あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    2025年11月

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    2025ねん 11がつ 30にち(にちよーび、晴れ)

    基本的なデータ入力は12月中に終わる見通しになた!( ・Д・)

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    ↑これが海底に眠る船首部分だね!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースはなんだかんだ私も財宝発見の記事は好きかも!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    カリブ海の深淵、水圧と暗闇の向こうに眠っていたのは――。
    2025年11月、コロンビア政府が発表したのは、かつて“世界最大級の財宝を積んで沈んだ” San José 号からの、初めての遺物回収だった。大砲、金貨、磁器の杯──「夢の難破船」が水底からその一部を明るみに出した瞬間。まさに「時の扉」が開いたかのような、この歴史的大発見を、「あるけまや」風に、ロマンとドラマを交えて描いてみよう。




    ⚓ “聖杯”とは何か — San José号とその伝説

    • San José号は、1708年にスペイン領カリブ海の植民地から帰還途中、英海軍の攻撃あるいは内部爆発により沈没。約600人の乗組員のほとんどが命を落としたとされる。

    • 船は、ペルーやボリビアの銀・金鉱、南米産エメラルド、さらには莫大な金貨・銀貨など、当時スペイン帝国が植民地から運び出した富を満載していた。伝説ではその全財宝の価値が現在の数十〜百億ドル規模ともされ、「海底の聖杯(Holy Grail)」「世界で最も価値ある難破船」の異名を持つ。

    • 2015年、コロンビア政府主導の調査チームによって沈没地点が特定されて以来、長年にわたる調査と準備が続いてきた。

    この船が「伝説」たるゆえんは、ただの海難事件ではなく――植民地から母国へと運ばれた富、その一部がまるごと海に没したという、“世界史の裂け目”を象徴する出来事だったからだ。



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    ↑簡単に回収できそうな状況に見えるけどそうじゃないんだろうね!( ・Д・)


    📦 ついに引き上げられた“最初の箱” — 回収物が語る過去

    • 2025年11月、コロンビアの科学調査チームは、600メートルの海底から大砲(ブロンズ製キャノン)、金貨および銅貨の貨幣 3 枚、そして磁器製の杯(ポーセリンカップ)などを回収。これがSan José号からの「初めての正式な財宝」となった。

    • 回収はロボット潜水機(ROV)や無人探査機を使った慎重な作業で実施され、大砲は冷蔵コンテナで保管、貨幣や磁器は塩水で保存処理されている。腐食や急激な環境変化による損傷を防ぎ、保存状態を維持するためだ。

    • これらの遺物は今後、専門の調査・保存過程を経て、公開・展示される見込み。遺跡としてではなく文化遺産として扱われる意向とされている。

    実物が海底から上がる――それだけで、300年前の世界が一瞬だけ「現在」に近づいたような、そんな衝撃がある。




    🌊 なぜ今? — 技術と「文化財としての視点」の融合

    • 深海600 m。そこに沈んだガレオン船から安全に遺物を回収するには、高性能の無人探査機+潜水技術、そして高度な保存技術 が不可欠。これらが整った今だからこその「史上最大のお宝掘り起こし」だ。

    • ただの “金銀を探す海賊的回収” ではない。「科学調査と文化遺産保存」を目的とする政府主導のプロジェクトとして、調査と公開、保存の慎重なバランスが採られている。これもまた、過去とは異なる「現代的価値観」の反映だ。

    • 深海、国際海域、法的境界――この船には国際的な権利主張と法的な争いもつきまとう。だが現時点で、コロンビア政府はこの遺物を “国の文化遺産” として扱うと明言している。

    つまりこの回収は、「海賊の財宝」ではなく、「失われた歴史とその記憶の回収」。技術と倫理の両輪で、過去と未来をつなぐ橋がかけられたのだ。



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    ↑大砲もよく残ってるね!( ・Д・)


    🧭 何が分かるか — 歴史のパズルを埋めるキーたち

    今回回収された artifacts は、ごく一部。だがそれらは、膨大な歴史の断片を解きほぐす鍵にもなりうる。

    • 貨幣の鋳造地・年代、流通ルート:金貨・銅貨には鋳造所や刻印のデータがある可能性が高く、植民地からヨーロッパへの送金ルートや流通経路の研究に貴重な情報となる。

    • 当時の船の構造、積荷の構成:大砲や磁器、生活用品、積荷の残滓などから、船の規模や積荷の内容、交易の実態が浮かび上がるかもしれない。

    • スペイン帝国と植民地の関係性、植民地経済の実像:銀鉱山から得た富がどのように輸送され、帝国へ還流したか。古代植民地経済の構造を、実物証拠から検証するチャンスだ。

    海底に横たわる沈没船は、もはや “海の墓場” ではない。過去と現在をつなぐ、開かれた史料庫なのだ。




    ⚖️ 財宝か遺産か — 法廷と国家の物語

    だが、この発見には光だけでなく影もある。

    • Sea Search Armada(SSA)という民間サルベージ会社が過去に San José の発見を主張。国際仲裁裁判所において、“発見者報酬” を巡る訴訟が継続中だ。SSAは「価値の半分」に相当する補償を求めており、今回の引き上げが法的論争に火をつける可能性がある。

    • また、かつての植民地であった南米諸国や、先住民の権利を主張する集団からは、「植民地支配の痛みと略奪の歴史を忘れてはならない」という声も挙がるだろう。歴史を「宝」として扱うことへの倫理的な問いは避けられない。

    • 一方で、遺物の保存、公開、管理、研究。いずれをどう扱うか――国家、学術機関、国際社会の間での合意形成が求められる。

    この財宝は、ただ金を意味しない。歴史観、国際関係、文化遺産のあり方──あらゆるものを巻き込む “21世紀の問い” なのだ。


    この記事を通じて見えてきたのは、海底に眠る “富” 以上のもの。そこには、植民地と帝国、略奪と交易、文化と記憶──人間の営みのすべてが封じ込められていた。今回回収された大砲と金貨、それはただの金属ではない。時代の傷痕、歴史の証言。私たちは、それをもう一度、「語れる未来」を手に入れたのかもしれない。



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    ↑こういのが今後大量にサルベージされるんだろうね!( ・Д・)






    おわりに

    古生物学でさ、恐竜の化石って売れるらしいよね。でも考古学だと「人類遺産」って位置付けになって売れないんだよね。今回のケースだとサルベージ会社が所有権を求めてるし、こういうのって大体スペイン船だから略奪したものだとしてもスペイン王室も権利を求めるんだよね。なんで?「人類遺産」じゃないの?って気持ちになる。

    私たち考古学者は研究費獲って、たくさんお金使って雇用機会をつくって発掘調査して色々見つけるのに、全部無償で博物館行きだよね。で、博物館はそれを使ってお金を稼ぐけど考古学者には一切還元されないよね。何故私たちだけ無償労働なのだろうか!?何故だ~!???( ・Д・)

    そりゃあ見つけた貴重な遺物を闇市に流す考古学者も出てくるわ!(←実話)( ・Д・)




    何はともあれ・・・

    私の専門じゃ金になるお宝発見できんな!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 30にち(にちよーび、晴れ)

    今日もがんばりますか~い!( ・Д・)

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    ↑スキタイの矢筒!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは悲しいことにこの世界は漫画じゃないから悪は勝つ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    古びた土に覆われた古墳の一角。その土をそっと掘り返したら――そこにあったのは、ぼろぼろの骨ではなく、驚くほどリアルな「皮膚」だった。土に還るはずの有機組織が、年を経てなお“皮膚”として残っていた。そんなニュースが、2025年11月、考古学界と一般社会を震撼させました。今回は、その衝撃の発見――「2400年前の人間の皮膚」の出土――を、「あるけまや」風に、ロマンと科学の狭間で紡いでみたいと思います。




    🔎 どこで、どう見つかったのか?

    • 発見は、最近報道された研究によるもの。中央アジアの古代墓地と思しき遺跡で、弓矢などとともに複数の遺体が出土。墓の付属品だと思われていた “古びた革袋(矢筒)や布” を精査したところ、その一部が 人間の皮膚である可能性 が浮上した。

    • 専門の分析により、その革が “単なる動物の革” ではなく、かつて人間の体の一部だった―― “皮膚組織由来” の構造が残されていた可能性があると報告された。

    • 発見された年代は約 紀元前400年〜前300年あたり(=約2400年前)。つまり、古代の戦士または一般人の遺骸由来の可能性がある、というのです。

    この報告は、古代人の社会や文化、そして “身体” の保存に関する固定観念を大きく揺さぶるものでした。




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    ↑200年前の脳みそ!( ・Д・)
    (「University of Oxford」の記事内画像より転載; credit: Alexandra Morton-Hayward


    🧬 なぜ「皮膚」が残ったのか? — 保存の奇跡と最新技術の追い風

    通常、人体の軟組織(皮膚・筋肉・臓器など)は、土中や一般的な埋葬環境では腐敗して骨だけが残るもの。しかし最近では、骨以上の情報を引き出す技術が飛躍的に進んでいます:

    • University of Oxford の研究者らは2025年、新たに “古代の軟組織(皮膚・臓器など)からタンパク質を抽出・解析する方法” を発表。これにより、これまで解析不能だった古代の “肉や皮膚” の情報にアクセスできる時代が始まった。

    • 同研究では、遺体ではなく “脳” を分析対象にしていたものの、原理としては “皮膚や臓器など他の軟組織” への応用が可能であることが示されており、今回のような “古代皮膚” の同定につながったと考えられている。

    • また、保存の条件も重要。水分、酸素、微生物などによる分解を防ぐ“異常に良好な埋葬・土壌環境”があった可能性が指摘されており、それが “皮膚保存の奇跡” を生んだ ― という仮説も研究者の間でささやかれている。

    このように、たまたま“保存に適した条件”と“最先端の分析技術”が重なったことで、骨だけでは分からなかった古代人の “肌の断片” が21世紀の光の下に蘇った。





    🧑‍🤝‍🧑 歴史観が変わる — “皮膚のある古代人” から読み取れること

    この発見が示す意味は、単なる珍奇な事件以上のものがあります:

    • 古代人の日常やファッション、社会状況への新たな手がかり。保存された皮膚があれば、肌の色、傷跡、病変、さらにはタトゥーや儀式的なペイントの痕跡も――理論的には、分析対象になり得る。

    • 社会階層や職業、民族・文化の多様性への手がかり。たとえば今回の出土は戦士の装備の一部だった可能性があると報じられており、武具と身体の関係、あるいは“戦士としての身体の使われ方”という視点が開ける。

    • さらに、これまで骨や遺物からしか分からなかった「古代人の健康、病気、環境適応、生活様式」などが、軟組織の情報を通じてより豊かに、リアルに復元できる可能性。新技術による古代 “皮膚の共鳴” が、考古学をアップグレードするかもしれない。

    言い換えれば、私たちが「遠い昔の人」としていた古代人が、たった2400年前には、肌も血もあった “生きた人間” だったという事実が、物理的に、化学的に、あらためて示されつつあるのです。




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    ↑加工されたヒトの皮!( ・Д・)



    ⚠️ それでも慎重に ― “皮膚出土” における疑問と今後の課題

    ただ、この発見には慎重な見方もあります――まだ確定的な “古代皮膚=100%ヒト” の証拠、というには課題があるのです:

    • 出土したのは “革や皮” のように見える物質。ただし、それが本当に人間の皮膚由来かどうかを断定するには、さらに 化学分析・分子分析 が必要。

    • 土中で長年にわたる保存には、特殊な土壌条件、乾燥/酸素欠乏/微生物活動の抑制などが必要で、再現性が低い可能性。つまり “奇跡的な例” の可能性。

    • 万が一誤認や汚染(現代の動物革との混入、保存処理の失敗など)があれば、結論を左右しかねない ― という慎重論。

    だからこそ、この発見は “見通しのよい仮説の入口” であり、これからの分析・議論と検証が鍵になる――そんな段階だと言えるでしょう。




    🔬 未来を拓く ― 古代皮膚研究の可能性

    もしこの “2400年前の皮膚” が本物であり、さらに解析が進めば――

    • 古代人の 肌の色・遺伝的特徴 を明らかにできるかもしれない。

    • 病気、外傷、傷跡、皮膚疾患 など、骨からは見えない “身体の歴史” が浮かび上がる可能性。

    • あるいは、 古代人の服装・防寒具の素材としての皮膚利用、または 儀式や信仰、装飾文化 の痕跡としての新たな知見 ― 革の加工技術、材料の流通、社会構造、文化交流の証としても重要。

    さらに、新技術によって軟組織分析が普通になれば、これまで “骨と石器・土器中心” で語られてきた古代史が、“皮膚も含めた生身の人間” による、人間ドラマと生活史へと深まるかもしれない――。


    この記事を読んでいるあなたに伝えたいのは、「過去は、骨だけじゃない」ということ。2400年前の人々が、血を流し、肌を焼き、息をしていた。その “肌の記憶” が、今、静かに土から浮かび上がろうとしているのです。




    おわりに


    古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが、『スキタイ人は人の血を飲み、人の皮を加工してハンドタオルやコートを作った』と書いているんだって。しかも『人の皮で作ったハンドタオルをたくさん持ってる男がモテる』そうだ。こう聞くととんでもない文化を持ってるように感じるよね。

    悲しい現実だけれど、定住して文明が発達した農耕文化よりも、好戦的な「野蛮」な遊牧民族の方が戦争が強いなんてことは歴史上何度もあった。勝因は色々あるだろうけれど、産業革命を達成していない農耕国家が常備軍を維持するの大変だからね。普段からみんな馬にまたがって弓も使うような遊牧民族には勝てんのよね。

    でも強いからこそ人口増えちゃうし、ってことは牧畜や狩猟では維持できなくなって略奪を繰り返す。結果みんな更に強くなるし、生きるためや装備整えるためには敵の血でも皮でも何でも利用した方が良いし、残酷と思える文化も強力な武力組織を形成するには有効だよね。実際、スキタイの最大勢力はとてつもなく大きくて、支配領域もめちゃくちゃ大きいから周辺を犠牲にしつつ限界まで増殖し続けたんだよね。体制が崩壊するまで。

    現実社会でも非常識な、手段を択ばない悪が基本的に勝つのも道理な気がする。もちろん限界まで増長して滅ぶわけだけど。



    何はともあれ・・・

    私も手段を択ばず魂を悪魔に売るしかない!?( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 28にち(きんよーび、晴れ)

    太った~!!!!!( ・Д・)

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    ↑火山堆積物だからこんな風にボロボロとした小レキ群に覆われてるのね!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは「やぱポンペイを次の対象遺跡にするかな!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    古代ローマの街 ポンペイ。その灰に閉ざされた路地裏に、2,000年の時を経て、新たな驚きが舞い降りた。2025年11月――鉄道整備のための保存発掘中に、かつての街角食堂(ストリートフード店=トルモポリウム)の台所から、なんと エジプト製の光沢ある陶器の壺(ファイアンス製ビーズラ)が 発見されたというのだ。


    それは単なる古物ではない。遠くエジプト・アレクサンドリアから地中海を超え、土器屋でもなく貴族の館でもなく、街の “庶民の食卓” に流れ着いた──その事実が、古代の人々の暮らしと文化交流を、私たちに “生のまま” 見せてくれる。今回はその発見の舞台、陶器の由来、その意味、そして “古代のグローバル化” に思いを馳せてみたい。




    🏺 発見の舞台 — トルモポリウム「ロースター」の厨房跡

    この陶器が見つかったのは、ポンペイ市街の Regio V、かつてストリートフード店として使われていたトルモポリウム内。通称 Thermopolium del Gallo――“おおにわとりの店” という意味をもつこの小さな飲食店は、火山噴火で街が灰に埋もれた79年、そのまま時を止めた。


    2023年に始まった保存と修復のための発掘で、厨房の背後の部屋(貯蔵・調理スペース)から 色鮮やかな青緑の光沢をもつ壺 が現れた。壺には動物や狩猟の図柄が描かれ、明らかに地中海西側のローマ陶器やガリア陶器とは趣を異にする異国製だった。この “忘れられた台所” は、当時の庶民の日常──買い食い、貯蔵、調理、生活の一端──を宿した場所だった。その暗がりから現れた壺は、まるで時間の流れを断ち切る宝石のようだった。



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    ↑有名なとこだからこれまでにも何度か紹介してるよね!「ポンペイ」で検索してね!( ・Д・)




    🌍 なぜエジプト陶器? — ローマ帝国内の文化と交易の交差点

    この壺は、技術的には古代エジプトおよびその後の地中海圏で広く用いられた ファイアンス(glazed ceramic)。ガラスのように光る釉薬と、鮮烈な色味が特徴で、もともとは庭園の装飾、上流階級の住まい、大きな邸宅や公共空間で使われる高級品だったという。


    それがなぜ、庶民向けの屋台に? 考古学者たちはこう分析する――当時のローマ帝国は、地中海域を海と道で結ぶ広大なネットワークを持っていた。エジプト、ギリシャ、イタリア、西地中海の属州間で商品と文化の交換が盛んに行われ、富裕層だけでなく、中流〜庶民層にまでその影響が浸透していたのだ。今回の壺は、その “下層社会のグローバル文化受容” を示す希少な証拠ともなり得る。


    つまり、古代の流通や文化は単なる羨望の産物ではなく、人々の日常に根付いていた。それは豪華なヴィラのガラス窓でも、王族の宝飾でもない——パンとスープとワインを供する市井の食堂の一角だった。そこに、エジプトの風が吹き込んでいたのだ。




    🔎 食卓に残る文化の “痕跡” — 壺が語る当時の食と習慣

    発掘チームによれば、この壺は “保存用/貯蔵用の容器” として使われていた可能性が高い。厨房の壁際、アンフォラが並ぶ棚の間にあり、周囲には他の土器、金属製の鍋、調理道具、研(すり鉢)などが発見されている。この配置は、ローマ庶民がどのように食材を保存し、調理し、提供していたかを示す、きわめて日常的な光景だ。火山灰の下で “冷蔵庫もなければ流通網も未発達” な時代。陶器、アンフォラ、保存壺――それらは食材の保存、持ち運び、再現を可能にする、当時のライフラインだった。


    加えて、壺の表面に浮かぶ狩猟のモチーフは、単なる飾りではなく、“送り主の出自や信仰” を示す文化的サインだった可能性もある。遠くエジプト/エーゲ海文化圏から流れ着いた器を使うことで、店主あるいは客は “異国趣味”“高級志向” をさりげなく演出していたかもしれない。





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    ↑さすが高級品、立派だぜ!( ・Д・)



    🛠️ 発見と保存の舞台裏 — なぜ今この壺が見つかったか

    この壺が日の目を見たのは、決して狙った発掘ではなかった。近年進む観光整備とインフラ更新、保存工事の中で、たまたま手がかりが現れたのだ。トルモポリウムの修復に向けた細部の調査中、壁の奥、床の下、貯蔵室の瓦礫を除く過程で、慎重かつ丹念に行われた。


    また、ポンペイのような大都市遺跡では、貴族の邸宅や劇場、浴場など大きな建築物に注目が集まりがちだ。しかし、こうした “庶民の空間” の保存と調査こそが、実は “古代のリアルな生活像” を映す鏡となる。今回の発見は、その価値を改めて示すものだ。




    🌐 古代のグローバル化 — 文化交流は庶民の食卓にまで届いていた

    このエジプト陶器の発見は、単なる“珍しい壺”ではない。2,000年前の地中海世界に生きていた庶民たちが、エジプトの技術や芸術を受け入れ、日々の暮らしに取り入れていた “証拠” だ。遠く離れた地から、その文化が風に乗って、海を渡って、人の手に渡り、火と鍋とパンとワインの中に馴染んでいった――。それは、古代の「地中海的混交(メラング)」の記憶そのもの。


    また、この発見は今後の研究に大きな示唆を与える。たとえば、壺の釉薬・粘土の分析、残留物の化学分析によって、中に何が保存されていたか、どこから来たか、さらに詳しい交易ルートや食文化の実態が浮かび上がるかもしれない。そして忘れてはならないのが、この壺が庶民の “台所” にあったという事実。権力者でも王侯でもなく、街の片隅で働き、飯をつくり、客をもてなした人たちの暮らしの中にこそ、古代の “異文化の交差” があった――ということだ。







    おわりに

    マヤ文明、ティカルでのモデル構築が済んだわけじゃ全然ないんだけれど、私の方法論は古代日本では使いにくいんですよね。近現代とかは行けると思うけども。それで古代エジプトと古代ローマだとつながりもあるしいいかな~なんて次の応用先として考えてたんですけども、、、やっぱポンペイいいなぁ。どこか一つの都市を対象にするのならばポンペイな気がしますね。

    ポンペイの報告書ってどこで読めるかも知らないんですけどね。概説書も知らない・・・完全に他の領域やるのは大変だけども、ぼちぼちやっていこうと思います。幸い、古代ローマ史&考古学やってる知人がいるので協力してもらって何とかします!他方で古代エジプトの知り合いゼロなんですよね。そしてイタリア語はラテン語グループでスペイン語に似てるので趣味で少しやってたし、、、そういう意味でもやぱ次の舞台はイタリアだな!(*^・ェ・)ノ





    何はともあれ・・・

    まずは研究費獲得だぁ!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 27にち(もくよーび、晴れ)

    あぁもうお酒飲みたい~!( ・Д・)

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    ↑先古典期だってさ!ちゃんとデータ取って欲しい!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは「確かにマヤ人って顔のデザイン好きだわ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに


    青いジャングル、密やかな石造りの神殿、そして風に歌う草木。そんな私たちの思い描くマヤの世界――しかし、2025年11月、メキシコ・ユカタン半島で進められていた鉄道建設工事の土を掘った瞬間、時の流れを裂くような衝撃が走りました。そこから姿を現したのは、丸太や土ではなく、約2000年以上前の「老人の顔」を刻んだ石の彫像。しかもそれは、かつて祭儀や祈りの場として使われた建造物の“目印”だった可能性があるというのです。水底でも洞窟でもない、人の往来と祈りがあった“生活と儀式の交差点”。今回はこの発見を、「あるけまや」流でロマンと考古学の間に浮かぶ物語として紡ぎます




    🔎 発見の瞬間 — 鉄道の土の中から現れた老人の顔

    この彫像が見つかったのは、巨大プロジェクト Maya Train の建設に伴う救済発掘のさなか。現地当局 INAH(国立人類学歴史研究所)の調査で、ユカタン半島のシエラ・パパカル近郊で、二千年前の先古典期(Preclassic period) にさかのぼる儀式用建造物の遺構が確認されました。


    その入口――おそらく神聖な空間への扉口の側に、顔だけを彫った高さ約45センチ、幅およそ18インチ(約45cm)ほどの石造彫刻が据えられていたのです。その顔は、深い目のくぼみ、平らな鼻、はっきりとした唇と顎――古代マヤ世界で「老人」「尊者」「賢者」を象徴するとされる特徴を余すところなく表現しています。INAHはこれを “elderly lord(年老いた領主/長老)” の像と報告しています。


    ただの装飾でも肖像でもない――この石の顔は、「ここは聖なる場所である」「ここから先は別世界だ」というメッセージとして、門の前に立っていたのかもしれない。その静かな迫力に、過去と現在が混じり合う瞬間がありました。




    🏛️ 祭儀の場の“目印” — 卵型建造物と老人の顔の意味

    彫像を含む遺構は、長方形ではなく“楕円形(オーバル)”の基壇に据えられていたことが明らかになっています。建造物は石で基礎が固められ、壁と屋根は木材や葦など風化しやすい素材で作られていたとみられます。建築物の入り口は西に向いており、夕陽に照らされるよう設計されていた可能性があり、儀式や太陽崇拝と関係していたのでは、という研究者の仮説も報告されています。


    そして、この“老人の顔の像”は、単なる装飾ではなく、聖域への“案内”や“警告”を兼ねたマーカー(目印)として使われていたようです。入り口の北側に設置され、「ここより先は日常ではない、神聖/儀式の領域」――そんな境界線を示す意味があったのでしょう。この設計と配置は偶然ではありません。そこには、古代マヤの宗教観、空間認識、社会秩序の全体像が刻まれていたに違いないのです。




    🪶 なぜ「老人」? — マヤにおける年長者の象徴と儀式

    彫像の顔が“老人”であることには意味があります。マヤ文明では、年長や長老は知恵と経験の象徴。神々、人々、自然との調和を媒介する存在と見なされてきたことが、様々な研究で指摘されています。だからこそ、祭儀や信仰において、若者でも戦士でもなく、“年老いた賢者の顔”が儀式用建造物の入口に置かれたのではないか。若さや生命力ではなく、時間、循環、死と再生を見つめる静かな視線――それを彫像に込めた、と考えるのは不自然ではありません。


    さらに、古代マヤでは「顔」の象徴力は強く、神々や祖先の顔立ちを石に刻むことで、精神的な媒介を生み出す習慣があったとされます。つまりこの像は、単なる「像」ではなく、「存在そのもの」の象徴であり、儀式の触媒であり、古代世界と現在をつなぐ“石のポータル”だった可能性があります。





    🔧 鉄道と考古学 — 近代インフラが開いた過去への穴

    この発見は、ただの偶然ではありません。実は、遺跡の多くは、近年進む鉄道や道路、都市開発などの “地表改変” の中から姿を現すことが少なくありません。今回も例外ではなく、 Maya Train の建設に伴う緊急発掘調査がきっかけでした。このような状況は、考古学にとっては試練であり、同時にチャンスでもあります。インフラ整備で地面を掘るたびに、古代の記憶が眠る層に触れられる可能性があるからです。

    ただし、その一方で、許可・保存・報告・公開――多くの責任と配慮が求められます。鉄道会社、政府、研究者、そして地元コミュニティが協力しなければ、このような発見の価値は十分に生かされません。今回の「老人の顔」が示したのは、まさにその責任と未来への問いでもあるのです。




    🌌 過去と今をつなぐ石の目 — マヤの心を、再び目覚めさせるために

    古代マヤの “老人の顔”。それは遠い過去の記憶の象徴であり、静かに語りかける声。石という timeless(時間を超える)な媒体を通じて、私たちは数千年の隔たりを飛び越え、その視線を感じることができる。この像が語るのは、神々や祖先への畏敬、儀式の荘厳さ、そして人と自然、社会と祭祀をつなぐ古代の構造――それは決して消えたものではなく、今もどこかで息づいているものかもしれません。



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    ↑分かる? もしかして奥にちっちゃく見える顔が今回のやつ!?( ・Д・)




    おわりに

    今、国立歴史民俗博物館の共同研究で「顔・身体土器」をテーマに取り扱っているのだけれど、共同研究者の発表聞いててやぱ世界的に顔をデザインとして造形した土器って色々あるんだなぁと改めて感じていました。どうしても日本、特に縄文時代とか墨書土器のことや、マヤの事例ばかり気にしてしまうので、新鮮な気持ちで普段目にしない中国の事例などを聞いていました。今回の記事書いてて思ったけど、「確かにマヤ人って顔の表現使うことが多いし、文明成立以前から文明崩壊まであるいは植民地期までずっと使い続けているな~と思いました。そういう意味ではマヤって「顔・身体土器」のテーマを扱うフィールドとして最高だなって思います。

    今私の研究で分かってることは、、、普通の土器より「顔付きの土器」の方が高いってことかな。社会分布が制限されるんだけれど、今のところ階層・身分や儀礼行為と関係して制限を受けているのではなく、奢侈財判定なので、単純に価格が高くて中・下層の人々は手が出ないイメージです。まぁもちろん今後「やっぱり階層制限でした!(特定の階層以外はそもそも財へのアクセスが許されない状態)」ってことになるかも知れないですけどね。




    何はともあれ・・・

    私は、造形ならば可愛くデフォルメされたジャガーの顔と肉球が好き!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 27にち(もくよーび、晴れ)

    あぁもうお酒飲みたい~!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑そのままぶどう食べたい!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは「剣とか家に飾りたい!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに


    ひと掘りの土が、歴史の扉を一気に開いた――。2025年晩秋、中央アジアの草原地帯、サカ族の古墳(墳丘墓)で、約2500年前の戦士が手にしていたと思われる青銅製の短剣が、驚くべき精巧さで発見された。名前はアキナケス(akinakes)――その姿は、ただの武器ではない。複雑な細工、動物と大地の象徴、そして何よりその“一本造り”の冶金技術……。古代の冶金術と戦士文化が交錯するこの出土が、考古学のニュースとして世界を席巻しているのだ。


    この記事では、「あるけまや」風に、発見の背景、アキナケスの技術と象徴性、そして古代サカ世界への想像を交えつつ、この短剣の物語をじっくりと描いてみたい。




    🪦 墓からの呼び声 — 発掘された墳丘墓「クルガン1号」

    発見の舞台は、カザフスタン中部、アクトガイ地区にある古代墓地。調査を行っていたKaraganda Regional History Museumによれば、この墳丘墓「クルガン1号」は、石板を重ねた古い墳墓構造で、内側に丁寧に副葬品とともに遺体が安置されていたという。出土した弓矢だけでなく、遺体の右手にぎゅっと握られていたのが、今回のアキナケスだった。


    墳丘から顔を出したこの短剣は、保存状態が非常に良好で、刃も鞘(場合によっては鞘跡も)も、ほとんど当時のままの形を保っていた。専門家たちは「Pristine(手つかず・完璧)」と表現し、その掘り出された瞬間を「考古学者にとって夢のような出来事」と称した。



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    ↑石積のクルガン( ・Д・)


    🗡️ アキナケスとは — 草原のエリートの象徴

    アキナケスは、古代イラン系遊牧民族であるサカ族(西側の呼称ではスキタイと同系統とされる)の持つ代表的な短剣/短刀。刃が両刃(double-bladed)で、全体が青銅で鋳造される「一本造り(cast in one piece)」のタイプが知られている。最近のコイン研究などでも、古代ギリシア・ペルシャ世界におけるアキナケスの姿が、貨幣の刻印に描かれていたことが報告されている。


    今回出土したものは長さ約 30 センチ。柄の部分や鞘(または鞘跡)にも、サカ族が崇めた草原の猛禽や野生羊(アルガリ)の角をモチーフとした、非常に芸術性の高いレリーフが施されていたという。武器でありながら、まるでオブジェのような美しさ。調査リーダーのアルマン・ベイセノフ氏は、これを「古代冶金術の傑作」と形容した。


    このような武器は、実戦用というより「エリート戦士たちの地位と精神性の象徴」だった可能性が高い。サカ族の社会における地位や誇り、草原への帰属意識──そうしたものを体現する聖なる剣だったのかもしれない。




    🔧 冶金の妙技 — 一本造りと装飾技法の深み

    古代の金属加工技術は、現代から見ても驚異的なものだ。今回のアキナケスのような「一本造りの両刃短剣」は、青銅(銅+錫など)を高温で溶かし、鋳型に流し込む鋳造技術(キャスト)なしでは成立しない。しかも、それを機能性と美を兼ね備えた武器として仕上げるには、高度な技術と経験、そして設計思想が求められる。


    今回の発掘では、剣とともに矢5本、そして「薄い金箔で包まれたイヤリング」らしき装飾品も副葬されていたと報告されており、これは「戦士の個人装備」と「文化・装飾」の両立を示す貴重な証拠だ。このような複合装備からは、サカ族の戦士が単に「戦う存在」ではなく、「社会的ステータスを持つ者」「象徴を纏う者」であったことがうかがえる。武器を超えた「アート」としての青銅器文化──それは草原の風と太陽、動物の営みが織りなす文明の輝きだった。



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    ↑見つかった遺物たち!( ・Д・)



    🌍 サカ族と草原 ― 遊牧民族の戦士文化

    サカ族は、紀元前9世紀から紀元前数世紀にかけて、中央アジア〜タリム盆地〜草原地帯を支配・移動した遊牧イラン系民族。古代ペルシャ人には「サカ」、ギリシア人には「スキタイ」として知られ、多くの伝説や史料にその名を残す。


    彼らの社会は馬、弓矢、そして金属技術によって支えられ、特に戦士階層は高度な装具とともに、誇り高き文化を築いた。今回のアキナケス出土は、その社会構造や文化の象徴が、実物として現代に直接つながる稀有な証拠である。また、金属加工や装飾技法、埋葬儀礼といった文化の断片は、当時の交易ルートや技術交流の広がり、さらには草原世界の宗教観・象徴体系まで再考させるものだ。




    🧠 この発見が開く未来 ― 研究と想像の旅へ

    今回のアキナケス出土を受けて、いくつかの今後への期待が浮かぶ。

    • 金属組成分析や鍛造痕の詳細調査によって、サカ族の冶金技術の流れや材料の供給ルートが明らかになる可能性。

    • 出土地(クルガン1号)周辺のさらなる発掘で、同時代の副葬品や住居跡、儀礼用具の発見 ― これによりサカ世界の「リアルな生活と宗教」が復元されるかもしれない。

    • 文化比較研究によって、サカ/スキタイと周辺文明(ペルシャ、ギリシア、中央アジアの遊牧文化など)との技術交流や影響関係の解明。

    この剣は、ただの遺物ではない。古代の風、草原の音、戦士の息遣いが、2500年の時を超えて、私たちに届いた「時空を超える手紙」なのだから。




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    ↑土盛ってあるあるクルガン!( ・Д・)




    おわりに

    クルガンって墳丘墓だから、まぁ日本で言えば古墳ですよね。ただスキタイは基本的に遊牧民族だからそこまで大きな公共建造物は造らない。まぁ彼らの支配領域はとても広いんだけれど、だいたい平原だしね。森林地帯もあるけどね。そんなこんなで日本の古墳とはその規模も副葬品の種類や量も大きくことなるのです。・・・で、日本では古墳ってけっこう盗掘されてるものなんだけど、今回のクルガン1号は良く残ってたね!平原とかにポツンとあるから目立つだろうに。まぁもしかしたらたくさん盗掘されていて、今回のケースがレアなのかも知れないけれど。


    ってか剣いいよね。昔、秋葉原の武器屋で色々買ってショーケースに入れて家に飾りたいと思ったことがある・・・が、高い!ってか家がそれなりに広くて素敵な感じじゃなきゃだめだよね~って思ってお金もちになったらやろうと先延ばしにしました。研究者だから金持ちになる予定ないのにね(笑) 今の研究をガンガンに進めてノーベル賞とか大きな国際賞獲ったら叶えます!(*^・ェ・)ノ






    何はともあれ・・・

    日本刀もいいけどやぱ洋剣だな!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 27にち(もくよーび、晴れ)

    禁酒してデータ入力死ぬほどやる!( ・Д・)

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    ↑そのままぶどう食べたい!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは「私はレーズンきらいっ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    人類がワインを楽しみ始めてから何千年も。通常は「生のぶどう」を搾って醸造するものと思われてきたワイン。しかし、ひょっとしたら、古代人はもっとシンプルかつ知恵深い方法──“天日干しレーズン(干しぶどう)を水に浸すだけで発酵させる”──で、“即席ワイン”を作っていたかもしれない、という新しい実験結果が注目を集めています。陽にさらされた濃縮された甘みが、やがてアルコールと味わいを生んだ…そんなロマンを含むこの仮説に、さあ一緒に耳を傾けてみませんか?




    🔬 最新実験で再現された「水と干しぶどうでワイン」

    2025年11月、京都大学 の研究チームが発表した論文が話題を呼びました。彼らは生ぶどうを収穫後、28日間、天日干しでレーズン化し、そのレーズンを水に浸し、約2週間室温保存したところ、 すべてのサンプルで発酵が進み、エタノール生成と発酵酵母の増殖が確認されたのです。特に興味深いのは、温度管理した「インキュベーター干し」では発酵が不安定だったのに対し、自然の太陽光のみで干したレーズンでは安定して高いアルコール度を示したこと。つまり、古代人がぶどうを外で干しておけば、わざわざ圧搾すらしなくても「ワインもどき」は成立しえた──可能性がある、ということです。この実験は、「ぶどう=ワインの原料」という私たちの固定観念を揺さぶるものになりました。




    🍷 歴史に残る“干しぶどうワイン” — 古代の記録と伝統

    実は、ワインの歴史には「干しぶどうを使った酒」という記録も残っています。例えば、地中海世界では干しぶどうを原料にした甘い酒─Passum(パッスム)というワインが古くから造られており、北アフリカのカルタゴで起源をもち、古代ローマ時代に広まったとされます。


    また、現代でもイタリアやギリシャなどでは、ぶどうを風乾した “ストラッパート” や “パッシート/パッシタ” という技法で甘口ワインを造る伝統があります。これらは甘く芳醇な香りと味わいを持ち、水で薄めずそのまま楽しむスタイルが伝統とされてきました。


    つまり、「ぶどうを干してつくる酒」は決して新しいアイデアではなく、古今をつなぐワイン文化の一つの流れだった可能性があるのです。




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    ↑レーズンだぁ!( ・Д・)

    (「京都大学」の記事内画像より転載)




    🌍 なぜ干しぶどうワインが注目されるのか —気候・保存・醸造の合理性

    古代の人々にとって、ぶどうを収穫してすぐ潰し、発酵させる──となると、天候や設備、水質、保存の問題が常につきまとう困難がありました。一方で、干しぶどうは以下のような利点を持ちます:

    • ☀️ 天日で干すことで糖分が凝縮、保存性が高まる

    • 🛑 収穫後すぐに醸造せず、貯蔵 → 必要な時に “復活” させられる

    • 🍇 野生酵母がレーズンの表面で増殖しやすく、自然発酵が促される

    実験でも示されたように、単に水に漬けるだけで発酵し、アルコールが生成された。これなら、気候が乾燥して日差しの強い地域、あるいは収穫と飲酒のタイミングがずれる地域でも「ワインもどき」が可能だった。この方法は、ぶどう畑が遠く、輸送が難しかった古代の地中海世界や中東・中央アジア、さらには乾燥地帯でもワイン文化を広げる力を持っていたかもしれません。





    🕰️ 古代文明のワイン観が変わるか — 考古学・歴史への影響

    この「天日干しレーズン → ワイン」の実験結果が示すのは、ワインの起源と拡散に関する再考です。従来「ワイン=ぶどう果汁の発酵」が前提とされてきた歴史観に、もうひとつの可能性が浮上しました。

    例えば、乾燥気候のレバント地域や地中海沿岸、あるいは中央アジアの旅路において──

    • ぶどうの鮮果が得にくい時期/場所でもワイン様飲料を作れた

    • 貯蔵用の干しぶどう貯蔵庫があれば、宗教儀式用ワインの備蓄が可能

    • フィールド調査で「ぶどう痕跡がない」陶器片からでも、“干しぶどう酒”の可能性がある

    こうした点は、古代の食文化・交易路・ワイン消費の実態を見直す手がかりになるかもしれません。





    🧪 それでも “干しぶどうワイン” に残る問い — 本当に古代人はやっていたか?

    とはいえ、この仮説には慎重であるべき理由もあります。

    • 化学的証拠:現在のところ、古代の壺やアンフォラから「干しぶどう起源ワインです」という決定的な成分分析は少ない。

    • 発酵の安定性:実験は現代の衛生条件や温度管理がある中でのもの。古代で同じ結果が得られたかは未知。

    • 社会文化的条件:干しぶどうの大量生産・管理には、乾燥気候、保存技術、貯蔵文化などが必要。すべての古代文明がそれを満たしたとは限らない。

    だからこそ、今回の実験は「可能性の提示」であり、「決定証拠」ではない。今後、考古遺物の化学分析、古環境のデータ、文献史料の再検討などが必要になる。




    🌅 干しぶどうが紡ぐ、古代のワイン物語 — 新たな視点で葡萄を味わう

    もし──古代の人々が、ぶどうを干すことで“ワインのもと”を貯蔵し、必要なときに水で戻して発酵させていたとしたら。私たちが「ワイン」と聞いて思い描くイメージは、ずっと後の時代の“典型”だったのかもしれません。


    ワインは、王や神に捧げられる聖なる酒でありながら、同時に旅人の携行酒でもあった。ぶどう畑に恵まれない地、時に過酷な気候の地で、干しぶどうワインが育まれていたとしたら――それは「ワインの歴史=人類の知恵と営みの歴史」を、さらに深く、遠くへ押し広げることになるでしょう。





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    ↑ぶどう狩りしたいぜ!( ・Д・)

    (「エノテカ online」の記事内画像より転載)





    おわりに

    私が絶賛サボり中のYoutubeで動画を出しているように、私何でも食べてみたい人なんです。この前グアテマラに行った時はワニは食べそびれたけど、、、何食べたかな。アルマジロとかテペスクイントレ(小っちゃいカピバラかでっかいネズミか)とかかな。シカとかイノシシ、クマは特別感ないですよね、日本でも食べれるもんね。向こうのイノシシはペッカリーだけれど、うーん違いはよく分らんかた。向こうの方が硬い気もするけれど、調理法の違いがある気がする。あとメキシコではアリの卵とか、私の手の中指よりでかいイモムシの素揚げとか、あ、ちなみに私は「呪われたチビ手」なので女の子と同じくらいかたまに小さいくらいのサイズ感です。

    あれ、なんでこんな話を・・・あ、それでもレーズンきらい!って話ですね(笑) まぁもういい大人になったので好き嫌いせず何でも食べれるんですけども、レーズンも食べれます。ただ美味しいと思って食べていないだけです。レーズンって子供の頃、「ぶどうのミイラ」だと思ってました。生で食べりゃいいのになんでこんなぐちゅぐちゅしたものにするんだと思ってました。給食のレーズンパンが辛かった!( -д-)ノその後、初代プレイステーションでバイオハザードが出た辺りから、「レーズンはミイラってよりはゾンビだな」ってなったけれど、やぱ嫌いだったな。



    何はともあれ・・・

    やぱレーズン嫌い!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 26にち(すいよーび、晴れ)

    今日は論文終わらせるまで寝れない!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y387
    ↑高坏だね!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは池の水抜いてみたとか、なんだかみんな水中好きだよね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    湖は、記憶を閉じ込める“時の水瓶”。そこに眠る遺物は、私たちの知らない過去の物語を、静かに語りかけてくる。滋賀県・琵琶湖の北端、葛籠尾崎(つづらおざき)湖底遺跡。その深さ約 64〜70 メートルの水底から、なんと 縄文時代初期(約1万1,000年前〜1万5,000年前) の土器が、ほぼ完全な形で発見された。


    これはただの「古い土器」の発掘ではない。破片として風化し散逸するはずだったものが、湖の深みによって「時のカプセル」となり、今の私たちの前に姿を現したのだ。あるけまや風に言えば、「水底に眠る時間旅行の入り口」が開かれた瞬間。この記事では、この大発見の背景と意味、そのロマンをたっぷりと辿ってみたい。




    🔎 湖底遺跡「葛籠尾崎」とは何か

    琵琶湖には、数多くの湖底遺跡が認められている。漁網にかかった縄文土器によって、1924年に最初に「葛籠尾崎湖底遺跡」が知られることになった。この遺跡では、これまでにも約 200点以上の土器片が、水深10 〜 70メートルの湖底から引き揚げられてきた。時代は縄文から平安にまでおよぶ。


    ただ、このように多数出土するにもかかわらず、湖底から「完形」に近い形の土器が見つかった例は稀だった。ほとんどは壊れ、破片化し、水中の運動や堆積によって散らばってしまうからだ。だからこそ、今回のような「ほぼ完全な形状の土器」の発見は、湖底遺跡研究においてきわめて重要だ。




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    ↑これが砲弾型縄文土器、、、尖底土器のことなのね!( ・Д・)
    (リンク切れしてる)




    🏺 湖底に眠っていた、“砲弾型”縄文土器

    2025年10月、滋賀県は無人潜水機を使って葛籠尾崎湖底遺跡の約 2 万平米のエリアをスキャン。64 メートル付近で、 高さ約25センチの砲弾型尖底土器(底が尖って舟底に差し込むような形)が、ほぼ完全な形で存在することを確認した。県が発表した年代は、縄文時代初期前葉〜初中葉(約11,000〜10,500年前)あるいはそれ以前。これまで同遺跡で確認されていた最古の土器は約1万年前だったため、遺跡の始まりがさらに古く広がる可能性が浮上している。

    驚くのはその保存状態だ。湖底という暗く、動かない環境が「割れず、崩れず、時を閉じ込める」完璧な保存庫となっていたのだ。地上で発見される土器がたいてい破片であるのと比べると、その希少性は圧倒的だ。




    🌊 なぜ、水底に?さまざまな水没のストーリー

    では、なぜこのような古い土器が湖底に沈んでいたのか。それは、琵琶湖の地形・環境変動と人々の営みによると、研究者は分析する。

    • 当時、人々はこの地域を舟で往来していた可能性がある。湖上交通の積み荷が事故で沈没した。

    • または、地震・地盤変動や水位上昇によって、かつての陸地が水没し、集落や聖地が湖に飲まれた。過去には、噴砂や液状化による地形変動が確認されているという。

    いずれの説も、水底に沈んだ理由として有力で、今回の完形土器もそのいずれかの「事件」の産物である可能性が高い。






    🔍 水中考古学の醍醐味 ― ロボットが映した“時の底”

    この発見の背景には、水中考古学の技術進歩がある。滋賀県と琵琶湖博物館は、湖底遺跡の調査に 水中ロボット(無人潜水機) を積極的に活用してきた。これにより、水深70 m を超える深さでも湖底の様子を鮮明に映像で記録可能になったのだ。この技術がなければ、深海のような湖の底に埋もれた土器はおそらく永遠に闇に葬られたままだっただろう。現代の技術が、過去の姿を写し出す ― それはまさに考古学の新時代とも言える瞬間だ。






    🧭 遺跡が教えてくれる、“失われた暮らし”の断片

    この完形土器の発見が持つ意味は大きい。なぜなら、それは「割れずに残るかもしれない記憶」の存在を示しているからだ。湖底には、今回のような縄文時代初期の土器のほか、弥生・古墳時代、さらに近代に至るまで、実に多様な時代の遺物が眠っている。琵琶湖は、時代を重ねた人々の営みを、水の中で静かに抱えてきたのだ。


    もし今後もこうした“完形”の土器や、当時の舟、木製の道具、あるいは埋没林などが発見されれば ― 湖上交通や住居の構造、水没の原因、さらには古人の生活環境まで ― 私たちの縄文期や弥生期に対する理解は、一気に書き換えられるだろう。




    🌿 湖は沈黙を抱く大きな墓 ― それでも未来を開く場所

    今回の発見は、湖が単なる水域ではなく、「文化の墓所」にもなりうることを示した。だが、それは終わりではない。湖底に眠る“断片”を掘り起こし、つなぎ合わせることで、かつてこの地に暮らした人々の息遣いや暮らしぶり、失われた集落の姿を取り戻すことができる。


    琵琶湖は、古代の人たちにとっては「生活の場」であり、「交通の要所」であり、あるいは「儀礼の場」でもあったかもしれない。その多層的な営みの痕跡は、今も湖の底で静かに待っている。私たちはその扉の前に立ったと言えよう。




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    ↑色々見つかってるし、何でか完形が多いね!( ・Д・)
    (「Start Home」の記事内画像より転載)




    おわりに

    やっぱ何か「発見」したことをメディアに売り込むのって大事なんだな~と最近強く思う。みんなそうやって強かに生きてるんだなぁって感じる。研究ってなんだろう、成果とは何だろうって思う・・・今私が面白いと思ってやってるパラダイムシフト系研究は即効性ないから全く売り込む要素ないんだけど!戦略間違えてるぜ!( ・Д・) ・・・まぁ来年度研究費獲れて調査できたら何でもかんでも売り込むぜ、魂までもね!( ・Д・)





    何はともあれ・・・

    私もティカルの池の水抜いてみるかな!ワニさんに怒られるけど!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 25にち(かよーび、晴れ)

    昨晩飲み過ぎてびみょーに具合悪い!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y385
    ↑これがMig25だってさ!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは私も戦闘機出土させたい!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    あるけまや風に語れば──人類文明のゆりかご、メソポタミア。その長い歴史の地層の中に、驚くべき「近代兵器」が眠っていた。2003年、イラク戦争のさなか、バグダッド西方のアル・タカドゥム空軍基地で、 MiG-25フォックスバット 戦闘機が地中から掘り出されたのです。普通なら空で舞うはずの戦闘機が、砂の下に埋もれていた。まるで時を超えた遺物のようなその姿が、戦闘、隠蔽、そして国家の焦りを物語っていました。この記事では、その発見の経緯、真相、そして意味を、歴史ロマンと軍事ドラマが交錯する語り口で掘り下げてみます。




    ⚙️ なぜ戦闘機が砂に眠っていたのか?

    • 2003年7月、米軍の捜索チームが アル・タカドゥム空軍基地(バグダッド西方) で、地表よりかなり深く埋もれた MiG-25 と Su-25 を発見。

    • この機体は 垂直尾翼が取り外され、主翼もない状態

    • なぜこんな極端な隠蔽を?それは、1991年の湾岸戦争を経て イラク軍が貴重な航空戦力を温存したかったから と伝えられています。

    • 実際、埋める前には 電子部品を保護するためにプラスチック・シートで包んだ機体もあった という証言があり、ただの捨てられた戦闘機ではなかった可能性がある。




    🔎 発掘の瞬間 — 米軍が砂を掘る

    • 米軍は 掘削機(ブルドーザーなど)で土を削り出しながら機体を引き出した

    • 写真には、MiG-25の双垂直尾翼が砂から顔を出している様子が写っており、発掘作業の過酷さが伝わってきます。

    • その後、機体はアメリカに持ち帰られ、一部が アメリカ空軍国立博物館に展示される計画 もあった。



    🛩️ このMiG-25ってどんな機体?

    • MiG-25(NATO名:フォックスバット)は、旧ソ連時代の 高高度・高速度迎撃機。スピード、航続距離ともに非常に高い性能を持つ。

    • イラクは冷戦時代にソ連製MiG-25を導入しており、その後も備蓄していた機体が複数あったとされる。

    • 埋められていた機体の中には 偵察モデル(RB型) とも言われ、電子機器を守るために特別な処理がされていたという説があります。




    🌍 歴史と戦略の交差点 — 埋葬の意味を読み解く

    • この発掘は単なる「隠された兵器」の話ではありません。イラク政権が 戦力を失わずに戦争をやり過ごそうとした戦略 の一端を示す証左です。

    • また、こうした「埋葬=隠蔽」が発覚したことで、隠された戦力や戦争準備の存在が国際的な議論にも。

    • アメリカ側としては、これらの機体を発掘・展示することで 軍事的優位性の象徴 として利用できるという思惑もあったかもしれません。




    🔧 発掘後の行方と展示計画

    • 国防総省(米)が発掘したMiG-25を回収してアメリカに輸送。

    • その後、 アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)での展示を目指す動きが報じられています。

    • ただし、展示には時間をかけた整備や補修が必要。翼が欠けていた機体も多いため、完全復元は簡単ではありません。

    この記事を通じて見えるのは、メソポタミア文明とはまた別の「物語の深さ」。砂の下に眠っていたのは、過去千年、あるいは数千年の遺跡ではなく、 意図的に隠された近代の戦力 だったのです。文明の地における「戦争の記憶」が、またひとつ、表面に顔を出しました。



    arukemaya_y384
    ↑載せるんじゃなく、引っ張るのね!( ・Д・)
    (画像元サイトがリンク切れしている)



    おわりに

    ベテランのオペさんの腕はすごいけれど、それにしてもショベルカー使って綺麗に掘り出すものだなぁと感心してました。でも考えてみたらそんなもんかなって気もしてきました。だって埋めて戦力温存したってことは後で掘り起こして使うつもりだったわけだもんね。精密機器だからちょっとでもガジったら大問題だよね!

    調べてみたら正確な額は分からないけれど、Mig25の価格は450万ドルを大きく上回る予想だとか。まぁ出土した戦闘機は翼ないから飛べる状態じゃないにしても5億円の価値はありそう。ってことはやっぱりガジったら首飛ぶね、、、イラクだからほんとに物理的に首飛びそうだね!( -д-)ノ





    何はともあれ・・・

    やぱ戦闘機かっこいいな!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 22にち(どよーび、晴れ)

    生活は辛いが努力が足りないに違いない!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y381
    ↑工事現場だからやぱ発掘現場と全然違うね!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは台湾行ってみたいな!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    ある日、花蓮(ホアリエン)県・吉安郷の住宅建て替え工事現場。作業員が地中を掘ったら、そこには 黄色に変色した人骨 が静かに顔を出していました。大腿骨や下顎骨など。文化局(県の文化保護機関)が緊急調査を行ったところ、それは 日本統治時代(1920〜40年代)の先住民遺骨の可能性が指摘されている、というニュースが飛び込んできたのです。しかも、一緒に出てきたのは 約800年前の陶片。まさに時を超えた歴史の層が、この地には刻まれていた──そんな発見です。この記事では、この発掘が持つ歴史的・文化的意義を、「あるけまや」風にじっくり紡いでみます。




    🔍 工事現場の小さな工事が開いた歴史への扉

    今回の発見があったのは、花蓮県・吉安郷(Ji’an Township)での住宅建て替え工事中。5日の朝、作業員が地盤を掘っていたところ、1 mちょっと下から 白骨化した骨のかけら が見つかったという知らせが、文化局に入ったのです。警察の調べでは、骨は 下顎・大腿骨などが混在。黄色く変色していて、少なくとも40年は地中にあったと見られています。 そしてなんと、翌6日には 深さ60センチほどの地点から“文化層”が検出され、そこから 陶器の破片(陶片) も出土。これは 約800年前の静浦文化(チンプー文化) とみられていて、時空をまたぐ発見に学者たちも緊張が走っています。




    🦴 人骨は誰のもの?— 日本時代の先住民説浮上

    文化局の専門家は、見つかった人骨を 日本統治時代(1895年〜1945年)に暮らしていた先住民族(高山族など) のものではないかと推測しています。 さらに興味深い指摘が。1904年の地図を照合すると、この工事現場あたりはかつて 「屘屘社(マンマン社)」 と呼ばれる先住民の旧集落があった地域にあたる可能性があるのです。また、発掘された下顎骨の臼歯には 大きな摩痕(削れた跡) が観察されており、これが伝統的な儀礼や文化と結びつく可能性も出てきています。




    🏺 800年前の陶片が語る先史の暮らし

    骨とともに見つかった 陶片(器の破片) は、学者らによって 静浦文化(Chinpu culture) のものと推定されています。 静浦文化とは、台湾東部・花蓮あたりでおよそ800年ほど前に栄えていた文化で、陶器や道具の伝統が知られています。今回出てきた陶片は壺らしきものと他の器種と思われますが、今後の分析で明らかにされる見込みです。 この文化層が60センチ下に残っていたということは、 この地に歴史的な生活層(人が住み、使っていた跡)が確実にあった ことを示しており、生活の継続性と時間の深さを感じさせます。




    🌏 歴史の交差点:先住民、移民、日本統治

    今回の遺骨と陶片が示すのは、単なる「埋まった骨」ではなく、 複数の時代と人々の交わり

    • 日本移民村「吉野村(よしのむら)」:吉安郷にはかつて、日本統治時代に形成された移民村「吉野村」が存在していました。

    • 先住民族の暮らし:骨が先住民族由来であれば、日本統治時代の移民との共存や衝突、あるいは融合の歴史を物理的に示す証拠となります。

    • 文化保存の課題:工事と調査のタイミング、地元住民や行政、学術機関の調整が難しい中で、どのようにしてこれらの遺構を未来につなげるかが問われています。



    🧪 これからの調査 — 科学と記憶をつなぐ作業

    文化局は、以下のステップを今後進める方針を示しています:

    1. 清華大学の人骨専門家による実地調査 — 高度な鑑定(例えば炭素年代測定や歯の摩耗分析)を行う。

    2. 埋蔵場所の施工監視 — 今後の建設に対して、遺跡が壊されないよう作業立ち合いを実施。

    3. 遺物の保管と報告 — 陶片や骨がどのような学術的価値を持つかを整理し、考古学的な報告書作成。

    このプロセスは、単なる「工事件」が、 記憶の継承プロジェクト に変わる瞬間でもあります。






    おわりに

    この記事を読んでいるあなたへ──台湾東部、山と海に囲まれた花蓮には、日本統治時代やそれ以前の人々の物語が、今も地下で静かに息づいています。工事現場が開いたその “小さな穴” は、実は壮大な時間の裂け目なのかもしれません。

    ってことで、真面目な話はここまでにして、、、私、台湾行ったことないんですよ。親日国だし行きたいんだけどね。前に縄文時代草創期の爪形文土器の研究してた時に北は北海道、飛んで南は鹿児島から沖縄までやってた時に台湾も射程に入れてたんですけどね。ちょっと調べただけで時期的にあ~これは違うなってなってやめちゃったんですよね。今の研究も台湾と関係ないからなぁ。死ぬまでに行きたいけども!




    何はともあれ・・・

    台湾人美人!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 21にち(きんよーび、晴れ)

    昨晩はダイエットもデータ入力もした!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑涅槃像ってこんな感じで横になった姿勢のやつ!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースはちゃんと報告してて偉い!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    東南アジアの草庵…。その風情をたたえる、静かな寺院の地下に、なんと 1,300年前 からの宝がひそやかに眠っていた。タイ東北部、ナコーンラーチャシーマー県にある ワット・タンマチャック・セマラーム(Wat Dhammachak Semaram) の涅槃(ねはん)像。その巨体を支える土台を掘ったら、陶器の壺に収められた 金・銀・青銅の33点もの装飾品 が出てきたのです。


    この発見は単なる “お宝捜し” ではありません。ドヴァーラヴァティー(Dvaravati)時代における宗教表現、金属加工技術、祈りの記憶を現代に結びつける、時空をこえたメッセージ。その物語を、あるけまや風にじっくりと紐解いてみましょう。




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    ↑これが今回の涅槃像、でかい!( ・Д・)




    🕵️ 出発点は「ただの排水作業」だった

    ワット・タンマチャック・セマラームでは、今年(2025年)4月、像の安定化や湿気対策のための 排水工事 が進められていました。そんな日常作業の中、作業員が地表から約1.3メートル下(=涅槃像の肘と胸のあたり)を掘ったところ、思いがけないものが出現。陶器の壺が姿を見せ、その中には金環、銀のイヤリング、青銅の腕輪など、小さくも輝きを放つ 33点の遺物 が納められていたのです。この出土がきっかけで、美術局(タイ文化省・Fine Arts Department)は緊急の考古調査を開始しました。




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    ↑これが今回の涅槃像、でかい!( ・Д・)





    🧿 幻想の中にあった仏の像 — レリーフの詳細

    調査の結果、特に注目を集めているのは 金の打ち出し細工(レポゼ/repoussé) による仏像表現です。

    • 長方形の黄金シート(約 8 cm × 12.5 cm)には、 教えを説く仏(ヴィタルカ印=説法印) が描かれており、後ろに円形の光背も見える。

    • 小さな穴が空いていることから、 糸などで吊るされ、儀式的に使われた可能性 が示唆されている。

    • さらに、鉛スズ合金(「チン」と呼ばれる合金)製の別のシートには、 立像の仏と両側に侍者(うち一人はブラフマー?) の姿がレリーフされていて、ドヴァーラヴァティー美術の典型的なモチーフと重なります。

    • また、涅槃像の頭後方からは、土と石灰の層に挟まれて 金属シートが三層に重なった保存状態のよいレイヤー も見つかりました。



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    ↑発掘の様子!誰も遠景で撮らんのが不思議!( ・Д・)


    💍 日常と信仰が交錯する “装飾品たち”

    壺の中から出土した33点は、ただの宝飾品ではありません。そこには 指輪やイヤリングスパイラル形の青銅のイヤリング といった、身につけるタイプのアイテムが含まれていたのです。青銅製のスパイラルイヤリングは、過去の南部ドヴァーラヴァティー遺跡でも類例があり、 当時の職人技術のつながり を示す貴重な証拠となっています。 また、これらの装飾品が簡易な “お守り” だったのか、あるいは 儀式的に仏に捧げられた奉納品 だったのかは、現時点でも研究が進められている重要な問いです。






    🌄 歴史をつなぐ時代 — ドヴァーラヴァティーとその意味

    今回の発見が特に注目されるのは、これらの遺物が ドヴァーラヴァティー(Dvaravati)時代 に属するとみられているからです。ドヴァーラヴァティーは、6~11世紀ごろに中部タイを中心に栄えた文明で、多くの仏教寺院、金属工芸、都市が発展していました。 

    この発見により、 東北部(ナコーンラーチャシーマー) でもドヴァーラヴァティー文化が深く根付いていた可能性が出てきており、学問的な価値は非常に高いとされています。 さらに、涅槃像自体も 657年頃に制作された可能性 があるとみられ、その下に埋められた奉納品は 当時からの信仰と技術の継続を示す象徴 として、非常に意味深いものとなっているのです。



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    ↑色々と出てるね!( ・Д・)




    🔧 保存と未来への展望 — この遺宝はどう扱われるのか

    • タイ文化省・美術局(Fine Arts Department)は、発見された品々を ピマーイ国立博物館(Phimai National Museum) に収蔵し、詳しい調査と保存処理を進めています。

    • 材質分析や打ち出し技法の研究を通じて、 当時の金属加工技術や信仰のあり方 を解明する作業が始まっており、これらの成果は今後の展示や発表を通じて広く共有される見込みです。

    • 現地住民や仏教徒にとって、涅槃像はすでに信仰の対象ですが、この発見によって 過去から現在へつながる文化遺産の価値 がさらに深まるでしょう。



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    ↑スケール入りの写真!( ・Д・)




    おわりに

    なんだか最近、こうした学術調査によるものではなく、一般の方々による発見事例が多いなって気がします。そして大体みんなちゃんと報告してるよね。ネコババしてない!えらい!


    ところでめちゃくちゃ失礼な偏見なんだけども、、、

    色々な遺物の紹介写真を載せたでしょ? あの写真見てて思ったんだけど、チャッポリ(チャック付ポリ袋)の質が悪いなぁって思いました。あれだとすぐに劣化して穴空きそうだし、マジックペンの文字も消えそう!(笑) あとね、これがタイのクオリティ? あんな写真の撮り方っていうか資料の提示の仕方はしないよね、普通。





    正直、、、

    警察が押収したパケかと思った!( ・Д・)







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