あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    2021年02月

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    2021ねん 2がつ 28にち(にちよーび、晴れ)

    記事も動画も作れてないが、論文も終わらぬのだ( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースはまたポンペイか!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はイタリア、ポンペイ遺跡です。

    世界の考古学の記事を集めてると、色々なところでみんな頑張ってるな~と感じるものですが、、、

    有名な大手誌に取り上げられるのは、ポンペイ、エジプト、インカが圧倒的多数な気がしますね( -д-)ノ

    その三つの中でもニュース量だけではなく、常にインパクトがスゴイのがポンペイ遺跡ですヾ(´ω`=´ω`)ノ


    ↓ポンペイネタはたくさんあり過ぎて困る( -д-)ノ




     


    ↑ポンペイはレアな発見の宝庫だね(*・ω・)ノ


    今回の発見はポンペイ考古学公園による調査成果の発表となっていますが、正確にはポンペイの都市の外での発見です。

    ポンペイの都市から僅か数百メートルの距離にある郊外の住宅群遺構でチビタ・ジュリアーナ(Civita Giuliana)という名称が付いています。

    上にたくさん挙げた過去記事の一番下にある『禁断の恋?』って記事もこのチビタ・ジュリアーナを取り扱ったものです。

    図面が見つからなかったのですが、写真から察するにこの住宅遺構は元々どうやらかなり立派な邸宅だったようですね。

    今回はこのチビタ・ジュリアーナにてほぼ完形の立派な馬車が見つかりました(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    arukemaya1423




    arukemaya1424


    arukemaya1419




    このチビタ・ジュリアーナでは馬の骨が3頭分見つかったことから厩舎であったと思われる遺構が確認されています。

    今回発見された馬車はこの厩舎に面したポルチコ(柱で支えられた屋根つきの玄関)から出土しました。

    まだ全体像がはっきりと分かりませんが、馬車は四輪タイプと推定されています。

    鉄や青銅、錫を用いた非常に精巧な装飾が施された馬車であるため儀礼用の馬車と考えられています。

    今回の発見のスゴイところは、通常は残らない有機物までが残存しており、石化した木材や馬とつなぐ縄、花飾りを確認できたのですΣ(・ω・ノ)ノ

    間違いなく、国宝級の考古学的発見ですね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    ↓馬車と言えばこれもスゴイ!Σ(・ω・ノ)ノ



    おわりに

    精巧な装飾に見られるモチーフ内にドレスを着た女性と男性の姿が見られることや、花飾りが見られることから、「花嫁を新居に運ぶための特別な馬車」との見解もあるそうです。

    だとしたらロマンティックでもあり、やはり『ポンペイの悲劇』の名に相応しい発見となってしまいますねヽ(TдT)ノ

    これだけ保存状態の良い馬車は他にはないわけですし、当時の馬車の出土事例や文献記録にも限りがあるでしょうから、なかなか細かな用途の推定は難しいかと思います。

    それでもこの馬車が『特別な馬車』であることは疑いないでしょう。

    ……哀しい気持ちになったので今回はふざけないでおきます!( ・Д・)



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    2021ねん 2がつ 24にち(すいよーび、くもり)

    くそ~、今月2月だから短いじゃん!ヽ(TдT)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは古代マヤ社会においてカカオ豆は通貨じゃないよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はユカタン周辺、マヤ文明です。

    今回は「お金の歴史」のひとつとして『マヤ文明の通貨』について紹介したいと思います。

    上に挙げた写真でご察しの通り、マヤ文明の通貨と言えば、、、カカオ豆です。

    ちなみに、マヤ文明と言えばチョコレートの発祥の地として有名です。

    カカオは中南米原産で、古くは紀元前1900年頃にオルメカ文明において栽培されていたことが分かっています。

    マヤ文明では古典期後期(西暦500-1000年頃)の土器などに見られる絵画でチョコレートを飲料として飲んでいる図像が頻繁に見られます。

    なので明瞭に分かる事例として、最初のチョコレートは飲み物、つまりココアだったわけですヾ(´ω`=´ω`)ノ




    現在だとココア作る時に、パウダーを牛乳で溶かして、ちょっとバター入れたりして作りますよね?

    マヤ文明、古典期におけるチョコレート(ココア)は少なくとも、水で溶いて、少し蜂蜜を入れたとも言われていますが、香辛料も入れていたと言われています。

    だから、マヤのココアは辛い?Σ(・ω・ノ)ノ

    王族・貴族などのエリート層が飲む、滋養強壮効果のある貴重な飲料だったようです。

    どうやら今のココアとは大きく違ったようですね( -д-)ノ


    さて、チョコレートのスペイン語版はチョコラーテ、これは固形だけではなく飲料のココアも意味します。

    チョコラーテの語源はアステカ文明が使ったナワトル語の「ショコラトル」です。

    この時のショコラトルにも香辛料が入っていました。

    このショコラトルを征服者であるスペインがヨーロッパに持ち帰り、17世紀にはココアが一大流行します。

    そうして現在は甘いココアだけではなく、固形のチョコレートとして世界的に愛される品となっているのです(*・ω・)ノ




    さて、話を戻しますと、最初に述べたように「マヤ文明の通貨はカカオ豆」というイメージがあります。

    比較的新しい論文である「Baron 2018」によれば、古典期マヤ社会(西暦250-1000)でもカカオ豆が通貨であったとされています。

    これは先にも少し述べましたが、「古典期後期に土器の図像などに飲料としてのチョコレート(ココア)が描かれることが増えたから」と、モチーフの変化を根拠にしています。




    上に挙げた写真が典型的な古典期後期の絵文書様式土器(コデックススタイル土器)の図像(展開図)です。

    絵文書様式土器に描かれるモチーフはここに挙げた事例以外にたくさんの種類があるのですが、ここでは「カカオ豆が通貨だった説」に関係あるものとして『高貴な身分の人物に贈り物をしているシーン』だけを意図的に集めて表示しています。

    ①は、、、この展開図自体がちょっと変です。

    右の人物の手前にある縦長のバーというか壁みたいのが「仕切り」です。

    なので、、、


    arukemaya1417
    ↑本来の展開図(「歩け、マヤ」管理人が加工・作成)


    本来はこのように展開させます。

    上図中のダッシュは繰り返し部です。

    「a」の人物が手を広げて、「どーぞ( -д-)ノ」的に品物を見せているシーンでしょうか。

    その後ろには「目録」のような書類(斜めのバー+円形の支えから成るモチーフ」)が描かれています。

    「b」、「c」の人物の手前には土器の容器に入った品物と風呂敷のような布に包まれた品物が置かれています。

    また「c」の人物の後ろには「蓋付きの円筒土器」が置かれています。

    この円筒土器がチョコレート(ココア)を飲むための容器と考えられており、しかし飲料の状態で運搬するとは考えにくいため、バロンはカカオ豆として運搬・献上したと考えているのです。

    ちなみに土製の蓋が出土するのはメキシコの「テオティワカンの影響」によるもので、古典期前期後半(西暦350-550年)によく見られます。

    その場合は三足円筒土器に付随する蓋です。

    ここでは円筒土器に蓋が付随しているので、恐らく古典期後期前半(西暦550-650年)あたりの様子を描写したものである蓋然性が高いです(*・ω・)ノ


    上に挙げた2枚の写真では、少し高い台状部分に腰かけた偉い人物がいて、彼に対して贈り物をしています。

    様々な形の土器が並べられていて、時にマヤ文字による表記が見られます。

    ②の図の高貴な人物の右下の土器に置かれているものは「タマル」と呼ばれる、現在でもグアテマラなどで食べられるトウモロコシを蒸かした団子です。

    現在では鶏肉を中に入れます。

    この推測が正しいのならば、昔から食べられていたようですね(*^・ェ・)ノ


    ・・・・・・

    さて、こうした色々な贈答品のやり取りが描かれた図像がたくさんあるわけですが、こういったものだけで「カカオ豆が通貨」であったとするのは難しいと思います。

    16世紀以降のスペイン植民地期の記録では確かにカカオ豆が労働賃金として利用されていたのですが、古典期(西暦250-1000年)では確認されていません。

    一般的に古典期マヤ社会の中心地はティカルの所在するマヤ中部低地と考えられていますが、カカオの生産が行われているのはずっと遥か南の太平洋岸域といった熱帯地域なのです。

    希少価値が高いため信用性はあるとは言え、自分たちで生産もできず流通量も少ないカカオ豆を果たして通貨として利用したでしょうか?

    たぶん間違いだと思います。

    恐らくカカオ豆は交換財の一つとして機能はしていたでしょうが、ジャガーの皮、塩、織物、海産貝などの交易品も同様に交換財として機能しており、特定の通貨はなかったと考えるのが普通だと思います( -д-)ノ




    おわりに

    ところで、今回絵文書様式土器の展開図をいくつか紹介しましたが、図像に見られる土器だけを集めた研究も面白そうだななんて昔から思ってます。

    でもなかなか実行できていません。

    たぶん誰かやってそうですしね( -д-)ノ

    次、手が空いたらのんびりやってみようかな。

    図像学的な研究だけではなく、実際の土器研究と関係させて書けば先行研究ないはず!


    問題はいつ手が空くかだ!( ・Д・)



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    2021ねん 2がつ 20にち(どよーび、晴れ)

    時間を上手く使わにゃ~(*^・ェ・)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは「新発見は身近なところにあるものだね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はタイ東北部に位置するナムポーン国立公園です。

    ちょっと情報が少なくてよく分かりませんでしたが、ナムポーン国立公園は大きな山や湖を含む自然公園のようです。

    この湖はダムによって出来た湖のようですが、大きな魚が獲れることからことからフィッシングの地としても有名なようです。

    しかし今回紹介するのは山の方!

    ナムポーン国立公園内には登山ルートがあるのですが、この観光客が日頃通っている登山ルートのすぐ傍の小さな洞窟の中で今回の壁画が発見されました!

    灯台下暗しというやつですかね( -д-)ノ




    最初に挙げた写真は洞窟の入り口付近にあるもので、刻線文様が描かれています。

    ちょっと何を描いているのかよく分かりません。

    一部、幾何学文のように見える部分もありますが、何だか私にはインドのような数の数え方で縦線を刻んでるように見えますね( -д-)ノ

    一方で上に挙げた写真は洞窟の深部のものなので暗い写真ですが、赤い塗料で横長の動物状のものが描かれています。

    これまでのところモチーフとして水牛やキツネ、鳥などの動物や、太陽が描かれていることが分かっています。

    赤色は古来より血をイメージするものとして、重宝されてきました。

    普通は朱などを使うのですが、今回のケースでは本当に血液を使用していました!

    何らかの動物の血液を染料としていたようで、今後DNA分析などで色々分かってきそうですね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

    壁画は推定で約2000年から4000年前に描かれたものとされていますが、血液の他に植物の樹脂なども使用されており、化学分析によって時期の特定もできそうですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    ↓壁画系だよ(*・ω・)ノ



    ↑特に上の壁画はとても古いのにとても美しい!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    おわりに ー文化財保護と歴史教育ー

    現在、タイではこの洞窟を遺跡として保護するために準備を進めているそうです。

    だから現在は誰でも入れてしまうので、上に挙げた写真のような状況になっています。

    よく博物館で『フラッシュ撮影禁止』ってあるじゃないですか?

    撮影禁止なのではなく、フラッシュがダメなのです。

    何故ダメかと言うと、フラッシュの強い光によって退色してしまうからなのです( -д-)ノ

    いち早い保護ももちろん必要だけど、

    そういった文化財を守るための知識を教育の一環として教えていくことも大事でしょうね。

    そして『何か重要なものを発見した際にすぐに報道しないといった規制も必要』でしょうね。

    今は何でもすぐに拡散するからね!( ・Д・)



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    2021ねん 2がつ 23にち(かよーび、雪)

    記事頑張らねば~、時間ないけど( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは日本最古の考古学者は黄門様と助さんだったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台は栃木県大田原市の上侍塚・下侍塚古墳です。

    日本の考古学の起源と言えば、通常はモースですね。


    ↓モースについてほんの少し触れました(*・ω・)ノ



    アメリカ人動物学者であるエドワード・モースは1877年(明治10年)に東京都品川区の大森貝塚で発掘調査を実施しました。

    これにより日本における人類学・考古学の基礎を築いたとして評価されるわけですが、これが日本における「科学的」な考古学の始まりなわけです。

    ちなみに「日本考古学の父」は別にいるので今度紹介しますね( -д-)ノ

    このモースの調査に先立って、およそ200年前に発掘を行っていたのが水戸黄門こと水戸光圀です。




    1692年(元禄5年)に水戸光圀は、家来の佐々宗淳(さっさ むねきよ)に上侍塚・下侍塚古墳の発掘調査を命じます。

    「ドラマ水戸黄門」に出てくる『助さん』は架空の人物で、そのモデルは佐々宗淳とされています。

    宗淳の通称は『介三郎(すけさぶろう)』であり、そのためドラマに出てくる助さんの名前は「佐々木助三郎」になっています。

    この宗淳は光圀の近侍でしたが、本来は儒学者だったのです。

    彼らは両古墳を発掘調査し、貴重な中国製の鏡、鏃、高杯、太刀の折れ鉈、倭鏡、花瓶、管玉、壺などの土器類が出土しました。

    光圀らのスゴイところは、発掘調査後全ての出土品を絵図に記録させた上で松の箱に収めて釘付けし、松脂で密封した上で埋め戻し、古墳には後に松の木を植えて保護したことです。

    遺物そのものの埋め戻しは現在は行いませんが、図面を取って調査記録を残している点、埋め戻しによる調査地の現状復帰を行っている点や、古墳の保存を考慮している点で科学的な考古学と言えますよね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    おわりに

    水戸光圀は古墳を崩壊から守るために松の木を植樹したわけです。

    これが上に挙げた写真でも見られますね。

    200年前、、、同じものではないか?

    松の木の樹齢は600年とかあるそうですけど、これは幹が細いので新しそうですね( -д-)ノ

    倒木すると古墳が壊れる気もしますけど、彼なりの遺跡を保護する気持ちがこの景観を作っているわけです。

    日本最古の文化財保護の事例でもあるね!( ・Д・)


    (*以下に追記あり( -д-)ノ)


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    ↓こっから追記だよ(*^・ェ・)ノ

    (追記:2021.2.24)

    タイトルに「記念碑の建立が決定されたよ!」って書いていながら、それに触れるの忘れてまとめてしまいました( -д-)ノ

    しれっとタイトル変えておけば良かった気もしますが、追記することにしました(*^・ェ・)ノ

    ほぼ雑談なので読み飛ばして結構ですΣ(・ω・ノ)ノ


    さて、上に挙げた写真のキャプションで分かるように、記念碑を建立するにあたって地鎮祭が執り行われたばかりなので、肝心の記念碑はまだ建立されていません。

    まぁ正直、失礼ながら記念碑自体は大したものではないでしょう。

    大事なのは、水戸光圀らによって日本最古とも言える考古学調査がこの地で行われたことをしかと記録し、これを機に広く知ってもらうことかなと思うからです。


    ↓しれっと宣伝(*^・ェ・)ノ

    ↑こっちもアップしなきゃね( -д-)ノ


    ところで圀の考古学調査は1692年で、目的をもって調査し、出土遺物の図面を取って記録したという点で近代的な発掘調査の属性をいくつか有しているなとは評価できます。

    そういった意味で「日本最古の考古学調査」と言えなくもないです。

    それどころか1692年だと世界的にも古い部類になります。


    なので調べていると、「光圀の事例が世界最古」とするような記事も散見されましたが、、、

    どの記事でも世界に見られる近代的な考古学史の端緒と光圀の事例を比較しているわけで、比較としてずるいなと。

    私、大学の考古学の講義で光圀の事例は聞きませんでしたからね。

    著名な考古学の概説書の中にも光圀の事例は現れません。

    一方で、ちょこちょこやってる上記のYouTube動画でも挙げているように、世界で見ると最古の考古学者の事例はもっと古いものですし、彼らの調査も考古学調査となるわけで、、、

    そして彼らの古い事例は、近代を除くと、やはり考古学の概説書には載ってこないわけです。

    なので世界の近代考古学史と、日本の近代以前の考古学の端緒を比較するのはおかしいわけですし、

    つまるところ、、、

    何をもって「考古学の起源」とするのか、何をもって「考古学調査」とするのかによって『最古』の記録は大きく変わりそうだってことです(*^・ェ・)ノ

    でも個人的意見として、水戸のご老公はスゴイな!って思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



    そもそも考古学というのは新しい学問の部類なのですが、いったいいつから始まるのでしょうね?

    まぁ、、、

    真の考古学という学問も、真の考古学調査も、、、

    私から始まる!と言いたいところではありますね~ヾ(´ω`=´ω`)ノ

    そんなこんなで、色んなところに「~~~の父」がいる世の中ですが、語弊たっぷりで述べるのならば、


    私もパパになりたい!( ・Д・)


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    2021ねん 2がつ 16にち(かよーび、雪)

    次々と仕事をこなしているが、記事やYouTube動画のための時間がないぞヽ(TдT)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya1395
    ↑これ履いてランニングに行ける!( ・Д・)(「歩け、マヤ」で加工・作成)


    今回の考古学・歴史ニュースは「レアな発見なのは間違いないけど、モノがいいのか、古代の靴ってけっこう残るのね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台は主にローマです。

    ところで恐竜の化石ってレアものじゃないですか?

    かつてたくさん恐竜はいたわけですけど、全部が化石として残るわけではなく、奇跡的な確率で現代において化石として見つかるわけです。

    広域に分布していて、色んな環境で生きており、かつ死亡したので、その埋没環境によっては残ることもあるわけです。

    さて、イメージし易いかなと思い、恐竜の化石を例に挙げましたが、古代ローマの品々も似たようなものだと思います。

    「古代ローマ」とひと口に言ってもその歴史はとっても長いですし、その領域もとっても広大だったので、本来はほとんど残存しないような遺物が残ることもあるわけです(・∀・)つ

    今回の場合はそのレアな遺物は「靴」なわけですが、大げさですが靴屋さんを開けそうな位、思いの外たくさん出土事例があるので紹介したいなと思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ


    arukemaya1399
    arukemaya1398



    上に挙げたのは古代ローマのインソールと靴底です。

    靴底は堅そう、丈夫そうなので比較的残りやすいのかなって気もしますが、中敷きもたくさん残ってますね!

    どれもしっかりと足形になっていて、現代のインソールと何ら変わりないようにも見えます。

    現代社会における靴は合皮製品も多いですし、何より大量生産品です。

    これらの古代ローマ期の靴は手作りの品ですから、しっかりと個人に合わせて採寸して作ってるオーダーメイド品でしょうし、本革を贅沢に使った品ですから、自然と現代の有名ブランド品のように品質が高いのでしょうね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    arukemaya1403



    これらは主にイギリスの博物館に所蔵されている古代ローマの靴です。

    どれも立派で、素敵なデザインです。

    特に最後の靴なんて、その辺で売ってそうですよ!(・∀・)つ

    オーパーツとか大好きな人たちも少なくないですけど、こういった現代的なデザインの遺物を扱わないのはなんでだろう?って思っちゃいますね。

    この素敵な写真を見せられて、「タイムマシンで過去に行って靴を落として来たんだ!」とか言われたなら、私でもちょいと気になる( -д-)ノ

    ちなみに靴屋さんのディスプレイのように見えるのは、イギリスのヴィンドランダ博物館の展示の様子です。

    このヴィンドランダには古代ローマ期の遺跡があり、そこからたくさんの保存状態のいい靴がたくさん出土したことで有名なのだそうですヾ(´ω`=´ω`)ノ

    この遺跡には有名な靴職人の工房があったのかも知れませんね!


    arukemaya1394


    さて、最後に紹介するのがサムネイル画像にも使った古代ローマの靴です。

    これは現在のドイツに所在するザールブルク砦で見つかったもので、約2000年前の遺物になります。

    この砦は西暦90年に建造され、西暦260年まで使用されており、周辺の村落を合わせて最大で約2,000人が住んでいました。

    この靴は女性のもので、砦に関連する身分の高い人物の靴と考えられています。

    保存状態の良さもスゴイですが、デザインの美しさにも目を奪われますね(・∀・)つ


    ・・・まぁ落ち着いて考えてみるとローマってイタリアですし、現代でもイタリアにはたくさんの有名ブランドがありますから、古代ローマ期のような遥か昔から優秀な職人を産み育ててきた土地だと言われても納得できます( ・Д・)

    さて、この最後のとっても素敵な靴以外にも素敵なデザインの古代ローマの靴を紹介してきましたが、何故こんなにも素敵なのでしょう?

    靴の機能は足の保護が第一ですし、暖かさも与えてくれます。

    その一方でまさに現代社会における高級ブランド品の如く、当時の靴はステータスシンボルとして機能していたからなのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    この事例のように女性用の靴の場合は、靴紐の他に装飾的な刺繍や模様が加えられることが多く、その精巧さでステータスの高さを表現していたのです。




    おわりに

    今回の記事で出てきた「ステータスシンボル」、これは人類学や考古学では「威信財」として頻繁に登場します。

    高価な品である奢侈品と威信財の区分はよく検討しなければならないなと、今後の課題としてかなり放置している私ではありますが、、、

    現代社会でも高価な品は一種のステータスシンボルとして機能していますよね?

    例えば、お金持ちは家が大きく、テレビもでっかく、国内外の高級車を「無駄に」何台も保有していて、アルマーニやロレックスなどの高級ブランド品に身を包み、超高級なイイものをいつも食べてる、、、ってイメージありません?

    そう思うとやはり古代から現在に至るまで、「人間なんて結局そんなもん」、「本質的に全然変わっていない無駄に偉そうな動物」に思えます( -д-)ノ

    ちょっと言い過ぎかも知れないですけれどね、『私は研究対象として人間の特別視を止めたい立場』なので許して下さい( ・Д・)

    まぁそんなこんなで、人の世はいつの時代も、高価な奢侈品は威信財とまでは行かずとも「ステータスシンボル」の性格を常に有しているものなのです。

    例えそれが自己満足だとしても!( ・Д・)



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    さて、1日2本書かなきゃ遅れを取り戻せないね(´・ω・`)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースはもっぱらサメ獲って生きてた先住民文化がブラジルに存在したよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はブラジル、リオ・ド・メイオ遺跡です。

    この遺跡はブラジルの南海沖にあるサンタ・カタリーナ島にある遺跡です。

    リオ・ド・メイオ遺跡では大きな「貝塚」が見られます。

    日本でもよく見られるあの「貝塚」です。

    日本の貝塚からは、様々な種類の魚骨、ウニトゲ、フジツボ、カキなどの貝殻、イルカやオットセイの海獣類の骨がよく出ます。

    貝塚やその付近からは人骨も出ます。

    ちなみに日本近代考古学の父であるエドワード・モースが大森貝塚を調査した結果、「古代日本人は人喰い人種だった」と述べた有名なエピソードがあります。

    貝塚は多量の貝類などがあるのでアルカリ性の小山になっており、日本の酸性土壌ではなくなってしまうような人骨も残りやすいというのが理由のひとつです。

    また単純に「貝塚=ゴミ捨て場」ではなく、貝塚が儀礼の場であったというのが大きな理由になります。

    本当に「食人」があった場合、骨にその痕跡が残るものなのです( -д-)ノ

    ちなみに今回紹介するブラジルの海岸に見られる貝塚はサンバキと呼ばれており、大きなものでは7階建てのビルの高さがあるとか(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

    このサイズからしてサンバキは明らかに儀礼的な目的で積まれた遺構のようですね。

    さて、そんな特徴・性格を有する貝塚ですが、リオ・ド・メイオ遺跡の貝塚では変わった物が出土するのです。




    それは「サメの歯」です(。・ω・)ノ゙

    上に挙げた写真は標本なので顎付きの状態です。

    話はややそれますが、古代のメガロドンは現代でもとても人気でパニック映画にもよく登場しますが、メガロドンの体長は歯の化石からおおよその推定をしたものであることもよく知られています。

    これはメガロドンやサメが「軟骨魚類」なのでほとんど歯しか残らないからなのです。

    なのでこのリオ・ド・メイオ遺跡の貝塚でも歯ばかり出てきます。

    本当にたくさん出てくるので、個体数を推定してみたところ、どうやらこのリオ・ド・メイオ遺跡に住んでいた人々はサメの肉を主に食べていて、それは全体の食事量の半分以上を占めていた可能性があると考えられています。

    分析では食べていた肉の54~75%がサメであったと推定しています。

    彼らが獲っていたサメの種類も豊富で、ハンマーヘッド、タイガー、ホオジロザメなど、体長10フィート以上、体重1000ポンド以上のサメを含む15種のサメ、そして小型のサメを47種を同定できました。


    arukemaya1391


    そしてリオ・ド・メイオ遺跡の人々は上に挙げた写真がのようサメの歯を加工して道具として使っていました。

    ちなみにこの写真は展開図状になっているので、左右は同一の資料であり、左が表面、右が裏面になっています。

    このサメの歯の下部には2つの穿孔痕があります。

    この穴に紐を通して木製のシャフトに縛り付けて固定した上で、切削工具として使用したと推定されています。

    こうしてサメを獲り、その歯を加工して利用するという風習は約8000年前から1500年代まで続いていました。




    おわりに ー武器としてのサメの歯ー

    実験考古学では黒曜石製の石槍や細石刃を用いた槍を作成して、海獣などの動物に対して実際に使用してみるというものがあります。

    今回の発見を受けて、実験考古学の一環としてサメの歯を実際に鏃として使用し、ブタに向けて弓をを射てみたそうです。

    するとサメの歯の矢はブタの厚い肉に十分に突き刺さり、鏃である歯が破損することはありませんでした。

    肋骨などの骨に当たった際にのみ破損しました。

    ちなみに黒曜石の石槍だと肉にしっかり刺さりますが当たった衝撃で先端が折れてしまいます。

    なので再使用するために再度加工が必要なのです。

    ちなみにギザギザなサメの歯は、魚の鱗取りにも有用だっただけではなく、のこぎりとして木材を切断するためにも有用でした。

    サメの歯、万能!( ・Д・)



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    今週さえ乗り切れば少し楽になる……と思い続けて幾星霜ヽ(TдT)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースはトレジャーハンターが本当にお宝見つけたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はイギリス、スコットランドです。

    今回は大好きなナショナルジオグラフィックの記事を参考にしたもので、写真も全てそこから転載しております(いつもながらその都度、リンクとクレジット表記をしておきます)。

    発見されたお宝を紹介するのはサクッと終わらせて、『盗掘と文化財保護』について少し書こうかなと思います。

    まぁそう書くとお堅い感じがするので、『お宝見つけたらお金になるの?』ってテーマでお話したいなと思います(*・ω・)ノ


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    さて、イギリスと言えば「トレジャーハンターの国」なイメージを持っているのですが、、、

    何故かというとそれくらいたくさん金銀財宝が地下に眠っていて、金属探知機でお宝を探すトレジャーハンター(歴史愛好家?)がたくさんいるからです。

    実際にイギリスではほとんど全ての金銀財宝はトレジャーハンターによって見つけられています。

    一方で考古学者がお宝を発見することはほぼありません( -д-)ノ



    何ででしょう?( ・Д・)



    ・・・・・・



    ・・・



    「考古学者はお宝を発見するために発掘しているわけではないから」です(*・ω・)ノ

    どこの国の考古学者も基本的には税金や企業の助成金で研究しているわけで、何らかの研究テーマに沿って何らかの学術的課題をクリアするために調査を行っています。

    皆さんも、もし「私たちが税金使ってお宝発見してヤッホイ!.。゚+.(・∀・)゚+.゚」してたら怒るでしょ?

    そうなのです、目的が全然違うので考古学者がお宝を発見することはほぼありません。

    例えば建設工事などに伴う緊急調査、特に高速道路とかの大きな範囲を掘る際には確率的に出てくることもあるでしょう。

    でも基本的にはないのです( ・Д・)



    arukemaya1383
    arukemaya1385


    今回紹介しているお宝たちも2014年にトレジャーハンター(お宝探し愛好家)が金属探知機を使って発見したものです。

    もちろん全部ではありません。

    発見者が博物館などに報告して、考古学者が派遣され、周辺の調査がなされたのです。

    ・・・・・・この時、土地の所有者と第一発見者であるトレジャーハンターにはお金が支払われるのですが、考古学者には支払われません。

    誠に哀しいですねヽ(TдT)ノ

    発見されたこれらのお宝はおよそ1000年前のバイキングの宝であることが分かりました。

    丁寧に布などにくるまれて、2つのお宝の山に分けて埋められていたようです。

    出土状況はお墓ではないので、まさに埋蔵金というか、童話や伝説に出てくるような『海賊の隠し財宝』ですねヾ(´ω`=´ω`)ノ





    さて、盗掘と文化財保護法について少し述べようかなと思います( -д-)ノ

    今回の件のように一般の人がもしお宝を見つけた場合、日本では「落とし物」扱いになります。

    その辺で拾った「拾得物」と同じです。

    古ければ古いほど、持ち主が現れることはないので、その価値が判定され20~50%くらいのお金がもらえます。

    このお金は大体の場合、土地の所有者と折半になります。

    これが比較的新しい時期の「拾得物」、例えば明治期とかになると、直接の子孫がいる場合があるので、その家族に通達が行くことがあります(*・ω・)ノ

    この埋蔵文化財保護法の内容は各国によってまちまちで、例えばイギリスの大部分では「300年以上前の金銀製の遺物」に関しては価値が査定され、市場価格がそのまま支払われます。

    価値の査定は主に有名博物館同士が争うオークションで決定されることが多く、対象は金銀財宝ですから結果として5000万円とか億単位の金額が支払われることさえあるのですΣ(・ω・ノ)ノ

    ……考古学者やめて、イギリスでトレジャーハンターやろうかな( ・Д・)

    って思えるくらいの額ですね( -д-)ノ


    ちなみにスコットランドでは金銀以外の製品も査定され、且つ時期の新しいものも対象になります。

    アメリカでは州法によってまちまちで、あまり保護されていません。

    その代わり、アメリカでは海の中で見つけたお宝は州法によりますが20%程度税金として払うだけなので、たくさんもらえます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    一方でイギリスやスペインでは世界中の海の中に「かつての王家の船」がたくさん沈んでいることが歴史史料で分かっていることもあり、見つけても王家のものになってしまいます。

    アメリカにとっては「他国のもの」だからどうでもいいんでしょうね( -д-)ノ

    しかし公海で見つけてしまうと法的に所有者と思われる各国と争うことになるので、『盗掘』というか『ネコババ』が起きます。

    この「盗掘」や「ネコババ」は世界的に見て、土中の考古学資料に対しても多々見られます。

    グアテマラなんか「盗掘天国」と揶揄されるくらいです(´・ω・`)

    その点、イギリスでは盗掘行為は少なく、発見者は皆報告する傾向にあります。

    だって、「正しく査定されて、その額がそのままもらえる」んだもの(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    ただでさえ発見至上主義な古風な考古学者が多いのが事実だから、「イイモノ」出した考古学者に対する保護が必要だなんて言わないから、

    「盗掘による考古学データの消失」を防ぐためにも、埋蔵文化財保護法の見直しと整備をお願いしたい!

    もちろん日本の埋蔵文化財保護法はしっかりしている方だとは思うけど、部分的な見直し・改善は常に必要、重要だなと考えさせられますね(*^・ェ・)ノ



    ↓財宝やっほい.。゚+.(・∀・)゚+.゚



    ↑お宝関連記事(*・ω・)ノ

    ↓こんな事件もあったね( ・Д・)

    ↑日本では盗掘なんて対岸の火事だと思ってたやヽ(TдT)ノ



    おわりに

    海外の博物館は立派なところが多いし、運営もしっかりしていて、何と言ってもお金持ちですよね(*・ω・)ノ

    それに比べて、日本の博物館ってたくさんあるんですけども、運営が厳しいせいで民営化が進んでもう長いこと経ちますね。

    そうした中、資料調査の際の写真撮影や資料化作業に対して、1点当たり3000~4000円の料金を徴収すると言っている博物館もあるくらいです。

    お金に困ってるのは分かるけど、博物館が所蔵している資料は、今現在は民営化の結果、運営会社の管理下にあるかも知れないけど、そもそも「税金」による調査で出土して、収蔵されるに至ったものではないの?

    個人のギャラリーならいざ知らず、県・町立の博物館がやることではないと思います。

    というかそんな博物館の資料使わんよ!

    資料調査でいったい総額いくらかかるのか分からんじゃないヽ(TдT)ノ

    まぁそう思うと、現在無償にも関わらず色々と忙しい中、個人的な資料調査に協力してくださる博物館や地方自治体等の学芸員諸氏には頭が上がりませんね。

    改めて感謝ですヾ(´ω`=´ω`)ノ


    ……博物館収蔵資料閲覧の有料化か、どこも大変なんだろうけども

    こんな世界に誰がした!?( ・Д・)



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    2021ねん 2がつ 2にち(かよーび、くもり)

    124年ぶりの節分、、、語弊があるな( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースはでっかくて可愛い勾玉が出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台は奈良県、香芝市の狐井稲荷古墳です。

    ちなみに読み方は「きついいなりこふん」です。

    上に挙げた写真は確かに日本最大の勾玉なのですが、島根県松江市、いづもまがたまの里伝承館に展示されているもので、現代の作品です。

    今回紹介するのは古墳から出土した遺物として最大のものになります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    狐井稲荷古墳は5世紀後半に帰属する前方後円墳で、全長は70mあります。

    周辺は住宅地になっていて、現在も古墳の範囲は私有地になっています。

    この発見は2011年のものですが資料は非公開のままであり、2020年末に初めて一般公開されました。




    さて、上に挙げた写真(右側)が国内最大の勾玉になります。

    滑石で出来ていて、サイズは長軸約13cm、幅約10cm、厚さ約5.5cmで、重さは565gもあるそうです。

    500gってけっこうずっしりとくるサイズ感ですよね(*^・ェ・)ノ

    上の勾玉は皆さんの知っている「ふつーの勾玉」とは異なる形態をしていますが、これは「子持勾玉」と呼ばれるものです。

    本体の大きな勾玉に小さな勾玉が付随している点が特徴で、この資料では小さな勾玉が10個付いています。

    ちなみにこの日本最大の勾玉、実は古墳の立地する土地の所有者が庭仕事をしている際に、後円部の裾辺りで発見したそうです。

    発見の経緯も面白いですね(・∀・)つ


    さて、こうした子持勾玉は儀礼に使われたと考えられており、今回のように埋葬儀礼に関連しているようです。

    古墳という埋葬形態が形態としてある程度規格化されていたように、この子持勾玉も規格化が進んでいた可能性があります。

    これまでに全国で450点ほど確認されていますが、サイズは長軸10cm程度、幅5~6cm程度が一般的とされています。

    今回のケースでは長軸13cmなのでちょっと長いくらいなので全国4位の長さ、幅が10cmと平均のほぼ2倍なのでこれが全国1位の幅ということになります。

    なので国内で最大の勾玉となっていますが、実際に最大なのは幅と体積の点でということなります。

    それでも国内最大級の勾玉なのは間違いありませんヾ(´ω`=´ω`)ノ



    おわりに

    この子持勾玉、、、

    動物みたいに見えて何だか可愛いなと思ってしまうのは私だけでしょうか?カワ(・∀・)イイ!!

    私はミニチュアとか小さいものが好きですが、この勾玉の場合は程良いサイズ感でいいですね。

    本記事を通して、考古学ではなんがかんだ「最古」が一番人気ですが、「最大」とか「最小」もいいな~って思えました。

    うむ、今度は可愛い子持勾玉について書こうかな!

    考古学においても可愛いは正義!( ・Д・)



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    2021ねん 2がつ 6にち(どよーび、くもり)

    速攻、毎日更新できなかったけど、連休で取り戻します!( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは「世界初!めちゃ古いお墓から義眼を付けた人骨が発見されたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はイランです!

    今回、遺跡名が不明です( -д-)ノ

    イラン南東部に位置するセイスタン-バルチスタン(Seistan-Baluchistan)州、ザヘダン(Zahedan)市の近くにある『焼けた都市(Burnt City)』と記載されているのですが、、、

    もしかしたらバーント・シティ遺跡でいいのかも知れません(*^・ェ・)ノ


    さて、今回お伝えするのは、およそ4800年前の古代ペルシャ期に遡る「義眼」の発見です。

    下に写真を挙げましたが、裕福な人物の墓から検出された人骨に義眼が付いた状態のまま発見されました!




    この義眼、頭蓋骨(とうがいこつ)の眼窩(がんか)に嵌ったままの発見というのがすごいですよね。

    これがもしこの状態ではなく、地面に落ちていたら、アクセサリーとして判定されていた可能性も十分あるのではないかなと思います( -д-)ノ

    上に挙げた検出状況の写真では、人骨の傍に精巧な作りの土器が複数見て取れます。

    この他にも革製の袋、青銅の鏡や、様々な装飾品が副葬品として伴っており、被葬者は少なくとも裕福な人物と推測されています。

    人骨の分析から、被葬者は25~30歳くらいの女性であることが分かっていますが、もしかすると王族の一員である可能性があります。

    少なくともこの都市の上層部に帰属する巫女のような特別な存在であった可能性が指摘されています。


    arukemaya1375


    義肢装具は古くから知られており、古代ヘブライ語で書かれた書物に「金色の人工眼」について言及されています。

    しかし実際に古代における義手や義足が出土するケースはほとんどなく、ましてや遺物としてサイズの小さい義眼が出土することなどこれまでなかったのです。

     上に挙げた写真は義眼表面への加工の痕跡がよく見て取れる写真です。

    義眼本体は簡易分析の結果、動物の脂肪に天然のタールを混ぜたものが使われていると判断されていますが、今後より詳細な成分分析が行われる見込みだそうです。

    写真では刻線と穿孔が確認できます。

    刻線によって中央部に瞳孔のような円形の文様、その周囲には目の毛細血管を描いているようです。

    この刻線文を描くために金色の細いワイヤーを使った可能性が指摘されています。

    もしかするとこれは刻線の凹部に僅かに残った色素の痕跡であり、かつては義眼ga
    全体的に金色に装飾されていたのかも知れません。

    その場合、文献に残る「金の義眼」という記載と一致し、高位の巫女の片目が金色に輝くような光景自体に儀礼的・宗教的に重要な意味があったのかも知れません。




    そしてこれがお墓から検出された頭蓋骨を基に、形質人類学、法医学、古生物学などの各分野で利用可能な最新の科学技術を結集して復元されたおよそ5000年前の高位の巫女の顔です。

    先ほどの写真で見られた義眼の側面にある2つの穿孔痕は紐を通す穴です。

    上に挙げた写真のようにして使用したと考えられています。

    しかし、こうした使用状況でこの女性の眼窩は義眼との接触が続いた結果、膿瘍ができてしまったことが頭蓋骨の分析から分かっています。




    おわりに

    このお墓とは関係ありませんが、同じ「バーント・シティ遺跡」からは古代ペルシャ期に帰属する、古代の計量定規、バックギャモンのゲームの破片、アニメーション装置など、多くの興味深い出土品が出土しているそうです。

    特に目を見張るのが焼けた最後に挙げた「古代のダイス」ですが、非常に精巧な作りになっています。

    これまで「ゲームの考古学」と題した記事も何本か書いてきましたが、この遺跡での興味深い発見に関する研究成果が公開されたら、また紹介したいなと思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ……義眼で膿瘍かぁ。

    私は現代のコンタクトレンズすら怖い!( ・Д・)



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    2月からは心機一転、ブログ頑張ろうと思った矢先にトラブル!( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    グラフ003_Project D
    ↑明けましたね!( ・Д・)(「歩け、マヤ」作成;フリー画像を加工)


    今回の考古学・歴史ニュースはブログ全然頑張れてないよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ

    まぁいつもというかほとんどの月がこれまで満足に頑張れてないのですがね( -д-)ノ

    読者の皆様はもう慣れっこでしょうか、忍耐強くて助かりますヽ(TдT)ノ

    仕事環境的に楽になるのが翌3月からなのですが、今月2月から最早頑張ろうと、毎日記事書くことを目標にしようとしたのですが、、、

    パソコンの更新が走り、グーグルアドセンスにログインできなくなりと様々なトラブルを抱えて初日から心折れそうでした(TДT)

    が、頑張りました!!!

    そして今月より向こう3年ほど頑張り続けたいと思う所存です(。・ω・)ノ゙

    ・・・・・・ではとりあえず定期報告として表を提示していきますね!


    2021年1月まで表

    表1.2021年1月までの各属性の変化


    12月が本数が激減してた分もあって、今月は少し復活。

    それに伴い、PV・UU数も増加!

    嬉しいことです。

    来月辺りは久々に月間3000PVクラスに復帰できそうかな(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    さて、グラフにしますと、、、


    2021年1月までグラフ

    図1.2021年1月までの各属性の変化


    何もかも「微増」って感じですね。

    唯一、収益だけが据え置きですが、12月1月と記事の本数の割には収益出てる感じなので嬉しいです。

    ちなみに1月の700円というのは確かそれくらいだったという記憶によるものでしたが、、、

    現在本記事を書いている最中にアドセンスが更新されて「725円」だったことが分かりました。

    うむ、大体記憶は正しい!ヾ(´ω`=´ω`)ノ



    おわりに

    もうここにしっかり書いて自分を追い込んでおきたいと思います( -д-)ノ

    とりあえず今月は毎日記事書く!

    で、3000PV達成して、1000円の収益出す!

    計画的にYouTube動画も1本は作る!

    皆様、とっても頑張るから、YouTubeのチャンネル登録も、アカデミスト社のクラウドファンディングも宜しくね!


    ……なんだかんだ今年も忙しくなりそうだね!( ・Д・)



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