2020ねん 2がつ 13にち(もくよーび、晴れ)



↑石の列が見えます(「歩け、マヤ」管理人、撮影)
↑横から撮ってみました(「歩け、マヤ」管理人、撮影)
↑倒れた壁をどかした状態(「歩け、マヤ」管理人、撮影)
日本時間で日記書いてると混乱してくるので、現地時間に変更したよ( -д-)ノ
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↑建造物4F-19、3層上面の様子(
柳田康雄氏提供
「歩け、マヤ」管理人、撮影)今回の考古学・歴史ニュースは「2020年度ティカル遺跡発掘調査、第1週目の成果をまとめるよ」ってお話です(*・ω・)ノ
「歩け、マヤ」では既に何度か紹介したことがあると思いますが、マヤ文明で最も重要な遺跡の一つであるティカル遺跡で発掘調査を実施しています。
ティカル遺跡はグアテマラ共和国の北部、ペテン県フローレス市にあります。
ティカル遺跡は、ティカル国立公園として世界複合遺産に登録されており、世界中から大勢の観光客が訪れる著名な大遺跡の一つです(*・ω・)ノ

上の3番目の図に示したように、紫色の四角部分が2016年に調査したエリアになります。
今回の調査エリアは赤色の四角部分です。
これまでにい古代マヤの土器焼成址(窯)は発見されていないのですが、それと思しき遺構を2017年の資料調査の際に検出しました。
それが赤色四角部分のすぐ東になります。
この古代の窯と思しき遺構に最寄りの一般層住居を発掘し、窯と思しき遺構との関係性について明らかにし、当該エリアが土器工人集団の工房エリアと言えるかどうかをチェックすることが今回の調査の主要な目的となります(・∀・)つ
国内最古級となる弥生時代後期(1~2世紀ごろ)のすずりが福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で見つかり、市教育委員会が1日、発表した。この遺跡は中国の史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都とされ、邪馬台国時代の倭(わ)国(日本)が文字を用いて外交した裏づけとなる。
出土したすずりは石製で、長さ6・0センチ、幅4・3センチ、厚さ6ミリの破片。薄く裏面の粗い加工など中国・漢代の板石すずりと特徴が一致し、復元すると長さ10~17センチのほぼ長方形とみられる。弥生土器や朝鮮半島製の楽浪(らくろう)系土器が集積した「土器だまり」で見つかった。弥生時代のすずりは田和山遺跡(松江市)に続き国内2例目。
中国や朝鮮半島に近いこの一帯は日本列島と海外をつなぐ外交窓口だった。倭人伝は、伊都国には女王卑弥呼が派遣したともいわれる役人や海外からの使いがおり、文書類も点検したと記す。市教委は、すずりは倭人伝の記述を裏づけ贈答品の返礼書作成など外交文書のやりとりが行われていた、とみる。
西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「文字文化や外交文書行政の始まりを知る資料だ。先進文化は外交拠点のここに入り、国内に広がったのではないか。すずりの時期は(紀元前の)弥生中期にさかのぼる可能性もある」と話す。
調査エリアの名称は『4F』です。
上に挙げた図がエリア4Fの拡大図になります。
「Op.~(オペレーション・ナンバー)」は窯と思しき遺構群の位置で、特にOp.14が重要な遺構になります。
このOp.14に近い住居として、青色の網掛け部分を調査対象にしています。
今回の調査対象である建造物グループは2つの建造物から成り、西側が建造物4F-19、北側が建造物4F-20になります。
調査第1週目はこの内の、『建造物4F-19』を対象に発掘を実施しました(*^・ェ・)ノ

↑調査開始前の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)
調査開始前はこんな感じです。
ティカル国立公園で最も高級なホテルの裏手の従業員宿舎の更に裏に位置しています。
ホテルの拡大は禁止なのですが、実際には拡張しちゃってるので、いずれこの住居も無くなりそうですね( -д-)ノ
↑石の列が見えます(「歩け、マヤ」管理人、撮影)
↑横から撮ってみました(「歩け、マヤ」管理人、撮影)
地表面の土をどかしていくとすぐに石の列が出てきました。
2枚目の横から撮った写真が分かり易いのですが、一番左の一列は綺麗に直線的に並んでますよね。
それが住居の壁の一番下の切り石に当たります。
それより右にあるのは全て元々壁として上に積んであったもので、右側に倒壊した状態になっています(*^・ェ・)ノ
↑倒れた壁をどかした状態(「歩け、マヤ」管理人、撮影)
一番下の礎石だけを残して、倒壊した壁を取り除きました。
そうすると上の写真のように一面真っ白になりました。
これが『床面』です。
漆喰でコーティングされているので白いのです。
これが最終居住面になり、出土した遺物から古典期後期(ac.CE500-800)から終末期(ac.CE800-1000)頃に使用されたものと考えられます。
↑(「歩け、マヤ」管理人、撮影)
どんどん掘っていくと2番目の床、3番目の床が出てきました。
上の写真の左側、壁の礎石の下側に階段状に、帯状に残してあるのがそれぞれの床面です。
第1週目ではこの先も掘り進めて、母岩である石灰岩層まで到達しています。
【簡単なまとめ】
第1週目の成果は、
① 3回の床面の張替えを行っていることが分かった。
② 建造物4F-19における居住時期は全体的に古典期後期(CE500-800)だと分かった。
以上の2点です。
遺物の分析が進めば、土器焼成址(窯)との関係も分かるかも知れませんが、残念ながらこれまでのところ分かり易い明瞭な土器生産の証拠は見つかっていませんヽ(TдT)ノ
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一番下の動画、「くるくるシリーズ」は現地の人には大好評だったのですが、、、
実は『リコーシータV』がエラー起こして使えなくなりました。
よくあること(!?)らしく、問い合わせたところ、交換しないとダメらしいんですよねヽ(TдT)ノ
悲しいけど仕方ないので、また次の調査で「くるくるシリーズ」やりたいなと思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ
ネット環境があまり良くないのでアップも難しいのですが、何とか頑張ります。
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