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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2020年10月

2020ねん 11がつ 1にち(にちよーび、晴れ)

もう11月だね(。・ω・)ノ゙


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今回の考古学・歴史ニュースは「史上最多となる200個体以上のマンモスの骨が集中して出たよ!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はメキシコのサンタルシア空軍基地です。

この基地は首都のメキシコシティから北に50kmほどの地点にある基地です。

珍しいことに軍用の基地の一部を民間利用することになり、民間航空機用のサンタルシア空港を建設するための工事中に今回の発見が起きました。



この土地からは様々な動物の骨が多量に見つかり、特にマンモスの骨については800点数以上が見つかったそうです。

推定個体数は200体以上とされ、史上最多となるマンモスの骨の集中遺構として一躍有名になりましたΣ(・ω・ノ)ノ


ちなみにこれまでの最多記録は、アメリカのサウスダコタ州ホットスプリングスで61体のマンモスの骨が出土した事例です。





ここからはマンモスの骨ほか、ラクダ25頭と馬5頭、更にバイソンや魚の骨も同じ現場から出土しています。


分析の結果、これらの骨の多くは少なくとも1万年前、最大で2万5000年前のもの分かっています。



写真で見て分かるように、骨の状態は非常に良好です。


それはこの地帯がかつて沼地だったことに由来します。


恐竜の化石の場合でも沼地にはまった結果、保存状態の良好な完全骨格が残ったケースが多くみられます。


沼地に沈むと酸素の供給が僅かなため、通常は腐敗してなくなってしまうような化石や動植物の依存体が残りやすい傾向にあります。


沼地はタイムカプセルのような役割を果たすのです(*・ω・)ノ





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↑こんな深さから出たようだ(「時事ニュース」の記事内画像より転載)




さてこの沼地から大量のマンモスの骨が見つかったわけですが、どうやらかつて5つの群れがこの沼地を訪れ、皆足を取られて沈んでしまったのではないかと考えられています。



ただしあまりにも数が多く、群れがまとめて沼地にはまるのは不自然なため、人間がマンモスを沼地に追い込み、地形を罠として利用したという可能性があるのです(。・ω・)ノ゙


このサンタルシア空港の工事現場の近くにあるトゥルテペックの街の近郊では、人類が設置したと考えられるマンモス用の落とし穴が発見されています。





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↑綺麗なものですね(「AFP BBnews」の記事内画像より転載)



このトゥルテペックのマンモス用落とし穴の付近からは、マンモスの骨を加工してナイフやその他の道具を支える柄に仕立てたものが発見されています。


今回の出土現場からも同様の道具が数十点も発見されていることから、この沼地でも骨を加工・利用していた可能性が高いのです。


また今後の分析で人間が肉を捌いたときにできる痕跡を骨から発見できれば、このサンタルシア空港の沼地においても人類が意図的にマンモスを追い込んでいた可能性を十分に指摘できるでしょう。




さて、現在までに、マンモスがなぜ絶滅したかは完全には解明されてません。


現時点では複数の学説があり、気候変動を主因とするものが有力です。


しかし今回の事例は、気候変動だけでなく、人間によるマンモス狩りが絶滅を早めたとするの説を支持する証拠となる可能性があるのです。


今後の続報に期待ですね(・∀・)つ

 


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↑保存処理の様子(「NewSphere」の記事内画像より転載;credit: Marco Ugarte / AP Photo)



おわりに

さて、私個人の見解としては、写真中におけるマンモスの骨があまりに綺麗なのが気になりますね。

意図的に追い込んだのであれば、その後、肉や毛皮を剥いだり、骨を利用するために持ち去ったりするはずです。

それにしてはしっかり残り過ぎているような気がするのです( -д-)ノ



……もし仮に荒れ狂ったマンモスの群れはかつて人類の住処を脅かす存在だったとして、

食料確保のため、そして毛皮や骨といった素材の確保のためではなく、、、

人類の生活の保全のためだけに、マンモスを沼地に追いやり駆逐したのであれば、



人類による最古の、他種を絶滅に追い込んだ事例となるでしょう( ・Д・)


人類、怖い!( ・Д・)


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2020ねん 10がつ 31にち(どよーび、曇り)

毎日充実している気分、そうそんな気分(*^・ェ・)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「コクゾウムシたくさんの土器が見つかったよ&ハムスター=コクゾウムシ!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、前回の古代の”G”の発見に続いて、熊本大学の小畑弘己先生が、宮崎県えびの市の役所田遺跡から出土した縄文時代後期の深鉢型土器の破片からコクゾウムシ圧痕を見つけたって話なのです。


↓圧痕や”G”の話はこちらです( -д-)ノ



対象となったのは約3600年前の土器片であり、そこから28匹のコクゾウムシの痕が見つかりました。

なので土器全体として250匹のコクゾウムシが粘土に塗り込まれていたと推計されています。

圧痕法が広く用いられるようになってから、日本全国で土器の器面にコクゾウムシの痕が見られるケースが確認されています。

しかしコクゾウムシが多量に混入されるケースは稀で、今回のようなコクゾウムシ多量混入土器が九州で発見されたのは初めてとなります。



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↑コクゾウムシ入り土器の展示(後輩が撮影、ありがたい(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!)

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↑コクゾウムシ入り土器の全体、綺麗だね(後輩が撮影、ありがたい(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!)

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↑矢印部を拡大、穴ぽこ分かる?①(後輩が撮影、ありがたい(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!)

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↑矢印部を拡大、穴ぽこ分かる?②(後輩が撮影、ありがたい(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!)


北海道はでっかいどう!( ・Д・)


さて、この小畑先生(実は後輩の元指導教員)は北海道でも大きな発見をしています。


何かとスケールのデカい北海道ですが、見つかったコクゾウムシ入り土器も凄いのですヾ(´ω`=´ω`)ノヾ(´ω`=´ω`)ノ


その土器が上に示した土器です。


今回の記事では破片資料の話でしたが、こちらは修復されて半完形(ほぼ完形ってこと)状態になっています。


(*日本語としてこの用語は変な感じがしますが、元々アメリカ考古学の用語法を直訳したものなのだろうと私は思っています( -д-)ノ)



さて、この土器は北海道福島町の館崎遺跡から出土した縄文時代後期の深鉢形土器ですね


時期的には先の資料と同時期ですね。




この土器をCT撮影したところ、417点のコクゾウムシ成虫が練り込まれていることが分かりました。


写真で分かるように土器は一部が欠けているため、全体では推定500匹ほどを練り込んでいたと考えられています。



500匹!


さきほどの2倍ですΣ(・ω・ノ)ノ




ちなみに、この北海道の土器から見つかったコクゾウムシは体長もデカいことが分かりました。


なんと西日本産のものより2割ほど大きかったのです!( ・Д・)(


縄文時代の西日本では主にドングリと呼ばれるコナラ属の木の実が貯蔵されていたのに対し、北海道を含む東日本はクリが中心で、クリの高い栄養分がコクゾウムシを大きくしたと考えられているそうです。




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↑コクゾウムシと土器胎土に練り込まれたコクゾウムシ(「EurekAlert」の記事内画像より転載)




さて、本記事ではコクゾウムシ、コクゾウムシと言ってますが、これはオサゾウムシ科の甲虫で、貯蔵米の害虫として知られるものです。



従来はイネの渡来とともに朝鮮半島からやってきたと考えられていました。


なので、縄文土器からコクゾウムシが発見された当初は、「縄文農耕起源論」再燃か!?とも思われたのです。



縄文後期の土器だけではなく、中期の土器からもコクゾウムシが発見され、日本における農耕の起源は非常に古いかも知れないと沸き立ったのです。


しかしその後、1万年前の日本最古級土器からもコクゾウムシが発見され、この議論は収束していきます。


明らかに古過ぎるため、「コクゾウムシの存在=稲の渡来」とする考え方に疑問が持たれたのです。



その後、先ほども少し述べたようにコクゾウムシはドングリやクリに寄生して食物とすることが分かったため、コクゾウムシと農耕起源を結びつける論理は破綻したわけです( -д-)ノ





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↑同じ博物館の石器集中の写真、よくあるやつ!(後輩が撮影、ありがたい(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!)



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↑遺物集中を遺物で再現しつつ、実測図の取り方も表現したもの!面白い展示方法だと思う!(・∀・)つ(後輩が撮影、ありがたい(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!)



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↑可愛いので再掲!カワ(・∀・)イイ!!



おわりにかえて、考古学トリビア;先輩風を吹かそう!( ・Д・)

正確には考古学トリビアではないのですが、今となってはコクゾウムシを知らない考古学者はいないでしょうから、今後飲みの席で先輩が後輩に語るネタとしてはいいかなと思い書き連ねることにしました( -д-)ノ



さて、日本においては特にペットとして人気のハムスターですが、ハムスターってたくさんの種類がいるわけです。

ジャンガリアンとか、ドワーフとか多種にわたっています。

本来のハムスターは「ゴールデンハムスター」を指すのですが、日本ではハムスターはキヌゲネズミ全般を指す言葉として定着したのです。


ではそもそもハムスターの語源とは何か?

語源は古ドイツ語と考えられており、「強欲で大食い」を指すhamustra(ハムストラ)がそれと考えられています。



しかもこのハムストラは西暦1600年頃にはハムスター🐹の意味で使われていましたが、

元々西暦1000年頃にはコクゾウムシ🐜の意味で使われていたのです!Σ(・ω・ノ)ノ



まぁどっちも「強欲で大食い」感ありますもんね( ・Д・)


ちなみに現在のドイツ語の「買いだめする、溜めこむ」という動詞ハムスターン(hamstern)は、ハムスターの貯食の習性から派生した単語だそうです(。・ω・)ノ゙



ハムスターとコクゾウムシがまさか繋がるなんて思いもしなかったけれど、、、

やっぱり歴史は面白いですねヾ(´ω`=´ω`)ノ



少なくとも……

ハムスターはかわいい!( ・Д・)🐹💖


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2020ねん 10がつ 30にち(きんよーび、曇り)

一年半前の記事が下書きのまま発掘されました( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「土器の研究から、日本のGの起源が中国である可能性が分かったよ!」ってことです!


*本記事ではすべてのGをGと表記する方向でいきますね( -д-)ノ


この研究は熊本大学の小畑弘己教授によるもので、土器表面に対するレプリカ法(圧痕法)を用いたものです。


より正確には「土器圧痕のレプリカ法」と言います。


土器の器面(表面)に何らかの要因で押し付けられた痕跡(圧痕)に対して、シリコンを流して型を取った標本(レプリカ)を電子顕微鏡等で観察して分析する手法のことです。





対象となった資料は宮崎県、宮崎市田野町の本野原遺跡(もとのばるいせき)で出土したものです。

この本野原遺跡は縄文時代後期の遺跡であり、西日本において最大級の集落跡が発見されています。


この遺跡から出土した約4300年前の土器と約4000年前の土器の器面からGの卵の痕跡が見つかったわけです。


本記事内で述べている検出されたGの「卵」というのは実際には「卵鞘(らんしょう)」と呼ばれるもので10~11mm程度のサイズだそうです。

この「卵鞘」の中に複数の卵が入っている構造なのです。

そのため「卵のさや」と書くのですね。しかし記事内では分かり易く、「卵」と表記します( -д-)ノ




今回検出されたGの卵は、中国南部が原産とされるクロGの卵と形態的に強い類似性を示しているということが分かりました。


クロGとは屋内に生息する種のGとして代表的なものです。

ちなみにこの屋内GであるクロGが縄文時代の遺跡から確認されたのは初めての事例のようです。


つまり今回の発見によって縄文時代の家屋の中にもGがいたことになります。

どうやら我々と”G”との戦いの歴史はとても長いようですね( ・Д・)



おわりにかえて、誰得? ”G”の歴史


現在の日本には、野生を含めると約50種類のGが生息するそうです。

そんなにいるのですねΣ(・ω・ノ)ノ

北海道産の私としてはほぼ海外でしか見ないのですが( ・Д・)


その50種類のGの中でも家屋内に住む種類はヤマトG、クロG、チャバネG、トビイロGなど10種類いるそうです。

ほんとそんなにいるのですね(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?


こうした日本の屋内Gは、在来種のヤマトGとクロGの他は全て、原産地がアフリカだと考えられているそうです。


平安時代の文献にヤマトGとみられるものが記載されているのがこれまでの初出で、今回の発見でヤマトGがクロGと酷似する可能性が指摘されたわけです。

クロGは中国南部が起源の外来種とされており、今回の土器の証拠から約4300年以前に大陸から日本に渡来したか、あるいは実は外来種ではなく、日本在来種である可能性も考えられるようです。


こうして考古学ではGの起源にまで迫れるのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



……ところで、個人的にGというとモンハンしか出てこないんですけども、

まぁ少なくとも、、、

Gはモンスター!( ・Д・)

↓”G”が嫌いなひと~?(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2020ねん 10がつ 29にち(もくよーび、雨)

さて今日は連休二日目だし、動画作るか、企画ものの記事書くかしたいな(・∀・)つ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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今回の考古学・歴史ニュースは「チグリス・ユーフラテス川が干上がったけども、人類衰退したらそのまま滅亡するかもよ!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、日本の歴史教科書では『四大文明』として記述されるのが、エジプト、メソポタミア、黄河、インダスですね。

どれも大河流域で繁栄した文明として描かれていると思います。

「文明」という用語自体、専門によって定義は異なりますが、ここで常に考古学用語として用いますのであしからず(*・ω・)ノ


(今回のように特別、註を付けない場合、あるいは説明なしに通じるかなと思うときは、一般用語として記述しています(*^・ェ・)ノ)


文明の基準の一つに「大人口」や「都市」の存在が挙げられますが、大きな人口や都市を維持する上で安定した食物供給が欠かせません。

そのため所謂四大文明は豊富な水源となり、時に氾濫原では肥沃な大地を与えてくれる大河流域で発展したのです。





最初に挙げた写真や上の写真でも見られるように、チグリス・ユーフラテス川は元来豊富な水源として機能しており、古代メソポタミア文明を育んだことはもちろんのこと現在の人々の生活も支えていました。


しかし両河川の上流でダムが建設された影響で干上がってしまったそうです( -д-)ノ

河岸の植物や野生生物の生息域はずっと減少傾向にあり、また現地の農業にも重大な影響を与えています。

水分量が減ることで土壌中の塩分濃度が高まり、所謂「塩害」によって農業が深刻なダメージを受けています。

アフリカ北部のサハラ砂漠を始めとして、中東域、中国中部域のシルクロード地帯は全てもとより乾燥地帯なわけで、治水は常に課題となっています。

古来より治水は政治の基本であるわけですが、現在においても水の確保の問題あるいはその独占は簡単に戦争の引き金となってしまいます( -д-)ノ


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ダムの建設は、ダムの所有国にとってはメリットがあります。

例えば水力発電による電力供給であったり、あるいは鉄砲水などの水害のコントロールが出来たりとするわけです。


水資源が比較的豊富な日本からはなかなか想像しにくいと思いますが、古代より常に水不足に悩まされてきた地域にとって例え争いに発展しようともダムを作って、少なくとも自分たちの水を確保しようとする気持ちは分からなくもありません( -д-)ノ

まぁこの辺は現代社会の問題なので一旦置いておくとして、、、



以前から当サイトで述べているように、私自身の考えとして、自然現象の類で人類が滅びることはないと思っています。

(地球が星としての寿命を終えるとか、その前に太陽に飲み込まれるとかのレベルはナシでお願いします( -д-)ノ)

良く言われる、強力な太陽風とか磁気嵐とか、隕石衝突とか火山の破局噴火とか巨大地震や大津波、どのケースでも人類は対応して生きていくと思います。

一方で核戦争や生物兵器はもっと直接的に大規模に人類文明を危機に陥れると思っています。

しかしながらどの要因で現代文明が崩壊しようとも、人類が絶滅することはないと思っています。



私の意見としては、仮に文明が崩壊したとしてその後の復興中に別の要因が重なると絶滅する可能性が一気に現実的なレベルまで上がるだろうということです。


現代文明を支えているのははっきり言って電力です。

このシステムが全球規模でヤラれると修復に多大な時間を要します。

当然ただ耐えて待ち続ければ自然と直るわけではなく、その間に少なくとも修理に必要な専門の人員を生かしておくだけの生産性が必要になるわけです。

もちろんただ修理工のおっちゃんを守ればいいわけではなく、彼らが使う道具や取り替えるパーツ、それらを作るための材料の確保に至るまで、関係者を守らねばなりません。


こうした時に、初期文明を支えた自然環境が失われていることは重大な問題になると思います。

電気システムの破綻した世界での農業生産性は、現在の膨大な人口の前には低過ぎるのです。

それこそ陰謀論で言われるような人類文明を維持するために必要な人材だけを「選別」し、少ない生産性の中で保護していくことになるかも知れません( ・Д・)



そんなポストアポカリプスな世界でも、ダムがあるから水は十分あるでしょと思うかもしれませんが、

電力システムが機能しない状態でのダムにある水なんて使いようがありません。


仮に老朽化によりダムが決壊して、チグリス・ユーフラテス川に本来の水量が戻ったとしましょう。

老朽化には時間を要しますし(文明崩壊後は故意に壊すのも難しい)、決壊時の鉄砲水は河岸の土壌を洗い流してしまいます。

つまり問題が起きた後に、慌ててダムを取り除いても、そう簡単に自然環境が回復するわけではないのです( -д-)ノ

我々人類は自然環境を改変し続けることで繁栄し続けてきましたが、いつかそのツケが回ってくるかもしれませんね( ・Д・)



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おわりに

私の思想の一つに、「人類は別に特別というわけではない」というものがあります。

私たちも普通の生物です。


一方で私たち人類は他の生物とは異なり、大きな発展を遂げたことも事実です。

ここまで繁栄した理由の一つに、詳細な意思伝達のできる言語能力を獲得したこと、そしてそれによる経験・知識を伝えるという学習能力の高さがあると思います。

極端な話、タイムマシンで古代人の赤ちゃんを連れてきて、現代人の家庭で育て、現代教育を施せば、普通の現代人と何変わりなく生活していくでしょう。



つまり知識がなければ、それを活かすことができなければ、昔の人も今の人もさして変わらないということです。

一方で現代の生活の中で生きてきた私たちには古代人が行ってきた「サバイバルな生活」の経験がありません。

もし電力システムが破綻するような事態になれば、私たち自身ではネジ一本作れない状況に陥るでしょう。

要因と規模にもよりますが、今後文明が300~500年ほど後退することは容易に想像できます。

そのような事態に陥った際に、かつてない飢えに苦しむ私たちを取り巻く自然環境は、再び私たちを守り育むほどに優しいものでしょうか?



最後に、何も綺麗ごとを言うつもりはありません( -д-)ノ

もちろんサバイバルを学べと言っているわけではありません。

人類を育んだ自然環境を守れと言ってるわけでもありません。


文明崩壊を避けるために、平和を守り続けるのも容易ではないですしね。

しかも哀しいことに個人レベルで出来ることは多くないでしょう……


うむ、仕方ない、せめて今ある平和を謳歌しようぜ!( ・Д・)


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2020ねん 10がつ 28にち(すいよーび、晴れ)

本気出したらガガガッと書けるものだね、間に合わなかったけどもヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「モンゴルで匈奴の首都が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、匈奴と言えば世界史にも出てくる遊牧民族です。

BCE4世紀~CE5世紀にかけて、ユーラシア大陸の中央部を支配しました。



遊牧民族と言えば、馬に乗って常に移動しているイメージですが、BCE200~BCE60年頃には遊牧国家を築いていました。

主な生業は牧畜と狩猟で、広大な領地はいくつかの単位に分けられており、それぞれの小領地を治める首長がいました。

その首長らを束ねる大首長がいて、まさに「匈奴帝国」を築いていたのです(*・ω・)ノ


国家形成も研究テーマである私にとっては、首長なのか王なのか、首長制なのか国家なのか、帝国なのかどうなのか、本当に謎な用語の使用法だなと思いますが、恐らく匈奴研究における慣例的な呼称なのでしょう( -д-)ノ



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↑文章構成の都合により再掲( -д-)ノ



さて、モンゴル中央部を流れるオルホン川沿いの発掘調査で、ルンチェン、またはルウトと考えられる遺跡が発見されました。

ルンチェンというのは「竜の都」という意味で、匈奴が築いた遊牧帝国の首都だそうです。

名前がカッコイイですよねヾ(´ω`=´ω`)ノ


さて、上に挙げた再掲の3D復元図が「竜の都」の遺構配置を示したものです。

ため池が中心にあり、付近に建造物マウンドがいくつか散見されて、その防壁のような方形の盛り土が見られます。

調査者によると、都市全体を囲むように二重の防壁があるとのことですが、この画像からはどれのことなのかよく分かりません( -д-)ノ


二枚目の写真では発掘調査の様子が見て取れます。

乾燥地帯ということもあり、ほとんど平地で建造物遺構の残りは良くないようですね。

ため池が現存していることにも驚きますが、、、

人のサイズとため池のサイズからして、この「竜の都」って小さくないですか?( ・Д・)



発見者は匈奴の遊牧国家(ないし帝国)の首都って表現しているけど、首都って都市でしょ?

遊牧民族なので定住の痕跡が少ないことは想像に難くないし、そうであれば古代人口の推定は極端に難しくなるし、、、

遺跡としてこの規模で、都市の定義に入るのか疑問ですね( ・Д・)


では何故、調査者はこの遺跡が文献にも僅かにしか記載されていない「幻の都」だと判断したのでしょうか?Σ(・ω・ノ)ノ


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その根拠がこちらの遺物ですヾ(´ω`=´ω`)ノ

ぱっと見、石板にも見えますが、この割れ方からすると恐らく土製かな……


調べてみたところ、瓦当(がとう)という軒瓦の先端部分でした。

だから土製(陶製)ですね。

日本にも古い瓦の歴史があり、様々な用語がありますが、こちらは中国の用語です。



さて、この瓦は建物跡から出土したわけですが、重要な理由は『天子単于』の銘が入っていることです。


天子」は中国で用いられる(日本でも使われていますが、本記事はモンゴルの話なので省きます)言葉で、君主の称号です。

天命を受けて、天帝の代わりに天下を治める者の意味があります(*^・ェ・)ノ

単于」は「ぜんう」と読み、匈奴の大首長を意味するものなのです。


なので、この建造物は匈奴の大首長のもの、だからこの遺跡は「幻の都、竜の都であるルンチェン」という解釈なのです(*・ω・)ノ



ちなみに度重なる資金不足により発掘調査は完了していないようです。

現在のところ、他の専門家から批判的な意見が多いようですが、今後も有力な証拠が見つかるといいですね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



↑匈奴関係でこんなのありました~(。・ω・)ノ゙



↑こちらは匈奴?とも言われるフン族と感染症パンデミックのお話( -д-)ノ


おわりに

匈奴と言えば、幾度となく古代中国国家に侵入し略奪を繰り返したことで知られています。

彼らの侵入を防ぐために「万里の長城」が築かれたことでも有名です。

(上に挙げた過去記事(2つの内の上側)では、必ずしもそうではない可能性が指摘されています( -д-)ノ)




あと、匈奴は遊牧民族で、農耕はしていないと思われがちですが、実はしていたようです。

古代中国に侵入して、奴隷を確保して、彼らを自分の領地内で定住させて農業を行わせていたそうです!Σ(・ω・ノ)ノ

意地でも自分たちでやらない!

凄いですね、強い意思を感じます( ・Д・)



そう言えば、匈奴と言えば、ヨーロッパに侵攻した遊牧騎馬民族フン族との関係を示唆してか、「フンヌ」とも呼ばれています。

……さて、私も彼らのように強く自由に生きていこう!

フンヌッ!( ・Д・)


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2020ねん 10がつ 27にち(かよーび、晴れ)

「昨日」って打ったら「帰納」と出てきた、、、働き過ぎか( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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今回の考古学・歴史ニュースは「またエジプトか!?最古のチーズと最古の感染症が発見されたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



さて、舞台はエジプト、古代都市メンフィスです。

ここで紀元前13世紀のお墓が見つかりました。

被葬者はプタメス(Ptahmes)という名の高官です。


彼の墓は最初1885年に見つかっていたのですが、その後、砂嵐によって砂に埋もれて行方が分からなくなってしまい、2010年に再発見されたのだそうですΣ(・ω・ノ)ノ

砂に埋まるなんて映画「ハムナプトラ」みたいな話ですね( ・Д・)




さて、彼は高官ですから墓には副葬品があったわけですが、その内の一つに上に挙げたような土器が見つかりました。

中には何やら「白っぽい塊」が詰まっています。

副葬品であること、そしてその配置から、考古学者らによって発見当初より「食べ物」の可能性があると指摘されていました。

この謎の白い物体を理化学分析によって成分を判定したところ、チーズであることが分かったのです。

しかもどうやら現代の「シェーブルチーズ」に似ているそうです(*・ω・)ノ



シェーブルとはフランス語で「山羊(ヤギ)」を意味します。

こうした山羊乳を用いたチーズ作りは、私たちにとってより一般的な牛乳を用いたチーズより古いものです。

どうやら山羊乳特有の癖のある風味を有しているようです( ・Д・)



古代のチーズは地位の高い裕福な人物が食していたようです。

シェーブルチーズは水分を多く含んでいるために、日持ちせずすぐ腐ってしまうそうですが、これまでにも貴人の墓の副葬品として何例か確認されているそうです。

今回のこの事例では約3200年前の事例なので最古級のチーズの事例となります。






実は複数ある古代のチーズっぽい事例で、紀元前7000年、つまり今から9000年も前のものが確認されているそうです。

紀元前7000年というと古代エジプトで定住が開始された頃でしょうか……

ただしこの事例では土器内面の残滓から脂質残滓、脂肪残滓を抽出できたことに由来する発見であり、チーズなのかヨーグルトなのかよく分からないそうです。

また実際にその二つの区別はかなり難しいようですね( -д-)ノ


他にも紀元前3200年、今から5200年も遡る、古代のチーズではないかと疑われる物質が古代エジプトの瓶から発見された事例もあるそうです。

こちらも本当にチーズかどうかは不明ですが(*^・ェ・)ノ



さて、今回紹介している3200年前の古代チーズは、これまでに発見された中で最も古いものではない可能性もあるのですが、実は別の理由で際立っています。

成分分析の中で、何百ものペプチド、つまりアミノ酸の鎖が発見されたのです。

そのほとんどは人間の皮膚や唾液に由来する一種の汚染であしたが、少なくとも9つのペプチドは牛や卵の乳に関連していることが分かりました。

その分析の結果、ブルセラ症の原因となる細菌の証拠を発見したのです。



これは現在でも存在する発熱、頭痛、筋肉痛などの症状が再発したり、その症状が全く治まらなかったりする人獣共通感染症です。

別名は「マルタ熱」で、1887年のクリミア戦争時にイギリス軍の軍医・デイビッド・ブルース (Sir David Bruce) に発見されました。


このブルセラ属菌は敵国の兵士や住民に罹患させて能力を低下させる生物兵器としても研究・培養された歴史を有しており、アメリカは1942年、ソ連は1978年に兵器化を実現したのです。

ちなみに日本では1970年代までにほぼ撲滅されました。


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↑エジプトっぽい画像を貼ってみた、特に意味はない(・∀・)つ


おわりに

コロナウィルスの登場により、感染症と聞くと思わず反応してしまいますよね。

コロナウィルスも中国が手を加えた生物兵器ではないか、なんて噂もチラホラと聞きましたが、どうなんでしょうね( -д-)ノ


生物兵器の開発・使用は国際法で禁止されています。

でもそれくらい非人道的であり、大量の死を招くものなのです。

コロナウィルスやインフルエンザですら多数亡くなってますからねヽ(TдT)ノ


核兵器より恐ろしいかもね!( ・Д・)


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2020ねん 10がつ 26にち(げつよーび、晴れ)

今日は頑張ったな~(・∀・)つ


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今回の考古学・歴史ニュースは「先古典期ティカルの貯水池にはクリスタルを用いた浄水機能があったらしいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の記事は学術雑誌「Scierntific Reports」の最新号(2020年第10号)に掲載された論文を基に書いています。


【参考文献】
Kenneth Barnett Tankersley, Nicholas P. Dunning, Christopher Carr, David L. Lentz & Vernon L. Scarborough
 2020 ”Zeolite water purification at Tikal, an ancient Maya city in Guatemala”, Scientific Reports volume 10, Article number: 18021


ちなみに上に挙げたクリスタルスカルはインディジョーンズの映画やディズニーシーでお馴染みのものですが、本記事とは関係ありませんのであしからず( -д-)ノ

関係あるとすれば、クリスタルってことくらいですね( ・Д・)


では発表された論文の内容を紹介しますね!


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↑ティカルの位置と、コリエンタル貯水池の位置(Tankersley et al. 2020のFigure 1より転載)



この研究で取り上げたのはティカルの中心部であるアクロポリス群の南方に位置するコリエンタル貯水地です。

この貯水池は先古典期後期から古典期後期(BCE250-CE1000)にかけて、ティカルの人々にとっての重要な水源でした。

この時期判定は土層中の炭化物を対象としたAMS放射性炭素年代によって2185〜965 cal yr B.P.(1950年が起点)という結果から推定されたものです(*・ω・)ノ



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↑時期の判定(Tankersley et al. 2020のFigure 2より転載)



さて、これまでアメリカ大陸の先住民には正式な浄水システムがなかったと考えられてきました。

例えば、北米の事例では、自然にろ過された泉からきれいな水を得て、それを沸騰させて飲用に用いていました。

中米の事例では、アステカ人は水道橋を通じて都市に浄水技術を必要としない豊富な湧水を得ていました。

こうした水道橋は南アメリカのアンデス地域、インカの人々によっても建設・利用されていました。


一方で中米のマヤ社会は、所謂「新世界文明」の中で唯一水のろ過を必要としたと考えられています。

マヤ地域はその気候的特徴として極端な季節的干ばつの影響を受ける地域です。

また人口が過密状態の中で長期的に居住が続いていたことから、ティカルの飲料水は多数の微生物源(シアノバクテリアなど)や硫化水銀などの有毒鉱物からの浸出物による汚染を受けやすい傾向にあったと考えられています。

しかしこれらの汚染物質がどのようにして飲料水から除去されたかについては良く分かっていませんでした。


YouTube動画に上がっているサバイバル動画にあるような、砂、砂利、植物、布による、ろ過システムは、早くも紀元前15世紀にエジプト、ギリシャ、南アジアで記録されています。

一方でマヤ地域ではそういった証拠が見つかっていませんでした。

今回の論文では、先に述べたコリエンタル貯水池から、ゼオライト(沸石)と石英(水晶、クオーツ)が発見されたと述べられています。


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↑貯水池から発見されたクオーツ(水晶)とゼオライト(「D」の部分)(Tankersley et al. 2020のFigure 3より転載)



この論文ではティカルのコリエンタル貯水池にはかつてゼオライトを用いたろ過システムが使用されており、これは『新大陸』における浄水の最古の事例となるということです。

また同時に、世界で最も古い、飲料水の除染のためのゼオライトの使用の事例となります。


上に挙げた図・写真に見られるように、コリエンタル貯水池とその周辺の調査結果として堆積物中からゼオライト(沸石)と粗い砂粒サイズの結晶性石英の混合物が発見され、これらを通して水をろ過していた可能性が指摘されています。

ゼオライト(沸石)は、無毒で、三次元的に多孔質で、結晶性の水和アルミノケイ酸塩であり、天然の吸着剤およびイオン交換特性を有し、飲料水から有害な微生物だけでなく、分散した不溶性および可溶性の毒素をも除去するものです。


このゼオライトは、『旧大陸』では古くから優れた吸収性を持つ鉱物として認識されていました。

例えば、約2700年前にギリシャ・ローマの技術者は、水道橋、橋梁、ダム、港湾などの大規模な水理構造物の建設にセメントのポゾラン(シリカ質混合材)としてゼオライトを使用していました。


砂等を用いた最も古い浄水形態はヨーロッパや南アジアで発生したと推定されているものの、ゼオライトが水質浄化のために利用されるようになったのは20世紀に入ってからと考えられてきました。

そのため今回の発見は歴史的にとても重要な、非常に大きな発見なのです!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

古代マヤ文明の凄さが増しますね!(笑)(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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↑これが古代マヤの叡智!浄水システム( ・Д・)(Tankersley et al. 2020のFigure 4より転載)



今回の研究で、ティカルの人々は都市の北東30kmにある粗い結晶の凝灰岩からゼオライトと石英結晶を採取したと推定されています。

彼らは大量の人口を支えるための大量の飲料水を浄化するために、これらの自然の火山性鉱物資源を効果的に採取・利用していたようです。

ティカルでは貯水池へと続くようにプラットフォームを僅かに傾斜させていることが知られていました。

今回の研究によると、上の図のように貯水池に水が流れ込む直前にゼオライトと石英片、石灰岩のフィルターが準備され、水がそこを通って浄水された後に貯水池に流れ込むシステムになっていたようです。


こうした浄水システムは数あるティカルの貯水池の中でも、現在、コリエンタル貯水池においてのみ証拠が発見されています。

今後の調査で他の貯水池からも見つかる可能性がありますね(*・ω・)ノ





おわりに

いかがでしたでしょうか?

補足として、

このティカルにおける浄水システムの建設は紀元前250年頃です。

旧大陸における最古級の事例である南アジアの砂と砂利による水のろ過が1700~1600年前ですので、600年も古いものとなります。

またこのコリエンタル貯水池のゼオライト浄水システムは、ヨーロッパの事例としてロバート・ベーコンにより1627年に開発されたゼオライト砂粒を用いた最初のろ過システムより遥かに早いのですヾ(´ω`=´ω`)ノ


マヤすげー!
水、うめー!( ・Д・)

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2020ねん 10がつ 26にち(げつよーび、やや雨)

やっぱつまらんぽいので(PV伸びないので)、反省して通常の記事を後ほど追加しようかと思います(´・ω・`)ショボン


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↑世界一になるぜ!( ・Д・)(昔、スマホアプリで作ったやつ( -д-)ノ)



今回は「考古学で未来を予測するよ!( ・Д・)ってお話の続きです(*・ω・)ノ

普段はなるべく写真を使うようにしていますけど、文字ばっかりですし、良く分からん話かも知れないですが、今回で終わりにしますのでお付き合い下さいヽ(TдT)ノ

前回のまでは、けっこう夢見がちなことを書いていましたが、今回は後半においてやや具体的な内容になります。

おさらいとなりますが、全ての科学は繋がっていると考える私にとって、人間活動も法則性をもっていて然るべきと考えているわけです。

ただし、それは決して個人レベルではなく、古代においてはコミュニティ、マヤ文明で言えば都市国家、現代で言えば日本、アメリカ、中国といった国家というような「集団」として捉えた際に法則性が見えてくるのではないかということです(*^・ェ・)ノ



マヤ文明研究は文明崩壊の研究には最適

さて、世界史を取った方には良く分かると思いますが古今東西数多の文明、文化があったわけで幾度となく滅び去っています。

でも実際の文明崩壊というのは戦争を代表とする武力闘争に敗北した結果、支配者層が入れ替わっているだけです。

単独の都市国家規模であったり、あるいはイースター島のような地理的に大きな制限のある場合を除くと、文明が崩壊してその地域に人がいなくなるケースというのはほとんどないように思います。

その点、マヤ文明における『古典期マヤの崩壊』では文化の中心地であったマヤ中部低地から完全に文化が消失し、かつての何十万もの人々は離散し、明らかに希薄な人口のみが残りました。

古典期マヤの歴史は、初期国家形成から都市国家の成長、都市国家同盟の成立、対立の激化、文明の崩壊と『一直線に』進んだかに見えるのです。


マヤ地域あるいはメソアメリカ地域をひとつのコスモ(小宇宙;小さな世界)と捉えた際に、当時の都市国家群は現在の国家、当時の都市国家同盟とその対立は現在の日米同盟や米朝対立とそれぞれの支援国として反映して考えることができるのではないかと思うのです。


考古学で未来予測できるのか?

地震の確率の出し方知ってます?

過去1000年間に10回地震があった痕跡を地層等で発見した場合、単純に割り算して約100年に1回のペース、最後の地震から50年だから確率は低いとか、最後の地震から120年経過しているのでいつ来てもおかしくないとかそんな感じです。

だったら戦争の回数とかもざっくり計算しても良いのでは?とか思ってしまいます。

地震は良くて、戦争はダメ、天気なら良くて、文明崩壊はダメ。

これは自然現象か人為的な問題かどうかに起因しているわけですが、ヒトが絡むと法則性がなくなると根本的に考えていることを端的に示していると思います。

実際には天気予報外れるし、誤差は認められている。

地震なんて数十年単位で外れる。

なのにOK。

でも戦争や文明崩壊はダメ。

私は違和感を感じます。

どうせどんな予測でも最初はズブズブなんだから、堂々と法則性定立的な研究を行って、少しずつ改善していけば良いのではと考えています( ・Д・)

だから考古学で何が何でも、穴だらけでも未来予測しちゃえばいいのです。



考古学の基本は分類・分布(空間)・編年(時間 / 変遷)だと思います。

分類の結果、私たちはモノを数としてカウントしますし、それらのモノの変遷を捉えるのも得意です。

なんやかんや考古学は数値データを扱うことが多いので、統計等の手法とも組み合わせること出来ますし、予測グラフを比較的描きやすい学問かなと思うのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


じゃあ具体的に何をやるのか?( ・Д・)

ここから急に毛色が変わります。

色々述べてきましたが、実際に考古学で未来を予測しても大した結果になりません。

適当に「それらしく」第三次世界大戦の勃発や文明崩壊を予測することはできますが、中身が薄いでしょうね。

なので、これまで書いてきたような内容は、個人的にはとても面白いのですが、ここでの特集記事として書くくらいが丁度いいかなと思ってます。

「マヤ考古学データを使って人類滅亡を予測してみた!( ・Д・)」みたいな感じで。


残念ながらこういったものは一般ウケはしますが(当記事はウケてませんが(/TДT)/ギャー)、研究費は獲れません。

そこまで甘くないのです( -д-)ノ



マヤの歴史を用いつつ、未来を予測する上で

・都市間関係
・戦争
・文明崩壊

がキーワードになってきます。

この内、文明崩壊はある意味「ゴール」なのでそっとしておき、戦争は考古学では良く分からないデータなのでそっとしておくと、、、

正直、都市間関係しかわかりません。


最も多量に出土する土器はタイムスケールとして有効ですし、土器データを用いてこの都市間関係を明らかにしていく必要があります。

土器を用いると、威信材であれば都市間の上下関係が分かるかも知れませんし、原産地同定がしっかりしていれば経済関係が分かります。


つまり最終目標として未来を予測するためには、まず考古学らしく地道な調査研究が必要であり、まずは1都市における土器を中心とした物質文化を明らかにし、次に都市間の関係を分析していく必要があるのです。

それも通時的に、変化を意識しながら。

ここまで来ると一気に普通の考古学の世界になったと思います( -д-)ノ



おわりに

もっと書きたいことはありますが、これ以上は複雑になるかなと思い、一度筆を置くことにしました。

考古学における数学・統計学の導入と法則定立的研究の推進が今後私のテーマのひとつとなります。

今回は興味を持って頂ければとかなりふわっとした感じで思い思いに書きましたが、どうだったでしょうか?

向こう3年間の中で、私のやりたい法則定立的研究は十分に芽吹くと考えていますので、今後チラホラと近況報告をするやも知れません(*^・ェ・)ノ


応援、支援してくれるかはともかく、『普通の考古学研究』以外に私が大きな野望を抱いて密かに研究を進めていることを知って頂ければなと思います。


最後まで読んでくれた方、本当にありがとうっ!( ・Д・)

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2020ねん 10がつ 25にち(にちよーび、やや雨)

あと一週間頑張ったら研究時間が増えます(・∀・)つ


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↑世界一になるぜ!( ・Д・)(昔、スマホアプリで作ったやつ( -д-)ノ)



今回は「私の野望を教えるから、どんな形でも本気で支えてね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


いつものニュースや企画ものと違って、ただただ私の考えを書き連ねる予定でおります( -д-)ノ


内容はちょっとぶっ飛んでます( ・Д・)


あと記事も複数にまたがる可能性が多分にあります。


が、しばしお付き合い下さい(*_ _)ペコリ




役に立つ学問として人文科学をけん引するよ!( ・Д・)


所謂、人文科学って役に立たないとかよく言われるじゃないですか?ヽ(TдT)ノ



昔話をすると、


私が博士課程の頃、「科学って何だろう?」、「考古学は科学か?」、「どうしたら考古学は科学と認められるだろう?」、「考古学はどうしたら社会の役に立つのだろう?」なんて思い悩んで、眠れぬ日々を過ごしておりました。


そんな折、たまたま入った飲み屋さんで、カウンターに座ったわけですが、


隣の50代くらいの会社員のおじさんに、


「あんたらみたいな賢い博士がしっかりしないから、日本はこんなんなんだ。俺は何もできないが、あんたたちはしっかりしないといけない」


と言われました。




まぁ頑張りますわと思っていたら、


反対隣りに今度はお医者さんがやってきて、お酒が進んだ先ほどのおじさんは私を挟んでお医者さんと喧嘩を始めました。


「医者がしっかりしないから、大切な人が死んでいって、この世の中は悪くなる一方だ」


そんなことを述べていました。




私は挟まれて喧嘩されてるもの辛いので、「まぁまぁ落ち着いて楽しく飲みましょう」と言ったら、


そのおじさんに、


「お前のような人の命も救えないようなやつに喋る資格はない!」


と言われ、


どうやったら考古学が社会の役に立つ学問となるかと本気で悩んでいた私には、あまりに辛辣な言葉で、ガチで泣きました(笑)(ρ゚∩゚) グスン




そこからですね、考古学を、歴史学を、ひいては人文科学を社会に役立つ学問として認めさせることが私の目標になりました。




人類を守る考古学( ・Д・)


役に立つかどうかって何だろうって考えた挙句、


現代社会と学問との乖離が、一般の方々に「学問は役に立たない」というイメージを与えているのかなと思うに至りました。


難しい言葉を並べて、論理的に、学問がいかに重要かを説くこともできるでしょうが、それだと大衆には響かないのです。


なので、誰にでも分かりやすく、考古学が役に立つと高らかに宣言する方法として、「未来を予測する」ことにしたのです。




だから、「考古学って何の役に立つの?」って聞かれたら、今ならこう応えます。


「人類を滅亡から守ってます( ・Д・)」





考古学で未来を予測することは可能か?( ・Д・)


古代中国では「歴史」はとても大事な物でした。


過去の王朝や王様がどういう時にどのような決定を下した結果、良くない事態に至った。


なんていうように、二の舞にならないように過去の事例を参考にしていたのです。



歴史研究だって昔は、「人類の規則性」を求めていた時期があります。


でも今ではどうでしょう?


怪しい研究(?)はありますが、基本的には個別的な事例研究になっている気がします。


何故そうなったのでしょう?



長い研究の中で、「人類には法則性などない」と思えるほど上手くいかず、何度も打ちのめされて、諦めたのでしょう。




昔は「歴史は繰り返す」なんて言ってたのに、


今では「歴史は一回性の事象」なんて言われています。


一回性という言葉、そういった時間に対する感覚こそ、歴史学に痛烈なダメージを与えたように思うのです。


なので私は、過去の失敗にビビッて歴史法則を求める行為すら憚れてしまう現在の在り方の原因を『一回性の悪魔』の仕業と呼称することにしました。



個別に見れば、ミクロな視点ではもちろん一回性は存在します。


時間が何度も巻き戻り、織田信長が何度も殺されて、100回に1回くらいは返り討ちにしてその後の歴史が大きく変わって……そうした全ての歴史的な反復事象を観測できる、なんてことはヒトをやめない限り不可能でしょう。



でもマクロな視点では、人間(集団)って、大体同じような問題を抱えていて、似たような選択をするのではないでしょうか?



例えば、量子レベルでは個別の量子がどこで何してるのか良く分からず、確率の問題に帰着します。


でも古典物理学みたいな実生活レベルのマクロな運動であれば計算してその運動を十分予測できるでしょう。




人も同じじゃないでしょうか?


個別の人間は何考えているか分からないし、日常における様々な選択肢の中、何を選ぶかもよく分かりません。


でも集団になれば人間の意思決定はかなり単純化されると考えています。

所謂、集団心理とか群集心理というものの方がモデル化しやすいと考えているのです( -д-)ノ



何かと私たちは人類を特別視しがちですが、結局はただの生き物です。

「意識」がある動物も「知性」がある動物も決して少なくなく発見されています。

そんな動物たちに対して法則性を見出すのに、何故私たち人類だけ法則性がないのでしょうか?

心理学も社会学も経済学も法則性を見出すのに、何故歴史だけ法則性がないのでしょうか?

我々の複雑怪奇な行動の背後にも難解な法則性があるのではないでしょうか?



……とまぁ、今回は徒然なるままに夢見がちに筆を走らせましたが、

次はより具体的な内容を紹介していきたいなと思います。

……次回に続くよ!( ・Д・)

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2020ねん 10がつ 24にち(どよーび、曇り)

山超えた、と思ったら連峰だった( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「マヤ文明にも海底遺跡ならぬ湖底遺跡があったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はグアテマラ南部、ソロラ県にあるアティトラン湖です。



8万4千年前の火山の噴火によってできたカルデラ湖です。


上に挙げた写真にも一部見えていますが、周囲は3つの火山に囲まれています。




グアテマラも観光業に力を入れていて、『アティトラン湖は世界一美しい湖』と称しています。


誰か有名な人物のセリフかと思いきや、勝手に命名したようで、言ったもん勝ちですね( -д-)ノ



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↑外国人観光客はどこでも飛び込むのが好きだと思う( -д-)ノ(「Ready Set PTO」の記事内画像より転載;英文)



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↑のどかなとこですよ(・∀・)つ(「Bi」のホームページ画像より転載)



上に挙げた写真でも少し分かるように、けっこう透明度あって綺麗な湖です。


とは言ってもむちゃくちゃ透明度が高いわけではありません。



その代わり魚やエビなど多数の生物が生息していて、古代から現代に至るまで人々の生活を支えてきました。


この辺りは現在でも現代マヤ人が住んでいて、民芸品などのお土産が多数売られています(*・ω・)ノ



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↑グアテマラの新聞に掲載されたサマバフ(「puebloclick」の記事内画像より転載;スペイン語)



湖底遺跡サマバフはグアテマラシティに住む、ロベルト・サマヨア・アスマスが1996年に潜水した際に発見されました。


この発見者の苗字の半分である「サマ」とマヤ語で石を意味する「アバフ」を繋げて、サマバフ遺跡と命名されました。




上に挙げた写真のように、グアテマラの新聞では大発見として取り上げられ、ナショナルジオグラフィックにも取り上げられました。


しかしながら水中遺跡公園としてはまだ整備が進んでいません。




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↑湖底にしっかりとラインを引いて、グリッドを設定している。手前は土器の口縁部(「Pinterest」の画像より転載)



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↑サマバフの考古学調査で作成された測量図(Samoyoa 2000)



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↑分かりやすい沈降の図(「Guatemala.com」の記事内画像より転載)




ナショナルジオグラフィックが助成しただけあって、グアテマラの技術とは思えないほどしっかりと水中考古学調査が行われました。


上に挙げた写真に見られるような、きっちりとしたグリッド作成なんて本当にすごいことです。


ちなみに私の知っている現地考古学者は地上でもこんなにしっかりやりません( -д-)ノ


資金力は偉大なり( ・Д・)




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↑切り石の石列(「Prensa Libre」の記事内画像より転載;スペイン語)


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↑恐らく四脚の付いた碗の底部が見えている(「Facebook」のAmigo Atitlanの画像より転載)

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↑完形の壺(「Pinterest」の画像より転載)



小さな島の上にあったサマバフは、450×350mの面積で、湖周辺に居住するマヤ人達にとっての巡礼センターだったと推定されています。


しかしサマバフはおよそ1,700年前に突如として湖底に沈んだと考えられています。


遺跡は現在水深30m付近で水没しており、湖がそこまで上昇した原因については現在までに3つの説があります。




第1の説では、アティトラン火山の溶岩流が湖に流れ込んだために水位が上がったとされています。


この場合、地質学的データによると2000年前に溶岩が流れ込んで、サマバフは沈んだことになります。




もう一つの可能性としては、アティトラン湖が8万年前に巨大な噴火を起こして出来た火山性カルデラであることから、1700年前頃に溶岩の影響で湖底が膨張したことで、湖の水位が上昇したと考えられます。



第3の説では、極端な雨で大洪水が発生し、周囲を火山と断崖に囲まれた地形のアティトラン湖の水位が上がってしまったことが示唆されています。




本格的な調査は2008年から開始され、祭壇やステラ(石碑)など18基の石彫が確認されました。


上に挙げた測量図にもあったように多くの住居の他、蒸し風呂(サウナの一種)も確認されました。

最近の調査では、島の周りに4つの石を積み上げて造った埠頭があり、船の乗り降りができる場所も整備されていたことが分かっています。


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↑切り石の石列②(「Prensa Libre」の記事内画像より転載;スペイン語)



おわりに

実は一度だけアティトラン湖に行ったことがあります。

普通に観光ですけど。

のんびりしていていいとこですよ。

個人所有の博物館があって、お金にモノ言わせてけっこういいものを集めてるな~と思った記憶があります。


私が行ったのはちょうど最初の4年間の調査が終わる2012年頃だったので、湖底遺跡発見の話は聞きましたが、

「どうせガイドの言うことだし、伝説かホラだろ」なんて思ってました( -д-)ノ

向こうのガイドは気を惹いてチップもらうために嘘を積み上げる傾向があるのでね( ・Д・)


……いくら考古学者と言えど、、、


数多の嘘の中から真実を発掘しろと!?( ・Д・)

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