2020ねん 11がつ 7にち(どよーび、晴れ)
梅干しと食べると元気でる気がする(*^・ェ・)ノ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回の考古学・歴史ニュースは「2800年前の青銅製車輪付き馬車がバエるよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
元記事が分かりにくいなと、そしてこの馬車の写真は何だか見覚えあるなと思っていたら、、、
やはり今回の発見は2014年のものでした( -д-)ノ
元記事における今回のニュースは「この馬車が復元されたよ!」ってことなのですが、肝心の復元された写真がないので混乱しました。
なのでここでは単純に、「2800年前の青銅製車輪の付いた馬車の残り方がスゴイよ」って形で紹介することにします(。・ω・)ノ゙
発見の舞台は中国、陝西省にある周原遺跡です。
西周(紀元前1100年頃-紀元前771年)の末期に帰属する馬車と推定されています。
馬車の長さ(馬との連結部含み)は3.13m、幅は2.7m、高さは1.5mメートルです。
馬車の前方には馬の骨があり、4頭分あることが確認されています。
この馬の骨の一部を用いてDNAを解析した結果、4頭の馬はいずれも雄の黒馬だったことが判明したそうです(*^・ェ・)ノ
この周原遺跡では多くの奢侈性の高い遺物が出土しており、かつて大規模に盗掘が行われ、闇ルートでの遺物の売買が行われたことで知られています。
この遺跡ではそうした保存状態の良い遺物が豊富であり、またこの馬車も稀に見る保存状態の良さなわけですが、これらは意図的に黄土で埋められたことに起因しています。
埋葬形態のひとつに「陪葬(ばいそう)」というものがあり、これは主君を埋葬した墳墓の近くに近臣たちを埋葬することを指します。
一種の殉葬なわけですが、陪葬の場合は埋められた場所が異なるという点が違いです。
また例えば殉葬の場合、メキシコ、テオティワカンの事例のように多くは後ろ手に縛られていたり、斬首されていたりと強制的に生贄にされていることが多いです。
一方で陪葬の場合は、死後も主君にそのまま仕えることができるように丁寧に埋められているケースが多いのです。
さて、写真に見られるように馬車の車輪のフレームは青銅製なのですが、それだけではなく馬車の装飾も豪華で、大量のトルコ石が埋め込まれた青銅部材に薄壁青銅獣面装飾、玉細工、彩色上絵が施された部材が大量に発見されたとのことです。
残念ながらこの装飾品に関する写真はなく、元記事において考古学研究所はこのバラバラの装飾品類を復元したようですが、その写真もありませんヽ(TдT)ノ
元記事における「復元した」の意味が、下に挙げる写真のような元々の位置関係を明らかにして3D復元予想図を作ったという意味なのか、あるいはそれを基に馬車を作り上げたのか不明です( -д-)ノ
周原遺跡に関連した大きな博物館があること、中国は文化遺産の観光活用に力を入れて莫大な資金を投じる傾向にあることから、恐らくは展示用に馬車を復元していそうですね。
保存状態の良さから馬車の構造や工法について色々なことが分かっており、この馬車があまり使われていなかったことも分かっています。
「あまり」ということは陪葬用に準備した馬車ではなく、実際に君主によって使われていた可能性が高いと考えられます。
また形態的には軍事用馬車なのですが、非常に装飾性が高いことから、戦闘用ではなく当時の上流貴族の儀仗(ぎじょう)用だったと考えられています。
ちなみに儀仗というのは儀礼のために用いられる武器・武具のことです。
こうした陪葬の車馬坑は周原遺跡ではいくつか事例がありますが、今回紹介した事例はこれまでで最高の保存状態であり、各部品が最も完全な形で残っている馬車なのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!
おわりに
最後に挙げた写真の馬車の保存状態もスゴイですよね。
ポンペイで見つかった馬を思い出すレベルの保存状態の良さです。
2800年前の馬車というと当然、木製部位も多いでしょうによく残るものです。
……丁寧に扱えば、良く残る……
逆に雑に扱えば、残らない……
なるほど、それで「アカハラ万歳な」研究室では学生が残らないわけか!
考古学知識が現代社会に役立ったね!( ・Д・)
↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓
スポンサードリンク
コメント