2020ねん 2がつ 4にち(かよーび、晴れ)
YouTuberになれるよう、色々動画撮りますね。
編集できるか不明だけどね( ・Д・)
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今回の考古学・歴史ニュースは「古代マヤ文明の中心地、ティカル遺跡で新たな大きな発見があったよ!」ってお話です(。・ω・)ノ゙
私も昨日聞いたばかりの話なので、きっとまだ日本には伝わってないかなと思います。
ということで、本邦初公開!
ティカル遺跡で、テオティワカン様式建造物群が見つかりました!
説明なしでは全然、凄さが伝わらないので簡単に説明していきます(*^・ェ・)ノ
↑ティカルの位置(「グーグルマップ」より一部加工)
古代マヤ文明とティカル遺跡
ティカル遺跡と言えば、古典期マヤ(CE250~1000)を代表する一大遺跡です。
古代マヤ文明を語る上で欠かせない中心的な存在です。
上の図は「ティカルの位置」と検索した時に出たグーグルマップです。
何故かティカルがたくさんあるのですが、、、
丸で囲んだ箇所が正確なティカル遺跡の位置になります。
一方で四角で囲んだ部分がマヤ文明のエリアになります。
ざっくり言えば、マヤ文明とは『マヤ諸語』を扱う人々がかつて築いた文明です。
テオティワカン文明と「テオティワカンの影響」
一方でテオティワカン文明とは、メキシコ中央源のテオティワカンを中心とした文明です。
帰属遺跡としてはテオティワカンだけが突出して有名ですね。
上に挙げた地図で分かるように、先ほどのマヤ文明がユカタン半島に広がっていたのに対して、テオティワカンは遥か北西方向にあります。
このテオティワカン文明は正確には何語を話していたかは不明なのですが、古代メキシコ文化に属する文明です。
つまりマヤ人とは使用する言語が異なる、異言語集団の文明なのです。
地図で見て分かるようにテオティワカンとマヤ地域は非常に離れています。
例えばティカルの距離は直線距離でおよそ1000km程度離れていて非常に遠いのです。
それにも関わらず古典期前期後半(CE350~500)頃にはマヤ地域にて広くテオティワカン文明に由来する遺物・遺構がたくさん見られます。
これを『テオティワカンの影響』と呼んでいます。
↑ティカルの5号神殿
今回の発見について
この「テオティワカンの影響」の原因はテオティワカン人によるマヤ地域の征服ではないかと碑文学研究等で言われてきました。
しかしテオティワカン人がマヤ地域に居住した明確な証拠は現在までに発見されていなかったのです。
最近の小型航空機等を使ったレーザー測量技術の発達により、森林で覆われているマヤ地域の高精度マッピングが可能になっています。
そのデータを活かして新たに発見されティカルの5号神殿の裏手の居住区を発掘したところ、テオティワカン様式の建造物、及び4つの墓を発見したそうです!
ティカルとテオティワカンの関係が今後より詳細に分かるかも知れませんね!
↑最新の技術によるティカルのマッピング
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今でも私は地道にトータルステーションで測量調査してますけどね。
時代はどんどん移り行き、考古学もどんどん変わっていくなと感じる今日この頃です。
私の主要研究テーマに直結するのでまた進展がありましたら報告しますね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ
↓私の調査の成功も願いたい!(*^・ェ・)ノ↓
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