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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2020年08月

2020ねん 8がつ 30にち(にちよーび、激しく雨)

安西先生、二連休が欲しいです(´・ω・`)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




今回の考古学・歴史ニュースは「ツタンカーメンの下着は高級品だったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ

考古学って、どんな学問? 遺跡は全国にいくつあるの? そんな子どもたちの質問に答えてくれるWEBサイト「全国子ども考古学教室」(https://kids-kouko.com/別ウインドウで開きます)ができた。ありそうでなかった入門ガイドに、子どもたちはもちろん、大人の歴史ファンからも歓迎の声が聞こえてきそうだ。( ・Д・)

まぁタイトルに使った「勃起して死んだツタンカーメン」ってのは語弊がありますね。

そのせいで死んだみたいにもとれますし(*^・ェ・)ノ



(敢えてその表現を選んでいるのですがね( ・Д・))


↓勃起死したファラオの話ヾ(´ω`=´ω`)ノ

↑さすがに悪ふざけが過ぎるか( -д-)ノ



上に挙げたリンク先で詳しく書いているように、ツタンカーメンは勃起が原因で死んだわけでもなく、勃起した状態で死んだわけでもなく、ましてやテクノブレイクで死んだわけでもありません。


勃起状態になるようにしてミイラとして埋葬されたのです(*・ω・)ノ


さて、今回はそんな「the 勃起ミイラ君」であるツタンカーメン王の下着は高級品だったよ!ってお話なのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




ツタンカーメン王と言えばBCE14世紀の古代エジプト王です。

黄金のマスクで超有名な少年王ですねヾ(´ω`=´ω`)ノ



彼の墓室には多数の副葬品があったわけですがその中のひとつが上に挙げた写真のものになります。




二枚の布切れに見えますが、、、


上の布が頭に巻く頭巾です。

下の布が古代の下着、所謂「ふんどし」です。




このふんどし等の布製品に対して化学組成分析を行い、素材を調べたところ、上質の亜麻布であることが判明しました。

非常に細い糸を用いて製作されており、1cm当たりの織りの密度を計測すると、下着は75~80本と最も緻密に織られていることが分かりました!

ツタンカーメン王の下着は高級な品だったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ



この下着を含めて全部で約400組もの服飾品が副葬されていて、その内、下着だけで146枚確認されています。

やはり王様はたくさんお着換えするようですね(*^・ェ・)ノ




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↑貴重な布製の資料(上の三枚は「カイロ ~天使たちの暮らす町~」の記事内画像より転載)




これらはいずれもツタンカーメン王の応募から出土した貴重な布製資料になります。



一番上の写真が古代の肩掛けバッグです。


現代でも使えそうですよね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




真ん中のものはチュニック(貫頭衣)です。


現在の博物館のミュージアムショップで売ってそうな、『古代エジプト感』でいっぱいの図柄ですねヾ(´ω`=´ω`)ノ



最後のものはシーツです。


非常に保存状態が良く、また高品質なものですから、現代社会でも十分通じるレベルだと思いますΣ(・ω・ノ)ノ





↓エジプト関連は記事多めですね~(*・ω・)ノ










↑気になった記事があれば、是非!(・∀・)つ



おわりに

映画とか見てると、古代の王族・貴族は綺麗に着飾ってます。

やはり現代の技術で作られた衣装ですから、美しく映えて見えます。

でも今回の記事からすると、古代といえど、王族・貴族が着てた衣服は非常に高品質で現代にも十分に通じるものだったということが分かると思います(*・ω・)ノ



今回の記事の中心であるツタンカーメンのふんどしも非常に精巧なものでした。

しかし、ふんどしはふんどし……

パンツのデザインはおしゃれじゃないのね!( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 29にち(どよーび、曇りのち雨)

やるべきことをひとつずつ片付けていきたい!(*^・ェ・)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「世界最古の看板は売春宿のものだったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ

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今回の舞台はトルコです。

トルコ西部にあるギリシャ文明に帰属するエフェス遺跡は現在世界遺産に登録された観光名所となっており、今回紹介する遺物は同遺跡で見ることができます。



エフェスは現在のトルコ語の読み方なので、世界史等で習った時は古典ギリシャ語読みである「エフェソス」の方かなと思います。

「エフェソス公会議」とか聞いたことありませんか?(*^・ェ・)ノ



……さて、今回のは看板は、もちろん現在までに資料として発見、確認されている中で最古という話です。

上に挙げた写真がその最古の看板なわけですが、「石製」ですね。

RPGの武器や宿屋の看板のようなものがあったかも知れませんが、掛けるタイプのものは比較的軽量な木製品であったと思われ、残存していません( -д-)ノ



この石製の看板は地面に配置された石板のひとつです。

そのため必然的に石製であり、残ったわけですが、、、

「所謂、床石なのに看板なの???」って思うかも知れません。



……これには理由があるのです( -д-)ノ




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こちらの写真は同じエフェソス遺跡にあるセルシウス図書館です。

イオニア人(所謂、古代ギリシア人)によってBCE11世紀に建設されました。

当時の姿として忠実に復元されており、エフェソス遺跡随一の見どころとなっています(*・ω・)ノ

記録によると蔵書量はおよそ1万2千冊だそうで、古代ギシリア文明の繁栄ぶりが伺えますね。



本というのは古代においては貴重品であったわけですが、このセルシウス図書館はなんと特権階級層だけではなく一般層の人々にも開放されていたそうです。

そしてこの図書館には地下通路があって、例の売春宿に通じていたことが分かっています。




ということで、古代ギリシアのお客さんは図書館に行くふりをして、密かに売春宿に向かっていたのです。

そのため堂々とした看板をぶら下げるのではなく、敢えて足元に配置したのでしょう。



また最古の看板に「足」が描かれていますが、このサイズより足の小さい人はお断りだったと解釈されているそうです。

売春宿を利用できるのは一部のお金持ちだけでしょうし、客を選ぶ権利もなさそうですので、子供はダメ!って意味なのかもしれませんね(*^・ェ・)ノ






おわりに

アルテミス神殿は4度の災難により破壊され、現在は1本の柱のみ復元されています。

ちなみに、ほとんど残っていない神殿や正面だけの図書館、謎の看板のある売春宿が、何故それぞれの建物の役割が判明しているかというと、それは「地図」のおかげです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

古代ギリシアや古代ローマでは町の見取り図が残っている事例が散見されるので、遺物があまり出土せずとも、文字入りの石板などがなくとも、建造物の残りが悪くとも分かるケースがけっこうあるようです。



さて、上に挙げた図のようにアルテミス神殿がもし全部残っていたら、パルテノン神殿の2倍のサイズになり、エフェソス遺跡はエジプトに並ぶ一大観光地となっていたかも知れませんね!


みんな、デカい建造物が大好きだからね!
古代の宇宙人もさ!( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 25にち(かよーび、晴れ)

やるべきことは何故減らないのか!?ヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「子供用の考古学入門サイトが意外にしっかりしてたよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ

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「考古学とは何か?」


まぁ「考古学あるある」ですが、文献史学や古生物学との違いについて説明しなきゃならんことが常です( -д-)ノ


「考古学」ってアニメや映画では最も多く頻出する学問名だと思いますが、その実態はよく知られていないものです。

私もYouTubeに考古学入門動画作ろうと思ってやってないですしね、、、

やりますよ、次の休みに!

誓いますっ!(*^・ェ・)ノ←そしてこの顔である


考古学って、どんな学問? 遺跡は全国にいくつあるの? そんな子どもたちの質問に答えてくれるWEBサイト「全国子ども考古学教室」(https://kids-kouko.com/別ウインドウで開きます)ができた。ありそうでなかった入門ガイドに、子どもたちはもちろん、大人の歴史ファンからも歓迎の声が聞こえてきそうだ。





とりあえずリンクを貼っておきました。

子供向けなので、いちいち読み方が括弧書きで追記されているので読みにくいのですが、内容はとってもしっかりしています。

「考古学って何?」ってのも面白いのですが、『全国博物館・遺跡マップ』や『用語辞典』が個人的にはよく出来ているなと思います。

博物館・遺跡マップは本当にお役立ち情報だと思いますよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




このサイトはNPO法人である「むきばんだ応援団」によって製作されています。

この「むきばんだ」というのが、鳥取県にある史跡公園の名称で、上に挙げた写真のように住居の復元がなされているようです。

朝日新聞文化財団の助成を受けて製作されたサイトということで、しっかりお金かかってる感ありますよね( -д-)ノ




おわりに

本当は邪馬台国の記事書こうと思ってたのですが、強烈に眠いし、記事内容が絶対濃く・長くなるので、簡単な紹介記事をアップすることにしました。

まぁ是非、リンクから飛んで、見てみてください!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




・・・さて、YouTubeに「考古学講座」動画のアップか、、、

誓った以上やるしかないな!( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 22にち(どよーび、晴れ)

ここのとこ分析も論文執筆も止まってるな( -д-)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「兵庫県、広沢山遺跡で見つかったのが、新しい古墳!?( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


日本国内の古墳の数は159636基ありまして、約16万基もあるわけです。

古くからの測量調査や、近年の衛星写真を利用した分析などで地表面で見られる古墳はほぼほぼ全て発見されていると言えるでしょう。

なので、「新たな古墳が発見される!」っていうのはけっこう珍しいニュースだと思います(*・ω・)ノ



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今回のニュースの舞台は兵庫県、加古川市に所在する広沢山遺跡です。


同市には日岡山公園という総合公園があります。

この公園、35.8ヘクタールの面積を誇る自然豊かな公園であり、また同市最大の桜の名所として知られています。

スポーツ施設も複数あるそうで、更には約30基の古墳も公園内に存在している文化遺産公園でもあるのですΣ(・ω・ノ)ノ

最初に挙げた写真の南大塚古墳もその一つであり、最大のものだそうです。


いや~、本当に複合公園!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




これらの古墳群は日岡山古墳群として知られています。

今回の発見は同公園の整備の一環として駐車場の造成のための発掘調査でなされました。

そのため今回発見された新たな古墳は日岡山古墳群を構成する古墳と考えられています。


上に挙げた写真のように、ぱっと見は古墳かどうか分からないと思います。

恐らく盛り土部分を含めて多くの部分が後世の人類活動(古い時代の農耕とか建設工事とか)により削平されており、失われているのではないかと思われます。


今回見つかったのは幅約5メートル、深さ約30センチの半円形のトレンチ状遺構(所謂、「溝(みぞ)」;上の写真の土が露出している部分)です。

この溝は古墳を縁取るように掘られた周濠(しゅうごう)の一部と推定されています。


この溝に沿う形でおよそ直径24mの円墳があったと考えられています。

但し前述の人類活動により遺構は攪乱を受けており、円墳と思われる部分の欠損が大きい状態です。

そのため本来は方墳であった可能性もあります。


あ、ちなみに上の写真のところに書いた「座布団」ですが、よく見ると笑点のような高いそれぞれ座布団の上に土器片等の遺物が乗っているのが分かると思います。

遺物の分布には意味がありそうであるが、周囲をもっと掘り進めなければよく分からない(あるいは同一個体の遺物集中である、など)、という状況の時にこのように遺物を取り上げずに周りだけを掘り下げていきます。

この結果出来たものが「座布団」です。

考古学の業界用語のひとつですね( -д-)ノ


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↑花見や夏祭りの時期に訪れるといいかも(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!(「花見特集2020」の記事内画像より転載)




さて、この溝状遺構からはたくさんの遺物が出ました。


座布団に乗ってる子たちですねヾ(´ω`=´ω`)ノ


(↑意味が分かれば、もうあなたも考古学者です(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!)





これらの多くは円筒形埴輪や家形埴輪の破片で、かつて古墳上に並んでいたものが倒れて溝に落ちたと推定されています。

見つかった埴輪の破片資料数は300点以上に上り、帰属時期は古墳時代前期に当たる4世紀のものと考えられています。



↓古墳関連の記事はさすがに多い( -д-)ノ













↑世界にも古墳あるよ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


おわりに

最初に国内の古墳だけで16万基と書きましたが、日本だけでも訪れていない場所なんて無数にあるなぁと思います。

この日岡山公園の桜も綺麗だし、お祭りも楽しそうだし、古墳いっぱいあるし、、、

いつか土器研究の関係で、上手く結びつけて日本国内も海外も色々と周ってじかに見て学びたいものです(*^・ェ・)ノ

……最近、真面目に書き過ぎか!?( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 18にち(かよーび、晴れ)

ゲームをやめれば時間が取れるのにぃ!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「やっぱ気候変動で人類滅びるんじゃない!?( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



ちょっと端折り過ぎたかな( -д-)ノ

考古学や歴史研究から人類の未来を予測し守りたいとカルデア特務機関(FGO)のようなことを本気で考えている管理人ですが、、、


いや、マヤ文明にしても、今回紹介するアッカド帝国にしても、自然の力は凄いぜ!ってお話ですΣ(・ω・ノ)ノ




アッカド帝国の概要

アッカド帝国、あるいはアッカディアは世界で最初の帝国と言われています。

その支配者であるアッカドのサルゴンが、一連の独立した都市国家を統合した後、約4,300年前にメソポタミアに設立したものです。



アッカド帝国の影響力は、世界史で習うあのチグリス川とユーフラテス川に沿って、現在のイラク南部からシリアとトルコにまで及んでいました。

帝国の南北の範囲は、降雨に大きく依存する北の肥沃な土地(アジアの「パンのバスケット」の一つ)から南の灌漑に恵まれた沖積平野まで、様々な気候の地域をカバーしていました。



この土地、肥沃であるけれども降雨に依存してしまうところが問題です。

彼らは自然の降雨に頼る「天水農業」を行っていたわけではありません。

メソポタミアではBCE6500年のウバイド期から早くも灌漑農業を行っていたのです。



ただ大量の降雨による河川の氾濫が周囲の土壌に肥沃さを与えていたのです。

エジプトのナイル川の事例を思い浮かべて頂けると近いと思います。

「アッカドはティグリス・ユーフラテスの賜物」だったわけです。



アッカド帝国は肥大化する中で北方の領土の生産性にますます依存するようになり、この地域で生産された穀物を使って軍隊を養い、主要な支持者に食糧を再分配していました。

そして帝国成立からわずか約1世紀後、アッカド帝国は突如として崩壊し、大量の移住と紛争が発生しました。

この時代の苦悩については、古代の『アカドの呪い』として表現されており、水不足と食糧不足による大混乱の時代だったようです。



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↑紀元前2254年~2218年におけるアッカド帝国の領域図(The Conversationの記事内画像より転載;英文)


これまでの学説

アッカド帝国の急速な崩壊の理由に関しては、文献史学者や考古学者、古気候学者等によって現在でも議論されています。

これまでの説で最も著名な見解の一つは、アッカド帝国の生産性の高い北部地域に深刻な影響を与えた大干ばつの発生によって引き起こされたというものです。



考古学的にはシリア北部でかつて繁栄していたこの地域において、土器等の遺物が欠如することを根拠に約4,200年前に突然放棄されたと解釈されていました。

また発掘調査時の土層堆積の様子から、それ以前に豊かであったであろう土壌が、風で吹き飛ばされた大量の砂埃に取って代わられていたことから、干ばつが始まったと判定しました。

更にオマーン湾と紅海における海底土層の分析から、当時海へと大量の砂塵が流入し、その供給源はメソポタミアであるとして、当時の広範囲の大干ばつの証拠としました。


しかしながら本当に大干ばつがあったのか、その時期はいつなのか、干ばつが原因でアッカド帝国が滅んだのかについて結論を出すには時期早々であり、まだ慎重な態度を必要とするとの声が断ちませんでした( -д-)ノ






鍾乳洞の調査から古環境を復元

ようやくこれからが本題です( -д-)ノ

今回の舞台はイラン北部、標高5000mを超えるダマヴァンド山にあるゴル・エ・ザール洞窟です。


この洞窟では、石筍(せきじゅん)と鍾乳石が何千年にもわたってゆっくりと成長しており、過去の気候変動についての手がかりを残しています。

ちなみに上に挙げた写真のように鍾乳石は上から伸びるものです。

逆に「たけのこ」の文字からも分かるように石筍は下から伸びていくものです(*・ω・)ノ



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↑茶色がアッカド帝国の範囲(再掲)


さて、この洞窟はアッカド帝国の東から数百km離れたところにあります(上に挙げた地図の青▲の位置です(*・ω・)ノ)。

偏西風の風下に当たるため、この洞窟周辺地域の塵の約90%は、シリアとイラクの砂漠に由来しています。



この砂漠の砂塵は、洞窟の石筍の大部分を形成している地元の石灰岩よりも高いマグネシウム濃度を持っています。

そのためゴル=エ=ザールの石筍のマグネシウムの量は、地表の砂埃の度合いを示す指標として使用することができます。

マグネシウムの濃度が高いほど砂埃が多い時期、つまり乾燥した状態を示しているのです(*^・ェ・)ノ

また、この石筍は、ウラン-トリウム年代学を用いて非常に正確な年代測定が可能であるという利点もあるのですヾ(´ω`=´ω`)ノ





さて、これらの方法を組み合わせることで、この地域のの詳細な歴史が明らかとなりました。

4,510年前に始まり110年続いた大干ばつと、4,260年前に始まり290年続いた大干ばつがあったことが分かったのですΣ(・ω・ノ)ノ

この内、後者の干ばつがまさにアッカド帝国が崩壊した時期に発生したもので、今回の研究により大きな気候変動が少なくとも帝国崩壊に関するひとつの要因であると言えるでしょう。



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↑日本を代表する石筍(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



おわりに

さすがに290年も干ばつが続けば帝国も滅びるなと思いますよね(´・ω・`)

しかも建国からおよそ40年後ですから、、、


いつの世も力強い初代王から世代交代した直後くらいに、狙ったかのようにそこまで大きなダメージがくると、伝説の賢王でもない限りどうしようもないのかも知れません( ・Д・)



うむ、それにしても記事が長いし、、、

……今回は最後しかふざけれなかったのが悔しいっ!( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 16にち(にちよーび、晴れ)

もし一か月間、毎日記事投稿チャレンジとかしたらいい感じになるかい!?( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「元寇船見つかってるけど、壊れるからとりあえずいかりを揚げてみたってさ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



ちょうどちょっと前に元寇の際に沈んだ船が見つかったって記事を書いたと思いますが、今回はその続きみたいなものです。

なので、元寇の説明は省きますね( -д-)ノ



せめてwiki情報貼っておきます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!(ほんの一部、管理人が加筆修正)

日本の鎌倉時代中期に、当時モンゴル高原及び中国大陸を中心領域として東アジアと北アジアを支配していたモンゴル帝国(元朝)およびその属国である高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。

1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。

別名、蒙古襲来とも言う。

特に2度目の弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、当時世界最大規模の艦隊であった。
(wikipediaより転載;一部、筆者加筆修正)



↓まぁここでも教科書程度のさっくりとした説明だけどね( ・Д・)


↑まぁ黙ってぽちっと押しときなよ(*^・ェ・)ノほれ、ぽちっとな(*^・ェ・)ノ



さて、元寇船の発見があったのは長崎県の鷹島(たかしま)です。



珍しいことにこの水中遺跡をそのまま遺跡登録したそうで「高島神崎遺跡(たかしまこうざきいせき)」と名付けられました。

水中にある遺跡で国指定史跡となったのはここが初めてだそうです.。゚+.(・∀・)゚+.゚




最初に挙げた写真が「鷹島2号沈没船」と名付けられた船の船首部分に当たるそうです。

2号というだけあって2011年と2014年に一隻ずつ発見され、現在も調査が続いているそうです。


arukemaya942
↑違う角度から見た船首(「産経WEST」の記事内画像より転載)







みなさん「ワンピース」見ます?

あの「海賊王に俺はなる」的なアレですよ。

まぁいずれ「考古学王に俺はなる」(大事なところなので無駄に強調しておきました( ・Д・))にせよ、ワンピースの中で『竜骨』出てくるんですが、、、

これ知ってると話は早いんですが、竜骨は「キール」とも呼ばれるもので船の底の中心線にあって、船首と船尾をつなぐ重要な木材の加工品です。




この竜骨が発見されてまして、その幅が50cm、長さ12mだそうです。

なので船全体の大きさは全長約25m程度あったのではないかと推測されているそうです。




さすがは当時最大規模の艦隊、船もデカいですわ!Σ(・ω・ノ)ノ




まぁその割に大した距離も移動せずに沈みましたけど。



(とか言ったら怒られるのかな?( ・Д・))


まぁゆうて、戦艦大和もさくっと沈みましたからね!


(自国ネタを自虐しておいて炎上回避の術、次は自国民を敵に回すのか( ・Д・)……ちなみに私は大和が好きだ!( -д-)ノ)。





……まぁあれですわ、、、

物理的に考えて、、、同じ素材でデカけりゃ重いし沈みやすい!普通ですわ!( ・Д・)





ところでこれみてください。

教科書とか資料集でよく見る蒙古襲来の絵巻ですけど、、、


(これも後世に加筆されているそうですね、

色濃い真ん中の闘うモンゴル兵(3人)。本当は意外に侍強くて、左側の元絵のようにモンゴル兵は逃げ腰だったのだとか……

勝った側が描いてるからそうなのか、実際そうであって艦隊本体が神風でやられてるから戦意喪失してたのか、、、どうなんでしょう(*^・ェ・)ノ)



……右上になんか爆発してるじゃないですか。

これ「てつはう」です。


習いましたよね?


私、覚えましたよ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ





で、これが本物のてつはう!


この歳でちょっと感動ですよ。

これ投げて、ぼかーん!ってなってたのね~って今再びリアルに思いますわ。



小学生くらいの時?、「てつはう」って何よ!??( ・Д・)

「てっぽう」の訛りじゃないんかいっ!( ・Д・)って思ってましたもの。




真面目な話に戻すと、X線の分析の結果、光と音による威嚇攻撃、つまり閃光弾のような役割ではなく、手りゅう弾の仲間だということが分かりました。

中に金属片とか陶器片が入っていてそれが炸裂して突き刺さるという殺傷能力があったようですΣ(・ω・ノ)ノ



それで、てつはうは金属製だから引き揚げて保存していますが、木材はそうはいきません。

外気に触れると腐りますから!

だから全部、海中の砂で埋め戻したそうです。



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ということで、せっかく発見した元寇船も引き揚げてしまうと腐ったり劣化してしまいます。


なので、上に挙げた写真に見られるような、船の「いかり」だけをとりあえず引き挙げて、展示してみて、いかにして保存・保管すれば良いのだろうということを実験することにしたそうなのです。



arukemaya947



おわりに

さて、そうして実験的に引き上げて、湿度や気温を調整して保存・展示しているのが、最後に挙げた写真のいかりになります。

さすがに大きいですね!ヾ(=^▽^=)ノ



考古屋さんとしてはどうしても「発見」が大好きなわけですが、

保存・活用のことを考えると保存科学の皆様のご協力、

また博物館の皆様のご支援が必要なことが多々あるなと再認識するようなニュースでした。




遺物を将来までしっかりと残すことが当然ながら人類の文化遺産の保護として必要でありますし、

我々研究者としても資料としてのオリジナルデータが損なわれることなく引き継がれることはとても大事なことですね(*・ω・)ノ




当記事執筆現在、このご時世(コロナ禍)ということもありますが、、、


皆さんもご助力の一環として是非、博物館に足を運んでみてください(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


……たまには真面目に終わるか!( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 15にち(どよーび、晴れ)

北海道一周して河川巡りしたいなっ!だから休みくれっ!( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




今回の考古学・歴史ニュースは「新技術がまた歴史を復元していくよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


今回のお話の研究対象は「歯」なんですけど、より正確には「歯石」です!

なんか歯石というとばっちい感じもしますが、なんせ相手は古代の歯石なので汚くないと思います、たぶん。


前に記事にしたことあったはず・・・・・

うんちの化石である「糞石」も研究対象ですから、「歯石」ももちろんありなのです(*^・ェ・)ノ


↓やっぱりあった!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


↑我ながらすごいタイトル付けてる( -д-)ノ



歯石からDNAを取り出し分析する新技術!Σ(・ω・ノ)ノ


対象となったのは江戸時代の1603年から1867年の間に生きた13人の人骨です

最初に挙げた写真のように歯石を削り取ってそこからDNAを取り出して分析しました。




今回の研究は実験的なものです。

対象が江戸時代ですから文献史料があります。

なので、文献に記載されている食品を本当に食べていたのか?ということの確認にもなりますし、新しい分析方法の確かさのチェックもできるという具合になっています(*・ω・)ノ




今回の研究は最初にお話した糞石の研究と関係しています。

元々、生態学者ら糞石から得られるDNAに基づいて人間や動物の食生活を把握する技術である「メタバーコーディング」と呼ばれる遺伝学的手法を「歯石」に使ってみたのです。



メタバーコーディングでは糞石や歯石などのサンプルから遺伝子コードの短い、識別可能DNAの断片を探し出します。

そして見つかったものを既知のDNAバーコードデータベースと比較して、動植物の同定を行います。


結果、歯石から得られたDNAからは、米や野菜の痕跡のほか、医薬品や衛生製品に使われていた植物の痕跡が含まれており、恐らく対象となった人骨は江戸時代の庶民のものであると推測されています。


具体的には米の他、ニンジン、カボチャ、長ネギ、玉ねぎ、大根、シソが見つかったそうです。

他にイチョウなどの薬用植物のほか、交易で手に入れたであろう熱帯地域に生育するフタバガキ科の植物の痕跡も検出できました。

一方で今回の分析では肉食の痕跡が見当たらなかったそうです。

またタバコの痕跡が発見され、当時は喫煙が一般的だったという説を傍証する結果となりました。





おわりに




新技術が考古学などの分野を助け、歴史の解明が進むのは素敵なことです。

今回の技術で世界的に、例えばマヤ文明でも応用できるわけですし、今後に期待ですね!

……私も分析できるようになりたいな、なれるもんか???( ・Д・)




さて、江戸時代の庶民はやはり質素な生活だったのでしょうか。

メザシ一匹をおかずに、、、って時代劇とかで見るけども( -д-)ノ

というか、肉食べなくともタバコ吸うのねって思ってしまいました。

タバコにお金使ってしまうのは昔も今も変わらないものですね。


「だって同じ人間だもの! だんご(管理人)」( ・Д・)


*今回の記事は「M+」さんよりコメント欄にてご教示頂いたものを参考にしております。末筆ながら記して感謝申し上げる次第です。


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2020ねん 8がつ 11にち(かよーび、曇り)

頑張って記事書きまくるぞ~!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「イスラエル発!最古の仮面を紹介するよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



たまたま『最古』ネタが続いておりますが、意図的ではございません( -д-)ノ


今回紹介するのは石製の仮面です!

お祭りの仮面は現在はプラスチックですし、ひと昔前は木製でした。

古代においてはもちろんのこと、人類史の多くの期間において多くの仮面はきっと木製だったと思います。





なので基本的に残りません。

よっぽどの特殊な環境下でなければ、木製の仮面は有機物ですから腐敗してしまいます。



上に挙げた写真で分かるように、今回の仮面は石製、比較的柔らかな石灰岩を削ってできているので残ったと考えられます(*・ω・)ノ




9000年前の新石器時代の仮面の真偽

こうした石製仮面はイスラエル南部の砂漠で見つかっています。

その数は合計で16点です。




この内、10点が個人所有のものであり、由来は完全に不明なのです。

また5点は博物館所有ですが、やはり由来が不明なのです。

最後の1点は現地の盗掘防止隊に提出されたもので匿名の人物により発見された遺跡が示されているそうです。




つまり出土遺跡が分かっている遺物は1点のみで他は全て不明。

どれもまともな考古学情報を有していないのです。

そのため「偽物ではないか?」という意見も多々ある疑惑の仮面なのです( -д-)ノ





石仮面について考えてみた(*^・ェ・)ノ

先に述べたように、16番目の石仮面が出土したと思われる遺跡だけが分かっていて、それはヨルダン川西岸南部のプネイ・ヘベル居住区付近に位置する新石器時代の遺跡だそうです。

次の盗掘被害を避けて遺跡に関する詳しい情報の公開は控えられています。

当該遺跡ではイスラエル考古学庁の主導の下、調査が開始されていますがこれまでに同様の仮面は発見されていません( -д-)ノ




遺物の特徴としてはどれも石灰岩製で、成分分析の結果、いずれの資料も周辺に分布する素材を使用しているとのことです。

またどれも仮面の縁に刺突孔があり、お面のように紐で頭部などに縛り付けられるような仕様になっています。




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↑正面と側面、側面には穴が見えます(*・ω・)ノ(「NACIONAL GEOGRAPHIC」の記事内画像より転載;credit: CLARA AMIT, ISRAEL ANTIQUITIES AUTHORITY)


上に挙げた二枚目の写真の通り、目の位置よりやや高いところに穿孔痕があります。

「お祭りのウルトラマンとか仮面ライダー(?)のお面」を想像して頂くと分かりやすいかなと思いますが、紐を通して耳にかけることを考えるとちょうど良い位置に穿孔されていると思います。



9000年前のこのイスラエルの地は新石器時代に相当し、ようやく定住生活が始まったかなという段階です。

定住生活の中で親族や友人の埋葬行為、それに伴う儀礼行為など、宗教観念も発達し始めた頃ではないかと予想されます。

そういった中でこの石製仮面も製作されたのでしょうか?




イスラエルの新石器時代における新たな葬制・風習?

上に挙げた写真は同地域でこれまでに発見されている埋葬遺構から出土した人骨です。

どれも頭蓋骨ですが、表面に石膏が塗られています。

奥の1点については耳や目も造形され、彩色もされているようですね。



この地域が当時から砂漠地帯なのか不明ですが、鳥葬にするか、火葬にするか、土層にするか、いずれにせよ、皮膚や肉などが分解された後の剥き出しの頭蓋骨に対して石膏を塗って加工しなければ、上記写真のようには残りません。

なので一度埋葬してから、掘り起こして再度儀礼を行い埋葬する再葬が行われていたのだろうと思います。

情報が乏しいのでどちらが時代的に先かどうかは分かりませんが、今回紹介した石製仮面はこの石膏付き頭蓋骨の風習に関連するもので、恐らく被葬者の顔に被せるために作ったものなのでしょう。





手のかかる再葬風習を簡略化して、最初の埋葬時に仮面をつけるようになった……ような気もしますが、、、

上の写真の奥に見える精巧な石膏付き頭蓋骨を見ると、技術的観点からも、、、儀礼が複雑化したような気もします。




・・・・・・

・・・


きっと後者かな?

あるいはやっぱり贋作だろうか・・・・・・( ・Д・)



こんな風に思いを馳せるのも考古学ミステリーのひとつ、醍醐味だと思います。


皆さんはこの事件、どう思いますか???ヾ(´ω`=´ω`)ノ





おわりに


さて、真面目ばかりは飽きるでしょう!

「歩け、マヤ」らしく最後に悪ふざけを……( -д-)ノ


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arukemaya938


うおぉぉぉぉぉぉ!!!!!(変化中)

……研究者も「人」でいさせてくれぃ!( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 11にち(かよーび、曇り)

一歩ずつ進むのだ!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「日本最古の土偶の事例を紹介するよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


『最古の~』ってのは話題になりやすいので、遺物の素材ごとに、あるいは地域を細分して、色々な最古があるわけです。

例えば同じ「最古の土偶」でも、「北海道最古」とか、「ヨーロッパ南部最古」とか色々パターンはあるわけです( -д-)ノ


今回ご紹介するのは純粋に日本における最古の土偶の事例です。

両者共に縄文時代草創期の事例で1万3000~1万1000年前頃の遺物と推定されています。







三重県、粥見井尻遺跡の事例

粥見井尻(かゆみいじり)遺跡は、三重県松阪市飯南町粥見字井尻で現在は「粥見井尻遺跡公園」として一般公開されています。

この遺跡では1996年に国道のバイパス工事に伴う緊急発掘が実施され、その際に一番最初の写真やこの直上に挙げた写真の2点の土偶が出土しました。

この遺跡は縄文時代草創期(1万3000~9000年前)の集落遺跡であり、これらの日本最古級の土偶の他、竪穴住居4基、無文土器片資料群、石器製作址が見つかっています。



一番上に挙げた写真だとこの粥見井尻遺跡で出た2点の最古級土偶が映っているのですが、左側のやけに小さいものは『土偶の頭部』です。

この上に挙げた全体が分かる資料(所謂、粥見井尻土偶)であっても、長軸7cm、短軸4cm程度なのでかなり小さいです。

前回紹介した中国の最古の彫像もめちゃくちゃ小さかったので、人類の最初期のフィギュアはミニチュアばかりだったのかも知れませんね( -д-)ノ




arukemaya929
↑日本最古の土偶!ヾ(´ω`=´ω`)ノ(「Twitter」”古墳紹介bot”さんの投稿画像より転載)



滋賀県、相谷熊原遺跡の事例

こちらは滋賀県、東近江市に所在する相谷熊原(あいだにくまはら)遺跡で出土した土偶です。

この遺跡からは5基の竪穴住居址が検出されており、間違いなく縄文時代草創期に帰属する日本最古級の土偶(通称、相谷土偶)として知られています。

サイズは長軸3.1cmとやはり小さいですね。

頭部や手足の造形はありませんが、乳房やくびれなど女性らしさは十分に表現されているとの評価です。

やはり世界的にみて、地母神だとか、母なる大地、母なる海、母なる地球とか場合によって様々な表現がありますが、新たな生命を生み出す女性を神聖視する意識は初期人類にとって共通のようですね(*・ω・)ノ




おわりに

やはり『最古』ってサイコーなわけですが(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

考古好き、歴史好きの皆さんは、古さだけに囚われず、

とある現象がなんで広く共通するのだろう?とか

この先、どうやって変化していくのだろう?とか

時間と空間の変化に思いをはせて欲しいなと思います!( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 9にち(にちよーび、晴れ)

私は頑張るよ~っ!たくさん応援して~っ!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「中国で東アジア最古の彫像が見つかったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


……のっけからアレですが、コレほんとかなと、なんだか怪しい匂いを感じ取っております( -д-)ノ


ま、ひとまずはご紹介をしますね!






これまでの記録を8500年も上回る大発見!?

発見があったのは中国・河南省にある霊井遺跡です。

調査責任者は中国・山東大学の李占揚です。

(これまで考古学者の実名は大部分敢えて控えてましたけど、今後はガンガンに出していきますね(*^・ェ・)ノ)

上に挙げた写真のスケール(2mm)から分かるようにこの遺物はとても小さいものです。

この彫像の大きさは、全長19.2mm、高さ12.5mm、幅5.1mmなのですΣ(・ω・ノ)ノ



この問題の遺物は土器片や動物の焼骨などの遺物と共に見つかったそうです。

そこで貴重な発見であるこの彫像を傷つけないように彫像に対しては放射性炭素年代測定法を使いませんでした。

代わりに彫像と共に出土した同様の骨の一つを放射性炭素法で調べ、鳥の彫像の年代が1万3500年前のものと推定しました。

結果、東アジア最古の彫像であり、同地域での彫像の記録を8500年も上回るものとして報告されました。






怪しい予感……*あくまで元記事の記述に基づく個人の見解です( -д-)ノ


さて、東アジアにおける彫像の歴史が一気に8500年さかのぼったわけですが、、、

まずは時期を確認しましょう。

13500年前と言いますと、日本では縄文時代の初め、縄文草創期(およそ16000~9000年前)に相当します。



せっかくなので今度記事にしますが、日本でもこの草創期に当たる時期、1万1000年前に相当する『土偶』が最古として発見されています。

日本の事例では彫像ではなく、土偶です。

時期差は多少あるものの、3点ほど見つかっています。

またこれらの土偶は住居址や縄文土器(当然、草創期の土器)と共に出土しています。

なので時期判定は土器を中心として複数の根拠に支えられています(*・ω・)ノ



何故日本の事例を紹介したかと言うと、この中国の事例は状況が大きく違うよ!と言いたかったからです( -д-)ノ






さて、この霊井遺跡ではこれまでの調査で12万年前から3000年前の青銅器時代までの11層の地層が検出されています。

この内の5番目の地層の大部分が1958年に実施された井戸の掘削作業で取り除かれ、近くにある廃棄物の集積地に捨てられていたそうです。

この集積地はその後何年も手付かずのままだったようで、研究チームが土をふるいにかけて詳細に調べたところ、土器片や焦げた動物骨と今回の遺物があったという経緯なのです。




(。´・ω・)ん?・・・・・・・





・・・・・・





・・・





1次資料じゃないじゃん!( ・Д・)

がっつりコンタミじゃん!( ・Д・)




註;コンタミネーション(英語: contamination)は、特に科学実験の場における汚染のこと。「実験汚染」「実験室汚染」「試料汚染」などの訳語があてられる場合もあるが定訳はなく、そのままコンタミネーションとして、あるいは略してコンタミと呼ばれることが多い。 (wikiより転載)


(以下「歩け、マヤ管理人」による追記)

考古学では『攪乱』のことをコンタミと呼ぶことが一般的だと思います。

今回の事例のように後世の人為的な攪乱の場合や、植物の根の広がり、倒木、動物の巣作りなど様々な原因で土がかき混ぜられてしまったり、遺物が”本来の位置”から移動してしまうことがあります。



普通、井戸掘ったら、地表面から地下水に当たるまで掘り抜くから、5番目の層だけの集積地ってあり得る???(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?



まぁこれだけで怪しいんですけど、最初に挙げた図のように成分分析やってるんですよね。

焼けた骨を彫刻して作った鳥って判断してるのに……

なら、分析かけずとも骨じゃんって思うんですけどね。



なのに、傷つけることを恐れて炭素年代測定法は直接用いずに、他の骨に適用しています。

しかも1点だけ!


そして土器片も出てるのに、土器編年的にはどうなのだろうか。

一切記述ない。

写真もない。

よくわからんくらいの小破片ということなのか……


誠に以って謎!
( ・Д・)






おわりに

まぁなんだか怪しい発見ですけど、この「5番目の層」は広く広がってるはずですから、今後通常の発掘の過程で傍証となるような発見があることに期待したいですね(*・ω・)ノ

実際、「素材である骨自体が古くとも、加工した時期が古いとは限らない」んですけどね。

写真で見た限り、整形後に焼けた感じしないですしね( -д-)ノ




……まぁ最古っていいよね。

「8500年も記録を大更新するくらい古いんだ!」って言えたらかっこいいよね。



……うん、気持ちは分かるが、、、

誠実にいこうぜっ!( ・Д・)

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