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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2020年10月

2020ねん 10がつ 23にち(きんよーび、晴れ)

10日サボった後、10日くらい毎日更新中、えらいっ(・∀・)つ


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今回の考古学・歴史ニュースは「イタリア南部、古代ローマの遺跡が沈むバイア海底遺跡がかっちょいいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はイタリア南部、カンパニア州の町、バイアにある海底遺跡です。

正式名称は「バイア海底考古学公園」となっています。

 


上に挙げた写真は1956年にバイア上空からイタリア軍のパイロットが撮影したもので、それを機に発見されたのだそうです。



海外からかなり近いですし、浅い部分にあることが分かります。




グーグルマップの解像度って場所によってはかなり高いので、もしかしたら見えるかも~

って探してみましたけどダメでした( -д-)ノ


さて、このバイア海底遺跡は、ポンペイのような悲劇の都市とは性格が異なります。

この辺りは、少なくとも古代ローマ期から現在に至るまで、地殻変動の影響により地盤が浮き沈みしている地域なのです。

この地盤の上下運動はとても緩やかなものなので、古代ローマ人は水没の危険を察知して海沿いの邸宅を意図的に放棄したそうです。

さて、では海底遺跡の様子を見ていきましょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





深度は浅いのでスキューバダイビングとして難易度は高くないそうです。

また船底から海底を覗けるようになっている遊覧船もあるので、ライセンスなくても楽しめるようです!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


上の写真には破損した壺が映っていましたが、少なくとも中心部における大体の遺物の引き上げは終わってるようです。

特に彫像は全て引き上げられ、博物館にてオリジナルを見ることができます。

海底に設置してあるのはダイバー用のレプリカなのです(・∀・)つ



↑おわりに、で使用している「ポンペイ前提」について触れてます(難易度:高)


おわりに

地上の発掘調査ですら大変なのに、

海の中だと調査も記録も本当に大変だろうなと思います( ・Д・)

知人が海で調査したことあるのですが、聞いたところ、潮の満ち引きの影響で時間の勝負の側面が大きく、せっかく掘って露出させたそばから砂を被って嫌になると言ってました( -д-)ノ


考古学の基本理論である「ポンペイ前提」も使えなさそうだし、水中考古学は新しい分野ではありますが考古学界内でも課題が山積みな気がしますね。

海外ではもうけっこう盛んですが、日本ではまだまだ認められていない部分も少なくないと思うのです( -д-)ノ



このバイア海底遺跡周辺は現在でも地殻変動で浮き沈みしているようですから、私が死ぬまでにもし浮いてきていい感じに露出したら行きたいなと思います( -д-)ノ

そんなこと言ってないで、スキューバのライセンスを取るべきか……


マヤでも水中考古学やりたいね!( ・Д・)

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2020ねん 10がつ 22にち(もくよーび、晴れ)

亀の歩みでも研究を進めるのだ(*^・ェ・)ノ


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今回は「おにぎりだって残るよ!🍙最古のおにぎりとお弁当箱の事例を紹介するよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


これまでにも「食べ物の考古学」を紹介してきました。

「まだ食べれるよ?」シリーズもあったように、食べ物って残る時は、しっかりと残るものです。

今回紹介するおにぎりは炭化して残った物なので、残念ながらまだ食べれる感じはしません( -д-)ノ

さて、ひとまずどんどん紹介していきますね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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↑最古のちまき(「古代米販売」の画像より転載;現在ページは存在しない)



さて、これが炭化して見つかった「おにぎり状のもの」としては最古の事例になります。

出土したのは、石川県の杉谷チャノバタケ遺跡です。

約2000年前の弥生時代中期に帰属する竪穴住居跡から見つかったものです。


縄文農耕論もありますけど、やはり弥生時代に農耕へと生業活動の中心がシフトしていきました。

それでも恐らくこの時期に「おにぎり状の何か」は貴重なものだったようです。


上の写真だと二等辺三角形みたいに見えますけど、実際には円錐形をしており、山を崇拝していたからこの形状なのだとする説があります。


この「おにぎり状の何か」は研究の結果、炊かれて握られたものというより、おそらく蒸された後に焼かれたものであり、粽(ちまき)に近いものと考えられています。

なので、この依存体(たぶん植物依存体に分類されると思う( -д-)ノ)は「粽状炭化米塊(ちまきじょう たんかまい かい)であり、おにぎりじゃないのです。


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↑こー見えて、もみ殻付きなのです(*・ω・)ノ(「青谷上寺地遺跡展示館」の画像より転載;現在ページが存在しない)


こちらも弥生時代中期に相当する依存体です。

出土したのは鳥取県、青谷上寺地遺跡です。

まとまってるのでおにぎりっぽいですけど、顕微鏡観察すると籾殻(もみがら)が付いていることが分かりました。

なのでこれもおにぎりではなく、籾殻付きのまま炭化した炭化米なのです(*・ω・)ノ


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こちらは神奈川県、北金目塚越遺跡で検出された依存体です。

弥生時代後期後半に帰属する竪穴住居から見つかったもので、1700年前のものです。


めっちゃおにぎりっぽいんですけど、これも違います(゚ロ゚;)エェッ!?

実はこの遺物の表面についた籠の痕跡の形状から、握らず籠に入れただけの飯(調理済みの米)の塊が炭化したものと考えられています。


ちなみに同じ神奈川県の大久保遺跡では1軒の住居から総量5341.2 g(6 升2 合5.3 勺)もの炭化米が出土しているそうです(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?


5kgの米ってスーパーで買えるアレくらいですよ!( ・Д・)

凄いですよね、めちゃ貯めこんでる家だったのでしょうかね……


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こちらは有名な奈良県、唐古・鍵遺跡で出土したものです。

弥生時代前期相当なので、約2400年前と、これまで紹介した中で最古の事例になります。


写真中の「1」が穂束です。

物凄い良好な残り方してますよねΣ(・ω・ノ)ノ

「3」が炭化籾です。

そして「2」が……籾殻付き炭化米です。


はい、またおにぎりじゃないのです(゚∇゚ ;)エッ!?



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ようやくですが、これが正真正銘、『最古のおにぎり』ですヾ(´ω`=´ω`)ノ🍙

出土したのは神奈川県横浜市の北川表の上遺跡です。



写真中にも見られるように、帰属時期は古墳時代後期(約1500-1400年前)です。

これも竪穴式住居跡から見つかったもので最大長約15cmという大きな炭化米の塊8個が弁当箱に収められた形で出土しました。


左側に展示されているのが弁当箱の復元したものと、その中にあったおにぎりの状態を示したレプリカです。


さて、何故これまでの「おにぎり状の何か」はおにぎりではなくて、これはおにぎりなのでしょうか?

ここらが考古学らしいところだと思います(*・ω・)ノ



考古学では対象物をしっかりと定義します。

この場合、「おにぎりとは何か?」です。

別に哲学じゃないですよ( -д-)ノ

何を以っておにぎりと言えるかを考えるわけです。



つまりおにぎりとは、籾殻を除去し、ご飯として炊き上げ、その後握ったものなのです。

最初の事例では米粒の形状が潰れていたが、粥ほどではなく、かつ三角形状が作られていたので「ちまき」と判定されました。

他の事例は籾殻が付いていたので「精米前の米塊」ということになります。


おにぎりは包みや弁当箱に入っていた可能性が高いですし、この資料はその点では基準を満たしています。


更に確認としてこの遺物はCTスキャンで解析され、『表面が緻密な状態で中はふっくらである』ことが確認されたのです(・∀・)つ




おわりに ~おにぎりの歴史~

その後のおにぎりの歴史はというと、

奈良時代の『常陸国風土記』における「握飯(にぎりいい)」の記述が最初のようです。

平安時代には貴族が宴の際、蒸したもち米を握り固めた「屯食(とんじき)」と呼ばれるものを従者に振る舞ったとの記録があります。

また、防人など兵士が携帯したとされ、やはりお弁当の基本はおにぎりだったようです。

鎌倉時代初期の1221年に起きた承久の乱では、鎌倉幕府側の武士に兵糧として梅干入りのおにぎりが配られたそうで、日本人としては基本の梅干しおにぎりの起源はここにあるのです(*^・ェ・)ノ


江戸時代には海苔の養殖が始まったこともあり、海苔でおにぎりに巻くようになりました。

これで私たちの知っている「普通のおにぎり🍙←コレ」の完成なわけですが、白米は江戸時代前期では貴重なものでした。



庶民におにぎりが普及するのは八代将軍・徳川吉宗の頃で、花見の際のお弁当箱(重箱)にもぎっちり詰められています。

ちなみに花見の庶民化もこの頃ですヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ





↑結構人気の食べれるシリーズ、記事内にビールのリンクもあります(*・ω・)ノ



……まだ「食べれるよ?」シリーズとか「古代のビール」シリーズとか、

どうやら私、食べ物関係の資料が好きみたいです(*^・ェ・)ノ

書いてて楽しいし、純粋にこんなに残るんだ!ってなるし、、、




あ、そうだ、

江戸時代に何故、おにぎりを海苔で巻くようになったかは不明だそうですが、、、



ノリでしょうね!( ・Д・)ウマイ!💖🍙

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2020ねん 10がつ 21にち(すいよーび、晴れ)

研究することは大変ではないけど、環境整えるのは大変だわ( ・Д・)


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↑日本経済の柱、炭治朗様にあやかりたい( ・Д・)(みんなあげてる「twitter」の投稿画像から拾ってきました( -д-)ノ)



今回は「若手研究者は大変だよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


若手と言っても、「常勤職」に就いていない研究者のお話です。

現在の日本で、博士号取得後にそのまま常勤で就職できる人がどれだけいるのか謎ですけどね。

今回は完全に私のお話ですヾ(´ω`=´ω`)ノ

つまらない苦労自慢大会になるかも知れませんが、研究者の現実ってこんなもん!ってのがよく分かると思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



1.研究費の獲得が大変

まず研究者がぶち当たる最初の壁が研究費だと思います。


学費ってのもありますけど、この際忘れましょう( ・Д・)



最も有名な助成金は所謂「科研費」ですが、新規採択率は25%~30未満と言われています。


応募する内容にもよるので一概には言えませんがそんなもんです。




企業が出している助成金もありますが、


年齢制限や、テーマの制限が大きく、かつ採択率は多くの場合10%もない狭き門となっています。


申請数が30件程度で、採択数が1~2件なんてのもザラにあります。


しかも採択された人物は「~大学教授」みたいな、そもそも若手研究者の土俵じゃない場合も多いのです( ・Д・)



2.研究費が獲れたら獲れたで大変


上に述べたように研究費が獲れる研究者は一部の研究者に限られるわけですが、


大学のポストを持っていない若手研究者、特に私のような海外をフィールドにしている研究者は研究費が獲れるとどうなるのでしょう?




結論:正社員で働けません、むしろバイトすら限られてきますヽ(TдT)ノ



何でかと言うと、私はグアテマラがフィールドですから、研究費が獲れた以上、発掘調査等を行いにはるばる地球の裏側まで行きます。


調査地までの往復だけで約1週間かかってしまいますから、20~30万円くらいの航空券のことを思うと少なくとも1か月、できれば3か月近くは滞在したいと思うわけです。


でも日本で正社員で働いてて、年に1か月以上まとめて休みをくれるところはないでしょう( -д-)ノ



研究費は自分の生活費等には使えないという厳格な決まりがありますから、


生活費は別に稼がなければならない。


でも一年足らずで辞められるとこにしなければならない。


そう、アルバイト探しすら大変なのですよヽ(TдT)ノ




おわりに

当初の予定より短く切り上げました。

本当に苦労自慢大会になってしまいそうだったので( ・Д・)



まぁでも私はまだ恵まれている方です。

日本学術振興会の特別研究員(DC、PD)に採択されましたし、

大学の研究助成金や、科研費も獲れています。


学問の種別や研究テーマによって様々でしょうが、大学の常勤職でない若手研究者は大体みんな大変だと思います。

なので、どこかで見かけても決してイジメないでくださいね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

今回は、研究者の育成が問題になっている現代日本社会において様々な記事を見かけますけど、一般化し過ぎてなんだかリアリティに欠けるなと思ったので記事にしてみました。

決して面白い話ではないですが、これが実情ということで、少しでもご理解頂けると幸いです(*・ω・)ノ


ま、私は何とかなるさ!根拠はないっ!( ・Д・)

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2020ねん 10がつ 20にち(かよーび、晴れ)

最近、研究が進んでいない( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「バッタの襲来って日本でも事例があるんだね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


よく(?)「イナゴの襲来」って目に耳にするじゃないですか?


でもアフリカとか外国の話のイメージです。


農作物がやられて大変なことになるようです( -д-)ノ



これを「蝗害(こうがい)」と呼びます。


相変異という現象がカギになっており、主に昆虫において、さまざまな環境条件、特に個体群密度の変化によって、異なった姿と行動の個体を生じることを指します。


大規模な干ばつが起きると相変異によってトノサマバッタやイナゴが相変異により飛蝗(ひこう)という長距離を群飛する個体が多量に生じ、作物の豊富な生育地を求めて遠くまで移動するようになります。



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↑相変異のバッタを載せるのもアレかと思い、日本人に親しみのあるバッタの群れを掲載(*・ω・)ノ(「ジオウ&ビルド製作委員会」の映画情報ページより転載)



この蝗害は、聖書の出エジプト記にも「十の災い」のひとつとして出てきます。



【十の災い】

  1. ナイル川の水を血に変える(7:14-25)
  2. 蛙を放つ(8:1-15)
  3. ぶよを放つ(8:16-19)
  4. 虻(あぶ)を放つ(8:20-32)
  5. 家畜に疫病を流行らせる(9:1-7)
  6. 腫れ物を生じさせる(9:8-12)
  7. 雹(ひょう)を降らせる(9:13-35)
  8. 蝗(イナゴ)を放つ(10:1-20)
  9. 暗闇でエジプトを覆う(10:21-29)
  10. 長子を皆殺しにする(11章、12:29-33)


これらは古代エジプトにおいて実際に起きた災害と考えられています。


エジプトはアフリカ大陸の北東端ですし、やはり蝗害ってアフリカや中東で起きているイメージがある気がします。


今回の記事はそんな蝗害が日本でも起きていたよ!ってお話ですヾ(´ω`=´ω`)ノ



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↑札幌市、手稲区にあるバッタ塚(「SAPO☆CAN」の記事内画像より転載)



時代は明治時代、開拓期、場所は北海道です。


1880~85年にトノサマバッタが大発生し、十勝から道内各地に広がったとされています。


札幌でも大きな被害が出たため、駆除したバッタが産み付けた卵塊を集めて埋めた跡としてこのバッタ塚が建てられたそうです。


1967年に北海道大学の研究者が調べた結果、土中に卵の痕跡は見つからなかったが、複数の住民の証言があり、1978年に札幌市が指定する史跡となりました。


当時は、空を黒く埋め尽くすような大群が、農作物を食い荒らしたと言われ、手稲や発寒、琴似、円山などの各村で、麦やアワなどが10分の1ほどしか取れず、開拓に入ったばかりの農民たちの暮らしを直撃したそうです。


ちなみに空を埋め尽くすバッタの大群に大砲を打ち込んで駆除する方法も取られていたそうですΣ(・ω・ノ)ノ



このトノサマバッタの被害は札幌だけではなく、北の空知地方や道南の日本海側まで到達し、北海道の西半分が被害にあったといっても過言ではないでしょう。


この蝗害が本州にも上陸することを恐れた明治政府は、蝗害の発生地を特定しようと調査隊を派遣したところ、十勝川流域の広大な草原に至り。これが日本で三番目に広い十勝平野の「発見」となったそうです。


そしてこれを機に、十勝地方への入植が開始となりました。


その結果、発生地である十勝でもバッタの大規模な駆除が行われたため、こちらにはバッタ塚がいくつもあるそうです。


先ほどは北海道の西半分がやられたと書きましたが、当時はまだ十勝平野も知らない開拓期ですので、今であれば全道的な被害となっていたかも知れませんねヽ(TдT)ノ




おわりに

タイトルに「人類が滅亡するならこれ!」と書きました。

私が思うに、人類はこれまでに幾度となく、破局噴火も、巨大地震も、大津波も経験してきているので滅びないんじゃないかと思っています。

未だ経験しておらず人類滅亡に繋がりそうなのは、恐竜絶滅レベルの巨大隕石の衝突か、核を用いた世界大戦くらいでしょう。

そして両者とも、例え経験しても何とかなりそうな気がするのです( -д-)ノ

だからこそ、人類が滅びるのであれば、複合的な要因で滅びるだろうなと思います。


今回紹介した蝗害は大規模な干ばつといった環境の変化によって生じるもので、数年~10年近くに渡って作物に大きなダメージを与えます。

長期的に深刻なダメージになるのです。

干ばつでも経済的にダメージありますし、蝗害が起きれば範囲も拡大しますし、それを契機に戦争になるかも知れない。

あるいは戦争で疲弊しているところに、自然災害として干ばつと蝗害が起きるかもしれない。


今や世界中に拡散した人類は明らかに増えすぎており、これからも増え続けるでしょう。

なので、全滅はしないと思うんです。

でもきっと複合的な要因によって、電気の無い時代くらいまで文明レベルが後退する可能性は高いかなと思っています。

蝗害だけで人類は滅びないけども、復興中の人類に蝗害は脅威でしょうね( -д-)ノ


泣きっ面にバッタで人類滅亡!( ・Д・)

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2020ねん 10がつ 19にち(げつよーび、晴れ)

ずっと記事に追われてる気がする、追い越さねば( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「大刀が煙突から見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


発見があったのは青森県八戸市の法霊林遺跡です。


ここでは奈良時代の竪穴住居址が9基発見されました。


歴史の教科書&試験対策では、縄文時代と言えば竪穴住居、弥生時代は高床式倉庫、なんて機械的に覚えたと思います。


しかし上に挙げた写真のように奈良時代にも竪穴式住居が使用されています。



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↑奈良時代の竪穴住居の図面(「7. 奈良時代の竪穴住居跡の復元」の図7を転載)


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↑同じ図面ですが、「竈(かまど)」の部分を赤丸で示しました(「7. 奈良時代の竪穴住居跡の復元」の図7を一部改変)



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↑竈(かまど)の構造を横から見た図(「新・筑紫潟の風」の記事内画像より転載;オリジナル図面は、稲葉・中山1983)



以上の3つの画像が竈の図ですが、住居内の焚口から住居の外側に向かってトンネルが掘られています。


これが「煙道」です。


タイトルに煙突と書きましたが、煙突が家屋の屋根の方に向かって伸びるのに対し、竪穴住居ではこのように地面の中を通って外側に煙が排気される仕組みになっています。


ちなみにロシアの事例などでは、煙が床下をうねうねと通って床暖のように機能してから排気されるような構造を有するものもあります(*・ω・)ノ



先ほど述べたようにこのような住居が9基見つかった中で、有力者の家であったと考えられる最も大きな住居の煙道の先(排煙部;外側の方)から、8世紀後半以降に作られたとみられる大刀が見つかりました。



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↑残りの良い太刀(「Yahoo!ニュース」の記事内画像より転載)



儀礼のために入れられたと思われるこの大刀は写真で見られるようにけっこう残りが良いのです(*・ω・)ノ


写真の黄褐色部分が通常の堆積土層で、黒褐色になっている部分が煙道です。




大刀は鉄製で全長65cm、刃部の長さ48cmのサイズ、木製の鞘に納められています。


大刀は当時貴重品で、蝦夷(えみし)の有力者を埋葬したとされる末期古墳からの出土例が最も多いのです。




この出土した大刀は柄頭の形から方頭大刀(ほうとうたち)と呼ばれるものです。


大学の考古学の講義では超有名な蕨手刀(わらびてとう)と呼ばれるものは北海道や東北地方で多数見つかっていますが、こうした大刀はこれまで出土した例がありません。




また竈に土器が入れられていた事例は確認されていますが、今回の事例のように煙道の排煙部に大刀が入れられていた例としても初めての事例となります。


恐らく住居を廃棄し、立ち去る際の儀礼行為としてこのようなことを行ったと考えられますが、まだまだ良く分かっていない蝦夷と呼ばれた人々の社会を知る上で貴重な発見となりました(*^・ェ・)ノ   



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↑ちなみにアシタカが使っているのは蕨手刀の方です(*・ω・)ノ

↑古いジブリ作品は考古学要素がけっこう入ってたりしますヾ(´ω`=´ω`)ノ



おわりに

何だか最近やけに重要な発見が多い気がしますね。

しかし単発的に「~が見つかった!」というのは考古学研究の発展にはあまり結びつかず、やはり研究者の地道な努力が重要だと思っています。

しかしながら所謂「レアな発見」は人々の興味関心を強く惹きますし、「こういった事例がある」という知識が増えたと意味合いでは当時の社会の一端を知る上で重要だなと思います。

せっかく保存状態の良好な鉄製品ですから成分分析等にかけて、生産地の推定や、他の鉄製品との化学組成の比較を行って欲しいなと思います。

ひいては奈良時代の平城京を中心とする文化と蝦夷との経済活動の一側面の解明に繋がれば最高ですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


今回暑かったのは竈、、、

……竈門炭治郎効果でバズれ~!( ・Д・)


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2020ねん 10がつ 18にち(にちよーび、晴れ)

寝過ぎたため、この記事で乗り切るヽ(TдT)ノ


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↑ちょっと笑えるネコ(「ABEMA news」の動画より加工・転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「新たなに発見されたナスカの地上絵はキモカワだけど、なんか怪しいな!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


Twitterとかでめちゃくちゃ人気になっているこのキモカワいいネコですが、何だか一般的に知られているコンドルとかの地上絵とは全然違いますよね。


まぁ確かにちょっと「下手くそ」な地上絵は他にも存在しているのでいいんですけども……


これ、本物なのかな?って思ってしまうのですが( ・Д・)





ニュースの内容では「ドローンの導入により低空での撮影が可能になったため、こうした発見がこれらかも期待できる」的なこと言ってましたけど、




元々、低空でなかった?( ・Д・)


それが人工衛星の写真とか使って、超高度から撮影した高解像度データから新しい地上絵をガンガンに見つけてたんでなかった?


上の写真で分かるように確かに斜面に配置されているから、真上からは見にくいかもしれないけども、、、



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↑(同上)



どうですか?


どの映像も特殊な処理を施した結果として見やすく加工しているようには見えません( -д-)ノ




そして、遊歩道近すぎない?


2枚目の写真なんか、たぶん遊歩道からでも映るんでない?( ・Д・)ニャー!



報道内では、「斜面にあり、自然の浸食でほぼ見えない状態だった」と言ってますけど、



まぁ浸食ってもともと自然のものですし、、、




ナスカの地上絵って地表面に見られる暗赤褐色のレキや砂などを取り除き、下部にある明るい色の砂レキ層を露出させることで描いています。


つまり写真に写っている作業員らは、見つけた地上絵が見やすくなるように上に被っていたであろう余計な砂レキを除去しているのだと思います( ・Д・)


だから明らかに見やすいんですよ、きっと!(*^・ェ・)ノ



↓過去の地上絵関連の記事を読んで下さいな( -д-)ノ




↑ナスカのことにも触れてますよヾ(´ω`=´ω`)ノ



おわりに

コロナ禍で外貨獲得のために重要な観光業がヤラれている状況なので、無理やり作って宣伝してるのかと邪推してしまいましたが、

どうやら本物のようですね( -д-)ノ


ただ何でこれが古い時期のものなのか、謎です。

絵が下手くそだから?( ・Д・)

近くで土器が出たとも、地上絵を描くために用いた木杭が見つかったとも報道されていませんが、どうやって時期判定したのでしょう?(*^・ェ・)ノ



実は、アメリカ考古学ではかつて、彩文土器などに「修復・復元」と称して普通の絵の具で上塗りするということが行われていました。

「多彩色土器はかつてより美しかったに違いない」という偏見あるいは期待によって好き勝手に塗られていたのです。

現在では当然批判されており、そのようなことは行われておりません。



……では、この地上絵の事例はどうなのでしょう?

発見時の写真をしっかり保存していて、画像処理によって本来のラインを確認した上で、こうして「本来のライン」を明瞭に出しているのでしょうか?


地上絵の研究が現在どうなっているのか分かりませんが、

「新しい地上絵を発見さえすればいいって思ってる」とまでは言いませんが、


文化遺産の活用だけではなく、しっかりとした研究と分析による「本来の形」への復元・保存が大事なのではないかと思います(*^・ェ・)ノ

あるいは発見時の状態を維持するよう努めて、将来の研究を待つというのも英断ではないかと思います。

しっかりとやってかないと、いつの日か、たまにポッと現れる「ミステリーサークル」みたいになってしまう気がします( ・Д・)



やっぱ気になるな、

なんでこれまでの地上絵より古いって言えるんだろう……


……やっぱ、下手くそだから?( ・Д・)


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2020ねん 10がつ 17にち(どよーび、晴れ)

片っ端から仕事片付けねば、年内に終わらんヽ(TдT)ノ


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↑浅い柱穴跡が多数見られる(「福島民友新聞」の記事内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「色々大発見がありました!およそ4000年前の縄文人の人骨も多量に見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の発見があったのは福島県、川俣町小綱木地区に所在する前田遺跡です。



国道の改良工事に合わせ、2018年から発掘調査が行われていました。



これまでの調査で、縄文時代中期の火おこしの道具として使われていたとされる「火切り臼」を始めとしてレアな遺物が多数出土する重要な遺跡と考えられていました。




この前田遺跡では、縄文時代中期に相当する土層から、流木が積もった小川の跡が発見されており、その周辺から大量の木製品や漆製品も出土しました。


水分があると余計腐ってしまいそうなイメージがありますが、実際には酸素の供給が絶たれるため木製品等の通常は腐敗して失われてしまう遺物が残りやすい傾向にあります。



そんな当該遺跡では保存状態の良好な木製の弓も見つかっており、縄文時代の様子が良く分かる遺跡としてその重要性が増しているのです(*・ω・)ノ



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↑柱穴の傍に横たわる人骨(「福島民友新聞」の記事内画像より転載)



今回前田遺跡では新たに埋甕や土壙墓が多数確認され、被葬者は縄文時代に一般的な屈葬の形態を取っていました。


この墓域では縄文時代の後期(約4400~3700年前)に相当すると考えられている人骨が約40~50体も出土したのです!Σ(・ω・ノ)ノ

40~50体と数が不確定なのは、複数個体がまとめて埋葬されている場合に骨の部位をチェックし個体数の確認を行う作業が完了していないためです。





日本の特に内陸部の場合、酸性土壌の影響で人骨はなかなか残りません。


そのためこの前田遺跡のように縄文時代の遺跡で大量に人骨が出土する事例は全国的に希少なのです(*・ω・)ノ



先ほど述べたように、前田遺跡ではその昔、河川が流れていたと考えられていますから、河川の流れによって堆積した水分を含む砂質の土が人骨を覆ったことで空気を遮断し、腐敗の進行を遅らせたと推測されます。


こうした良好な埋蔵環境の結果、全体の骨格が分かるほどに保存状態が良好な人骨が5体検出されているため、これを対象にDNAの解析を実施する予定でいるそうです(・∀・)つ




更に前田遺跡では縄文時代晩期(約3500~3000前)の地層から、全国的にあまり類のない木柱を伴う柱穴が100基以上も検出されましたΣ(・ω・ノ)ノ


木柱は直径約30~40cmが多く、最大で直径約60cmのものも確認されています。


木柱が残っているなんてレアケースですが、そこはやはり旧河川のおかげなのでしょう(*^・ェ・)ノ




上の写真で確認できるように、柱穴の掘り込みは浅いものばかりのようです。


木柱の周りに石を詰めた状態が確認されており、かつて掘立柱建物やモニュメントがあったと推測されています。




更に、墓域からは縄文時代後期に相当する状態の良いハート形土偶が1点出土しました。


高さ約20cmセンチで右腕が欠損している状態の女性像です。

全国的にも珍しいことに、この土偶は土器を布団のようにかぶった状態で出土し、祭祀と関連して意図的にこのような配置を取ったと考えられています。




おわりに

大発見ばかりなのに調べても写真が全然出てきませんでした。


まだ新しい情報なので、未報告資料ということもあり、伏せられているのでしょう。


これだけの発見があれば現地説明会はもちろん、最寄りの博物館で遺物の展示会も開催されるでしょうから、その際に今回紹介したレアな発見物の写真が見られるかなと思います。


写真を含め、また続報があれば紹介しますので、お互い楽しみにしましょうね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


これは考古学史に残る勢いだね!
……道路工事はどうなるのかな?( ・Д・)


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2020ねん 10がつ 16にち(きんよーび、晴れ)

最近YouTubeの「シークレット」を聴きながら寝てます(*^・ェ・)ノ


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arukemaya1038
↑対馬の位置(「Google Map」の画像を一部改変)



今回の考古学・歴史ニュースは「1200年も前の渡来仏が民家から見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


発見の舞台は長崎県、対馬市です。


上に挙げた地図で分かるように、対馬は朝鮮半島の近くに位置する大きな島です。

その立地条件から、古代より大陸との交流が深い地域です。

邪馬台国について書かれていることで有名な魏志倭人伝の中にも倭国のひとつとして「対馬国」として登場します。


そんな対馬では渡来仏が多数発見されており、これまでに130体が確認されているそうです。

これらの渡来仏は中国や朝鮮半島で5~17世紀に作られたものと推定されています。

この中で比較的古い部類に入る8~9世紀の統一新羅時代に作られたものは新羅仏として知られており、日本では奈良時代や平安時代初頭に渡ってきました。

この新羅仏はこれまでに約30体確認されていましたが、今回民家で発見された新羅仏はこれまでに登録されていなかったものになります(*・ω・)ノ


仏壇に普通に飾られていたもので、家を片付けする際に博物館に調査を依頼したことで発覚しました。

下に写真を挙げましたが、新発見の新羅仏は高さ7.8cmの銅造如来立像です。

高く盛り上がった頭部の肉髻(にっけい)や、両肩からU字を描くように表現された衣紋(えもん)などが統一新羅時代に作られた仏像の特徴とのことです。

印相(いんそう)を示す手先は欠損しています。

また過去に火災に遭ったとみられ、表面の一部にその痕跡が見られます。

 
arukemaya1037


おわりに

新発見というと、職業病なのか「土から出た」と思ってしまうのですが、、、


今回のように民家やその蔵から発見、ないし『再発見』されることも結構あるものです(*^・ェ・)ノ



古代マヤ文明の多彩色土器が良い例ですが、見た目が美しく美術的価値の高い遺物は世界中に点在しているものです。

博物館だけではなくて、個人のコレクターの手元にあることも多々あります。


特別展以外でも、実は日本でも古代マヤ文明の遺物が見れる場所があったりします。

今回の件のように、個人収蔵の資料に対する調査やカタログ化がけっこう大事なのですが、そういう研究予算はなかなか獲れないものなので難しい側面があります。

コレクションを没収されることはありませんので、是非お家で眠っているお宝があれば近くの博物館等に連絡してみてくださいね(*^・ェ・)ノ

お宝は身近なところにもあるものなのです!( ・Д・)


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2020ねん 10がつ 15にち(もくよーび、晴れ)

10月初めに1週間ちょいサボったら、ブログランク☆1に下がってた!( ・Д・)

けどここ最近毎日定時更新してたらPV数復活してきたヾ(´ω`=´ω`)ノ


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arukemaya1036
↑うずくまり、祈るようにヽ(TдT)ノ(「Vivian's information」の記事内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「考古学で呪い関係は色々あると思うけど、今度はポンペイの呪いだってさ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回のお話は考古学関係者ではなく、一般のカナダ人女性のお話です。

彼女は15年前にイタリアのポンペイ遺跡を訪れ、その際に遺物を持ち帰ったそうです。

その結果、呪いによって相次ぐ不幸に見舞われたそうです。


下に写真を挙げましたが、彼女が持ち帰った遺物は白いモザイクタイル片2枚とアンフォラ壺の破片2点、セラミック壁の破片1点です。



arukemaya1035
↑僅かこれだけだよ?(´・ω・`)(「CNN.co.jp」の記事内画像より転載)



呪いの内容は、本人が乳がんを2度患い、乳腺切除手術を2度受けた他、家族も金銭トラブル遭ったそうです。


彼女は「呪い」が子供たちに引き継がれないよう、ポンペイ博物館に持ち帰った遺物と謝罪の手紙を送付したことで今回のニュースになりましたが、



これまでにもこうしてポンペイ遺跡を訪れた観光客から、モザイクタイルや漆喰片、陶器片などの盗まれた遺物が返還されているそうです。


その数は既に数百件にも及んでいるそうで、そうして返還された遺物に添えられた手紙には、持ち去った出土品は不運しかもたらさなかったことが記されているそうです。



こうした手紙や返還された出土品は、ポンペイ考古学博物館に展示されており、見ることが可能ということで、今後文化財保護のために役立つといいなと思いますね(*・ω・)ノ




……ポンペイは悲劇の都市として有名で、確かに『呪い』があってもおかしくないなとか思ってしまうレベルです。

どのような事件があった都市なのか、是非、過去の記事をご覧くださいヾ(´ω`=´ω`)ノ

↓ポンペイ、火山関係の記事はたくさんあります(*^・ェ・)ノ











↑まだ読んでない人は是非!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


おわりに

さて、一度は盗まれ返還された遺物の画像のキャプションに「僅かこれだけ」と書きましたが、


『文化遺産の盗難=考古学データの永久的な消失』なので、あってはならないことだと思います。


専門家としてはそう思います。



けど、一人の人間としては、


「これくらい許してやってよ」って思ってしまいます( -д-)ノ




というのも、世の中、私利私欲のために遺跡を破壊する事例なんて世界中いくらでもあるのです。


今現在、進行形で破壊され続けていると言っても過言ではないでしょう。




もし仮に誰かを呪うなら、他にもっといるぜ!とか思ってしまいます(*^・ェ・)ノ

まぁ個人的には呪いなんてないと、個人の罪悪感の肥大によるものかと思っています。

だからこそ、意図的に破壊している人たちは、『図太いので呪われない』んでしょうね( ・Д・)



正直、プロの考古学者と言われている人たちの中でもいますよ、ヤバイ人たち。

どこかからお金獲ってきて、許可もあるけど、

自分自身は発掘調査に参加しない、報告書も出さないというようなほぼほぼ盗掘を行っている人。


彼らこそ文化遺産の最も大事な部分を破壊し、貴重なデータを損失させる役割を果たしています。

どうせ呪われるならお前らだよっ!( ・Д・)


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2020ねん 10がつ 14にち(すいよーび、晴れ)

YouTube頑張るから観てね!( ・Д・)


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arukemaya1034
↑サウナ遺構の発掘中の様子(「カラパイア」の記事内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「古代マヤ人は日本人よりずっと前からサウナ使ってたんだよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



さて、サウナの発祥の地はフィンランドとされていて少なくとも1000年以上の歴史があるそうです。


現在でもフィンランドの多くの家庭にサウナがあり、総数は約550万人の人口に対して約300万基とするデータがあるそうですΣ(・ω・ノ)ノ



サウナの文化は古代ローマ帝国のテピダリウム(微湿浴室)とラコニクム(発汗室)、オスマン帝国などイスラム教圏のハマム、ロシアのバーニャ、メキシコのテメスカル、朝鮮半島の汗蒸(ハンジュン)などと多数確認されています。

本当にフィンランドが発祥なのかも正直怪しいのですが、どのように拡散したのかについては全く分かっていないようですね( ・Д・)



ところで、サウナと言えば、今や日本では一般化してますよね?


温泉施設に併設されていることが多いと思います。


ちなみに日本でサウナが普及したのは1964年の東京オリンピック後とされているので、比較的新しいのです(*^・ェ・)ノ




さて、フィンランドで1000年以上って言ってますが、古代マヤ文明ではもっと古いのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



中米のマヤ遺跡を訪れたことがある人で、マニアックな巡り方、散策の仕方をしている人は、様々な遺跡でサウナ遺構を目にしていると思います。


何せ、古典期(CE250-1000)のサウナ遺構は遺跡にもよりますが、凝灰岩や砂岩で作られているため、現在でもけっこう残っているものなのです(*・ω・)ノ


この古典期の時点で、マヤ文明のサウナは1500~1800年前のものですから、とっても古いのです(・∀・)つ



今回紹介するのは、そんな古代マヤ文明における最古のサウナの事例ですヾ(´ω`=´ω`)ノ



arukemaya1032
↑これが最古のサウナ!(「GIZMODE」の記事内画像より転載)



古代マヤ文明における最古のサウナの発見は、グアテマラ北部のナクム遺跡でのものです。


このナクムはペテン県に位置していて、ティカル国立公園の比較的近くにあります。


ティカルに行く時は必ずフローレス市を拠点としますが、ナクムへもここから行くことができます。


正式名称は「ヤシャ - ナクム - ナランホ国立公園」といって3つの遺跡から成る大きな公園です。


雨季に行くと悪路過ぎて間違いなく車両が立ち往生するので、乾季を狙っていきましょう( -д-)ノ





さて、このナクム遺跡で発見されたのは何と2500年前のサウナです。


先ほど書いたように、古典期におけるサウナは切り石で作られています。


一方でこの2500年前のサウナは先古典期中期(BCE1000-350)に属するもので、マヤだけではなくメソアメリカ最古の事例です。


なので切り石は用いられていません。




上の写真で見られるように全体が白いですよね?


これは恐らく、地下の石灰岩層を整形して作った構造物だと思います(*・ω・)ノ



グアテマラ、ペテン県は亜熱帯雨林に覆われており、高温多湿で微生物の活動が非常に活発です。

そのため土壌が発達せず、地表面から20~30cm掘るだけで、母岩である石灰岩層に到達することも多々あります。

なので地上に露出した石灰岩だけではなく、当時の人々にとってこういった地下の石灰岩を利用することも難しくはなかったのです(*・ω・)ノ


このサウナはその後、意図的に埋められていたため、非常によい保存状態を保っていました。


この埋め土から出土した遺物の時期判定から、このサウナは紀元前700年頃から紀元前300年頃まで使用されていたと推定されています(*^・ェ・)ノ




arukemaya1033
↑最古のサウナの復元図!(「GIZMODE」の記事内画像より転載)



おわりに

今回紹介した事例では最大で2700年前にサウナが使用されていたということが分かりました。

時を経て、現代日本ではスーパー銭湯のような温泉施設で誰もがサウナを利用することが出来ます。


しかし古代マヤ文明の場合は王族・貴族のみがサウナを使用できたと考えられています。

サウナを使用するというのは一種の儀礼行為であり、重要な儀礼の前に身を清める効果があったようです。


汗を流してデトックスってことか!( ・Д・)


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