発見があったのは青森県八戸市の法霊林遺跡です。
ここでは奈良時代の竪穴住居址が9基発見されました。
歴史の教科書&試験対策では、縄文時代と言えば竪穴住居、弥生時代は高床式倉庫、なんて機械的に覚えたと思います。
しかし上に挙げた写真のように奈良時代にも竪穴式住居が使用されています。
↑奈良時代の竪穴住居の図面(「7. 奈良時代の竪穴住居跡の復元」の図7を転載)
↑同じ図面ですが、「竈(かまど)」の部分を赤丸で示しました(「7. 奈良時代の竪穴住居跡の復元」の図7を一部改変)
↑竈(かまど)の構造を横から見た図(「新・筑紫潟の風」の記事内画像より転載;オリジナル図面は、稲葉・中山1983)
以上の3つの画像が竈の図ですが、住居内の焚口から住居の外側に向かってトンネルが掘られています。
これが「煙道」です。
タイトルに煙突と書きましたが、煙突が家屋の屋根の方に向かって伸びるのに対し、竪穴住居ではこのように地面の中を通って外側に煙が排気される仕組みになっています。
ちなみにロシアの事例などでは、煙が床下をうねうねと通って床暖のように機能してから排気されるような構造を有するものもあります(*・ω・)ノ
先ほど述べたようにこのような住居が9基見つかった中で、有力者の家であったと考えられる最も大きな住居の煙道の先(排煙部;外側の方)から、8世紀後半以降に作られたとみられる大刀が見つかりました。
↑残りの良い太刀(「Yahoo!ニュース」の記事内画像より転載)
儀礼のために入れられたと思われるこの大刀は写真で見られるようにけっこう残りが良いのです(*・ω・)ノ
写真の黄褐色部分が通常の堆積土層で、黒褐色になっている部分が煙道です。
大刀は鉄製で全長65cm、刃部の長さ48cmのサイズ、木製の鞘に納められています。
大刀は当時貴重品で、蝦夷(えみし)の有力者を埋葬したとされる末期古墳からの出土例が最も多いのです。
この出土した大刀は柄頭の形から「方頭大刀(ほうとうたち)」と呼ばれるものです。
大学の考古学の講義では超有名な蕨手刀(わらびてとう)と呼ばれるものは北海道や東北地方で多数見つかっていますが、こうした大刀はこれまで出土した例がありません。
また竈に土器が入れられていた事例は確認されていますが、今回の事例のように煙道の排煙部に大刀が入れられていた例としても初めての事例となります。
恐らく住居を廃棄し、立ち去る際の儀礼行為としてこのようなことを行ったと考えられますが、まだまだ良く分かっていない蝦夷と呼ばれた人々の社会を知る上で貴重な発見となりました(*^・ェ・)ノ
↑ちなみにアシタカが使っているのは蕨手刀の方です(*・ω・)ノ
↑古いジブリ作品は考古学要素がけっこう入ってたりしますヾ(´ω`=´ω`)ノ
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