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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

2025年05月

2025ねん 5がつ 31にち(どよーび、ばちばち雨!)

昨日何もしない日にして完全に休んだのに、やる気でないのなーぜなーぜ?( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




今回の考古学・歴史ニュースはまた専門かよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


*注意:専門なんで口悪くなりまーす( -д-)ノ



いやはや、なんだか新しい遺跡が見つかったそうですよ。

場所はグアテマラ、ペテン県のワシャクトゥン遺跡の北方21kmだってさ。



これ、ぎりぎりティカル国立公園の範囲内に入るのかな?

世界複合遺産なので、、、自然遺産でもあるので広大な領域が鬱蒼としたジャングルのまま残されてるんですよね。




まぁ入っても入らんでも、どうせ行かんからいいかw

国立公園管理事務所の考古学者らが招待してくれるなら行くけど、ワシャクトゥンまではバスで行くとして、

その後どうせ徒歩でしょ?

21kmでしょ?

行きたくない!ヽ(TдT)ノ



考古学者なんてそんなもんよ。

探検家でも冒険家でもないんでね!( ・Д・)







さてさて、とりあえず記事の見出しは3000年前なので、先古典期中期の遺跡ってことになるんですけども、、、

先古典期と言えば、まぁ特に南部では「カエルの石彫」が良く出るけども、、、

上に挙げた角度だとまぁカエル感もあるけれど、破損や風化が激しくて良く分からない。

でも記事だと、『カップル』の彫刻らしく、だから『ロス・アブエロス(おじいちゃんおばあちゃんの意)』って遺跡名を与えたんだとか。



意味分らん( ・Д・)



カップルに見えんし、そもそも何のカップルよ?

そして遺跡名、ありきたりな気がするんだけれども、被ってないよな?

よく被らせるんだよな、わけわからんくなるから遺跡名だぶらせないで欲しい、ガチ目にガチで!(゚皿゚メ)




……冷静になってみると、セット関係として一対の彫刻かは分らんけども、とりままとまって二つ出たからカップルって表現してるのかもねぇ( -д-)ノ



arukemaya_y003



AFPにしてもヤフーとか他の記事にしても、、、

まぁ他の記事は元記事のコピーだから当然かもだけど、

「撮影日不明」って書いてるんだよね。



先にも書いたように、ここはワシャクトゥンから更に21kmもいったところにあって、けっこうどこでも突き進む私ですら行きたくないとこなのね。

ってことは当然記者さんは行ってないわけで、

考古学チームから写真もらってるわけさ。

で、考古学者もわざわざ記事用にスナップ撮ったわけじゃなくて、記録用の写真を提供してるの。

だから写真内にはタブレットが映りこんでるよね。

ここに場所とか日付の情報が入ってるから撮影日不明じゃないのよ!



例えば上に挙げた写真には『11.8.23』って書いてあるので、

2023年8月11日に撮影したものってことになるのさ。


提供を受けたのは2025年の5月末なんだろうけども、二年前の発見ってことになる。

なんでこんなに遅れるかというと、、、



私の発掘調査は必ず単年度ごとに報告書出すし、むしろ発掘終えてから1~2カ月で提出するのさ。

でも一般的には、特に海外勢は(私以外の日本人研究者含め)、全部まとめて一冊の報告書出すのね。

だから何年もかかる。

そしてグアテマラの決まりとして、(ちゃんと埋戻して、時には修復して)『報告書を出さないと公表してはならない』ので、発表がめちゃくちゃ遅れることになるっていう裏事情なんですね~( -д-)ノ








おわりに


さて、今回の記事は「3000年前!」って書いてるので、『古いぞ古いぞ!』アピールを考古学者チーム、あるいは記者が行ったってことになります。

上に挙げた写真も出土遺物のひとつだそうですが、円筒形土器で口縁部にマヤ文字帯があって胴部は絵文書様式(コデックススタイル)になってるので明らかに古典期後期(550-850 CE)の遺物です。

ってことはこのロス・アブエロス遺跡は記事にあるように「先古典期中期の遺跡!」って書くのは正しくなく、

先古典期中期から古典期後期(たぶん古典期終末期まで含めていいと思うので古典期でもいい)の遺跡、時期的には1000 BCE-900/1000 CEに帰属すると表現する方が正しい!(*^・ェ・)ノ




・・・まぁ所詮、他人のテリトリーだしどうでもいいけども、

ってか、私の理論の成長のためには通時的なデータが欲しいから、まぁちゃんと正確に記述して欲しい気もする。

「先古典期の壁画と「独自の運河システム」を持つ高さ33メートルのピラミッドも発見された」って記述も気になるので続報に期待ですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





何はともあれ、

やぱティカルが一番だな!!!( ・Д・)



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2025ねん 5がつ 11にち(にちよーび、晴れ)

休みゼロでも何とかなるもんだね( ・Д・)

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今回の(考古学・歴史)ニュース(?)は管理人、人生のどん底を生きてる!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


あれ、話したっけか・・・

変な”事故”があって、特別研究員の任期切れてから一般就職して、給料は良かったんだけども激務で研究できなかったので1年で辞めたんですよ。

で、ありがたいことに行政発掘調査の仕事を紹介されたんだけれども、行政的には大学在籍時の発掘経験は経験に含まないんだって(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

海外ではプロジェクト指揮してるけど、それだけ頭固いなら、きっと海外経験も除外されるだろうね~ってことで、、、



発掘調査に関わる会社でアルバイトして、東京の基本層序を学ぶことになったのです。

地域も時代も専門外だけれどもまぁ頑張るつもりではあるのだけれども、、、



給与がね、最低賃金なんだよね。

手取りがたぶん3分の1程度になるので、生きてるだけで税金で借金が膨らんで行くのさ!( ・Д・)


で、人生初の「タイミー無双」してるんだけども、がちで休みないのよ・・・

たぶん7月末の給与入るまで週7で働くし、なんなら発掘調査後に週3でアルバイトしないと詰む状態( ・Д・)

それでも借金はなかなか消えないヽ(TдT)ノ



今はまだ発掘調査の仕事始まってないので日払いアルバイトで繋いでるんだけれども、朝から大学図書館行って8時間論文書いたりして過ごして、夕方から11時くらいまでアルバイトして、を繰り返しております・・・

まぁもう3週間経つのでその生活にも慣れてきたけども!!!

むしろ充実感さえ感じる(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



・・・どこかのポスドクとかに採用されるか調査員認定受けるまでこの状態は続きそうです( ・Д・)





ってことで、とりあえず定期報告として表を提示していきますね!




2025年4月末表

表1.2025年4月までの各属性の変化



まぁ論文書いたり、研究助成金の申請書書いたり、就活したりで、時間潰れてるからね~。

しょうがないよね~。



そもそも経済的に余裕ないと研究全くできないもの・・・



それでも会社辞めた選択は正しかったと思っている!(*^・ェ・)ノ

だってこうしてブログ書けてるもんね。




さて、グラフ表示で見てみると、、、




2025年4月末グラフ

図1.2025年4月までの各属性の変化



うーん、ブログはもう記事書くしかないんだよね。

長さによるんだけど、思いっきりサボって、ほぼ記事のコピペにちょいとアクセント加えた程度のものでも1時間かかるんだよね~。

Youtubeに転用するのもいいんだけれど、動画1本作るのに2~3時間はかかるんだよね~。

まぁ下にあげたように新しい試みもあるけれど、とりあえず生活の安定だな~って感じです( -д-)ノ



↑これ、新しく始めたけど、やぱ時間ない!




↑こちらもちゃっかり宣伝。。。今はズブの素人だけど、たくさんやってれば上手になるかな?( ・Д・)




おわりに

上に挙げた新しいYoutube動画は自己の数理研究を紹介するためにつくったものなんですよね。

ただ内容が難しくなると人気出ないから、なるべく簡単にして、短くして、、、

ブログで人気のある記事を間に入れつつ、これまでの考古学講座の内容や遺跡紹介も混ぜていこうと思ってます( -д-)ノ



そういえば東京に帰ってきたのでよみうりカルチャーセンターで市民講座を再開してます。

今期は荻窪センターのみで、来期は北千住センターでも行います。

たぶん来年以降も継続していきます!



クラファンのファン、ご支援者様が増えずに困ってるんだけれども、

講座の参加者が直接お金渡していいですかって言ってきて驚きましたΣ( ̄ロ ̄|||)



カルチャーセンターの生徒さんは年配の方が多いので、ネット経由でカード登録して~とかそういうことは難しいみたいですね。

直接頂くのは気が引けてるんですけど、まぁしゃーないかなとも思ってます。

だって現状、背に腹は代えられない状態なので、、、

頂く研究補助費は余裕が出来た段階で海外送金するしかない!( ・Д・)



今回の記事を見て、かわいそうだなって思う人は是非、新規サポーターになって頂けれたらと思います。

『ティカル、アカデミスト』で検索したら私のクラファンに1発でヒットするはずです。

よろしくお願いしたい!!!!



何はともあれ、


そ、そういえば禁酒できてる!!!( ・Д・)



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2025ねん 5がつ 8にち(もくよーび、晴れ)

眠りが浅い!今度こそ酒やめる!( ・Д・)

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テオとティカル、サムネ

↑専門ど真ん中だぜ!( ・Д・)



今回の考古学・歴史ニュースは「色々ヤバい香りがする!②( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


前回からめちゃくちゃ時間あきましたね、ごめんなさい。

そうこうしている内に、今回話題にしているニュースに続報がありました!

そのことも踏まえて今回は色々と”突っついて”いこうと思います( -д-)ノ



↓前回の記事



↑続報の参考元記事


②とりあえず発見されたものについて説明してみる





新しい記事の方には上に挙げた復元図が載っていました。

中南米のモチーフって似通って見えると思うのでちょっと分からないかも知れませんが、専門家らするとこれは明らかにテオティワカン様式のモチーフです。

そしてタルータブレロ建築の建造物(祭壇と言っている)もテオティワカン様式ですね。

この祭壇(?)の下から2体の人骨が見つかり、更に祭壇(?)周辺からは3体の幼児の人骨が見つかったそうです。



計5体の人骨ですが、これがテオティワカン人のものなのかどうかはDNA分析などが必要になってきますので結果が出るまでには時間がかかりそうです。

マヤ地域は石灰岩台地ですし、更に漆喰を使って床面を形成するし、重層建築だから幾層も床面作るので、人骨は浸食から守られて残存しやすいのです。

なのでマヤ地域における人骨資料は多いです。




ただ昔の探検時代や植民地考古学時代に見つかった資料が多いため、DNA分析できる状態で保管されているかは謎ですね。

他方でテオティワカンの方は後世の盗掘被害が激しく、人骨はほとんど残っていません。

こうした状況下で今回発見された人骨からDNAデータを抽出できたとして、マヤ人かテオティワカン人かを高レベルで判別可能かどうかはちょっと分かりません。



ちなみに378年1月31日にシャフ・カック(テオティワカンの将軍?)がティカルに「到着」し、同日にティカル王朝第14第王チャク・トク・イチャーク1世が「水に入る」(死亡)します。

その後テオティワカン様式の装束で即位するヤシュ・ヌーン・アイーン1世と続くシャフ・チャン・カウィール2世の埋葬遺構だけが殉葬を伴います。

殉葬とは高貴な人が死んだ際に、家来や付き人といった関係者、あるいは生贄として他人?を葬る行為です。

この殉葬はテオティワカンの文化であって、マヤには見られません。

明らかにテオティワカンによって征服されて(どのような社会変化であったのかは詳細不明)テオティワカン文化を受け入れた限られた期間のみティカルに出現するものです。



なので今回の祭壇(?)の周りで3体の幼児の骨が見つかったそうですが、これが殉葬なのかどうかは分からないものの、そのような見方はされているようです。

まぁ一気に三人もの幼児が一斉に死ぬとは考えにくいですからね( -д-)ノ




③で、祭壇なの!?


記事ではずっと祭壇って書いてるんですよね。

私はずっと祭壇(?)って書いてるんですけども、気付きました?



テオティワカンにおいてこうしたタルータブレロ建築様式が見られる建造物のほとんどが建造物基壇です。

なので上部に有機物製の建物があったのだと思われます。

なので大きいです!




他方で確かに小さいものも僅かにですが事例があるんですよね。

ちなみにティカルにもムンド・ペルディード地区に1基あります。

サイズは確かにこんな感じに小さいものですが、、、

儀礼を行う場なので『背が低くて』、『階段が付いてて』上に登れるようになってるんですよね。


それに比べて、今回発見されたこれは背が高過ぎでしょう。

乗れんもん・・・ロイター板欲しいレベルです( -д-)ノ



マヤはステラ-アルター信仰という石碑と祭壇をセットにした建立物が北のアクロポリスを代表として様々な神殿の前で見られます。

でもその場合のアルター、つまり円形祭壇は背が低いですよ。

捧げ物を載せたりするのでしょうから、背が高いと困りますよね。




・・・だから、これほんとに祭壇って言っていいのか私には分かりません。

祭壇の定義を教えてくれ!( ・Д・)

まぁ階段もないし、基壇にするには小さ過ぎるので、考古学者がお得意の『儀礼的な行為に使ったもの』から派生して祭壇って言ってるんだろうな~て気持ちです( -д-)ノ




④てか、壊し過ぎじゃね?

先ほど挙げた写真と比べてみてください。

ぼろぼろですね!( ・Д・)



宝探し大好きだから、祭壇(?)の下も掘って、埋葬遺構見つけたんだから、まぁ多少は仕方ない。

が、、、

こんなに複数の面壊す必要ある???




1面でいいでしょうよ。



あとでも話しますけれど、漆喰の上塗りが薄いんですよね。

その辺、テオティワカンっぽい。

だからこそ保存には気を付けなきゃなのに、、、



たぶん長期調査の中でバリバリに剥げたんだと思います。

祭壇(?)下部のタルー部(斜壁部)は石の積み方がテオティワカン的かどうかとか、古代コンクリの痕跡があるかどうかを見るために一部は漆喰を取らざるを得ないけれど、、、

やっぱ剥げ過ぎやろ!( ・Д・)



……でもまぁもし自分で発見して、且つ、調査期間が長い場合はどうしようか悩みますね。

まぁとりあえず保存科学の人に方法訊いて、発掘に関係ない3面を決めて埋めると思う(*^・ェ・)ノ





④結局、テオティワカンとの関係ってどんな感じなのか?

とりあえず記事に書いてあることを抜き出してコメント付けておきますね。

赤字は私の着目点!


【第1報】

これは、(マヤの)人々がテオティワカン文明に精通していた可能性があることを示す、これまでで最も強力な証拠だ。


⇒「精通していた」って、、、マヤ人がタルー・タブレロ様式の祭壇造って、テオティワカン様式のモチーフ描いたって意味???( ・Д・)


⇒「最も強力な証拠」、まぁ意見は尊重しよう……『統計学が最強の学問』みたいな感じ?( ・Д・)

そういうよく分らん本が出ているのです、読んでないけどw

みなさん、『最強』がお好きなようで( ・Д・)

ほんと、『強い』の定義を教えてくれ!




鮮やかな装飾と不気味な内容物が、当時の複雑な政治情勢を解き明かす手がかりとなる可能性がある。


⇒『複雑』って言えば何とかなるって思うなよ!( ・Д・)




しかし考古学者は、祭壇に装飾を施したのはマヤ人ではないとみている。装飾は、現在のメキシコ市近郊に位置し、当時強大な影響力を及ぼしていたテオティワカンの町で訓練を受けた芸術家によるものと考えられるという。テオティワカンはティカルから約1000キロ離れている。


⇒これは難しい!( -д-)ノ


考古学的に難しい!




一番簡単なのは『ティカル人?(マヤ人でもいいけど)がテキトーに模倣して作った場合』!


これは見た目だけ似てて技術が異なるから!


情報量の少なさなどの条件から、見た目すらもテキトーになることもあるのでイージー!





次は『テオティワカン人が直接やってきて作った場合』!


だって技術同じになるもの!


それでも材料が同じものを揃えられるとは限らないのでやや難しいが、それでも他よりイージー!




で、最悪なのが『マヤ人が現地で学習してきて作った場合』!(ほんとはもっと細かくパターン分けできます)。


遺物だと動かせてしまうからより複雑になるんだけれど、今回は遺構だから動かないのでまだマシです。


だけど、、、はっきり言ってこれらの区別をするのは難しい!





今回はテオティワカン人(少なくとも現地学習した人、人を断定してない辺りがずるっこいがマヤ人ではないと言っている)が造ったらしいですね。


イージーパターン!


私の研究だと、テオティワカンの影響下でティカルには土器工人を含む大規模人口の移動はなかったことになってるんだけど、


まぁテオティワカン人エリートが移住する際にお抱え芸術家が一人付いてきてもおかしくないか( ・Д・)



まぁ写真見た感じだけでも、薄い漆喰に淡い色彩とテオティワカンモチーフだから、テオティワカン人?が施した装飾と考えるのは当然かなと思います。






あとは、、、

テオティワカンの裕福な指導者たちがティカルにやって来て、彼らの本拠地である町にあったであろう祭儀の複製を製造した



⇒まぁ前者はいいとして、『指導者』は気になるけども!


祭壇を造ったのはマヤ人ぽい気がするんですけどね。


建造物自体が小さいから判断が難しいけれども、漆喰が剥がれたところを見た限り、石材の組み方がタルー・タブレロと異なる気がします。


タブレロ部の内部構造がほとんど確認できないけれど、角しか見えないけど、違う気がする!


あと古代セメントの痕跡がない気がする・・・・・


だからティカル人が形だけ聞いて建築したんじゃないかなって気がします。


こればかりは報告書読まないとしっかりと判断できません( -д-)ノ






最後に、


今回の発見は、ただの軽い接触や交易だけではなく、好戦的な勢力が地元の王宮の近くに飛び地を築いていたことと関係していたことを裏付けるものだという。




⇒『飛び地』っ「テオティワカンの影響」に関する研究でよく使うんだけれども、ティカルとか都市自体が橋頭堡的に使われて『飛び地』って解釈するのは理解できるんだけれども、


個別の建造物、住居に対して飛び地っていうのはどうなのかなって思いますね~。


「好戦的」って表現もよくわからない。

何を根拠にそんな解釈してるのかほんとに謎です( ・Д・)









おわりに

長くなったな~、時間もかかったな~ヽ(TдT)ノ


さて、今回はなんだかんだ避けがちなマヤ文明ネタでした。

悪口祭りになるからね( ・Д・)

まぁでもこれだけ専門ど真ん中では避けては通れないでしょう!

今後も続報があればコメント入れていきますね、激辛なのを( -д-)ノ




最近たくさん新たな大きな考古学的発見が相次いでいて、記事にしたら面白そうなんだけど、時間ないんですよね~。

Xには書いてるんですけど、強制最低時給200日連勤チャレンジ中なんですよね。

まぁどのみち、更新速度はばか遅いんですけど、ぼちぼち頑張っていきます!



何はともあれ、

人生、金も時間も大事!( ・Д・)



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