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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2021年01月

2021ねん 1がつ 30にち(どよーび、雪)

ボーカルレッスン、思いの外楽しかった!(・∀・)つ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは「1万年前の最古級の勾玉が出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は鹿児島県、種子島の長迫遺跡と二石遺跡です。

そう、鉄砲の伝来として有名なあの種子島が舞台ですヾ(´ω`=´ω`)ノ

そして今回何故、2つも遺跡名があるかというと、今回のお話は『最古級の装身具が1点出た!』ってだけではなく、『最古級の石製品が複数出た!』ってお話なのです(*・ω・)ノ

実際この2つの遺跡は種子島の東海岸の海岸段丘上に隣接して立地する遺跡なのですが、この両遺跡にて調査した際に複数の最古級の石製品が出土したのです(*・ω・)ノ




まずは長迫遺跡の方から!

ちなみに読み方は「ながさこ」です。

ところで、この事例はさほどでもないと個人的に思いますが、考古学における遺跡名って難読なものが結構あるものです。

特に海外考古の私としては、報告書のタイトル(遺跡名)が読めなくて検索が面倒だなと思うことが多々あります( -д-)ノ

さて、上に挙げた写真が同遺跡から出土した石製品のひとつになります。

この遺物は縄文時代早期に帰属する吉田式土器と共に同じ層位から出土したため、今からおよそ1万年前の最古級の石製品として判定されました。

ちなみに1枚目の「じゃがいも」みたいな遺物は10cmほどのサイズの砂岩製の石偶です。

全面に敲打痕(こうだこん;叩いた痕跡)が確認できたため、意図的に加工したものと推定されています。

左手前が頸部の如く少しくびれている印象を受けるので、頭部を造形しようとしたのかも知れませんね。

動物なのか人なのか、何を模したかまでは分かりませんが( -д-)ノ

島だし、海獣かな?(*^・ェ・)ノ



……考古学にちょいと詳しい方は本当に石偶?って思うかもしれませんね。

考古学者としてはレキ(石ころのこと)などに何かをぶつけたような痕跡があった場合、それが加工痕なのか使用痕なのかが気になるところです。

なんかちょっと握りやすそうなグリップ感あって、特定の箇所だけに痕跡が集中していたら使用痕の可能性が高いなと判定します。

今回の場合は全体的に痕跡が見られたため、この敲打痕は遺物を成形・整形するための処理の痕跡である加工痕と判定しています。

もちろん何かしらの道具を作るために全面を敲打しつつ未使用ないし、ほぼ未使用の場合、

あるいは道具(ツール)に加工しようと全体を叩いて成形してみたけど、やっぱ途中でや~めたって場合は、遺物自体に加工痕だけが残るけど遺物は本来道具あるいはその未成品なわけです。

この遺物に対して「石偶」としつつも、「用途不明」にしているのは、儀礼行為と関連して用途不明という意味だけではなく、

道具(ツール)である可能性も残して慎重な立場を取ってるのかな~なんて思ったりしますね(*^・ェ・)ノ



さて、こちらも長迫遺跡から出土したものです。

先ほどの石偶と同様の状況下で出土したため、この遺物も約1万年前のものと判定されています(*・ω・)ノ

こちらも全面に敲打痕が確認できるとのことですが、ぱっと見明らかに加工されて成形・整形されてますよね。

長軸が8.5cmでこちらも用途不明な石製品です(*・ω・)ノ


さて、、、真ん中辺りの右側に「穿孔痕らしきもの」が見られるのですが、、、

なんだろう、これ?( ・Д・)

がじった?(調査中に堀具で壊した?の意)( ・Д・)



【そんな気がする理由】

①写真で不鮮明な敲打痕について記載があるのに、これほど分かりやすい痕跡を穿孔痕と表記していないのは怪すぃ(´・ω・`)

②穿孔痕らしき箇所の内面が新しい割れ面に見える(´・ω・`)



【断定しない理由】

①マヤ遺跡の発掘調査ではミニピッケル状の堀具を使用するため、このがじり痕跡はよく見られる。しかし日本だと何で堀ったの?ってなるから(´・ω・`)

②私の心が優すぃから(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


・・・・・・エンピでがつっといったのか、移植でぶっ刺したのか、、、なんだろう、変なとこが気になりますね~。

縄文時代早期の包含層なんて下層だろうし、文化層だと思って掘ってれば有り得ないような気もするけど、、、

きっと、、、まさか何か出ると思ってなかったのかな?

真実は闇の中ですね( ・Д・)

そして、1万年前の最古の勾玉、、、完形品だったら国宝級だったかもしれませんね!Σ(・ω・ノ)ノ




おわりに

今回は種子島なので鹿児島県のお話でしたが、南九州一帯はこれまでにも古い時期の石製品の発見が集中している地域なのです。

そんな南九州でもこれまでの石製品や装身具は縄文早期後葉に帰属するもので、今からおよそ8000年前のものでした。

今回の勾玉は石製装身具としてはこれまでの最古記録を2000年も遡るもので、しかも勾玉の形態ものは同時期では類例がないため大発見ですヾ(´ω`=´ω`)ノ


・・・・・・私、実は最近日本の研究もやってて(コロナ禍だし( -д-)ノ)、ちょうどそれがおよそ1万4000年前の縄文時代草創期の内容なのです。

土器として国内最古級を扱いつつ、その時期に既に広範囲のヒトの移動、情報の伝達、モノの交換が活発であったことを示せるのではないかなと思っている最中なので、、、

なので、今回のお話は早期ですから、個人的には当然!って感じだったりします(*^・ェ・)ノ

そろそろそれらの国内関連の論文発表も進んできたので、近い内、記事で考古学最新情報紹介したいと思います!


さて、本記事の途中で「真実は闇の中!」と名探偵コナンばりのセリフを吐きましたが、、、

我々考古学者にとって、資料の再検討も重要なのはわかってはいるものの、やはり、、、

『真実は土の中!』かな?( ・Д・)



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2021ねん 1がつ 27にち(すいよーび、くもり)

もう1月が終わってしまう~ヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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↑白い大きな石がごろごろ転がってるね( ・Д・)(「東愛知新聞」の記事内画像より転載;現在、リンク先が存在しない)


今回の考古学・歴史ニュースは古墳時代のお墓の石が、戦国時代のお城の石になったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は愛知県豊橋市、大塚南古墳です。

上に挙げた写真で分かるように、調査のトレンチ内には真っ白な石というか岩がごろごろ転がっていますね。

何の岩石なのか分かりませんが、白い色調と解像度の甘さが相まって、私には大きなレキが骨のように見えてしまいました( -д-)ノ

さて、今回紹介する大塚南古墳は国指定史跡である馬越長火塚古墳群の中のひとつです。

ちなみに馬越長火塚古墳群は6世紀末~7世紀初頭に東三河地方を治めた豪族の墓とされている前方後円墳です。

これまでに朝鮮半島由来の金銅装馬具が出土し、大和王権との関わりが推定されているそうです。

一方で大塚南古墳は直径約19mの円墳で、今回初めて石室内部が調査されました。


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↑どの角度でも白い岩がごろごろしてるだけ( ・Д・)(「JIJI.COM」の記事内画像より転載)


上に挙げたどの写真でも、結局白い岩がごろごろしてるだけのように思えるのですが、実はこれ、大塚南古墳の内部にある横穴式石室の残骸のようです( ・Д・)

どういうことかと言うと、本来石室を構成していた側壁の石材がほとんど持ち去られているのです。



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おわりに

最後に挙げたのが豊橋市内にある吉田城です。

戦国時代の16世紀初頭に最初の築造が行われ、江戸時代には吉田藩の政庁として機能しました。

石垣の石材を調べたら、大塚南古墳から持ち出した石材を特定することが出来たりしないものなのでしょうかね?

直接利用されているのではなく、運んだ後に再加工されていると難しいかも知れませんが、絞ることくらいはできそうですね(*^・ェ・)ノ

もし出来たらお城の説明として深みが出る!( ・Д・)



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2021ねん 1がつ 22にち(きんよーび、晴れ)

なんとか今月のノルマをクリアできそうな予感( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースはお寺掘ったらちょこっと金銀財宝出てきたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は京都府、舞鶴市の古刹・松尾寺です。

松尾寺と書いて「まつのおでら」と読みます。

そして古刹(こさつ)は『古い格式高い、由緒ある寺』を指す言葉です。

創始はなんと708年(和銅元年)だそうですΣ(・ω・ノ)ノ

そんな立派なお寺である松尾寺ですが、木造の仁王門の老朽化が著しいため解体修理を行うことになりました。




この仁王門の解体の際に、そして改めて仁王門を設置する際に、柱の基礎部分が地中にあるため発掘調査を行う必要があります。

松尾寺の敷地内にて発掘調査を実施するのは今回が初めてのことでした。

下に挙げた写真のように調査区からは平安時代の整地跡や建造物の基壇跡が確認されました。

松尾寺はおよそ1300年にも及ぶその長い歴史の中で幾度となく火災に遭いました。

現在、解体修理している仁王門も比較的新しいものなのですが、調査区からは古い仁王門の建て替えの痕跡も見つかりました。


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更に上に挙げた写真に見られるように、金貨と銀貨が出土しました!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

すごいちょこっとですけど、紛れもなく金銀財宝ですよね。

自分が掘ってて出土したら絶対興奮する!( ・Д・)

ちなみに何故これほど少量かと言うと、江戸時代に地鎮のために埋められた儀礼的なものだからなのだそうです(*・ω・)ノ

今回の超範囲は仁王門に関係する範囲でおよそ60㎡だそうです。

金貨・銀貨が出たなら、お宝がもっと出ないかと、もっともっと掘りたくなってしまいますね( -д-)ノ


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↓お宝関連の記事ヾ(´ω`=´ω`)ノ







↑お宝発見したい!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


おわりに

最後に挙げた写真は松尾寺にある国宝です。

絹本著色普賢延命像というもので、12世紀の作品だそうです。

歴史がある格式高いお寺だけあって、この他にも様々な時代に帰属する多数の重要文化財が松尾寺にはあります(。・ω・)ノ゙

年に2度、春と秋に国宝や重要文化財がお披露目になるそうなので、タイミングを見計らって訪れたいものですね。

例え行ったとしても、、、

勝手に境内を掘らんように!( ・Д・)



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2021ねん 1がつ 20にち(すいよーび、晴れ)

最近毎日眠いな!( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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1.はじめに

今回の考古学・歴史ニュースは「エクスカリバーの発見!?( ・Д・)」についてです!

この記事、2018年12月に書きかけたままになっていたことにたまたま気付いたため(実際に書きかけ記事はたくさんあります(/TДT)/)、今回仕上げることにしました。

……さて、冒頭で、巷で大人気の『Fate』の画像を、怒られるだろうなと思いつつも使ってみたのには訳がありまして……(怒られたら変更しますのでご指摘下さい( -д-)ノ)

この記事を書くに当たって、アーサー王伝説について色々と調べてみたわけですよ。

ネット情報を基本として、書籍や論文も少々。

するとですね、YouTubeのアーサー王伝説に関する動画のコメント欄にですね、

「え、アーサー王って男なんですね。ショックです。女の子だと思ってました……」

というような書き込みを見つけまして、こっちの方がショックだわ!Σ(・ω・ノ)ノと、

そしてアニメ等々の影響って凄まじいなと、驚きつつも関心してしまったわけです( ・Д・)

そんな皆さんがよく知ってるようで知らないアーサー王伝説が今回の記事のテーマですが、『おわりに』の部分でアーサー王伝説のオリジナルとされるお話についても軽く触れようと思います(*・ω・)ノ


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↑湖で見つかった剣と発見者の少女(「うたまるニュース」の記事内画像より転載)


2.スウェーデン少女による湖での剣の発見

2018年夏、スウェーデンのヨンショーピング県に位置するウィーデステン湖において、8歳の少女が古代の剣を発見しました!

2018年はヨーロッパ各地で干ばつが起きており、それによって様々な考古学的発見が起きてることを以前に紹介しましたが、今回の発見も干ばつが起因となっています。

発見当時、湖はかなり干上がって水位が低くなっていたようです。発見者の少女、サーガ・バネチェクちゃん(名前が既にカッコいいΣ(・ω・ノ)ノ)は湖で泳ぐために普段は到達できない深い部分まで歩き回っていたようで、その結果、剣を踏んで発見に至ったそうです。

アーサー王伝説における湖の乙女からのエクスカリバーの取得と統治権の譲渡のエピソードにちなんで、『新たなスウェーデン王女の誕生』と冗談交じりに報道されたようです。

この発見された剣は地元の博物館員による鑑定によっておよそ1500年前のバイキング時代のものと推定されました。剣は非常に残りが良く、握り部に使われた木材や革も残存しているとのことです。

また少女の発見を受けて、地元博物館主導の調査をこのウィーデステン湖で実施し、剣と同時代のものと思われる3世紀相当のブローチを発見したそうです。




2.イングランド少女による湖での剣の発見

さて、実は2017年にも湖から剣が発見されているので、紹介しますね。

舞台はイングランドです!

しかも発見された湖は、コーンウォール地方のドズマリープール、つまりアーサー王伝説の最後のシーンでアーサーがエクスカリバーを湖の乙女に返却した時の湖です!

7歳の少女、マチルダ・ジョーンズちゃんが発見した剣が伝説のエクスカリバーであれば、マチルダ女王の誕生!となるわけですね。

しかしな分析結果では、残念ながらこの剣はここ20~30年の間に作られた新しい剣ということで、アーサー王伝説ファンの方が投げ込んだものかも知れません。

湖は海や河川に比べると水の流れが激しくないので、湖底に堆積した泥土等には遺物や古代の花粉といった様々な情報が含まれています。

今後の調査で本物のエクスカリバーが出土する日が来るかも知れませんね!?




4.おわりに ~聖剣はどこにある?~

有名なアーサー王伝説ですが、私たちがよく知っている最後のシーンでは騎士ベディヴィアがエクスカリバーを湖に投げ入れます。

これは『アーサー王の死』という書籍に書かれた内容が発端になっており、15世紀後半のものです。

13世紀初頭に書かれた『ランスロ=聖杯サイクル』では騎士グリフレットが湖に剣を投げ込みます。

この他、より古い時期、例えば12世紀相当の『マビノギオン』や『ブリタニア列王史』などアーサー王伝説に関係する中世の書物がいくつかあるわけですが、こうした全てのアーサー王伝説の元になっている神話があると考えられています。

いくつかある説のひとつが『ナルト叙事詩』という黒海東岸地域に由来する神話です。

この神話では神剣を『海』に投げ入れます。

黒海周辺域の神話なので、やはり剣を投げ入れたのは黒海?

仮にこの神話に何らかの史実が混じっているのならば、イングランドの湖だけではなく、是非黒海も探してみて欲しいものですね!(。・ω・)ノ゙

いつか黒海を潜って、巨大な神の剣を探したいね!( ・Д・)


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2021ねん 1がつ 20にち(すいよーび、晴れ)

なんか最近心の声が外に漏れる( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは海賊のお墓は陸(おか)にあるぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はノルウェー、ハルデンです。

この地では道路の傍に丘があり、そこをレーダー探査したところ、墳丘であることが分かりました。

レーダー探査で船葬墓の存在が明らかになったのは2018年で、その時に記事を書いてます.

未読の方、あるいは忘れてしまった方は併せてご一読下さい(。・ω・)ノ゙


↓this is it !ヾ(´ω`=´ω`)ノ

↑こんな風に映るのね~ってレーダー画像が興味深いよ(*^・ェ・)ノ


さて、今回の記事は現在時点(2021年1月末)までに発掘調査が進んで、お墓として(?)埋められた船の全体像が分かったよ、というそれだけのニュースです。

「それだけ」のことですが、発見から3年が経過し、精緻な考古学調査がいかに時間のかかる、根気のいる作業なんだなと思って頂けると幸いです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

前記事にも書きましたが、ノルウェーにおけるバイキング船(ロングシップ)の発見例はこらまでに3例のみなので、この発見は4例目としてとても重要なものになります。

それに加え、最後のロングシップの発見からなんと100年も経っており、世紀の発見と言っても良いくらいレアな発見なのですΣ(・ω・ノ)ノ




さて、上に挙げたのが発掘調査によって姿を現したバイキング船です。

全長は約20mで木造です。

全体的に腐食が進んでいるそうで、発掘作業自体困難な作業です。

更に、木製品などのレアな遺物は、そもそも土中で奇跡的な保存状態を保ってきたわけです。

なので埋没中がある種の理想的な環境だったわけで、外気に触れると一気に状態が悪くなります。

そのためここからは一気に掘り進めて様々な考古学情報を入手・記録して、遺物の取り上げが行われることでしょう。

なので早い段階で続報が聞けそうですね!(*・ω・)ノ




さて、これが紹介したい写真です!

もしこれが記録用の写真ならば、「遺物の左に見える植物を排除しろよ」と思ってしまいますが、スナップ写真だと植物の緑が映えて途端に素敵な写真になりますね.。゚+.(・∀・)゚+.゚

この遺物は船に使われた鉄製の鋲(びょう)です。

それ自体、別に何とも思わないのですが、、、( -д-)ノ

見て欲しいのは鋲の上方の地面に刺さっている海賊旗!

考古学調査において、小さな遺物などは行方不明になってしまうこともあります。

でも全体の遺物の出土位置の関係を図化したい等の目的のために、遺物の取り上げを保留することがあります。

この鋲も小さいですし、錆びていて土の色と紛らわしいので無くしてしまいそうでしょ?

なので竹串などを傍に刺して、「ここに遺物あるよ!」っていう目印にしておくのです。

その目印である竹串の代わりに、ここでは調査対象遺構がバイキングの船葬墓であることから、海賊旗が刺さっているのです。

この遊び心というか茶目っ気がいいですよねヾ(´ω`=´ω`)ノ

私のいた研究室が日本でも異常な方だとは思いますが、上下関係は絶対的だし、調査自体が軍隊の徴兵か強制労働みたいな環境でしたから、、、

こんなことやったら殺されますね、ほんとに( ・Д・)

そんな地獄経験を反面教師に、私の調査では明るく和気あいあいとした環境作りを徹底しております( -д-)ノ

遊び心大事!それすなわち心の余裕!( ・Д・)



↑エジプトでも船を副葬していたよ!( ・Д・)


おわりに

さて、船葬墓として今回の記事を紹介しています。

しかしながら一口に船葬墓と言っても、船自体が木棺の役割を果たしている場合もあれば、副葬品として埋められている場合もあるのです。

今回はまだ被葬者に関する情報や、副葬品に関する情報がありません。

これだけ船の全体像が分かっていて人骨や副葬品が出ていないのならば、後者の可能性が高いのかも知れませんね。

であれば、被葬者と船以外の副葬品が埋められたポイントは近くの別の地点なのでしょう。

何はともあれ、続報が気になりますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


・・・・・・さて、世界的に見て船葬墓はバイキングのものがほとんどです。

一方で、上に過去記事を挙げたように、古代エジプトでも類例が報告されています。

ちなみに日本でも船がお墓から出てきた事例があるようですね。

それはまたの機会に記事にするとして、、、

最後に一言、

遊び心を常に持って生きていきたいね!( ・Д・)



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2021ねん 1がつ 18にち(げつよーび、くもり)

久々の休みだったからひたすら寝てました( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは土器だと思ってたら笛かもよ!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は青森県、階上町です!

ちなみに階上と書いて「はしかみ」と読むそうですΣ(・ω・ノ)ノ

さてさて、今回のニュースですが、「土器と笛って間違えないでしょう!( ・Д・)」って思うので、私自身、すごい気になった記事タイトルだったので取り上げてみました( -д-)ノ

今回のお話は、青森県、東北町在住の萠出(もだし)浩さん(60)が「青森県内で見つかった土器の一部は土笛ではないか?」と新しい解釈を述べたのが発端となっています。

職員等に聞いたところ、考古学大好きな一般の方々が各市町村の埋蔵文化財センターなどに電話連絡するのはよくあることだそうです。

でも内容は大体トンデモなお話ばかりなので通常はまともに相手をしないそうです( -д-)ノ

今回の事例では、萌出さん自身が階上町歴史民俗資料収集館を訪れ、町教委の許可を得た上で、保管されている土器を笛として吹いて音を出しました。

その様子は集まった支援者ら約15人が聴いただけではなく、「デーリー東北」の取材を受けてYouTube動画としてアップされました。

こうして一般の方の意見が採用されること、許可が下りて直接笛として使用実験が可能となることは稀だと思います(。・ω・)ノ゙



↑「デーリー東北」がアップロードした動画


動画を見てみると「顔付き注口土器」に息を吹き込んでいます。

ちなみにこの顔付き注口土器は発掘調査での出土ではなく、町民が発見して町に寄贈したものであるため詳しい調査は進んでいないそうです。

その他にも小さいサイズの土器の穴に息を吹き込み、指で音の高さを調整してメロディーを奏でたそうです。

彼の意見は「土笛は10cmほどの大きさで、顔付き注口土器も同じくらい。土笛と言えると思う」とのこと。

本当に「土笛」なのか???( ・Д・)

先行研究を大きく否定されると、「本当?って確かめたくなるのが研究者の性!」ということでちょっと簡単に考察してみました( -д-)ノ

上に挙げた写真が縄文時代~弥生時代の土笛です。

土笛とは笛として機能したであろう土製品なのですが、現代的に言うとオカリナをイメージしてもらえると大体合ってます(。・ω・)ノ゙

まぁ最近はオカリナもプラ製とかありますけど、ホイッスルとなるとプラ製や金属製をイメージしてしまうので、「お土産用のオカリナ」が一番イメージに近いかも知れません。

さて、上に挙げた1枚目の画像の方は恐らく鳥、あるいは海獣などの動物を模した造形になっています。

穴が少なくとも2つ見えますのでホイッスルのように使用されたのかも知れませんね。

こうした動物を模した土笛は世界中で見られ、ちなみにマヤ文明でもたくさん出土していますヾ(´ω`=´ω`)ノ

2枚目の方はドングリみたいな形の土笛です。

複数の穴が開いていて、オカリナのように音を変えることができます。

このタイプの土笛は日本や東南アジアでよく見られるものです(*・ω・)ノ


……さて、上に挙げたYouTube動画見てみました?(いつものように回し者ではないですけど( -д-)ノ)

萌出氏が笛を吹いて、素敵な音色が聴こえるシーンばかり映っていて、肝心の遺物の構造が見えません( ・Д・)


ここで私のささやかな疑問(´・ω・`)

顔の造形が付いていようがいまいが、元々は「注口土器」として判定されていたのですよね?

つまり土製品として判定されていないってことは「注口土器の一部」である注口部として判定されているのではないでしょうか?

(あ、注口(ちゅうこう)って「そそぎぐち」ってことです、やかんやケトルの注ぎ口をイメージして下さい(*^・ェ・)ノ)

動画では下に挙げた画像のように「遺物の下部」が全く映っていません。

この「下部」に破損の痕跡があるからこそ、元々何かに付随していたものとして判定するのが普通です。

もし「下部」に欠損が見受けられないならば、土製品ですし、土笛の可能性も高くなるでしょう。

そこんとこ、どうなのよ?( ・Д・)


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↑こんな形なのは分かった( ・Д・)(先に掲げた動画より)


おわりに

まぁプロ相手じゃないのであまり強く批判するのも可哀想なのですが、、、

もう少し言わせてもらうと、

「土笛が10cm程度⇒顔付注口土器も同じくらい⇒両者とも土笛」

って論理飛躍し過ぎに感じます( -д-)ノ

そもそも土笛が10cmくらいって本当ですか?

縄文時代の土笛、少なくとも東北地方やあるいは青森県で出土した土笛を全部調べて、全何点あって、その内の何%が「10cm」で、どんなサイズ分布していて、どの程度の偏差があるのでしょう?

(↑考古学ってこういう学問( -д-)ノ↑)

(そもそも縄文時代の土笛が10cmというサイズで規格化されていたの?、モノの規格化はいつから?とか疑問に思えたあなたはもう卒論程度は余裕です(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!)


『飽くまでもこれは私のイメージ』ですが、土笛ってもっと小さいと思いますよ( -д-)ノ

10cmはけっこうデカい!

萌出さんは、「これを事例に他の土器も土笛の可能性がある」としてるけど、、、

まぁ可能性はある!

今後の検証に期待したいですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

さて、文献史学と違ってなかなか考古学って参入しづらいのがネックだと思います。

ですから、こうした考古学ファンの皆様に我々の研究活動が支えられてることを忘れてはいけませんね(*・ω・)ノ

ここ大事です!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

・・・ところで、穴あって吹けば音出るからね!( ・Д・)



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2021ねん 1がつ 15にち(きんよーび、晴れ)

早いもので1月ももう半ばだね!( -д-)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは飛鳥時代の墓から土馬が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は兵庫県、姫路市の登リ田遺跡です。

この遺跡は古代から中世まで幅広い時期の遺構・遺物が見つかっています。

飛鳥時代には登リ田遺跡の位置には集落があったと考えられており、今回、同時期に帰属する土壙墓が検出されました。

この所謂「墓穴」の中から、2点の『土馬(どば)』が出土した!というのが今回のニュースになります。



土馬とは何か?古代の儀礼

最初に挙げた写真が土馬なのですが、土馬とは「土製の馬」です。

馬を模した土偶ですね。

土偶って字義的には「土製の偶像」ということなのですが、考古学用語としては通常、遮光器土偶とかハート形土偶に代表されるような「人型」のものを指します。

なので、正しくは「土馬とは馬を模した動物型土製品」となります。

まぁ要は、粘土で馬を作ったよってことです( -д-)ノ

さて、現代社会において子供たちが図工などで粘土を使ってロボットや怪獣を作ったりしますが、土馬は古代の人が遊びで作ったものではなく、儀礼的な意味があるものとして考えられています。

下に再掲しましたが、人型の土偶はバラバラな状態で出土することが多いのです。


↓これがそれ!(*^・ェ・)ノ



土馬も実はバラバラの状態で出土することが多いことが分かっています。

つまり土馬は破壊を伴う儀礼行為に関わっていたことが推測されます。

そんな土馬の利用方法には2説あります。

ひとつは、厄災をもたらす疫病神が移動のために乗るのが馬と考えられていたため、水に流すことで穢れを払う意味があったとする説です。

確かに土馬は道路脇の側溝や運河といった「水」に関わる出土状況が多いため、有力な仮説です。

疫病神の移動手段なわけですから、土馬の脚を折ることで疫病が広がらないように祈ったのでしょう。


もう一つは雨乞いの儀式に使われたという説です。

……雨も水関連と言われたらそれまでなのですがね!( ・Д・)

日本書紀によれば、古代において雨乞いの儀礼には馬や牛が捧げられていたことが分かっています。

一方で続日本紀では、「雨乞い儀礼の際に牛や馬を屠殺することを国が禁じたにも関わらず人々は止めなかったため、新たな罰則を加えることにした」と書かれています。

平安時代などではこうして雨乞い儀礼の際に、牛や馬を捧げる代わりに土馬を捧げたと考えられています。

そのため飛鳥時代などの古代においても類似の用途に用いられたのでは?と推測しているのです(*・ω・)ノ





さて、上に挙げた写真が登リ田遺跡のお墓から出土した土馬です。

土壙墓は飛鳥時代に帰属するもので、サイズは長軸2.9m、短軸0.7m、深さ0.25mでした。

内部から出土した土馬のサイズはそれぞれ、全長29cm(上)と24.4cm(下)で手綱や鞍などの馬具が表現された「飾り馬」です。

先ほども述べたように、土馬は側溝や運河といった水に関連して出土することが多いため、今回のように墓の中から共伴して見つかるケースはレアなのです。

墓から出たとは言え、やはり欠損していますから、単純な副葬品ではないようですね。

もしかしたら被葬者は病気で亡くなったため、その病気がまだ生きている「送る側の人々」にうつらないことを願って共に入れたのかも知れません(*・ω・)ノ




おわりに

世界的に、遥か昔から、我々人類は何か願う時に「生贄」を捧げてきました。

かつてはヒトを捧げ、やがて動物で代用するようになり、そして動物を象ったモノで代用するようになる。

このような生贄の変遷は人類史上の至る所で見られます。

本記事で書いたように、雨乞い儀礼で牛や馬を生贄にする風習が日本にありました。

日本では重要な祈祷に際し、馬を神社に奉納することが長く続けられており、今日では「絵馬」としてその名残が見受けられます。

「疫病退散」を願って、妖怪「アマビエ」が一気に人気となったように、私たちが容易く打ち勝つことはできない病気や自然災害等に対して、どうにか平穏を願う気持ちが現代人にも残っていると感じますね(。・ω・)ノ゙

さて私もコロナ禍の収束を願いつつ、、、

よし、馬の脚でも折るか!( ・Д・)



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2021ねん 1がつ 13にち(すいよーび、雪)

のんびりできたよーな気がする一日であった(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは宿泊者の忘れ物の中に土方歳三のものかも知れないキセルがあったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は滋賀県、草津市の草津宿です。

草津宿と書いて「くさつじゅく」と読みます。

東海道と中山道の分岐点だった草津宿(滋賀県草津市)の宿泊所「草津宿本陣」(国史跡)で、江戸時代後期の旅人の忘れ物「失念物」18点が見つかった。副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)ら新選組幹部の誰かのものとみられる木製の煙管(きせる)入れもあった。当時の旅の様子や宿場の運営を知る貴重な資料となりそうだ。草津市教育委員会が25日、発表した。

 昨年6月以降、本陣の土蔵に残されていた資料約1万4000点を調査し、判明した。失念物は、たんすの引き出しから発見。まとめて保管されていたとみられ、1点ずつ和紙の付箋が結わえられ、見つかった場所や日付などが記入されていた。煙管入れは長さ約17.5センチで、黒い木綿製の袋に入れられ、付箋には「新選組様 五月九日御泊 壱番間ニ御失念物」とあった。


現在、「草津宿本陣」として国指定史跡になっています。


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↑これが草津宿(「草津市」のHPより画像を転載)

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↑草津宿の見取り図(「草津市」のHPより画像を転載)


この宿屋の蔵を調べていたところ、箪笥(たんす)の中から宿泊客が忘れていった様々な品々が出てきました。

その中に携行用の布袋に入った木製のキセルがあり、現在で言うところのタグが付いていました。

表記は「新選組様五月九日御泊(おとまり)壱番間ニ(いちばんまに)御失念物(おんしつねんぶつ)」です。

そうこれ、所謂、「忘れ物」です。

宿泊した新選組の面々がチェックアウトした後に、部屋内にキセルが残されていたので、宿の者がメモ紙を結び付けて保管していたのです。

東海道と中山道の分岐点だった草津宿(滋賀県草津市)の宿泊所「草津宿本陣」(国史跡)で、江戸時代後期の旅人の忘れ物「失念物」18点が見つかった。副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)ら新選組幹部の誰かのものとみられる木製の煙管(きせる)入れもあった。当時の旅の様子や宿場の運営を知る貴重な資料となりそうだ。草津市教育委員会が25日、発表した。

 昨年6月以降、本陣の土蔵に残されていた資料約1万4000点を調査し、判明した。失念物は、たんすの引き出しから発見。まとめて保管されていたとみられ、1点ずつ和紙の付箋が結わえられ、見つかった場所や日付などが記入されていた。煙管入れは長さ約17.5センチで、黒い木綿製の袋に入れられ、付箋には「新選組様 五月九日御泊 壱番間ニ御失念物」とあった。

東海道と中山道の分岐点だった草津宿(滋賀県草津市)の宿泊所「草津宿本陣」(国史跡)で、江戸時代後期の旅人の忘れ物「失念物」18点が見つかった。副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)ら新選組幹部の誰かのものとみられる木製の煙管(きせる)入れもあった。当時の旅の様子や宿場の運営を知る貴重な資料となりそうだ。草津市教育委員会が25日、発表した。

 昨年6月以降、本陣の土蔵に残されていた資料約1万4000点を調査し、判明した。失念物は、たんすの引き出しから発見。まとめて保管されていたとみられ、1点ずつ和紙の付箋が結わえられ、見つかった場所や日付などが記入されていた。煙管入れは長さ約17.5センチで、黒い木綿製の袋に入れられ、付箋には「新選組様 五月九日御泊 壱番間ニ御失念物」とあ


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上に挙げた写真のように、宿泊客の忘れ物は全部で18点見つかり、いずれも幕末の様子を伝える貴重な資料となっています。

新選組との関係性が伺える特に貴重な木製のキセルは長軸が約17cmでした。

この木製キセル自体が幕末においてどういった位置づけなのかについては分かっていないようです。

上に挙げた2、3枚目の写真の上部に見られるのが、宿泊客について記録する「大福帳」という宿泊者名簿です。

これと照らし合わせたところ、1865年、慶応元年の5月9日の欄に「新選組土方歳三様 斎藤一様 伊藤甲子太郎様 藤堂平助様」と幹部4人の名前が書かれていました。

キセルの袋に付けられたタグと内容が一致したのです。

この時書かれていた名前は幹部、つまり代表者の名前であって、実際には他の隊士と合わせて32人が泊まっていました。

しかし少なくとも新選組の忘れ物なのは間違いありません。


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記述の内、宿泊年に着目してみると、新選組隊士らが宿泊したのが1865年、その前年の1864年は有名な『池田屋事件』が起きています。

池田谷事件は、京都三条木屋町にある池田屋という旅館に潜伏していた長州藩や土佐藩を中心とした尊王攘夷派志士を新撰組が襲撃した事件です。

この襲撃の成功により当時の社会でも新選組の知名度は上がっており、これを機に新選組は江戸に出向いて隊士を募って勢力拡大を図りました。

その後、京都に戻る途中で草津宿本陣に宿泊したのです(*・ω・)ノ

一方で忘れ物のタグの部屋名に注目にしてみると、「壱番間」と書かれています。

気付いた人もいるかと思いますが、先ほど挙げた草津宿の見取り図の中に「壱番間」という名称はありません。

この壱番間がどこの部屋を指すのか分かっていないのです( -д-)ノ

また宿泊者名簿である「大福帳」には代表者名はあるものの、どこの部屋に誰が泊まったかは書かれていません。

現代のホテルで考えると大体「001号室」は1階のフロントの近くですよね。

101号室と書くかもしれないし、フロントだけでワンフロア使ってる規模のホテルだとまた異なるなど、様々なバリエーションがあります。

もし壱番間が「一番いい部屋」を指すならば、新選組の中でも幹部達が宿泊した可能性が高いですよね。

だとしたら、4分の1の確率でこの忘れ物のキセルは土方歳三の物ってことになりますね(・∀・)つ

まぁ私は「るろうに剣心」の影響で斎藤一も好きなので、私が知ってるレベルの有名どこのキセルである確率は2分の1だ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





おわりに

私、正直言うと、あまり戦国時代とか幕末とか、一般の方が好きな所謂「歴史」にそこまで興味ないのですが、、、

これは好きかも知れないヾ(´ω`=´ω`)ノ

文献史学の方面からだけではなく、考古学の方面からも今回の「キセルは誰のもの?」についてアプローチできるような気がしますね。

幕末なんて当然専門外なんだけど、、、

「キセルは誰のもの?」について、

趣味として研究やってみるかな!( ・Д・)



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2021ねん 1がつ 11にち(すいよーび、くもり)

今年は寒いよね、冬眠したいよね(´・ω・`)

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↑クマと一緒に仲良く冬眠する人類!( ・Д・)(「歩け、マヤ」でテキトーに作成)


今回の考古学・歴史ニュースは「人類はかつて冬眠していたらしいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はスペイン、シマ・デ・ロス・ウエソス洞窟です。

この洞窟はスペイン北部のアタプエルカにあるもので、洞窟遺跡として有名です。

意味は「骨の割れ目」です。

名前の由来は分かりませんが、とっても古くから「骨がたくさんある洞窟」として認識されていたのでしょう。

実際、歴史史料からこの洞窟が古くから共同墓地として利用されていたことが分かっており、これまでにたくさんの人骨が発見されています。

さて、今回はそんなシマ・デ・ロス・ウエソス洞窟でネアンデルタール人の化石人骨が発見されましたよってお話です!

ネアンデルタール人は所謂「旧人」で、およそ40万年前~4万年前まで生存していたと考えられており、私たち「新人(現生人類)」と生存期間が重なるヒト属として有名です。

日本でも洞窟遺跡は多数ありますが、やはりイイ感じの立地の洞窟は歴史時代を遥かに遡って、旧人世代にも利用されていたのだなと思いますね(*・ω・)ノ

今回発見されたのは約40万年のネアンデルタール人の化石人骨なので、ネアンデルタール人として最古級の発見になります。

しかしこれまでにも多数の化石人骨が見つかっているわけですから、古いネアンデルタール人の骨が見つかったくらいでは大きなニュースにはなりません( -д-)ノ

今回のニュースのポイントは、発見されたネアンデルタール人の化石人骨を観察した結果、「もしかして人類って冬眠してたかも?」という可能性が指摘された点にありますヾ(´ω`=´ω`)ノ




冬眠って何でしょう?

冬眠って、上に挙げたようなクマやリスのイメージがあります。

実際には哺乳類だけでも183種が冬眠するそうです。


 冬眠とは、狭義には恒温動物である哺乳類と鳥類の一部が活動を停止し、体温を低下させて食料の少ない冬季間を過ごす生態のことである。広義では変温性の魚類、両生類、爬虫類、昆虫などの節足動物や陸生貝などの無脊椎動物が冬季に極めて不活発な状態で過ごす「冬越し」のことも指す。

(wikipediaより転載、リンク等筆者により一部改変)


こうしてみると、哺乳類以外にもたくさんの種類の動物たちが、頑張って厳しい冬を乗り越えていることが分かりますね。

ちなみに哺乳類は4000~4600種くらいあるそうなのですが、冬眠するのは全体の4.0~4.5%なのです。

けっこう多いのかな?( -д-)ノ

もちろんこの冬眠する哺乳類の中に我々「ヒト」は入っていません。

もし入ってたら、個々人で見てもなかなかに『面白い人生』だった、そして冬眠人類に適応した『特殊な社会』を形成していたでしょうね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




今回の発見では、見つかったネアンデルタール人の化石人骨に毎年数カ月の間、成長が阻害されたような痕跡が見つかったそうです。

年輪とか貝の成長線みたいな痕跡が人骨に見られたということです(*・ω・)ノ

何故このような痕跡が生じるかというと、冬の厳しい寒さで食糧が手に入らない状況下で、蓄えた体脂肪だけで生き延びた代謝状態だったからなのです。

あくまで可能性ですが、冬眠のような活動の休止状態が骨の成長の阻害という形で記録されているのです。

しかし先に挙げた冬眠の図にあるように、冬眠をする哺乳類でも小型動物と大型動物ではその代謝は大きく異なります。


リスやハムスターだと外気温まで体温が下がるのに対して、クマのように身体が大きい場合はちょっと下がるくらいです。


なので「冬眠」というよりは「休眠」と呼ばれる状態で、代謝をなるべく落として耐えている状態です。

ヒト属はクマほどではないですが、ネズミサイズと比べると大きい部類に入る上に、ネアンデルタール人の脳容量は私たち現生人類よりも大きいのです。

私たち現生人類の脳容量(平均)が1450㎤なのに対し、ネアンデルタール人のそれは1600㎤だったことが知られています。

人類は最初の猿人段階では草食であり、アフリカの乾燥化に伴い、根茎類を探し求めたり、死肉漁りや肉食動物の獲物を奪い取るなどしてタンパク質を含む高カロリーな食べ物を摂取したりしました。

この食べ物の選択によりヒトは様々に分化していくのですが、特にこの後者の高カロリーな食料の摂取がその後のヒトの脳容量の拡大に貢献した可能性が考えられています。

つまり高カロリー食が可能になったことで脳の発達が促されたわけで、脳みそはそもそもエネルギーをたくさん使うのです。

そのためクマより小さいサイズのネアンデルタール人であっても、その脳容量からすると休眠しても生き延びることが出来なかった可能性も指摘されています。

この研究は、ヒト属がもしかしたら冬眠していたかも知れないということに気付かせてくれる上で重要なものだと思います。

既に冬眠や休眠に関わる遺伝子については研究がなされていますが、今後遺伝子の特定がしっかりと確認され、またこれまでに見つかった多数のヒト属の化石人骨に対するDNA分析がなされることで、「ヒトと冬の戦いの歴史」が明らかになることでしょう。


もちろん今回見つかったような、骨の成長阻害の痕跡に着目して、これまでの資料を見直していくことも大事なことだと思いますし、その方が人類が冬眠していた説をより早く支持することになるでしょう。

今後の続報に期待です(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




おわりに

「冬眠人類」とか小説、漫画にありそう……

もし人類がそもそも冬眠できる生き物だったら、SFに出てくるようなコールドスリープとか簡単にできそうな気がするんですけどね。

そしたら、宇宙の遥か彼方にも飛び出せる気がしますね

その前に、全てのお金持ちは死ぬ前に、あるいはある程度若い状態でコールドスリープして医療などが発達した未来で目覚める社会になるのだろうか……

やはり結局、どんな世の中でも金なのか!( ・Д・)



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2020ねん 1がつ 3にち(にちよーび、雪)

訳あってサイコロ振りまくりの三が日でした( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースはえ、縄文人も火葬してたの!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は新潟県、上野遺跡です。

ちなみに上野と書いて「かみの」と読みます(*・ω・)ノ

上野遺跡ではこれまでに縄文時代の大規模な集落跡が発見されています。

今回はこの上野遺跡で火葬(?)と思われる『焼けた人骨が集中して検出」されたのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

葬制は宗教の影響を強く受けますから、世界的にはキリスト教やイスラム教の下、火葬が忌むものとして捉えられます。

しかし知ってのとおり、現代の日本社会では火葬はとても一般的です。

これは仏教の影響と言われています。

そのため日本で火葬の風習が一般化したのは8世紀以降の仏教の伝来以降と考えられています。

しかし火葬あるいは骨を焼く行為自体は考古学的にはもっともっと古くから確認されているのです。




これまでの発掘調査とその発見から、日本国内において最古となる焼けた人骨は縄文時代中期とされています。

ただし事例数が少ない上に、該当遺構における人骨の検出量も僅かなのです。

一方で、焼けた人骨がまとまって出土するようになるのは縄文時代後期の後半から晩期と考えられています。

今回の上野遺跡の事例では、この焼けた人骨がまとまった状態で検出されたのですが、その時期が縄文時代後期の前葉と推定されています。

『前葉』という言葉は聞きなれないかも知れませんが、縄文時代後期の『初めの頃』という意味です。

ざっくり言うと、今からおよそ4000年前の事例ということになります(*・ω・)ノ

こうして焼けた人骨がまとまって見つかった事例としては、今回の上野遺跡の4000年前の事例が最古のものとなるのですヾ(´ω`=´ω`)ノ





さて、上に挙げたのが現代の真っ白に焼けた骨と、真っ黒に焼けた骨の写真です。

考古学ではどちらも「焼骨(しょうこつ)」です。

上の「白い骨」の方ですが、高温で長時間の被熱を受けた際にこのような色調になり、一部灰色や若干青みがかるような印象を受けます。

一方で「黒い骨」の方は、比較的低温で短時間の被熱の場合にこのような状態になります。

ちなみに「骨」ってそもそも白いイメージですが、焼けていない通常の骨は「黄色っぽい」色調を呈しています(*^・ェ・)ノ

今回の上野遺跡において発見された骨は、先に載せた写真で分かるように、白っぽいですよね?

なので、高温で長時間焼かれた骨、つまり火葬された人骨ではないかと推測されています。

今回見つかった人骨集中の中で、上に挙げた真っ黒の骨の写真で見られるような下顎骨が確認されており、2名以上の骨が混在しているかどうかは今後検証されます。

(*部位は合っていまずが、この写真自体は今回の発見とは無関係です( -д-)ノ)


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↑記事の都合上、再掲

また先に挙げた現場の検出状況の写真の話に戻りますが、人骨の周りは気持ちへこんでいて、土の色は黒っぽい(黒灰色)感じがします。

これは浅いですが、土坑なのです。

なので骨が出ている部分は周辺より少し低いのです。

そして土の色が黒っぽいということは、、、

焼けた土(焼土;しょうど)は赤褐色を呈するため、この地点で直接人骨を焼いて、そのまま土を被せたわけではないということが分かります。

また人骨周辺から炭化物がほとんど出ていないことからも、ここで焼いたわけではないことが分かります。

以上の点から、今回の上野遺跡の事例では、遺体は別の場所で焼かれた後に、この地点に再葬されたと推定されています(*・ω・)ノ



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↑近代的な火葬のイメージ(「Shuukatsu Life」の記事内画像より転載)


おわりに ~考古学的に火葬って何?~

2020年1~3月の私の調査で「古代マヤの一般層の人の焼けた骨が出たよ!」ってお話をどこかでしていると思います。

むしろ今年はそればっか話してる気がします( -д-)ノ

元々は私は葬制をテーマにしたことがほとんどなく(卒論くらい?)、そのせいもあって今年は「火葬」を中心とした葬制の勉強をしました。

さて、先に述べたように今回の上野遺跡の事例では、『見つかった地点の土が焼けていないことと炭の量の少なさから、別の場所で焼かれ再葬された』と推定されています。

こうした推定は、今回の発見があった新潟県や長野県、山梨県といった中部地方において縄文晩期に焼骨葬が広まったと考えられており、その特徴は土葬で1度葬った遺体を掘り出してから人骨を焼いて、再び埋葬するというものであるというこれまでの事例を根拠にしています。

……私の浅学の知識によると、どうやら一次的な埋葬(通常の埋葬)と、二次的な埋葬(再葬)の区別は、骨が揃っているか、解剖学的な位置を保っているかがポイントになるようです。

近現代の火葬を考えれば分かりやすいですが、焼くところと埋める(安置する)場所って異なりますよね(*^・ェ・)ノ

これって考古学的には「再葬」と判定されますよね。

平安期くらいから骨壺に入れられた火葬の遺構は見つかっていますが、現代だと骨壺に入れるのは普通で、この行為の際に解剖学的な位置は失われます。

北アメリカ先住民の事例だと、焼いた骨をピット(今回のものよりもっと深い縦穴)に埋めます。

これも解剖学的な位置は失われます。

ってことは火葬ってほとんどの場合、再葬扱いになるのでは?( ・Д・)

その場で焼いて、そのまま埋めるって事例の方が圧倒的に希少な事例な気がします( ・Д・)

更に今回の上野遺跡の事例のような場合は、一度土葬した後に骨だけ取り出して火葬しているのでしょう?

何でそう言えるのでしょう?(´・ω・`)

たぶん火力かな、、、

焼骨が黒っぽいので、テキトーに焼いている。

人体を比較的低温で短時間テキトーに焼いたら当然焼け残るし、そのビミョーな状態の遺体・人骨を別の場所に運んで埋めたとは考えにくいから……ってこと?

こういうのは前に書いた「狩猟採集時代のハンターに女性がいた!?」みたいなのや、「土器作りは女性の仕事?」をなんてのを代表として、我々現代の考古学者の思い込みかも知れませんね( -д-)ノ

ん~、土葬、火葬、再葬、焼骨儀礼、、、組み合わせアリなら、いかにしてそれぞれを区別可能か、奥が深い気がしますねヽ(TдT)ノ



……ちなみに同じ新潟県の緒立遺跡からは、弥生時代に帰属する穿孔された手や足の指の焼骨が見つかっています。

人為的に穴が開けられていることから、ペンダントのように装身具にしていた可能性が考えられます。

現代では10円硬貨とか一緒に焼いてお守りにするね!( ・Д・)



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