2021ねん 1がつ 13にち(すいよーび、雪)

のんびりできたよーな気がする一日であった(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは宿泊者の忘れ物の中に土方歳三のものかも知れないキセルがあったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は滋賀県、草津市の草津宿です。

草津宿と書いて「くさつじゅく」と読みます。

東海道と中山道の分岐点だった草津宿(滋賀県草津市)の宿泊所「草津宿本陣」(国史跡)で、江戸時代後期の旅人の忘れ物「失念物」18点が見つかった。副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)ら新選組幹部の誰かのものとみられる木製の煙管(きせる)入れもあった。当時の旅の様子や宿場の運営を知る貴重な資料となりそうだ。草津市教育委員会が25日、発表した。

 昨年6月以降、本陣の土蔵に残されていた資料約1万4000点を調査し、判明した。失念物は、たんすの引き出しから発見。まとめて保管されていたとみられ、1点ずつ和紙の付箋が結わえられ、見つかった場所や日付などが記入されていた。煙管入れは長さ約17.5センチで、黒い木綿製の袋に入れられ、付箋には「新選組様 五月九日御泊 壱番間ニ御失念物」とあった。


現在、「草津宿本陣」として国指定史跡になっています。


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↑これが草津宿(「草津市」のHPより画像を転載)

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↑草津宿の見取り図(「草津市」のHPより画像を転載)


この宿屋の蔵を調べていたところ、箪笥(たんす)の中から宿泊客が忘れていった様々な品々が出てきました。

その中に携行用の布袋に入った木製のキセルがあり、現在で言うところのタグが付いていました。

表記は「新選組様五月九日御泊(おとまり)壱番間ニ(いちばんまに)御失念物(おんしつねんぶつ)」です。

そうこれ、所謂、「忘れ物」です。

宿泊した新選組の面々がチェックアウトした後に、部屋内にキセルが残されていたので、宿の者がメモ紙を結び付けて保管していたのです。

東海道と中山道の分岐点だった草津宿(滋賀県草津市)の宿泊所「草津宿本陣」(国史跡)で、江戸時代後期の旅人の忘れ物「失念物」18点が見つかった。副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)ら新選組幹部の誰かのものとみられる木製の煙管(きせる)入れもあった。当時の旅の様子や宿場の運営を知る貴重な資料となりそうだ。草津市教育委員会が25日、発表した。

 昨年6月以降、本陣の土蔵に残されていた資料約1万4000点を調査し、判明した。失念物は、たんすの引き出しから発見。まとめて保管されていたとみられ、1点ずつ和紙の付箋が結わえられ、見つかった場所や日付などが記入されていた。煙管入れは長さ約17.5センチで、黒い木綿製の袋に入れられ、付箋には「新選組様 五月九日御泊 壱番間ニ御失念物」とあった。

東海道と中山道の分岐点だった草津宿(滋賀県草津市)の宿泊所「草津宿本陣」(国史跡)で、江戸時代後期の旅人の忘れ物「失念物」18点が見つかった。副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)ら新選組幹部の誰かのものとみられる木製の煙管(きせる)入れもあった。当時の旅の様子や宿場の運営を知る貴重な資料となりそうだ。草津市教育委員会が25日、発表した。

 昨年6月以降、本陣の土蔵に残されていた資料約1万4000点を調査し、判明した。失念物は、たんすの引き出しから発見。まとめて保管されていたとみられ、1点ずつ和紙の付箋が結わえられ、見つかった場所や日付などが記入されていた。煙管入れは長さ約17.5センチで、黒い木綿製の袋に入れられ、付箋には「新選組様 五月九日御泊 壱番間ニ御失念物」とあ


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上に挙げた写真のように、宿泊客の忘れ物は全部で18点見つかり、いずれも幕末の様子を伝える貴重な資料となっています。

新選組との関係性が伺える特に貴重な木製のキセルは長軸が約17cmでした。

この木製キセル自体が幕末においてどういった位置づけなのかについては分かっていないようです。

上に挙げた2、3枚目の写真の上部に見られるのが、宿泊客について記録する「大福帳」という宿泊者名簿です。

これと照らし合わせたところ、1865年、慶応元年の5月9日の欄に「新選組土方歳三様 斎藤一様 伊藤甲子太郎様 藤堂平助様」と幹部4人の名前が書かれていました。

キセルの袋に付けられたタグと内容が一致したのです。

この時書かれていた名前は幹部、つまり代表者の名前であって、実際には他の隊士と合わせて32人が泊まっていました。

しかし少なくとも新選組の忘れ物なのは間違いありません。


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記述の内、宿泊年に着目してみると、新選組隊士らが宿泊したのが1865年、その前年の1864年は有名な『池田屋事件』が起きています。

池田谷事件は、京都三条木屋町にある池田屋という旅館に潜伏していた長州藩や土佐藩を中心とした尊王攘夷派志士を新撰組が襲撃した事件です。

この襲撃の成功により当時の社会でも新選組の知名度は上がっており、これを機に新選組は江戸に出向いて隊士を募って勢力拡大を図りました。

その後、京都に戻る途中で草津宿本陣に宿泊したのです(*・ω・)ノ

一方で忘れ物のタグの部屋名に注目にしてみると、「壱番間」と書かれています。

気付いた人もいるかと思いますが、先ほど挙げた草津宿の見取り図の中に「壱番間」という名称はありません。

この壱番間がどこの部屋を指すのか分かっていないのです( -д-)ノ

また宿泊者名簿である「大福帳」には代表者名はあるものの、どこの部屋に誰が泊まったかは書かれていません。

現代のホテルで考えると大体「001号室」は1階のフロントの近くですよね。

101号室と書くかもしれないし、フロントだけでワンフロア使ってる規模のホテルだとまた異なるなど、様々なバリエーションがあります。

もし壱番間が「一番いい部屋」を指すならば、新選組の中でも幹部達が宿泊した可能性が高いですよね。

だとしたら、4分の1の確率でこの忘れ物のキセルは土方歳三の物ってことになりますね(・∀・)つ

まぁ私は「るろうに剣心」の影響で斎藤一も好きなので、私が知ってるレベルの有名どこのキセルである確率は2分の1だ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





おわりに

私、正直言うと、あまり戦国時代とか幕末とか、一般の方が好きな所謂「歴史」にそこまで興味ないのですが、、、

これは好きかも知れないヾ(´ω`=´ω`)ノ

文献史学の方面からだけではなく、考古学の方面からも今回の「キセルは誰のもの?」についてアプローチできるような気がしますね。

幕末なんて当然専門外なんだけど、、、

「キセルは誰のもの?」について、

趣味として研究やってみるかな!( ・Д・)



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