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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2024年08月

2024ねん 8がつ 31にち(どよーび、雨)

次の休みは休めないな、研究と申請書で忙殺かな( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースはタヌキの足跡が付いた土器がSNSで人気らしいけども・・・ね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


上に挙げた写真のように確かに土器の真ん中に動物の足跡が付いてますね。

土器は須恵器(口径13cm、器高3cm)で、愛媛県松山市、久米官衙遺跡群で出土したものです。

約1300年前の飛鳥時代に、祭祀で供え物を入れるなどして使われたようです。




で、タヌキの足跡が付いているのでSNSで人気ってのはいいんですけれど、、、

現代日本社会の人間的に見れば可愛いからね・・・




「古代人も可愛いものが好きだった?」みたいなタイトルの記事も散見されたけど、、、

それってほんと???( ・Д・)


*この先の「おわりに」は夢がないので閲覧注意!







おわりに


松山市考古館の担当者は「意図的に付けたか、偶然付いたかは分からない」と回答しているようですが、、、

偶然ならいいのさ、古代人も可愛いし、まぁいいか!ってなって焼いちゃったのでしょう。



でも普通はそんなことないので、失敗品は焼成しなかったり、焼いて失敗したものはそのまま廃棄したりするんですよね。

だって失敗品なんだもの。

私たちがゴミを捨てるのと同じ感覚だと思います。




さて、上に挙げた拡大図だけれど、足跡の特徴から「タヌキ」だと同定されているそうです。

しかも前足と後ろ足のそれぞれで踏んだように、重なって見えるんです。




でもタヌキって真っ直ぐ歩かないんですよね。



真っ直ぐ歩いて、前足と後ろ足が重なるのはキツネとか。



ってことはタヌキを捕まえて(生死問わず)、まだ柔らかな土器の器面(内面)中央部にタブ期の前足と後ろ足を押し付けてスタンプ文状の装飾とした、というのが実情かなと思います。


飛鳥時代においてもタヌキを狩猟してその肉を食べていたと思われるので、、、

人間がこういうことする時は大体・・・というか考古学者が出す安牌な答えとして「豊穣祈願」かも知れませんね。



度重なる増税と物価高で苦しむ日本ですが、それでも世界的に見ればまだまだ飽食の社会、、、

野生のタヌキを食べずに済む現代の私たちにとっては可愛く見えるタヌキも、古代人にとっては貴重なタンパク源なのが現実かと思います( -д-)ノ




何はともあれ、

やぱ可愛いは正義!( ・Д・)



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2024ねん 8がつ 30にち(きんよーび、くもり)

疲れてるので良く寝るようにした結果、研究進まん( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは子供が展示されていた土器を割っちゃったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はイスラエルのハイファ地区にあるロイべン&エディト・へフト博物館です。

上に挙げた写真のように、土器を壊しちゃったんです。

壊したのは4歳の男の子で、「中身が気になり、土器を引っ張ったのが原因」だそうです。



まぁ4歳だからしょうがないよねって気がします。

博物館側も寛大な対応で、今後もガラスケースなしの展示を続けると述べています。



ただこの土器は青銅器時代のもので、完形品はとても珍しいそうです。

それが壊れてしまったのは悲しいですが、、、

まぁ土器の修復も考古学者の仕事なのでまぁいいでしょう!( -д-)ノ



ところで壊しちゃっても本当に何もないのでしょうか?




arukemaya_z023



おわりに

これは「国によって異なる」というのが簡易な回答だと思います。

もちろん故意にあるいは多量に破壊したりすれば、どこの国でも逮捕されるでしょうね( ・Д・)



そう言えば日本でも無断で借りていた資料を破壊分析にかけた研究者がいたな・・・

博物館学芸員だったかな、、、

日本ではそんなことやらかしても逮捕はされていません。

ただ悪名が広がった以上、もうどこも貸してくれないし、資料調査も断られる可能性がありますがね( ・Д・)



さて、最後に、『日本の場合、土器などを壊したらどうなるのか?』












答え:破壊者の氏名と日付が記録される。



だから一回くらい事故で壊しちゃっても仕方ないけれど、二回以上壊すと博物館とか出禁になるかも知れないし、故意と捉えられて逮捕ってこともあるかも知れませんね。

まぁ考古学を専門に学んだ人は遺物の取り扱い方を最初に学ぶので大丈夫そうですが、はっきり言って資料に触れる機会が一般の方よりも圧倒的に多いはずなので、壊しちゃう確率は高いかもしれません。

それでも軽微な損傷でしょうがね(*・ω・)ノ




何はともあれ、

一度壊れたら元には戻らんね!( ・Д・)



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2024ねん 8がつ 13にち(げつよーび、晴れ)

良く寝ると仕事がよく進む、今年も躍進の年かなヾ(´ω`=´ω`)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは埴輪ってカラフルだったらしいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


上に挙げた図は「挂甲の武人(けいこうのぶじん)」という名の付いた埴輪で、有名な埴輪です。

今回修復に際してルーペ等で詳細に観察したところ、上に挙げた図で示されたように、『白色・灰色・赤色』の3色の塗布がなされていたことが確認できたそうです。



マヤ文明だと彩文土器が当たり前ですが、日本だと沈文や浮文が主流です。

なので古代の日本の土器は彩文がないと言われます。



他方で、世界的にみて、赤色だけはどこでも使われます。

やはり血の色ですから「力の象徴」のように感じるのか、ほんとにどこでも現れます。

水銀朱やベンガラが普遍的ですが、日本だと漆も古くから伝統的に使用されています。




どうやら関東圏の埴輪が着色されているケースが多いようです。

他方で鳥取県では緑色や黒色を使用した事例もあるそうです。

意外と埴輪ってカラフルだったのかも知れませんね。





さて、今回の発見で面白いのは赤色だけではなく、「灰色と白色」も使用されていたという点です。

これってマヤ考古学者からすると、3色以上の色彩を使っているので「多彩色(ポリクローム)」に分類されるのです。

マヤの事例では顔料自体が貴重な物なので、単色や2色の土器・土製品は多彩色のそれよりも価値が下がります。



それでは古代日本の埴輪ではどうだったんでしょうね?( ・Д・)



おわりに


まぁ今回の事例は、展示資料の修復時の発見なのでいいんですけれど、、、

最近、理論系やってるせいか、重箱の隅をつつくような ”細かい” 研究にあまり興味を持てなくて( ・Д・)



でも上に書いたように、埴輪の着色の有無と彩色数、色の種別は埴輪の社会的価値を考える上で面白いかなと思います。

こうした研究に繋がるという意味で、今回の発見は素晴らしいものかと思います(*・ω・)ノ




まぁマヤと違って、埴輪って古墳の上に放置されているものだから、風化による褪色どころから失われるケースも多いでしょうね。

出土数が多いのも分析する側としては嬉しい悲鳴の原因ですが、、、

(数量が多いことは最終的に分析しやすいが、そもそもデータ化するのが地獄という意味ヽ(TдT)ノ)

うまいこと、埴輪に施された着色数に関する数量データを得られると面白そうですね。




何はともあれ、

やぱ考古学は面白いが金と時間がかかる!( ・Д・)



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2024ねん 8がつ 16にち(もくよーび、一瞬豪雨)

明日台風直撃かぁ( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは「1.2万年前に彗星が地球を襲ったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今や、日本は南海トラフ地震のニュースで持ち切りですが、、、

日本は地震大国ですからね。

現代社会においてもしょっちゅう地震と闘っているわけです。



前回の記事はポンペイでしたが「火山の噴火」の被害の話でした。


↓津波の話( ・Д・)


蝗害の話( ・Д・)



こんな風に地震や噴火の他にも津波や飢饉があるわけで、、、

人類ってずーっと自然と闘い続けているんですよね( -д-)ノ





ってことで今回のお話は、1万2000年前に北米上空で彗星が爆発した結果、地球が急激に寒冷化したよってことです。

最終氷期の最寒冷期が2.1万年前でその後、地球は次第に温暖化していったわけですが、およそ1万2000年前から1000~1300年間ほど氷期に戻るように急激に寒冷化した時期があります。

これを「ヤンガードリアス期」と呼ぶわけです。




せっかく住みやすい気候に変わってきてその環境に慣れた世代に交代したところを、突然1000年間の寒冷化に襲われるわけですから当時の人類にとっては大ダメージですね。

日本では縄文時代草創期(1万7000~1万1500年前)の末期から早期(1万1500年前~7000年前)の初頭にかけての時代に相当します。

土器は作り始めていますから、鍋でも食べて耐え忍んだのでしょうか( ・Д・)





さて、以上のことは既知の内容なのですが、今回の発見は「彗星が空中爆発した証拠が更に見つかった」ということです。


この時の爆発はタッチダウンと呼ばれるタイプのもので、地表面に衝突したわけではないのでクレーターが残りません。

その代わりに白金、溶融ガラス、衝撃石英などの巨大なエネルギー放出によって生成される鉱物が証拠となり、今回はあメリカのニュージャージー州、メリーランド州、サウスカロライナ州の各地で確認することが出来ました。




何故これが重要なのか、何故考古学と関係あるかなのですが、、、

先にも述べたように最終氷期が終わって温暖化に進んでいたと思いきや、急激な寒冷化が進んだため全人類に与えた影響は大きくないわけです。

でも日本のように大きな影響を受けたような痕跡がない地域も多いのです。

単に証拠が見つかっていないだけということもあるでしょうが( ・Д・)




さて、このヤンガードリアスの問題で最も注目されるのは北米で、この時期にサーベルタイガーやマストドンなどの大型動物が絶滅しただけではなく、”一般的に” 新大陸最古の文化とされるクローヴィス文化が滅んだとされています。




この辺りは以前にも記事で取り上げた「先クローヴィス文化」の問題や、クローヴィス文化の後に発生する尖頭器文化との系統問題など考古学的には重要なものなのです。

今回の発見は「クローヴィス文化の崩壊は彗星の空中爆発による急激な寒冷化説」を後押しするものってことなのです(*・ω・)ノ





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↑衝撃石英に入った亀裂(「Forbes Japan」の記事内画像より転載;credit: UC Santa Barbara)



おわりに

考古学って今回のような自然環境、特に古環境研究との連携も必要で、本当に色々な知識が必要な分野だなと再確認できました。

近年注目されているトルコのギョべクリテペは「ヤンガードリアス期をもたらした彗星と被害に関する記念碑」という説もあるんだとか、、、



ギョベクリテペの最古段階は1.4~1.5万年前だから、時期的に合うのでしょうかね?

正直ここまで古いと簡単に1000年単位でズレるから良く分からない( ・Д・)



何はともあれ、

やぱ人類大変!( ・Д・)



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2024ねん 8がつ 14にち(げつよーび、晴れ)

やぱ8時間寝るの大事( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースはやっぱポンペイは凄いぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



これまでもベスビオ火山の噴火に関連して、ポンペイヘルクラネウムの遺跡については何度も取り上げてきました。

是非「ポンペイ」で検索してみてくださいね。

たぶんけっこうな記事で以下のように記事紹介しているので色々飛べるはずです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




↓これはポンペイの記事(*・ω・)ノ


↑これは火山の北の遺跡の記事( -д-)ノ



今回の舞台はイタリア、ポンペイです。

ポンペイは西暦79年のベスビオ火山の大噴火によって埋没した遺跡として知られています。

火砕流や多量の火山灰に一気に覆われたので遺物等の保存状態がすこぶる良い遺跡です。



建物などの遺構も含めて一気にパッキングされていますので、古代ローマ当時の人々の暮らしを伺い知れます。

なので考古学的にも超重要遺跡です。

考古学における唯一の理論「ポンペイ理論/ポンペイ前提」の語源に使われた遺跡でもあります(*・ω・)ノ



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↑これが彼らの貴重品!( ・Д・)(「CNN」の記事内画像より転載; credit: Archeological Park of Pompeii)


今回の発見には、パンの製造所、改修中の家屋、精巧な絵画で飾られた複数の部屋を有する住宅など、様々な建築物遺構が含まれています。

やはり主食のパン屋さんなどは見つかりやすいようですね。

以前にも「まだ食べれるよ?( ・Д・)」系の記事で、めちゃ保存状態のいい古代ローマのパンが見つかった記事を書いたと思います。



今回の発見の中での目玉はタイトルにも書いた通り、男女の遺骨が見つかったことです。

出土状況からこの二人は最低限の貴重品を持って家屋内の小さな寝室に隠れて災難が過ぎ去るのを待ったようです。

しかしながら火砕流に襲われて亡くなってしまいました。



上に挙げたものが彼らの持ち出した貴重品で、銅貨の他、イヤリングが見えますね。

実際には硬貨は金貨、銀貨も見つかっています。

イヤリングは真珠のイヤリングです。



やはり貴重品を持って逃げるのは世の常のようですねヽ(TдT)ノ







おわりに

うーん、物質文化システム理論の構築にはどうしても当時の人々の暮らしの復元が必要になるんですよね。

次の助成金獲れたら共同研究者にお願いして古代ローマもやる予定なのですが、、、

ポンペイもいいですね!( ・Д・)



今回の発見だと明らかに大きな家屋に住んでいる裕福な人々で、所持品も立派ですものね。

社会の階層性、財の不均衡社会分布に関するデータを集める上で優良なケースかなと思います。

壁が良く残っているので、住居の規模も数量データ化しやすいもんね・・・

やぱ対象はポンペイかな?




何はともあれ、

やぱポンペイすげー!( ・Д・)



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2024ねん 8がつ 12にち(げつよーび、晴れ)

疲れ溜まってたのか11時間寝た( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは黄金がっぽり!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はエジプト、ダミエッタにあるテル・エルディール遺跡です。



テル・エルディール遺跡は「ネクロポリス(死者の都)」として知られています。

考古学的に簡単に言えば ”墓域” です。

一般的に簡単に言えば ”規模のでっかい墓地” です(*・ω・)ノ

マヤ文明やこの前紹介したトルコのチャタル・ヒュユクのような『居住域=墓域』な文化の方が珍しく、この古代エジプトや現代日本のように住むところと居住域を分け隔てる方が一般的です。




なので今回の発見では63基もの墓が見つかったとありますが、ネクロポリスであればそうだろうなという感想です( -д-)ノ

墓地に肝試しに行って、墓石見つけた!って喜ばないでしょ?( ・Д・)

上に挙げた写真のようにボコボコたくさんあるんですから、あって当然なのですから。






今回見つかった63基の墓からは青銅製硬貨の詰まった壺や上に挙げた写真にあるような黄金製品が副葬されているケースが多かったため、テル・エルディール遺跡というネクロポリスそのものが比較的社会階層の高い人々のための埋葬エリアと推測されています。

そうした中であっても同遺跡では墓に社会階層性が見て取れます。

最も下位の墓は墓壙として穴を掘っただけのもので副葬品も僅かです。

高位の墓ではアドベ(日干しレンガ)製の墓や石灰岩製の墓が見つかっています。




やはり高位のしっかりした造りの墓にあればなるほど、墓の規模も大きくなります。

現代日本社会でもお墓に行くと、金持ちの家かな?って思う黒い墓石で出来たデカいお墓ありますよね?

大体専有面積もデカかったりします。

あれと同じなのです(*・ω・)ノ




今回の発見では63基のほとんどがアドベ製の墓で、ウシャブティやバステト、ホルスなどの様々な神を模した像が金箔で覆った製品として副葬されるケースが多数見つかっています。

以前の調査ではビザンティン時代の金貨も出土していますから、やはり社会的地位として高位の人物は黄金製品を副葬する習慣があったのだということが分かります。



ネクロポリスですから今後もどんどん新たな発見があるでしょう。

時間的な変遷と墓の造りと副葬品の種別・多寡との相関が分かると面白いですね(*・ω・)ノ






おわりに


こういう記事書く度に「黄金製品いいな~」って思って素直にそう書いてますが、、、

いやだって皆さんお好きでしょ???

ハイボールや綺麗なお姉さんより好きじゃないの?ってくらい一般ウケはいいんですよね。




ニュースでもそうですけど、博物館の特別展とかやると差は歴然としますよ、ほんと。

人間って昔から変わらない生き物なんですよ( ・Д・)



でもまぁそうした嫉妬心は抑えて冷静に考えると、、、

黄金が出るってことは常に盗掘の被害を考えなければならないし、

古代から現在までの盗掘によって情報が欠落していることも考慮に入れなければならないしで、

考古学研究としては結構めんどくさい気がしますね。




私、自分の理論研究の拡張で日本にも手を出していますが、古墳時代のデータ取ってたら実際面倒でしたもの。

貴重品が入っていたり、墓自体が目立つとどうしても盗掘されちゃうんですよね。

その点、マヤの場合は場所にもよるけれど、ティカルなどの場合は亜熱帯のジャングルに守られていますし、重層建築のおかげで物凄い労働力を投下しないと墓に当たらない上に、当たるとも限らないんですよね。

墓を内包しないケースもあるので。。。



そう考えるとなんだかんだ研究する上で、特に数理を扱うような詳細なデータが必要な研究の上では……

やぱマヤ文明が一番!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

(自分の取り扱う文明や遺跡が一番だと考えるのは考古学者の性です( ・Д・))





何はともあれ、

やぱ黄金いいな!( ・Д・)



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2024ねん 8がつ 10にち(どよーび、晴れ)

良く寝て程良く研究してるヾ(´ω`=´ω`)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは忘れない内にチャタル・ヒュユクについて紹介するよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


前にチャタル・ヒュユクに関して記事を書いた時に、「この遺跡面白い!」って思って、「今度紹介しますね~」って言ってたのが今回の記事です!

覚えてる内にやらないと忘れちゃうんですよね( -д-)ノ

モチベ高い内に色々やらんとダメなのです( ・Д・)



↓件の前回の記事(*・ω・)ノ
↑読んでない方は是非!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


ということで、今回の舞台はトルコのチャタル・ヒュユク遺跡です!

時期はBCE 7500年~6300年に帰属します。

チャタル・ヒュユクの名が「分岐した丘」を意味し、東と西の丘に分かれています。

東の方が古く、西の丘の上層部はBCE 4300年頃に帰属し、青銅器時代の遺構となっています。




日本で言うならばチャタル・ヒュユクの古い時期はおおよそ縄文時代の前期(1万1000~7000年前)に相当します。

この時期は両者共に新石器時代です。

チャタル・ヒュユクの西の丘は上に述べたように約6000年前にはすでに青銅器時代に突入していますので日本よりも遥かに人類社会の発展スピードは速いですねΣ(・ω・ノ)ノ

弥生時代のスタートが約2000年前なので4000年も先行していることになります( ・Д・)




……あ、格差の人類史を数式と動画で描くのが今の研究の目標だけれども、『社会の発展度合い』って尺度で描いても面白そうですね。

まぁ現代社会まで描くと問題が起きそうですが( ・Д・)

産業革命までなら・・・問題ない?( -д-)ノ




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さて、チャタル・ヒュユクの住居は保存状態が良く、構造も調度品の配置も判明しています。

これが面白いところです。

上に挙げた画像の左端に梯子がありますが、なんと屋根から入る構造の家屋だそうです。

変わってますねΣ(・ω・ノ)ノ




この保存状態がとても良い住居群ですが、何故かというと古い住居の内部に土と瓦礫を詰めて埋め、その上部に新たな家を造る慣習があったようです。

そのため東の丘では18層もの住居が積み重なっていて、高さは21mにもなるそうです。




これってマヤ文明の重層建築のもっと凄いバージョンですよね。

めちゃくちゃ良質なデータが獲れるじゃない!( ・Д・)




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↑古い時代の家屋なのに保存状態いいよね( ・Д・)(「TURKISH Air & Travel」の記事内画像より転載)



しかもチャタル・ヒュユクでは亡くなった家族をベッドの下や床下に埋葬する文化を持っていました。

祖先崇拝の一種ですね。




これもマヤ文明と同じ!

年代ごとの埋葬遺構と副葬品のデータが得られる!

凄すぎる!

考古学的に超重要遺跡ですね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ





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さて、更なるチャタル・ヒュユクの面白いところは、、、

新石器時代なのに「都市構造」を有している点です。




下に挙げた画像のように物凄い数の住居が密集しています。

住居と住居の間の隙間はなく、人々は屋根伝いに移動していたようです。

ちなみに人口は平均で5000~8000人程度で、最大で10000人に達していたようです。




都市構造を持っていて、1万人の大人口、、、

初期国家の定義からして、もうこれ国家レベルの規模なんですけど、

なんとチャタル・ヒュユクは平等な社会と考えられています。




なので国家じゃないのです、たぶん、今のところ( ・Д・)




先行研究によれば、各住居のサイズは一定で大小の差はほとんどないそうです。

また墓には副葬品が含まれ、木製容器、籠、食べ物が共通してみられ、男性の場合は木製・骨製柄付き剣、石製棍棒、土製印章、銅製腕輪、S字状骨製バックル、女性の場合は、化粧用石製パレット、各種装飾品、黒曜石製鏡が出土しています。

またタカラガイを目にはめ込んだ頭骨も検出されています。


・・・でもこうした副葬品を伴う事例は”例外”であるそうです( ・Д・)

そしてこれまでには分業化の証拠も見つかっていないのです。



つまりチャタル・ヒュユクは人類社会の発展史の中で国家形成2歩(?)くらい手前の最後の平等社会の状態だったのかも知れないのです(*・ω・)ノ






おわりに

いやー、こんな遺跡あるの知らなかった!(*・ω・)ノ

ほんといいもの見つけましたわ。



考古学者ってやはり人の子というか、自分がやってる地域・時代のものが最高と考えがちなんですよね。

マヤ研究でも「あるある」です。

だからここ、チャタル・ヒュユクでも、この遺跡が”理想の平等社会”として描かれている可能性があります。



私は最近数理考古学をやってるせいか、やはり物事は連続的に変化すると考えがる傾向にあります。

そうした視点に立つとチャタル・ヒュユックの18層の中で、平等な社会から階層化社会への変化が見て取れてもおかしくないかなと思ってしまいます。




”例外的”に広い居間を持つ住居もあるそうですし、”例外的”に副葬品を伴う墓もあるわけです。

そうした点が階層化の兆候かもしれませんよね。



建造物の重層性と埋葬遺構の特殊性から明らかに発掘が大変な遺跡ですから、現段階でどれだけのデータが取れるか謎ですが、今度頑張ってみようと思います(・∀・)つ




何はともあれ、

やぱ考古学は楽しいぜ!( ・Д・)



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2024ねん 8がつ 10にち(きんよーび、晴れ)

連勤過ぎて研究進まぬ( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは文化庁ってYoutubeやってるらしい!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


日本の古代だとやはり縄文時代と古墳時代が一般ウケいいんですよね。

で、文化庁がやってるYoutubeで「いせきへ行こう」ってシリーズの動画があるそうなんです。

もうすでにvol.48だから凄いよね。

一回ごとに30分近い動画だしね




内容は「発掘された日本列島」の紹介みたいだけれど、まぁ内容は玄人向けな気がします(*・ω・)ノ

下に挙げた写真にある「Z世代との対談」というのも面白い企画だなと思うんですが、、、




若者たちからは「社会の先生から授業を受けてるみたい」ってコメントがあって、私たち側からすると耳が痛いです( ・Д・)


私も市民講座やライブ配信で一般の方向けに資料を作ってると、少しでも油断すると

「あ、大学の講義みたいになってる・・・( -д-)ノ」

ってなるんですよね。



まぁ講義や学会発表に使いまわせるから無駄ではないのだけれど、

やはりパワポとか動画にしても分かり易いビジュアルにこだわるべきだな~って思います。

そして何より簡易化!



研究者としてはどうしても簡単な内容だとつまらなく感じてしまう( ・Д・)


だけど(誰もが知ってるような?)超簡単な内容でいいんですよね。

だってマヤ文明のことなんて、本当はみんなよく知らないんだから!ヽ(TдT)ノ







おわりに

ということで、今日のニュースは、文化庁も頑張ってるんだね~ってお話です。

そして私もブログやYoutubeでなるべく簡易な内容で、堅苦しくない雰囲気でやっていきたいと思いますヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ



何はともあれ、

お盆連勤はしゃーなくとも休憩時間は寄越せ!( ・Д・)



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2024ねん 8がつ 8にち(もくよーび、晴れ)

毎日前進続けてはいるが、、、( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは「鎌倉時代の”謎”の寺院が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は神奈川県、鎌倉市です。



1180年(治承4年)、源頼朝が鎌倉の大倉に屋敷を構えます。

これが「大倉幕府」で1180~1225年の期間に用いられました。

所謂、鎌倉幕府は後に2回御所(政庁)の位置を少しずつ変えています。

それぞれが200~400m程度しか離れていないのでかなりの近距離ですが移動しています。

ちなみに「宇都宮辻子幕府(1225~1236年)」と「若宮大路幕府(1236~1333年)」です。




源頼朝の邸宅は鎌倉市雪ノ下に大倉御所跡としておおよその位置が分かっているのですが、そこから僅か300mの地点で”謎”の寺院跡が発見されました。

「謎」というのは文献史料に明確な記録がないという意味です。




arukemaya_z005


文献にはないけれど、考古学的には確認できる寺院ということなのですが、、、

上に挙げた写真が「かわらけ」です。

平安時代から江戸時代まで使用された素焼きの土器で、通常は小皿のような小型の物ばかりです。



このかわらけは儀礼で多量に使い捨てられる酒器で、今回のケースでは200点以上がまとめて廃棄されている様子が確認されました。

土器などのその他の遺物や出土状況から鎌倉時代から室町時代にかけて存在していた寺院跡と推定されています。





アトランティスのような文献(?)には現れるけど考古学的には確認できない、、、

文献には現れないけれど考古学的には確認できる、、、



皆さんはどっちにより浪漫を感じますか?( ・Д・)



・・・私は運任せのトレジャーハンター的な調査はしたくないのでやっぱり後者かな( -д-)ノ







おわりに

上に挙げた写真は器高30cm程度の壺の底部破片で、「十綱」の墨書が残っている資料です。


当時の日宋貿易の拠点である博多に暮らした宋商人は「綱首」と呼ばれていたそうです。




なので「綱」というサインで、自分の積荷であることを示したそうです。

底部に書くだなんて、壺は横積みだったんでしょうかね?




こうしたサインは拠点である博多では多数確認されていますが、鎌倉で見つかったのは初めてのこと。

大陸の商品がはるばる鎌倉まで流通していたことを裏付ける発見となりました。

いやぁ色んな意味で面白い、レアな発見だな~って思いますね(*・ω・)ノ




何はともあれ、

やぱみんな”謎”の響きが好きだね!(多用しようかな)( ・Д・)



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2024ねん 8がつ 7にち(すいよーび、晴れ)

たくさん食べて飲んで寝た( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは大阪の弥生時代の遺跡から色々見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は大阪府茨木市の郡(こおり)遺跡・倍賀(へか)遺跡です。

この2つの遺跡は隣接しているようで、発掘調査においても調査区に同時に2遺跡が入るように掘られたりしています。



主要な遺跡としては弥生時代の中期から後期、約2200~1900年前の住居&お墓の遺跡なのですが、上層からは平安時代の中期~後期、約1000~800年前のムラも見つかっています。

平安時代の方でも、掘立柱建物群や屋敷、井戸、お墓も出ているので重要な遺跡です。

この辺りは住みやすい地域だったのかも知れませんね。




さて、今回の弥生時代の方の発見では上の写真にあるような鍵穴形の住居が見つかっています。

この他にも通常の竪穴住居が50基見つかっています。

中には焼失住居も含まれるので、室内の遺物の分布状況のデータも取れそうです。




住居も方形周溝墓もたくさん見つかっている郡遺跡・倍賀遺跡ですが、その他にも船を線刻した土器、銅鐸形土製品の破片、用途不明の土製品などレアな発見が続いているそうです。



また木棺墓が13基も見つかっていて、その中の幼児用の小さな墓から青いガラス玉が出土しています。

子供に貴重な副葬品を入れることができるってことは階層化が進んでいそうです。

ちなみにこのガラス玉は茨木市文化財資料館で展示される予定だそうなので見に行きたいですね。



・・・弥生時代中後期か、うん、階層化の研究に使えそうで良き(*・ω・)ノ




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↑出土したガラス玉、綺麗( ・Д・)(「静岡新聞」の記事内画像より転載)




おわりに

いやー最近自分の研究の影響で、海外遺跡にしても今回のような遺跡にしても、

住居址が出てて、副葬品とかで格差の有無が分かるようなとこが結構あって、

データ取りたいな~ってなるんですよね。




なんだかんだ最近飛鳥、奈良、平安あたりのデータを取ってるので、

縄文、弥生、古墳辺りやりたいんだけどな~

研究費獲れたら誰かに任せたい気持ちがあってズルズルと手を付けずにいるんですよね……( ・Д・)



が、やはり人類史面白い!




何はともあれ、

やぱ研究費欲しい!( ・Д・)



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