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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2020年11月

2020ねん 12がつ 4にち(きんよーび、くもり)

あと少し!頑張るよ~!( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースはアジアのカジノ区の印象のあるマカオで西洋の大砲が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は中国、マカオです。

マカオは特別行政区で珠江河口を挟んで香港の対岸に位置しています。

1999 年までポルトガルの植民地であったことから東西文化が融合しており、一見するとヨーロッパのような景色を楽しむことができます。

マカオと言えば巨大なカジノが有名であり、「アジアのラスベガス」の異名を有しています。


arukemaya1263



大航海時代はスペインとポルトガルが世界の覇権を握っており、その内のポルトガルは1513年に中国に初渡来し、明王朝との交易を開始しました。

その後、ポルトガルは継続的に献金を続けることでマカオを居留地として交易を続けていましたが、アヘン戦争(1840~1842年)の後に献金を停止、その後、1887年の中葡和好通商条約を経てマカオはポルトガルの植民地となります。

先にも述べたようにマカオは1999年までポルトガルの植民地でした。

このおよそ100年の間にポルトガルによって西洋風の建物が多く建設されたわけですが、現在でも観光地として知られているのが、上の写真に挙げた『モンテの砦』です。

モンテの砦は1617~1626年にイエズス会の修道士によって、聖ポール天主堂とともに造られたものです。

外部の攻撃から町を守るための砦で、22門の大砲が海側に向けて並んでいます。

大砲は3方向に向いていますが全て海向きであるのは、中国と戦う意思がないことを表していました。

上に挙げた写真ではマカオの街並みが映っているじゃないかと思うかもしれませんが、モンテの砦はポルトガル語で ”Fortaleza do Monte"、つまり「山城、山砦」を意味するので小高い丘の上にあり、またマカオ地区は沖合にあるタイパ島とコロアネ島を主とした島々の間を埋立てているため、現在マカオの砦の眼下にはマカオの街並みが広がっているのです。


arukemaya1267


上に挙げた写真は2020年4月に下水管整備のための道路工事の際に見つかった大砲です。


この大砲の埋蔵時期は1889年から1933年の間で、マカオで製造されたものではないようです。


大砲の形態と、構造の特徴が19世紀中期に英国で製造されたブロームフィールドフロントガンに相似していると判定されました。


このタイプの英国製砲台は他にも複数、マカオ各地の砦の砲台に現存しているそうです。


恐らく売買のため内港一帯に置かれていたものが、後の周辺の埋立造成時に埋められたと考えられています。




上に挙げた写真は2020年11月に見つかった別の大砲です。


この大砲は砲身部が全長約1.4mで口径が約80mmあるものでした。


見るからに保存状態が良く、カッコいいですよね。


私、家に1門欲しいですもん( ・Д・)


大砲に関してずぶの素人である私にも美術的価値の高さが伺えるこの大砲は、マカオ政府文化局(ICM)も当然その重要性を認めて直ちに工事を一時中断し、出土地点周辺の測量調査や発掘調査を実施しました。


しかし他の遺物は発見されなかったそうです。


まだこの大砲の時期やタイプは判別できていません。

しかし恐らくポルトガルの植民地期にポルトガル軍が沿岸部に設置したもの、あるいはポルトガルの軍艦が遺棄したものである可能性があるとのことです。  


こうしたマカオで発見された大砲は、マカオにおける大砲の鋳造の歴史、武器貿易の歴史、沿岸防衛の歴史、海域の埋立ての歴史を知る上での高い史料価値を有するものとして、一般公開が予定されています。


先ほど紹介した「モンテの砦」はマカオの街並みや中国本土を見渡す展望台として有名なだけではなく、『マカオ博物館』が併設されていることで知られています。


おそらくこの大砲たちはこのマカオ博物館にて展示されるのでしょうね(*・ω・)ノ






おわりに

囲最後に挙げた写真が、大砲が見つかった工事現場なのですが、フツーに工事現場ですね( -д-)ノ

中国の報道では「考古学的価値の高い重要な発見」としているのですが、その割に本当にただの工事現場過ぎて何だかなって思います。

これらの大砲の発見によって学術調査が行われるということで、そういうところはポーズとしてしっかりしてるように見えますけど、こんな状態から考古学者が掘って何かわかるのかな~って疑問です( ・Д・)

ただの考古学者のわがままであるのは重々承知なのですが、もう少し平らに掘って欲しいものです( -д-)ノ

さて、こうして工事現場から遺物が出るのってけっこうよくある話で、熟練の重機の乗り手がショベルをぶつけた感覚から遺物だと気付いた、なんて話もよく聞きます。

日本の考古学の話でその関連だと、『銅鐸』が大量に見つかった話が有名でしょうかね(*・ω・)ノ

これまでも「世界各地の工事中に何々が見つかった!」って記事を挙げてきましたが、今回の写真だけが現場の写真を見て何も言えないレベルのものですね……

もしかしたら撮影者がおかしな部分を撮っただけって可能性も考えられますね(*^・ェ・)ノ

考古学では写真記録は大事なものです。

だから、、、

考古学関連記事でも写真は大事!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 30にち(げつよーび、晴れ)

あれ、気付いたらもう11月終わる( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは土師器と須恵器の違いはやっぱり原料だったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は日本、奈良県

今回の研究にどこの資料を使ったのか不明ですが、少なくとも奈良文化財研究所(所謂、奈文研)の研究成果です。

まぁ土師器と須恵器の分析なので広く分布してますし、地元で出土した資料を使ってると思います( -д-)ノ

タイトルでは「日本考古学の基本」と書きましたが、程度の差はあれ、日本で考古学を学ぶ限り、土師器と須恵器の違いについては少なくとも自然に学ぶのではないかと思います。

また高校における「日本史」でも『B』の教科書であれば、土師器と須恵器の違いについて簡単に記載されています。




上に挙げたのが一例ですが、、、

土師器⇒弥生系で赤褐色

須恵器⇒朝鮮系で硬質・灰色

これで十分です。

大学受験だけではなく、考古学を専門にしてても時代や地域が異なれば、最後に覚えてるのは(記憶に留まり続けるのは)上記のそれくらいになるのではないかと思います( -д-)ノ

一番最初に挙げた写真でも左と右で色が全然違いましたよね?

左の灰色の土器が須恵器、右側の茶色っぽいのが土師器です。

ちなみに考古学を専門にしていると、「スエ、ハジ」なんて言い方をしたりします。

スエは朝鮮語で「鉄」を意味するため、須恵器は本来「鉄のように固い土器」という意味だったようです。

土師器も須恵器も古墳時代から平安時代まで生産・使用され続けた土器です。

須恵器は平安時代には「陶器」と書いて「すえもの、すえのうつわもの」と読んでいたそうです。

土器、炻器、磁器、陶器など考古学では「器」に対して色々な呼び方があって、それぞれ定義があります。

そのため「陶器」と書くと用語として混乱するので「須恵器」と書くことになっています。

ちなみに須恵器は炻器(せっき)に分類されます。





今回は土師器(土器)と須恵器(炻器 / 陶質土器)のお話になりますので、色調と質(硬さ)以外にも特徴を示しておきますね(*^・ェ・)ノ

土師器は素焼きの土器、つまり釉薬なしで焼成温度の低い野焼きの方法で焼かれた土器です。

野焼きは密閉性がないため自然と酸素が供給される酸化焔焼成であり、結果焼成温度が低く表面が赤茶色っぽくなります。

また成形方法として輪積み法で作られています。

一方で須恵器は窯焼きの土器で、釉薬なしで焼成温度が高い登り窯を用いて焼かれた炻器です。

窯構造を有しているため密閉性が高く、酸素が供給されないため還元焔焼成となり、発生した一酸化炭素によって粘土中の酸化物である酸化第二鉄が還元されて酸化第一鉄になるため色調が青灰色になります。

高温焼成なので須恵器の方が硬くなるのです(*^・ェ・)ノ

また須恵器の成形方法は轆轤(ろくろ)法です。

こうしてみると、何だか須恵器の方がしっかりとした立派な土器のように思えますが、実際にはそうではなかったようです。

「正倉院文書」によれば、土器の器種別の価格表から須恵器と土師器のあいだの価格差はほとんどないことが分かっています。

しかし蓋が付くものかどうかでおよそ倍の価格が付くそうです。

まぁ手間だし、妥当か( -д-)ノ




さて、前置きが長くなってしまいましたが、本題に入ります( -д-)ノ

土師器と須恵器の主な違いが製作技術や焼成方法であることが古い段階から分かっていました。

特に須恵器は高温で焼成するため、登り窯を使用する必要があり、この窯は斜面に作る必要があるのです。

平地でも登り窯を造れるけど、結局大量に土を盛って斜面を形成しなきゃならないのです( ・Д・)

そのため設置する窯の傍で取れる「山の粘土」を利用した可能性が想定されていました。

一方で、土師器は低温の野焼き法で焼成するわけですが、これは平地で行うものです。

現在でも東アジアや中米において野焼きで土器を焼く人々を見ることができますが、いずれも平地で行っています。

原理的には斜面でもできるのですが、面倒です。

例えば、キャンプに行ってバーベキューをするとして、わざわざ斜面でやりますか?

可能だけど、色々大変でしょう?( ・Д・)

なので野焼きは平地で行うもので、「平地で取れる粘土」が原料であると想定されてきたわけです( -д-)ノ

今回の研究ではこの『須恵器は山の粘土』、『土師器は平地の粘土』という想定を理化学分析によって明らかにしたのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

ハジ・スエの原料の違いを示すために注目したのが土器胎土のリン含有率です。

リンは肥料に含まれることから、土器胎土中のリン含有率が高ければ、原料の粘土は肥料がまかれた水田などで採取されたと言えると考えたわけです。

今回使用したのは平城京から出土した奈良時代後半の須恵器3点と土師器4点です。

平城京……利用した試料がどこのものか分からないと最初に書きましたが、、、

やはり奈良県、地元の遺物ですね!

手法は『破壊分析』なので試料数がとても少ないのは、こういった「理化学分析あるある」です。

土器試料を粉末状に砕き、1000度の高熱で不純物を取り除き、土器に含まれている化学成分の比率を測定したところ、土師器のリン含有率が1・39~3・62%と高かったのに対して、須恵器は0・02~0・08%と低かったそうです。

リンは水溶性で雨や水で流れてしまったり、植物に吸収されるにも関わらず、それでも土師器は高いリン含有率を示していたと判定しています。

文献史料等から奈良時代にはすでに定期的に田畑に肥料がまかれていたとみられ、このために土師器内のリン含有率が高まった可能性が指摘されています。

一方で須恵器の表面に見られる黒色の粒子は、炭化した木片「亜炭(あたん)」であることが示されました。

亜炭が含まれる粘土は主に丘陵地帯で採掘されることから、須恵器の粘土は山で採取された可能性が高いと言えそうです。

こうした結果から、土師器の原料は平地の田んぼで取れた「田土」、須恵器の原料は山で取れた「山土」の可能性が高いことが分かったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

今後更にこういった研究が進めば、土器の粘土の採取場所を調べたりすることも可能になるかも知れません。

そのためには新たな非破壊分析法を確立することや、それによって数を見ること、つまり試料数(N値)を増やすことが必要になってくるでしょう。

また土器胎土の中に肥料が含まれていると考えるであれば、農耕の始まった時期、少なくとも肥料の使用が開始された時期を推測する研究も行うことができることになりますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




おわりに、ー土師器の名の由来ー

須恵器の名の由来は朝鮮語と話しましたが、土師器の方はというと……

大阪府、藤井寺市に「土師ノ里駅」という場所があるそうです。

ここは古墳時代の豪族、土師氏に由来する地名だそうです。

土師氏は土師器を生産していた豪族だったのでしょうか、これが土師器の名称の由来だそうです(*・ω・)ノ

土師もそうですが、須恵器の方も、全国に須恵村とか須恵町といった地名があるようです。

かつては色んなところで生産されていて今でも地名として残っているんですねヾ(´ω`=´ω`)ノ

・・・・・・

簡単な記事にするつもりだったのに、、、

土器を扱うと長くなるぜ!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 30にち(げつよーび、晴れ)

11月ラスト!今日は死ぬ気で頑張る(*^・ェ・)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは世界最古の地図はカルデア王国の地図!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイラク、バビロニアです!

メソポタミア文明で有名なティグリス川とユーフラテス川の両河川の下流の沖積平野一帯を指す歴史地理的領域である。

中米でいうと、「メソアメリカ」みたいな感じ、文化史的領域なのでしょうね、きっと( -д-)ノ

さて、このバビロニアという領域は古代においては南部のシュメール地方と北部のアッカド地方に大別され、「シュメールとアッカドの地」という表現で呼ばれていたそうです。

バビロニアでは、BCE3000年にはシュメール人やアッカド人たちはバビロニア南部でウルやウルク、ニップル、ラガシュなどに代表される多数の都市国家を構築しました。


BCE2000年までにはアッカド帝国が広がり、ウル第三王朝が続きました。


BCE2000年期に入ると有名な古代都市バビロンを中心にバビロン第1王朝が興り、「目には目を、歯には歯を」のハンムラビ法典で有名なハンムラビ王(在位:前1792年-前1750年)によってメソポタミア地域がほぼ統一されました。

この辺りまでは世界史で出てきますね(*・ω・)ノ


↓以前の「地図」に関する記事(*^・ェ・)ノ




上に挙げた過去記事ではコロンブスが「アメリカに到達」した後の最初の地球儀や、世界最古の地図のお話でした。

特に後者の「最古の地図」は集落内の地図でした。

今回紹介するのは「世界地図」です!

そしてその「世界最古の地図」はバビロニアでBCE6世紀に建国された新バビロニア王国、つまりカルデア王国で作られたものなのです。

文章と写真の配置関係の問題で、該当する遺物の写真は下部に挙げています、ご了承ください( -д-)ノ

さて、下の写真がバビロニアの世界地図、あるいはイマゴ・ムンディと呼ばれる遺物です。

メソポタミア諸文明でよく見られる粘土板です。

この粘土板は、古代都市バビロンの北方60kmに位置するユーフラテス川の東岸にあるバグダード・ビライェットのシッパルで発見されました。

粘土板の下部には世界地図が描写されており、地名などが添えられています。

粘土板の上部は一部欠損していますが説明文が刻まれています。

この説明文は1889年に初めて翻訳され、現在このイマゴ・ムンディは大英博物館に所蔵されています(*・ω・)ノ



さて、内容を詳しく見ていくと、、、

描かれた世界地図は円形で、外側に二つの円が描かれています。

この外側の二つの円はその間にある水を表しており、イドマラトゥム「苦い川」と「塩の海」と記されています

塩の海は、普通の海や『死海』のことなのでしょうね(*^・ェ・)ノ

この苦い川や塩の海で構成される大きな水の境界の外(二重の円の外)には、三角形で示される8つの地域があることになっています。

8つの地域の内、5つの地域の部分が残存していて、「ナグ;nag」と書かれています。

恐らく固有名詞ではなく、「外部の領域」の意味なのでしょう。

三角形で示されているのは「山」をイメージしているようです。




地図の中心はユーフラテス川で、北(上)から南(下)に流れています。

現在では地図の上が北を示すのは常識ですが、歴史的にみると時代や地域によってどの方位を上にするかは様々でした( -д-)ノ

世界地図の中央部、二重の円の内側には7つの小さな円があってそれぞれが都市を示しているようです。

地図中央の北側にあるのがバビロン、底部の平行線は南部の沼地(カルデア?)を表しているように見え、北から北東に向かってくる曲線はザグロス山脈を表していると考えられています。


【上の図の番号とその意味】
1. 山 ⇒ザクロス山脈?
2. 都市(アッカド語:uru) ⇒ウルのこと?
3. ウラルトゥ
4. アッシリア
5.?(アッカド語:der)
6. ?
7. 沼地 (アッカド語: ap-pa-ru) ⇒カルデアのこと?
8. スーサ(エラムの首都)(アッカド語:šuša)
9. カナル /「流出」の意味(アッカド語:ビットク)
10. ビット・ヤキン
11. 都市(アッカド語:uru)⇒これもウル……都市ってだけなのでしょう( -д-)ノ
12. ハブバン
13. バビロン(アッカド語: tin.tirki)、横長の長方形エリアでユーフラテスで分断されている。
14 – 17. 海(塩水、アッカド語:idmar-ra-tum; イドマール・ラ・タム)
18~22.外側の「地域」(アッカド語: nag)
23 – 25. 記述なし

描かれている都市の配置として、南にはエラムの首都スサが、北東にはウラルトゥが、北西にはカッサイ人の首都ハブバンが表示されていますが、位置関係を間違えているようです( -д-)ノ

まぁ古代において旅は危険なものですからね。

世界地図を描くためには並々ならぬ努力が必要だったでしょう。

所々にミスはあれど、これがカルデア王国時代の世界観なのですねヾ(´ω`=´ω`)ノ




おわりに

今回紹介した世界最古の世界地図はカルデア王国で作られたものでした。

カルデアと聞くと個人的には『Fate/Grand Order』しか出てこないのですが、、、

ゲームも人類の歴史や偉人の個人史に興味をもってもらう良い機会かな~って思ってますヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ

私は娯楽映画としての『インディジョーンズ』とか『ナショナルトレジャー』とか、ゲーム・映画の『トゥームレイダー』や『アンチャーテッドシリーズ』とか批判しないタイプなので!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

むしろ大好きヾ(´ω`=´ω`)ノ

批判しないよ、だって娯楽だもの!

リアルな考古学じゃドキュメンタリーになっちゃうし、地道なものだからそこまでウケ良くないでしょ!( ・Д・)

しかしながら私が学生の頃は、先生や先輩方には『親の仇』かってほど嫌悪してる方々がけっこういたのが事実です。

なので一般のフツーの考古学者とお話する際には気をつけてください( -д-)ノ

きっと今の若手研究者なら、そういった所謂「大衆文化」などが入り口だったとしてもそこまで嫌がらないはずです(*^・ェ・)ノ

今でも「考古学少年」以外受け入れない人もいるけどね!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 29にち(にちよーび、晴れ)

昔の脳細胞から歴史に関して分かることがあったらスゴイねΣ(・ω・ノ)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースはガラス化した無傷の脳細胞が発見されたよ、ちなみに脊髄の中の神経細胞も!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイタリア、ヘルクラネウム遺跡です。

以前にも取り上げてきた遺跡ですが、ポンペイがあまりに有名なため、比べるとあまり一般的ではありません。

しかしながら所謂ポンペイ遺跡の世界遺産としての登録名はポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域であることからも分かるように、ヘルクラネウムはポンペイと並んで現代の我々に古代に関する様々な情報を与えてくれる稀有なものとして非常に重要な遺跡なのですヾ(´ω`=´ω`)ノ


↓ヘルクラネウムに関する過去の記事(。・ω・)ノ゙




上に挙げた過去記事では、ヘルクラネウムの人々は高温の火砕流に飲み込まれて脳みそが沸騰して頭蓋骨が爆発したとか、脳みそがガラス化したとかかなり激しい内容のものになっています。

ポンペイの事例では火砕流と降灰によって一瞬で死亡し包み込まれために、検出された灰の空洞部分に石膏を流すことで、当時の人々の生々しい最期の姿を見ることができます。

一方でヘルクラネウムはヴェスヴィオス火山との位置関係により、過去記事や今回の発見のように『ガラス化した系』の事例が多数確認されているのです(*・ω・)ノ



上に挙げた写真がCE79年、今からおよそ2000年前のヴェスヴィオス火山の噴火で死亡したヘルクラネウムの男性の頭蓋骨から見つかった脳細胞です。

頭蓋骨の発見自体は1960年代の調査時です。

この男性は25才程度で、ローマ皇帝を崇拝する目的で使用された施設(下部の写真を参照)にあるベッドにうつ伏せの状態で見つかりました。

この男性の頭蓋骨の内側にガラス状の輝く物質を発見したため、電子顕微鏡で観察したところ、『無傷の脳細胞』であることが分かりました。

この男性の脳は500度程度の高温の火山灰にさらされて一気に液体となった後で急速に火山灰の温度が低下することで即座にガラス化したため、このような良好な保存状態で残ったと推測されています。

またガラス化した脊髄中の神経細胞も無傷の状態で発見されたそうですΣ(・ω・ノ)ノ





おわりに、ー古代人の記憶を読み取るー

上の写真が、件の男性の遺体が見つかった「アウグストゥスのコレギウム」と呼ばれるヘルクラネウムの施設です。

鮮やかな彩文も残っているのものなのですねΣ(・ω・ノ)ノ

以前にも考古学調査で発見された「ウィルスで死亡した人骨」に対して医学者チームによるDNA研究が行われるといった学際的な研究の紹介をしました。

直接的な関わりはなくとも人類はウィルスと闘い続ける運命にあるわけですから、コロナウィルスですったもんだしている現代社会には大きく貢献する研究と言えるでしょう。

以上の事例を代表として考古学が他学問と協力関係にあることは少なくないわけですが、今回の発見も新たな協力関係を構築、あるいは新たな学問領域を拓くことになるかも知れません。

今回の発見をした研究者チームは考古学者だけではなく、生物学者や法医学者、数学者、神経遺伝学者から成るそうです。

特に神経遺伝学者というのが気になりますね( ・Д・)

世界広しと言えども、この長い人類史の中で、『ガラス化した無傷の脳細胞』の発見は前例がありません。

脳については分かっていないことが多いと思いますが、SF映画のようにはっきりとした映像にならなくとも、

古代人の脳から太古の記憶の断片を読む……

ことができる世の中がやってくるかも知れませんね。

そのような時代の前に、現代の容疑者の脳を覗いて犯行を実際に行ったかどうかの判定ができる時代が来るのかな( ・Д・)

被害者の記憶から犯人を特定するとか( ・Д・)

・・・・・・

研究チームか、、、

私も大きな野望を達成するために、

異分野の仲間が欲しいね!( ・Д・)



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今月もあと3日、頑張る!(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは家の壁や床から禁酒法時代のウィスキーがたくさん出てきて、???万円相当だよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はアメリカ、ニューヨークです。

ニューヨークといっても通常私たちが思い描くマンハッタンではなく、ニューヨーク州内にあるエイムズという名の村でのお話です。

このエイムズで、ドラモンド夫妻が一年前に購入し住んだ家は禁酒法時代に酒の密売者が建てたものだという噂が流れていました。

禁酒法は1920年から1933年にアメリカ合衆国憲法修正第18条下において施行され、飲料消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止された法律です。

しかしアルコール度数を抑えたワインやリンゴ酒については一定量まで生産可能であったり、飲酒自体は禁止されておらず、医者に処方箋をもらえば購入可能であったりと抜け道がたくさんありました。

人種差別で悪名高いKKKがこの禁酒法を支持していたり、アル・カポネを代表とするギャング集団の非合法アルコールの販売による台頭を許し、暴力事件や売春事例が激増する要因となったなど、悪法として有名なのがこの禁酒法です( -д-)ノ




問題の家の元所有者はアドルフ・フンプフナーの名で知られるドイツ人で、1932年10月に急死した際には、自身の財産に加え、密売酒も残していたそうです。

1915年に建てられた木造家屋は築100年以上にもなるため、大規模な改修工事を行うことにしたのです。

そして上に挙げた写真のように、工事中に壁や床板の中から禁酒法時代のウイスキーのボトルが合計66本も見つかったのですΣ(・ω・ノ)ノ

写真で見て取れるように、ウィスキーのボトルは干し草と紙に覆われた状態で、ぎっしりと詰められた状態で出てきました。

この紙と干し草で包まれたボトルは、丁寧に6本ずつまとめて1つの包みに入れられていました。


これまでに壁からは7つ、床下からは4つの包みがそれぞれ見つかっているので、少なくとも合計66本見つかっているそうです。


見つかったこれらのウイスキーはいずれもスコッチで、ラベルには「Old Smuggler」と「Gaelic」の文字が記されており、現在も製造されている銘柄の名称と一致しました。





おわりに

ボトルの保存状態はいずれも良好なようですが、それでも内容量が減少しているものもあるようです。

ドラモン夫妻は中身の減っていないボトルを選び、自分たちで味見をする分の1本を残して残りは売却するそうです。

1本あたりの推定価格は1000ドル(約10万4000円)前後だそうです。

全部売れれば『700万円』近くになりますねΣ(・ω・ノ)ノ

歴史的な価値のあるものですし、残り30本を切ったりしてオークション化すると後半は途方もない額になりそうですね( ・Д・)

あ~~~~、私も、、、

お金になるお宝発見したい!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 25にち(すいよーび、くもり)

この2連休を休まず働けば勝ち確!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースはポンペイで富豪と奴隷が一緒に死んだ状態が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイタリア、ポンペイ遺跡です。

ポンペイはこれまでにもけっこう扱ってきましたねヾ(´ω`=´ω`)ノ


↓ポンペイ関連の過去記事ですヾ(´ω`=´ω`)ノ





ポンペイと言えば、CE79年に大噴火を起こしたヴェスヴィオス火山の火砕流によって壊滅した都市です。

これまでも「ポンペイの悲劇」をテーマに書いていたので、上記のようなポンペイを中心とした内容を紹介してきました。

今回は『はじめに』かえて、ヴェスヴィオス火山の方に着目して紹介したいと思います。

ポンペイ遺跡の所在するイタリア語では「monte Vesuvio」なので「ヴェスヴィオ山(ないし火山)」が適当なのですが、ラテン語や英語の発音を頼りにすると「ヴェスヴィオス山」となり、日本語ではこちらの方が一般的なようです。

日本の歴史教科書では近年、「現地の言語の発音で表記する」ことになっていますから、ヴェスヴィオス火山も表記が変わることが予想されますね( -д-)ノ

本記事ではとりあえず慣習に倣い、ヴェスヴィオス火山の表記で書くことにします。

さて、記録に残る中で、ヴェスヴィオス火山はBCE217年に大規模に噴火しています。

次が「ポンペイの悲劇」で有名なCE79年のものです。

その後はCE432年、CE1631年、CE1944年に大噴火しています。

このようにヴェスヴィオス火山は歴史上幾度も激しく噴火してきた火山なのです(*・ω・)ノ


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arukemaya1245
↑大きな穴の痕が、噴火の激しさを物語っています(/TДT)/(「NACIONAL GEOGRAPHIC」の画像より転載;credit: Robert Clark)



さて、今回の発見は上に挙げた写真に見られるように、CE79年のヴェスヴィオス火山の噴火で亡くなった男性2人の遺体が新たに発見されたことです。

固まった火山灰の中に残された空洞から遺体の型をとり、2人の姿の石膏像が作られた結果、このようなリアルな状況が露わになりました。

死因は高温の火砕流によるショック死で、人型に固まった火山灰の中には2人の歯や骨の一部が残っていたそうです。

この2人の男性は、1人はおそらく裕福な男性で、もう1人はその奴隷ではないかと考えられているそうです。

裕福そうな男性の方は推定30~40歳で、暖かそうな毛織の衣服の痕跡が首の下に残っていました。


一方で奴隷と思われる男性は推定18~23歳で、脊柱が圧迫されていたことから、肉体労働をしていた奴隷ではないかと考えられています。


この2人はポンペイ遺跡の北西約700mにあるチビタ・ジュリアーナと呼ばれる郊外の住宅地で見つかりました。

遺体はナポリ湾を見下ろす邸宅の地下にあった「抜け道」の横の部屋で見つかったことから、2人がここに避難していた可能性が指摘されています。




その部屋が上に挙げた写真なのですが、、、

抜け道を走ってたわけではなく……その横の地下の部屋……

雇い主と肉体労働で鍛えられた若い奴隷、、、

ポンぺイは『快楽の都市』でもあるので想像が逞しくなりますね!( -д-)ノ

写真ではどっちの人物が雇い主か奴隷か分かりませんが、右側の人物は『丸出し』だしね( ・Д・)


↓ポンペイ関連の過去記事ですヾ(´ω`=´ω`)ノ




↑私のお気に入りは「まだ食べれるよ?シリーズ」です( ・Д・)


おわりに

記事たくさん書いてると毎日世界のどこかで新しい発見が起こってるなと感じます。

まぁ私の調査成果がニュースになってないのを事例に、本当はもっともっと色んな調査・研究があって、記事にはなっていないだけなんですよね。

この前の「縄文の囲炉裏」の新聞記事で痛感しましたが、ニュースにしようとする意気込みが地方紙だと場所によって大きな差があるように思えます。

一方で地元の話でなくてもニュースとしてガンガンに取り上げるものもあって、、、

エジプト、ポンペイ、南米は記事の本数がやけに多いなと思います。

ポンペイは今回のものと同様に新たな当時のリアルな状況が分かったよってことで毎度記事になります。

エジプトや南米(敢えて一括りにしてます)は乾燥地帯としてミイラとかたくさん出たよ!みたいな記事が毎度取り上げられています。

そういった状況を考えると、考古学の中でも特定のテーマに一般の人々の関心が集まり、博物館の特別展の実施や講演会といったお金が絡む話も特定のテーマが中心になる理由はマスコミと関連した商業的な意味合いによるところが大きいんだなと感じています。

ブログタイトルが「歩け、マヤ」なのに、敢えて自分の専門はあまり書いてきませんでしたが、、、

マヤ文明も頑張って打ち出していくしかないね!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 24にち(かよーび、くもり)

どこかで伏せてた分を取り返さねば(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは使い方が謎!変な囲炉裏である『複式炉』が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は岩手県、北上市にある八天遺跡です。

岩手県の新聞記事が元ネタなのですが、写真が上の1枚しかないのですΣ(・ω・ノ)ノ

これだけだと正直、何も伝わらないので、他遺跡の事例の写真を紹介しながら本記事の紹介をしたいと思います( -д-)ノ




まずは八天遺跡での発見について概要を示しますね(*・ω・)ノ

八天遺跡は縄文後期の中頃(約3800~3500年前)の直径13mにも及ぶ大型建造物址が発見されたことにより、国指定史跡として登録されている遺跡です。

また重要文化財指定を受けている遺物も多数出ている有名遺跡なのです。

今回の発見では以前の発見よりも更に古い時期に当たる縄文中期の終わり頃(約4500年前)の竪穴式住居で囲炉裏(いろり)として使われた複式炉が発見されました。

他には縄文後期の初頭(約4400~4100年前)に帰属する、1.5mの深さの貯蔵穴も発見されています。

どうやらクリなどを入れていたようです(*^・ェ・)ノ

これらの発見により大型建造物が使われた時代よりも古い時代に既に集落が形成されており、この地に長く人々が生活していたことが分かったのです(。・ω・)ノ゙ 






珍しい囲炉裏、複式炉とは?

さて、タイトルにあるように本記事では複式炉を「謎の囲炉裏」としています。

何が謎かというと使い方が良く分からないのです( -д-)ノ

上に挙げた1枚目の写真のように、普通私たちがイメージする囲炉裏は上から吊っていて、皆で囲むようなタイプではないでしょうか。

おまけに何の役に立つのか分からん「魚を模したやつ」が付いてたりします( -д-)ノ

実はアレ、自在鈎の部品で、ヤカンなどをかける鈎の部分を上下させて固定するためにある横木と呼ばれるものだそうです。

火を使う場所なので、水に関係したものを飾って火事にならないようにするおまじないの意味があるそうです。


昔はあそこに魚引っかけて干したり燻製にしてた名残なのかと勝手に思ってました( -д-)ノ


さて、話を戻しまして、囲炉裏ってやっぱり一個のヤカンをかけたり、一個の鍋をかけたりするイメージですよね?

一方で2枚目の写真はジブリの「隣のトトロ」に出てきそうな古いカマドなのですが、これは二つの焚口があるわけです。

今回発見された炉は「『複式炉』だからこれ?」と思うかもしれませんが違います。

このトトロ・タイプは現代のキッチンでもよく見られる単にコンロが2つあるタイプです。

この場合、使いやすいように横に2つ並んでますよね?

もし縦に並んでたら、奥側を扱う際に火傷してしまいそうです。

そうです、なんと『複式炉は炉が縦に2つあるタイプ』のものなのですΣ(・ω・ノ)ノ


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複式炉の写真を見ても、「これはただこの角度から撮ったから縦に見えるんじゃないか!」と思うかともいるでしょう。

なので竪穴住居内における複式炉の配置図も用意しました。

まぁ住居内は広いので横方向からも使える気もしますが、まぁ『縦タイプ』なんです!( -д-)ノ

「複式炉」自体がレアな囲炉裏の形態で、主に東北地方で検出されています。

今回の記事は岩手県ですし、上に挙げた事例は福島県のものです。

使い方は先に述べたように「不明」なのですが、恐らく、石組みになっている部分で火を焚いていて、土器が二つ埋めてある部分は種火や灰、置き火のための空間だったのではと考えられています。

下に挙げた2枚の写真で分かるように、住居の中心側に土器が埋められていて、その外側に石組みがあります。

下の写真のパターンでは更に外側に石組みのない開けた空間があり、ここには薪を置いていたのではと考えられています。

東北地方で見られるこうした『複式炉』は、単に囲炉裏として機能しただけではなく、東北の寒さに耐えるために囲炉裏の有する暖房設備機能を強化したものだったのかも知れませんね(*^・ェ・)ノ






おわりに

囲炉裏ってなんだかとっても和風な気がするのは私だけでしょうか。

でも家に囲炉裏なんてないし、私は海辺とか山でバーベキューしに行って、その際はバーベキューセットというのか、金属製の箱みたいなのを持っていくわけですが、、、

そういう時に、たまに砂浜とか地面に直接炭を置いて貝などを焼いたような痕跡に出くわすことがあります。

マナー的には「炭もゴミも捨ててくなよ」と思いますが、考古学的には人類が残した痕跡として興味深さもあります( -д-)ノ

地面で直接火を起こし続けると、地面が焼けて焼土が残ります。

レアですが、これは考古学調査でも検出されるもので古いケースが一般的です。

時期が新しくなると、炉の形態としては「三石炉」が最初期の形態です。

3つの石の間で火を焚いて、石を支えにしてその上に土器を置いたりします。

昔の人も3つの支えだと安定することに気付いていたようですね。

皆さんも特に砂浜で見かけることが多いと思うのですが、誰かの炉跡を見つけたら観察してみてください。

面白いですよ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

そしてアクシデント等でバーベキューセットが使えない時は、適当な石を3つ拾って三石炉を作ってみましょう!

それだけで「文明度(?)」がアップしますので(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

……まぁこんな風に炉ないし囲炉裏というのもすごい長い歴史があって、日本国内でも海外でも様々な地域差があって面白いものなのです(*^・ェ・)ノ

何はともあれ、

囲炉裏で美味しいもの食べたいね!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 21にち(どよーび、雨)

ふっか~つ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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arukemaya1230
↑イタリア北部に位置するってことが分かる図(「イタリア政府観光局」のページ内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは人類最古の地図って知ってる!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイタリア、ヴァルカモニカです。

ヴァルというのが「谷」を意味します。

しかし文法上は接頭辞なので、区切らずに一つの単語として扱うそうです(ヴァル・カモニカとはならないという意味)。

日本では「カモニカ渓谷」と表記されることの方が一般的なようですね( -д-)ノ


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カモニカ渓谷はモンテ・フレロネなどの高い山々に囲まれた中、南側に位置するイゼーオ湖に向かって流れるオリオ川によって形成された渓谷です。

このカモニカ渓谷には「ヴァルカモニカの岩絵群」と呼ばれるものがあります。

イタリアで最初の世界遺産として1979年に登録されました。

ヴァルカモニカの岩絵群と呼ばれる特定の場所があるわけではなく、カモニカ渓谷内に点在する国立公園の中で様々な岩絵が見られ、それらをまとめて岩絵群としています。

有名なところではナクアネ岩壁彫刻国立公園、セラディーナ-ペドリーナ公園、チェート岩壁彫刻国立公園、チンベルト岩壁彫刻国立公園、パスパルド岩壁彫刻国立公園を始めとして色々な公園があります。


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↑これが世界最古の地図!(「星埜 ????(発表年不明)」より画像を転載)

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↑全体はこんな感じの刻線文になっている(「??? 2016(発表者不明)」の画像より転載)




さて、今回紹介する世界最古の地図が『ペドリーナ図』です。

カモニカ渓谷の岩絵群のひとつなので、単純に「カモニカ地図」として日本では広まっているようです。

しかし先に紹介したようにカモニカ渓谷内には多数の国立公園があり、この岩絵地図はその内の一つで見られるものです。

それがセラディーナ-ペドリーナ公園です。

恐らく距離が近い二つの公園がまとまって、このセラディーナ-ペドリーナ公園となっているのだと思いますが、正確には二つに分かれるようです。

ペドリーナ公園の方は実は「国立」と付いていないだけあって、正確には私有地だそうです。

このペドリーナ公園にある岩絵地図なので、現地では人類最古の地図「ペドリーナ図」として知られていますヾ(´ω`=´ω`)ノ

「カモニカ渓谷の岩絵群」は約1万年前から紀元前後のローマ帝国期に至る約8000年の間に人類によって描かれた様々な線刻画が見られます。

モチーフは農耕、航海、戦争と様々なものが計14万点も描かれており、それぞれの文化の様子を知る上での重要な資料となっています。

この人類が描いた最古の地図「ペドリーナ図」はBCE1500年、つまり今からおよそ3500年前に描かれたもので、当時の集落の様子を描写しています。

良く見ると、人の形や、家畜などの動物のモチーフ、家屋のモチーフが見られますね。

下に挙げる別の岩絵にも家屋が見られるのですが、当時のこの辺りの家屋は高床式倉庫みたいに背の高いものだったのでしょうか、気になります。

家屋に梯子が付いていて、屋根裏に人が入っている様子も描かれています。

それにしても全体としてかなり大きい集落ですし、行き交う道も複雑で、かなり正確に描かれた地図のように伺えます(。・ω・)ノ゙




おわりに

数日、不可思議な腹痛(?)で伏せておりましたが、その間に「社会経済物理学」とか「都市地理学」の勉強を軽くやっていた時に、この世界最古の地図について偶然知りました。

地図というと、私のイメージではバビロニアの粘土板に描かれた地図が思い浮かぶのですが、そちらはBCE600年なのでペドリーナ図の方が古いですね。

まぁ世界地図としてはバビロニアが最古なのか……

続けて、バビロニアを扱ってもいいかも知れませんね(*^・ェ・)ノ

そう言えばマヤで地図って知らないな、焼かれたか!?( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 18にち(かよーび、くもり)

困った世の中だよ( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは号外!シャレにもならん。迷惑Youtuberがとうとう縄文文化にも手を出したよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は日本、岩手県です!( -д-)ノ

問題のYoutuberは日本在住の外国人女性のYoutuver、フォロワー数は60万人を超えるそうです。

で、何をやったかというと、岩手県花巻市内の土地を「無許可」で発掘し、縄文土器や石器を掘り出して動画投稿したのです( ・Д・)

問題の動画は早々に削除されたそうですが、動画内では数人の外国人グループがスコップでテキトーに乱雑に土を掘り返し、縄文土器や石器を発掘する姿が映っていました。

Youtuberあるあるのオーバーアクションで出土する遺物に興奮する様子が映し出されていました。



またこの迷惑Youtuberは別動画にて、出土遺物を花巻市総合文化財センターに持ち込み『土器を拾ったのだけど、本当に古い時代の土器なのか見てほしい』と鑑定を依頼していました。

更に動画内では「遺物をこうやって拾って持ってくることは、違法かどうか」を聞いたそうです。

・・・・・・・・・・・・

まぁ普通に「文化財保護法違反」ですよ( ・Д・)

日本在住ならある程度日本語使えるだろうし、調べられるでしょう。

というか、「文化財保護」に関して法律のない所謂「先進国」はありませんよ。

ニュースでは、『文化財保護法の周知を行うべきだ』なんてまとめてますけど、、、

日本は『激甘』ですよ。

もちろん国にもよるけど、これ、もし海外なら即特定されて「逮捕」です。

盗掘が犯罪じゃない国はないです。

日本だけじゃないけど、土地って必ず誰かのものです。

個人所有でなくとも、市町村や国の管理になっていたりと、誰の土地でもない自由な土地はありません。

だから、仮に今回の無断の発掘行為を置いておいたとしても、他人の土地に入って勝手に土を掘り返した時点でアウトでしょう。

……今回のニュースの問題は、場所にもよるわけですが比較的浅い地点からも遺物が出ることが周知されてしまうことです( ・Д・)

そういう場合もありますが、はっきり言って普通はもっともっと掘りますよ( -д-)ノ

でも「こんな浅くて出るんだ!」とか思った人が勝手に掘り始めて、ヤフオクやメルカリとかで販売するといったことが起きるのではと私は危惧しております。

最近、縄文とか古墳は人気ですから、なおさら怖いです(´・ω・`)

特に古墳なんて目に見えて分かりますし、事実として最近は古墳での盗掘事件も報告されていますヽ(TдT)ノ

当サイトではよく書いてますけど、

『考古学的価値とは付加するもの』です。

記録もなしに掘り出すと、一切のデータを有さない無価値なものに成り下がります。

だから、盗掘はダメ!絶対!( ・Д・)

やるなら「表面採集」にして、日付と地点を記録しておくといいでしょう。

本当は色々問題あるけれど、ファンとして(ファンって熱狂的って意味なわけで)我慢できないならば、せめて表面採集にとどめてください。

ってか、ファンなら考古学調査に参加してみたらいいと思うけど。

発掘調査補助員のアルバイト(けっこう割いいですよヾ(´ω`=´ω`)ノ)も調べればけっこう募集しているものです。

まぁ地球の裏側だから来るのにお金めちゃかかるけど、うちの調査に参加してもいいので、盗掘はやめましょう( -д-)ノ

色々書きましたが、このサイトの読者の皆様はとても「民度が素敵」なのでそんなことはしないと思ってます。

なので、是非この記事を拡散して頂いて、難しい法律とか全部無視して、ごく単純に勝手に掘ったら違法』ということを周知するお手伝いをして頂けると幸いです。

私が超インフルエンサーだったらいいんですけど、現実問題として違うので皆様のご協力をお願い致します(*_ _)ペコリ

・・・・・・・・・・・・

最後に、

「常識は他人の非常識」なんて言うけれど、、、

良識は持ってくれ!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 18にち(かよーび、晴れ)

あと三週間、というか今週さえ乗り切れば!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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今回の考古学・歴史ニュースはサッカラで100基以上の棺が見つかったよ~!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


「たくさん見つかるのはいいことですが、けっこう大変な側面もあるよ!」ってのを最後に簡単にお話したいと思います( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・

さて、今回の舞台はエジプト、サッカラ遺跡です。

現在のエジプトの首都カイロから、南方に30kmほどの距離にサッカラ遺跡があります。

サッカラは古代エジプトの首都であったメンフィスのネクロポリスでした。

ネクロポリスは本来「死者の都」という意味で、ここでは「墓所」いう意味で用いています。

サッカラ遺跡は首都に付随する特に大規模な埋葬地だったので、これまでにも多数の埋葬遺構が発見されています。

今回はそのサッカラ遺跡からおよそ2500年前に埋葬されたと考えられる棺が100基以上も発見されたという大発見のお話です(*・ω・)ノ


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見つかった大量の棺はいずれも木製です。


よくこれだけの保存状態の良さで残ったなと思いますねΣ(・ω・ノ)ノ


100基もの棺は深さ12mの3つの穴3からシールされた状態で出土したそうです。


上に挙げた写真もそうですが、下に挙げた写真でも棺が素敵過ぎる装飾を有しています。


このことは見つかった大量の棺が富裕層の人物を埋葬したものであることを示唆しており、恐らくは古代エジプトの末期王朝やプトレマイオス朝時代の高官のものと推定されています。




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↑この精巧さはスゴイ!これで2500年前!?( ・Д・)(「AFP BB news」の記事内画像より転載;credit: Ahmed HASAN / AFP )


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↑青いのカッコイイね!(・∀・)つ(「livedoor news」の記事内画像より転載)


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↑こんなのも出ました!(「livedoor news」の記事内画像より転載)




おわりに ー関連記事の紹介と考古学の大変さー

エジプトの関連記事は多過ぎて困るんですけど、、、

どれもけっこう面白いなと思うので全部ではありませんが、個人的にいいなって思う記事を片っ端から紹介しておきますね( -д-)ノ








まぁこの中では、短い記事ですが、最後の「ネコが好き過ぎてエジプト文明が滅んだ!?」ってのがけっこうお気に入りです(。・ω・)ノ゙

・・・・・・・・・・・・

さて、エジプトは保存状態がスゴイ良いし、何でもかんでも残っていいな~っていつも記事に書いているのですが、、、

何かさすがに出過ぎじゃないですか!?( ・Д・)

エジプト考古省も観光による外貨獲得を目指して文化遺産活用に力を入れているのは分かりますし、エジプト考古学者も世界の考古学を牽引する気持ちでガンガンやっているように伝わってきますが、、、

考古学って掘って終わりじゃないじゃない?

他の記事見てると、コロナで大変だけど新たな博物館にこれらの素敵な棺を展示するから、観光の起爆剤になって欲しいみたいなこと書いてますけども……

100基以上の棺を写真記録撮って、図面描いて、中身チェックして、保存処理かけて、分類して、これまでに出土した膨大な資料と比べて、、、

やることたくさんですよ( ・Д・)

……エジプト考古学の型式分類とかって、土器じゃなくて棺でやったとしても相当の数があるし、どんどん新しい資料見つかるしで大変だろうな~ってホントに思います。

これまでは単純に「すげー!( ・Д・)」って思ってましたけど、改めて考えてみると『出して終わりじゃない』ところが考古学の大変なところですね。

100基の棺の写真を報告書に使うにしてもどれだけ時間かかるのだろう……

まぁきっと予算も人員も莫大なのでしょうね( -д-)ノ

私も大量の墓か何か発見して一大ニュースとして取り扱われたい!!!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

出しただけで終われるなら特に良い!( ・Д・)



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