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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2019年07月

2019ねん 7がつ 27にち(どよーび、晴れ)

明日は久々の休みなので、朝から調査行きます。

楽しみだ!(・∀・)つ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・



はじめに

さて、今回扱うのは『考古学の未来』です。

関係諸者には確実に叩かれる内容でしょう( ・Д・)

だから私も真面目に書かなければならず、文量も増えるでしょう。

しかし!

明日は調査なので、今回は導入ということで手短に終わらせたいと思います( -д-)ノ


ビッグデータと人文科学

ビッグデータという言葉が出現してからけっこう経ちますが、考古学における論文でも流行りとして「ビッグデータ」の用語をタイトルに冠した論文が投稿されています。


ビッグデータ とは、一般的なデータ管理・処理ソフトウエアで扱うことが困難なほど巨大で複雑なデータの集合を表す用語である。
(wikiより転載)

このようなビッグデータの定義からすると、今現在、考古学におけるビッグデータなんてものは存在しないように私は思っています。

一方で十分な潜在性はあるかなとも思っており、これからの発掘調査や資料調査において考古学情報をいかに定量化できるか、そしてそのデータをいかに蓄積して「考古学的ビッグデータの構築」を図るかが重要なポイントになるかなと浅く考えております( -д-)ノ

これまで考古学においても定性的分析だけではなく、定量的な分析が行われてきた歴史を有します。

しかしながら所謂「数理考古学」は「数理経済学」や「数理社会学」とは比較にならないくらいにレベルが低いと言わざるを得ません(方法論や方向性に大きな違いがあります)。

昨今、ビッグデータの登場により、「経済物理学」や「社会物理学」といった分野が発生、発展を開始しています。

(*研究史上、後者の発生は古いですが、本当の意味で物理学的手法を取るようになったのは最近だと門外漢ながらに整理しています( -д-)ノ)

「扱うデータに差があるため、考古学の出遅れは仕方ない」という見方もありますが、より考古学に近い領域である文献史学でも「学界内での情報革命」が生じ始めているかなと思います。

例えば、イギリス国立図書館を始めとして今や多くの大図書館がそれぞれ所蔵する歴史史料のデジタルデータ化を促進させており、インターネットで簡単に閲覧可能な時代がやってきています。

このネット上の多量の歴史史料を用いて、数学者チームが戦争の頻度に関する数理的分析を行ったことが有名ですが、それから早くも20年近く経過しています。

定義的な意味で扱うデータが真にビッグデータかどうかは問題ですが、今や、あるいは非常に近い将来において、多量のデータを準備し、それを定量的に扱う必要性が人文科学で生じていると言って良いのではないでしょうか。




誰でもドラッグ&ドロップでデータ分析が出来る時代に!

定量的分析に利用可能な形でのデータの準備が必要ですから、考古学あるいは人文科学においてビッグデータを扱うのはもう少し先になるとは思います。

一方でデータ分析という分野はかなり伸びてきており、義務教育及び高等教育課程で基礎統計学やデータ分析に関わる項目が算数・数学の教科書に載るようになって久しい状況となっています。

そのためこれからの若手研究者は基礎的なデータ分析が可能な人材ばかりになってくることが予想されるわけで、私も含めた従来型の定性的分析しか出来ない考古学者は隅に追いやられるのではないかなと思っています。

そういった古いタイプの考古学者の重鎮たち(愛情たっぷりに「旧人」と呼ぶことにしましょう( ・Д・))は所謂「型式学大好きおじさん」なわけですが、彼らの重要性がゼロになるわけではありません。

なのでしぶとく生き抜くでしょう。

そんな旧人たちに朗報なのが、「ドラッグ&ドロップでデータ分析が出来てしまうシステム」の登場です!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

マサチューセッツ工科大学とブラウン大学の研究チームは、対話型データサイエンスシステム「Northstar」向けに、最適な機械学習モデルを即時に生成するツール「仮想データサイエンティスト(VDS)」を発表しました。


このツールに関する研究結果は、2019年6月30日から7月5日まで開催された「ACM SIGMOD conference」で発表されたそうです。


そもそもNorthstarとは、長年MITとブラウン大学が共同で開発している対話型のクラウドプラットフォームなのだそうで、上に挙げた画像のようにタッチスクリーン上で直感的に操作でき、スクリーン上にデータをドラッグアンドドロップして繋げていくというシンプルで分かりやすいものなのだとか。


研究チームは、この「Northstar」の新しいツールとして、「仮想データサイエンティスト」を開発しています。


このツールを使えば、データサイエンスの知識が不足している人々でもAIモデルをトレーニングできるということで、注目の研究開発なのです。


例えば医者がある患者が特定の病気を患う可能性を計算したり、事業主は売り上げを予想したりできます。


例えば、データサイエンスのことを知らないコーヒーショップのオーナーでも、数週間先の売り上げを予測して、仕入れの量を把握できるようになるということで素晴らしいですね。


こんなシステムが登場したら基礎しか学んでいない、巷に溢れている「なんちゃってデータサイエンティスト」や「なんちゃってコンサルタント」は激減するかも知れませんね。


一方でこの「仮想データサイエンティスト」を使えば、データ予測、画像分類、複雑なグラフ構造の分析など、ユーザーのタスクにモデルを合わせて予測分析を実行することもできるので、考古学でも利用する研究者が現れそうですね( -д-)ノ





おわりに

境界領域を専門とする某教授(彼は研究・分析に統計学手法を用いている)に伺ったところ、最初は自分で統計ソフトを使用して分析していたが、現在は統計を専門とする共同研究者に任せているそうです。

分析者自身が統計学やデータ分析に関する知識が十分でなければ、数ある分析手法の中でどうしても望む結果の出る手法を恣意的に選択してしまっていると思う、自分自身がそう感じてしまう、というのが理由なのだそうです。

今回は「考古学の近未来予想図」として定量的な分析が比重を増すだろうと考えつつ、誰もが手軽に分析できる時代もすぐそこということを示したわけです。

しかしながらこれからの考古学者、特に若手研究者らは自らが統計学やデータ分析、あるいは数学や物理学、それを既に応用している諸学問に関して十分に学び、理解する必要があるでしょう。

そうしてこそ「本当の意味で考古学の未来が拓ける」のはないでしょうか?

ま、実際には「学際的研究」という魔法の言葉を用いて、「多額の研究費」という膨大な魔力を消費して、共同研究者に分析をぶん投げてふんぞり返る考古学者(旧人、時に新人)が多数出現するのでしょうけどねっ!( ・Д・)

ちなみに、そういった方々は高い確率で、膨大な基礎データの収集の仕事を学生・院生に無報酬でぶん投げるであろうと『機械学習もとい経験的に学習したAI(Archaeological "Insei"; 考古学研究室の院生)』は現段階で予測しております( ・Д・)

↓皮肉スパイスが利き過ぎてた?(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2019ねん 7がつ 20にち(どよーび、曇り)

特集の続きを書く時間持ててないな~ヽ(TдT)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・



さて、今回の考古学・歴史ニュースは「うんちミュージアムだよ!( ・Д・)」です(*・ω・)ノ

とても端折りましたけど、今回の企画のテーマは「糞石について一緒に勉強しましょう!」ってことなのです。


うんちミュージアムの目的

私が専門とする地域は熱帯雨林に囲まれたような地域なので、大体の残りにくそうなものはやはり腐食して残りません。

微生物の活動が非常に活発で、土壌(腐植土)が発達しないくらいですからね。

あっという間に分解されてしまいます。

そんな環境でもでも稀に条件が重なると木材とか残ったりするものなのです。

また環境は地域によって多様です。

グアテマラ北部、ジャングルの中に所在するティカル遺跡では残存しないかもしれません。

でも、グアテマラ南部のマヤ高地は涼しい気候ですし、ホンジュラス西部のコパン遺跡は暑いけどけっこうカラッと乾燥した気候だと思います。

ということで、古代マヤ文明の地でも「うんち石」見つかるかも知れません( -д-)ノ

日本は人骨を含め、木材等の有機物が残りにくい酸性土壌で有名なのですが、日本では「うんち石」が確認されています。

また世界の他の地域、特にエジプトや北米・南米の乾燥地域では「うんち石」がよく検出されています。

我々も「うんち石」を発見できるかも知れませんし、できるに越したことありません。

なので「うんちミュージアム」で知識を蓄えましょう!ってことなのです。

これまで考古学、形質人類学では人骨からDNAを解析してきましたが、近年『糞石』からのDNA情報の方がより状態が良いらしく、実は解析成果が期待されている研究分野の一つなのですよ(・∀・)つ



知識と認識が発見を作る!

人間、不思議なもので、「ない!」って思ってるものを見つけることは非常に困難なのです。

また「存在を知らないもの」についても同様に、それを見つけることは困難なのです。

日本でも1949年以前は「日本は縄文時代から始まる」と考えられており、旧石器時代は認められていませんでした。

特に所謂「赤土」、火山灰が堆積した関東ローム層の年代は激しい噴火のため人間が生活できる自然環境ではなかったと考えられていたため、ローム層は無遺物層と考えられていたのです。

1949年以降に相沢忠洋、芹沢長介らの調査成果として「日本に旧石器時代があった」ことが認められ、その後、日本各地で旧石器が多数出土するようになります。

この話は日本考古学史としては ”常識的” な内容なのですが、『認識が遺物を発見させる事例』として重要な示唆に富んでいるなと私は思っています(*^・ェ・)ノ

まぁつまり私が言いたいことは、初めから「よーし、トイレの遺構を当てるぞ~!」って調査することはほとんどないと言って良いので、「それらしき遺構」に当たった際にしっかりと見極められるのか?が重要なのだということです。

時期、地域にもよるでしょうが、糞石はレアな遺物(依存体)ですし、トイレ文化や人々の食習慣などに迫れる重要な情報を有する遺物なのです。

なのでいざという時に見逃して掘り飛ばすことのないように、一調査者として十分に準備しておきたいものです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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うんち石、もとい「糞石」とは何か?

まずは糞石の定義についてですが、
糞石(ふんせき)とは、動物や人間の排泄物である糞が化石化したもの。
(wikiより転載)
という内容です。

一言で述べるならば、糞石は「うんちの化石」なわけです。

糞石は英語では「コプロライト(coprolite)」と表現するのが一般的ですが、これは地質学・古生物学用語です。

なので恐竜とか動物の糞石に対して使われます。

考古学用語としては「パレオフィシス(pareofeces)」があり、これは人間の糞が対象です。

考古学の発掘調査では人糞が対象となることが多いでしょうが、家畜やペットの糞が出土することもあり得ますし、そもそも出土段階で何に由来する糞石なのかが不明なことが普通でしょう。

その場合は「フォシライズドフィシス(fossilized feces)」、つまり「化石化した排泄物」を用いるべきでしょう。

まぁでも日本語ではどの分野でも「糞石」で構わないと思います( -д-)ノ


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研究における糞石の重要性

かなり上の方で挙げた発掘現場の写真についてですが、2015年のテキサス州にある洞窟遺跡のものです。

古代人の糞石はこのような乾燥した気候の洞窟やその他の適切な保存条件の場所で見つかることがあります。

このテキサス南西部に位置するイーグル洞窟では120点以上もの糞石が見つかっており、炭素年代測定によって全資料の68%がBCE6810年であるという結果が出ました。

およそ9000年前のうんこですからね、すごいですね(・∀・)つ

これらの糞石は年代測定が可能なだけではなく、内部から発見される植物種子や小さい骨、寄生虫の卵の分析を通して、当時の人々の食生活や健康状態を知ることができます。

また糞石の脂質分析やDNA分析を使用して、糞石を排出した個人に関するより詳細な情報について化学分析することもできます。

分析に使用可能なDNA抽出の成功率は糞石の方が比較的高く、また糞石由来の分析の方が人骨に由来するDNA分析よりも信頼性が高いのです。

こうした詳細な分析が可能である理由は、消化器系を通過する際に全ての食べ物等が破壊されるわけではないからです。

もちろん消化されずに残った資料のすべてが分析段階で認識できるわけではありませんが、少なくともその一部は認識できます。

一般的な考古学資料から古代の食生活の復原に臨むのはかなり困難であり、少なくとも他のいずれの資料も直接的な指標にはならないのです。

そのためこの糞石という資料は考古学者が古代の食生活を決定するために使用できる最良の指標となるのです。

(つづく⇒「糞石に関する考古学研究史と分析内容&研究の実例の紹介&うんち石ミュージアム」)
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2019ねん 7がつ 19にち(きんよーび、雨)

トイレって大事だよね!

でもトイレ我慢してる時が一番仕事に集中出来る気がする!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは、「佐賀県の名護屋城博物館でトイレの歴史に関する特別展が開催されるよ!」というお話です(*・ω・)ノ

佐賀県、唐津市鎮西町にある名護屋城博物館は2019年7月19日から、戦国時代のトイレ遺構を中心としたトイレに関する特別展を実施するそうです。

その名もトイレのナゾを追え!! 肥前名護屋城の厠と雪隠」です。


使わない!見るだけのトイレがある!

さて、企画展のタイトルにある文字ですが、ゆきがくれと書いて雪隠(せっちん)と読むそうで、トイレの別名称だそうです。

何でもここ名護屋城跡周辺では、前田利家ら4人の陣跡から、茶庭に置かれて実際には使わずに外観だけを楽しむ「荘雪隠(かざりせっちん)」とみられるトイレの遺構が見つかっているそうです。

そんなトイレがあることを知りませんでしたが、全国でも数例見つかっているそうで、その中でもここ名護屋城跡周辺の荘雪隠の遺構は最も古い発見例なのだとか。

昔からトイレの問題は衛生面と関係してけっこう大きな問題なのですが、どうやら佐賀県の武将達は陣の中にも「見るだけのトイレ」を作っていたようで、なんだか余裕ですねΣ(・ω・ノ)ノ




上に挙げた写真は肥前名護屋城にある木村重隆陣屋跡の一部で、これが荘雪隠なのだそうです。

想像と違いましたけど、展示ではこのトイレ遺構の実物大フロアパネルが紹介されるそうです。

他にも全国のトイレに関連する発掘資料を取り寄せるそうで、福井県鳥浜貝塚から出土した縄文時代の「糞石」(排せつ物が化石化したもの)や、日本で初めて「トイレ」と確認された佐賀県一乗谷朝倉氏遺跡の「金隠し」などが見られます。

開催期間中は毎週土曜日の午後1時から「トイレの自由研究」として学芸員が展示内容を解説するコースがある他、7月28日午前9時半から、トイレ遺構が発見された前田利家陣跡などを巡る「ミステリートイレツアー」(事前申し込み必要、先着40人程度)もあるそうです。



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昔のトイレットペーパーは痛い!

さて、縄文時代のトイレ遺構からは糞石と共に土器片が出土しているそうで、何でもトイレットペーパー代わりに土器片でお尻を拭いていたと考えられているそうです。

ケガしそうですね( ・Д・)

まぁ葉っぱとかも使っていたのでしょうが、「あ、紙がない!」みたいな時は割れた土器片をある意味で再利用したのかも知れません。

こういったリサイクル文化は江戸時代まで連綿と続くわけですが、平安時代でも籌木(ちゅうぎ/ちゅうぼく)という木の棒状の板を使っており、上に挙げた写真のように戦国時代でもトイレットペーパーの代わりに木簡を再利用して使っていたそうです。

この「木のトイレットペーパー(?)」は一部の農村などでは江戸時代後期まで使われていたそうで、他に藁(わら)も使用されていたそうです。

まぁ痛いよね( ・Д・)

江戸時代には都市部で再生紙を用いたトイレットペーパーが使用され始め、一般に普及するのは明治時代だそうです。

一方で中世から近代にかけて人の糞尿を肥料として利用してきたリサイクルの歴史もあり、これについても今回の企画展で紹介するそうです。

ちなみに江戸時代には人の糞尿は売り物でした。

ランク分けされていて大名とか良い物食べてる人の糞尿の方が高かったそうです。

ちなみに中ランクの糞尿樽一杯で500円、船一艘分で10万円の価値があったのだとか( ・Д・)




おわりに

個人的にはトイレの遺構って面白いなと思っています。

古代マヤでも建造物の配置は分かっているけども、トイレの位置は分からないんですよね。

あと糞石も面白いなと思います。

最近は様々な科学技術が発達していますから、糞石から分かることも多いのです(・∀・)つ

せっかくなので「ウェブ内、糞石ミュージアム」を開催しようかな。

糞石を見慣れて、発掘調査の際に糞石を検出できるようにさ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓昔も今もトイレって大事!ヾ(´ω`=´ω`)ノ↓

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2019ねん 7がつ 17にち(すいよーび、晴れ)

最近、数学ばかりやっている。

どれだけ数学・統計学の世界を理解したら、考古学の各事例に用いるべき手法の正しい選択ができるのだろうか。

まぁとりあえず資格あるらしいので取ろうかな( ・Д・)


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↑ヨーロッパにおけるギリシャとコザニの位置(「「Google Map」の画像を一部加工」)




【目次】
  1. はじめに -基礎情報-
  2. コザニにおける発見
  3. 古代ギリシアにおける窯の構造
  4. おわりに

1.はじめに -基礎情報-

今回の考古学・歴史ニュースは「ギリシアでビザンツ帝国時代の陶磁器を焼成した大きな窯址が検出されたよ!&青銅器時代のお墓も出たよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

上に地図を挙げましたが、今回の舞台であるギリシャは地中海に面しており、有名なイタリアのブーツ状の土地のヒールの先方向にありますね(分かりくいか( -д-)ノ)

遺構が発見されたコザニは北ギリシアに位置し、西マケドニア及びコザニ県の都です。

このコザニのアンソニーのグラットサニス(Gratsanis)地区で発見があったらしいのですが、詳しい場所が分かりませんでした。

というのも記事自体が

Δυο καλοδιατηρημένοι κλίβανοι της βυζαντινής περιόδου εντοπίστηκαν στην περιοχή Γρατσάνη του Ανθότοπου Κοζάνης, κατά τη διάρκεια εργασιών……(記事より一部抜粋)

こんな感じなので、よく読み取れないし、こともあろうかグーグルマップもギリシア語表記が多かったので探せませんでした。

学生時代に「古典ギリシア語」を履修していましたが、まぁ大体「なるほど!よく分からん!( ・Д・)」程度の能力だったのでご容赦願いたいヽ(TдT)ノ

ギリシア語の記事に興味ある方は下に挙げる遺構の写真のリンクから、元の記事に飛べますのでどうぞ(*・ω・)ノ




2.コザニにおける発見

まず今回の発見の契機は、「Aeolian Park East and West Asia」という名称の公園を建設するための工事です。

一つ目の発見は青銅器時代のお墓が見つかったことです。

この発見に関して、当時、送電ケーブルの巻き取り作業を行うべく、30㎡の広さの発掘調査がなされました。

この際にお墓が検出され、それが上に挙げた写真になります。

見た感じ、現地表面にかなり近い深度に遺構が広がっている模様です。

出土遺物から後期青銅器時代(BCE1600-1100年)と推定されています。

墓の傍には同時期の建造物と思われる遺構が存在し、青銅製の鳩の装飾品が出土しました。

人骨は確認されなかったようですが、副葬品から女性の墓であると推定されています。




今回のもう一つの発見がこちらの穴ぼこ群です。

変電所を建設しようと工事を行っていたところ、発見されたそうです。

これはビザンティン帝国時代(東ローマ帝国時代;CE395-1453年)の陶磁器の焼成に用いられた窯の跡です。

上に挙げた写真の右下隅に横穴が見えますが、この部分(及び、より手前部分;写真では切れている(TДT))で薪を燃やします。

「もぐら叩きゾーン」にはよく乾燥させた未焼成の陶磁器類を並べます。

このゾーンは10㎡の大きさがある大きなものです。

「もぐら叩きゾーン」の周囲からは10本のアーチ状の支柱の痕跡が確認されており、かつてはこのゾーンが壁と屋根で覆われており、小部屋のようになっていたたわけです。

このように上部構造は失われていますが、下部構造としては非常に保存状態のいい遺構です。

今回の発見ではこの種の窯址が2基検出されたのです。

この2基の窯址では薪をくべる部分の穴の入り口がタイルと石で慎重に閉じられていました。

そのことから、当時の土器工人らは将来的に再びこの窯群を使用する見込みで、一次的に工房を封鎖したのだと推定しています。






3.古代ギリシアにおける窯の構造

古代ギリシアの土器焼成窯の構造について紹介します。

この上に挙げた模式図と模型が非常に分かり易いかなと思います!(*・ω・)ノ

下の模型では「もぐら叩きゾーン(焼成部屋)」もしっかりと示されていますね。

上の模式図では燃料の燃焼場所が、焼成部屋の直下になっていますが、実際にはトンネル状の箇所で燃やします。

ちょうど模型ではトンネルの断面において薪が積まれているのが見えますね。

今回のような焼成部屋の一部である「もぐら叩きゾーン」を特徴とする土器焼成窯址はイタリア、エジプトでもいくつかの検出例がありますので、この下で紹介します。

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↑イタリア、セリヌンテにおける検出例①(「italy magagine」の記事内画像より転載;英文)


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4.おわりに

古代ギリシア文化に属する都市は現在のイタリア、シチリア島にも広がっていましたから、現在のギリシャの外であるイタリアでも多く検出されています。

またこの「もぐら叩き式窯」は古代ローマ、ビザンツ帝国にも引き継がれていますので非常に広い年代幅でヨーロッパを中心に見られるのです。

いくつか写真にて類例を挙げましたが、今回ギリシャで発見された土器焼成址は焼成部屋のグリル板の保存状態が本当によく、そして大型の施設である点で重要な発見だと思いますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

また最後に挙げた粘土板に描かれた当時の土器を焼成する工人の様子も興味深いなと思います。

こういった一般層の人々の暮らしぶりが分かる資料は貴重ですね(*・ω・)ノ

↓押さなくてもいいから、当サイトを頻繁に見てね!(*^・ェ・)ノ↓
↓頻繁に更新するとは限らないけどね!( ・Д・)↓

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2019ねん 7がつ 16にち(かよーび、曇り)

「精神と時の部屋」が欲しい。

ネットが使えて、書籍も持ち込めて、ネット購入した本も届くのならば……

「時間は作るもの!」

まだ幼き自分が抱いたモットーはとても大事だのものだったと、老いた私は今更ながらに再確認したのであったヽ(TдT)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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↑オックスフォードシャーの位置(「Google Map」の画像を一部加工)


【目次】
  1. はじめに -基礎情報-
  2. 見つかった生贄の遺体の謎
  3. ヒルフィギュア(地上絵)って何?
  4. おわりに

1.はじめに -基礎情報-

今回の考古学・歴史ニュースは「イギリスで約3000年前、青銅器時代の生贄がたくさん見つかったよ!」というお話です(*・ω・)ノ

上に挙げた図にあるように、今回の発見の舞台はイングランド南東部のオックスフォードシャー州(Oxfordshire)です。

前回、ちょうどハリーポッターの晩餐会のシーンでお馴染みのオックスフォード大学について触れましたが、そのオックスフォード大学が所在するのがこの地域です。


↓【まだ食べられるよ?( ・Д・)シリーズ】『最後の晩餐』in ポンペイ、「保存状態が良い」というレベルではない件について!Σ(・ω・ノ)ノ【考古学】
 
↑オックスフォード大学付属博物館でのイベントです(。・ω・)ノ゙


今回の発見の契機は、後ほど紹介するヒルフィギュアと呼ばれる地上絵の比較的近くにて、水道管の敷設工事を行っていたところ、作業員が遺骨を発見した!ということです。

連絡を受けた考古学者チームによって発掘調査が実施され、この埋葬遺構群からは馬の頭蓋骨を含む様々な動物や鉄器時代、古代ローマ時代の道具類が多数出土したのです。


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↑伸展葬の遺体(「Ancient Origins」の記事内画像より転載;英文;credit: Thames Water



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↑足を切断され、後ろ手に縛られている遺体Σ( ̄ロ ̄|||)(「Smithsonian.com」の記事内画像より転載;英文;credit: Thames Water



2.見つかった生贄の遺体の謎


さて、先に述べた動物骨や道具関係の遺物の他に、26体もの人骨が確認されました。


一番上に挙げた写真の人物は普通の伸展葬(「気を付け」をしたような態勢での埋葬)です。


二番目の写真は、何と頭部を切断された上に、その頭蓋骨をわざわざ足元に置いた状態で埋葬されています。


呪術的な意味合いがあるのでしょうか?ヽ(TдT)ノ


そして最もショッキングなのが三番目の写真の遺体です。


分析結果からこの遺体は女性のもので、両手を頭の後ろで縛られ、両足首を切断され、開脚した状態で検出されました(/TДT)/


発見された26体全てが生贄というわけではありませんが、恐らく儀礼的に殺害された遺体の状況には一貫性がないのが謎です。


理論物理学でよく分からないことは「ダークなんちゃら(ex.ダークエネルギー)」なんて表現するように、考古学ではよく分からないことは「儀礼行為」としてしまいます( ・Д・)


恐らく3000年前のこの地では流行り病、飢饉、地震等の自然災害の被害を受けた結果、神の許しや先見の明を求めたり、あるいは、豊かな収穫や戦争での勝利を保証するためにこのような犠牲が払われたのでしょう( -д-)ノ



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↑「アフィントンの白馬」(「芭蕉blog」の記事内画像より転載)


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↑「サーンアバスの巨人」(「ゲー脳ニュース速報」の記事内画像より転載)



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↑「ウィルミントンのロングマン」(「FIND OUT WONDER」の記事内画像より転載;credit: Google)



3.ヒルフィギュア(地上絵)って何?


ヒルフィギュア(hill figure)とはイギリスの石灰岩の丘陵地帯に描かれた地上絵のことです。


その名の通り、丘(hill)の図形(figure)なわけですね(*・ω・)ノ


丘陵の急斜面の草と土壌を削って溝を掘り、母岩である石灰岩を露出させることで描いた地上絵であることから、"chalk figure"、"chalk carving" などとも呼ばれています。


学校の黒板で用いるチョークの語源になっているチョーク(chalk) は、未固結の石灰岩を指します。


石灰岩を露出させて描いているから「チョーク・フィギュア」なのですね(*・ω・)ノ


ヒルフィギュアの製作動機はよく分かっておらず、記念碑、宗教、政治、広告などが考えられています。


上に挙げた3者は特に有名なヒルフィギュアでそれぞれ、「アフィントンの白馬」、「サーンアバスの巨人」、「ウィルミントンのロングマン」です。


ヒルフィギュアの大部分がイングランドの南部の丘陵地帯に集中しており、その数は全部で101例も確認されています。


実はヒルフィギュアは定期的な保守作業を続けないと、風化・埋没して消滅してしまいます。


そのため「古いヒルフィギュア」は、地域のランドマークとして長年に渡って定期的な手入れをされ続けてきたものであることを意味します。


かつては101例以上にもっともっとあったのかも知れませんね(*^・ェ・)ノ


さて、写真から分かるように、緑と白のコントラストが鮮やかで遠方からでもはっきりと見ることができますが、ナスカの地上絵のように上空からではなく、向かいあった斜面や遠方など地上から見ることを意識して作られています。


選ばれる題材は「馬」が最も一般的で、その他に人や動物、十字架や紋章などがあるそうです。

数多あるヒルフィギュアですが、適切に管理しないと消滅してしまうという性質から、実際にはほとんどのものが18世紀以降の作品なのだそうです。

例外として今回の発見にも関係する「アフィントンの白馬」は青銅器時代作とされています。

白馬は当時のこの一帯の部族の象徴であり、太陽が馬の上や馬車の中で空を横切って運ばれたという神話の信念を反映しているとのことです。

これは古代ヨーロッパでは「ソーラーホース」として知られるモチーフです。

そのため今回発見された人々は日々の日の出を保証するために犠牲にされたのかも知れません。

それにしてもこのお馬さん、3000年前から維持され続けているって凄いですよね!Σ(・ω・ノ)ノ

でも管理する地元住民の間では少なくともここ数世紀の間、「馬」ではなく「ドラゴン」だと思っていたそうですよ!( ・Д・)



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↑ホーマー・シンプソンのいたずら書き(「excite blog」の記事内画像より転載)



4.おわりに


上に挙げたのは2007年に起きた「いたずら事件」です。


「サーンアバスの巨人」の隣に白色の水性ペンキで「ホーマー・シンプソン」が描かれたのです。


文化財には直接手を出していないし、「水性」という点が優しさかも知れませんが、地元住民は怒り心頭だったようです。


というのも先に説明したように、現在でも地元住民らの信仰の対象ですし、彼らの先祖代々の努力で現存する文化遺産なのですから当然ですね!


(それにしてもシンプソンの絵が上手すぎる( ・Д・))


こういった地元住民らが先祖代々、努力して守り続けている文化遺産ってけっこう少ないんじゃないかなと思います。


その連綿と続いてきた行為自体が「重要な無形文化遺産」だと思います(。・ω・)ノ゙


↓たくさん押してくれてもいいんだからねっ(・ε・)ムー↓


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2019ねん 7がつ 15にち(げつよーび、曇り)

今週末は後れを取り戻すべく記事を一気に書いた。

次は報告書だな( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・



【目次】
  1. はじめに
  2. 発見された江戸時代の船着き場
  3. 江戸時代の船着き場のイメージ
  4. おわりに

1.はじめに

今回の考古学・歴史ニュースは「佐賀県の民家の下から江戸時代末期の船着き場が検出されたよ!」というお話です(*・ω・)ノ

上に挙げた図は大阪府立中之島図書館に所蔵されている『浪花名所図会』の内の一つです。

初代歌川広重によって描かれたもので「八軒家着船の図」という現在の大阪市の天満橋の当時の様子がモチーフとなっています。

この船着き場は同じ江戸時代のものとは言え、今回紹介する船着き場より大きいです。

しかしながら参考として江戸時代の船着き場のイメージはこんな感じなのです( -д-)ノ



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↑手前の階段が発見された船着き場(「dmenuニュース」の記事内画像より転載)






2.発見された江戸時代の船着き場

さて、写真にて今回発見された船着き場を紹介しましたが、保存状態が良好ですよねΣ(・ω・ノ)ノ

もしコーンとコーンバーが無ければ、「現在でも使われている古い階段かな?」とか思ってしまいそうです( -д-)ノ

発見場所は佐賀県、佐賀市の柳町です。

旧長崎街道沿いにある民家の下から見つかったそうです。

何でも、家屋を取り壊していたら下から階段が見つかったそうで、連絡を受けた佐賀市教育委員会が発掘調査を実施したのです。

報告によると幕末期に築かれたと考えられる近代的な石段の船着き場の遺構であり、雁木(がんぎ)と呼ばれる船荷の積み卸しをするための石段や石垣の護岸、側溝、建物の礎石が出土しました。

石段は計12段あり、高さ約1.6m、幅約1.8mで、石段の最上部には扉を開け閉めしたような跡があり、蔵があった蓋然性が高いとのことです。

また今回の発見は、船着き場が佐賀城下で見つかった初めての事例だそうです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

この船着き場の検出場所付近には紺屋川が流れていて、周囲には呉服屋などの商人の家が立ち並んでいたとする歴史記録が残っています。

紺屋川を利用した水運によって様々な物資が商人宅に運ばれ、そして近くに位置する旧長崎街道を通して広く商品が伝わったのかも知れませんね(*・ω・)ノ

今回の発見は幕末における佐賀城下町の街並みがわかる貴重な資料であるとともに、こうした船着き場が船荷の流通として活用された歴史を知る上で非常に重要な発見と言えるでしょう。




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3.江戸時代の船着き場のイメージ

さて、最初に江戸時代の絵画でイメージを掴んでもらいましたが、やはりサイズ感が異なるので、他に適切なものがないかなと思っていたところ発見しました!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

これは千葉県香取市にある佐原の風景です

“北総の小江戸”と呼ばれる水郷の町として有名な観光地なのだそうです。

小江戸というだけあって、さすがに江戸時代の町並みの感じがします。

また船着き場のサイズが、ちょうど今回佐賀県で発見された遺構のサイズ感とぴったりだと思います。

下に別の写真で示したように佐原では「さっぱ舟」という観光遊覧船に乗れるそうです。

ちなみに「さっぱ舟/サッパ舟」は陸中海岸の漁師がウニ漁やアワビ漁、その他、小規模な刺し網漁などに使用する小型の磯舟のことだそうですが、まぁここでは水運用ですので底が平たい小型の和船のことと理解しておきましょう(*・ω・)ノ

佐賀県と千葉県では遠いんですけど、佐賀県で本物の江戸時代の船着き場を見た後に、佐原で実際にさっぱ舟に乗って江戸風の船着き場を利用したり、古民家が立ち並ぶ江戸情緒溢れる町を散策してみたりできると最高ですね(・∀・)つ


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↑現代だからモーター付いてるけどね!(´・ω・`)(「Browse Instagram content with Picdeer」の画像より転載)


4.おわりに


今回の発見のポイントは、学術調査等ではなく、工事の際に普通の民家の下から見つかった!という点でしょうね。

民家の敷地内における発見なのですが、貴重な発見故、なんとか保存・活用してもらいたいなと思いますね。

全国の調査説明会にはおおよそ平均何人が来るのか知りませんが、今回の調査説明会には150人もの歴史ファンが駆け付けたということで、やっぱ「みんな幕末大好き(・∀・)つ」だなと感じました。

(新聞記事には「説明会に何人が来た!」って書いてるから、毎度データ化したら平均数が分かりますね……やってみようかな( -д-)ノ)

さて、まとめとしまして、『身近なところに歴史はある!』ということで、当サイトに来る人はみんな既に多かれ少なかれ「歴史好き」だと思いますが、身の回りの「身近な歴史」についてもアンテナを張ってみる良い機会かも知れません(*・ω・)ノ

↓フォロワー数1000人突破!今後とも宜しくお願い致します(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2019ねん 7がつ 14にち(にちよーび、曇り)

今月やることが3つあるのだが、どれも中途半端になっている。

まぁ仕方ない。

ひとつずつ片付けていきましょ~!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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↑住宅街に佇む本殿(。・ω・)ノ゙(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『札幌市の住宅街にある苗穂神社に行ってきたけど、休み(?)だったから御朱印を頂けなかったよ!』ってことですね( -д-)ノ



↓関連記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↓

【鳥居の考古学①】鳥居の構造と分類のお話……鳥居の起源ってよく分からないそうですよ( ・Д・)【神社の歴史】

↑「御朱印&鳥居データ集め①~⑨」も良かったら併せてどうぞ~(・∀・)つ↑


さて、またまた久しぶりに神社に参拝してきた管理人です( -д-)ノ

どうも「行こう!」と思ったら時間的に間に合わない日々が続いていました。

札幌市だけでもまだまだ御朱印を頂ける神社があるのでぼちぼちと頑張っていきたいなと思っております(*^・ェ・)ノ

では恒例の基本データから紹介しますね。


【苗穂神社】
住所:北海道札幌市東区本町2条3丁目5−35
Tel:011-781-5622
駐車場:あり(6台)

祭神:
少彦名神(すくなびこなのかみ)
;国造りの神、農業神、薬神、禁厭の神、温泉の神

創設:明治31年(1898年);札幌神社(現北海道神宮)から少彦名神の分霊を受け神社創立

例祭等:不明


さて、いつものように、「まずは頂いた御朱印のご紹介を」といきたいところですが神社が閉まっていました( -д-)ノ


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シャッターが下りた社務所(「歩け、マヤ」管理人撮影)


参拝する前に事前に調べた情報によると、苗穂神社は三吉神社の宮司さんが兼任しているとのことで、御朱印は書き置きになるそうです。

日曜日の午後一番で参拝したのですが、残念ながら不在のようでした。

近い内に平日の昼間に再チャレンジして、密かに追記&御朱印upしておきますね( ・Д・)

また、下に挙げましたように、神社の裏手から入れる駐車場がありまして、おおよそ6台程度駐車できるスペースがあります。

立派な樹々もあって素敵な雰囲気でした(*・ω・)ノ


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↑左手に僅かに駐車場の端が見えている(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑苗穂神社の石碑(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑苗穂神社の鳥居(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑苗穂神社の鳥居の建立年情報(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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苗穂神社の鳥居の下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、今回も鳥居のデータを取得してきましたので紹介していきますね(*・ω・)ノ


【諏訪神社 / 入り口付近にある鳥居】
①建立:1977年(昭和52年)
②素材:金属製(中空)
③高さ:約5m?
④直径:36cm
⑤角度:斜め(斜度2°)
⑥下部構造:円形台石(11cm)


まず建立年に関して久々にプレートがあるタイプでした。

ここずっと建立年不明だったので、どうしようかなと思っていたところでした(/TДT)/

台石は円形のもので、やや高めでした。

以前、非常に高い台石のことを新しく「台座」として下部構造属性を設定しましたが、これには相当しないかな~という難しい高さです。

数が増えれば検討できるのですが、まだできそうにないですね( -д-)ノ

また、比較的新しい鳥居は、中空の金属製の傾向があるのかなとも思っています。


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↑苗穂神社の入り口の門(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑上部はこんな感じ(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑建立年情報と下部構造(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、これまでの参拝では初となると思うのですが、苗穂神社の入り口には屋根付きの鳥居状の構造物がありました。

調べてみたところ、「簡易の楼門」に分類されるのかなと思います。

詳しい方がいらっしゃいましたら、是非コメントをお願い致しますヾ(´ω`=´ω`)ノ

屋根が付いている点と柱が島木を抜けて屋根部にまで到達している点、島木が柱から外に飛び出していない点から、鳥居というよりは通常の「門」としての構造だろうと思います。

一応データは取っておきましたが、新たな情報が入るまではひとまず鳥居としてカウントしないことにします( -д-)ノ


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↑苗穂神社の手水舎(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑苗穂神社のお賽銭箱は金属製だった(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑古い木製の電柱がイイ感じ(「歩け、マヤ」管理人撮影)

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おわりとしてまして……最後の写真、上手く撮れたかな~なんて思ってます( ・Д・)

最近天気悪かったので、青空が少し見えただけでハッピーですね。

ところでこの昭和風な電柱、イイ感じですよね。

木材はかなり劣化していますが、まぁまだかなり立っていられるでしょう。

今度、苗穂神社を訪れた際には、是非忘れずにいつから立っているものなのか?」を訊いてみたいなと思います。

木製の鳥居に出会うことも稀にありますからね、正直、材質が何であれ、それぞれどれくらいの期間が限度なのか、あるいはどれくらいの期間ごとに再建立するものなのか、取り換えられた古い鳥居はどうなるのかを知りたいなと思います(。・ω・)ノ゙

↓御朱印集めが趣味な方、かもーん!щ(゚Д゚щ)クァモーン!↓

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2019ねん 7がつ 13にち(どよーび、雨)

毎週土曜日は徹夜の日にしようかなと考え中。

時間の確保のために( ・Д・)


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一乗谷朝倉氏遺跡復原町並
一乗谷朝倉氏遺跡復原町並
一乗谷朝倉氏遺跡復原町並
一乗谷朝倉氏遺跡復原町並
福井県、「一乗谷朝倉氏遺跡復原町並」における戦国時代の城下町の様子(「毎日新聞」の記事内画像より転載)


今回の考古学・歴史ニュースは、『駿府城にて国内でも非常に珍しい戦国時代の「道」が見つかったよ!』というお話です(*・ω・)ノ

  1. 駿府城における「戦国時代の道」の発見
  2. 日本における「道の歴史」
  3. おわりに


1.駿府城における「戦国時代の道」の発見

つい先日、静岡県、駿府城公園の天守にて大きな発見があったばかりですが、更なる重要な発見がありました。


↓瓦の歴史】安土桃山時代、徳川家康の駿府城から豊臣秀吉の金箔瓦が大量に出土したよ!( ・Д・)【歴史考古学・城郭考古学】↓



上に挙げた写真は福井県にある「一乗谷朝倉氏遺跡復原町並」で行われたイベントの様子で、戦国時代の城下町に武士や町人に扮した人々を配置して当時の雰囲気を味わってもらうというものです。

この「朝倉氏遺跡」では国内でも数例しかない「戦国時代の道」が検出されており、「復原町並」ではその調査成果を活かした復原がなされています。

写真には復原された「武家屋敷の石垣と道」が写っていますが、けっこう道幅が広い印象を受けます。

一方で今回、駿府城周辺にて検出された「石垣に囲まれた道」はイメージとしては同様のものですが、道幅はより狭いものになります。



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上の1枚目の画像で分かるように、前回の発見の舞台は駿府城公園内の天守台でしたが、今回の発見場所は公園の周辺に当たります。

この位置に歴史文化施設を建設すべく、事前に調査がなされていたところ今回の発見に至りました。

「戦国時代の道」は貴重な発見ですから、博物館展示の目玉の一つとして、床面をガラス張りにして遺構を確認できるような方法を取るのかなと私は予想しております( -д-)ノ

さて、最初に挙げた朝倉遺跡の写真は当時の道の様子をイメージしてもらうのに最適で、上に挙げた2枚の画像は実際の遺構の状態と道の様子をリンクさせるのに適切かなと思って載せました。

次に実際の遺構の写真を挙げますが、「よく分からないよ!ヽ(TдT)ノ」という方はこれまでの3枚の画像と比較してみると理解が深まるかと思います(。・ω・)ノ゙




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これが検出された道なのですが、お分かり頂けたでしょうか?

現地表面から60~100cm掘り下げた位置にて検出されたとのことで、けっこう浅目ですからね、よく残っていたなと思います(・∀・)つ

検出された道の全長は約30m、幅は約2.7mでした。

この「戦国時代の道」の検出場所は三の丸であり、この一帯には駿府城の本丸、二の丸を囲むように、重臣級の武家屋敷が立ち並んでいたと考えられます。

武家屋敷の石垣と考えられる石列に挟まれた道は、表面が土で固められており、その表層部分は厚さ約10cmとなっています。

検出された石垣の高さは約30cmであり、天然の石がそのまま積まれる技法の「野面積み」です。

これは前回の記事で紹介した駿府城の「旧」天守台における技法と同じものになります。

この石垣に用いられた技法と出土品から、「旧天守台」と類似の時期(家康期~中村一氏期;1585~1606年頃)に造営されたものと推測されています。

また天下人となった家康が駿府城に戻った1607年以降、大御所政治を始めたころ、秀吉時代に築かせた天守閣とともにこれらの武家屋敷や道も埋められた可能性が高いとされています。



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2.日本における「道の歴史」

「其实地上本没有路,走的人多了,也便成了路」
(訳:実際、地上に道は初めからあるのではなく、多くの人が歩くから、それが路となるのだ)

魯迅『故郷』より引用、一部改変(着色・太文字化のみ)

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る

ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

高村光太郎『道程』より引用、一部改変(着色・太文字化のみ)

さて、上に引用したように「道」に関するカッコイイ表現があります。

これらの場合の道は「物理的な道」のことのみを取り扱っているようには思えませんが、字義通りに捉えるとすると、まぁ確かに道は元々あるわけではないですし、人が歩くことで道は出来ますね。

「獣道」っていうんですど( -д-)ノ

獣道は実際にイノシシなどの大型の哺乳類が頻繁に通ることで形成されますが、一部の林道・山道など整備することなく人がただ歩くことで形成される場合も獣道と呼びます。

考古学の性質上、人類を対象とした場合、こうしてヒトによって踏み固められることで自然と出来上がった所謂「獣道が最初の道」と言えるでしょう。

こういった最初期の道は原始的な生活を送っていた文化に見られるものというイメージがありますが、青森県の三内丸山遺跡では縄文時代に帰属する全長約12mの舗装された道路が検出されており、国内における道路の歴史はかなり古いものと言えます。

また日本書紀における神武東征の箇所で、「皇師兵を勅へて歩より龍田に赴く。而して其の路嶮しくして、人並み行くを得ず。」という記述が見られます。

これが国内における道路に関するの最も古い記述であり、当時の道路は人が2列で行進することができないほど狭いものであったようです。

同じく日本書紀の推古天皇下の613年に「難波より京に至る大道を置く」とあり、これが日本における道路整備に関する最初の記述です。


上に挙げた図は、7世紀後半に律令制が制定されて広域地方行政区画として定められた五畿七道の図です。


ここから日本で最初の計画的な道路網の整備が始められることとなります。


鎌倉時代には、源頼朝が支配圏を拡大していくために道路整備を積極的に行っており、特に東国の関東武士が鎌倉へ集結するための関東各地と鎌倉とを結ぶ鎌倉街道が切り開かれました。

一方で室町時代は、道路や交通に対する目立つような施策はほとんど見られず、数多くの関所を設けて通行人から通行税をとる政策しか行われなかったようです。


さて、今回の記事と繋がる戦国時代には、各戦国大名にとって物資の往来、敵からの防御が死活問題であったため、軍事面の問題から領内の道路整備や峠の開削が積極的に行われました。


室町時代からの慣習で領国の境には多くの関所が設けられて通行税の徴収が行われるようになっていたましたが、織田信長や豊臣秀吉は天下統一のための支配圏拡大を行っていくにあたり交通路を重要視し、道路改修や橋梁整備を積極的に行い、国の境にあった関所を廃止しました。


「全ての道はローマに通ず」とありますけども、あちらでも古代の道路網は軍道の整備として充実していきますから、「道の歴史」として共通性を感じますね。

何はともあれ、物流の効率化を図ること、そのための道路整備は国家段階の集団にとって重要だったのだろうと思います(*・ω・)ノ



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3.おわりに

静岡市では駿府城公園を文化資源として活用しようという動きが活発であり、現市長が全面的に支援しています。

そうした中、このように立て続けにニュースになるような発見がなされることは市長だけではなく、静岡市民、関係者らにとっても嬉しいことだろうなと思います。

戦国時代好き、歴史好きな皆さんにとっても、貴重な「戦国時代の道」を博物館で生で見ることができるようになるかも知れないと思うときっと喜ばしいことだと思います。

ふるさと納税など様々な試みがなされている中、こういった各市町村が有する具体的な文化財をしっかりと調査して歴史的意味付けを行い、上手に活用していくことで、「真の地元愛」を育てたり、歴史ファンを含む多くの観光客を惹き付けることに繋がるんだろうなと思います(。・ω・)ノ゙

↓あ~それそれ!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ↓

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2019ねん 7がつ 13にち(どよーび、曇り)

本を買いたい欲が凄い。

自分が本当にやりたい研究のために、様々な勉強が必要だと実感した今日この頃。

今年は有意義な一年になりそうだ( -д-)ノ


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さて、今回の考古学・歴史ニュースは『古代ローマ、ポンペイで出土した「最後の晩餐」はまだ食べれますよ?』ってお話です(*・ω・)ノ

【目次】
  1. 世界最古の博物館と、イベントの紹介
  2. 驚きの保存状態の食べ物を見よ!
  3. おわりに

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↑ハリー・ポッターでお馴染みのグレートホール(「Google」の画像検索結果より;*元ページが存在しないようです)


1.世界最古の博物館と、イベントの紹介

ということで、まず上に挙げた画像たちはイギリスにある超名門大学、「オックスフォード大学」の様子です。

オックスフォード大学は英語圏で最古の大学であり、記録では11世紀の終わりには講義を行っていたそうです。

当時の学生は弓矢等の武器類を携えて受講したのだとかΣ(・ω・ノ)ノ

そんな世界一の大学が有する博物館はぱっと数えたところ、5つもあるようです。

特に考古学博物館を二つも有しており、その所蔵数も莫大な量を誇ります。

今回紹介するアシュモレアン博物館(Ashmolean Museum of Art and Archeology)はその内のひとつなのです。

今回新たに開催される特別展、「Last Supper in Ponpeii(ポンペイにおける最後の晩餐)」は、2019年7月25日より2020年1月12日までの日程で行われます。

イギリスなので気軽に行けるわけではありませんが、よろしければどうぞ!

今回の記事では日本在住の方はなかなか気軽には行けないので、特別展と展示物の一部を紹介したいと思います。





2.驚きの保存状態の食べ物を見よ!





先にも述べたように、この特別展のタイトルは「Last Supper in Ponpeii」です。

レオナルド・ダ・ヴィンチの名画で有名な「最後の晩餐」にかけて訳してみましたが、実際に「Supper」は「晩餐」という意味の他に、「軽食」の意味があるそうです。

昼に正餐(しっかりとした夕食)を取った場合に軽く夕食を取ることをサパーというようです。

昼に夕食というのは何だか妙な感じがしますが、中世ヨーロッパではそれが普通だったようです。

当時は一日2食が一般的で昼と夜に食べていました。

(朝ごはん抜きの文化は古いんですね( -д-)ノ)

そして一番エネルギーの必要な昼に正餐を取り、夕食はサパーで軽く済ましていたようです。

なんだか健康的な食習慣ですよね?Σ(・ω・ノ)ノ

ということで、ポンペイから出土した今でも食べれそうな遺物はこちらです!


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一気に紹介しましたがいかがでしたでしょうか?

パンはたくさん出土しています。

丁度、サパーを取る時間帯に噴火したのでしょうね(/TДT)/

一番最初に挙げたパンが本当に、その辺で売ってそうなパンですよね。

実際に古代ローマのフレスコ画に残るパンも形状が一致していますし、驚きの保存状態です。

色調だけは変わってしまっていると思いますが、チョコレートパンにしか見えませんね。

触れることのできる展示なら、私は間違えて食べます( ・Д・)

たくさんパンが出土する中で、やはりヒビが入っていたり、押しつぶされているものも実際には多数ありました。

そのような中で、半分に切ってある状態のパンは上に挙げた写真しかありませんでした。

まさに夕食を取っていた際に起こった悲劇なんだなと痛感させられますヽ(TдT)ノ





3.おわりに

まぁ今回、勝手に「まだ食べれるよ?( ・Д・)シリーズ」と題しましたけど、以前にもまだ食べれそうな遺物の話があったと思います。


↓【「ラーメンの考古学」番外編】人類史上最古の麺が今でも食べれそうな件について。4000年前の麺はお湯かけて3~5分でイケそうである( ・Д・)【むしろこっちが正当な考古学】



上のこれがライブドアブログの新機能である「リッチリンク」なんですけど、当サイトのタイトルは基本的にバカ長いので内容分かりませんね( ・Д・)

しかも書き出しが「幼稚園児の日記風」にしてあるので猶更中身が分からんという事態になってますヽ(TдT)ノ

しょーがないので、上の例みたいにタイトルを併記したいと思います( -д-)ノ


他にも食べれそうな保存状態いいやつと言えば、こんなのもありましたね。


↓【中国の奇跡】2500年前の古代中国にも『超卵好き』がいた!?墓から大量の卵が無傷で見つかったよ!( ・Д・)【考古学】


↓お酒の考古学~フィンランド編~】最古のビールシリーズ④!古代人も現代人も世界中みんなビールが大好き過ぎる!【お酒の歴史】
 


他にも「弥生人の脳みそ」とかポンペイネタでも色々ありましたけど、今後このシリーズではあくまで食べれる系を紹介することにします。

まぁ滅多にないでしょうけどね!( ・Д・)

↓食べれそうだと思ったらぽちっとな!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2019ねん 7がつ 11にち(もくよーび、晴れ)

予定していた統計学、データ分析に関する基礎的な勉強を終えた。

ひとまず手持ちのデータを使っての考古学への導入実践も成功した。

だからずっと記事書いてなかった!

ごめんねっ!!!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは、「史実として家康の居城であった駿府城から、何故か秀吉の金箔瓦が大量に見つかったよ!」というお話です(*・ω・)ノ


【目次】
  1. そもそも徳川家康と豊臣秀吉の関係とは?
  2. 金箔瓦の出土状況からの推測
  3. 金箔瓦の歴史
  4. おわりに


1.そもそも徳川家康と豊臣秀吉の関係とは?

1582年に起きた「本能寺の変」によって織田信長の死後、家臣であった羽柴秀吉は天下人としての道を突き進んでいきます。

この本能寺の変はドラマや漫画でもよく題材として取り上げられ、とても有名ですね( -д-)ノ

このビッグイベントの後すぐに、羽柴秀吉は家康を家臣にしようと考えますが、家康はこれを拒否します。

しかし秀吉が僅か3年後である1583年に関白となり、翌年1584年には正親町(おおぎまち)天皇から豊臣の姓を賜って豊臣秀吉として名実ともに天下人となります。

これを受けて家康は豊臣秀吉の家臣となります。

豊臣秀吉は家康を重用し、期待に応えた家康の官位を上げ続け、羽柴姓も与えました。


1598年に豊臣秀吉が病死した後、内大臣の家康が朝廷の官位で最高位となります。

また豊臣秀吉から息子の秀頼が成人するまで政事を家康に託すという遺言を受けていたため五大老筆頭として認められるようになります。

その後、家康は自身の権力を利用し、豊臣秀吉が禁じた大名同士の婚姻を成立させるなどの行為から反発を買い、結果として豊臣家と対立して滅ぼしてしまいます。

まぁこれがよく「家康は狸」と言われる所以ですね( -д-)ノ






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2.金箔瓦の出土状況からの推測

さて、今回の発見があった場所は駿府城(すんぷじょう)です。

この駿府城は静岡県、静岡市葵区に所在しています。

上に挙げた1つ目の画像に見られるように、駿府城は1635年の火災により天守が焼失しました。

その後は天守台(天守の下の石垣造りの土台)だけが残っていましたが、1896年(明治29年)に当時の軍部の下で天守台は取り壊され、その土砂で本丸堀が埋め立てられました。

静岡市では、かつて天守が建っていた跡地の整備方針を決定するため、事前に天守台の正確な位置や大きさ、石垣の残存状況などの学術的データを得ることを目的として発掘調査が計画されました。

この発掘調査は、2016年に開始し、2020年まで実施予定となっています。

駿府城は駿府城公園として公開されており、上の2つ目の画像のように公園敷地内の一部が発掘調査対象区域なのです。

まぁ恐らくは静岡市が観光資源として活用するために学術調査を行った上で天守閣の復元を行うのかなと個人的に思っています( -д-)ノ




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さて、先ほどの年表にもあったように、駿府城は2度、築城されています。

この2度目の築城の際に、天守を完成させたのが家康です。

この時の天守台(復元)の写真が上の1枚目のものになります。

今回のより古い天守台は家康期の天守遺構と重なる配置から検出されており、3枚目の写真のように旧天守台の一部が残存しているのが確認されました。

2枚目の写真から分かるように2つの遺構は南東角で重なっています。

この天守台は南北約37m×東西約33mで新天守台(家康期)のものよりも一回り小さいものであり、旧天守台を壊すことでその周囲の堀を埋め立てて、その後に新天守台が建造されています。

この埋め立てられた旧天守台周辺の堀から、330点もの大量の金箔瓦が出土したのです。

この旧天守台の石垣を建造する技術は新天守台とは異なっており、旧天守台の石垣では自然石を積み上げた野面積みの技術を用いていることが豊臣期の特徴です。

また金箔瓦を作る技術も豊臣期の特徴を示しています。

公式の発表では、発見された旧天守台は1590年に江戸に向かった家康の代わりに入城した中村一氏が築城したものとされています。

でもそうなると、「1585年に築城が開始された1度目の家康の天守台はどこなのか?」という問題に突き当たるのではないかと思います。

この時代に関して門外漢ではありますが、出土した遺物と遺構から、今回発見されたのは家康による一度目の天守台ではないかと思います( ・Д・)

一氏が入城したのが1590年であり、この最初の天守台は1588年に完成したばかりですから、そのまま利用した可能性もあるでしょう。

戦国時代で城主が変わると天守が変えられることが一般的でしたが、この駿府城の場合、落城したわけではありませんし、元の城主である家康は秀吉のお気に入りなわけですから、一氏が天守に手を加えたとしても一部であり、天守台の石垣などの基礎部分はそのまま利用したと考えられるのではないでしょうか。

家康が天下統一を果たしてから駿府城に戻り、二度目の築城を行ったのは過去に自分が豊臣家に仕えていた際に築造した天守を、あるいは豊臣側の一氏が少し手を加えた天守(どのみち豊臣期様式)を変えたかったからかも知れません。

やはり史料として中村一氏が築城したということが記載されておらず、かつ考古学的にも3期に渡る遺構が確認されていない以上、今回発見された旧天守台を中村一氏の城とするのは飛躍があるかなと思います( -д-)ノ

(もしかしたら史学的根拠があるのかも知れません。知っている方は是非コメントお願いします!)


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3.金箔瓦の歴史

金箔瓦は1576年に信長が築いた安土城で初めて本格的に導入されました。

元々、掘立小屋のような簡易な建造物しかなかった城に、礎石を用いた瓦葺きの本格的な建造物が全面的に採用されたのもこれが初めてと考えられています。

この織田信長によって始められた金箔瓦の採用を含む新しい建築様式は、「使用制限」があり、織田政権の財力・権力の象徴的として機能しました。

一方で続く豊臣秀吉は自身が金箔瓦を用いた城を築城するだけではなく、豊臣家の一門や重臣たちの間で普及させました。

そしてその後、近世城郭の普及に伴ってに金箔瓦も全国に広まっていきました。

ですので金箔瓦を有する城は多数あるわけで、近年の城跡の調査によって全国の広域に渡って金箔瓦が出土することが確認されています。

上に挙げた写真の京都府にある聚楽第(じゅらくだい)跡や、宮崎県の佐土原城、福島県の会津若松城など全部で41の城郭で確認されています。


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↑金箔瓦を有する城郭の分布(「攻城団」の記事内画像より転載;*上述の41の金箔瓦を有するお城について分かり易く整理されていますので、興味ある方は是非覗いてみてください(*・ω・)ノ)






さて、上に挙げましたように、金箔瓦には大きく2つの様式があります。

信長時代の金箔瓦は装飾瓦の凹んだ部分(地の部分)に金箔が貼られ、模様部分を黒く浮かび上がらせるという方法が取られていました。

一方で秀吉時代の金箔瓦は、凸部分である紋様部分や縁の部分に金箔が貼るという方法が取られていました。

また金の純度は信長時代の方が高かったようです。

秀吉の時代は豪華に飾り立てる「見せる」お城の重要性が高かったため、たくさん金箔を使うには純度を落とす他なかったのかも知れませんね( -д-)ノ




4.おわりに

たまたま瓦の研究をしていた先輩がいたため、瓦の分類や編年が存在することは知っていました。

まぁ瓦から時期や帰属する武将が分かるのは、土器の専門としてすっと理解できるんですよね。

似ている(?)と言えば似ているので( -д-)ノ

一方で城郭考古学なるものもTwitterという文明の利器のおかげで最近知りました。

詳しくはもちろん知りませんが、対象を「城郭」を中心にしているということなのでしょうか……

(では土器を扱っていれば「土器考古学」なのかという疑問も残りますが、『~(なんちゃら)考古学』あるあるなのでそっとしておきます( ・Д・))

城郭とは、城(または町)を敵の攻撃から守るための施設。城の囲い。くるわ。更に広く、城(wikiより転載)。

論文に当たっていませんが、さらっと調べたところ、やはり城郭を対象とした考古学のようですね。

私には「城郭考古学」としてカテゴリー化する必要があるほど、この分野が中近世の歴史学・考古学に強い影響を与えるのか、その評価はできません。

しかしながら石垣等の遺構の築造技術からの分類と編年作成は面白いなと思います。

城郭の総数が気にかかるのと、編年といっても築造年代は史学で大体分かっているのではないか、よほど特徴的な技術でければ同時多発的に発生するのではないか、予算等の事情で築造方法を簡易化する(旧技法を用いる)可能性もあるのではないかと諸々の疑問が溢れます。

批判しているかに見えるかも知れませんが、ぱっと疑問が溢れるということは「面白い」ということです。

どれも検討する必要があり、その複雑さが研究をより一層面白くするわけですからね(注:ドMではない( ・Д・))

さて、古代マヤの建造物に関するこの手の研究は比較的進んでいませんし、応用できるかは分かりませんが、建造物遺構に対する視点として是非加えておきたいなと思いました。

お城好きな方々も多いと最近身に染みて分かるようになりましたが、私も石垣を見れば時期と築造方法を同定できるようになりたいものです。

次の記事は「石垣の分類」かな!?

・・・・・・ところで世界も広いし、歴史の範囲も広いねっ!( ・Д・)

苦手ながらも専門外のこういう記事を書いていけば、慣れるだろうし、見識も広がるかと思っていましたが道程はほんとに長いなと思います。

でもまぁのんびり頑張ります!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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