2021ねん 6がつ 10にち(もくよーび、晴れ)

仕事が進む1週間であったが、記事を書かない1週間でもあった( -д-)ノ

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arukemaya1549

↑モザイクもっと強くかけなきゃ、ひっかかるかな?( ・Д・)(アダルトグッズ販売ページの画像よりテキトーに作成( -д-)ノ*アダルト系なんでリンク貼りません。あしからず。)


今回の考古学・歴史ニュースは密かにファンが多いらしいよ!?石棒のデータが公開されたよ! & 本当にあったらしい都市伝説的な考古学エロ論文を紹介するよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は岐阜県、飛騨市です。

飛騨市はたくさん石棒が見つかっており、「飛騨みやがわ考古民俗館」に多くが所蔵されています。

この飛騨みやがわ考古民俗館を拠点として「石棒クラブ」という団体が発足しており、関係人口の増加と小規模ミュージアムの在り方についての考察・実践を目的として活動しています。

石棒という飛騨市で特徴的な出土遺物を有効活用した「地方創生」チャレンジを行っています。


↓気になる方は是非!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↑綺麗な見やすいページです(*・ω・)ノ(*例によって回し者ではございません( -д-)ノ)


さて、この石棒クラブは考古資料の3Dモデル化、つまり『石棒』を3Dモデリングしています。

現在までに20点の資料をモデル化していて、オープンソースとして使えるそうです。

以下に一例を紹介しますね。

是非、石棒をぐりぐりしてみてください( -д-)ノ



arukemaya1552



なんでこんなことをしているのかというと、、、

私も最初は、飛騨市は石棒で有名な町だから、町おこしの一環とか、文化財活用の一環として注目を集めるためにやってるんだろうな~なんて思っていましたが、実態はより深刻なようです(´・ω・`)

現在の埋蔵文化財法では出土した遺物はその市町村で管理するのが普通なのです。

詳しい事情は分かりませんが、恐らく飛騨市は飛騨市でも出土した遺跡が飛騨市宮川町に所在するのだと思います。

だから多量の石棒を所蔵しているのは飛騨市宮川町の博物館「飛騨みやがわ考古民俗館」であり、そしてこの博物館が飛騨市の市街地ではなく、宮川町の山の中にあるということが問題のようです。

アクセスが悪いので当然、集客が難しく、結果として常駐の学芸員等を雇用できず、年間30日しか開館できないそうですΣ(・ω・ノ)ノ

大学で学芸員資格取る時に博物館学を受けるとよく聞く話なのですが、日本って一時期にブーム的に多量に博物館を設置したのです。

でも現在、国から補助金がもらえるのはごく一部の博物館のみとなり、結果、博物館は維持が難しいレベルで経営困難なのです。

かつて何でも民営化した政権がありましたが、博物館も民営化されて久しく、現在でも様々な問題を抱えています。

この飛騨みやがわ考古民俗館の抱える諸問題の経緯は分かりませんが、飛騨市がしっかりと支えて上手に運営していけるといいですね(。・ω・)ノ゙

さて、上に挙げたのは石棒クラブで紹介しているオープンデータの使用例なのですが、石棒型のろうそくにフィギュア・・・

心の汚れた私には卑猥な使用法しか思いつきません( ・Д・)


arukemaya1554


そもそも石棒とは何か?

石棒は縄文時代に作られた石製の遺物です。

一般的には「男根」を模したものと考えられています。

磨製石器の一種に分類されるので、たくさん『こすって』作ります。

また石棒は被熱を受けたり、破損した状態で見つかることも多いのです。

なので、


石棒の祭祀では、「勃起→性行為→射精→その後の萎縮」という男性器の一連の状態が「摩擦→叩打→被熱→破壊」として疑似的に見立てていたとされる
(wikiより転載;山田 2019:204)

*参考文献
山田康弘 2019『縄文時代の歴史』講談社現代新書


なんて言われたりもします。

でもこれまでに紹介してきたように、祭祀に使う品って被熱を受けたり、破壊されたりすることは世界的にみてよくあることなのですよね(*・ω・)ノ


↓土偶はなんでバラバラの状態で見つかるの?ってお話(*^・ェ・)ノ






先に挙げた画像や上に挙げた画像をよく見てもらうと分かるように、石棒といっても色んな種類・形態があります。

広義には石刀や石剣も含むのです。

上に挙げた画像では仏具と形態が似ていることから名付けられた「独鈷石(どっこいし;写真右上)」も入っています。

これは木製の柄に装着されて使用されたと考えられる祭具です。

具体的にどのような儀礼行為であったのかは正直分かりませんが、世界的に見られる豊穣や子宝を祈願しての男根信仰はあったでしょうし、そのための石棒もあったと思います。

しかし縄文時代という長い期間、日本列島という広い地域において、石棒といっても様々な形態があって、様々な使用法や儀礼行為があったことも想像に難くないのです。

ま、古代の儀礼の話になると、やけにリアルなエロイこと書く論文が多いのも事実!( ・Д・)


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