2019ねん 12がつ 31にち(かよーび、晴れ)
今年はそれなりに頑張った。
来年はもう少し頑張りたい!
それが私の抱負です(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!
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↑個人的にまとめてみたよ!良いお年を!(credit by Arche Maya)
今回の考古学・歴史ニュースは「2019年の考古学的発見&歴史的発見TOP3をまとめてみたよ!」ということです(*・ω・)ノ
何だか月日が経つのは本当に早いものだと思いますね~。
そんなこんなであっという間に過ぎ去った2019年における考古学あるいは歴史に関する大きな発見を個人的にピックアップしてみましたので紹介します。
それではいってみましょ~!(*^・ェ・)ノ
第3位 日本、7世紀に未知の南海トラフ地震の痕跡が発見される!
日本国内の発見からも一つ取り上げようと考えた結果、未知の南海トラフ地震の痕跡の発見を推したいと思います。
過去の記事のどこかで書いた気もしますが、地震の周期予測は特定の期間を過去に起こった地震の回数で割っただけなのです。
例えば分かり易く、1000年の間にとある地震が10回起これば、その地震の周期は100年ってことになります。
地震大国の日本では地震に関する研究は重大な関心ごとであり、莫大な研究費が投じられているわけですが、
肝心の地震の予測自体には歴史的な記録や地層に残る記録、つまり歴史学や考古学成果が利用されているわけです。
日本だけ文系・理系とかナンセンスな区分で差別せずにしっかりして欲しいものですよね(゚Д゚)ゴルァ!!
個人的には、「科学は分野がどれだけ細分されども知識の体系として最終的に一つのもの」だと考えています(*・ω・)ノ
↓地震に関する記事はぱっと検索したらこれだけだった( ・Д・)
↑良かったら併せてど~ぞ(。・ω・)ノ゙
ちょいと愚痴りましたが、今回の発見は太平洋に面した静岡県、磐田市の太田川河口付近でなされました。
河口から2~3キロ遡った川岸で、深さ4~5メートルの地層を調べたところ、津波で運ばれた4層の堆積物を確認できたそうです。
堆積物の厚さや河口からの距離などから、津波を起こしたのは、東海地方や紀伊半島東部の沖合で発生したマグニチュード8以上の南海トラフ地震と判断しました。
また堆積物に含まれた植物片由来の試料に対する放射性炭素年代測定結果から、最も古い堆積物の帰属年代は飛鳥時代の7世紀末と判明しています。
2018年頃からでしょうか、近年南海トラフ地震が起こるかも知れないとして、一般テレビ放送やYoutube等でもかなりの関連情報が人気となっていました。
先に述べましたように、たった1例多く確認されるだけでも地震周期は伸びる方向に修正されますからね。
日本に住む者、特に南海トラフ地震の影響を強く受けるであろう地域に住む者にとっては重大な発見であったろうと思います!(。・ω・)ノ゙
↑出土状況として、周りが泥でぐちゃぐちゃだな!(「JIJI.com」の記事内画像より転載)
第2位 ギザ近郊で貴重なラムセス2世の胸像が発見される!
日本人がエジプト好きってのもあると思いますが、古代エジプト関連のニュースは多いですよね。
国内で大体ニュースになるのはエジプトと南米関連です。
共通点はエジプトは早稲田大学、南米は東京大研究室一派と昔から日本の調査団が設置されていること、もう一つは両者共に黄金製品が出ることですね。
まぁあとは両方ともミイラも出ますけど、遺物が一般の方々の目を惹き、展覧会等で知名度も上がればお金にもなるっていう点が大きいかなと思います。
さて、今回は古代エジプト国王ラムセス2世の希少な胸像が見つかりました。
ラムセス2世は古代エジプトの中でも有名で、皆さん聞いたことのある名前だと思います(。・ω・)ノ゙
場所はエジプトの首都カイロの南に位置するあの三大ピラミッドで有名なギザの近くです。
この胸像は高さ102cmで幅55cm程度のサイズで、ローズ花崗岩製です。
硬い花崗岩を加工して作っているので細かい彫刻痕が残っていて美しいですよね。
北海道の黒曜石として有名な「花十勝」っぽい色合いで綺麗だなって思いました~( -д-)ノ
この像の頭部には「カー(Ka)」を象徴する記号が見られます。
これは古代エジプトでは人や神の生命力を表し、死後に人物や神を模した彫像に宿るものとして考えられ彫られたと思われます。
・・・・・・さて、少し気になる点があるのです( ・Д・)
エジプト考古省の調査チームが担当したそうなので、まともな発掘調査なのでしょう。
場所はギザ近郊で、近くに古代都市メンフィスの遺跡があるそうなので、こういったものが出土することには特別不思議な感じはしません。
だけど、、、なんでこんなに周りがドロドロ、ぐちゃぐちゃなの?
なんで「出土した」はずの彫像が現地表面と同レベル(同じ高さという意味)なの?
最初に挙げた写真だと、奥に建造中のブロック壁がありますよね。
まだ壁面や接合部が乾いていないくらいに新しいものです。
ここは私有地なので、空き地に新たな建物を建てようとして見つかったのかも知れませんが、周りとか掘ってないように見えません?
高さ102cmって約1mの彫像がほぼ現地表面に立っていることになるし、元々ここには1m以上の土盛でもあったのでしょうか?
少なくとも1m以上の掘り下げを行って露出するものだと思いますし、周りは雨でぐちゃぐちゃの地表面、しかも平らにしようという意思すら感じられない……
考古学者としては非常に不思議な写真です(つд⊂)ゴシゴシ
某大学の記事で、エジプトの現地の掘り手は僅かな差も見分ける発掘のスペシャリストと書かれていましたが、こんな掘り方するのかな~、スペシャリストは違うぜ!と思いますね。
普通は現場写真ですら綺麗に清掃するのに、報道用にこれですか?
厳しく言うなら、出土品を綺麗にするだけなら、ただのトレジャーハンターでも出来ることだと思いますね!( ・Д・)
ま、でも胸像、綺麗だからいっか!(゚∇゚ ;)エッ!?
↑背面には神聖文字が刻まれている(「AFP BB NEWS」の記事内画像より転載)
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第1位 古典期マヤ文明、ティカル遺跡の近くで大規模な要塞都市が発見される!
堂々の1位は、独断と偏見で古代マヤ文明から引っ張ってきました。
贔屓目なしにも重要な発見だと思います。
というのも、1960年代頃までのマヤ考古学では「古代マヤは戦争なき、平和な文明」とうたわれてきました。
研究者あるあるですが、自分たちの専門領域あるいは研究対象に対して、ある種の特別感を抱いているものなのです。
なので当時は「人類史上稀有な平和な文明」であることが『チャームポイント』だったわけです。
1960年代以降の広範な調査によって様々な考古学・碑文学・図像学データが集積し、1990年代までには「古き良きマヤ文明像」は新たな方向へと修正されていくことになります。
現在では古代マヤの諸都市国家は同盟組んで戦争バチバチの社会であったろうと推測されています。
かく言う私も同意見で、より積極的には「マヤ文明の発展と崩壊の様相とプロセスは、現代社会の国家間の問題と未来を示すミニコスモとなり得る」と考えています。
個人的には宇宙人襲来や隕石や火山噴火で人類は滅びないかなと思ってます。
結局『ヒトを殺すのはヒト』だと思っているわけです。
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さて、今回の発見のすごいところの一つはその位置でしょうか(一般的には別に凄くないと思います( ・Д・))。
ラ・クエルナビラ遺跡は古典期マヤ文明の最重要遺跡の一つであるティカル遺跡と、歴史的関係性の深さが指摘されているエル・ソッツのおよそ中間地点に位置しています。
上に挙げた写真に見られるように、ラ・クエルナビラは尾根を利用して造られた天然の要塞都市であるだけではなく、大きな堀と城壁(白い点群の部分)を有しているのです。
投石用に貯蓄されていたと考えられるレキ群も見つかっており、当時の戦争の激しさを物語っています。
個人的に気になるのは、ラ・クエルナビラとティカル、エル・ソッツとの関係性ですね。
私は土器経済関係から諸都市間関係を明らかにしていきたいと考えていますので、今後の調査でどのような遺物(主に土器)が出るのか楽しみにしています。
来年辺り、また新たな報告が出来る気がしますね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!
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おわりに
さて、来年(?)の抱負は向こう2年くらいでティカルの土器生産址の検出を証明して、ティカルに関する書籍出して、ウィキペディアに名前載るように頑張ることですかね!
あと、ティカル遺跡の動画を撮影して、YouTubeにアップすること!
あと、ブログの更新を頑張ること!かな(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!
皆さんの抱負は何でしょうか?
それでは、良いお年を~ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ
↓来年も宜しくお願い致しますヾ(´ω`=´ω`)ノ↓