2021ねん 2がつ 24にち(すいよーび、くもり)
くそ~、今月2月だから短いじゃん!ヽ(TдT)ノ
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今回の考古学・歴史ニュースは「古代マヤ社会においてカカオ豆は通貨じゃないよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
さて、今回の舞台はユカタン周辺、マヤ文明です。
今回は「お金の歴史」のひとつとして『マヤ文明の通貨』について紹介したいと思います。
上に挙げた写真でご察しの通り、マヤ文明の通貨と言えば、、、カカオ豆です。
ちなみに、マヤ文明と言えばチョコレートの発祥の地として有名です。
カカオは中南米原産で、古くは紀元前1900年頃にオルメカ文明において栽培されていたことが分かっています。
マヤ文明では古典期後期(西暦500-1000年頃)の土器などに見られる絵画でチョコレートを飲料として飲んでいる図像が頻繁に見られます。
なので明瞭に分かる事例として、最初のチョコレートは飲み物、つまりココアだったわけですヾ(´ω`=´ω`)ノ
現在だとココア作る時に、パウダーを牛乳で溶かして、ちょっとバター入れたりして作りますよね?
マヤ文明、古典期におけるチョコレート(ココア)は少なくとも、水で溶いて、少し蜂蜜を入れたとも言われていますが、香辛料も入れていたと言われています。
だから、マヤのココアは辛い?Σ(・ω・ノ)ノ
王族・貴族などのエリート層が飲む、滋養強壮効果のある貴重な飲料だったようです。
どうやら今のココアとは大きく違ったようですね( -д-)ノ
さて、チョコレートのスペイン語版はチョコラーテ、これは固形だけではなく飲料のココアも意味します。
チョコラーテの語源はアステカ文明が使ったナワトル語の「ショコラトル」です。
この時のショコラトルにも香辛料が入っていました。
このショコラトルを征服者であるスペインがヨーロッパに持ち帰り、17世紀にはココアが一大流行します。
そうして現在は甘いココアだけではなく、固形のチョコレートとして世界的に愛される品となっているのです(*・ω・)ノ
さて、話を戻しますと、最初に述べたように「マヤ文明の通貨はカカオ豆」というイメージがあります。
比較的新しい論文である「Baron 2018」によれば、古典期マヤ社会(西暦250-1000)でもカカオ豆が通貨であったとされています。
これは先にも少し述べましたが、「古典期後期に土器の図像などに飲料としてのチョコレート(ココア)が描かれることが増えたから」と、モチーフの変化を根拠にしています。
上に挙げた写真が典型的な古典期後期の絵文書様式土器(コデックススタイル土器)の図像(展開図)です。
絵文書様式土器に描かれるモチーフはここに挙げた事例以外にたくさんの種類があるのですが、ここでは「カカオ豆が通貨だった説」に関係あるものとして『高貴な身分の人物に贈り物をしているシーン』だけを意図的に集めて表示しています。
①は、、、この展開図自体がちょっと変です。
右の人物の手前にある縦長のバーというか壁みたいのが「仕切り」です。
なので、、、
本来はこのように展開させます。
上図中のダッシュは繰り返し部です。
「a」の人物が手を広げて、「どーぞ( -д-)ノ」的に品物を見せているシーンでしょうか。
その後ろには「目録」のような書類(斜めのバー+円形の支えから成るモチーフ」)が描かれています。
「b」、「c」の人物の手前には土器の容器に入った品物と風呂敷のような布に包まれた品物が置かれています。
また「c」の人物の後ろには「蓋付きの円筒土器」が置かれています。
この円筒土器がチョコレート(ココア)を飲むための容器と考えられており、しかし飲料の状態で運搬するとは考えにくいため、バロンはカカオ豆として運搬・献上したと考えているのです。
ちなみに土製の蓋が出土するのはメキシコの「テオティワカンの影響」によるもので、古典期前期後半(西暦350-550年)によく見られます。
その場合は三足円筒土器に付随する蓋です。
ここでは円筒土器に蓋が付随しているので、恐らく古典期後期前半(西暦550-650年)あたりの様子を描写したものである蓋然性が高いです(*・ω・)ノ
上に挙げた2枚の写真では、少し高い台状部分に腰かけた偉い人物がいて、彼に対して贈り物をしています。
様々な形の土器が並べられていて、時にマヤ文字による表記が見られます。
②の図の高貴な人物の右下の土器に置かれているものは「タマル」と呼ばれる、現在でもグアテマラなどで食べられるトウモロコシを蒸かした団子です。
現在では鶏肉を中に入れます。
この推測が正しいのならば、昔から食べられていたようですね(*^・ェ・)ノ
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さて、こうした色々な贈答品のやり取りが描かれた図像がたくさんあるわけですが、こういったものだけで「カカオ豆が通貨」であったとするのは難しいと思います。
16世紀以降のスペイン植民地期の記録では確かにカカオ豆が労働賃金として利用されていたのですが、古典期(西暦250-1000年)では確認されていません。
一般的に古典期マヤ社会の中心地はティカルの所在するマヤ中部低地と考えられていますが、カカオの生産が行われているのはずっと遥か南の太平洋岸域といった熱帯地域なのです。
希少価値が高いため信用性はあるとは言え、自分たちで生産もできず流通量も少ないカカオ豆を果たして通貨として利用したでしょうか?
たぶん間違いだと思います。
恐らくカカオ豆は交換財の一つとして機能はしていたでしょうが、ジャガーの皮、塩、織物、海産貝などの交易品も同様に交換財として機能しており、特定の通貨はなかったと考えるのが普通だと思います( -д-)ノ
おわりに
ところで、今回絵文書様式土器の展開図をいくつか紹介しましたが、図像に見られる土器だけを集めた研究も面白そうだななんて昔から思ってます。
でもなかなか実行できていません。
たぶん誰かやってそうですしね( -д-)ノ
次、手が空いたらのんびりやってみようかな。
図像学的な研究だけではなく、実際の土器研究と関係させて書けば先行研究ないはず!
問題はいつ手が空くかだ!( ・Д・)
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