活していたそうです。

「運動する」は軽く筋トレすることにしました。

朝起きてすぐに簡単な体操と筋トレ(腕立て、腹筋、背筋、スクワット×10を1セット)をするだけです。

「瞑想」は10分間だけで、何も考えないのではなく、今日やるべきことに打ち込む自分を想像することにしました。

『世の成功者』がやっている朝の習慣は上記のものだけですが、私はいくつかアレンジを加えることにしました。

  1. 筋トレ後に冷たいシャワーで目を覚ます
  2. 朝に梅干しを食べる
  3. 朝にコップ一杯の水を飲む
  4. 朝ご飯は「炭水化物」を積極的に摂取する
  5. 朝、その日に行うタスクをスケジュール帳に書いてから朝の瞑想を行う
  6. 腕時計を身に着け、スマホを極力使わないようにする
  7. 心身ともに本当に疲れたと思ったら、酒を飲まずに、美味しい物食べて即寝る
  8. 夜寝る前に、何も考えない方の「瞑想」をする

「梅」についてはこの前、調査の時にお土産として買ったものが家にあったというのが理由として大きいですが、「酸っぱいから目が覚めるかな、身体に良さそう」という理由もちゃんとありますヽ(TдT)ノ

「コップ一杯の水」については、今は亡き祖母が「身体にいいよ」ってそんなこと言ってたな~とふと思いだしたからです、ただそれだけ!

スマホとお酒については依存してると感じていたので改善することにしました( -д-)ノ


arukemaya394
↑この人は疲労困憊してないね!( ・Д・)(「マナラボ」の記事内画像より転載)


心身ともに疲労困憊な状況で実際にやってみた結果

【1日目の夜】
夜に思い立ったので、夜からスタートしました。

なので、「何も考えない方の瞑想」をしつつ、12時頃に就寝しました。

結果、瞑想に不慣れなため「雑念が多過ぎて、むしろ考え事し過ぎて寝付けなかった」です( ・Д・)

まぁ落ち着いて自分と向き合うことはできたように思えます。


【2日目】
やると決めた「成功者の習慣+α」は全て実行しました。

ただ朝は起きれませんでした。

そもそも寝れてないし!(´・ω・`)

そのこともあって、この日の晩は睡眠不足と疲労ですぐに寝れました。


【3日目】
やると決めた「成功者の習慣+α」は全て実行しました(毎回実行しているのでこの後はもう書きません( ・Д・))。

ふと気づくと、ブログはあまり進まないものの、研究は進んでいました。

一日のやるべきことを記入しているおかげか、優先順位の高いものを後回しにしなくなっています。

良い傾向です、ブログ書いてないけどね(/TДT)/


【4日目】
ルーティンをさくっとこなして、朝の梅干しとお茶漬けが美味いな~と感じるだけでしたので、ようやくこの習慣に慣れてきたのだと思います

まぁ朝は起きれていないんですけどね!(TДT)

夜の「何も考えない方の瞑想」にこの日ようやく慣れることができました。


【5日目】
5日経ってようやく朝6時に起きることができました。

睡眠時間はこれまでよりも短くなったわけですが、快調です。

筋トレも軽過ぎるかなと思って、もっとアドレナリン出て目が覚めるように、各15回にしてみました。

一方で朝の瞑想の効果がイマイチ分かりませんヽ(TдT)ノ


【6日目】
「数学者は服を着ない」という話を聞きました。

京都大学の某教員は大学院生時代にほぼ裸で徘徊していて警察のお世話になったとか……

アルキメデスも裸で町を走り回ったのだとか……

「やはり研究者には休日などなく、気が触れるまで研究に没頭しなきゃ」と思っていましたが、気が変わりました。

「メリハリをつけて研究を行えば良いのであって休む時は休まなきゃだめだ」と、ようやくまともな思考能力が返ってきました( -д-)ノ


【7日目】
体重が自然と減って、腹筋割ろうかなと再び思えるようになりました。

また仕事のための最低限の身だしなみでいいやと思っていたのに、もうちょっと気を遣おうと思えるようになりました。

そして何よりも40連勤が終わり、久々の休みが来ることが嬉しくてたまりません(・∀・)つ




実際にやってみた結果、結論!

以前は、土器等の遺物を扱うのに邪魔なので腕時計をしなくなってしまい、スマホで時間を確認していたし、何かとスマホ依存していたのに、スマホなしでも問題なくなりました。

これが精神面・時間面で一番大きい成果かも知れません。

一気に生活習慣を見直した形になったので、どれが効果あるのか分かりませんし、プラシーボ効果かも知れません。

まぁでも「成功者の朝の習慣」は悪くないなという結論に至りました。

ただ、これを習慣化したからと言って「成功者の仲間入りするかどうかは別問題」であると思います(( ・Д・))

個人的にはプラスの効果があったので、継続してみようと思っています。

……何事も気持ちの持ちようですかね?

結局、変わろうと思い立って、前向きに実践する姿勢が最も大切なのかも知れませんね(。・ω・)ノ゙

↓気が向いたら押しておくれ……あ、さては気が向いたね!!!?( ・Д・)↓

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