2020ねん 11がつ 8にち(にちよーび、晴れ)
昨日は一日中頭痛でぽんこつだった(´・ω・`)
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今回の考古学・歴史ニュースは「17世紀の子供の共同墓地に見られる葬制が古代ギリシアものだったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
今回の発見の舞台はポーランド南東部のポトカルパチェ県です。
ここでポーランドを縦断する形でバルト3国とギリシャを接続する高速道路を建設していたところ、子供の共同墓地と思われる埋葬遺構集中が検出されました。
合計115体もの遺体が発見され、全体の70~80%は子どもの遺骨だと推定されています。
この埋葬遺構集中に見られる葬制の特徴は、頭部を西に向けている点、伸展葬である点、口に硬貨が入った状態である点です。
この区域では1604年にこの地域で最初の教区教会が建立されたことが分かっており、工事開始時は墓標等はなかったものの、小さな礼拝堂が残っていたことから、かつて子供用の共同墓地であったと考えられています。
こうした推測される教会との関係や共伴した硬貨の鋳造時期から、この子供の共同墓地は17世紀に帰属すると推定されています。
上に挙げた写真が工事現場、且つ発掘現場なのですが、人骨の周囲には石棺や木棺の痕跡が見当たりません。
またお墓は家族と共に埋葬されるケースが多いですから、もしかしたら孤児院のような身寄りのない子供たちのためのお墓だったのかも知れません。
そうであるならば、埋葬行為を行った側の人間、恐らく教会関係者には経済的な余裕がなく、木棺を使用することができなかったと解釈できると思います。
上の写真ではけっこう浅いところから発見されている気がしますし、深く掘るのも大変ですから余裕の無さを感じます。
一番上に挙げた写真では人骨の周りは根切りをしきれていない状態で、細かな植物の根が見て取れます。
そうした点から、けっこう浅いのかなと思います。
ただ遺構の周囲にはやや粘土質か、シルト質のようなしまりの強さを感じる土が積み上げられていて、黒っぽい腐植土が見られません。
上の写真では重機も写ってますし、高速道路の建設のために重機で粗方削平した後に埋葬遺構群が見つかったというのが妥当かなと思います。
なので、きっと野犬などの野生生物に掘り返されない程度には深く掘って、埋葬されていたと考えられます。
人骨の口の中から見つかった硬貨は、1587年から1632年までポーランドを治めていたジグムント3世の時代に鋳造されたものや、1659年から1668年にかけてポーランド・リトアニア共和国で使用されていた硬貨でした。
こうした口の中に硬貨を入れる風習は古代ギリシア(BCE???-BCE3650-BCE146)から受け継いだ埋葬儀礼におけるひとつの風習なのです。
ギリシア神話に登場する冥界の河の渡し守カロンには河の渡し賃として1オボロスを払わなければならず、払えないと死者は後回しにされ、200年間あたりをさまよわなければならないとされていました。
こうした風習は古代ローマにも引き継がれ、CE313年のミラノ勅令によりキリスト教が公認となった後、少しずつと廃れていきました。
それがこうして17世紀にまで細々と受け継がれていたということが今回のニュースなわけです(*・ω・)ノ
おわりに、渡し賃を計算してみた(・∀・)つ
今回発見された115体もの人骨は、研究・分析の後で別の教会にて再び埋葬されるそうです。
一度露出させた人骨を再埋葬すると空気に触れたこともあって、一気に分解が進んで研究資料としてはダメになってしまいます。
17世紀というとおおよそ300年前ですから、遺族(?)のことを想っての行為なのかもしれません。
日本のアイヌの事例やアメリカの先住民の事例だと500年くらい前でも返還を要請したりしていますからね。
本当に「土に返す」前に十分なデータの取得を行って欲しいものです( -д-)ノ
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ところで冥府の河の渡し賃が「1オボロス」なわけで、これが「1ドラクマの1/6」の価値だそうです。
1ドラクマはBCE500年段階で25USドル(2600円)の価値と推定されていて、古代ローマ期初期に当たるCE60年頃には一日の労働の対価ということで58USドル(約6000円)と推定されています。
ということは、渡し賃は約430円~1000円ってことになりますね。
冥府でも物価上昇か!( ・Д・)
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