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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2020年12月

2020ねん 12がつ 30にち(すいよーび、雪)

ずっと学会発表準備してたり、論文書いてたりしてたよ、ごめんね!( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは古代のカリブの民は一度滅んでいたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は中米~南米のカリブ海!

カリブ海と聞くと上に挙げた写真のような「青く澄んだ南国の海」をイメージすると思います。

それでイメージは大体合っているのですが、どの辺にあるのか?となると途端にあやふやになると思います。

旅行で行ったことのある人でも、カリブ海というのは実際にはかなり広いのでよく分かっていない方も多いことでしょう。

ということで、地図を提示して説明しますね(*・ω・)ノ


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上に挙げた地図は中米域(メキシコ、グアテマラら辺)から南米の北部であるコロンビア、ベネズエラを示したものです。

地図内に「西カリブ」「南カリブ」「東カリブ」とあるようにかなり広い範囲がカリブ海なのです(*・ω・)ノ

私は地図の左側にある、ポコッと北に突き出したユカタン半島の辺りを専門にしていますのでカリブ海も訪れたことが複数回あるのですが、ユカタン半島の北部に広がる海や、ベリーズ東部、ホンジュラス北部に広がる海がカリブ海であると漠然と理解していました。

だけど実際にはカリブ海はこれほどの広範囲にわたっているのですねΣ(・ω・ノ)ノ

私は知りませんでした( -д-)ノ


さて、今回のお話は地図の右下にあるベネズエラから中央にあるバハマの間の島々が舞台です。

所謂、『カリブ諸島』ですね(。・ω・)ノ゙

このカリブ諸島に、上に挙げた図のように船ではるばるやってきた古代人がいることが分かったよ!ってお話です。


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所謂「新大陸」にヒトがやってきて、1万3000年頃までには南アメリカの南端にまで到達したと考えられています。

その後、人々は南北アメリカの各地でそれぞれ生活していき、様々な発展を遂げていきます。

マヤ文明やインカ文明などの発展には時期的に類似した変化が見られるわけですが、今回は「島々」が対象ですので、同じアメリカ大陸の話でも少し時代感が異なりますのでご注意ください(*^・ェ・)ノ

さて、カリブ諸島に最初に定住した人たちは6000~7000年前にやってきました。

恐らく先の絵に描いたよりももっと簡易な船でやってきたと考えられますが、彼らは狩猟採集活動を行い続け、その伝統文化・生活様式をおよそ6000年もの間守り続けていました。

どうやら彼らは周辺の人々と活発に交流しなかったようです。

そういった状況のカリブ諸島に、約2500年前(BCE500年)の段階でベネズエラから土器製作技術を有する農耕民がやってきました。

結果、先住民は戦闘や病気によって全滅したと推測されています。

この解釈は、上に挙げた写真に見られるような、カリブ諸島を中心に発掘調査で見つかった人骨174体を対象にDNA分析を実施した研究で得られたものです。



マヤ文明最古の土器との関係性

先に述べたように、カリブ諸島を「征服」した彼らはBCE500年に到来しています。

マヤ地域では南部地域において先古典期前期(BCE2000-1000)から土器が使われていますし、ティカルなどがある中部低地域では先古典期中期(BCE1000-350)に誤記が出現します。

なのでマヤ文明最古の土器と、今回の「征服者である土器の民」とには直接的な関係性はありません。

しかしマヤ地域の南部で最初期に見られる土器は、「完成された形」のものばかりなのです。

土器は粘土を焼成することで作りますから、「人類最初の化学変化を利用した道具」としてよく知られています。

日本などでも最初期の土器は「あまり出来が良くない」もので、その後技術が発達して皆さんがよく知ってる『火焔土器』みたいなのが作られるようになるものです。

しかしながらマヤ地域ではそうした土器の発達史を追うことができません。

そのためマヤ地域で最初期の土器は南米など他地域から技術や情報が伝わってきたと考えられています。

今回の話もそうですが、『意外と古くから』人間集団間の交流、特に海を使った遠距離の交流はあったのだなと思います。

南北アメリカ大陸は地続きですが、今回の事例のように海を使って一気に土器の製作技術が伝播した可能性もあるんだなぁと改めて感じました(・∀・)つ


↓船で新大陸に渡ってきた系の記事(*・ω・)ノ



↑これ人気記事ですよヾ(´ω`=´ω`)ノ



おわりに

さて、カリブと言えば、私にとっては「パイレーツ・オブ・カリビアン」ですが、、、

一般的にはやはり青い海ですよね!

調べたところ、どうやら上に挙げた写真のようなピンク色の砂浜がカリブ海にはあるそうです。

上の写真はギリシャのクレタ島のものですが、写真が綺麗だったので紹介することにしました。

クレタ島も考古学では超有名なところですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

さて、カリブ海ではバハマのエルーセラ島というところにやはりピンク色の砂浜があるそうです。

行ってみたいものです(*^・ェ・)ノ

……いつかカリブ海沿いの遺跡でビキニ美女と共に調査するのだ!( ・Д・)



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2020ねん 12がつ 19にち(にちよーび、晴れ)

今週が山場だな( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースはおよそ400年前に実際に使用された幻覚作用のある植物が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はアメリカ合衆国、カリフォルニア州のウィンドウルブス保護区です。

この保護区内に「風車洞窟」という洞窟があり、その天井部からアメリカ先住民のチュマシュ族がおよそ400年前に噛んだと考えられるチョウセンアサガオの塊が多数見つかりました。

さて、ひとつずつ見ていきましょう(*^・ェ・)ノ




さて、まずは位置とチュマシュ族についてです。

アメリカ西海岸にカリフォルニア州が広がっており、最初に挙げた写真のような広大な自然が特徴のひとつである地域です。

その中で「サンタクルス島」と呼ばれる島と有名な都市であるロサンゼルスの一帯に居住していたのがチュマシュ族です。

彼らは北アメリカ先住民の一グループであり、沿岸部での漁労活動や内陸部における狩猟採集活動を生業として生活していました。

スペイン人が侵入した16世紀の人口は8000~2万人と考えられており、メキシコ中央高原以北の後古典期文化に共通して見られるような円形・ドーム状の住居や蒸し風呂を特徴とした社会を形成していました。

ちなみに上の地図の、ロサンゼルスの北西に位置するベーカーズフィールドという場所の南部が今回のお話の舞台です(*・ω・)ノ




さて、次はチョウセンアサガオについてです。

上に挙げた写真のように可愛らしい花が咲くことから現在も園芸用に販売されています。

アサガオの名を冠していますが、花が似ているだけで、実際にはナス科の植物です。

別名が「キチガイなすび」であるように有毒植物であり、花やつぼみ、根などを摂取すると30分程度で口が渇く感覚に襲われ、その後、体のふらつきや、幻覚、妄想、悪寒などの覚醒剤と似た症状が現れる危険なものです。

チョウセンアサガオの原産地は南アジアであり、麻酔薬や鎮痙薬としての効用を有するとして明の時代(1368-1644年)から知られていました。

ところで、世界初の全身麻酔手術に成功したのは日本人だそうですΣ(・ω・ノ)ノ

その人物は江戸時代の医学者である華岡青洲なのですが、このチョウセンアサガオの成分を精製した麻酔薬「通仙散」を使用していたそうです。

このことから日本麻酔科学会のシンボルマークにチョウセンアサガオの花が採用されているのだそうです(・∀・)つ


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さて、今回の発見のお話に戻ると、カリフォルニア州の風車洞窟の天井の隙間に詰め込まれたチョウセンアサガオが見つかったということです。

この地域に住んでいたチュマシュ族がチョウセンアサガオを実際に噛んで使用した後、天井部に詰め込んだと考えられています。

また分析からおよそ400年前の儀礼行為の痕跡と考えられています。

400年前に実際に使用された植物が残っていたということもレアなケースなわけですが、、、

今回の発見はどうして重要なのでしょうか?( ・Д・)


↑岩絵関係の記事(*・ω・)ノ


世界中に「岩絵」は数多く報告されています。

時期もとても古いものから新しいものまで多岐に渡っています。

こうした数ある岩絵が何故描かれたかについては諸説あるわけです。

上に挙げた過去記事のように、ラスコーやアルタミラなどの動物を描いた古代の壁画は『狩猟の様子を描くことで豊漁を願った』と考えられています。

超古代文明的なオカルトでよく取り上げられるあたかも「宇宙人」を描いたかのようなモチーフたちは『神話のワンシーン』を描いたと考えられています。

一方で何を描いたのか現代の我々には簡単には理解の及ばない不明瞭な変わった図像も多数あります。

そういった奇抜な風変りなモチーフは、『古代シャーマンが儀礼の一環としてトランス状態で描いた』と考えられています。

考古学では行動の結果としてそれがモノや痕跡として残った物を対象として扱いますが、行動の理由についてはなかなか上手く説明できません。

岩絵に「~~作、(職業:シャーマン)、作品名『トランス状態で見た不思議な光景』(紀元前35000年、フランス)」なんて情報は書いてませんからね( ・Д・)

なので、今回の洞窟の天井から実際に使用された幻覚作用のある植物が見つかったということは、記録に残るようにチュマシュ族は実際にチョウセンアサガオを摂取してトランス状態になり儀礼行為の一過程で不思議な絵を描いたという解釈を支持する発見としてとても重要なのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




おわりに

上に挙げた写真で見られるように、チョウセンアサガオは渦を巻くように開花するそうです。

朝顔とは異なる植物なので、夜頃から朝方にかけて花開くようですね。

先に紹介した洞窟壁画は渦巻文様でしたが、まさにこの状態のチョウセンアサガオを描いたものだと考えられています。

発見当初は渦巻文様の洞窟壁画から「風車」をイメージしたのです。

まぁ「風車洞窟」ってネーミングも風情あっていいなと思いますけどね(*・ω・)ノ

うん、、、

「薬物洞窟」よりはいい!( ・Д・)



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2020ねん 12がつ 15にち(すいよーび、晴れ)

もう年末!一日一日確実に仕事を終わらせていきたいものだ(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは石包丁の工房が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は奈良県、橿原市の慈明寺(じみょうじ)遺跡です。

この慈明寺遺跡ではおよそ2500年前の弥生時代前期に帰属すると考えられる環濠集落が見つかっています。

この遺跡で石包丁の原材料となる流紋岩の岩片が約200点も見つかったのです(・∀・)つ




さて、記事の最初に挙げた写真は弥生時代の石包丁と石鏃です。

歴史の教科書には必ず出てくるのがこの『石包丁』になります。

何故かというと、「石包丁の存在=稲作の存在」を示すため、縄文時代から弥生時代への移り変わりを示すメルクマールとして有用だからです。

最初に挙げた写真のように紐を通して使うもので、実際に出土した際には上に挙げた写真のように2つの穴が開いています。

右下に穿孔が見られないものもありますが、このまま使われたのか、未成品なのか不明ですね。

超有名な事例ですから、きっと使用痕研究がなされていると思うのですがこの事例は私は知らないです( -д-)ノ

片手のみで作業する場合には紐は必須だと思いますが、両手で、つまり片手で稲を支えて、右手で石包丁を扱って切る場合は紐がなくても扱えますからね。

個々の事例については研究されていない可能性もありますね(*^・ェ・)ノ



さて実際に使う際にはこのように扱います。

写真で分かるように石包丁は穂摘み具なのですが、『包丁』という名称を冠しています。

これは明治期に最初に石包丁が出土した際に、北アメリカの「ウーマンズ・ナイフ」に形態が類似していることから「石製の包丁」として命名されました。

その後、刃部の厚さなどからナイフや包丁とは異なる機能を持ち、恐らく穂摘み具であろうと解釈・認識されるようになりましたが、最初の名称がそのまま残りました。

なので石包丁は包丁じゃないけど、『石包丁』なのですヾ(´ω`=´ω`)ノ


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↑見つかった岩片の一部と完形土器(「産経新聞」の記事内画像より転載;credit: 不明)


さて、慈明寺遺跡に話を戻しますと、この遺跡は先に述べたように環濠集落遺跡なのですが、これまでのところ環濠の一部だけが見つかっている状態です。

今回の発見はこの環濠の外側で起きました。

下部に写真を載せましたが、環濠の外部に2つの穴があるのが見つかり、その中から大量の流紋岩の破片が見つかりました。

石包丁の素材には凝灰岩が使われる傾向が強いのですが、素材が限定されていたわけではなく、今回のケースのように流紋岩も使われていました(・∀・)つ

この流紋岩片が200点以上も見つかったわけですが、穴に廃棄された状態でした。

遺跡の南方500mには畝傍山(うねびやま)があり、この山は流紋岩の産地であるため、石包丁の素材の採取地の可能性があります。

慈明寺遺跡の人々は山まで石材を取りに行き、遺跡の周辺で石材を粗割りして、加工に都合の良いものを集落内に持ち込み、それ以外は環濠の外に直径2~3mの穴を掘ってまとめて廃棄していたのだと思われます(*・ω・)ノ

慈明寺遺跡内には少なくとも石包丁の製作工房があったでしょうし、もしかすると慈明寺遺跡自体が石包丁製作集落だった可能性があります。


周辺遺跡の発掘調査が進めば、慈明寺遺跡で造られた石包丁が出土するかも知れませんし、慈明寺遺跡を中心とした石包丁の古代の流通範囲が分かるかも知れません。


大いに期待できますねヾ(´ω`=´ω`)ノ



おわりに

最近は遺跡間関係に興味があるので、なんだか気がせいてしまう自分がいます( -д-)ノ

しかしやはりこうした単一の遺跡における地道な調査と発見があることで、周辺との関わりに迫ることができるのだなと、改めて地道で精緻な調査研究の重要さを感じます。

今回の記事における成果の延長として、石包丁の生産と流通をやってる研究者もいそうな気がしますが、どうなんでしょうね。

来年からは暫く弥生~古墳時代のお勉強もしようと思うので、何か面白いことが分かりましたら記事として報告しますね(。・ω・)ノ゙

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とは言ってもやっぱり知りたいものは知りたいです(*^・ェ・)ノ

同じレベルで調査してくれるプロジェクトと組むか……

自分でたくさん研究費獲って、がっつり一大プロジェクトを推進するか、、、

後者だな!( ・Д・)

なんとかして、

死ぬまでにマヤ社会の都市間関係に迫りたいね!( ・Д・)



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2020ねん 12がつ 14にち(かよーび、晴れ)

12月初旬までだけが忙しいと思ってたのに、さすがは師走( -д-)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースはアステカの『骸骨の塔』は人骨いっぱいで異様な雰囲気だねっ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はメキシコ合衆国、メキシコシティです。

上に挙げた絵がアステカ帝国の首都テノチティトランを描いたものです。

テスココ湖に浮かぶ島の上に造られた都市であり、アステカ期においても沼沢地の干拓が進んでいました。

1521年にコルテス率いるスペイン軍の侵略によってテノチティトランは陥落し、1520年代に都市全体が破壊されます。

このテノチティトランの廃墟の上に建設されたのがスペイン植民地ヌエバ・エスパニョーラであり、現在までに湖は完全に干拓され、メキシコ合衆国の首都メキシコシティとして存在しています。


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上に挙げた写真はユカタン半島北部に位置するチチェン・イツァ遺跡の壁面に見られる「ツォンパントリ」です。

「頭蓋骨の城」や「頭蓋骨の壁」を意味するもので、英語では「スカルラック(頭蓋骨の柵)」と表現されています。

チチェン・イツァ遺跡は古典期(CE3~10世紀)にはおいてマヤ遺跡、後古典期(CE10-16)においてトルテカ-マヤ遺跡として知られています。

時期的に専門外なのですが、、、

トルテカという表現は慣用的にアリだと思いますが、『中央メキシコの影響を強く受けた古代メキシコ-マヤ文化複合遺跡』の方が個人的にはしっくりきます( -д-)ノ

さて、先ほど述べたようにアステカ帝国の首都テノチティトランは徹底的に破壊されていますから基壇部ばかり残っていてツォンパントリの残存事例もとても少ないです。

しかしかつては上に挙げた写真のようなツォンパントリは建築様式としてよく見られたのだと思います。

今回のお話はこのツォンパントリが本当にテノチティトランにあったよ!

しかも彫刻じゃなくて本物の人骨使ってたよ!ってお話ですΣ(・ω・ノ)ノ


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↑骸骨の塔の様子(「Mail Online」の記事内画像より転載;credit: REUTERS)

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さて、この発見はテノチティトランにおける中央神殿であるテンプロ・マヨールがあった場所から見つかりました。

アステカの遺跡は現在の都市の地下にあるわけですが、テンプロ・マヨールについては博物館として展示・一般公開されているので現地表面で一部観察できる状態にあります。

さて、発見された遺構を見てみると、上の2枚の写真が人間の頭蓋骨を円筒状に積み上げたものです。

どういう構造になっているのかを示したのが3枚目の図になります。

基壇の上にスカルラックとスカルタワー(「頭蓋骨の塔」)が配置されていて、スカルタワーは両サイドに対として置かれています。

スカルタワーの間とその背後にスカルラックがずらっと並べられている状態です。

このスカルタワーは2015年に発見され、直径が6mに及び、650体以上の人骨が使用されていたと推定されています。


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で、こちらが今回新たに発見されたヒトの頭蓋骨です。

先ほど示したように、この遺構(建造物)全体が大量の生贄によって構成されているため、まだまだ多量の人骨が発見されることは予測されていました。

それにしても新たに合計119体もの頭蓋骨の発見とは凄まじい数ですねΣ(・ω・ノ)ノ

当時の生贄、特に人身御供を伴う儀礼の規模の大きさを物語るものです。

またこうした「スカルタワー・スカルラック複合」(仮にそう呼ぶことにします( -д-)ノ)は”見せしめ”の意味があったと考えられています。

王権の強さを誇示するものとしても機能したでしょうし、アステカは帝国ですので戦争の捕虜を生贄とする事で他国からの使者や往来者に対する威嚇の意味もあったでしょう。

従来の説ではこの後者の他国に対する威圧が主目的である解釈を考古学者は取っていました。

そのため「これらの骸骨は戦争の捕虜(若い男性)である」と考えられてきたのです。

しかしながら今回の119体の頭蓋骨の中には女性や子どものものが混じっていることが分かりました。

スペイン植民地期における記録によると、アステカ期の周辺国家を含む古代メキシコ文化領域の風習では女性や子どもは戦争にいかないとされていました。

まだまだ調査部分が残っているため、被葬者の総数に対する女性・子供の比率は不明です。

もしかすると例外的な扱いを受けて解釈される可能性も十分にあります。

一方で、現段階において、スカルラックとスカルタワー、そして基壇部では作られた時期が異なる可能性も指摘されています。

であるならば、比較的短期間に風習が変わった可能性もありますが、恐らくは基本的に戦争捕虜を生贄にしていた中でその時々によっては周辺国家から集めたその他の生贄(女性・子供)を捧げていた可能性が高いのではないかと思いますね(*^・ェ・)ノ




おわりに

アステカを征服したスペイン軍の兵士の一人であるアンドレス・デ・タピアが遺した記述によると、『テノチティトランには何万もの頭蓋骨が存在した』とあります。

またアステカの文献(絵文書;コデックス)によれば、『1487年に完成したテノチティトランの大ピラミッド神殿における献納式の際に4日間で8万人を超える生贄を捧げた』と記されています。

歴史記述における誇張の性格も考えると、今後発掘調査等を通して史料批判をあるいは検討を行っていく必要がありますが、

現時点で誇張だと仮定したにしても、テノチティトランを掘ればこの先相当な数の骨が出てくることは間違いなさそうですね( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうだ、記事の中で少し触れた『テンプロ・マヨール博物館』ですが、、、

すごく綺麗で大きな博物館で、見ごたえは十分にあります。

建造物は破壊されているので「好きな人」じゃなきゃつまらないかも知れませんが、出土品の展示がスゴイですし、暗い館内でイイ感じなムードを作ってるな~と私は感じました。

博物館職員に知り合いはいるものの、いつもながら回し者ではございませんので、メキシコを訪れる際には是非お立ち寄りください(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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さて、どこかで生贄儀礼に関する記事も書いた気もしますが、

検索に引っかからない!( ・Д・)

何だか生贄と聞くと残虐な感じがしますが、それだけではないのです(*・ω・)ノ

せっかくアステカの事例が出てきましたので、マヤ文明も含めて、、、

人身御供の話をしなきゃね!( ・Д・)



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2020ねん 12がつ 12にち(どよーび、晴れ)

勇気振り絞ってコスプレ写真展行ってきた、緊張したけど楽しかったよ(・∀・)つ


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↑これがお高い返納品( ・Д・)(「御代田町ふるさと納税土器開始」のPDF内画像より一部加工)


今回の考古学・歴史ニュースはふるさと納税の返納品の土器がバカ人気だから、私も土器作って売ろうかなっ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は日本、長野県、御代田町です。

上に挙げた写真が辺納品として土器なのですが、御代田町にある「浅間縄文ミュージアム」という博物館の職員が手作りで製作したものだそうです。

いずれの土器も御代田町にある宮平遺跡や河原田遺跡から出土した県宝指定、重要文化財指定の資料です。

これらの土器は実測図に合わせて正確に成形(整形もか?)、施文し、一か月ほどの乾燥期間を経て、野焼きで焼き上げたそうです。

まぁつまりは縄文時代の方法で手間暇かけてしっかりと作りましたよってことなのですが、、、

驚くべきはその値段!Σ(・ω・ノ)ノ


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↑高いけど、寄付だからそういうものなのかな( ・Д・)(「御代田町ふるさと納税土器開始」のPDF内画像より転載)




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どれもいい値段しますよね。

それなのに全部あっという間に完売したそうで、「どうしても欲しい」とか「また作って欲しい」って声があったそうです。

北海道大学博物館のカフェでも「北大式土器」をミニサイズで作ってタピオカミルクティーが飲めるイベントがありました。

この「タピ土器」は私も買ったのですが(正確には博物館展示の手伝いの代償として奢ってもらった)、1600円もしたのですΣ(・ω・ノ)ノ

これもめちゃくちゃ人気あったようです。

でも老人ホームかどこだか福祉施設か忘れましたが、こちらは博物館の学芸員などの職員が製作したものではないので、とってもミニサイズだし、焼き方は現代の焼き方だし、粘土も現代の粘土だしで本格的なものではありませんでした。

可愛くて私は好きですけどねヾ(´ω`=´ω`)ノ

でもどうやら巷では土器が人気なようで、現在は色んな品が出ているようです( ・Д・)


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↑これがミニ北大式土器、通称「タピ土器」、1600円!(「歩け、マヤ」撮影)





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↑この記事でも少し紹介した日清の火炎土器の値段がコレ↓



おわりに ~私の土器はいくら?~

最後に私の作った土器を紹介しようかなと思います。

大学にもよると思いますが、私の大学では考古学実習の一環として毎年土器作りを行っていました。

大学構内に遺跡があって毎年掘り続けていますから、そこから出た粘土に砂を加えて生地作りから始まり、実測図を参考に、器面調整や施文も復元して行うようにしていました。

もちろん焼成方法は野焼きです。

なので、私にとっては昔の技術で作った土器というのはそこまで欲しいものなのか?とお思うレベルなのですが、、、

まぁ不出来な私の土器を見てくださいな( ・Д・)


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↑たぶん大学2年の時にテキトーに作ったやつ、整形がひどいね( ・Д・)

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↑3年生、2回目だから少し上手い(`・ω・´)

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↑4年?マヤ土器です。古典期前期のベイサルフランジ土器を作ったと思われる、まだまだ下手くそである( ・Д・)てか、碗の口が大きく開くと重力に負けちゃって整形が大変だった気がする(TДT)

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↑たぶん修士の頃、貝を模した三脚付き注口付き皿を作った。少し気合が入っている(・∀・)つ

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↑博士かな?ティカル出土の三足円筒土器を作った、これは手元に実測図と定規を置いて何もかも測りながら作りました。技法も何もかも一緒、焼成方法だけは不明なので野焼きです(*・ω・)ノ顔面だけ美術センスがなくてへたっぴ( -д-)ノ

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↑どう?薄いでしょ?1mmだもの。ミガキの方向が内外で異なる点も再現しています(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!私的にはこの角度で撮ると本物らしさが出ます。なぜなら本物でもこうやって撮られたものがあるのですヾ(´ω`=´ω`)ノ



……他にもスリップ(化粧土)の再現をしようとしてタイミング間違えて完成品をバラバラに割ってしまったこともあるし、器面調整の程度を観察するために粘土板作ったりしてましたね。

今でも胎土中の混砂率を推定するために実験的に粘土板作ってたりしますよ~(*^・ェ・)ノ

今ならもっと上手にこだわりもって本物らしく作れる気がする……

気のせいか?ヽ(TдT)ノ

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まぁ返礼品の土器の価格は寄付金とは言え、高い気がしていましたが、、、

材料費(粘土、砂、調整具、施文具など)や焼成時の燃料費の他、以下に述べるような人件費(?)がかかるわけで、、、

例えば、粘土準備するのに1日はかかるし、寝かせる必要もあるし、作るのは1日がかりだし(サイズによる)、ミガキは半日かかるし、乾燥は1週間くらいかかるし、燃料集めて焼く場所借りて消防に許可取ってから焼かなきゃだし、焼くのは一日かかるし、、、

日清の120万円のやつはちょっと高過ぎだけど、

色々考えたら3万~5万なんて妥当な金額か!?( ・Д・)


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2020ねん 12がつ 8にち(すいよーび、晴れ)

何でも早めにやる習慣を身に付けたいヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは海底から暗号機で有名なエニグマが見つかったけど、おいくら万円!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はドイツ、バルト海です。

元々は世界自然保護基金の依頼でダイバー達が廃棄された漁網を探していたそうです。

そうした中、古いタイプライターが入った漁網を発見して引き揚げたところ、70年以上も海底に沈んでいたナチス・ドイツの有名な暗号機「エニグマ」であることが分かりました。

面白い発見の経緯ですよね(*^・ェ・)ノ

さて、ナチス・ドイツで海と言えば、潜水艦のUボートを思い浮かべる人も多いと思います。

Uボートはドイツの潜水艦の代名詞でもあり、第二次世界大戦ではエニグマの解読など対抗策が巡らされるまでは連合軍の脅威であり続けました。

そんなUボートに搭載されたエニグマは4つのスクランブラー(ローター)を搭載したより複雑なタイプのものでした。

そのため今回海底より発見されたエニグマは撃沈されたUボートに搭載されていたものではなさそうです。

今回発見されたエニグマは3つのスクランブラーを有する機構のもので、恐らく2次大戦末期にドイツの軍艦から海中に投棄されたものであると推測されています。




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↑エニグマの構造(「HH News &Reports」)


エニグマによる暗号文の解読に際しては連合軍は大きく悩まされました。

映画などでも取り上げられるほどに有名なこのエニグマが注目された理由は、使用する当事者以外による解読が非常に困難である点です。

エニグマはヒトラーによって改良され、最大で5個まで取り付けられるように改良されました。

そうすると、スクランブラーの並び替え、スクランブラーの位置、プラグボードの配線の組み合わせによって、実質的にほぼ解読不能なレベルの膨大な量のパターンを生成することができることになります。


ナチス・ドイツが使用していたエニグマはスクランブラーが3~5個付いていたとされていますが、軍艦で3個搭載のもの、Uボートで4個搭載のものを使用していたならば、最大の5個搭載のものは普及数が少なかったようですね。


連合軍はエニグマを解読後、徹底してそのことを秘密にし、諜報戦において勝利しました。


このことがUボートの能力を抑え込み、二次大戦の終結を2年は早めたと言われています。


現在ではスクランブラーを10個搭載したエニグマさえあるのですが、そこまでいかずとも、もしスクランブラー5個搭載のエニグマが標準装備であったら、二次大戦に関わる歴史はまた違った様相を示した可能性は高いですね(*^・ェ・)ノ



arukemaya1269
↑これが高いエニグマのようだよ( ・Д・)(「世界のこぼれ話」の記事内画像より転載)



おわりに ~エニグマはおいくら万円!?~

さて、さて、今回発見されたエニグマはドイツの博物館に寄贈されたようですが、第二次世界大戦時に実際に使用されたエニグマはいくらなのでしょうか?

考古学は別にトレジャーハントではないのですが、まぁお金に換算した方が正直面白いし、気になるでしょ?

私は個人的に気になる!( ・Д・)


さて、最後に紹介するのはルーマニアのお話です。

ルーマニアは1944年までナチス・ドイツの同盟国であったために、エニグマが残っている可能性の高い国のひとつとして知られています。

2017年にこのルーマニアの蚤の市で、暗号学の教授が「古いタイプライター」を購入したそうです。

値段は1万3000円。

そしてこの教授は、このタイプライターをオークションに出品し、約580万円で落札されたそうです。

すごい話ですよねΣ(・ω・ノ)ノ

海底で見つかった今回のエニグマも、レア度は高いし、もしオークションにかけるなら類似の額になる可能性が高いですね。

きっと沈んだUボートから発見されたエニグマだったらその希少価値は計り知れないでしょうね~( ・Д・)

完全な形で残った品ではない分、歴史的価値の付加が大事になってきますから、周囲を調査して何か見つけるのが良いのかも知れません( -д-)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

海外でお土産屋さんとかで本物のマヤ土器とか遺物を売ってるのを見かけることあるのだけど、

プロとしては盗掘を応援するような真似はできないので買って転売とかできませんしね、、、

こういう時、考古学者って不利じゃないですか?

古生物学だって法律上、恐竜の骨販売できるのに、、、

歴史学者だって蚤の市で売ってた古文書を高く売れるのに、、、

何故、我々だけ???( ・Д・)

自分たちで出土させたやつなら大問題だけど、、、

まぁそういう問題に結びつくからか、、、実際売り払ってる考古学者いるしね( -д-)ノ


さて、昔、私がまだ中学生くらいの頃は古いものを売ってるお店見るの好きでした。

古いお金とか買ったことありますしね。

実際には全然専門外なんだけども、、、

こんな話聞いたら、夢見ちゃうよね!


さて、久々に古物商の店見て周るかな!( ・Д・)



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2020ねん 12がつ 6にち(にちよーび、曇り)

日程的に今後年末は忙しくなることが確定した( -д-)ノ


・・・・・・・・・・・・




みなさん、こんにちは。「歩け、マヤ」管理人のだんごです。

恒例の月初め報告です!( -д-)ノ

もう約1週間も経っているわけですが、学会やら論文やらで忙殺されておりました。

というかまだその渦中ですヽ(TдT)ノ『ワーン!』ヽ(TдT)ノ


・・・・・・ということで11月のデータの提示をします!


2020年11月まで表

表1. 2020年11月までの各数値の推移



ということで、11月の収益は525円でした!(・∀・)つ

増えましたね~ヾ(´ω`=´ω`)ノ

11月末から体調崩した&激務週間に入ったので、そこから毎日更新ができていませんでした。

しかも忙しい時に限って多方面からむちゃな締切りの仕事来るんですもの( -д-)ノ

(ex.図版3つ作り直して!明後日まで!)

でも先月に続いて記事の本数は26本だから良いでしょう!(。・ω・)ノ゙



……さて、個別にグラフを見ていきましょう。

2020年11月までグラフ

図1. 2020年11月までの属性ごとの推移


先月の10月はおよそひと月毎日記事書いて頑張った割にあまり伸びなかったのですが、、、

今月はやや増加傾向にありますね(*・ω・)ノ

まぁPV・UU数はグラフで見ると微増なのですが、この調子で続けていくことが肝要でしょう。

なのにまだ多忙期から抜けれずにいますけどね……

記事の本数が真横に伸びるというやや気持ち悪い状態になってますが、本数は十分かなと思うので、このまま横に伸ばしたいものです。

ちゃんとほぼ毎日書き続けたらどうなるのか本当に知りたいんですけども、なかなかね~( -д-)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・

まぁなんだかんだ今回は収益が500円overなので良きです!

12月の目標は収益750円、PV数3000over目指して頑張りたいなと思います。

この記事を書いているのは12月6日の晩なのですが、昨日5日に学会発表を終えたばかりです。

そして10日に別の学会発表、11日締切りでクラウドファンディングの原稿提出、そして既に先月末で締切りな感じの紀要用論文を1本抱えています。

共著者に申し訳ないので論文も終わらせにゃならんし、、、

12月も初旬が終わろうとしてますが、ここから何とか盛り上げて、記事26本/月を目指して頑張っていきたいなと思っております( -д-)ノ

毎度のことながら、

応援宜しくお願い致します!( ・Д・)


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