あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    2025年10月

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    ixim
    ↑久々にゆで&焼きとうきび食べたいぜ!( ・Д・) 


    今日のマヤ語・スペイン語

    🗓️ Day 6:🌽 トウモロコシ — ixim(マヤ語)/maíz(スペイン語)

    マヤ神話では、人間はトウモロコシから生まれました。


    ixim(イシム) は命の素材であり、魂の糧。


    スペイン語の maíz(マイス) も、マヤ語起源の言葉です。





    *トンプソンカタログを利用して描いてたけれど、以前の「カーク(火)」間違えたかも!ごめん!いつかまた描き直す!( ・Д・)


    イシム T528v_a

    ↑札幌人はあの大通公園のバカ高い焼きとうきびは買わないぜ!( ・Д・)






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    2025ねん 10がつ 15にち(すいよーび、くもり)

    日英記事3本ずつ頑張ってるけど最早つらい、これプラス日英Youtubeか!( ・Д・)

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    ↑数理的なイメージ!?( ・Д・)



    今回は「Albert C. Spaulding 『Statistical Techniques for the Discovery of Artifact Types』(1953)の要約と解釈!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ

    *最後にコメントがあるよ!(*^・ェ・)ノ



    📘 スパルディング (1953) “Statistical Techniques for the Discovery of Artifact Types” 要約


    1950年代初頭、アメリカ考古学は記述中心の「文化史的考古学(culture-historical archaeology)」から脱し、定量的手法を導入して「文化変化のメカニズム」を明らかにしようとする転換期にあった。


    アルバート・スパルディング(Albert C. Spaulding)はこの潮流の中心に立ち、遺物を体系的に分類するための統計的アプローチを提案した。本論文は、その代表作であり、「型式学(typology)」における客観的基準を与えた最初期の研究とされる。




    1️⃣ 背景と目的

    当時の考古学では、「型(type)」とは研究者が恣意的に設定する便宜的カテゴリとみなされていた。スパルディングはこれに対し、

    型は実際に過去の人々が意識的に作り出した生産・使用のパターンであり、データ内部の統計的構造として検出できるはずだ


    と主張した。


    したがって彼の目的は「研究者の直観に頼らず、遺物群の中に潜在する自然的クラスターを統計的に発見する」ことであった。これは後のクラスター分析(cluster analysis)や多変量解析の萌芽にあたる。





    2️⃣ 方法論

    スパルディングは、各遺物(例えば土器片)を複数の属性(attributes)に分解し、それらの共起(co-occurrenceパターンを分析した。
    具体的には、

    • 各属性間の出現頻度をクロス表(contingency table)として集計

    • 属性の共起確率を用いてχ²検定により関連性を評価

    • 有意に共起する属性群を遺物型(artifact type)として定義

    という流れを採用している。


    この手法により、スパルディングは「統計的に裏づけられたタイプ分類」という新概念を提示した。






    3️⃣ 主な成果と意義

    スパルディングの分析によって、これまで主観的だった「型」の定義が、データの内部構造に基づく客観的概念として再構成された。


    また、遺物群を属性空間(attribute space)上の点として扱う考え方は、のちの考古学的クラスタリングや多次元尺度法の原点となった。


    この論文は単なる統計応用にとどまらず、「遺物型とは過去社会における行動パターンの反映である」という理論的視点をも導入しており、定量化と行動科学的考古学の橋渡し役を果たした。





    4️⃣ 研究史上の位置づけ

    1950年代後半から1960年代にかけて、スパルディングの手法はBinning(1965)やDunnell(1971)らにより改良され、「形式的型認識(formal typology)」の枠組みへと発展した。


    さらに、スパルディングはRouseやKriegerとともに「タイプ論争(the 'type concept' debate)」を引き起こし、「型は現実に存在するのか、それとも分析的構築物か」という哲学的問題を提示した点でも有名である。


    この論争は、やがてニューアーケオロジー(New Archaeology, 1960s)やプロセス考古学(Processual Archaeology, 1970s)に直結する。すなわち、文化を動的なシステムとしてモデル化する方向へと理論が転換していくきっかけとなった。





    あるけまや的コメント!( ・Д・))


    日本の型式学ないし型式論(これを”学”や”論”と呼んでいいかは賛否ある( -д-)ノ)を基礎としてやってると、ほんとアメリカ考古学の属性分析(クラスター分析)に出会った時は「未知との遭遇」レベルのショッキング感でした。

    日本考古学における型式学的研究法(私はこの表現を好んで使います、私の糞師匠のおかげで( ・Д・))でも属性分析という用語を用いて分析行いますけど意味・内容が全然違いますからね。



    マヤ土器の分析でも、アメリカ考古学の先行研究が基礎ですが、やはり極めて細かな属性に分けて、出現率とその組み合わせで分析していく研究があります。

    マヤ考古学ないしマヤニストやってて、アメリカ考古学への造詣も深めとは思いますが、、、

    今は数理考古学を主軸に置いているものの、やはり土器を専門とする日本の一研究者として、クラスター分析の良さは未だによく分からないですね。

    『私の数理研究も日本考古学者にとっては私のこの気持ちと同じなのかも知れない』なと今回の要約をしていてふと思いました( -д-)ノ



    まぁそんなこんなでですね、今回取り上げたスパルディングの論文はプロセス考古学に繋がっていくので重要な論文です。

    繰り返しになりますが、私の『物質文化マクロ生態学』の根底には「社会進化論・文化進化論」、「社会有機体説」、「プロセス考古学」がありますからね!

    それぞれの流れについてはのんびりと説明していきますが、まずはプロセス考古学からかな!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!








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    2025ねん 10がつ 15にち(げつよーび、晴れ)

    給料上げる上げる詐欺で死ぬ!最低賃金キツイのでほんと何とかしてって言ってみた!( -д-)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースは私の研究に直結しそうなものは『生活系・格差系』として分類してみたぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    まぁもちろん本記事とは関係ないっちゃないんだけど、宣言してみた( -д-)ノ

    ↓↓ ってことで以下が本文! ↓↓


    📰はじめに


    世界中を震撼させる考古ニュース。砂漠と海に挟まれた北シナイの荒野で、かつての王朝時代の城塞が壮麗に姿を現した──その内部からは、王の名を刻んだ容器パン焼き窯、さらには“石化したパン生地”らしき異物まで発掘されたという。時空を超えて語りかけてくる“日常の痕跡”を前に、私たちは古代と地続きにされてしまった感覚に、ときめきを抑えきれない。


    この記事では、最新の発掘成果をできるだけ多角的に紐解き、当時の軍事機構、暮らし、そして王権の痕跡までを、壮麗な物語として描いてみたい。






    🏰 発見の舞台:Tell El-Kharouba、北シナイの要塞跡


    報道によれば、エジプト考古局と関連機関は、北シナイのシェイク・ズウェイド近辺、Tell El-Kharouba(テル・アル=ハルーバまたはテル・エル・カルーバ)域で、新王国時代(紀元前1550年〜1069年頃)の大規模要塞跡を発見したと発表している。



    報道によれば、発掘された遺構は以下のような特徴を持つ:

    • 南壁は 約105メートル にわたって延び、幅2.5メートル前後。

    • 防御塔は少なくとも 11基 発見。

    • 北西壁、西壁など、一部は砂に埋もれていたが露出。

    • 内部には、「75メートルのジグザグ壁(区画分割壁)」があり、北側と南側を分断する構造が確認されている。

    • 敷地面積はおよそ 8,000平方メートル と報じられ、過去に同地で発見された要塞跡の3倍規模との言及も。

    この要塞は古代の “ホルスの道(Way of Horus)” と呼ばれる東方交易・防衛ルート沿いに位置し、古代エジプトが東方国境を守るために設置した軍事ネットワークの一端と考えられている。




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    ↑城壁の下部かな?( ・Д・)(「Heritage Daily」の記事内画像より転載; credit: Ministry of Tourism and Antiquities)


    🔍 発掘された遺物:王名入り容器・パン焼き窯・石化パン?


    要塞構造のみならず、その内部から出土した日用品・食料加工痕跡が、当時の軍営生活をリアルに浮かび上がらせている。以下が主な発見品だ。

    • 王権の印章が刻まれた容器の持ち手
       塔の基礎層(foundation deposit)から、**トトメス1世(Thutmose I)**のカルトゥーシュ(王名)を刻んだ持ち手付き容器が出土。これにより、少なくとも18王朝初期の支配期との繋がりを示す手がかりになる。

    • パン焼き窯(オーブン)および石化した生地片
       兵舎区域近傍で、大型のパン焼き窯跡とともに、“固化したパン生地”と思われる残片も発見。要塞が、まさに食料を内部で自給する構造を備えていたことを示す証拠。

    • 土器・陶片群および基礎堆積物
       将校・兵士の使用した日常陶器断片、貯蔵用陶器、瓦片、基礎層の堆積物が広範に回収されている。これらは要塞の世代変遷、修復履歴確認の手がかりとなる。

    • 輸入火山岩石材
       要塞石構造中に、ギリシャ諸島由来と見られる火山岩が混入していたという報告もあり、貿易・資材移動の広域性を示唆している。

    これらの成果は、城塞は単なる軍事防衛施設であるだけでなく、複雑な供給網と日常機能を備えた“小都市”的性格を持っていた可能性を示す。





    📜 年代・王朝・歴史的文脈


    今回の発見では、新王国時代の要塞であるという見立てを示しており、特に18王朝初期との関連性が強調されている。


    “王名入り容器” は、トトメス1世時代のものであるとする報告が複数伝えられており、これが年代論に重みを与えている。

    さらに、研究者たちはこの要塞が複数期にわたって補修/改造を受けてきた形跡を確認しており、防御門や構造配置が時代によって変化してきた可能性を指摘している。

    この要塞の戦略的重要性は、海洋勢力(海の民=Sea Peoples といった外敵)やリビア勢力の侵入に備えた防衛線の一環と位置づけられる報道もある。

    近年、テル・アル=カルーバ(もうひとつの読み方 Tell El-Kharouba)は過去にも要塞遺構が知られていたが、今回の規模・発掘規模は過去事例を大きく凌ぐものとして注目を浴びている。 




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    ↑何の遺構か分らん!( ・Д・)(「Archaeology Magazine」の記事内画像より転載; credit: Ministry of Tourism and Antiquities)



    🏛 意義と可能性:国境防衛・暮らし・王権の視座から


    この発見がもたらす考古・歴史上のインパクトを、いくつかの観点から整理してみたい。

    🛡 戦略防衛ネットワークの再構築

    この要塞は、古代エジプトの国境防衛構想や軍事結節点を物理的に示す証拠となる可能性が高い。特に東方国境線を守るネットワーク要塞群(Tell Habwa、Tell el-Borg、Tell el-Abyad など)との関係性を照らし合わせることで、古代国家の情報統制・軍事動員能力を可視化できるかもしれない。

    🍞 生活基盤と自己完結性の証拠

    パン焼き窯や石化生地の存在は、要塞が単なる”拠点”でなく兵士たちの“暮らし場”であった証左だ。食料調達・加工機能が内部に備わっていたことは、補給線の遮断に対する耐性を備えた設計だった可能性を示唆する。

    👑 王権と祭祀の痕跡

    王名入り容器の発見は、支配者や王家との直接的接点を示す遺物であり、国家支配・聖性演出機能を持つ施設であった可能性を示唆する。また、基礎層に埋納された“foundation deposit”(建造開始時に祈願的に埋められる供物)という性格を持つ層から出土している点から、要塞建造当初からの王権関与を示す可能性もある。

    🔄 補修・変遷から見る歴史の流れ

    複数期にわたる改造・修復の痕跡は、この地域がただ一時的な緩衝地帯というだけでなく、長期的に利用され、変化する時代潮流を取り込んできた場所であったことを示す。戦術変化、技術更新、国家再編などの変動を映す鏡ともなりうる。

    🧭 他地域・他時代の比較研究への道

    この種の要塞発掘は、エジプト以外の古代王国(メソポタミア、ヒッタイト、アナトリア等)の国境要塞と比較して、防衛設計思想や補給ネットワークの差異を浮かび上がらせる研究テーマになり得る。




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    ↑これが容器の取っ手、王様の名前が刻まれているらしい!( ・Д・)(「Archaeology Magazine」の記事内画像より転載; credit: Ministry of Tourism and Antiquities)



    おわりに

    ん~、パン焼き窯見つかったって言うから期待してたのに、写真な~い!

    カラーの報告書とか出るんだろうか・・・



    『固化したパン生地』なんて凄い興味あるのに~。

    『まだ食べれるよシリーズ』に使えるのに~ヽ(TдT)ノ



    国内外記事ともに探したけど写真が見当たらない……

    やはり私の興味と世間一般の興味は異なるのか( -д-)ノ




    何はともあれ、

    やぱ食べ物いいな!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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    otoch
    ↑ちょっといい現代マヤ人の家のイメージ、木材壁の場合や木材を骨組みにした土壁の家も今でも多い。 


    今日のマヤ語・スペイン語

    🗓️ Day 5:🏠 家 — otoch(マヤ語)/casa(スペイン語)

    「otoch(オトチ)」は家そのもの、そして家族や祖先とのつながりをも表す言葉。


    マヤでは家は「聖なる空間」でした。


    スペイン語の casa(カサ) も同じく、帰る場所の象徴。





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    ↑重層建築で床下に先祖が眠るから家は神聖な場所なのさ!( ・Д・)






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    2025ねん 10がつ 13にち(げつよーび、くもり)

    トイレなんま近い!私の脳みそはノンアルビールに騙されている!( ・Д・)

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    normal
    ↑数理的なイメージ!?( ・Д・)



    今回はJan Czekanowski の『Objective Kriterien in der Ethnologie』1911)の要約と解釈!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ

    *最後にコメントがあるよ!(*^・ェ・)ノ



    Jan Czekanowski の経歴的背景と方法論的立場

    Jan Czekanowski(1882-1965)は、ポーランドの人類学者・統計学者・民族誌家・言語学者でもあり、「ポーランド人類学の学校(Lvov School)」の中心的人物であった。若い頃から数学や自然科学にも精通しており、Zurichなどで教育を受けている。


    彼の業績の特徴としては、民族誌や人類の形質測定だけでなく、統計的手法(相関係数、記述統計、多重回帰など)を人類学に導入・普及させようとしたこと、および分類(taxonomy)・クラスタリング(種々の類似性/距離尺度を用いて個体や集団を比較・分類する)を明示的に方法論として用いた点である。


    彼の主要著作の一つが Zarys metod statystycznych w zastosowaniu do antropologii (“An outline of statistical methods applied in anthropology”, 1913) であり、これはポーランド語で、当時の人類学者・民族学者・生物学者のあいだに「統計的・数量的手法」を紹介し普及させた書である。


     “Objective Kriterien in der Ethnologie” はその前の段階にあって、「民族誌/人類学の比較・分類における客観的基準 (objective criteria)” を論じた論文である。



    “Objective Kriterien in der Ethnologie” に関する要約(伝記・二次資料から引き出せる内容)

    以下は、“Objective Kriterien in der Ethnologie” の原典を直接読めない中で、Czekanowski の伝記・方法論に関する資料から「この論文で扱われたと思われる内容」を整理したもの。


    1. 主題と目的

    • この論文は、「民族学/人類学(Ethnologie)」の中で、比較・分類をする際の基準をできる限り客観的に設けることを目的とする。つまり、ただ経験的に似ている・異なると感じるだけでなく、統計・測定に基づいた客観的指標を導入しようとする試みである。

    • 比較される対象(集団・形質・文化要素など)の定義、測定可能性、類似性と相違性をどう定量化するかといった問題が主要な議論となる。これには、形質(身体形態や頭蓋、比率など)、言語/音韻的特徴、物質文化、社会制度などが含まれた可能性が高いが、資料からは特に形質・形態測定と集団分類の文脈で論じられたことが示唆されている。

    2. 方法論的要素

    • 記述統計 (descriptive statistics):平均値、分散、比率、比・比率変換などを用いて、異なる集団間/形質間の差を記述する。

    • 相関係数 (correlation coefficient) の利用:複数の形質/指標を持つ集団間で、どの指標が互いにどう関係するかを調べる。

    • 多重回帰 (multiple regression):複数の説明変数を使って、形質や分類上の変動を説明する試み。これは後の数量的比較・クラスタリングにもつながる。

    • 分類・タクソノミー的技法 (taxonomical / diagraphic methods):集団どうしの類似性・距離を測る指標を定めて、それに応じて分類木 (dendrogram) 的な構造またはクラスタリング的な構図を求める。たとえば、複数の形質の差異を計算し、それぞれの集団がどの程度似ているかを“距離”として表現する技術。

    • Czekanowski binary index(チェカノフスキ二値類似指数):2つの標本(集団またはサンプル)の間で類似性を測る指数。要するに、「共通して持つ特徴」の数と「異なる特徴」の数を比率化するなどの方法。これは、その後言語比較、生態学的コミュニティ比較など多分野で応用されている。

    3. 結果・意義の方向性

    “Objective Kriterien in der Ethnologie” を含む彼の初期の仕事は、比較人類学・民族学において以下のような方向を切り開いた:

    • 比較・分類を行う際、「主観的印象や歴史仮説」のみに頼るのではなく、測定可能な形質・データを用いた「客観性」の強化。

    • 異なる集団・文化・言語間の「類似度/距離」を数量的に評価することで、後のクラスタリング・分類樹 (taxonomy)・距離尺度 (distance metrics) の方法論への布石となる。

    • 特に東欧・ポーランドの人類学/民族学界において、「生物測定 (biometrics)」「個体間/集団間の統計的差異/相関」の議論を学問の標準として持ち込む役割を果たした。

    • また、形質測定など自然科学的技術の手法を用いることで、民族学/人類学の“科学性”を高めようとする信念が現れている。



    総括:Czekanowski の初期クラスタリング発想の位置づけ

    “Objective Kriterien in der Ethnologie” は、Czekanowski の後続の仕事(たとえば 1913 年の『Zarys metod statystycznych w zastosowaniu do antropologii』など)への橋渡し的著作であり、比較・分類の客観基準をいかに定めるかという方法論上の問いを早期に提唱したものである。この発想は、後に

    • 類似度・距離尺度を定義する手法(共通部分・相違部分の比率化など)

    • データの標本化・測定方法の標準化

    • 分類木/クラスタリングの構造を想定する思考

    を含む数理・統計的分類技術の発展とつながる。

    ただ、モーガン/ボアズなどと比べると、モーガンは文化進化スケールの普遍モデルを提示する壮大さがあり、ボアズは比較法の前提を批判する方法論的慎重さがあるのに対し、チェカノフスキの場合は「分類技術そのものを精緻化すること」に重心がある

    文化的内容や進化仮定よりは、「どのデータをどのように比較するか」「類似をどう測るか」という手続き的、形式的な側面を先に整備しようとした点が特徴である。






    あるけまや的コメント!( ・Д・))


    1911年の論文には当たれませんでした!やぱ今の仕事してると毎日一本記事紹介してる中で図書館行けないのよね( -д-)ノ

    まぁ後続の論文と、チェカノフスキを引用・評価している他の論稿の記述から大体は推測できたけどね。



    論文の中で研究史概観してても、やはり1960年代以降のプロセス考古学から始めるし、社会進化論・文化進化論・社会有機体説を除けばここまで古い論文は使ってこなかったんでよね。

    私の中で本格的に統計学手法を扱ったのはオルトン・クリーブの「数理考古学入門」(1980)なんですよ。



    でも今回の記事のために調べていて、1911年段階で人類学者・民族学者・生物学者のあいだに「統計的・数量的手法」を紹介し普及させた書があったなんて驚きです。

    アメリカだと考古学が人類学の仲間なんで境目が難しいところではありますが、考古学において数理的手法導入の最初の事例はいつのだれなんだろうとちょっと興味が湧いてきました・・・



    まぁさすがに毎日1本記事書いてると、今後も新しく読む論文も増えていくはずです。

    私も皆さんと一緒に勉強していきたいなと思います。



    あとですね、一応この機会に論文のPDFデータも集めていますので、Xとかで連絡頂ければデータ送ります(*・ω・)ノ









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    2025ねん 10がつ 14にち(かよーび、くもり)

    また一週間が始まるぜ~!( -д-)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースは「ワシが巣作りのためにサンダル持ち去ったみたい!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに


    ──自然と時を超える鳥の“タイムカプセル”──


    スペイン南部の断崖にある洞窟、そこには“巣”をめぐる常識を一変させる発見が隠されていました。ヒゲワシ(bearded vulture, 学名 Gypaetus barbatus)の古い巣から、なんと中世(13世紀~14世紀)と見られる草製のサンダルや革片、道具片などが多数見つかったというのです。


    自然の湿度・温度条件がこの遺物たちを何世紀にもわたって保護していた可能性があり、鳥の営みが “人間文化の記録庫” として機能していたことを示唆する驚きの研究成果となりました。


    以下では、発見の概要、意味、今後の展望をじっくり紐解いていきます。






    🪺 発見の舞台:ヒゲワシの巣とその場所

    スペイン南部、アンダルシア地方の山岳地帯には、断崖に刻まれた洞窟が点在しています。ここは、かつてヒゲワシが営巣場所として使っていたとされる場所。


    研究者たちは、2008〜2014年の期間に12個のこうした古巣を調査。これらの巣は、複数世代にわたって使い回されてきた可能性があり、岩場や洞窟内部の温度・湿度が比較的安定していたため、通常なら朽ちてしまう有機素材が良好な状態で残されていたのです。


    巣は主に骨片、獣の骨・蹄、卵殻、羽毛、枝、草などから構成されており、その混合物の中に“人為的なもの”が紛れ込んでいました。


    ヒゲワシがすでにこの地域から絶滅している(もしくは大幅に個体数が減少している)状況下で、これらの巣はまさに“遺された記録”となっていました。




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    ↑巣のイメージ!( ・Д・)(「GOOD NEWS NETWORK」の記事内画像より転載;Credit: Lucía Agudo Pérez, CC By 4.0)



    👣 見つかったもの:サンダルからクロスボウの矢まで

    調査の結果、発見された遺物は200点を超えると言われています。中でも注目されたのが、草(エスパルト / esparto)で編まれたサンダル、革片、衣料片、道具片、武器片といった人為的遺物でした。

    • 草製サンダル(“agobía” とも呼称される)
      放射性炭素年代測定により、推定で750年ほど前のものと判定され、その同じ巣から羊革の断片(おそらく赤色顔料が描かれていた)も見つかりました。

    • 革素材(羊皮など)
      いくつかの革片が発見され、そのうちの一部には顔料(赤・赭色)が塗られていた痕跡も報じられています。

    • 衣料片・布片
      布地と思われる繊維小片が129点ほど見つかり、時代も中世から近世にわたるとされています。

    • 武器・道具片
      クロスボウの矢(bolt)やスリング(投石器)、草のロープ、編んだ籠片、馬具などの構成要素と見られる木・金属・繊維素材も報告されています。

    特筆すべき点は、これら遺物の保存状態が、普通の考古現場では期待しにくいほど良好だったということ。洞窟中の乾燥と遮蔽、安定した気候変化の少なさが、有機素材を腐敗から守ったと考えられています。






    ⏳ 年代と意味:13世紀以前? 中世?

    発見されたサンダルはおよそ13世紀と見られており 、約750年前”のエスパルト靴が報告されています。
    またこの遺物の同定から推測される年代を基礎に研究者たちが科学的手法で年代測定を続けています。


    この発見が与えるインパクトは大きく、もしより古い層や未分析の層が見つかれば、時代をさかのぼる証拠が将来的に出てくる可能性は否定できません。


    発見の意味を以下で整理してみましょう。


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    ↑これヒゲワシ?( ・Д・)(「VOI」の記事内画像より転載)

    🔍 これが意味すること:鳥・自然・人間の接点

    🦴 自然が「歴史記録庫」として機能する可能性

    ヒゲワシの営巣行為は、骨や枝だけでなく、偶発的に人為物を取り込むことがあることが見えてきました。このため、こうした巣は「生きたタイムカプセル」になっている可能性があります。研究者たちはこの観点から、“自然史と人文史の交差点” として巣構造を分析する価値を強調しています。


    🧩 新たな研究対象:未利用の考古資源

    通常の遺跡発掘では、洞窟住居跡や墳墓、街道沿い集落などが対象になりますが、鳥の巣という視点はあまり使われてきませんでした。この発見により、動物の営巣場所という“非意図的な収蔵空間”が、新たな考古学調査対象になる可能性が開かれたのです。

    🧬 生態・環境変化の解析

    巣から取り出された骨片、卵殻、羽根、植物片などは、過去の生態系や気候変動、食物連鎖の変遷を読み解く手がかりになります。特に、鳥の餌動物構成や植生の変化、環境ストレス(農薬成分などの痕跡)を年代別に追えば、現代との比較も可能になるでしょう。


    🐦 鳥類保全にもつながる知見

    ヒゲワシは環境変化や人間活動の影響を強く受けやすい鳥です。こうした巣の遺物分析を通じ、過去の環境ストレスや餌資源変動、毒性物質の浸透の履歴を知ることは、将来の保全戦略にとって貴重な資料になり得ます。






    🔮 今後の展望と課題

    この発見は“始まり”にすぎません。研究者たちは以下のような課題と展望を見据えています:

    1. 層位別分析(ストラティグラフィー)
       各巣層を年代別に分け、いつどの時代の素材が混入したかを明らかにする手法が鍵となります。

    2. さらなる年代測定と比較研究
       既存の遺物以外にも、多くの未分析素材が残されています。また、他地域・他種鳥の巣でも同様の調査を行うことで、発見の“普遍性”を問いたいという意図があります。

    3. 有機素材・顔料分析
       革素材、布、植物繊維、顔料などの化学分析(たとえば同位体分析、顔料分析、生体分子残存解析など)によって、素材の原産地や加工法、時代背景が浮かび上がる可能性があります。

    4. 生態・環境データとの融合
       骨片データや植物片データを気候変動史、生態系変動データと組み合わせて、過去〜現代の山岳生態系変遷を描く研究へと発展させたい動きがあります。

    5. 保存・公開の課題
       洞窟環境変化や観光開発、気候変動リスクなど、巣そのものが損なわれる可能性もあり、現場保存とデータ公開のバランスをどう取るかが課題となるでしょう。






    おわりに

    アメリカでゴミの埋め立て地も考古学調査の対象になってる話を聞いたけれど、今後は鳥の巣も対象になるかも知れないんだね。

    鳥にはいい迷惑か( ・Д・)



    まぁ元々は鳥の動物保護のために調査してたら考古遺物を発見したって経緯のようだから、生物学者と共に上手いことやってくんだろうなって思います。

    日本でもカラスって光るもの持ってっちゃうけれど、放棄されたカラスの巣を調査したら面白いかもね。



    私の考古学調査の対象も現代社会にまで広がっているわけだから、やはり考古学の対象は物質文化全体だな~って気がします。

    まぁ理論系じゃなければ、、、特に日本考古学者は狭い専門範囲を頑張って守ってるか( ・Д・)



    何はともあれ、

    やぱ鳥も可愛いな!( ・Д・)



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    kaak
    ↑現代マヤ人の儀礼の火


    今日のマヤ語・スペイン語

    🗓️ Day 4:🔥 火 — kʼaakʼ(マヤ語)/fuego(スペイン語)

    マヤ語の kʼaakʼ(カーク) は、燃える音を思わせる語感。


    儀式で神に供物を捧げる「浄化の炎」を表します。


    スペイン語の fuego(フエゴ) も情熱的。どちらも力強く、生命をゆり動かす火の言葉です。






    カーク T528_a

    ↑2014年・・・ティカルで盛大に儀礼を行っていたのを思い出す!( ・Д・)






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    2025ねん 10がつ 13にち(げつよーび、晴れ)

    あ~とりあえず3か月耐久頑張るや~!( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





    今回の考古学・歴史ニュースはかつてモアイは歩いたんだぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに


    陽炎の向こう、石像が砂の上をゆらりと進む様を想像したことはあるだろうか?島を囲む波濤の音、鳥の鳴き声、そして大地を刻む足音――そんな神話のような現象が、今、科学の語彙で「あり得る」と語られている。イースター島のモアイ像が、実際に“歩いて移動した”という仮説が、最新研究によって大きく支持され始めたのだ。


    この記事では、その研究の背景、具体的な実験・モデル、それが意味すること、反論と可能性の間の駆け引きを、あるけまや風に時空を渡りながらご案内したい。読み終えたとき、あなたは石像が囁く声を、耳にできるかもしれない。





    🏔 モアイ像移動の謎:なぜ“歩く”説が注目されたのか

    長年、学界・民間を問わず、モアイ像の移動方法は謎として語られてきた。重量数トンの石像を、森林資源の乏しい島で、どうやってクレーンも滑車も使わずに建てられたか?かつては「木材スレッドで運んだ」「ローラー方式」「丸太転がし」説などが提起された。


    だが、今回の研究では、モアイ像は起立状態のまま“前傾→横揺れ動作”を用いたロープ牽引で移動可能であると示され、従来説に対して新たな視座を提供している。


    なぜこの説が支持を集めているかというと、次のような要素が整っているからだ。

    • 多くのモアイ像で前傾角が観察されること

    • 像の底部形状(D 字型ベース)が揺動を可能にする形状である可能性

    • 島内の道路形状(幅・凹面構造)がこの移動方式に適応していた可能性



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    ↑本記事の補足動画!( ・Д・)(「Science Daily」の記事内動画より転載; credit: Carl Lipo)



    🧪 実験とシミュレーション:歩行モアイを再現せよ

    仮説だけでは終わらない。研究者たちは現地実験とシミュレーションを組み合わせ、歩行説を実証すべく動いた。

    • 実寸モデル実験
      モアイを模した 4.35トンのレプリカを制作。18名ほどがロープを使い、左右から交互に引きつつ揺動させ、100メートルを 40分で移動させることに成功。

    • 3Dモデリング・物理解析
      1,000体近くのモアイをスキャン・形状解析。前傾率・ベース湾曲性・重心位置などを測定し、揺動時のモーメントや摩擦特性を物理モデルへ落とし込んだ。これらは歩行仮説の整合性を技術的に支えるものとなった。

    • 道路構造との整合性検証
      島のモアイ置設道路は幅 4~5 m、中央がやや低く両端が高めとなる“凹形断面”を持つものが多く、この構造が像を揺すりながら安定して進ませる設計と考えられるという分析もなされた。

    これらを総合して、研究チームは「歩行モアイ仮説:考古学的証拠、実験的妥当性、批判への応答」と題する論文を Journal of Archaeological Science に発表し、反対論や旧説への反論を丁寧に積んでいっている。






    🚶‍♂️ “歩く”モアイ像—その動きと力学の美学

    歩くモアイとは、ただ揺れる石像というだけではない。その動きの背景には、幾何学と力学、そして設計意図が潜む。

    • 前傾角 5〜15° が、揺動時に像の先端が地に接触・離脱を自然に繰り返しやすくする。

    • 湾曲する底辺形状 により、揺動の軸を滑らかに変化させながら“ステップ”動作を誘導。

    • 摩擦と抵抗の最適化:揺動動作は垂直荷重変化を生み出し、摩擦力が変動する中で前進力を確保する設計。

    また、実験中には、牽引者が “一側から引き → 揺らし → 他側から引き” というリズム制御を行っており、非常に協調性とタイミングの精度を要したことが報じられている。


    この動きは、まさに「巨大な人形が1歩ずつ歩むような石像の舞踏」とでも言えるし、そのリズム性にこそ、この仮説のロマンがある。




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    ↑モアイの傾き!( ・Д・)(「ars technica」の記事内動画より転載; credit: Carl Lipo



    🗺 古道と像設置場所から読み解く移動ルート

    研究チームは、モアイ像の故郷である Rano Raraku 採石場から各 ahu(モアイ設置基壇)への経路を、歩行仮説と地形条件、像の破損傾向、道幅・勾配特性と照らし合わせて検討した。

    • 経路選択と密度の減衰
      未完成像・破損像が採石場近傍に多く残る点が、移動失敗や途中放棄を示す証拠になり得るとされる。仮に歩行方式での移動が難しい区間では、像は放置または中断されたと考えられる。

    • 直線 vs 曲線経路論争
      歩行方式では、小刻みにジグザグ進む必要があるため曲線軌道を取る可能性があり、実際、島にはいくつかの曲がりくねる道跡も知られている。

    • 傾斜・坂道区間の考察
      坂を上る・下る場面で揺動方式がどう制御されるかは依然議論の対象。一定の傾斜制限が、最大移動可能像重量を制約するかもしれないという指摘もある。

    これらの分析を統合することで、研究陣は複数の“最適ルート仮説”を提示しており、従来の線型説・ローラー説との対比を明示している。




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    ↑どうやって歩くかの図!( ・Д・)(「ars technica」の記事内画像より転載; credit: Carl Lipo)


    ❓ 懸念・反論と展望:すべてが解決されたわけではない

    歩行モアイ仮説は確かに魅力的だが、学界には慎重な視点も多く存在する。その主な懸念点と今後の展望を見ておこう。

    ⚠️ 反論・懸念点

    • 揺動運動が像底部を損傷するリスク:模型実験では底面剥離・摩耗が観察されたとの報告もある。

    • 大型モアイ(20トン超級)では揺動起動力が十分かどうか疑問視する声。実験体は中型像だったため、スケール拡張性に対する疑義あり。

    • すべてのモアイ像が歩行様式で運ばれたとは限らず、地域や時期で複数方式併用だった可能性。

    🌱 今後の展望・検証ポイント

    • 大型像モデル実験:25トン級以上のレプリカで同方式を試し、挙動限界を探る試み。

    • 摩耗痕・破片分析:実際のモアイ像底面に揺動痕・摩耗・刃跡など揺動証拠を探す。

    • 道筋比較と GIS モデリング:島全体の地形データとモアイ設置地点の空間解析を通じ、歩行仮説ルートの妥当性を空間的に強める方法。

    • 考古口承と民族記憶の参照:ラパヌイの口碑伝承には、モアイが“歩いた”と語る表現もあり、それと物理仮説を対話的に照らす研究。

    歩行モアイ仮説は、石像の静的な重さを動的な芸術技法へ変換したアイデアだ。過去を物理的に解く鍵として、これからの論争・発掘・検証がワクワクを誘う。





    ↓過去記事だよ!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ






    おわりに


    なんか何年も前に「モアイを歩かせる実験」やってたと思うんだよね。

    まだ続いてて、内容が繊細になってきてるな~と感動を覚えました!



    金獲るのだけ上手な研究室がふざけた実験考古学に莫大なお金使ってるケースが国内外で多々見られるから、その内の一つかと思って、かつては記事にすらしなかったのかと思う( -д-)ノ


    ちゃんと継続的にやってて、実験だけではなく様々な研究手法を織り交ぜてて、素晴らしいなと思います。

    以前は日本の某大学や、某研究機関と同類分類してごめんね(* ̄∇ ̄*)エヘヘ





    何はともあれ、

    やぱモアイ可愛いな!( ・Д・)



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    2025ねん 10がつ 13にち(げつよーび、くもり)

    トイレなんま近い!私の脳みそはノンアルビールに騙されている!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑数理的なイメージ!?( ・Д・)



    今回は🏛️Lewis Morganの『古代社会』1877)の要約と解釈!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ

    *最後にコメントがあるよ!(*^・ェ・)ノ



    ルイス・モーガンの『古代社会』は、19世紀人類学の転換点を画した著作であり、人類文化を普遍的な発展段階として体系化した最初期の理論的試みである。彼は、民族誌・歴史資料・技術的遺物の観察をもとに、人間社会が「未開(Savagery)」「野蛮(Barbarism)」「文明(Civilization)」という三つの主要段階を順に経て発展してきたとする、いわゆる単線的進化論(unilinear evolutionism)の枠組みを提示した。



    Ⅰ. 段階的進化の枠組み

    モーガンは「人間の進歩は技術的発明・社会制度・知的発展の三者が相互に影響しながら進行する」という仮説を置く。各時代の文化的水準は、主として生活技術と社会組織の発展段階によって特徴づけられるとされ、彼はこれをさらに細分化して七つの段階に区分した。

    • 未開(Savagery)

      • 下位段階: 火の使用と魚食の獲得

      • 中位段階: 弓矢の発明と狩猟社会の成立

      • 上位段階: 土器の製作による調理技術の発展

    • 野蛮(Barbarism)

      • 下位段階: 家畜化・農耕の開始

      • 中位段階: 鉄器の使用・定住的村落社会

      • 上位段階: 都市的共同体の萌芽、文字以前の記録法

    • 文明(Civilization)

      • 文字の発明による歴史記録の開始、国家・法・財産制度の確立

    この体系は、道具や技術の進歩を文化進化の指標とみなす点に特徴があり、物質文化の分析を通じて社会構造を理解しようとする後の考古学的手法に強い影響を与えた。



    Ⅱ. 技術と知性の発展

    モーガンは、文化の発展を推進する最も根本的な要因を「発明と発見(inventions and discoveries)」に見いだした。人間の知的能力は、環境に対する実践的適応を通じて累積的に拡大していくと考えられ、物質技術の進化が社会制度や家族形態、政治的組織の発展を導くとした。


    たとえば、火の使用・陶器の発明・冶金技術の導入といった各段階的成果は、人間社会の「知性(intelligence)」の成長の証であり、同時にその社会の「進化的位相」を測る尺度でもあるとされた。



    Ⅲ. 社会制度の進化

    『古代社会』のもう一つの柱は、親族制度と社会組織の進化に関する考察である。モーガンは、イロコイ族の調査を通じて得た知見をもとに、家族制度が「血縁中心の群婚的段階」から「家父長制」「一夫一婦制」へと進化していくと主張した。この過程を、彼は人類全体に共通する「自然的法則」とみなし、家族形態と社会構造の発展を相関的に論じた。


    すなわち、政治的組織は血縁集団の分化と再統合によって生じ、最終的に国家(state)の成立に至るという歴史的連続性(gens → tribe → confederacy → state)を描いている。



    Ⅳ. 歴史観と人間中心主義

    モーガンの思想の背景には、当時の科学的進歩主義と啓蒙主義的世界観が色濃く存在する。彼にとって「進歩(progress)」は不可逆的かつ普遍的な法則であり、人類すべてが同じ道筋をたどって文明へと到達するという確信があった。この見方は、後に文化相対主義者たちによって批判されることになるが、当時としては比較的「科学的な歴史法則」を模索する試みであった。



    Ⅴ. 理論的意義

    『古代社会』は、文化を比較し、その発展段階を体系化しようとした最初の包括的モデルである。とりわけ、

    • 技術的指標による文化段階の定量的分類、

    • 親族構造と社会組織の相関的進化モデル、

    • 「進化=普遍法則」という認識論的前提
      といった点で、のちの考古学・社会進化論・文化人類学の枠組みを決定づけた。

    モーガンの理論は後代の研究者によって批判・修正を受けつつも、社会を「系統的に分類・比較する」という発想を定着させた。その意味で、『古代社会』は19世紀における「文化を科学的に扱う」最初の壮大な試みであり、文化進化論の古典として現在も重要な位置を占めている。






    あるけまや的コメント!( ・Д・))

    本当は最初に紹介いした時系列的にさささっととりあえず数理考古学史の流れを抑えちゃおうと思ってましたけども、やぱ内容が難しいかなと思って、のんびりいく作戦に変更しましたヾ(´ω`=´ω`)ノ



    さて、今回はモーガンを取り上げましたが、本当はダーウィンの「種の起源」(1859)の影響を受けて、社会学の祖のひとりであるオーギュスト・コントと文化進化論の祖であるハーバード・スペンサーによって「進化」や「社会進化」という用語が生み出され、人類史における社会発展を生物進化になぞらえるところから始まってるんですよね。



    (*これが社会有機体説のスタートでもあります。物質文化マクロ生態学の成立の過程には『文化進化論』と『社会有機体説』の研究史が関係してきますので学習必須です!後者には物理学の発展に伴い、生物学において生物をどのように捉えるかという研究史も関係してきますがそこはあっさりでいいです、たぶん(*^・ェ・)ノ)



    次の段階として、モーガンのように社会発展 / 社会の複雑化 / 社会進化を段階的に捉えるようになるんです。

    なのでモーガンもそうした研究史の潮流の中で『古代社会』を書いたわけですが、影響力が強過ぎて、白人至上主義からの人種差別やら、今で言う先住民、当時の”原住民”や発展途上国の人々への抑圧の正当化に繋がって、一部悪役みたいになってますがちょっとかわいそうですね( -д-)ノ



    ででで、前回のボアズが批判していたのはモーガンに始まるような、検証が弱いというか、自己のフィールドワークで得た社会発展に関する知見をそのまま人類普遍の法則にしてしまうような単系社会進化論のことなのです。

    ボアズは直接モーガンを批判していませんが、まぁ恐らく矛先のひとつはモーガンでしょう。




    後世に批判されまくって完全否定喰らったモーガンですが、彼によって始まった『段階的な社会発展観』は実際には現在にまでずーっと続くんですよ。

    考古学的にはそっちの方が楽なんですよね。

    具体的な特定の「モノ」の出現・消失で時期を区分したがるのが考古学者なので( ・Д・)




    他方でボアズの「個別記述主義」は現在も世界中で支配的です。

    現在の考古学や境界分野では、『法則定立的研究 VS. 個別記述研究』が起きていると言えます。



    もちろん法則定立的研究チームの方が激弱状態ですがヽ(TдT)ノ



    さて、ボアズの述べた多系進化の道筋も、結局は段階的発展史のバリエーションを増やしただけに過ぎないんじゃないかと私は思っているし、そのバリエーションを可能な限り細分化したのが個別記述主義であって、反対にできる限り統合したものが法則定立的研究だと思ってます。だから要は対する二者は二項対立的な存在ではないし、系の数によって段階的に分類する存在でもなく、『濃度』のようなものだと私は思います。

    別の例えをするならば、研究史の中で両者の対立に見られる”一時的な優劣”は振り子のようだと思う。そうした中、振り子のように揺れる先の片側の頂点(法則定立的研究)、つまりシンプルモデルを構築してから、逆側の頂点(個別記述主義)まで複雑さを少しずつ攻略していきたい!というのが私の立場です(*・ω・)ノ


    またその内出てきますけれど、法則定立的研究志向は一時期隆盛を誇って、また下火になって、現在再度ぼぼぼっと燃焼中な感じです。

    私の研究もそんな学界に対して火に油を注ぎたいものです、いろんな意味で!( ・Д・)









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    ↑世界一美しい湖、グアテマラのアティトラン湖


    今日のマヤ語・スペイン語

    🗓️ Day 3:💧 水 — háʼ(マヤ語)/agua(スペイン語)

    「háʼ(ハー)」は命の始まりを示す語。


    マヤでは聖なる泉セノーテが神々との通路とされ、祈りや供物の場所となりました。


    スペイン語では agua(アグア)。どちらも生命の原点を感じる言葉です。







    ハー T679b_a

    ↑ハーと言えば、ヤシュ・ハ遺跡を思い浮かべる!( ・Д・)






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