2020ねん 11がつ 30にち(げつよーび、晴れ)

あれ、気付いたらもう11月終わる( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは土師器と須恵器の違いはやっぱり原料だったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は日本、奈良県

今回の研究にどこの資料を使ったのか不明ですが、少なくとも奈良文化財研究所(所謂、奈文研)の研究成果です。

まぁ土師器と須恵器の分析なので広く分布してますし、地元で出土した資料を使ってると思います( -д-)ノ

タイトルでは「日本考古学の基本」と書きましたが、程度の差はあれ、日本で考古学を学ぶ限り、土師器と須恵器の違いについては少なくとも自然に学ぶのではないかと思います。

また高校における「日本史」でも『B』の教科書であれば、土師器と須恵器の違いについて簡単に記載されています。




上に挙げたのが一例ですが、、、

土師器⇒弥生系で赤褐色

須恵器⇒朝鮮系で硬質・灰色

これで十分です。

大学受験だけではなく、考古学を専門にしてても時代や地域が異なれば、最後に覚えてるのは(記憶に留まり続けるのは)上記のそれくらいになるのではないかと思います( -д-)ノ

一番最初に挙げた写真でも左と右で色が全然違いましたよね?

左の灰色の土器が須恵器、右側の茶色っぽいのが土師器です。

ちなみに考古学を専門にしていると、「スエ、ハジ」なんて言い方をしたりします。

スエは朝鮮語で「鉄」を意味するため、須恵器は本来「鉄のように固い土器」という意味だったようです。

土師器も須恵器も古墳時代から平安時代まで生産・使用され続けた土器です。

須恵器は平安時代には「陶器」と書いて「すえもの、すえのうつわもの」と読んでいたそうです。

土器、炻器、磁器、陶器など考古学では「器」に対して色々な呼び方があって、それぞれ定義があります。

そのため「陶器」と書くと用語として混乱するので「須恵器」と書くことになっています。

ちなみに須恵器は炻器(せっき)に分類されます。





今回は土師器(土器)と須恵器(炻器 / 陶質土器)のお話になりますので、色調と質(硬さ)以外にも特徴を示しておきますね(*^・ェ・)ノ

土師器は素焼きの土器、つまり釉薬なしで焼成温度の低い野焼きの方法で焼かれた土器です。

野焼きは密閉性がないため自然と酸素が供給される酸化焔焼成であり、結果焼成温度が低く表面が赤茶色っぽくなります。

また成形方法として輪積み法で作られています。

一方で須恵器は窯焼きの土器で、釉薬なしで焼成温度が高い登り窯を用いて焼かれた炻器です。

窯構造を有しているため密閉性が高く、酸素が供給されないため還元焔焼成となり、発生した一酸化炭素によって粘土中の酸化物である酸化第二鉄が還元されて酸化第一鉄になるため色調が青灰色になります。

高温焼成なので須恵器の方が硬くなるのです(*^・ェ・)ノ

また須恵器の成形方法は轆轤(ろくろ)法です。

こうしてみると、何だか須恵器の方がしっかりとした立派な土器のように思えますが、実際にはそうではなかったようです。

「正倉院文書」によれば、土器の器種別の価格表から須恵器と土師器のあいだの価格差はほとんどないことが分かっています。

しかし蓋が付くものかどうかでおよそ倍の価格が付くそうです。

まぁ手間だし、妥当か( -д-)ノ




さて、前置きが長くなってしまいましたが、本題に入ります( -д-)ノ

土師器と須恵器の主な違いが製作技術や焼成方法であることが古い段階から分かっていました。

特に須恵器は高温で焼成するため、登り窯を使用する必要があり、この窯は斜面に作る必要があるのです。

平地でも登り窯を造れるけど、結局大量に土を盛って斜面を形成しなきゃならないのです( ・Д・)

そのため設置する窯の傍で取れる「山の粘土」を利用した可能性が想定されていました。

一方で、土師器は低温の野焼き法で焼成するわけですが、これは平地で行うものです。

現在でも東アジアや中米において野焼きで土器を焼く人々を見ることができますが、いずれも平地で行っています。

原理的には斜面でもできるのですが、面倒です。

例えば、キャンプに行ってバーベキューをするとして、わざわざ斜面でやりますか?

可能だけど、色々大変でしょう?( ・Д・)

なので野焼きは平地で行うもので、「平地で取れる粘土」が原料であると想定されてきたわけです( -д-)ノ

今回の研究ではこの『須恵器は山の粘土』、『土師器は平地の粘土』という想定を理化学分析によって明らかにしたのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

ハジ・スエの原料の違いを示すために注目したのが土器胎土のリン含有率です。

リンは肥料に含まれることから、土器胎土中のリン含有率が高ければ、原料の粘土は肥料がまかれた水田などで採取されたと言えると考えたわけです。

今回使用したのは平城京から出土した奈良時代後半の須恵器3点と土師器4点です。

平城京……利用した試料がどこのものか分からないと最初に書きましたが、、、

やはり奈良県、地元の遺物ですね!

手法は『破壊分析』なので試料数がとても少ないのは、こういった「理化学分析あるある」です。

土器試料を粉末状に砕き、1000度の高熱で不純物を取り除き、土器に含まれている化学成分の比率を測定したところ、土師器のリン含有率が1・39~3・62%と高かったのに対して、須恵器は0・02~0・08%と低かったそうです。

リンは水溶性で雨や水で流れてしまったり、植物に吸収されるにも関わらず、それでも土師器は高いリン含有率を示していたと判定しています。

文献史料等から奈良時代にはすでに定期的に田畑に肥料がまかれていたとみられ、このために土師器内のリン含有率が高まった可能性が指摘されています。

一方で須恵器の表面に見られる黒色の粒子は、炭化した木片「亜炭(あたん)」であることが示されました。

亜炭が含まれる粘土は主に丘陵地帯で採掘されることから、須恵器の粘土は山で採取された可能性が高いと言えそうです。

こうした結果から、土師器の原料は平地の田んぼで取れた「田土」、須恵器の原料は山で取れた「山土」の可能性が高いことが分かったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

今後更にこういった研究が進めば、土器の粘土の採取場所を調べたりすることも可能になるかも知れません。

そのためには新たな非破壊分析法を確立することや、それによって数を見ること、つまり試料数(N値)を増やすことが必要になってくるでしょう。

また土器胎土の中に肥料が含まれていると考えるであれば、農耕の始まった時期、少なくとも肥料の使用が開始された時期を推測する研究も行うことができることになりますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




おわりに、ー土師器の名の由来ー

須恵器の名の由来は朝鮮語と話しましたが、土師器の方はというと……

大阪府、藤井寺市に「土師ノ里駅」という場所があるそうです。

ここは古墳時代の豪族、土師氏に由来する地名だそうです。

土師氏は土師器を生産していた豪族だったのでしょうか、これが土師器の名称の由来だそうです(*・ω・)ノ

土師もそうですが、須恵器の方も、全国に須恵村とか須恵町といった地名があるようです。

かつては色んなところで生産されていて今でも地名として残っているんですねヾ(´ω`=´ω`)ノ

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簡単な記事にするつもりだったのに、、、

土器を扱うと長くなるぜ!( ・Д・)



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