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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2021年03月

2021ねん 1がつ 11にち(すいよーび、くもり)

ハートストロングになりたい今日この頃( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースはミイラが泥パックされてたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はエジプトです。

対象がミイラなので!

でも問題のミイラはオーストラリアのシドニー大学に寄贈されたもので、今回の発見自体はオーストラリアが舞台です。

ミイラは1860年に棺と共に寄贈され、CTスキャンによって複数回の分析が行われています。

上に挙げたものがそのスキャン画像になります。

一見すると雑な3D画像のようにも見えますが、ミイラ全体を覆うぬめっとした質感の正体が『泥』だと言うことが分かりました!

ミイラと言えば、やはり布で巻かれているイメージですが、実際には色々なもので覆われる事例が確認されています。

その中で『泥で覆われている事例』は初の発見となるのですヾ(´ω`=´ω`)ノ




このミイラは26~35歳の女性と考えられており、ミイラに巻かれた麻布に対する炭素年代測定によって、紀元前1207年前後にミイラとなったと推定されています。

先ほどは泥で覆われていると書いて、今は麻布の話をしているわけですが、、、

今から約3200年前の古代エジプトにおいてこの女性は亜麻布で巻かれて一般的なミイラとなりました。

その後、砂や泥、藁といった有機物からなる、住居の土壁を作る際の混合物のようなもので全身を覆い、更に亜麻布で包まれました。

上の画像はミイラの頭部を拡大したものですが、なにやら飛び出している細い棒状のものが藁などの植物です。

ちなみに最初の埋葬から60~70年後に何かしらの理由でミイラが損壊したために、補修の意味でこのような泥パックと麻布の覆いを行ったようです。

補修するってことは古いミイラを確認したりしていたってことですよね?

お墓参りみたいな風習があったのでしょうかね?

ちなみに樹脂で覆われたミイラはけっこうあるようですが……

こういった「補修の事例」が他に確認できるのかどうかがポイントになりますが、今後の研究の進展に期待ですね(*^・ェ・)ノ


↓ミイラ関連で人気な記事(・∀・)つ



↑けっこうたくさんあったので絞りました( -д-)ノ


おわりに

泥パックじゃないじゃん!って思われたかも知れませんが、泥パックは当然考古学遺物として、あるいは痕跡としてそもそも残りませんからね(・ε・)ムー

まぁ最古の事例があるとしたら歴史記録でしょうね。

ささっと調べてみたところ、いつからなのかよく分かりませんでした( -д-)ノ

ただ土器の歴史はとっても古いですし、日本の土器も世界最古級ですが16500年前とか記録があります。

お隣中国は世界最古で2万年前だとか・・・・・・

実際に土器作るとか、陶芸をやっていると分かるのですが、粘土触ってると手がすべすべになるんですよね。

ですからかなり古い段階から、美容という感覚があったかは別にして、粘土を塗ると肌がツルツルになることを経験的に知っていた可能性は十分にあるかなと思います。


…私も泥パックするかな!( ・Д・)



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2021ねん 3がつ 12にち(きんよーび、くもり)

休みはあっという間に過ぎていくものだね( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは技術の発達ってすごいものだね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はオランダ、ハーグにあるオランダ郵便博物館です。

日本の博物館、特に民俗資料館などでは古い手紙がたくさん収蔵されています。

私も地元の北海道開拓記念館に実習で行った時には、明治期くらいの古い手紙を読んで資料化するという作業をやったことがあります。

まったく読めませんでしたけども!( ・Д・)

ここオランダ郵便博物館ではその名の通り、多数の古い郵便物などが収蔵されています。

そんな多数ある収蔵資料を整理してた折り、上に挙げた写真のトランクが発見されました。

開けてみるとおよそ300年前の1689~1706年にハーグに届いた未配達の郵便物が詰まっていることが分かったのですΣ(・ω・ノ)ノ

全部で577通あることが確認されています。

300年前の当時は「封筒」がなかったそうで、手紙を複雑に折りたたんで封をする「レターロック」と呼ばれる手法がよく用いられていました。

記事タイトルには浅はかな釣り目的でJKの文字を故意に入れましたが、今の時代ではスマホでやり取りするんでしょうかね?

私の中高生の頃はノートの端を切ったような簡易の手紙を授業中に回すのが流行っていて、特に女子は綺麗に折っていました。

あれ、やり方知らないで開封すると元に戻せなくなるんですよね( -д-)ノ

まさにあれはこの記事でいうところの「レターロック」だったんだなと感動を覚えつつ、懐かしく思い出していました(*^・ェ・)ノ


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さて、史料的にも貴重な未開封の手紙をそのままにしておいて、中身だけ知りたい!という想いから、高感度X線スキャナーと解析アルゴリズムを併用し、未開封のまま中身を読むことに成功しました。

上に挙げたgifデータはライブドアブログのアップロード容量の問題でかなり小さいものになってしまいましたが、折り方・開封の順序がシミュレーションとして示されています。

元々この高感度X線スキャナーは歯の分析に使用されていたもので、それを応用したということです。


日本ではまだまだですが、世界的に見ると最近の考古学では考古学者がプログラミングを行って、遺物の整理などの効率化を図っているようです。

一方で膨大な考古学データのデータベース化が叫ばれて早十数年、現状では役に立つデータベースを全く見たことがありません。

今回のケースのように世の中には様々な技術があり、考古学に関する様々な面で役には立っているのですが、技術開発や応用の早さに現在の考古学者が追い付いていない感が否めないですね。

常に広くアンテナを張り、考古学への応用を念頭に専門外の勉強にこそ重きを置いていくべき時代なのかも知れませんヾ(´ω`=´ω`)ノ



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おわりに

考古学では常に文化財保護の必要性を説いていますが、発掘調査に際してもなるべく手付かずの遺跡を、様々な技術が発達するであろう後世に残すために目的に沿った最小限の発掘を行うことを念頭に置いています。

私は世代的にフロッピーディスクやファミリーコンピュータから、現在のPCやスマホ、PS5に至るまでの目まぐるしい社会の変化の中で生きてきました。

だからこそ現在の技術の発達の速さを理解し、盗掘まがいの調査はやめるべきと強く思っています。

ちゃんと地道な調査をしつつ、新しい技術や周辺諸科学の手法を取り込みつつ研究していけば、、、

考古学の未来は明るいぜ!( ・Д・)



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2021ねん 3がつ 11にち(すいよーび、くもり)

先月のノルマを遅れて達成して、少し休み取ったらもう今月の3分の1が…

頑張りますね( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは日本最古!弥生時代の水路が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は三重県、鈴鹿市、大下遺跡です。

鈴鹿と言えば、サーキットですね!(・∀・)つ

って前にも書いた記憶があるので、、、

鈴鹿市って考古学的な発見がけっこうある土地のようですね(*・ω・)ノ


↓この遺跡も水辺周辺です


↑名前がカッコイイのでパッと思い出せました!(・∀・)つ


今回の発見は大下遺跡のものですが、この遺跡は中ノ川の左岸に立地しています。

上に挙げた過去記事の中にも書きましたが、水分があると有機物が腐敗しやすそうなイメージですが、水辺で常に一定の水分が補給され続けていると酸素に触れる機会が減るので遺物の残りが良かったりします。

飲み水や農業用水の確保のためにも川の傍は住みやすい環境なわけですが、大下遺跡の人々も川の傍に集落を作っていました。

この立地条件のおかげで大下遺跡からは今回の水道管以外にも多数の木製品が出土しているそうです(*・ω・)ノ


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↑これが検出された環濠!(「調査概要報告 2021」の画像より転載)

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↑調査区と遺構配置図;薄青色部が環濠(「調査概要報告 2021」の画像より転載)


上の写真と図で示したように大下遺跡の周りの環濠に沿う形で調査が行われました。

調査区全体から、弥生時代、古墳時代、そして近世の遺物・遺構が確認されました。

古墳時代の土器も多量に出土しており、須恵器も出土しています。

図に見られる大溝が環濠と考えられており、この地に環濠集落あるいは濠に囲まれた豪族居館があったと推測されています。

ちなみに考古学ではただ土を掘った場合の「ほり」は土片の『壕』と書いて、水を張っていた場合の「ほり」はさんずいの『濠』と書き分けたりします。

なので今回のケースでは「濠」が正しい表記になります。


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これが検出された「木樋」(「調査概要報告 2021」の画像より転載)

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「木樋」の先はどうなっているのでしょう?(「調査概要報告 2021」の画像より転載)


これが今回の目玉である木樋(もくひ)です。

水路の一形態ではありますが、ただ土を掘ったり、そこに配石を行ったりした水路もあります。

また土器を繋げた感じというか、土製の水路もあります。

この場合は形態からして木製の水道管と考えて問題ないです。

それにしてもよくこんなに素晴らしい状態で残った物ですΣ(・ω・ノ)ノ


2枚目の写真で、橋やら河川名の書かれた看板や河岸のススキ類の繁茂の存在で大体の河川との距離が分かるかなと思います。

近いと言えば近いし、ちょっと遠いと言えば遠い微妙な距離ですね。

河川までずっとこの木製の水道管が続いていたらスゴイですけど、ちょっと考えにくいかな~って思います。

その場合は、水道管の先に水に関連した遺構があるはずです。

この水道管、どうやら「蓋付き」らしいのでその可能性が高いかも知れませんね(*^・ェ・)ノ


↓水辺のレアな発見と言えばこれ!(・∀・)つ


↑水の儀礼関連と言えばこれ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


おわりに

今回の日本最古の水道管は現時点では環濠内の水を排水するためのものと推測されています。

でも水道管の先がどうなってるかによって、この遺構の理解は大きく変わってくるわけです。

先に述べたように、もしかしたら水に関連した儀礼場に繋がっている可能性もあるのです。

だとすると単なる水道管、排水管ではないことになりますが、

それでも最古の事例であることは間違いないですね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

もし儀礼の場に繋がっているなら、上に挙げた過去記事のような特殊な遺物の発見もあるかも知れません。


うむ、今後の調査に期待です!( ・Д・)



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2021ねん 3がつ 3にち(もくよーび、晴れ)

トラブルと余計な仕事ばかり入る月だったと思ったが、まだ続いているようだ( -д-)ノ

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今回の(考古学・歴史)ニュースは同情するなら時間とカネをくれ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ

前にも書いたでしょうか、2021年の目標は毎月1本論文書くことなんです。

実験系の研究だと「月1は当たり前」なんて話聞いたことありますけど、

所謂「文系」学問では年1本くらいでしょうか。

昔はそれで良かったようですが、現在では業績伸ばさないと就職が難しいようで、たくさん作ることにしました( -д-)ノ

実験系とは性格が異なるものの、考古学は調査報告のように「経過報告」として論文化できるので本数としては他の文系学問より若干有利な気がしますね。

その辺りもちょっと理系よりかも知れません(*^・ェ・)ノ

まぁそんなこんなで若干押しながらも何とかかいてなってるんですよ。

でも様々な妨害があるんですよヽ(TдT)ノ

それでなくても、ティカル遺跡調査において「ヒトとモノの関係」を数式化する取り組みのために必要なサンプル数計算した結果、まだ20年かかるってなって悲しんでるのに。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン

ってなわけで、調査するにはお金も時間も必要だな~と改めて感じている今日この頃です( -д-)ノ

・・・・・・ではとりあえず定期報告として表を提示していきますね!


2021年2月まで表

表1.2021年2月までの各属性の変化



2月の目標はPV3000 over、収益1000円 over、毎日記事を書くの3つでしたが、、、

見事に全滅しました( -д-)ノ

そもそも記事全然頑張ってないから当然なんだけども、、、

さて、グラフにしますと、、、

2021年2月までグラフ

図1.2021年2月までの各属性の変化



2021年2月までグラフ2

図2.何だか最終日に増えたよ!の図


最後に挙げた図にあるようになんだか最終日の日曜日にガッツリとPV・UU数が増加しています。

このおかげでadsense内では一時的に『予想収益1000円over』していたのですが、蓋を開けてみたら920円でした( -д-)ノ

まぁでも記事を10本書いて、約1000円ならば、「1記事=100円」ですね!

1記事辺り最初は2円スタートで、1年目の終わりには平均70円、2年目は平均80円くらい・・・

だからこの感じで今年は1本頑張って書いたら100円!ってのをモチベーションに頑張っていきたいと思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ


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おわりに

もうすでに今日は3月3日、ひな祭りなわけです。

明日は大学で無償労働に呼ばれてるし、2月分の論文書き上げなきゃならないし、、、

記事も1本書いておかないとノルマ増えてくし( -д-)ノ

ぼちぼち頑張るので、どうか今後とも宜しくお願い致しますヾ(´ω`=´ω`)ノ


あ”~~~~~~~~~~~~~~

気分は毎月師走!( ・Д・)



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