今日はのんびりさ!( -д-)ノ
↓めちゃくちゃ応援して!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ
やぱめちゃお金大事!( ・Д・)
「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙
やぱめちゃお金大事!( ・Д・)
ブルゴーニュ地方、現在のオセールから南へ約3km。19世紀からその存在は知られていたものの本格調査されなかった、ローマ時代の大邸宅「サント=ニタス(Sainte‑Nitasse)」が、ついに完整に姿を現しました。INRAPによる最新発掘で判明した敷地面積はなんと4,000m²以上、パルス・ウルバナ(居住区)と農業区(パルス・ルスティカ)を備えた大規模存在です。
この「館」の中心には450m²規模の中庭があり、その北端には水盤、南側には装飾用噴水が配されていたとか。周囲には回廊が巡り、迎賓室やワークスペース、厨房、そして東側には温浴施設が。床下暖房システム(ハイポコースト)やモザイク片、アプス(ドーム窪み)も確認され、まるで南イタリアの邸宅のような豪奢さだったんです 。
発掘で浮かび上がったのは、1~4世紀にかけての連続使用の軌跡。古くは外壁に営まれた小規模施設から、都市オセール(古名 Autessiodorum)が地方行政の中心へと進展するのに伴い、徐々に拡張されていったと見られています。おそらく2期、3期に分かれた建築フェーズが確認されています。
INRAPはこれを“ガリア最大級のローマ大邸宅”の一つと評価。農業区を併設しながらプライベート浴場や庭園、暖房設備が整っていたことから、政治的・社会的に地位の高い富裕層の所有で、実務も行われる“都市エリートの農園”だったと考えられています。
これぞ“古代ローマのペントハウス”とも言えそうな邸宅…川沿いの静かな砂利畑に、こんな豪奢な居住空間が隠れていたなんて、ロマンが止まりません!450平方メートル級の中庭に噴水、回廊、床暖房にモザイク…住むだけじゃなくて、権威と快適さを兼ね備えたステータスの象徴だったんでしょうね。
しかも政治的な野心と結びついたエリートの“農園”だった。つまり、ここで食べて、会って、政治を語って、眠って…と、生活のすべてが一体化されていたんじゃないかなって思わず想像してしまいます。なんだか発掘自体が1500年以上前の人々の「生活デザイン」をたどるみたいですね。
やぱ世の中、金だな!( ・Д・)
福井市・一乗谷朝倉氏遺跡博物館で、500年前に朝倉氏かその重臣が秘めたとされる“埋蔵金”が、現代なら約2,300万円相当として公開されています。学芸員さんも「中世の越前を感じてほしい」と語るほど、その輝きには当時の権威と生活の濃密な表情が浮かび上がるそうです。
この“埋蔵金”、実は一乗谷では2006年、約11万6,000枚もの銅銭が発見されたことでも知られていて、甕と共に埋められていた貨幣には「景伝」という銘の入った木札が付属していたとのこと。この「景」の字は、朝倉氏一族か有力な重臣しか使わない特別な文字だったそうで、単なる防犯のためだけじゃなく、「一家の誇り」すらそこに刻まれていたんですね…。
木札に残された文字は、まるで“誰に向けて”金を託したのかを示すサイン。朝倉氏の重臣が裏山の土地を見渡せる地に金を埋め、混乱の時代に備え、それを守ろうとした証拠とされています 。単なる埋蔵ではなく、信頼と地政学的戦略が絡み合った行動だったのかも…。
展示では銅銭や甕と一緒に、当時の背景を知る手がかりとして「景傳」という文字入りの木札も公開中。学芸員さんが「この地で繋がっていた中世・越前の生活と心、息遣いをぜひ感じてほしい」とその意図を語る通り、単なる“お金”ではなく、命や絆、決意がそこにあると思えてくるから不思議なんですよね。
埋めるものでなく、預ける・守る・そして「あとに託す」。その行為ひとつで、中世の危機感と共に、“誰のものか”がはっきり伝わってくる。まるで、500年前の土地に刻まれた家族のサインみたい。展示を通じて、その時代の人々と、より深く“対話”できる体験として受け取ってほしいなと感じます。
やぱ全部展示してよ!( ・Д・)
発見地:中国・安徽省潜山市
時代:西漢時代(紀元前2〜1世紀)
墓数:75基
副葬品:ヒスイ、漆器、金属装飾、陶器など300点以上
意義:古代埋葬習俗・階級格差・文化交流の手がかり
最近、安徽省潜山市で大規模な考古調査が実施され、約2,000年前に遡る墓が75基見つかったとの情報が国内外で話題になっています。中にはヒスイ、漆器、金属製装飾など、副葬品が300点以上も出土したそう。贅を尽くした遺物群を見ると、当時の人々の心の奥や社会階層が垣間見えるような気がして、わくわくしちゃいますね。
調査で出てきた副葬品は実に多様!
ヒスイの装飾品:翡翠の光が、当時の富と美意識を物語る
漆塗り容器:高級品として珍重された技術工芸
金属装飾や鏡、ブロンズ製品:豊かさと権威の象徴に
陶器や石製品など、日常と儀礼の狭間をつなぐ品々も
これほど多岐に渡る出土品は、地域や時代の多様な文化交流を映しています。
この一大発見から読み取れる当時の姿とは:
階級による差:墓の規模や豪華さから推測される身分格差
葬送・儀礼文化:副葬品の選定に込められた信仰や死生観
文化交流:墳墓に反映された技術・素材の多様性
まさに、「死を美しく包む文化」の深層が見えてくるよう…。
やぱ格差の人類史いいな!( ・Д・)
オランダ中部、ユトレヒト州近くのリンスホーテン私有地に流れる「コルテ・リンスホーテン川」の浚渫(しゅんせつ)現場で、なんと1000年以上前の中世剣が出土!重機で泥から取り出されたその姿は、まるで時間が止まったかのよう。剣は高さ約90cm、全長3フィート(約90cm)、重さは約0.84kg(1.85ポンド)の小型ダガータイプで、鍔(つか)は約15cm、ポンメルはブラジルナッツ状。1050~1150年にフランク風に鍛造されたもので、装飾にも目を見張る──聖なるシンボルが繊細に銅で象嵌されていたのです。
驚くべきは左右の異なる柄。片面には「Sonnenrad(太陽車輪)」と呼ばれるキリスト教の聖紋、もう片面には「エンドレスノット(無限の結び目)」という北欧ゲルマン系の印と見られる幾何学文──。まさに文化と信仰の狭間に立つ、“二重性”を秘めた象徴の剣。その震えるような美しさと複雑さには、「精神性やステータスの象徴だ」と評価されています。
剣の鞘は見当たらず、刃には傷がないことから、戦闘用ではなく意図的に奉納された可能性が高いと研究者は分析。剣は水辺に捧げる古代ゲルマンやヴァイキングの風習に沿ったもの。戦いの道具ではなく、儀礼の品だったと思われます。粘土質の泥土に閉ざされ守られていたからこそ、鉄は腐食せず、鞘を欠いたまま奇跡的にその形を今に伝えてくれたのです。
↑どの角度でもかっちょいい!( ・Д・)(「VIETNAM.VN」の記事内画像より転載)
発見後はすぐに地域当局と連携し、約10週間におよぶ脱塩処理、洗浄・乾燥・防錆処理を実施。鉄が酸化して崩壊する可能性が高かったため、専門家らが細心の注意で作業を続行したとのこと。「放置していたら、すぐに崩れてしまっていたでしょう」と保守を担当した職人。現在は安定保護コーティングで覆われ、一般公開に耐える状態へと復元されています。
現在、この剣は「ライデン国立考古・民族学博物館(Rijksmuseum van Oudheden)」で展示中。展示期間は8月までで、なんと入場無料ゾーンにて公開されているとのこと。ユトレヒト観光の合間に、ぜひ神秘の工芸品をじっくり味わいたいですね。
まぁ遠いしお金も時間もかかるからキツイけどね!( ・Д・)
やぱ剣いいな!( ・Д・)
黒曜石の加工技術パネェ!( ・Д・)
考古学の世界も資本主義!( ・Д・)
そ、そういえば禁酒おわた!!!( ・Д・)