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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2021年04月

2021ねん 4がつ 22にち(もくよーび、晴れ)

今月はけっこう頑張ってます(・∀・)つ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースはオウムやインコのミイラが見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は南米、チリ、アタカマ砂漠です。

上に挙げた地図で見と取れるようにチリの北部のほとんどを広大な砂漠が占めています。

これがアタカマ砂漠で、「世界で最も乾燥した砂漠」としても知られています。

一方で星がとても綺麗に見えるため、観測拠点として多くの天文学者が訪れる地域でもあります。


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上に挙げた写真の中に花が咲いているものがありましたが、このアタカマ砂漠にも他の砂漠と同様にオアシスがあります。

どこの砂漠でもそうですが、オアシスに人が集まり交易の要所として機能します。

今回の記事はそうしたチリの古代文明が利用したオアシス遺跡での発見のお話です(。・ω・)ノ゙




さて、当然ですがアタカマ砂漠にはインコやオウムは生息していません。

コンゴウインコなど色鮮やかな鳥たちは熱帯のジャングルに住んでるイメージです。

今回のケースでは直線距離でおよそ500kmも離れたアマゾン地方に生息しているオウムやインコを、アンデス山脈を越えて遥々このアタカマ砂漠まで連れてきたことが分かりました。

時期はCE1100-1450頃で、オウムやインコはオアシス遺跡の有力者の権力の象徴として機能しました。

遠隔地由来の簡単に手に入らないオウムやインコはペットとして飼育された他、権威を示す頭飾りの材料としてその綺麗な羽が用いられました。

この鳥のミイラの調査に当たったのはペンシルベニア州立大学の研究チームですが、オウムやインコが死後にミイラにされていることを明らかにしました。

また口を大きく開けていたり、飛んでいるかのように翼を広げた状態のミイラが見つかっています。

そのことから研究チームは、オウムが人の言葉を真似る能力に関係した儀礼の一部だった可能性があると解釈しています。



・・・このアタカマ砂漠のオアシス遺跡における文化(11~14世紀)がどのようなものだったのか知らないので何とも言えませんが、、、

素人質問で大変恐縮ではございますが、、、


そんな儀礼あるんですかね?( ・Д・)


剥製の起源って古代エジプトとかで2000BCEとかだから古いですけど、そちらもミイラです。

剥製標本の技術が高くなるのは日本だと明治期です。

江戸時代でもミイラ状にする技術はありました。

なのでアタカマ砂漠におけるこの時期のミイラ作りって、乾燥気候と夜の寒さを利用した所謂フリーズドライ(冷凍乾燥)法で剥製標本を作っているような感覚なのじゃないかなと思いますけどね。

希少なオウムやインコだからこそ、死後も剥製として飾っておくことに価値があったので、まるで生きているかのように口を大きく開けた状態にしたり、翼を広げた状態にしたのではないでしょうか?


↓動物のミイラ関係の記事を挙げてみた(*・ω・)ノ




↑最後のだけ動物と関係ない!みんな好きかと思って・・・( ・Д・)





おわりに

上に挙げた写真はコンゴウインコの一種です。

とても綺麗ですよね。

確かにこれで羽飾り作ったら映えますねΣ(・ω・ノ)ノ

古代マヤ文明でもコンゴウインコやケツァル鳥の羽が奢侈品あるいは威信財として重要視され、頭飾りなどの装飾品を製作する上で重宝されていました。

元記事に「定期的に羽を毟り取っていた」と書かれていて、一瞬可哀想だなと思ってしまいましたが、、、

この可哀想という感覚は倫理的に間違っていないかもしれませんが、声を大にして言うには難し過ぎる問題だと思います。

現代社会でも有力者・お金持ちは高価な物や所謂贅沢品を消費し誇示することが一種のステータスとして機能しています。

そう、モノは変わったかもしれないけど、本質的に私たち人類社会の在り方は遥か昔から全然変わっていないのです( -д-)ノ

ブランド物の代表格はバッグとか財布とかでその多くは皮革製ですし、原材料を得るために動物を殺してるわけですからね。


そう、我々は何も変わってないよ!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 21にち(すいよーび、晴れ)

引っ越しで金欠・・・二か月くらい頑張って生きなきゃ( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「岡山初!古墳から煙突が出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は岡山県、津山市、高尾北ヤシキ古墳です。

この遺跡では近くの国道の改築工事に伴って、2020年より緊急調査が行われています。

高尾北ヤシキ古墳は「佐良山古墳群」の一つであり、直径約13mの円墳です。

上に挙げた写真が発掘現場の遠景ですが、大きな切株が「座布団」状に残されていて、そのすぐ左側に石列が見られます。


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近寄って角度を変えて見てみると、上に挙げた写真のような感じになります。

玄室の壁面を構成する石列が綺麗に残っていますね!(・∀・)つ

この円墳の築造年代は6世紀と考えられており、けっこう立派な横穴式石室が墳丘の中心に設置されています。

サイズは残存長6.5m、最大幅1.7m、最大高1.9mです。



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そして今回目玉がこれ!

『煙突』ですヾ(´ω`=´ω`)ノ

考古学用語としては「筒形土製品」と呼んでいます。

出土時点で割れていた部分は綺麗に接合されていますね。

古墳時代と言えば、カマドの伝来です。

この煙突はカマドに備え付けられていたものを模倣して作っていたもので、煤などの付着はなく使用痕跡はありませんでした。

カマドという新技術の伝来と関係して儀礼的な意味合いでお墓に入れられたものだと考えられます。

煙突はこれまでに韓国はもちろんのこと、近畿地方で多く見つかっています。

しかし岡山県で発見されるのは今回が初めてで、カマド技術や製鉄技術といった当時の朝鮮半島との関係が伺えます。


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↑石室を出した時の写真(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


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↑棺の横に煙突とその他の副葬品が見られる(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


ニュースの画像だとちょっと何だかなって感じだったので、「概報(概報の概報みたいな簡易なもの)」に当たってみたところ、見やすい写真を見つけましたので紹介しますねヾ(´ω`=´ω`)ノ

上に挙げた写真が石室の検出時の写真と、陶棺と副葬品の位置関係を示した平面図的な写真になります。

綺麗で見やすい写真ですね!

そしてこんな風に綺麗に出土するのですね。

掘るの大変そうだけど、出してみたい(*^・ェ・)ノ

ちなみに副葬品もかなり豪華で、須恵器、土師器、鉄製の鏃(鉄鏃;てつぞく)、馬具、ガラス製装身具が見つかっていますΣ(・ω・ノ)ノ



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↑展開図的な写真(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


そしてこれが出土した「煙突」こと筒形土製品の展開図的な写真です。

これだと中が空洞であることや、厚みの程度がよく分かりますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

また正しい置き方が三角コーンみたいな感じであることが分かります。

尖底土器みたいに尖った方を下にはしません( -д-)ノ

この「煙突」がどのように使われたかについては、下の図がとても分かりやすくて良きです(。・ω・)ノ゙

まぁこの復元図ではカマド(高温焼成による土器作り用の窯)の煙突ではなく、住居の中の炉(これはこれでカマドだが)の煙突として描いていますが使い方は同じです。


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↑遠くから見るとこんな感じ( ・Д・)(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


おわりに

世界中で色々な考古学的発見が起きてるなと思いますが、国内でも大発見がある地域って少し偏りがあるかな~って気がしますね。

岡山県の考古学ニュースはそんなにないので、こうしたレアな発見があるとちょっと嬉しいです。

地方でかつ小さな遺跡だと、せっかくの良い発見もなかなか良い記事になってないなと思います。

考古学の専門の記者の不在も理由にあるでしょうが、写真も文章も明らかに少ないのですヽ(TдT)ノ

是非、そういったニュースを当サイトで取り上げて、少し詳しく紹介出来たらなと思います(。・ω・)ノ゙


・・・ところで、私、このニュースのタイトルをチラッと見た瞬間、、、

古墳に煙突立ってるのかと思った!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 19にち(げつよーび、晴れ)

毎日少しずつだが、着実に仕事が進んでいく感じも悪くない(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「法面工事の時に色々と重要なものが見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は富山県、富山市、番神山横穴墓群です。

この番神山(ばんじんやま)横穴墓群は呉羽丘陵に位置し、これまでに15基の横穴墓が発見されています。


・・・ところで記事タイトルにある「法面工事」って読めました?

普通に「ほうめん」かと思いきや、正しくは「のりめん」でした( -д-)ノ


”法面(のりめん)”とは、

 ”切土や盛土により作られる人工的な斜面のことです。 道路建設や宅地造成などに伴い、地山掘削、盛土などによりのり面が形成されます。 こののり面の斜面崩壊や地すべりなど土砂災害の拡大防止を目的として施工する工事のり面工事です。”


ということで、最初に挙げた写真が法面と法面工事の施工後の状態を示したものになります。

うん、ドライブしてるとよく見るやつね!(*^・ェ・)ノ

「落石注意!」って標識に書いてるけど、なにをどう注意したらいいか分からないやつね!( ・Д・)


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上に挙げた写真がテレビニュースの動画からもってきたものになります。

画像は粗いので、是非、上のリンクから元のニュース動画を見てみてください(*・ω・)ノ

さて、法面といっても再工事とかではなくて、本当に今にも土砂崩れしそうなポイントなのだなと驚きましたΣ(・ω・ノ)ノ

先にも述べたように番神山横穴墓群ではこれまでに15基の横穴墓が見つかっていて、今回の2基を加えて17基となりました。

ちなみに番神山には2基の古墳もあるそうです(。・ω・)ノ゙

今回の出土遺物としては完形の須恵器2点と土師器1点、そして馬具の轡(クツワ)が出土しています。

この見つかった馬具がレアな発見で、県内でこれまで見つかっている約360基もの横穴墓の中で副葬品として馬具が共伴する事例は今回で3例目なのです。

また今回の横穴墓は玄室部(埋葬部)の長軸が3mと北陸最大級であることも大きな特徴です!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


今回のお墓の副葬品は立派ですし、有力者の墓だと分かります。

有力者の数は限られているとはいえ、古墳時代の横穴墓群として全部で17基って少し少ない気もしませんか?

全国に横穴墓群があるのですが、100基~300基級の遺跡もけっこうありますし、福岡の竹並遺跡なんて1000基もあるのです。

この番神山横穴墓群の場合は、一つの横穴墓の玄室から複数体の人骨が見つかっていて、それぞれの横穴墓が再利用されていたことが分かっています。

それが家族なのかどうかは分かりませんが、まぁ恐らくは少なくとも有力な家系の親族関係者でしょう。

過去の調査では人骨も出ているわけですから、保存状態にもよりますがDNA分析とかできるといいですねヾ(´ω`=´ω`)ノ




おわりに

番神山横穴墓群を調べてみたところ、報告書はさすがにありましたが、、、

遺跡の写真が出てこない。

出てきたのは上に挙げた写真だけ( ・Д・)

どうやら史跡整備はされていないようですね。

まぁ法面工事で墓出すくらいだからそんなもんか( -д-)ノ


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↑山が半裁されていますね(富山市埋蔵文化財調査報告書102 2020の巻頭図版〇三より転載)

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↑陶芸館とか考古資料館のために山を掘削してますね(富山市埋蔵文化財調査報告書102 2020の第1図を一部改変)


報告書に当ってみたら少し写真と図が見つかりました。

南西から北東にかけて古墳が並んでて、そのおおよそ中間部に番神山横穴墓群があるのですね。

そして道路のためではなくて、建造物建設のために山を掘削したようですね。

今回のは珍しい発見ですし、予定されている出土資料の博物館展示だけではなく、是非何らかの遺跡保存をして欲しいなと思います。

考古資料館がこんなに近くにあるのだから、是非、周りの古墳も含めて史跡化して欲しいものです。

そしたら富山に行く理由ができる!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 16にち(きんよーび、くもり)

無理して働くより、コツコツ確実にの方がいいね、今更気付いたよ( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは沖縄、与那国島海底遺跡の真偽について考えてみたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は沖縄県、与那国島です。

「与那国島海底遺跡」って聞いたことありません?

私は昔、特命リサーチ200Xで見たのが最初だったような気がします。

というのもこの遺跡の発見はけっこう昔のことなのです。


簡単に概要を示すと、、、

この遺跡は1986年に地元のダイバーによって巨大な階段状構造が発見され、1995年に地元紙に大きく取り上げられて広く注目を集めるようになりました。

1992年以降に琉球大学理学部教授であった(現在は同大学名誉教授)木村政昭を中心として調査が実施されています。


ただ沖縄県文化局は人が関与した痕跡があると判断できないとの理由で、『遺跡として認定していない』そうです。


まぁ記事の関係上(私が面倒なので( -д-)ノ)、本記事では「与那国島海底遺跡」のことを、『この遺跡は・・・』みたいな感じで記述しますが、省略以外の意味はありません( ・Д・)



*当サイト「歩けマヤ」が大好きな人はもうご存知でしょうが、現役考古学者が運営していますので、宇宙人やUFO、UMA等々の専門外のオカルトには寛容がありますが、『超古代文明』系オカルトのような、私たち考古学者に喧嘩を売るエセ科学はボコボコにしますので、オカルト大好きな方はこの先読まないことをお勧めします( -д-)ノ





この与那国島海底遺跡については日本のメディアではもう下火になっています。

というのも「人口説、遺跡説、古代文明説」みたいなことを言ってる研究者って、先に挙げた木村政昭しかいないのです。

彼が現在、名誉教授になっているので年齢的に以前ほどの活発な調査研究を行っていないというのが、日本での話題性が下火になっている理由の一つでしょう。

一方で海外では最近特にとても人気が高いんですよね。

YouTube動画見てても、オカルト系番組はもちろんのこと、まっとうな海外の歴史系番組でもけっこう取り上げられています。

なんでだろう?

まぁ良くも悪くも、日本人はなんだかんだリアリストで、海外の人は夢見がちな傾向ありますからね( ・Д・)

(例:私「実は考古学者なんだ!」
   海外の女性「え~ロマンあるね!」
   日本の女性「え、それ稼げるの?」)


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さて、内容を見ていくと、木村政昭はこの与那国島海底遺跡に関して考古学や地質学の学会での研究発表業績がないそうです。

まぁ確かに考古学雑誌では少なくとも見たことない気がします。

本記事の趣旨とずれるので詳細は省きますが、地質学者からは自然地形説、浸食説が提示されていて、この巨大な「遺跡」は人工物ではないと結論付けられています。

まぁこれは専門外ですしとやかく言いませんけど、解釈も妥当かなと感じます。

他方で考古学者もまともに取り合ってる人はいないと思うのですが、理由は簡単!

考古学的な証拠が一つもないからです。

そもそも検討の余地すらない( -д-)ノ

でも遺跡・古代文明説や超古代文明説についてそれぞれ見ていこうかなと思います、私、優しいので( ・Д・)


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↑デカすぎなのさ( ・Д・)(「蔵瀬抜刀」さんのTwitter画像より転載)


さて、上に挙げた図もそうですが、この遺跡はデカすぎなのですよ。

一般的にはデカいからインパクトあるし、一見良さそうに見えるけど、人工説・遺跡説を唱えるならばこれは良くないです( -д-)ノ


何故か?( ・Д・)




これが遺跡ならば、単に遺跡とは言えず、自動的に文明説になっちゃうからです

この遺跡が、都市遺構だろうが、神殿跡だろうが、サイズの問題で文明ありきを前提にしてしまうのです。

ところで、よくYouTube動画で「縄文時代は世界最古の古代文明」とかそれに近いことうたってる動画ありますけど、間違いです。

研究者の定義にもよりますが、私に言わせれば、『文明=国家段階』です。

(*簡易に記述しています。詳細を書くと長くなるので、気になる方は考古学や人類学辞典をご参照下さい( -д-)ノ)

なので縄文時代は国家段階ではないので文明って呼称はダメってことです。

この遺跡の場合は、あまりに巨大な構造物なので、これが人工物ならばそれが何であれ文明段階つまり国家段階、少なくとも国家形成期段階の遺構と言えるでしょう。


また少し話は逸れて、最近、量子力学等の物理分野で『時間は存在しない』ってのが流行ってますね。

他分野の理論や考え方が他でも活きる事例が近代以降多々確認されている科学界ですが、考古学では「時間はない」って感覚が遥か昔からあると思っています。

だってまさに我々にとって「時間=変化」ですから(*^・ェ・)ノ




さて、話を戻すと、仮に「与那国島海底遺跡」が人工物と仮定してみましょう。


①与那国島海底遺跡が人工物、つまり遺跡である(仮説)

②ならば、対象遺構は莫大な労働力が用いられた巨大な建造物なので、都市あるいは神殿といった機能・用途が不明であったとしても、少なくとも国家形成期あるいは初期国家段階の遺構と想定できる。

③ならば、初期国家段階の人口はおよそ1万人程度との伝統的な先行研究事例を基に考えると、近隣の島(与那国島、あるいは沖縄本島など)にそのレベルの人口を有した社会が存在したことになる。

④保存・依存状態や海流などの様々な事情により遺構周辺の海底から土器や石器などの関連遺物が発見できないにしても、周辺の島々には巨大建造物を建設・利用した人々の生活の痕跡が残るはずである。

⑤そうした生活の痕跡は、最初期のヒトの移住から始まり、巨大建造物を建造可能な技術を有する人口およそ1万人の社会に達するまでの全過程に関して考古学的に痕跡が残るはずである。


とまぁこんな感じに論理展開していくことになります(。・ω・)ノ゙


「時間=変化」の話と繋がってるのですが、分かりましでしょうか?

いきなりポンとモノは出来ないのです。

必ず過程があります。

モノが大きかったり、複雑であったりすればするほど、その分過程は長くなり、各過程における痕跡が残り、考古学的に認められる可能性が増大するのです。





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さて、では先述の論理展開を基に、遺跡・文明説と超古代文明説を見ていきましょう。

A:遺跡・文明説:最も新しい発表では2000~3000年前の遺跡と推定

B:超古代文明説:古代の海面上昇を根拠に1万年前の遺跡と推定


・・・Bの超古代文明説は説明省いてもいいですか?って気になります( ・Д・)

去年あたりから縄文時代草創期の土器研究とか始めてみたのですが、対象の土器で1万3000~4000年前ですよ。

1万年前は縄文時代早期ですもの・・・そんな大きな社会は当然ないですよ( -д-)ノ

ちょうど今年度は沖縄で資料調査をする予定なので、しかもちょうど沖縄の最古の土器の爪形文土器を扱うのですが、これで縄文時代後期(ca.3500-4500年前)並行の判定(国分ら 1959: 49)ですよ?

【参考文献】

国分直一、川口貞徳、曾野寿彦、野口義麿、原口正山

1959 『奄美大島の先史時代』九学会連合奄美大島共同調査委員会編、日本学術振興会



一方でAの遺跡・文明説だと2000~3000年前という推定だから、おおよそ弥生時代から縄文晩期相当になります。

ここで沖縄の土器の例として私が述べているのはあくまで上記参考文献中の奄美大島の爪形文土器についてですが、縄文後期に南九州で代表的な市来式土器の影響を受けて、奄美大島の爪形文土器が成立したとされています(国分ら 1959: 49-50)。

この爪形文土器は奄美大島だけではなく、沖縄本島や宮古島などの南琉球でも出土しており、時期に大きな違いはないようです。

ということはAの遺跡・文明説を取ると、南九州の縄文人の影響を受けて土器を作り始めた人々が資源の限られた小さな島にも関わらず、僅か1000年で一気に九州の縄文人・弥生人を追い抜いて国家段階に達し、与那国島海底遺跡を建造したということになります。

そんなスゴイ人たちはその後一体どうなったのでしょう?

これも「時間=変化」の感覚です。

文化も社会も突然現れないだけではなく、突然消えませんから(´・ω・`)

ちなみに人口だけで言うと、現在の与那国島の人口は1625人( ・Д・)


↓実際の海(?)底遺跡と言えばこんなのがあります(*・ω・)ノ



↑スキューバのライセンス欲しい…って昔から思ってる( -д-)ノ


おわりに

エジプトのスフィンクスが1万年前に造られたっていう地質学研究者もいたけど(今度記事にしますね)、オカルトはさておき、超古代文明系で一応ちゃんと研究やってるのに明らかに間違った解釈を述べる研究者って、考古学との協調性がない点で共通していると思います。

いくら考古学が比較的新しい学問とは言え、これまでに地道に積み上げてきたものが一気にひっくり返ることは滅多にないですからね( -д-)ノ

アメリカ大統領のジェファーソンによる科学的な考古学調査の開始を始点にしたとしても、約250年の歴史があるわけですから!( ・Д・)


↓ジェファーソンについて紹介してます(*^・ェ・)ノ

↑チャンネル登録してね!今後は2週に1回くらいアップしたいな(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


まぁ予定通りに与那国島海底遺跡の人工物説・遺跡説を批判してきましたが、、、

もし本当に遺跡ならそれはスゴイことなのですが、どうやら違うので、間違った情報を流すのは良くないという想いから本記事を書きました。

現代社会では情報はあっという間に飛んでいきますから、仮に与那国島海底遺跡を「超古代文明の遺構だ!」って言って持ち上げて観光客を呼び込むことも可能ですが、すぐに世界中から日本の研究者は何をやっているのかと厳しいご指摘を頂くことになるでしょう...(#`皿´) ムキーーーー!(´・ω・`)ゴメン

そんな危ないことしなくても既に観光的には、与那国島海底遺跡は「遺跡ポイント」と呼ばれていて、人気のあるダイビング・スポットになっています。

これから先、たくさん訪れるダイバー達によって重要な何かが発見されることで新たな局面を迎えるかも知れないけれど、もう十分に与那国島海底遺跡は与那国島の貴重な観光資源となっていると思います(*・ω・)ノ


・・・大きな発見で目立つのはいいけど、叩かれるのはやだね!( ・Д・)



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自分で研究環境を整えるのも楽しい気がしてきた(*・ω・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは縄文時代のものなのに、炭化してない樹や葉っぱ、虫、鳥の羽が出てきたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は神奈川、伊勢原市の西富岡・向畑遺跡です。

上に挙げた写真が見つかった樹のひとつなんですけどどうですか?

発掘したことある人あるいは土木工事関係者なら分かると思うのですが、現在まだ生きている樹の根とか土の中からこんな感じで出てきます。

掘る時に邪魔なのでサイズによって根切りやノコで切断するわけですが、、、

まさにそれと同じ!(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

時期判定では縄文時代後期、つまりおよそ3000~4000年前の樹ということになります。

そんなに古いのに炭化せずにこの保存状態というのは奇跡ですね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

本当に生木にしか見えない(´・ω・`)


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上に挙げた写真が今回の目玉の植物依存体です。

デカいです。

幹がほとんど残っていそうですねΣ(・ω・ノ)ノ

こうした炭化せずに残った古代の樹の出土事例としては本事例が国内初となります。

しかもこうした樹々が大小含めると100本ほど検出されています。

驚くべき大発見ですね( ・Д・)

上に挙げた写真の樹は大きいため、種の同定が容易でカエデであることが分かっています。

他の樹々の同定はこれからで、理化学的手法を用いたより正確な年代判定もこれからだそうです。

縄文時代の植生や環境など、新たなデータをたくさん与えてくれそうですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



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樹々や葉っぱといった植物依存体の保存状態が極めて良い遺跡ですが、当然、動物依存体の保存状態も良好です。

上に挙げた写真のように虫や、鳥の羽も検出されています。

昆虫では色彩が綺麗に残っていますね。

下に挙げた記事の中の玉虫は別ですが、通常の昆虫の色彩は色素によるものなので死後に失われるはずなのですが、、、どうなってるのだろう?( ・Д・)

羽もスゴイですよね。

その辺歩いてて見かけるような自然な残り方していますΣ(・ω・ノ)ノ

どれを見ても、私には発掘中に現地表面近くから出てくるものにしか見えない!(; ̄Д ̄)



↓上2つは古代の昆虫のお話ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ





↑最後のは古代人の『脳みそ』が見つかってるよ!ってお話( ・Д・)



おわりに

私のやりたいこととは全く方向性が異なるのですが、こういう成果も羨ましいなぁと思います。

まぁ何が見つかるかは宝くじみたいなもんだからなぁ( ・Д・)

掘ってく上で予想できるものとできないものがあるのです。

私のマヤ文明、ティカル遺跡の調査現場だと偶然に出てくるもの(狙っていくけど出るとは限らない)として、墓を当てるのが3等賞、副葬品が出てくるのが2等賞、副葬品が豪華なのが1等賞かな( -д-)ノ

私は引きがイイ方なのですが、そんな「考古学ガチャ」では去年の3等賞がこれまでのベストです。

コロナ禍に邪魔されているけども、次回の調査が今から楽しみですわ。

うん、別に発見至上主義ではないけども、、、『上手に』研究を続けていく上で大事なことだと思う・・・

やぱスゴイの見つけてニュースになりたい、博物館に展示されたい!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 14にち(すいよーび、雨)

当然なんだけど、無理しないで働いていると、論文も研究もその他業務もゆっくりと進んでいくね( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは最古の地図の記録が塗り替えられたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はフランス、西ブルターニュです。

上に挙げた写真が世界最古の地図が描かれた石板なのですが、思いの外、大きいのですΣ(・ω・ノ)ノ

まぁ紙にインクで描くのとは違って、石に刻むわけですから、当時の技術からしてどうしてもサイズが大きくなるのは仕方ないのかなと思います。

思い返せば、下に過去記事として挙げたペドリーナ図などの石に刻む系のモノはいずれもサイズが大きいですよね(*^・ェ・)ノ

これまでに紹介してきたように「世界地図」として最古なのはカルデア王国で造られたBCE6世紀、今からおよそ2500~2600年前のものです。

「地図」としては、これまでの最古の地図はペドリーナ図でBCE1500年、つまり今からおよそ3500年前のものでした。

今回の新たな発見はこの後者の方、つまり人類が遺した「地図」としての最古の記録が更新されたわけです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


↓まだの方は是非ヾ(´ω`=´ω`)ノ








記事タイトルに『再』発見と書きましたが、この石板は今からおよそ100年前の1900年頃に西ブルターニュの埋葬塚で発見されたものなのです。

恐らく墓の棺や石室の壁材として再利用された状況だったと考えられています。

その後、「サン・ベレクの石板」と呼ばれるこの石板はサン・ジェルマン・アン・レー城内の考古学博物館に移されて忘れ去られており、近年、地下室で再発見されたものなのです。

最初に挙げた写真で、背景が普通の博物館や収蔵庫とは異なる感じがすると思うのですが、これがお城の中の地下室だからです(*・ω・)ノ

サン・ベレクの石板は出土時点で一部破損しており、上に挙げた写真でも上部の方に表面が浮いたようなひび割れが見て取れると思います。

これは当時修復した時の接合部になります。

『慣れ』のせいか、図面の方が見やすいのですが、見当たらなかったのでこの白黒写真を載せてみました。


どうでしょうか?地図に見えます?( ・Д・)


円形っぽいラインや、角丸方形のラインの中にぽつっと「点」が打たれていて、とっても適当に描いた『細胞』みたいな図形がたくさん集合しているように見えます( -д-)ノ

これだけだと地図と言われれば、そんな気もするけれど、、、

って感じです( ・Д・)

でも地図ではなく、幾何学模様を組み合わせた文様として見ると、何だか違和感を覚えます(´・ω・`)

感覚的なものなのでしょうか、私には少なくとも文様には見えないんですよね。

まぁそこで『地図だ!』って発想が出てくるところが、「さすがこの地域の専門、スゴイぜ!」って思います(・∀・)つ



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↑あ~ね、ってなる( ・Д・)(「北の国から猫と二人で想うこと」の記事内画像より転載)


さて、上に挙げた画像が論文で用いられた3Dスキャン画像と、石板の地図と実際の地図とを対比した図になります。

並べて比べてみると分かりやすいかと思います。

この研究の発表は2021年4月8日なので、本当にごく最近の話です。

カラー画像の方を見て分かるように、昔の写真とは異なって上部の中央から右側が欠損しています。

これだけ大きく重いものですし、城内博物館への移送や地下室に運んでる間などに欠損してしまったのでしょうか?( -д-)ノ

さて、地図の画像を見てみると、4枚組になっていて、左上がサン・ベレクの石板を図化したものです。

これを実際の地図に当ててみて、地図の縮尺を変えたものが残りの3枚になります。

こう見るとどうでしょう?

地図っぽく思えてきませんか?ヾ(´ω`=´ω`)ノ

人類最古の地図のような気がしてきましたね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



↓こちらは地球儀のお話(*^・ェ・)ノ




おわりに ~時期判定はいかに~

このサン・ベレクの石板は青銅器時代のもので、4000年前の遺物という時期判定がなされています。

ペドリーナ図より500年古いわけです。

土器と違って、石の時期判定なんて難しいですからね。

出土状況も、サン・ベレクの石板を石材として再利用しているわけですし、その墓より古いことは確実ですけども・・・

これが地図であることの論証は良いとして、どのようにして最古って言ってるんだろうと不思議に思います。

古ければ古いほど、500年なんて誤差の範疇になる気もするけれど( ・Д・)!?

埋蔵塚の墓の年代が初期青銅器時代の末期で、1900BCE-1640BCEとなっているので、一番古い年代である紀元前1900年より古いと考えて、4000年前ってことでしょうかね。

”正確に”サン・ベレクの石板がいつ作られたか分からないけれど、一番新しく見積もってもおよそ3600年前になるから、まぁどのみち最古にはなるのでしょう( -д-)ノ

それでも古い方に合わせて、4000年前にしたのは切りがいいからか?

世の中、インパクトだぜ!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 13にち(すいよーび、くもり)

考古学グッズ、自分も作りたいが案が出ないヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは最近ぽつぽつと考古学グッズが販売されてるけど、このマグカップめちゃ可愛い!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は青森県、小牧野遺跡です。

ここは青森県で初の国指定史跡です。

見どころは、縄文時代前期後半に約2900個、約30トンもの石を並べて造られた環状列石です(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

実際には徐々に規模を拡大していって、全部を一気に造ったわけではないでしょうが、それでも物凄い労働力が使われたわけですし、長い期間大勢の人々にとっての重要な祭祀の場として機能したことが伺えますね。


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地図で見て取れるように、小牧野遺跡のすぐ左手に空港があり、北東部には青森市街地があります。

小牧野遺跡へのアクセスはバスが一番便利なようです。

上に挙げたように、縄文時代の建造物をイメージしたような「どんぐりの家」という休憩所があります。

写真には載ってませんが椅子や机が容易されています。

また小牧野館という博物館もあり、かなり大きく立派な博物館です。

やはり青森県初の国指定史跡ということで、青森県もかなりアピールに力を入れているようですね(*^・ェ・)ノ

今回、後ほど紹介する可愛いマグカップもその一環なのだと思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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小牧野遺跡の主体はやはりこの巨大な環状列石です。

上に挙げた1枚目の写真のようにちょっと変わった石組みなのが分かるでしょうか?

ただ並べてあるのではなく、直方体のような縦長の平石を用意して、横にして積んでいます。

その両側に楕円形の石を縦に配置しています。

このような規則性のある配石方法は全国的に珍しく、『小牧野式配列(配石)』と命名されています。

一方でこの環状列石周辺からは竪穴住居址や、土器棺墓・土壙墓といった埋葬遺構、貯蔵穴・ゴミ捨て場といった生活痕、湧水跡や道路跡も見つかっており、単なる祭祀の場というだけではなく、縄文時代の暮らしが見て取れる遺跡として重要です。

先ほども述べたように、これらの発見を上手に展示していて、出土遺物も多いので、博物館はとても充実しています。

是非、来館してみてくださいねヾ(´ω`=´ω`)ノ




遺跡紹介が長くなりましたが、上に挙げた写真が今回紹介する新たな考古学グッズです。

最近、Twitterなどで考古学グッズを製作・販売している人たちがいるのだなぁと思っていましたし、ふるさと納税でけっこう色んな博物館などで土器を辺納品として販売しているのだなと思っていました。

っていうか、考古学グッズって意外に需要あるもんだなと、そっちに驚いていましたΣ(・ω・ノ)ノ

この商品、蓋の方の環状列石はシリコン製でぷにぷにしてるそうです。

それもまたイイですよねヾ(´ω`=´ω`)ノ

値段が3000円というのがちょい高いけど、個人的に欲しいなと思えるレベルの出来です。

送料が850円かかるし、実質4000円、、、悩むな( -д-)ノ

ふるさと納税で、新たな考古学グッズを辺納品として用意するのためのクラウドファンディングもやっているそうで、本当に頑張ってるな~と感じました(・∀・)つ


↓これがふるさと納税の返納品の土器(*・ω・)ノ




おわりに ~考古学の厳しい現実~

資本主義社会とは言え、何でもかんでもお金にすればいいってわけじゃないのは分かってますけども、哀しいかな背に腹は代えられないのです( -д-)ノ

考古学ってそれ自体では稼げないのに、人件費とか調査にも文化財の維持にもたくさんお金がかかるので、しっかりとお金を稼げるように文化財の活用を行っていく必要が現実問題としてあります。

私もマヤ関係で何かグッズ作りたいけど、やはり海外は色々な規制とかで難しいんですよね~ヽ(TдT)ノ

実際のティカルの粘土使って、古代マヤ土器のレプリカ作りたかったのに(TДT)

あとは今流行の(もう遅いか?)3Dプリンターで素敵な遺物のレプリカ作って販売するか・・・

収益で調査します!ってならグアテマラも許可出すだろうし、日本でもクラウドファンディングで何とかなるかな?

どう思う?ってか支援して!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 12にち(かよーび、くもり)

最近、考古学ネタに尽きないなぁと思う、記事書く時間は限られているが(*^・ェ・)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは「パン屋も土器屋もガラス屋も残っている3400年前の都市が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はエジプト、ルクソールです。

ルクソールはエジプト南部に位置していて、古代エジプトの都であるテーベがあった場所です。

なのでルクソールには観光スポットとしても名高い多くの遺跡が残っています。

例えばツタンカーメンの墓で知られる王家の谷とか、カルナック神殿、ルクソール神殿などです(*・ω・)ノ

そんなルクソールで、またもや大発見がありました。

約3400年前の都市の跡が新たに見つかったのですΣ(・ω・ノ)ノ


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上に挙げた写真が今回、新たに見つかった都市遺構です。

砂によって綺麗に埋もれていたようで、保存状態が非常に良好です。

住居等の建造物の壁面がしっかり残っていますし、右手に蛇行する壁が特に綺麗に残っていますね(*・ω・)ノ

この写真ではあまり広く見えないかもしれませんが、発掘調査自体がまだまだ始まったばかりなので、試掘の段階で都市遺構の広がりがこれまでの古代エジプトの都市遺構の中で最大級であると予測されています。

調査が済めば古代エジプトにおける「最大規模」の都市遺構としてまたニュースになりそうな予感です(*・ω・)ノ


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先ほどの上方から撮った写真だと遺跡の広がりは分かるものの、壁の残り具合が判然としません。

一方でこのアングルの写真だと、建造物の壁がしっかりと残っていることが確認できます。

一部、3mにも及ぶ高い壁が残っているそうですΣ(・ω・ノ)ノ

これだけしっかり残っていると、レンガの組み方も分かりますし、接着に使っている材料も特定できてしまいますね(*^・ェ・)ノ

このレンガは泥煉瓦と記述されていて、恐らくは日干し煉瓦のようで、私たちのよく知っている焼成煉瓦ではないようです(ちなみに現代の焼成煉瓦は粘土に30%の砂を混和した後に高温焼成して作っています)。

砂に埋もれている間はそのまま保存されますが、このように露出してしまうと、砂嵐でなくとも日常の風と砂埃で十分に風化してしまいます。

なのでいかに保存するかが重要になります。

また観光客のいたずら書き、といっても『壁面を削って書く行為』は残念ながら世界的によく見られます( ・Д・)

そういった問題もカバーできるならば、近い将来、この都市遺構は新たな一大観光スポットとなるでしょう!(*^・ェ・)ノ


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上に挙げた写真に見られるようなヒエログリフ(神聖文字;古代エジプトの象形文字)の解読結果によって時期が特定されています。

今から約3400年前なので、古代エジプト新王国の最盛期頃、有名なアメンホテプ3世やツタンカーメンが統治していた頃の都市遺構なのです。

この都市遺構からは、パン作りの工房や、ガラス製品の工房、陶器作りの工房が発見されています。

それらの写真は残念ながらありませんが、恐らく上に挙げた写真のような良好な保存状態の遺物と遺構によって特定できたのでしょう。

あるいはヒエログリフが決め手かも知れませんね。

これについては続報を待ちたいところです( -д-)ノ




おわりに ~日本の文化財活用の課題~

やはりエジプトはモノが残っていいな~って思いますね。

古代マヤ文明も何でもかんでも無くなってしまいがちですが、少なくとも石造建築文化なので、ピラミッドとか目を見張るモノが残っています。

一方で日本は酸性土壌なので、やはり骨やらなにやら無くなりがちですし、木造建築文化なので現存しているものを除けば、考古学的発見として目立つものが少ないな~と感じてしまいます。

しかしながら日本は河川が多いので、木製品などのレアな貴重な遺物もけっこうあるのです。

古代人の脳みそとか、古代のクワガタとか色々と当サイトの記事でも紹介しましたよね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

なので、日本における文化財保護と活用は、エジプトのそれとは全く違う方向で考えていかねばなりません。

・・・かと言って具体案があるわけではないのですが、、、

例えば、普段は厳重な補完体制にある日本の各所のレアな遺物を一堂に会した特別展なんてどうですか?ヾ(´ω`=´ω`)ノ

日本の科学力のひとつとして、保存科学の到達点を広く知らしめる機会にもなりますし、話題性も強い!

少なくとも私は観に行きたい!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 9にち(きんよーび、晴れ)

健康体になってきた(・∀・)つ

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今回の考古学・歴史ニュースは「3000年前の黄金仮面が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は中国、四川省、三星堆遺跡です。

中国の古代文明と言えば、教科書でお馴染みの「黄河文明」です。

これは広い中国の中でも黄河流域で栄えた文明なわけです。

この黄河文明で最古の王朝は「殷(いん)」です。

続く周王朝と同じく、所謂青銅器時代に属しています。

殷が1700BCE-1046BCE、周が1046BCE-256BCEなので、今回の発見した遺物の時期である3000年前(1000BCE)はちょうど殷・周青銅器時代の真ん中辺りの頃ということになります(*^・ェ・)ノ




今回のニュースのおよそ35年前に見つかったのが上に挙げた写真の黄金仮面になります。

青銅器時代ですので、顔の造形というか人の造形は青銅を用いて作られていて、そこに金箔の仮面が装飾として不随している形になっています。

三星堆遺跡は、この黄金仮面の他にも4mもの高さの青銅製の神樹や、世界最大の2.6mの青銅製人物立像が出土していたり、金の杖などの他の黄金製品も出土したり、象牙といった貴重な遺物も出たりと地元博物館にとっては願ったりの遺跡なのです。

この黄金仮面を始め素晴らしい精巧な遺物を作った文明は、およそ3000年前に四川省一帯で栄えた「古蜀国」と考えられています。

この一帯では5000年前(紀元前3000年前)頃から文化の興りが見られ、3000年前にはこのように青銅の扱いだけではなく、金箔を扱う技術を得るまでに発展していました。

この文明に対する調査はまだまだ極一部であり、今後その性格が明らかになることが期待されていますヾ(´ω`=´ω`)ノ




今回、新たに発見された黄金仮面も以前と同様にお墓の中の副葬品として出てきました。

上に挙げた写真群が墓壙内の平面図的な写真と、出土状況を示した写真になります。

ただでさえ、黄金製品はレアですし、いろんな意味で貴重ですし、柔らかいしで気を付けなければならないのですが、金箔だと猶更ですよね。

最後に挙げた写真のように金箔だとぐちゃぐちゃになった状態で出てくるようで、これを頑張って復元するようですねΣ(・ω・ノ)ノ


↓遺物をガジッた(掘る時に傷付けた)と言えばこれ!ヽ(TдT)ノ

↑しかも黄金製品だし( ・Д・)




そして上に挙げた写真が今回新たに見つかった黄金仮面で、向かって左半分が綺麗に残っています。

右半分と上部はガジッたか、トバした(掘ってる最中にぶっ飛ばして無くなった)かしたのでしょうか?(´・ω・`)

黄金製品としての質の高さ、美術的な美しさももちろん目を見張るのですが、、、

やはり考古学的に気になるのは技術力の高さですね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

青銅器時代ですから冶金技術はあるとは言え、金箔を作って精巧に加工する技術を有していたという点がすごいです。

こうした技術はどのように生まれたのか、あるいは伝わったのか、そして中国の他の文明との関係性はいかなるものだったのか、知りたいことで一杯ですヾ(´ω`=´ω`)ノ


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おわりに

恥ずかしながら、正直、古蜀国なんて全然知りませんでした( ・Д・)

この春から所属が変わり、日本の弥生・古墳時代も少しかじっていこうと考えているので、中国や台湾、東南アジア辺りも勉強しなきゃなと思う今日この頃です( -д-)ノ

でもやっぱりニュースになるような発見っていいよね・・・

考古学はそんなトレジャーハンターみたいな仕事ではないと思いつつも、、、

いつか言いたい!

あれ、見つけたの俺!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 8にち(もくよーび、晴れ)

今日から所属変わる!頑張る!(・∀・)つ

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今回の考古学・歴史ニュースはおよそ1万年前なのに保存状態良すぎ!最古の編み籠が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイスラエル、ナハル・ヘベルの第8洞窟です。

昨日の記事の続きみたいなものです。

「これ次回記事にしますね」って放っておくとすぐ忘れるので、連投みたいになりますがご容赦くださいヽ(TдT)ノ


↓これがそれ!( ・Д・)



さて、前回は紹介しませんでしたが、この「第8洞窟」と呼ばれる遺跡は別名『恐怖の洞窟』と呼ばれているそうです。

これは1960年代初頭の発掘調査で、この第8洞窟から大人と子どもを合わせて40体の遺体が発見されたことに由来しています。

これらの遺体はバル・コクバの乱(CE132〜135年)の際にローマ軍から逃れてきたユダヤ人犠牲者のものと考えられているそうですが、、、

上に挙げた写真で、作業員が命綱を付けた状態で洞窟入り口で篩作業をしていますが、洞窟の入り口が断崖絶壁にある感じしませんか?

実際にこの第8洞窟の入り口は崖の頂上から約75mも下に位置しているとのことで、古代の人々は縄ばしごを使って出入りしていたと推測されています。

75mの縄梯子ってスゴイですし、どうやって支えたのだろうとか、色々考えてしまいますね( ・Д・)

・・・・・・何が言いたいかというと、この40体の遺体はどうしてそこでお亡くなりになったのかな~と気になってしまって・・・・・・

さらっと探した感じでは当時の報告書にヒットしなかったので分かりませんが、洞窟に逃げ込んだはいいけど、追っ手に縄梯子を落とされるか何かして、洞窟に閉じ込められたのでしょうかね?( ・Д・)


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何はともあれ、今回紹介するのは上に挙げた世界最古の編み籠です。

時期として約1万500年前だそうです。

有機物製でこれだけ網目もしっかり残っているなんて物凄い保存状態ですし、どのような方法・技術で編み込んだのかも調べられますね!Σ(・ω・ノ)ノ

実際にこれより古い有機物製の依存体やら遺物やらは存在しますし、編み籠も出土しています。

なので今回、『世界最古!』となっているのは「完形資料」としてです。

しかしもっと古くてこれを超える保存状態の完形品なんて、考えられないレベルですよね。

だって固そうだけど、まだ使えそうですもの( ・Д・)




そしてこれが出土状況を示したと思われる写真・・・?(゚∇゚ ;)エッ!?

私自身、そこまで洞窟調査したことないのですが、、、

前回の記事で、洞窟では落盤などによる定期的な堆積があるので細かな層序が見られることが多いと書きました。

もう一つ特徴があって、落盤が主な堆積要因であると「しまりがすごい」のです。

考古学用語ですが、土の粒がギュッと集まってとても硬くなっている状態と思って頂ければ良いです。

図面の注記に「しまり極強」とか書きます。

写真を見て分かるように、乾燥地帯特有の乾燥した細かな砂粒が固まってますね。

籠の左手前に掘り上げた土が残っていますが、乾燥度合いと塊度合いを感じることができます。

そんな土質なのに、こんな出土状況ってあり得るのかなと驚きましたΣ(・ω・ノ)ノ

写真を見ると、なんかポンとここに置いたような印象で、ここから出た!って感じがしないのは私だけでしょうか?( ・Д・)





おわりに

最後に遺物の取り上げ時と思われる写真を載せました。

普段でも遺物の取り上げは一番緊張するところなのに、、、

ぱっと見は固そうでしっかりしてそうとは言え、この古さの完形の有機物製遺物で超貴重なのに、まさかのこのノリ!Σ(・ω・ノ)ノ

しかも左の男性なんて片手で持ってるし、、、

これだから海外の調査は面白いぜ!( ・Д・)



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