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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2021年10月

2021ねん 10がつ 20にち(すいよーび、晴れ)

無理せず適度に働いてよく寝ることはとっても大事ですね( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは黒魔術リベンジ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



さて、今回の舞台は愛知県、三河湾です。

前回の記事でも紹介したように、足の骨や腕の骨といった長い骨を使って井桁状(四角形状)に組んだ中に頭蓋骨や肋骨などの他の骨を入れる埋葬形態がこの地域では見られます。

これは「盤状集積葬」と呼ばれるもので、この三河湾地域を特徴付ける縄文時代の一風変わった埋葬方法です。

では早速、おどろおどろしい黒魔術の儀式っぽい埋葬事例を見ていきましょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



↓前回の記事(*^・ェ・)ノ




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どうですか???( ・Д・)

一般的にお墓の中の人骨のイメージと言えば「伸展葬」と呼ばれる、『気を付け』した状態のものだと思います。

それがこのように意図的に配置を変えられるとちょっと違和感を覚えませんか?

この事例は綺麗に方形に並べられているので分かりやすい事例である一方で、頭蓋骨がよく分からない状態なので「怖さ」があまり感じられないですね(´・ω・`)

まぁしょうがない、他にも事例を見ていきましょう!





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頭蓋骨や顎の骨が方形の四隅に配置されています。

でも四角形の枠組みも見えるでしょう?

右側の縦ラインだけ不明瞭ですけどね( ・Д・)



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↑ちょっと変形した事例(「水嶋ら 2004」の図1より転載)


上に挙げたのは保美貝塚における、今からおよそ3500年前~2500年前の縄文時代晩期の事例です。

こんな風に六角形に組む事例もあります。

まぁでもこれはレアなもので、基本的にはやはり四角形です。




さて、皆さんも目が慣れてきたでしょうから、ここからは写真の中のどこに盤状集積葬が認められるのか探してみてくださいねヾ(´ω`=´ω`)ノ


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↑保美貝塚の事例(「水嶋ら 2004」の図1を転載)










おわりに

調べてみると、思ったより事例がなかったなぁと、、、

古い調査の成果が大多数なのか写真が全然見つからなかったです(TДT)

結局、あんまり黒魔術の儀式っぽくなかったですかね?

リベンジ失敗かな?ヽ(TдT)ノ

でも前回の記事の直後、昨日の今日の話なんですけど、例のグーグルアドセンスの問題が突然解決して広告制限解除されたんですよ。


黒魔術が効いた!( ・Д・)



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2021ねん 10がつ 19にち(かよーび、ぷち雨)

考古学ネタがあり過ぎて困る!( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




今回の考古学・歴史ニュースは「縄文時代に焼かれた人骨が意図的に並べられて埋められてたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は新潟県、阿賀野市、土橋遺跡です。

この土橋(つちはし)遺跡は今からおよそ4000年前の縄文時代後期の集落が見つかっている遺跡として知られています。

立地が良いのか、この遺跡からは弥生時代、古墳時代、中世の集落跡も見つかっています。




さて、この土橋遺跡から今回は「焼けた人骨が意図的に並び替えられた状態」で見つかりました。

この発見は「焼けた人骨」と「意図的に並び替えられた状態」という2点に分けて考えることが出来ます。


arukemaya1649


まず「焼けた人骨」と言うと、「火葬」を想像してしまいますが、今回のものはそれとは異なります。

火葬と思われる最初の痕跡は2世紀の弥生時代後半に見られ、高い蓋然性をもって火葬と推定できる事例は6世紀になります。

文字記録に残る最古の事例は700年で、元興寺の開祖である道昭が火葬されました。

その後日本では仏教の影響により度々火葬が用いられますが、現在のように火葬が一般化するのは明治期以降なのでとても新しい習俗です。




私たちの感覚だと埋葬行為は一度きりですが、かつては「再葬」という儀礼行為が行われていました。

文字通り、一度埋葬した遺体(人骨)を取り出して儀礼を行い、再び埋葬します。




再葬の定義は2回以上なので2度とはかぎらない点がポイントです。

但し基本的には2度でしょうし、以下に述べるような奇跡的・理想的な好条件でない限り考古学的には何回再葬されたか判別できません。

例えば石棺や墓穴といった明確な遺構に人骨の一部が残っていて、別の明確な遺構に再葬された人骨がやはり一部残っていて、更に別の明確な遺構に再葬された人骨が残っていて、それぞれ副葬品として時期の異なる土器などの遺物を伴っている場合です。

これならば人骨の分析から同一個体であることが判明しますから、3度埋葬されたこと、つまり2度再葬されたと言えるでしょう。




再葬はおよそ5500年前の縄文時代中期頃に始まり、弥生時代にも続きます。

同時期に人骨を焼いて再葬する「焼人骨葬」が現れ、この風習も弥生時代に引き継がれます。

なので、今回の発見の一つである「焼けた人骨」というのは珍しい事例ではないのです( -д-)ノ





これまでに人骨集中遺構の写真を2枚挙げてきましたが、小型の遺構のため薬品で固めてズボっとそのまま回収しています。

先ほど「珍しい事例ではない」と書きつつも、実際にはレアな事例のため、こうした保存方法が選ばれたのだと思います。




さて、今回の発見の2点目が「意図的に人骨が並べられていること」なのですが、これがちょっと『黒魔術』っぽい方法が取られているのです( -д-)ノ

その方法とは、一度埋葬した骨をまず取り出して、大腿骨(足の骨)で井桁状に組み、その中に他の骨を入れます。

今回の事例では、上腕骨(腕の骨)と足の脛骨を用いて四角形に組み、その中に頭蓋骨や肋骨を入れています。

挙げた写真だと分かりにくいのですが、説明を聞くとなんだかおどろおどろしくありませんか?ヽ(TдT)ノ




このタイプの埋葬方法は『盤状集積葬』と呼ばれ、愛知県の三河湾域で多数見つかっているものです。

でも愛知県の三河湾周辺域に集中している上に、他の地域では見られません。

そして愛知県の事例では「骨は焼かない」のです。

つまり今回の土橋遺跡の事例がレアな理由は、、、

愛知県の中でも限定的な地域でしか見つからない埋葬方法が新潟県で見つかり、更にオリジナルの埋葬方法では見られない「焼人骨再葬」との組み合わせの方法が取られている点です。




現在の愛知県の三河湾周辺に居住した人が遥々新潟県に移り住み、それぞれの葬制が混じり合った結果なのでしょうかね?

今後の類例の発見に期待です(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





おわりに

今回は写真の問題で『黒魔術』っぽいおどろおどろしさが伝わらなかったと思います。

黒魔術をイメージしたサムネ画像に名前負けしたような感じがしますヽ(TдT)ノ

なので、次回、リベンジします。

「日本にもこんなのあるんだ~!?」って驚かせるのを目標にしたいなと思います( -д-)ノ




そう言えば、グーグルアドセンスに不正なトラフィックがあるって言われて、現在、広告制限受けてるんですよね。

自分でクリックとかしないし、全然身に覚えないのに・・・

グーグル稼いでるくせに・・・

黒魔術かけるぞっ!( ・Д・)



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2021ねん 10がつ 10にち(にちよーび、晴れ)

おひさ!休んでた分のノルマとか諸々終わらんよ!ヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは古代マヤ遺跡で古代の宇宙人飛行士を模した人型土製品が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はマヤ文明の中心地、グアテマラのペテン県です。

この前、ヒストリーチャンネルのアンケート懸賞で1000円のアマギフもらったので、今日は優しく書こうと思います(*^・ェ・)ノ←チョロイ

それでは速攻問題のブツを見てみましょう!


arukemaya1640
↑なんとも可愛らしい宇宙人(・∀・)つ(出店不明だが「MUNAE」の図録と思われる)


どうですか、これ?

私はヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」はYoutubeで無料配信されてる分しか観ていないんです。

もしかすると現地イギリスでテレビ放送されてるものとか、有料シリーズの中で取り扱われているかも知れません。




少なくともYoutube版では出てこないんですが、これこそ「古代の宇宙人」ぽくないですか?

やけに可愛いけども!カワ(・∀・)イイ!!

でも、、、宇宙人かも知れないけど、「宇宙飛行士ではない」って思うかも知れませんね。

そんなあなたに次の写真(。・ω・)ノ゙




どうですか?

あの宇宙人みたいな頭部はヘルメットだったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

これだと宇宙飛行士っぽいでしょ?

・・・

・・・・・・まぁ問題は半裸なことですけどね!( ・Д・)







正体は何なのか?

さて、問題の可愛らしい遺物はグアテマラ北部、ペテン県に所在するエル・ペルー・ワカ遺跡で出土したものです。

ひと昔前は現地でエル・ペルーと呼んでいましたが、気付けばペルー・ワカって呼ぶようになっていました。

何でかは分かりません・・・今度の調査時に覚えてたら聞いてみますね( -д-)ノ




ところで私の専門でありながら訳書の関係で日本ではなかなか知られていないのが、CE378年にテオティワカンの軍隊がティカルを征服してしまったことです。

これにより当時のティカル王は死亡し、テオティワカン系の王様が擁立されます。

ここでは分かりやすく書いているので語弊もあるかも知れません。

またこれは飽くまで一つの解釈なのですが、現在マヤ学研究では有力視されていると思いますし、私も大方支持していますのでその解釈の方向でこの先書き続けます( -д-)ノ




さて、実はこのティカルへの「異邦人の到着」というイベントの僅か10日前に、テオティワカンの軍隊はエル・ペルー・ワカを征服しているのです。

そのためエル・ペルー・ワカ遺跡は王朝としてはテオティワカン系のマヤ都市国家ということになり、古典期を通してティカルを盟主とした同盟の一都市国家として存続します。


arukemaya1647




そんなエル・ペルー・ワカ遺跡は1960年代半ばに発見されましたが、当時はティカルなどの大遺跡に調査が集中していたこと、またその後、中小遺跡が対象となったことからなかなか発掘調査が行われませんでした。

2003年からアメリカのアリゾナ大学が主導する形で長期の発掘プロジェクトが開始されました。

近年の発掘ながら、相変わらず『イイところ』を狙って掘っていて、かなりの大発見が続きました。

今回の遺物は大型建造物(Str.O14-04)の内部にあった39号墓の副葬品のひとつであり、全部で23体の小像が見つかりました。




さて、本題の「宇宙人飛行士」の正体についてですが、上に挙げた他の小像を見て分かるように、古典期後期のハイナ島で特に有名な精巧なマヤ様式の小像です。

このお墓の時期もCE600-650と考えられていますので、時期的にもピッタリです。

なのでヘルメットを着脱できる「宇宙人飛行士」もこれまで明らかにし、構築してきたマヤ歴史観の中で回答せねばなりません。




転載元の記事には何故か「ドワーフ・ボクサー(Dwarf boxer)」って書かれていますけど、、、

マヤでは所謂「小人症」の人間を特別視し、重宝していました。

23体が映っている写真をよく見ると、中央の6体(+ミニチュア土器がある)は周りの人型小像より小さいですよね。

これが写実的なものなかは不明ですが、恐らく彼らが「ドワーフ(小人)」と表現しているのは、マヤの図像から見られる小人を特別視する文化と小像のサイズの違いを根拠にしていると思われます。




一方でボクサーなのは何故でしょう?



arukemaya1640
↑再掲


まぁ左手にグローブみたいな(ドラえもんの手みたいな)丸いものに覆われているので、これが現代のボクシンググローブように見えるということでしょう。

よく見ると中央の6体の中にはもう1体の「ボクサードワーフ」が見られるんですよね。

同じように、片手を突き出してもう一方の手を引っ込めるような『正拳突き』みたいな恰好になっていて、件の『宇宙人飛行士』と対になっているのが分かります。

このこともボクサーとする根拠なのでしょう。

彼らやけに「空手」とか好きだし(いきなり「アチョー!」とか言うし)、とりあえず『カラテカ・ドワーフ』とかになってなくて良かったかな( -д-)ノ





・・・まぁ小人ボクサーの図像を観たことがありませんが、あったのでしょうかね?

私としては所謂「球技者」に見えますけども、現代的に言うとサッカー選手!

これはマヤでは超有名なモチーフで壁画や土器文様など様々な場面で登場しますし、儀礼的な意味合いを有しますし、腰のベルト(防具)を象徴した石製ベルトも出土しています。

「宇宙人飛行士」の腰のベルトはそれだと思いますが、、、

でも球技者説だとマフラーみたいなものやヘルメットが上手く説明できなくて、、、




23体全体で儀礼の場を表現しているようですから、「小人ボクサーの演武」で良いのかも知れませんね。

あるいはサッカーチームのそれぞれのキャプテンが演武しているのか、、、




ところで、マヤ的にはヘルメットを被る(被り物をする)ことは普通なのです。

マヤの神様も動物や想像上の動物の口から顔を出している様子が表現されていることから、ヘルメットは何かしらの動物や神様、その他の超自然的な生物を模していると考えられます。

その模したモデルが「宇宙人」と言われたら、、、正直、面倒ですねヽ(TдT)ノ




おわりに

小像(figurine)と表記してきましたが、豆像って言うらしいですね。

まぁ私は小像の訳を用いてますし、あとは人型土製品とか人物象形小像とかかな、使うとして。

古代ギリシャとかメソポタミア、エトルリアとかでは所謂「テラコッタ」でしょうし、まぁ用語として色々微妙に定義が異なるのでしょう。


ところでこのマヤの小像は頻繁に出土するもので、私のティカルの調査でも破片ですが出土しています。

「型取り法」で作られていますから、表情とかはかなり精巧なものが多いです。

「型」で基本的な形を作ってから、アップリケ的に粘土粒や粘土紐を張り付けて様々な洋服や髪飾りなどを付けていきます。

でも今回の事例のように取り外しできるものはとても珍しいと思います。

他に類例を知りません。



しかもあのヘルメット、先端に青い石が付属してますよね。

これも大変珍しいし、この遺物を際立たせていると言って過言ではないでしょう。

よく取れずに残ったなと感心しますね。

よほど大切に、墓室内を細かな砂などで優しくきっちり充填されたのでしょうね。

いや、それにしても可愛い、古代マヤのマスコットキャラクターにしたい( ・Д・)



・・・・・・

余談ですが、上に挙げた小像の事例でカンガルーみたいなのいませんでした?

「古代宇宙人飛行士説」論者によると、オーストラリアのアボリジニも古代の宇宙人に知恵を授かったことになってますから、その後少しのカンガルーを連れてマヤに来たんだ!とか言ってくれたら面白いのにな。

まぁ儀礼的な演武の場を表現したものなので、立ち上がってカンガルーに見えるけど、実際はシカでしょうね。

今でもティカルにたくさんいますし、運がいいと見れますよ。

うん、宇宙人がオーストラリアからカンガルーをマヤ地域に移住させた説、いいな。

採用されないかな!?( ・Д・)



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2021ねん 10がつ 3にち(にちよーび、晴れ)

午前は研究して午後は記事とか動画に使う生活にしようかと思った矢先、薬のせいか昼まで寝たヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya1629
↑シカかな?文様に見られるやつだね!( ・Д・)(「Twitter」の記事内画像より転載;元の投稿は削除されている模様)


今回の考古学・歴史ニュースは最古の三種の神器はどこで見つかってるの!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


前回の記事で「三種の神器が見つかった!」ってだけでけっこう『おー!』ってなったという話をしました。

一方で「県内初」ってことで、『そんなに出るものなんだ!?』って驚いたって話もしました。

「三種の神器」と聞くと天皇家の伝世品だし、なんだかとても珍しい気がしてしまったのですが、よくよく考えると、考古学で所謂三種の神器と呼んでいるのは「鏡・勾玉・剣」のことですよね。

古墳時代になると皆さんもご存じの通り、弥生時代よりもずっと立派な埋葬形態、つまり古墳がたくさん造られるようになります。


↓弥生時代の埋葬方法の話にも触れてます(*^・ェ・)ノ

↑これが前回の記事(*・ω・)ノ


お墓が大きくなるに伴って副葬品も豪華になる傾向が見られるので、古墳時代、特に古墳前期には「鏡・勾玉・剣」の所謂三種の神器がセットで見つかる事例は多数確認されます。

確認されている古墳だけで全国で約16万基ありますから、その中でも有力な人物が埋葬された比較的規模の大きな古墳だけだとしても相当数あることが分かるかと思います。

前回紹介したのは弥生時代のお墓において三種の神器がセットになって出土した事例なのでレアな発見になります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




さて、最古の三種の神器の事例ということで、今回の舞台は福岡県、福岡市にある吉武高木遺跡です。

この遺跡は国指定史跡になっていて、最初に挙げた画像にあるように『やよいの風公園』として整備・公開されています。

発見があったのは1984~1985年の調査時で、弥生時代中期の初頭、今からおよそ2200年前の特定集団墓が見つかりました。

この墓群の内の一つが「3号木棺墓」で、上に挙げた写真のように鏡、勾玉、剣がセットで副葬されていました。

勾玉は所謂「獣型勾玉」ですね。

2枚目の写真に見られるように、三種の神器の他に銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)・管玉が出土しています。

前回紹介した三種の神器は弥生時代後期でしたが、こちらの吉武高木遺跡の事例は弥生時代中期に属し『最古の王墓』の異名を冠しています。





↓ぱっと検索しただけでたくさん...古墳関係の記事は意外に多かったΣ(・ω・ノ)ノ





↑タグ検索「古墳時代」でたぶん出ると思うけどこれでも一部です( -д-)ノ


おわりに

「最古の王墓」

カッコいい響きですよね。

福岡市は大きな都市ですし、上手く復元・展示してもっとアピールしてもらいたいものです。

直接訪れたことはありませんが、ホームページを見てる限り、あまり上手な運営にはなっていないように思えます。

発見自体が昭和期なので現在のような博物館・史跡運営、文化財活用とは異なるのは仕方ないとは思うのですが、やはりここは税金を投入してリニューアルしてしっかりと回収する方策を取って欲しいなと思います。

何でも観光地化・収益化するのはいかがなものかというご意見も当然あるでしょうが、まぁ「稼げる大学」を目指すような政府ですから『お金』は大事なのです。

そう言えば、当サイトのスローガンは「お金にならない考古学をお金にする」だった・・・

思い出した。

心機一転、頑張らねば!( ・Д・)



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2021ねん 10がつ 2にち(どよーび、だいたい晴れ)

生まれ変わるぅ~( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースはお墓251基出ただけでスゴイのに、三種の神器も出たってさ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は佐賀県、大和町の七ヶ瀬遺跡です。

弥生時代後期(1~2世紀頃)に属する遺跡で長軸61m、短軸25mの大規模な墓域遺構が見つかっています。

これまでの調査で251基の墓がまとめて見つかりました。

私が調査者なら嬉し涙半分、哀し涙半分ってくらい、231基の墓ってめちゃくちゃ多いんですけど、、、

これでも九州北部域では有数ってくらいで最多記録ではないのですΣ(・ω・ノ)ノ

縄文時代は土壙墓(どこうぼ)っていう単純に穴掘って埋葬する方式が一般的でした。

縄文時代でも後期や晩期になると所謂「甕棺(墓)」(かめかん(ぼ))のような土器棺墓が一部見られるようになります。

弥生時代になると集団としての規模も多くなるので、自然と墓の数も増えるのはなんとなく分かるでしょう?

それだけではなく、弥生時代の葬制が変わることで考古学的に墓が発見しやすい状況になるのです(*・ω・)ノ


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↑弥生時代の埋葬方法(赤穂市立有年考古館 2015の画像を一部加工)


上に挙げたようにまず弥生時代には埋葬方法が少し変わります。

土壙墓と土器棺墓は継続的に見られますが、弥生時代になると被葬者の身分によって異なる埋葬方法が取られるようになると考えられているのです。

縄文時代から見られる最も一般的な土壙墓は相変わらず一般的に見られる一方で、特に新たに見られる木棺墓や石槨墓は有力者と思われる人物に用いられるのです(*^・ェ・)ノ


arukemaya1634
↑弥生時代の埋葬方法2(赤穂市立有年考古館 2015の画像を一部加工)


弥生時代には墓域を形成しますが、上に挙げたように一般向けの墓(左)と有力者向けの墓(右)に分けられる傾向が見られるようになります。

時期差もありますし、本当に『一般向け』なのかは問題ですが、こういった方形周溝墓や円形周溝墓は考古学的に検出しやすいのです。

更にこの(恐らく家族のためのお墓だから)複数のお墓を有する方形周溝墓は墓域において集中する傾向が見られます。

単独で立地するわけではなく、すぐ隣接した他の方形周溝墓が見られるのです。

なので結果として弥生時代の遺跡において一つの墓域を検出した際に非常に多くのお墓が見つかることがけっこうあるものなのです(*・ω・)ノ


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さて、話を戻しますと、七ヶ瀬遺跡では多数の墓が見つかっているわけですが、その中の墓から三種の神器が見つかりました。

三種の神器は天皇一族の伝世品として有名なもので、日本神話において天孫降臨の際に天照大御神が瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に授けた三種の宝物、つまり八咫鏡(やたのかがみ)・天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ;草薙剣)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を指します。

三種の神器がセットで見つかる事例としてはこれが佐賀県で初の事例となります。

勾玉は翡翠製、剣は鉄製、鏡は銅製でした。

鏡は4面いずれも中国製であり、前漢に作られたものと後漢に作られたものを含んでいます。

一つの墓に鏡が複数面伴う事例は全国的にはけっこうあるのですが、佐賀県では4面も出ることは珍しく、同県の二塚山遺跡に並んで最多の事例となります。

こういう発見を見ていると、邪馬台国論争、九州説の論者の気持ちも分かる気がしますね(*^・ェ・)ノ




↑天叢雲剣(草薙剣)について触れてます(*・ω・)ノ


おわりに

「三種の神器発見!」ってだけで私は『お~!』ってなったのですが、「佐賀県で初」ってだけあって全国的にはけっこう出土例があるようですね。

私はそっちの方に驚きました、全然知らなかった!Σ(・ω・ノ)ノ

次回は国内出土の三種の神器の事例について調べて記事にしてみようかなと思います!

あ、今日誕生日だから生まれ変わって記事もYoutubeも頑張るよ!( ・Д・)



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2021ねん 10がつ 1にち(きんよーび、台風でめちゃ雨)

未だ具合悪い!ヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




今回の(考古学・歴史)ニュースは何度もぶり返して入院してまたぶり返して通院することになって今ここ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ

前回の記事は9月1日で「快方に向かってる」と日記コメント(ブログ最上段部)に書いてたのですが、、、

翌日から入院しましたヽ(TдT)ノ

9月は90%くらいベッドの上だった気がする。

仕事も当然滞ってて大変なことになっています( ・Д・)

まだ病み上がりというか通院しつつ治療中なのですが、休んでばかりいられないというか、もう休みまくったので、ぼちぼちとブログ&Youtube再開していきますね( -д-)ノ


・・・・・・ではとりあえず定期報告として表を提示していきますね!



2021年9月まで表

表1.2021年9月までの各属性の変化


記事の本数は1本、、、

1本って言ってもこの記事と同じブログ運営の定期報告だから実質記事はゼロなんですよね~(/TДT)/

調子悪い中でも回復しつつあるときは、とりあえず10本を目標にしようとスケジュール帳に書いていたのに全く実行できませんでした( -д-)ノ



さて、グラフにしますと、、、



2021年9月までグラフ

図1.2021年9月までの各属性の変化


もちろん何もかも下がっているのは分かるんですけど、

それでもブログ運営4年目にして、これだけぼちぼちと自由にやっていても、、、

PV数は2000~3000くらいで安定してるなって気がしますね。

UU数も50~70程度で安定していますね。

こんなに何もしてないのに( ・Д・)

本当に今月はただベッドで死んでただけなのに何故か収益が約1000円あるしねΣ(・ω・ノ)ノ

嬉しい限りです。

こうした収益は下に挙げたようなティカル調査の際に有難く使わせて頂きます(*_ _)ペコリ





↑こちらもちゃっかり宣伝。。。今はズブの素人だけど、たくさんやってれば上手になるかな?( ・Д・)



おわりに ~病床でふと感じたこと~

いや、本当に健康大事!

あと普通に呼吸ができるって素晴らしい!ヽ(TдT)ノ

もう若くないので調子に乗らないように、今後は健康管理に気を付けて生きていきたいと思います。

・・・で、ほぼ丸ひと月寝たきりだった私が感じたこと、それは『暇』!( ・Д・)

私の場合、Youtubeで見るジャンルも限られているのですが、もう観たいのは全部観たって気がするんですよね。

頑張って検索するのも大変ですよね。

良さげな動画を投稿している当たりなチャンネルを発見するのはなかなか大変(´・ω・`)

心も体も弱ってるせいか、「なんだか世の中つまらんな~」って気がしましたが、

これって結構みんなが思ってることなのかな~って、、、

エンタメも無料大量消費社会になってることもあるのだろうけども、だからこそ多少くだらなくてもバカみたいでも毎日投稿してくれるチャンネルに人が集まるのかな~って気がしました(*^・ェ・)ノ

ブログ記事一日一本はかねてよりの目標でありながら、未だ達成した月はないんですよね。

Youtubeなんて当初は発掘調査速報として作ったのだけど、考古学講座始めてからも週1が目標でしたからね。

実行力もないけど、志も低かったかなと。

自分が頑張れば自分の「暇」は無くなるし、見てくれる人の「暇」も和らげられるのかなと(*・ω・)ノ

ま、調子に乗るとすぐ病状悪化しそうなんで、今月からのんびりと記事も動画もやっていきますね。

さてデジャブだ!次は1万PV&3000円!( ・Д・)



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