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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2020年08月

2020ねん 8がつ 30にち(にちよーび、激しく雨)

安西先生、二連休が欲しいです(´・ω・`)


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今回の考古学・歴史ニュースは「ツタンカーメンの下着は高級品だったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ

考古学って、どんな学問? 遺跡は全国にいくつあるの? そんな子どもたちの質問に答えてくれるWEBサイト「全国子ども考古学教室」(https://kids-kouko.com/別ウインドウで開きます)ができた。ありそうでなかった入門ガイドに、子どもたちはもちろん、大人の歴史ファンからも歓迎の声が聞こえてきそうだ。( ・Д・)

まぁタイトルに使った「勃起して死んだツタンカーメン」ってのは語弊がありますね。

そのせいで死んだみたいにもとれますし(*^・ェ・)ノ



(敢えてその表現を選んでいるのですがね( ・Д・))


↓勃起死したファラオの話ヾ(´ω`=´ω`)ノ

↑さすがに悪ふざけが過ぎるか( -д-)ノ



上に挙げたリンク先で詳しく書いているように、ツタンカーメンは勃起が原因で死んだわけでもなく、勃起した状態で死んだわけでもなく、ましてやテクノブレイクで死んだわけでもありません。


勃起状態になるようにしてミイラとして埋葬されたのです(*・ω・)ノ


さて、今回はそんな「the 勃起ミイラ君」であるツタンカーメン王の下着は高級品だったよ!ってお話なのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




ツタンカーメン王と言えばBCE14世紀の古代エジプト王です。

黄金のマスクで超有名な少年王ですねヾ(´ω`=´ω`)ノ



彼の墓室には多数の副葬品があったわけですがその中のひとつが上に挙げた写真のものになります。




二枚の布切れに見えますが、、、


上の布が頭に巻く頭巾です。

下の布が古代の下着、所謂「ふんどし」です。




このふんどし等の布製品に対して化学組成分析を行い、素材を調べたところ、上質の亜麻布であることが判明しました。

非常に細い糸を用いて製作されており、1cm当たりの織りの密度を計測すると、下着は75~80本と最も緻密に織られていることが分かりました!

ツタンカーメン王の下着は高級な品だったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ



この下着を含めて全部で約400組もの服飾品が副葬されていて、その内、下着だけで146枚確認されています。

やはり王様はたくさんお着換えするようですね(*^・ェ・)ノ




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↑貴重な布製の資料(上の三枚は「カイロ ~天使たちの暮らす町~」の記事内画像より転載)




これらはいずれもツタンカーメン王の応募から出土した貴重な布製資料になります。



一番上の写真が古代の肩掛けバッグです。


現代でも使えそうですよね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




真ん中のものはチュニック(貫頭衣)です。


現在の博物館のミュージアムショップで売ってそうな、『古代エジプト感』でいっぱいの図柄ですねヾ(´ω`=´ω`)ノ



最後のものはシーツです。


非常に保存状態が良く、また高品質なものですから、現代社会でも十分通じるレベルだと思いますΣ(・ω・ノ)ノ





↓エジプト関連は記事多めですね~(*・ω・)ノ










↑気になった記事があれば、是非!(・∀・)つ



おわりに

映画とか見てると、古代の王族・貴族は綺麗に着飾ってます。

やはり現代の技術で作られた衣装ですから、美しく映えて見えます。

でも今回の記事からすると、古代といえど、王族・貴族が着てた衣服は非常に高品質で現代にも十分に通じるものだったということが分かると思います(*・ω・)ノ



今回の記事の中心であるツタンカーメンのふんどしも非常に精巧なものでした。

しかし、ふんどしはふんどし……

パンツのデザインはおしゃれじゃないのね!( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 29にち(どよーび、曇りのち雨)

やるべきことをひとつずつ片付けていきたい!(*^・ェ・)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「世界最古の看板は売春宿のものだったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ

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今回の舞台はトルコです。

トルコ西部にあるギリシャ文明に帰属するエフェス遺跡は現在世界遺産に登録された観光名所となっており、今回紹介する遺物は同遺跡で見ることができます。



エフェスは現在のトルコ語の読み方なので、世界史等で習った時は古典ギリシャ語読みである「エフェソス」の方かなと思います。

「エフェソス公会議」とか聞いたことありませんか?(*^・ェ・)ノ



……さて、今回のは看板は、もちろん現在までに資料として発見、確認されている中で最古という話です。

上に挙げた写真がその最古の看板なわけですが、「石製」ですね。

RPGの武器や宿屋の看板のようなものがあったかも知れませんが、掛けるタイプのものは比較的軽量な木製品であったと思われ、残存していません( -д-)ノ



この石製の看板は地面に配置された石板のひとつです。

そのため必然的に石製であり、残ったわけですが、、、

「所謂、床石なのに看板なの???」って思うかも知れません。



……これには理由があるのです( -д-)ノ




arukemaya963


こちらの写真は同じエフェソス遺跡にあるセルシウス図書館です。

イオニア人(所謂、古代ギリシア人)によってBCE11世紀に建設されました。

当時の姿として忠実に復元されており、エフェソス遺跡随一の見どころとなっています(*・ω・)ノ

記録によると蔵書量はおよそ1万2千冊だそうで、古代ギシリア文明の繁栄ぶりが伺えますね。



本というのは古代においては貴重品であったわけですが、このセルシウス図書館はなんと特権階級層だけではなく一般層の人々にも開放されていたそうです。

そしてこの図書館には地下通路があって、例の売春宿に通じていたことが分かっています。




ということで、古代ギリシアのお客さんは図書館に行くふりをして、密かに売春宿に向かっていたのです。

そのため堂々とした看板をぶら下げるのではなく、敢えて足元に配置したのでしょう。



また最古の看板に「足」が描かれていますが、このサイズより足の小さい人はお断りだったと解釈されているそうです。

売春宿を利用できるのは一部のお金持ちだけでしょうし、客を選ぶ権利もなさそうですので、子供はダメ!って意味なのかもしれませんね(*^・ェ・)ノ






おわりに

アルテミス神殿は4度の災難により破壊され、現在は1本の柱のみ復元されています。

ちなみに、ほとんど残っていない神殿や正面だけの図書館、謎の看板のある売春宿が、何故それぞれの建物の役割が判明しているかというと、それは「地図」のおかげです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

古代ギリシアや古代ローマでは町の見取り図が残っている事例が散見されるので、遺物があまり出土せずとも、文字入りの石板などがなくとも、建造物の残りが悪くとも分かるケースがけっこうあるようです。



さて、上に挙げた図のようにアルテミス神殿がもし全部残っていたら、パルテノン神殿の2倍のサイズになり、エフェソス遺跡はエジプトに並ぶ一大観光地となっていたかも知れませんね!


みんな、デカい建造物が大好きだからね!
古代の宇宙人もさ!( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 25にち(かよーび、晴れ)

やるべきことは何故減らないのか!?ヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「子供用の考古学入門サイトが意外にしっかりしてたよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ

考古学って、どんな学問? 遺跡は全国にいくつあるの? そんな子どもたちの質問に答えてくれるWEBサイト「全国子ども考古学教室」(https://kids-kouko.com/別ウインドウで開きます)ができた。ありそうでなかった入門ガイドに、子どもたちはもちろん、大人の歴史ファンからも歓迎の声が聞こえてきそうだ。( ・Д・)

「考古学とは何か?」


まぁ「考古学あるある」ですが、文献史学や古生物学との違いについて説明しなきゃならんことが常です( -д-)ノ


「考古学」ってアニメや映画では最も多く頻出する学問名だと思いますが、その実態はよく知られていないものです。

私もYouTubeに考古学入門動画作ろうと思ってやってないですしね、、、

やりますよ、次の休みに!

誓いますっ!(*^・ェ・)ノ←そしてこの顔である


考古学って、どんな学問? 遺跡は全国にいくつあるの? そんな子どもたちの質問に答えてくれるWEBサイト「全国子ども考古学教室」(https://kids-kouko.com/別ウインドウで開きます)ができた。ありそうでなかった入門ガイドに、子どもたちはもちろん、大人の歴史ファンからも歓迎の声が聞こえてきそうだ。





とりあえずリンクを貼っておきました。

子供向けなので、いちいち読み方が括弧書きで追記されているので読みにくいのですが、内容はとってもしっかりしています。

「考古学って何?」ってのも面白いのですが、『全国博物館・遺跡マップ』や『用語辞典』が個人的にはよく出来ているなと思います。

博物館・遺跡マップは本当にお役立ち情報だと思いますよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




このサイトはNPO法人である「むきばんだ応援団」によって製作されています。

この「むきばんだ」というのが、鳥取県にある史跡公園の名称で、上に挙げた写真のように住居の復元がなされているようです。

朝日新聞文化財団の助成を受けて製作されたサイトということで、しっかりお金かかってる感ありますよね( -д-)ノ




おわりに

本当は邪馬台国の記事書こうと思ってたのですが、強烈に眠いし、記事内容が絶対濃く・長くなるので、簡単な紹介記事をアップすることにしました。

まぁ是非、リンクから飛んで、見てみてください!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




・・・さて、YouTubeに「考古学講座」動画のアップか、、、

誓った以上やるしかないな!( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 22にち(どよーび、晴れ)

ここのとこ分析も論文執筆も止まってるな( -д-)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「兵庫県、広沢山遺跡で見つかったのが、新しい古墳!?( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


日本国内の古墳の数は159636基ありまして、約16万基もあるわけです。

古くからの測量調査や、近年の衛星写真を利用した分析などで地表面で見られる古墳はほぼほぼ全て発見されていると言えるでしょう。

なので、「新たな古墳が発見される!」っていうのはけっこう珍しいニュースだと思います(*・ω・)ノ



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今回のニュースの舞台は兵庫県、加古川市に所在する広沢山遺跡です。


同市には日岡山公園という総合公園があります。

この公園、35.8ヘクタールの面積を誇る自然豊かな公園であり、また同市最大の桜の名所として知られています。

スポーツ施設も複数あるそうで、更には約30基の古墳も公園内に存在している文化遺産公園でもあるのですΣ(・ω・ノ)ノ

最初に挙げた写真の南大塚古墳もその一つであり、最大のものだそうです。


いや~、本当に複合公園!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




これらの古墳群は日岡山古墳群として知られています。

今回の発見は同公園の整備の一環として駐車場の造成のための発掘調査でなされました。

そのため今回発見された新たな古墳は日岡山古墳群を構成する古墳と考えられています。


上に挙げた写真のように、ぱっと見は古墳かどうか分からないと思います。

恐らく盛り土部分を含めて多くの部分が後世の人類活動(古い時代の農耕とか建設工事とか)により削平されており、失われているのではないかと思われます。


今回見つかったのは幅約5メートル、深さ約30センチの半円形のトレンチ状遺構(所謂、「溝(みぞ)」;上の写真の土が露出している部分)です。

この溝は古墳を縁取るように掘られた周濠(しゅうごう)の一部と推定されています。


この溝に沿う形でおよそ直径24mの円墳があったと考えられています。

但し前述の人類活動により遺構は攪乱を受けており、円墳と思われる部分の欠損が大きい状態です。

そのため本来は方墳であった可能性もあります。


あ、ちなみに上の写真のところに書いた「座布団」ですが、よく見ると笑点のような高いそれぞれ座布団の上に土器片等の遺物が乗っているのが分かると思います。

遺物の分布には意味がありそうであるが、周囲をもっと掘り進めなければよく分からない(あるいは同一個体の遺物集中である、など)、という状況の時にこのように遺物を取り上げずに周りだけを掘り下げていきます。

この結果出来たものが「座布団」です。

考古学の業界用語のひとつですね( -д-)ノ


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↑花見や夏祭りの時期に訪れるといいかも(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!(「花見特集2020」の記事内画像より転載)




さて、この溝状遺構からはたくさんの遺物が出ました。


座布団に乗ってる子たちですねヾ(´ω`=´ω`)ノ


(↑意味が分かれば、もうあなたも考古学者です(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!)





これらの多くは円筒形埴輪や家形埴輪の破片で、かつて古墳上に並んでいたものが倒れて溝に落ちたと推定されています。

見つかった埴輪の破片資料数は300点以上に上り、帰属時期は古墳時代前期に当たる4世紀のものと考えられています。



↓古墳関連の記事はさすがに多い( -д-)ノ













↑世界にも古墳あるよ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


おわりに

最初に国内の古墳だけで16万基と書きましたが、日本だけでも訪れていない場所なんて無数にあるなぁと思います。

この日岡山公園の桜も綺麗だし、お祭りも楽しそうだし、古墳いっぱいあるし、、、

いつか土器研究の関係で、上手く結びつけて日本国内も海外も色々と周ってじかに見て学びたいものです(*^・ェ・)ノ

……最近、真面目に書き過ぎか!?( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 18にち(かよーび、晴れ)

ゲームをやめれば時間が取れるのにぃ!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「やっぱ気候変動で人類滅びるんじゃない!?( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



ちょっと端折り過ぎたかな( -д-)ノ

考古学や歴史研究から人類の未来を予測し守りたいとカルデア特務機関(FGO)のようなことを本気で考えている管理人ですが、、、


いや、マヤ文明にしても、今回紹介するアッカド帝国にしても、自然の力は凄いぜ!ってお話ですΣ(・ω・ノ)ノ




アッカド帝国の概要

アッカド帝国、あるいはアッカディアは世界で最初の帝国と言われています。

その支配者であるアッカドのサルゴンが、一連の独立した都市国家を統合した後、約4,300年前にメソポタミアに設立したものです。



アッカド帝国の影響力は、世界史で習うあのチグリス川とユーフラテス川に沿って、現在のイラク南部からシリアとトルコにまで及んでいました。

帝国の南北の範囲は、降雨に大きく依存する北の肥沃な土地(アジアの「パンのバスケット」の一つ)から南の灌漑に恵まれた沖積平野まで、様々な気候の地域をカバーしていました。



この土地、肥沃であるけれども降雨に依存してしまうところが問題です。

彼らは自然の降雨に頼る「天水農業」を行っていたわけではありません。

メソポタミアではBCE6500年のウバイド期から早くも灌漑農業を行っていたのです。



ただ大量の降雨による河川の氾濫が周囲の土壌に肥沃さを与えていたのです。

エジプトのナイル川の事例を思い浮かべて頂けると近いと思います。

「アッカドはティグリス・ユーフラテスの賜物」だったわけです。



アッカド帝国は肥大化する中で北方の領土の生産性にますます依存するようになり、この地域で生産された穀物を使って軍隊を養い、主要な支持者に食糧を再分配していました。

そして帝国成立からわずか約1世紀後、アッカド帝国は突如として崩壊し、大量の移住と紛争が発生しました。

この時代の苦悩については、古代の『アカドの呪い』として表現されており、水不足と食糧不足による大混乱の時代だったようです。



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↑紀元前2254年~2218年におけるアッカド帝国の領域図(The Conversationの記事内画像より転載;英文)


これまでの学説

アッカド帝国の急速な崩壊の理由に関しては、文献史学者や考古学者、古気候学者等によって現在でも議論されています。

これまでの説で最も著名な見解の一つは、アッカド帝国の生産性の高い北部地域に深刻な影響を与えた大干ばつの発生によって引き起こされたというものです。



考古学的にはシリア北部でかつて繁栄していたこの地域において、土器等の遺物が欠如することを根拠に約4,200年前に突然放棄されたと解釈されていました。

また発掘調査時の土層堆積の様子から、それ以前に豊かであったであろう土壌が、風で吹き飛ばされた大量の砂埃に取って代わられていたことから、干ばつが始まったと判定しました。

更にオマーン湾と紅海における海底土層の分析から、当時海へと大量の砂塵が流入し、その供給源はメソポタミアであるとして、当時の広範囲の大干ばつの証拠としました。


しかしながら本当に大干ばつがあったのか、その時期はいつなのか、干ばつが原因でアッカド帝国が滅んだのかについて結論を出すには時期早々であり、まだ慎重な態度を必要とするとの声が断ちませんでした( -д-)ノ






鍾乳洞の調査から古環境を復元

ようやくこれからが本題です( -д-)ノ

今回の舞台はイラン北部、標高5000mを超えるダマヴァンド山にあるゴル・エ・ザール洞窟です。


この洞窟では、石筍(せきじゅん)と鍾乳石が何千年にもわたってゆっくりと成長しており、過去の気候変動についての手がかりを残しています。

ちなみに上に挙げた写真のように鍾乳石は上から伸びるものです。

逆に「たけのこ」の文字からも分かるように石筍は下から伸びていくものです(*・ω・)ノ



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↑茶色がアッカド帝国の範囲(再掲)


さて、この洞窟はアッカド帝国の東から数百km離れたところにあります(上に挙げた地図の青▲の位置です(*・ω・)ノ)。

偏西風の風下に当たるため、この洞窟周辺地域の塵の約90%は、シリアとイラクの砂漠に由来しています。



この砂漠の砂塵は、洞窟の石筍の大部分を形成している地元の石灰岩よりも高いマグネシウム濃度を持っています。

そのためゴル=エ=ザールの石筍のマグネシウムの量は、地表の砂埃の度合いを示す指標として使用することができます。

マグネシウムの濃度が高いほど砂埃が多い時期、つまり乾燥した状態を示しているのです(*^・ェ・)ノ

また、この石筍は、ウラン-トリウム年代学を用いて非常に正確な年代測定が可能であるという利点もあるのですヾ(´ω`=´ω`)ノ





さて、これらの方法を組み合わせることで、この地域のの詳細な歴史が明らかとなりました。

4,510年前に始まり110年続いた大干ばつと、4,260年前に始まり290年続いた大干ばつがあったことが分かったのですΣ(・ω・ノ)ノ

この内、後者の干ばつがまさにアッカド帝国が崩壊した時期に発生したもので、今回の研究により大きな気候変動が少なくとも帝国崩壊に関するひとつの要因であると言えるでしょう。



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↑日本を代表する石筍(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



おわりに

さすがに290年も干ばつが続けば帝国も滅びるなと思いますよね(´・ω・`)

しかも建国からおよそ40年後ですから、、、


いつの世も力強い初代王から世代交代した直後くらいに、狙ったかのようにそこまで大きなダメージがくると、伝説の賢王でもない限りどうしようもないのかも知れません( ・Д・)



うむ、それにしても記事が長いし、、、

……今回は最後しかふざけれなかったのが悔しいっ!( ・Д・)

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