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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2024年03月

2024ねん 3がつ 5にち(げつよーび、晴れ)

ビール祭りだぁヾ(´ω`=´ω`)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースはなんだかんだやっぱり凄いよね、日本!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


日本列島への人類の移動

上に挙げた画像は東京都、上野にある国立科学博物館が実施した「3万年前の航海再現プロジェクト」で使用された丸木舟です。

学術クラウドファンディングで約6000万円集めてるんですよね。



実験考古学としての成果というよりは単純に集めた額がすごいなと思ってしまうのは私だけか( -д-)ノ

まぁでもほんとすごい。

この丸木舟は長さ7.5mなので、これまでに出土した平均的な長さの中で大きめのサイズとして作られてて、最大サイズとかではないんですよね。

それでいて、台湾から沖縄県、与那国島までの約225kmを移動したんですよね。

それはすごい(*・ω・)ノ





この記事では「縄文時代の丸木舟は約5~7mで二人乗り」って書いてます。

この話は復元の件も兼ねてるのですが「移動」のことではないんですよね。

例えば、前に一人、後ろに一人、間のスペースにモノを載せて「運搬」するとか、

二人乗りで「漁労」をして、間のスペースに網などの道具や釣果を載せるとか、

そういう生業関連の話なのです。




この科博の事例だと5人で乗ったそうです。

まぁ225kmの距離を移動することが目的なので、「漕ぎ手」がたくさんいないと困るんですよね。

舟なので体重分の重量が増えることよりもパワー・スタミナの方が大事なのです。




人類の移動か・・・

でもたかだか5人来た程度じゃ生き残れなさそうですね。

意図的に船団で移動したのか、あるいは継続的に遭難など潮の流れの関係で多数流れ着いていたのか、、、




とある生物学者が文明崩壊後に人類が再生するとしたら何人必要かという疑問に対して100人と答えていました。

近親交配を繰り返すとまずいのでDNAの問題からという回答ではあったけれど参考にはなりますね。

3万年前の大陸側から列島への移動に対して、100人もの集団が船団で移動したってのは当時の社会スケールからして考えにくいので、やはり後者かなって気はします(*^・ェ・)ノ





縄文時代最古の舟

さて、では日本最古の舟の話に移りましょう。

出土遺跡は千葉県、市川市雷下遺跡です。



上に挙げた丸木舟は全長約7.2m、幅約50cm、厚み約8cmで、本来は全長7.6mを超える当時としては大型の舟と考えらます。

当時というのは今から約7500年前、縄文時代早期の終わり頃のことです。



次に古い事例は、島根県、松江市の島根大構内遺跡で出土した丸木舟で、約6000-7000年前の縄文時代前期のものです。

サイズは6m程度です。

縄文時代の丸木舟のサイズ分布が5~7m程度ですから、雷下遺跡の丸木舟は最古級にして最大級の事例ということになります。

両者ともカイ(オール)も出土していますし、後者はヤス(漁労具)も出ているので本当にレアな事例と言えます。

また丸木舟はムクノキやスギを素材として、火で焦がしながら、巨大な樹を石器で削って作ったと考えられており、上の写真でも内面が焦げている様子が見て取れると思います。



さて、縄文時代は約16000年前から2400年前の期間として定められています。

ざっと1万4000年のもの期間になります。

その期間の細分として、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期と6期区分があります。



縄文時代の丸木舟と言ってもその多くの出土事例は後期・晩期に帰属するものが多いのです。

まぁ古くなると出土遺物量が減少するのは致し方ないのです( -д-)ノ



されども既に上で述べた貴重な2例があるように、縄文時代の早期の終わりから前期には既に丸木舟があったことが分かっています。




活発な遠距離海上交易はいつから?

現状、最古の化石人類は約700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスですね。

最古の石器はまだやや古くなりそうですが、一般的には約260万年前のオルドワン石器ですね。

作ったのはホモ・ハビリスで、猿人-原人段階です。



他方で新人、ホモ・サピエンスは約20~30万年前に誕生しました。

その後、他の化石人類たちは絶滅して私たち現生人類だけが生き残りました。

つまり私たち現生人類はその誕生直後から道具を作り、使用できた、あるいは少なくとも化石人類の活動の観察から即座に学習できた環境にあったことになります。



恐らくこの最初期から人類は製作した道具の交換(交易)を行っていたかも知れません。

しかし事例が少な過ぎる他にも、活動領域での身近な石材を利用していたことから交換(交易)の実態は不明です。

産地が限定される黒曜石の利用が始まって交易が確認できるようになりますが、ニューギニアでの約1万9000年前の事例が最古です。



地中海域での海上交易の歴史も古く、約1万4000年前には1000km程度の交易網がありました。

日本では同じ約1万4000年前には2000km以上に及ぶ交易網あった可能性があるです。




丸木舟の最古の事例は約7000年前でした。

東北地方の三内丸山遺跡などの事例では約5000年前には黒曜石、翡翠、琥珀が日本各地から集められており、海を渡って北海道由来のものも伝わっています。

ではいつからこうした活発な海上交易がおこなわれていたのでしょうか?



九州南部と沖縄の事例では縄文時代前期(約7000~5500年前)に土器の海上交易があったようです。

奄美大島では金雲母を含む鉱物組成の粘土・砂がありませんが、金雲母を含む土器が多数見つかっています。

これは九州本島南部や奄美大島より南の小島、あるいは沖縄本島で生産されたものが運ばれてきた可能性を示しています。



また北海道~九州の範囲では縄文時代草創期(約16000~11500年前)の『爪形文土器』が広く分布します。

北海道~九州という広い範囲における土器の類似性は活発な海上交易に伴うモノや情報の伝播を意味していると考えられます。

最北端である北海道の爪形文土器の事例が1万4000年前ですから、そこから考えると、繰り返しになりますが、

日本では同じ約1万4000年前には2000km以上に及ぶ交易網あった可能性があるということになります。

すごいね、日本 (=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





おわりに

経済って複雑だけれど、面白い!って最近思えるようになりました。

考古学ってデータが限られているからこそ、経済などの様々な現象をシンプルに捉えることができるかな~って思ってますが、

ほんとに交易のレベルでも十分複雑で大変です。

大変ですが、面白い!



今年度は僅かでも古代社会研究を現代社会研究と繋げられるようになりたいなぁと思う今日この頃です。

論文で書くことのない一般的な説明部分の箇所も多いので、分かり次第記事しますね~(・∀・)つ

「居酒屋の考古学」とかやりたいもの・・・

考古学研究から、現代社会の経済研究につなげて、ビジネスに役立つレベルの分析ができるようになりたい!( ・Д・)



何はともあれ、

焼き鳥食べたい!( ・Д・)



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2024ねん3がつ 5にち(げつよーび、晴れ)

やば、また三カ月さぼった、すまぬ!( ・Д・)

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↑烏帽子って売ってるのね( ・Д・)(「SHIGEMORI ONLINE STORE」の商品画像より転載;商品詳細ページに飛ぶので注意、いつも通り回し者じゃないよ)



今回の考古学・歴史ニュースは鎌倉時代の烏帽子が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



今回の舞台は滋賀県大津市にある里西遺跡です。

近くの道路工事に伴う緊急調査の際に見つかったそうです。



まぁよく残ったよね。

ひとまずモノを見てみると、、、


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↑こんな感じ、画像ちっちゃいけど(「NHK NEWS WEB」の記事内画像より転載


サイズは幅 27cmで高さ 22cm。

絹製で漆の上塗りがしてあります。



最初に挙げた画像と形が違うように思えますが、

これは「折烏帽子(おりえぼし)」です。

元の形状から二回折りたたんでいるため三角形の形になっているのです。



見つかった遺構は、長軸 1.3m、短軸 1.0mの墓穴で、その中に長軸 1.1m、短軸 0.7mの木棺がありました。

木棺内には副葬品としてこの折烏帽子1点の他に、短刀1点、土師器皿11点、青磁碗1点、鋏(ハサミ)1点が含まれていました。



「レアな発見」ばかり追うような考古学者は嫌いだけれど、やっぱり墓は情報豊かでいいよね~って再確認するような良き発見事例ですね(・∀・)つ

滋賀県埋蔵文化財センターにて2024年4月5日までの平日の間は公開されているそうなので行ける方は是非この機会に見に行ってみてくださいな。




おわりに

上に挙げたものは茶道具の水差しなんですけれど、その形状から「烏帽子箱」と名付けられています。

あの烏帽子、普段はこうした形状の箱に入れて、形が崩れないように保管していたようですね。



折烏帽子は武士の被り物として行動し易いように折り畳んでいたことから「侍烏帽子」とも言います。

ということは今回の発見の被葬者は鎌倉時代のお侍さん?

あるいは副葬の過程で折り畳む風習でもあったのでしょうかね?

そして結構コンパクトに折り畳んでいたようですが、そのサイズ感の場合、烏帽子箱は使っていなかったんでしょうかね?



ニュースひとつ取っても興味関心が広がるのはいいことですし、考えたり、調べたり、思いをはせるのも楽しいものです。

伝われ~!ヾ(´ω`=´ω`)ノ



何はともあれ、

私の古代以降の知識の無さよ!( ・Д・)



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2024ねん 3がつ 5にち(げつよーび、晴れ)

道路・水・ガス・電気・インターネット、インフラって大事よね(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「たくさん木製品出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は千葉県、横芝光町にある高谷川低地遺跡です。


個人的にはここ数年、”使える理論”系やってるせいで、世界各地の考古資料って補完し合えるなって思ってるんですよね。

で、日本と言えば、「低湿地遺跡」だと思います。

というのも世界的に残りにくい木製品などの有機物製品が残る傾向が強いんですよね。



そんなレアな発見のひとつが今回の発見です。


arukemaya059


これまでにも当サイトで紹介してきましたが、ずっと水分を補給されていると酸素不足になるので有機物の分解がなかなか進まないんですよね。

それが低湿地遺跡で有機物製品が残る理由です。




今回縄文時代の舟が15艘も見つかりました。

上に挙げた写真のように見つかった舟を水につけているのは上記の保存上の理由です。




上に挙げたように櫛も出ています。

赤く見える塗料は漆と思われます。

他に縄文時代後期の土器が完形で3点出土してます。



舟がまとめて出土した事例としてもレアですが、櫛などの木製品の出土自体がレアなので貴重な調査事例だと思います。

気になるのは舟など全てが縄文時代後期に帰属するものなのかな?ってとこです。

たぶん記者さんが考古学関係ではないのか全然情報がありません……

報告書の刊行を待つ他なさそうです( -д-)ノ



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↑こんな感じに使ってた?(「埋もれた文化財のはなし 34」より転載;滋賀県埋蔵文化財センター発行)



おわりに

さてさて、縄文時代の舟と言えば上に挙げたような丸木舟です。

サイズは5m~7mくらいのものが多いです。

でっかい樹木を見つけて、頑張ってくりぬいて人が乗れるようにするわけですね。



サムネ画像も上の写真もそうですが、そのサイズから二人乗りくらいだったようです。

私たちの想像する小舟でもけっこう人が乗れそうなイメージですが、準構造船が弥生時代~古墳時代に登場します。

弥生時代の土器に刻まれた文様や、古墳時代の形象埴輪でその姿を確認できます。

私たちが一般的にイメージする舟/船は小型のものでもそのレベルの場合が多いかもしれません。



さて、そんな小型の丸木舟ですが、これまで全国で120艘ほどの発見事例があります。

そのような中、今回は一気に15例も増加したのですから凄いですよね。

ここ数年は水中考古学なるものが流行りのようで、何故かこうした海や船関係の考古学関係研究って莫大な予算が付くんですよね( ・Д・)

やっぱ日本と海の関係は切っても切れないから???



まぁ今回の発見も上手く活用されて研究が進むといいなと思ってます。



何はともあれ、

どうやったら使い切れないような予算もらえるの!?( ・Д・)



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