2022ねん 10がつ 21にち(きんよーび、晴れ)
すごく休んだらすごく元気になってきたんだけどすごく仕事溜まるんだよね、当然か( ・Д・)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回の考古学・歴史ニュースは「何か生々しい……反省します!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
さて、今回の舞台は群馬県嬬恋(つまごい)村の鎌原(かんばら)地区にある「天明三年浅間やけ遺跡」です。
何が生々しいかはこの先を読んで頂ければ分かるサクッと思います。
反省します!って箇所は「おわりに」の部分で書きますが「考古学者として反省します」の意味です( -д-)ノ
反省の部分、思いの外長くなって真面目ながらも最後は楽しい仕上がりになったので是非読んで欲しい!
むしろ今回の『日本のポンペイ』の話を飛ばしてもいいから読んで欲しい!( ・Д・)
さてさて、上にも挙げたように本場(?)のイタリアのポンペイに関する記事はこれまでにもたくさん書いてきました。
マヤにも「マヤのポンペイ」があるし、上の3番目の記事は「アジアのポンペイ」だし、、、
世界的に火山噴火被害に遭って火山灰などにパッキングされてしまった遺跡はけっこうあるのです。
なので、火山大国な日本にもそうした遺跡があってもおかしくありません。
今度記事にしようかと思いますが、他の有名な事例として古墳時代の榛名山噴火関連の遺跡があります(*・ω・)ノ
今からおよそ300年前、天明3年(1738年)に浅間山が大噴火しました。
この噴火で流出した溶岩はおよそ幅1~2km、長さ5.5kmと考えられています。
溶岩は吾妻川に流れ込み、大規模な火砕流となって旧鎌原村(現在の嬬恋村鎌原地区)を襲い、152戸、477名が死亡したとされています。
これは村の住民のおよそ8割に相当する数であり、被害の大きさが分かります。
天明三年浅間やけ遺跡は昭和31年(1956年)に群馬県の県指定史跡に指定され、昭和54年(1979年)に最初の発掘調査が実施されました。
サムネ画像や上に挙げた写真はその当時のものです。
現在の鎌原観音堂は被災を免れて残っているもので、当時この高台に辿り着いた村人たちは生き残ることができました。
現在の鎌原観音堂の前方にある石段は15段ありますが、昭和54年時の発掘調査によって下部(先に挙げた観音堂の写真の真新しい赤い橋の下)に更に35段があり、本来は50段であったことが分かっています。
上に挙げた写真のように下方35段で二人の被災者の人骨が見つかりました。
この折り重なるような状態の2人分の人骨は、年老いた女性を背負った若い女性と判定されています。
ようやく観音堂まで逃げてきてあと少しというところで被害に遭ってしまったのです。
この遺跡での発掘調査は1991年にも実施され、今年2020年から6年計画で更に観音堂周辺を広く調査する予定です。
同調査は被害の状況だけではなく同区域の復興の様子を明らかにし、防災意識の向上にも貢献していくことを目的にしています。
今後の調査成果が楽しみですね(。・ω・)ノ゙
おわりに ~私が反省した点~
考古学だけではないのですが、広い意味での歴史学で、、、
「歴史なんて役に立たない!」
なんて表現はSNSが浸透した昨今、よく目にするなぁと思います。
昔は「考古学も役に立たんっぽい・・・シュン(ノд・。) グスン」
ってなってたんですけども、
ここ最近は立場が変わりまして、
確かに現状、考古学は現代社会の役に立たないかも知れない、ならば役に立つようにすればよい!
と思って調査・研究活動をしています(*・ω・)ノ
私の考古学研究における法則定立的な研究志向はそのせいです(*^・ェ・)ノ
↓これがそう……コラムなんだけど、どうやらちょっと難しいらしい( -д-)ノ
研究とは無関係な一般の人々に、歴史が役に立たないなんて言われてしまうのはある意味仕方ないことなのですが、
仕方ないと安住してしまったことも一因と私は考えています。
「歴史は役に立たない」というのは「歴史は現代の社会と繋がりを感じない」ということなのだと思っています。
もちろん、研究者や歴史が好きな方は過去と現在が歴史的に繋がっているのは当然なのですが、、、
要は「歴史研究のテーマ設定や問題設定が、現代社会における特に歴史の重要性が理解できない/しない人々の身の周りの問題と無関係である」ことが問題なのだと思っています。
なので、その解決策として私はSDGsの中でも重要視されているような貧困や格差の問題に繋がるように、古代マヤ社会における格差について研究し、
そもそも国家あるいは集団が自然と有する格差のシステムについて理解することを目標にしています。
(ちなみにSDGsについて悲しき若手研究者が触れるのは全て助成…のためです、秘密ですからね、約束だよ!( ・Д・))
……前置きが長くなりましたが、つまり私は「考古学研究テーマと現代社会の問題の乖離」が問題と思っていたのですが、
今回の記事を書いていて、ふと気づいたのです( ・Д・)
私自身が過去と現在を結び付けていなかったなと、、、( ・Д・)
本当のポンペイの方は場所も遠いし、時代も古いので身近なものとは全く感じておらず、
「さすがに残りがいいな!」
「レアデータがいっぱいだけど他の通常の出土状況の遺跡とどう比較研究できるだろうか」
「ってかこのパン、絶対まだ食べれるじゃん!( ・Д・)」
なんて考えていたのです(*^・ェ・)ノ
今回は日本の話ですし、たかだか300年前(私の感覚)なので最近の話と感じてしまって、『ただ、お、人骨出た!」ではなく、災害で亡くなってしまった人に対して自然と思いを馳せてしまったのです。
まぁもちろん研究者として客観的な立場であろうとすることは大事なのでそのせいであることが原因とも言えるのですが、
どこか心の上で過去と現在を結び付けてないのは自分も同じだったかなと反省しています(*_ _)ペコリ
って思ったよって話なんですけども、皆さんは本記事を通して何か感じましたか?
まぁとりあえず考古学者なんてお墓出ても喜ぶだけの生き物だと思ってほぼ間違いないということを知ってお帰り頂ければ幸いです(?)
・・・・・・
「歴史は役に立たない」
実は、私はかつて隣に座ってた方に突如言われた経験があります。
所謂飲み屋のカウンターで、私を挟んでの医者と会社員の口喧嘩の仲裁に入った時のことですが、
『人の命も救えないやつに喋る権利はない!』
って会社員に怒鳴られ、かつて「考古学は科学か」、「考古学は現代社会の役に立たないお荷物なのか」なんて悩んでいた私は悲しくて涙を流しました・・・
懐かしいものです( -д-)ノ
……でも今なら言える!
お前も救えないから喋んな、このハ~ゲ~!( ・Д・)(ハゲてない)
↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓