2020ねん 10がつ 22にち(もくよーび、晴れ)
まとまってるのでおにぎりっぽいですけど、顕微鏡観察すると籾殻(もみがら)が付いていることが分かりました。
こちらは神奈川県、北金目塚越遺跡で検出された依存体です。
ちなみに同じ神奈川県の大久保遺跡では1軒の住居から総量5341.2 g(6 升2 合5.3 勺)もの炭化米が出土しているそうです(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?
出土したのは神奈川県横浜市の北川表の上遺跡です。
亀の歩みでも研究を進めるのだ(*^・ェ・)ノ
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今回は「おにぎりだって残るよ!🍙最古のおにぎりとお弁当箱の事例を紹介するよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
これまでにも「食べ物の考古学」を紹介してきました。
「まだ食べれるよ?」シリーズもあったように、食べ物って残る時は、しっかりと残るものです。
今回紹介するおにぎりは炭化して残った物なので、残念ながらまだ食べれる感じはしません( -д-)ノ
さて、ひとまずどんどん紹介していきますね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!
↑最古のちまき(「古代米販売」の画像より転載;現在ページは存在しない)
さて、これが炭化して見つかった「おにぎり状のもの」としては最古の事例になります。
出土したのは、石川県の杉谷チャノバタケ遺跡です。
約2000年前の弥生時代中期に帰属する竪穴住居跡から見つかったものです。
縄文農耕論もありますけど、やはり弥生時代に農耕へと生業活動の中心がシフトしていきました。
それでも恐らくこの時期に「おにぎり状の何か」は貴重なものだったようです。
上の写真だと二等辺三角形みたいに見えますけど、実際には円錐形をしており、山を崇拝していたからこの形状なのだとする説があります。
この「おにぎり状の何か」は研究の結果、炊かれて握られたものというより、おそらく蒸された後に焼かれたものであり、粽(ちまき)に近いものと考えられています。
なので、この依存体(たぶん植物依存体に分類されると思う( -д-)ノ)は「粽状炭化米塊(ちまきじょう たんかまい かい)であり、おにぎりじゃないのです。
↑こー見えて、もみ殻付きなのです(*・ω・)ノ(「青谷上寺地遺跡展示館」の画像より転載;現在ページが存在しない)
こちらも弥生時代中期に相当する依存体です。
出土したのは鳥取県、青谷上寺地遺跡です。
まとまってるのでおにぎりっぽいですけど、顕微鏡観察すると籾殻(もみがら)が付いていることが分かりました。
なのでこれもおにぎりではなく、籾殻付きのまま炭化した炭化米なのです(*・ω・)ノ
こちらは神奈川県、北金目塚越遺跡で検出された依存体です。
弥生時代後期後半に帰属する竪穴住居から見つかったもので、1700年前のものです。
めっちゃおにぎりっぽいんですけど、これも違います(゚ロ゚;)エェッ!?
実はこの遺物の表面についた籠の痕跡の形状から、握らず籠に入れただけの飯(調理済みの米)の塊が炭化したものと考えられています。
ちなみに同じ神奈川県の大久保遺跡では1軒の住居から総量5341.2 g(6 升2 合5.3 勺)もの炭化米が出土しているそうです(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?
5kgの米ってスーパーで買えるアレくらいですよ!( ・Д・)
凄いですよね、めちゃ貯めこんでる家だったのでしょうかね……
こちらは有名な奈良県、唐古・鍵遺跡で出土したものです。
弥生時代前期相当なので、約2400年前と、これまで紹介した中で最古の事例になります。
写真中の「1」が穂束です。
物凄い良好な残り方してますよねΣ(・ω・ノ)ノ
「3」が炭化籾です。
そして「2」が……籾殻付き炭化米です。
はい、またおにぎりじゃないのです(゚∇゚ ;)エッ!?
ようやくですが、これが正真正銘、『最古のおにぎり』ですヾ(´ω`=´ω`)ノ🍙
出土したのは神奈川県横浜市の北川表の上遺跡です。
写真中にも見られるように、帰属時期は古墳時代後期(約1500-1400年前)です。
これも竪穴式住居跡から見つかったもので最大長約15cmという大きな炭化米の塊8個が弁当箱に収められた形で出土しました。
左側に展示されているのが弁当箱の復元したものと、その中にあったおにぎりの状態を示したレプリカです。
さて、何故これまでの「おにぎり状の何か」はおにぎりではなくて、これはおにぎりなのでしょうか?
ここらが考古学らしいところだと思います(*・ω・)ノ
考古学では対象物をしっかりと定義します。
この場合、「おにぎりとは何か?」です。
別に哲学じゃないですよ( -д-)ノ
何を以っておにぎりと言えるかを考えるわけです。
つまりおにぎりとは、籾殻を除去し、ご飯として炊き上げ、その後握ったものなのです。
最初の事例では米粒の形状が潰れていたが、粥ほどではなく、かつ三角形状が作られていたので「ちまき」と判定されました。
他の事例は籾殻が付いていたので「精米前の米塊」ということになります。
おにぎりは包みや弁当箱に入っていた可能性が高いですし、この資料はその点では基準を満たしています。
更に確認としてこの遺物はCTスキャンで解析され、『表面が緻密な状態で中はふっくらである』ことが確認されたのです(・∀・)つ
おわりに ~おにぎりの歴史~
その後のおにぎりの歴史はというと、
奈良時代の『常陸国風土記』における「握飯(にぎりいい)」の記述が最初のようです。
- 平安時代には貴族が宴の際、蒸したもち米を握り固めた「屯食(とんじき)」と呼ばれるものを従者に振る舞ったとの記録があります。
- また、防人など兵士が携帯したとされ、やはりお弁当の基本はおにぎりだったようです。
- 鎌倉時代初期の1221年に起きた承久の乱では、鎌倉幕府側の武士に兵糧として梅干入りのおにぎりが配られたそうで、日本人としては基本の梅干しおにぎりの起源はここにあるのです(*^・ェ・)ノ
江戸時代には海苔の養殖が始まったこともあり、海苔でおにぎりに巻くようになりました。
これで私たちの知っている「普通のおにぎり🍙←コレ」の完成なわけですが、白米は江戸時代前期では貴重なものでした。
庶民におにぎりが普及するのは八代将軍・徳川吉宗の頃で、花見の際のお弁当箱(重箱)にもぎっちり詰められています。
ちなみに花見の庶民化もこの頃ですヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ
↑結構人気の食べれるシリーズ、記事内にビールのリンクもあります(*・ω・)ノ
……まだ「食べれるよ?」シリーズとか「古代のビール」シリーズとか、
どうやら私、食べ物関係の資料が好きみたいです(*^・ェ・)ノ
書いてて楽しいし、純粋にこんなに残るんだ!ってなるし、、、
あ、そうだ、
江戸時代に何故、おにぎりを海苔で巻くようになったかは不明だそうですが、、、
ノリでしょうね!( ・Д・)ウマイ!💖🍙
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