2021ねん 4がつ 16にち(きんよーび、くもり)
無理して働くより、コツコツ確実にの方がいいね、今更気付いたよ( -д-)ノ
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今回の考古学・歴史ニュースは「沖縄、与那国島海底遺跡の真偽について考えてみたよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
さて、今回の舞台は沖縄県、与那国島です。
「与那国島海底遺跡」って聞いたことありません?
私は昔、特命リサーチ200Xで見たのが最初だったような気がします。
というのもこの遺跡の発見はけっこう昔のことなのです。
簡単に概要を示すと、、、
この遺跡は1986年に地元のダイバーによって巨大な階段状構造が発見され、1995年に地元紙に大きく取り上げられて広く注目を集めるようになりました。
1992年以降に琉球大学理学部教授であった(現在は同大学名誉教授)木村政昭を中心として調査が実施されています。
ただ沖縄県文化局は人が関与した痕跡があると判断できないとの理由で、『遺跡として認定していない』そうです。
まぁ記事の関係上(私が面倒なので( -д-)ノ)、本記事では「与那国島海底遺跡」のことを、『この遺跡は・・・』みたいな感じで記述しますが、省略以外の意味はありません( ・Д・)
*当サイト「歩けマヤ」が大好きな人はもうご存知でしょうが、現役考古学者が運営していますので、宇宙人やUFO、UMA等々の専門外のオカルトには寛容がありますが、『超古代文明』系オカルトのような、私たち考古学者に喧嘩を売るエセ科学はボコボコにしますので、オカルト大好きな方はこの先読まないことをお勧めします( -д-)ノ
この与那国島海底遺跡については日本のメディアではもう下火になっています。
というのも「人工説、遺跡説、古代文明説」みたいなことを言ってる研究者って、先に挙げた木村政昭しかいないのです。
彼が現在、名誉教授になっているので年齢的に以前ほどの活発な調査研究を行っていないというのが、日本での話題性が下火になっている理由の一つでしょう。
一方で海外では最近特にとても人気が高いんですよね。
YouTube動画見てても、オカルト系番組はもちろんのこと、まっとうな海外の歴史系番組でもけっこう取り上げられています。
なんでだろう?
まぁ良くも悪くも、日本人はなんだかんだリアリストで、海外の人は夢見がちな傾向ありますからね( ・Д・)
(例:私「実は考古学者なんだ!」
海外の女性「え~ロマンあるね!」
日本の女性「え、それ稼げるの?」)
さて、内容を見ていくと、木村政昭はこの与那国島海底遺跡に関して考古学や地質学の学会での研究発表業績がないそうです。
まぁ確かに考古学雑誌では少なくとも見たことない気がします。
本記事の趣旨とずれるので詳細は省きますが、地質学者からは自然地形説、浸食説が提示されていて、この巨大な「遺跡」は人工物ではないと結論付けられています。
まぁこれは専門外ですしとやかく言いませんけど、解釈も妥当かなと感じます。
他方で考古学者もまともに取り合ってる人はいないと思うのですが、理由は簡単!
考古学的な証拠が一つもないからです。
そもそも検討の余地すらない( -д-)ノ
でも遺跡・古代文明説や超古代文明説についてそれぞれ見ていこうかなと思います、私、優しいので( ・Д・)

↑デカすぎなのさ( ・Д・)(「蔵瀬抜刀」さんのTwitter画像より転載)
さて、上に挙げた図もそうですが、この遺跡はデカすぎなのですよ。
一般的にはデカいからインパクトあるし、一見良さそうに見えるけど、人工説・遺跡説を唱えるならばこれは良くないです( -д-)ノ
何故か?( ・Д・)
これが遺跡ならば、単に遺跡とは言えず、自動的に文明説になっちゃうからです。
この遺跡が、都市遺構だろうが、神殿跡だろうが、サイズの問題で文明ありきを前提にしてしまうのです。
ところで、よくYouTube動画で「縄文時代は世界最古の古代文明」とかそれに近いことうたってる動画ありますけど、間違いです。
研究者の定義にもよりますが、私に言わせれば、『文明=国家段階』です。
(*簡易に記述しています。詳細を書くと長くなるので、気になる方は考古学や人類学辞典をご参照下さい( -д-)ノ)
なので縄文時代は国家段階ではないので文明って呼称はダメってことです。
この遺跡の場合は、あまりに巨大な構造物なので、これが人工物ならばそれが何であれ文明段階つまり国家段階、少なくとも国家形成期段階の遺構と言えるでしょう。
また少し話は逸れて、最近、量子力学等の物理分野で『時間は存在しない』ってのが流行ってますね。
他分野の理論や考え方が他でも活きる事例が近代以降多々確認されている科学界ですが、考古学では「時間はない」って感覚が遥か昔からあると思っています。
だってまさに我々にとって「時間=変化」ですから(*^・ェ・)ノ
さて、話を戻すと、仮に「与那国島海底遺跡」が人工物と仮定してみましょう。
①与那国島海底遺跡が人工物、つまり遺跡である(仮説)
②ならば、対象遺構は莫大な労働力が用いられた巨大な建造物なので、都市あるいは神殿といった機能・用途が不明であったとしても、少なくとも国家形成期あるいは初期国家段階の遺構と想定できる。
③ならば、初期国家段階の人口はおよそ1万人程度との伝統的な先行研究事例を基に考えると、近隣の島(与那国島、あるいは沖縄本島など)にそのレベルの人口を有した社会が存在したことになる。
④保存・依存状態や海流などの様々な事情により遺構周辺の海底から土器や石器などの関連遺物が発見できないにしても、周辺の島々には巨大建造物を建設・利用した人々の生活の痕跡が残るはずである。
⑤そうした生活の痕跡は、最初期のヒトの移住から始まり、巨大建造物を建造可能な技術を有する人口およそ1万人の社会に達するまでの全過程に関して考古学的に痕跡が残るはずである。
とまぁこんな感じに論理展開していくことになります(。・ω・)ノ゙
「時間=変化」の話と繋がってるのですが、分かりましでしょうか?
いきなりポンとモノは出来ないのです。
必ず過程があります。
モノが大きかったり、複雑であったりすればするほど、その分過程は長くなり、各過程における痕跡が残り、考古学的に認められる可能性が増大するのです。
さて、では先述の論理展開を基に、遺跡・文明説と超古代文明説を見ていきましょう。
A:遺跡・文明説:最も新しい発表では2000~3000年前の遺跡と推定
B:超古代文明説:古代の海面上昇を根拠に1万年前の遺跡と推定
・・・Bの超古代文明説は簡単な説明でサクッと片付けます!( ・Д・)
去年あたりから縄文時代草創期の土器研究とか始めてみたのですが、対象の土器で1万3000~4000年前ですよ。
1万年前は縄文時代早期ですもの・・・そんな大きな社会は当然ないですよ( -д-)ノ
ちょうど今年度は沖縄で資料調査をする予定なので、しかもちょうど沖縄の最古の土器の爪形文土器を扱うのですが、これで縄文時代後期(ca.3500-4500年前)並行の判定(国分ら 1959: 49)ですよ?
【参考文献】
国分直一、川口貞徳、曾野寿彦、野口義麿、原口正山
1959 『奄美大島の先史時代』九学会連合奄美大島共同調査委員会編、日本学術振興会
一方でAの遺跡・文明説だと2000~3000年前という推定だから、おおよそ新しく見積もって弥生時代、古くとも縄文晩期相当になります。
ここで沖縄の土器の例として私が述べているのはあくまで上記参考文献中の奄美大島の爪形文土器についてですが、縄文後期に南九州で代表的な市来式土器の影響を受けて、奄美大島の爪形文土器が成立したとされています(国分ら 1959: 49-50)。
この爪形文土器は奄美大島だけではなく、沖縄本島や宮古島などの南琉球でも出土しており、時期に大きな違いはないようです。
ということはAの遺跡・文明説を取ると、南九州の縄文人の影響を受けて土器を作り始めた人々が資源の限られた小さな島にも関わらず、僅か1000年で一気に九州の縄文人・弥生人を追い抜いて国家段階に達し、与那国島海底遺跡を建造したということになります。
そんなスゴイ人たちはその後一体どうなったのでしょう?
これも「時間=変化」の感覚です。
文化も社会も突然現れないだけではなく、突然消えませんから(´・ω・`)
ちなみに人口だけで言うと、現在の与那国島の人口は1625人( ・Д・)
↓実際の海(?)底遺跡と言えばこんなのがあります(*・ω・)ノ
↑スキューバのライセンス欲しい…って昔から思ってる( -д-)ノ
おわりに
エジプトのスフィンクスが1万年前に造られたっていう地質学研究者もいたけど(今度記事にしますね)、オカルトはさておき、超古代文明系で一応ちゃんと研究やってるのに明らかに間違った解釈を述べる研究者って、考古学との協調性がない点で共通していると思います。
いくら考古学が比較的新しい学問とは言え、これまでに地道に積み上げてきたものが一気にひっくり返ることは滅多にないですからね( -д-)ノ
アメリカ大統領のジェファーソンによる科学的な考古学調査の開始を始点にしたとしても、約250年の歴史があるわけですから!( ・Д・)
↓ジェファーソンについて紹介してます(*^・ェ・)ノ
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まぁ予定通りに与那国島海底遺跡の人工物説・遺跡説を批判してきましたが、、、
もし本当に遺跡ならそれはスゴイことなのですが、どうやら違うので、間違った情報を流すのは良くないという想いから本記事を書きました。
現代社会では情報はあっという間に飛んでいきますから、仮に与那国島海底遺跡を「超古代文明の遺構だ!」って言って持ち上げて観光客を呼び込むことも可能ですが、すぐに世界中から日本の研究者は何をやっているのかと厳しいご指摘を頂くことになるでしょう...(#`皿´) ムキーーーー!(´・ω・`)ゴメン
そんな危ないことしなくても既に観光的には、与那国島海底遺跡は「遺跡ポイント」と呼ばれていて、人気のあるダイビング・スポットになっています。
これから先、たくさん訪れるダイバー達によって重要な何かが発見されることで新たな局面を迎えるかも知れないけれど、もう十分に与那国島海底遺跡は与那国島の貴重な観光資源となっていると思います(*・ω・)ノ
・・・大きな発見で目立つのはいいけど、叩かれるのはやだね!( ・Д・)
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コメント
コメント一覧 (4)
地形を利用した遺跡である可能性はあるかと思います。
海水面の上昇は100m以上にわたる時期がありましたので、この島は露出していた際に海の民に利用されたかもしれません。
地理的には台湾が近く、沖縄諸島も相当数の島があったことを考えると特別視されることもなく、石碑を作る文化がなければ文字のやり取りは木簡などでしょうから残りません。(材質で残らない文字がたくさんあると思います)
発見されたことから考察する学問なのでピースがはまらない限り謎のままですが、船着き場に見えたもので完全に自然にできて人に利用されなかったのはどうかと思います。
海面の上昇に合わせて、船着き場の位置も更新されたようにもみえます。
コメントありがとうございます。仰る通り、考古学は発見されたモノ(遺構、遺物)を対象として研究を行う学問ですから、考古学の立場ではこの事例に関してそもそも研究対象にはなりません。また私たちは自然地形を利用していても人工的に加工をしていないかあるいはその痕跡が認められないならば人類活動の所産として認めない立場です。
ただ年末で少し暇な人さんの冷静なコメントを拝読させて頂いた限りでは、当時の人類の居住にちょうど都合の良い地形をそのまま活用し、僅かな加工痕や人工物は長期間の水没中に失われたと考えるならば、年末で少し暇な人さんの考えるような遺跡であっても良いのかも知れませんね。
のんびり更新サイトですが、今後とも宜しくお願い致します(*_ _)ペコリ
アメリカの教授が同じような事を言ってますね
横から失礼しました。
自分で何を書いたかすら覚えていなかったので読み直してみましたが、、、サクッと読み直した結果、粗が多くて誤字や表現を修正する機会を得ました、ありがとうございました(*_ _)ペコリ
さて、「アメリカの教授が同じようなことを言ってる」という件ですが、沖縄の最古の土器の具体的な検討を除くと(私の研究が少し進んだので書いてあることを少し修正する必要が出てきましたが(;´・ω・))、『考古学者として基本的な論理展開』を主軸として書いてます。なので、研究者レベルというわけではなく、考古学を勉強した学部生レベルでもこうした論理を用いた超古代文明説の否定は可能と思います。
またのコメントをお待ちしております(*_ _)ペコリ