2021ねん 8がつ 14にち(どよーび、晴れ)
完全に夏休みモードだった。。。頑張ります( -д-)ノ
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今回の考古学・歴史ニュースは「イスラエルで土師器が出たのかと思ったけど違ったよ!でもレアな発見らしいよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
さて、今回の舞台はイスラエル南部のキルベット・エル・ライ遺跡(Kirbat er-Rai)です。
まぁここで「士師記」の文章入りの土器が見つかったよってニュースなのですが、私には「土師器」かと思ってめちゃくちゃ驚きましたΣ(・ω・ノ)ノ
考古学やってる人なら、見間違えた人、私だけじゃないはず( -д-)ノ
土師器とは?
土師器って一般的には知られていない土器だと思います。
何故かというと小中高の歴史の教科書は「縄文時代は縄文土器」、「弥生時代は弥生土器」って教えるくらいの内容ですからね。
もちろんそれぞれの時期には他にもいくつか覚えるべき単語は僅かながらあるわけですが、テストにほぼ出ないですし、日本という国が学校教育として古代に興味関心がないのは明らかですね( -д-)ノ
この弥生土器に続く土器が「土師器」です。
まぁつまりは古墳時代の土器です。
正確には古墳時代だけではなく、奈良時代、平安時代にも作られます。
ちなみにこの土師器と対になるのが須恵器で、こちらは5世紀以降に窯焼きの技術の伝来と共に登場する高温焼成土器です。
上に挙げた写真だと左側の褐色系色調の土器が土師器で、最下段から右側にかけて配置されている灰色系色調の土器が須恵器になります。
写真にもあるように、土師器や須恵器には「高坏(たかつき)」がよく見られます。
下に挙げた写真が現代の高坏の例ですが、身の回りの事例だと、ひな祭りの飾りで見ませんか?
神棚に置く容器類も高坏のような形態、あるいは類似の「脚」が付く容器だったりします。
高坏は飲食物を載せる食膳具ですが、容器にはそもそも遮断の意味があるので、高い脚部を与えることで物理的に地面やテーブルなどの「汚れ」から離すことで、「穢れ」と遮断する宗教的意味合いを持つと考えられています。
神様や王族・貴族に対して「献上」の意味合いがある場合、その容器は高坏だったり、あるいは、器形が異なるとも同様の高い脚部を有するケースが珍しくありません。
ちなみに一番最初に挙げた写真の中、イスラエルのキルベット・エル・ライ遺跡で出土した土器群の左側にも高坏が2点見られます(・∀・)つ
士師記とは? 文字入り土器の重要性
士師記はキリスト教の旧約聖書の一部です。
出エジプトや十戒、海を割った話で有名なモーセの後継者であるヨシュアの死後から、予言者サムエルの登場に至るまでの約400年間に渡るイスラエルの民に関する歴史が描かれています。
具体的には他民族の侵略を受けたイスラエルの民を、「士師」と呼ばれる歴代の英雄達(民族指導者達)が救済する内容となっています。
さて、上に挙げた写真の土器は約3100年前のものと推定されているのですが、見事な保存状態です。
見たところ、焼きもしっかりしていますし、塗料の発色も素晴らしいですね。
描かれている文字は「jerubbaal 」で、エルバアルと読みます。
これは先に述べた「士師記」に登場する士師の一人である予言者ギデオン・ベン・ヨアシュの別名として知られている名です。
この土器は地面を掘った後に内部に石を敷き詰めた貯蔵穴の中から見つかったものです。
この遺構と地層の切り合い関係から問題の土器はBCE1100年頃、つまり士師記の時代のものであり、聖書以外で士師記の記述と一致する名が考古学のコンテクストで見つかった初めての事例となります。
まぁそのため嫌でも期待が高まるのでしょう。
こうした所謂「聖書考古学」をやっている人の中には「神学」の延長としてやってる人もいるので猶更なのですが、、、
調査者によると、土器は約1リットルの容量をもつ水差しであると考えられ、かつては油や香水、薬などの貴重な液体が入っていた可能性があるそうです。
また聖書におけるギデオンに関する記述と、このキルベット・エル・ライ遺跡の位置から、この水差しがギデオン本人の所有物であった可能性もあるとしています。
もちろん可能性はあります。
しかしこの土器破片資料から推定される形態の水差しは、特に油や香水、薬などの貴重な液体だけを入れる特殊なものなのでしょうか?(*^・ェ・)ノ?
また聖書の記述とは内容が異なる事例の場合、こうした個人の所有物であることを示すた
めに土器などに持ち主の名前を記すことは一般的だったのでしょうか?( -д-)ノ
当時、エルバアルさんはどれくらいいたのでしょうか?( ・Д・)
そもそもレアな発見であり、「聖書考古学」としても重大な発見ですから、広報として意図的に盛ってる可能性もありますが、論文化されないと評価のしようがありません。
真偽については続報に期待したいと思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ
おわりに
最後に挙げた発掘現場の写真なのですが、、、
この辺りの発掘ではこうして土嚢袋(どのうぶくろ;略して「どのう」と呼ぶ)をベルトに並べるんだな~って思いました。
写真で見ると、土嚢の白いラインでくっきりと5つの小さな調査区(グリッド)が見て取れます。
このそれぞれのグリッドを隔てている未調査部分(つまりは土嚢の白いラインの下部)を『ベルト』と言います。
さてさて、なんでこんなことするのだろう・・・・・・
グリッドやベルトの説明をする上ではとても便利に感じましたが、こういう置き方だとベルトの保護になってないんですよね(組み方違います)。
写真の左側に、グリッド内側に落ちかけている土嚢が見当たりますが、こんな風にむしろ壁を壊してしまうんですよね。
乾燥地帯のようだから壁が脆いから保護してるのかと思ったけど、保護になってないし、
乾燥地帯で雨が突然降ってくると壁がやられるので保護してるのかとも思ったけど、そもそも日除けのテント建ててるし、、、
まぁ至る所の土嚢にガッツリ踏んだ痕跡あるので、、、免罪符的なアレかな。
さすが考古学者はこんなところにまでも象徴的な意味合いを持ってくるのだなと痛く感動してます。
・・・こいつらベルトを歩いてやがるぜ!( ・Д・)
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